寺澤暢紘(浜松袴田巖さんを救う市民の会)

目次

はじめに「身体は解放されたが、心は獄中のまま」
1.世界で一番強い者として
2.イースト菌入りのパンをください
3.後楽園に帰る
4.石川一雄の親父
5.東大ボクシング部
6.清水に行って自由になるプログラム
7.ばい菌は近づくな逆鱗に触れる
8.「こがね味噌事件」
9.負けなしの天皇
10.任意性、未提出証拠物
11.消されてる話
12.ジョーク、連想
13.さあ今から

はじめに「身体は解放されたが、心は獄中のまま」

確定死刑囚のままの解放
袴田巖さんは2014年3月27日、静岡地裁村山裁判官による再審開始決定により、47年7カ月に及ぶ冤罪との闘いの勝利の第1歩を踏み出しました。しかし、検察の即時抗告により再審公判は先送りされ、身柄は解放されたものの確定死刑囚のままであることに変わりはないのです。

「神の国」に奪われた言葉さかのぼること35年前の1980年12月最高裁は特別抗告を棄却し、袴田巖さんの死刑判決を確定しました。袴田巖さんが犯人にデッチ上げられた事件は、1966年6月30日静岡県清水市(現静岡市)で起きた、味噌会社の専務一家4人が殺された事件です。
当時袴田巖さんはプロボクサーの道を断念し、事件の起きた味噌会社で工員として働いていました。深夜たった1人の犯人によって4人の家族が、刃体13センチのくり小刀で次々と刺し殺され、金を奪い、放火したという事件です。当時袴田巖さんはこの会社の従業員寮に住み込み、当夜は消火活動に加わっています。その消火活動の最中に指を怪我していたこと、着用していたパジャマに微量の血がついていたこと、そして、元プロボクサーであったことから警察に目をつけられ、デッチ上げ逮捕されたのです。静岡県警は拷問による自白の強要、そして証拠のねつ造を、また静岡地検は数々の証拠隠しを行い、静岡地裁の誤った裁判により、逮捕以降半世紀近い47年7カ月を獄中に幽閉されたままでした。
袴田巖さんは再審開始決定で、「拘置をこれ以上続けることは、耐え難いほど正義に反する」として身柄が解放され、翌日から2カ月間は都内の精神科病院で、3カ月目以降は故郷浜松の総合病院の精神科病棟で、都合94日間健康診断を兼ねた療養生活を送りました。

現在は獄中から続いている拘禁反応による妄想障害を抱えながら、少しずつではありますが、お姉さんとの二人暮らしに安心感が重なり、外出や買い物に出かけるなど市民生活に慣れて来ています。拘禁反応は明らかに死刑執行の恐怖から、自らのいのちを守ろうとするものであり、1980年の死刑確定後から現れているものです。拘禁反応による異変についてひで子さんの話です。
「面会に行きましたら本人がアタフタと入って来て、『きのう処刑があった。隣の部屋の人だった。お元気でと言ってた。みんながっかりしている』と、一気に言いました」
まさに袴田巖さんにとって、死刑執行が現実のものとなってしまった状況が伝わってきます。
これ以降ひで子さんとの手紙や面会で「大天狗」や「電気を出す奴がいる」等の訴えが現れ、ついには家族の面会を拒否し、「姉なんかいない」「ハワイのくそばばあ」などと自分の世界を築き上げていってしまいました。

「神の国」に奪われた言葉逮捕から47年7カ月という長い年月を経ての再審開始決定により突然解放されたその日、袴田巖さんとひで子さんはホテルで水入らずの時間を過ごすことが出来ました。しかしこの日は大混乱状況で、当初袴田巖さんは静岡の病院に入院する予定でした。ところが車に酔ってしまった袴田巖さんの具合で、急きょ都内のホテルで一泊することとなりました。結果論ですが、車酔いのおかげで解放初日から病院でなく、ホテルでゆっくり出来て本当に良かったと思いました。
私は解放された翌日、入院予定の病院で袴田巖さんの到着を待ちました。弁護団のメディアに対する警戒感が強く、袴田巖さんが乗ってきた車は職員通用口から入りました。私にとってこの日が巖さんとはじめての顔合わせでした。病院の食堂で主治医から袴田巖さんに入院の説明が行われ、椅子に座って背を丸めている袴田巖さんと会い、あいさつをしました。その後主治医の案内で病棟へ移動。閉じ込められていた獄中から解放されても、引き続き鍵のかかる病棟で過ごすこととなり、事情はあったにせよ袴田巖さんとしては納得のいくものではなかったものと思います。

赤堀政夫さんとの違い
ところで私は、日本で4番目となった死刑囚再審で無罪を勝ち取った赤堀政夫さんの救援活動にも関わっていました。赤堀政夫さんは25歳でデッチ上げ逮捕され、60歳目前で再審無罪を実現しました。現在87歳。名古屋で支援者の人たちの継続的かつ献身的な努力に支えられ、一人暮らしをしています。
赤堀政夫さんの場合は、文通が行われていれば獄中での面会は可能でした。再審無罪により解放されるまでの間、仙台拘置所や再審公判が始まっての静岡拘置所で幾度となく面会が出来ました。そのため、解放直後から病院への通院や各地へのお礼や報告会に赤堀政夫さんと一緒に出かけることが可能でした。
解放直後の赤堀政夫さんは、一緒に歩いても決して前に出て歩くことはなく、道路の交差点では必ず立ち止まり左右を確認するという、獄中で身についた行動が現れていました。解放間もないころ通院のため同行する機会があり、島田駅から静岡駅に到着し、ホームの階段を下りる直前、赤堀政夫さんのじっとりと汗ばんだ手が私の手を握ってきました。駅の大勢の人たちに圧倒されたことからの行為だったと思います。また、新幹線で出かけた時には、窓際には座ることはできませんでした。その理由を聞きますと、「風の音が気になる」ということでしたが、獄中の静寂さの中では、風の音すら不安をあおる要素なのかと思いました。
赤堀政夫さんにも獄中35年の影響は様々ありましたが、時間と共に問題は解消されていきました。これに対し、袴田巖さんは拘禁反応による妄想障害によって、事件や裁判につながってしまう現実と関わることを避け、いのちを守るための自分の世界を構築しなければ生きていくことは困難であったことから、当たり前の市民生活を送る事はかなりの時間がかかることだと思います。

袴田巖の勝利
「神の国」に奪われた言葉再審開始決定を知らされた袴田巖さんは、「終わったことだ。嘘だ。この人たちは嘘ばっかり言うから帰ってもらってくれ」と、全く受けつけることはありませんでした。その後拘置所側が巖さんにどのような説明をしたのか分かりませんが、拘置所の指示で別室で待たされていたひで子さんの前に、ドアが開いてひょっこり巖さんが現れソファに座り、
「釈放された」
とつぶやいたそうです。

袴田巖さんにしてみれば「釈放」と言われ、獄中から出たわけですから、長い闘いの結果闘いとった「無罪」だと考えても無理はないことです。それは解放2日目の入院直後の病室のベッドの上で、「自分が世界中で一番強い者として認められ。世界で一番優れた者として認められ、世界で一番正しいと認められた者」として自力での勝利であると話していたことで良く分かります。
身柄の解放は、冤罪被害者として死刑執行の恐怖と闘い続けていた巖さんが、「全権力を掌握した袴田巖の勝利」であると巖さんの世界での確信になっています。しかし一方で、巖さんのいのちを守るための世界である「儀式」の中での出来事であり、事件も裁判も存在していないという、何者かに心を奪われたための、袴田巖さんの創造した世界の中で成立したものなのだと考えます。

このような巖さんが考えだした世界は、一審静岡地裁での「5点の衣類」、二審東京高裁での「はけないズボン」の出現にそれぞれ「犯人が動きだした」、「犯人でないことが証明された」と、裁判勝利に確信を持っていたものの最高裁でも死刑判決。さらに死刑確定によって死刑執行に直面化することで、その現実と向き合わないですむもう一つの世界を作ることでいのちを守ってきたものと考えます。すなわち、事件や裁判は「儀式」によって作られたものであり、また消されたものであると、現実との接点をことごとく遮断し、自分の意志や言葉を深い心の底に沈めたまま獄中で生きてきたのだと思います。
身に覚えのない罪で逮捕され、無実を訴える必死の闘いはことごとく押しつぶされ、誰を、何を信じていいのか分からず、絶望の淵に立たされ、否応なく死刑執行の現実に向き合わされてしまいました。その恐怖、絶望、不安からわが身を守るため、妄想という自ら作り上げた世界に入り込んだものだと考えます。

当初私は袴田巖さんには法廷に立って裁判官や検事に対して、押さえこまれ続けて来た、無実の主張や告発が出来たらと考えていました。しかし今、解放から1年が経ち、楽しそうに将棋を指したり、買い物に出かけられるようになった様子を見るにつけ、こうした考えは揺らぎだしています。穏やかな笑顔が見られ、落ち着いた生活が出来はじめている事を考えると、このままでもいいのではないかと。そして、袴田巖さんの冤罪を晴らすため裁判を頑張るのは弁護団であり、支援者であると言い聞かせています。
ここでは解放2日目の会話を皮切りに、解放1年を迎えるまでの折々の巖さんの様子をお伝えしたいと思います。そして、そのことを通して死刑宣告によって、一人の人間をここまで破壊してしまう、司法権力の残酷な仕打ちを直視し、逃れようとして逃れられない死刑執行の恐怖と闘い続けている袴田巖さんの生身の姿を知ってほしいと思います。

1.世界で一番強い者として(3月28日解放2日目)

私と巖さんとの出会いは、解放2日目の都下の病院でした。獄中での面会は何度申請しても拘置所長から許可されませんでしたので、この日が初めての顔合わせになりました。

入院直後のベッドで横になって、扇子を動かしている巖さんとの初めての会話です。
昨夜はよく眠れましたか
「まああれだけ寝むれりゃ良いんだけどね」
お姉さんと一緒で
「一緒って言ってもね・・・」
朝ごはんもおいしかったですか
「ケーキを食べたね」
拘置所でも何回か血を取ったことありますか、糖尿病のこととか
「この血を取って何かに使うとバイキンが死んじゃうんだね」
いろんな病気が分かるんですって
「どこも悪くないんだから」
「薬を飲んだら病人だし。静養に来たんだ」
大変でしたね
「長いことね。勝ったんだね。長いこと修業があったんだ」
みんな昨日は大喜びでした。ゆっくりしてください。
「静養しないとね。良かないね」
長かったですね
「これからが問題。国会通って、焦ってもしょうがないな」
「どうしてもばば―が入っていて、ばい菌が入っていてしょうがない」
だんだんと治りますよ。時間掛かりますが。
「監獄生活は疲れちゃった」
「昨日なんかケーキを食べてたら粉砕されたんだね。居なくなっちゃった。甘い物を摂ったら中に居れなくなっちゃうんだな。監獄生活でこてんこてんに疲れちゃった」
頑張ったんですね
「あまり栄養を摂ると大腸菌が身体に中に入っている。きれいな血の方がいい」
ゆっくり休んでくださいよ。
「世界中で一番強い者として認められたんだ。世界で一番優れた者として認められた。世界で一番正しいと認められた。歴史が終わった」
「安心して下さるハワイのビーナスがいる。」
「自由を勝ち取れば、釈放が勝ち取れば安心して暮らせる」
「中に居たんじゃ、どうしても直ぐに力になれんだな」
苦労したんですよ
「苦労ばっかりで闘いにいかすこと」
「勝ち続けて、全勝だったね。命かけてやって世界は平和になりますよ」
出られると思ったときどんな気持ちでしたか
「闘いに勝ったな。長い闘いだったが」。
何年たったと思います
「5年くらい、15年とも言っている。時代で時間が1日が1時間という時を経て来ている。早いんだな。」
今いくつになりました
「ゲンサイサイネンゲツという名がある。昭和19年3月10日。政治は清潔に」
毎日どんなことを考えていたんですか
「世直し平和な社会を築こうと」

2.イースト菌入りのパンをください

東京での入院は巖さんに言わせると、「監獄制度はなくなり、養老院もない時代だ」と、面会の際に話していました。浜松から病院まで片道3時間。ひで子さんは会えるかどうか分からず通った拘置所と違い、行けば必ず会える訳だから、3時間が遠いなどとは思わないと言っていました。
都合2カ月の入院でしたが、面会に訪れた支援者等と病院近辺を散歩することが、ほぼ日課になっていました。また、甘いものが好物で、病院内の売店でパンを買って食べていました。売店でパンを買う際に「イースト菌の入ったパンをください」と言い、買っていました。巖さんがデッチ上げ逮捕された以前の食生活が、今もなお生きている感じでした。

3.後楽園に帰る(5月19日解放54日目)

「神の国」に奪われた言葉東京での入院中に、日弁連主催の集会と後楽園でのWBC名誉チャンピオンベルト授与式がありましたが、それぞれビックリする巖さんの様子がありました。
解放後最初出席となった日弁連主催の集会会場への登場はピースサインで、また、後楽園に出かける日の病院の外出届けには「後楽園に帰る」と書きました。巖さんの隠されていた心が見えたように思いました。
後楽園到着直後、リングを見ながら「ここは自分を守ってくれる」と言い、続けて「後楽園の社長」になってしまいました。そしてこの日のメインイベントである、リングの上での授与式は堂々としてボクサー巖がよみがえった感じを強く持ちました。リング下でこちらがよほど興奮してしまいした。チャンピオンベルトを腰につけ、リング上を歩き観客の大声援を受け、カメラマンの注文にはファイティングポーズで決めていました。

さて、ここに一通の手紙があります。
現在は浜松の支援者一人である山本さんが小学校5年生の時の巖さんとの偶然の出会いです。巖さんがボクシングに青春をかけていた頃、電車の中での巖さんとの偶然の出会いについて書かれた手紙です。この手紙は回り回ってひで子さんの手元についたのは2013年4月頃でした。

袴田秀子様
私は浜松市中区在住、昭和22年生まれ、山本と申します。
私が小学5年生であったと思います。浜松駅から(当事の汽車)の座席に一人でおりました。前方の車両から歩いてくる人がおりました。昼間の3時頃で、ほとんど人が乗っていませんでした。
歩いて来た人が通り過ぎようとした時、ふと振り向いて立ち止まり話しかけて自分を差し「僕のこと知ってるかい?」と言ってきて、「僕の名前は○○イワオと言うんだ。ボクシングをしているんだよ。頑張っていまにもっと有名になるから、僕のこと覚えていて!!今から清水へ用事があっていくんだ。」と言って、すぐ次の車両に進んで行きました。
20才?ぐらいで嬉しくて仕方ないふうな笑顔で、将来に希望があふれている様子でした。ただ1~2分のそれだけの事ですが、記憶している事が不思議でならない思いです。

1~2年前のある日自宅で夕食時のテレビ報道特集番組だったと思います・・・袴田巌元ボクサー無実の死刑囚が・・・と流れていて、あれはもしかしてあの時の青年が?驚き、それまであまり事件のことは知りませんでした。
それから後、友人宅でその話をしました所、友人の友人がお姉様の袴田秀子さんとお知り合いでした。すぐに「主よいつまでですか?」の本を読ませていただきました。まったく悔しさと憤りを感じ、何という事を警察や裁判官はしているのだろう、その様なこと絶対にあってはいけないと思いました。
けれど時間ばかり過ぎ、私には何もできない、焦っても少しばかりの署名を集め等しかできません。申し訳ない気持ちです。

お姉さんの悲しみ、弟を思う気持ちは量り知れません
私は幼い時、両親の離婚にあい、小さな弟が父方に連れて行かれる時の辛くて、悲しい、悲しみは今でも小さな弟がふびんだったと切なく思い出します。
秀子様とは比べものにならない悲しみですが、今も私には大切な弟です。
両親の離婚が無かったら、あの浜松の父の所に行って、帰りの汽車に一人で乗ることもなかったし、なぜあれだけのたった数分のできごとを鮮明に覚えているのだろうか、不思議です。

一日も早く袴田巌様の無実、正義が勝利します様にお祈りいたします。又、すぐにでも面会が叶いますようにお祈りいたします。
文面の言葉の知識が足りず、お伝えしたいことが上手くできませんでした。また、失礼な文面となりました所はお許しくださいませ。

4.石川一雄の親父(5月27日解放62日目)

東京から浜松に帰る日は、東京駅での支援者によるお見送りと大勢のメディアの取材があり、東京駅ではちょっとしたビップ待遇でした。東京駅まで見送りに来られた石川一雄さんに「石川一雄のオヤジだ」と言って、東京拘置所当時の石川さんの面影を見出すことが出来ず、年取った石川一雄さんの顔を「石川一雄の親父」と言ったのだと思います。
(後日談として、未決の死刑囚だった頃は相互に部屋を訪ねることが出来、石川一雄さんの部屋にはお父さんの写真が飾ってあり、それを思い出したのではというものでした)。
傍らから袴田巖さんの様子を見て、昔のことを思い出しているのかと思いきや「石川一雄の親父」という言葉を聞いて、獄中に閉じ込められていた時間の空白を思い知らされました。

「神の国」に奪われた言葉この日ひで子さんは、巖さんに「富士山を見に行こう」と病院から連れ出したようです。初めての新幹線に乗り、雲にかくれてしまい頭だけの富士山を窓から見て、「ばい菌が邪魔している」と、つぶやいていました。
そして、47年9カ月ぶりの故郷浜松駅では支援者の大歓迎と大勢のメディアの出迎えという、過熱気味の駅のコンコースを何事もなかったようにスタスタと先頭を歩きました。到着直後の記者会見では、当時浜松にあったデパートの名前が出て、ここでもビックリでした。駅や街並みを見て、かつての浜松の風景はなく思いだすものは皆無と言っていいとほどですが、浜松に帰って来たという印象は持てたような気がしました。

記者会見後聖隷三方原病院へ向かいましたが、巖さんは引き続き浜松で入院するとは言われていなかったこともあり、医師の診察を受け病棟でひと悶着でした。故郷浜松に帰って来たのに、またしても入院になるとは思いせず、大いに不満気でしていました。
ひで子さんが帰宅することになって、巖さんは「新幹線で東京に帰る」とか、「中瀬(生まれ故郷)に大邸宅がある」などと入院を拒否し、数時間粘ってひで子さんを困らせていました。そのため主治医のアドバイスもありひで子さんが一緒に泊まることで、しぶしぶの入院となりました。

5.東大ボクシング部(6月20日解放86日目)

「神の国」に奪われた言葉病室のドアを開け面会に来たことを告げ、お話しを聞きしました。「だんだん回復している。もう少しだ」と、返事がありました。同行した支援者持参のボクシンのチャンピオン山中選手のKOシーンのDVDを見てから散歩に行くこととしました。パソコンに写る画面を、巖さんは右手に持った扇子の上下動を止めることなくじっと見ていました。途中で2、3度扇子を仰ぐ手が止まり真剣に見ている様子も伺えました。

その後、散歩を誘ったところ「ドライブか」と聞かれ、車で病院から少し離れた公園に出かけました。同行した支援者から元プロボクサーであると自己紹介をし、現役時代の写真を見せたところ、「若いころだな」と感想が聞けました。さらに「金子選手を知っていますか」と尋ねたところ、「先輩だな」と直ぐに返事がありました。
車で出かけた公園では、15センチ位の段差は手を取ってあげクリア。なだらかな草地を50メーターくらい歩きベンチに座りました。その日同行した支援者が楽しみしていた、ボクシングの練習用グローブをはめてもらおうとすすめましたが、「そんな元気はない」と、少し笑みを浮かべながらの反応でした。この後話では「ボクシングは東大でやった」とか、子どもの頃の思い出は「忘れたな」とか、住みたいところは「ハワイ」で、公園の周りの景色については「時間が進んで新しい時代になっている」などと答がありました。

この日の会話で感じたのは、妄想の世界に左右されつつも、思い出しながらの言葉でもあるように思いました。また、「清水へ行って自由になるプログラムがある」というような事を聞いたので、「清水に住みたいのですか」と尋ねたところ、「住むのではなく、自由になることに決まっている」との返事でした。今日はほとんど歩かずに終わりましたが、散歩は「歩かなくても車で動けば身体も動くから同じだ」と言っていました。
部屋に戻り、カレンダーで今日の日を確認しながら年を聞いてみました。返事はなく、生まれた年は「昭和11年」と答えてくれました。カレンダーの余白に昭和11年、1936年と書き、その下に平成26年、2014年と書き、「78歳ですよ」と伝えました。巖さんに納得の表情はなく、「平成はなくなった」と口にしていました。帰りの挨拶をしたところ「ご苦労さんでした」と返事があり、二人で「また来ます」と失礼してきました。

清水に行って自由になる(散歩で出かけた公園ベンチにて)
「生まれ故郷のハワイが一番いい」
暖かいところが良いんですか。緑がたくさんあるところは。
「夏の世界というのは一緒だ。暖かいところだな」
これから暑くなってきますが、海は好きですか。
「海ってのは、生活は人間にとって必要なんだね」
小さいころ舞阪の海で貝取ったりということを覚えていますか。
「そういう問題が覚えていないんだな。書いただけの事」
「どんどん忘れちゃったんだ。どんどん忘れちゃう。小さいころの問題消えちゃってる」。
でも少しは思いだしてください。
「まあ無理だね。もう無理だね。消されちゃってるんだから」
「新しく進んで、どんどん建設が進んで新しい建物が出来てちゃって、世の中変わっちゃってる。古いのがねえんでね」
1日も早く退院出来ると良いと思いますが、巖さんの落ち着くところがお姉さんと一緒に生活できると良いですね。
「清水に行って自由になるというプログラムがある」
清水で暮らした方が良いですか。
「良かないだろうけどね、自由になるという道がある。清水にはね」
一度行ってみたいですか。
「清水に行って自由になるという決めがある。それに従うほかない」
清水でも巖さんの事を応援してくれる人が沢山いて、みんな喜んでいます。

6.清水に行って自由になるプログラム(6月29日解放95日目)

「神の国」に奪われた言葉浜松に戻っての入院中は、支援者が散歩やドライブに出かけ、ひで子さんの上のお姉さんに会いに行ったり、両親とお兄さんのご仏前にお参りも出来ました。私との散歩の日(6月20日)に「清水に行く」ことの話を聞きましたが、この話は清水の集会後の巖さんの言葉で、清水に行くことを区切りにしようとしていたことが伺えました。

清水集会での巖さんの挨拶から
再審の価値は御身の神袴田巌天下人。全世界、全権力、全世界の公共企業全社長、全世界の・・・以上の社長が列記していますが、御身の神に対する再審請求を国民が出したんです。
袴田巖は無実だ。明らかであって再審をやっているのが袴田巌じゃない。袴田巌に対し一番になったから再審をまけてもらおうということが、今言っている再審です。再審の問題において、やはり国民がみんな困ることはなくなった。銀行の利息で食えるようになった。ここで再審を認める必要はどこにもないから却下することはやぶさかではない。銀行の利息で国民が食っていける時代になった。
再審とかなんか言って、国家に対し百姓一揆をおこすことは不正なことだ。御身の神においてこれは決断することであって、天下人となった御身の神であって再審を却下する。再審にする必要はない。国民は困っていないのだ。国民は誰ひとり困っていない。以上の決定を実施いたします。
尊敬尊敬、天才天才・・・・・
全公共企業において、一から十まで全部勝った。御身の神であって、後は御身の神が自由に決断すればいい。世界は何一つ困らないことでございます。
よろしくお願いします。

初めてのひで子さんの家に到着してすぐの「報告」
清水で制圧した事、平定したことをここに決定します。御身の神袴田巖天下人。全世界、全権力者、全世界の病院の社長、公共事業の社長。以上の決定を実施する。
○○の全世界の社長も兼任しておりますので、全行程が終わったと発表されたから、今日までの新決定は一括です。一つの法律として移行(?)することを決定します。

今日はこれで満足ですか。
「やるべきことはやってきた」
頑張りましたか。
「頑張って来た」
清水の皆さんはどうでしたか。
「清水のマスコミは強いマスコミで、いつまでもついてきて離れない。逃げちゃいたいけど、逃げられない。大変熱心なマスコミでした」
ゆっくりしてください。
「自分の家という、ざっくばらんな考え方、公共企業の全ての掌握、納めた価値である。楽しみたいと思います」

この後床に新聞紙を敷いて、差し入れのスイカを美味しそうに食べていました。獄中ではスイカは出たのでしょうか。その後支援者の人たちと一緒にお寿司を食べ、お風呂に入り、ひで子さんが敷いた布団の上で、窓からの風を本当に心地よさそうに受け「ここはい良い」と納得していました。

この日、ひで子さんは外泊をさせるつもりで家に帰ったのですが、翌日巖さんは頑として病院に戻る気はなくそのまま退院になりました。主治医から外来受診を指示されていましたが、受診当日は病院玄関までは車に乗っていきましたが、「病院は関係ない」と車から降りようとせず、結局ひで子さんだけが受診。そのまま帰宅し、服薬はもちろんしませんでした。
実力行使での退院後の巖さんは引き籠り気味で、入院中には車で散歩に出かけていた男性支援者からの散歩の誘いも、「面会謝絶」とふすまをピシャッと閉めてしまいお断りでした。あんなに入院中は一緒に出かけた支援者と外出をしなくなってしまいました。

こうした様子は、やっと落ち着ける場所が出来たのに、散歩だとかうかつに誘いに乗ったら、どこかへ連れて行かれてしまうかもしれないと警戒感があったのではないでしょうか。それも無理ないことだと思いました。獄中での面会はひで子さんが最も長く、それ以外は支援者が二人きりでしたから、安心できるかどうかは不安があったのではないかと思いました。

7.「こがね味噌事件」(8月10日解放137日目)

巖さんの「終わった」ということ
「神の国」に奪われた言葉裁判が終わったといいますが、終わってない人もいますが。
「終わったさ。こんなもの神自身が書くだけ。嘘でね。あんなもの嘘でやって承知したことだけ」
そこは巌さんは自信があったのですか。
「神の国の有罪だ、無罪だといっても、承知してやっている事。全部が嘘なんだな。最後強けりゃ勝。弱けりゃ負けて死刑囚で執行される。神自身が死刑囚。執行されるしかない。それだけの事。自分がしっかりするしかない。全部嘘でやっている。嘘に負けたらひどいことになっちゃう。こがね味噌事件なんて言ったって、この本件こがね味噌事件なんて、ねーんだな。ねーんだから死んだって言っても4人が生きている。死んだと言って裁判やっている。まるっきり嘘なんだ」
昔、随分闘って、随分頑張ったんですね。
「あれは儀式で書いただけ。儲かるようになってるんだ。中心がね世界の中心が全て金を集めてるんだ。袴田通信*なんか出して、銀行までやるようになった。そういうことで許されているんだな。中心というのはな」
静岡、東京で随分頑張ったんですね。
「頑張ったと言っても書いただけだ。あんなもの書いただけ。やったら儲かった。銀行まで開いて儲かってしょうがない。儀式がそういうことになったんだ。中心を勝たせなきゃしょうがない。中心という地域があって、その時代の一番強いそんなことしても、中心に向かっても勝てない。儀式がね、儀式が応援している。こういうものが儀式への闘いで、中心に勝つなんていうことおよそ無理であって、今日の結果が、中心が世界中の権力を取っちゃった。ばい菌がみんな死刑囚になっちゃった。こういうことは、はじめから計算されている。中心が勝たにゃ世の中良くなりゃせん。時期がくれば契約がちゃんとされていて、中心が勝つように回転している。これが儀式で、世の中は長くやってりゃ必ず良くなる。グズグズ言えば良くなる。これで悪い、おかしいなんて言えなくなっちゃう。ドひどいことになちゃう」

*袴田通信/当時の支援者の機関紙

こがね味噌事件はどんな意味、どんなふうに考えていますか
「ないよ。あんなもの。娑婆で一緒に生活しているんだから。娑婆じゃ死んじゃいない。こんなもの殺したって何ともない」
事件はなしですか。
「嘘ということ。その嘘とどう闘うか」
ずっと闘ってきた巌さんにとって裁判とは何なのですか。
「裁判と言えばデッチ上げをなくするため。嘘で分からんようにやっているんだ。こがね味噌事件で死んだ人はいねぇんだな。監獄内にいりゃ分かるんだ。清水と静岡は違うがそれでも同じ地域で、こがね味噌がどんな生活をしているか、監獄内で分かっている。殺したって言ったって、生きてるじゃないかって分かっている。そういう儀式。中心が負けないという。力なんだ。そりゃ負けやせんよ。生きて仕事している。こんなもの分かっていて通りゃせん。そのために弁護士もいるんだから。分からんわけねーんだ」
弁護士は何人か覚えていますか
「覚えていゃしねえと言った方が、覚えちゃいないちゅうか、みんななんていうか、中心を有罪にしようと弁護士まで固まっちゃったという事件だから。それでも内容としたら分かっている」
「こがね味噌は生きている。4人生きていて。一家4人殺しと言ったって生きていて、分かっている。弁護士もみんな検事で、後は有罪。有罪にしようと、袴田有罪だと言って歩いて裁判所で、そうなって分かっていて、こがね味噌の事件が分かっている。それが裁判だね。冤罪事件だ、それが」
それと闘ってきたんだ。巖さんは。
「えん罪だって分からんように出来んだ。被害者が生きてるぞってわかっちゃう。冤罪だからね。わからんようにしようがない。未提出証拠があるだから。死んじゃせんぞ。それが裁判だったということ」
それで裁判信用できなかった。
「全部嘘。分かりきった嘘で、裁判所がやっている。有罪、有罪と。そりゃ嘘ですよ」
巌さんが裁判の中で一番言いたかった事は何だったんですか。
「勝つことだな。勝たにゃしょうがない。そいう権力内の味方が一番欲しい。権力内の味方がほしいんだ。まあ監獄なんかの話になれば、権力内の味方が居ればちったー有利。不利益でしょうがない」
この裁判勝つため一番大きなものは。
「信念だね。やってないという信念。証拠があるんだから。やがてはこの証拠を隠すことが出来なくなる」。
検察は証拠を隠している。どんどん出してほしいですね。
「不利益なものは出さない」。
5点の衣類が出て来た時、巖さんは自分が犯人じゃないと喜んでいたんですね。
「何とか犯人と思わせようと、よってたかってやるんだから。弁護士までもよってたかってやるんだ。それに負けちゃいけない。全部嘘なんだから。それが冤罪なんですよね。え
ん罪という負けるかどうか、みんなで寄ってたかって有罪だ、有罪だと言って、嘘言ってやってきた。負けるかどうか、勝てるかどうかということなんですね」
東京から浜松に帰る時東京駅で見送ってくれた石川一雄さんとは昔の記憶がありますか。
「ないんだな。なんか消されちゃってるんだ。石川一雄自体がね、消されてちゃって、知っておかなきゃならないという貴重なものがない。二人にゃないんだ」
あまり印象がない。
「ないんだね。どういうことだったのかな。消す回転。機械が消す回転なんだ。必要がない。向こうには悪いかもしれんが。石川という名と袴田という名と必要性がない。なくなっちゃうと消えちゃうんだね。印象がなくなってっちゃう。裁判闘争の問題というのはそんなものなんだね。他人の事はわかりゃせん。お互いのね」。
裁判を支えていたものは、何だったんですか
「支える?そりゃ自分の根性だろうねぇ。てめ―はやってねーぞという根性だね。冤罪。
自分の価値というか、事件を犯してねぇ―と言えるか、言えないか。一審までに言えるかどうか。冤罪と言いながら、一審の前に自分はやっていないということが言えるのか、言えないのか。これだけだね縛られているのは。これだけで決まっちゃう」
事件に関係なく連れて行かれた。
「カラスだっていろんなこと知っているだからね。カラスが飛んできていろんなこと教えるんだ。人間社会というのはね、冤罪のことは分からんのだ。冤罪なんだ。カラスや鳥が知っている事実だ。人間が一生懸命隠している事実を暴いている。そりゃ面白いと言えば面白いが、それが人生なんだね。一生懸命生きている。動物なんてそうやっちゃ味方する。これが世界ですよ。それで何か隠しても人間社会で隠しても暴露されちゃう。わかっちゃうだね。これが本当だぞと分かっちゃう。本当の事はこうだぞと、本当のこと教えるんだね」
巌さんは信念が強いですね。
「まあ動物まで把握するということ。カラスやスズメやメジロでも何でも把握。心が分かるということだ。頭が一つになっているということ。そういう強さがある。霊だな。袴田巌の霊で裁判官が有罪と書こうとしても書けない。そこまで強い、強くなるんだな」
一番悔しいと思った事は
「冤罪事件。闘争だから、えん罪と言われたら勝つ。最後にゃ勝つんだということ。犬だって知っている。猫だって知っている。そういう信用すべき値と一緒だということ。冤罪闘争は一緒だ。それで負けやせん。強い力を持っている。カラスも持っている」。
今でも冤罪で苦しんでいる人がいる。巖さんは47年も頑張ったんですね。
「もう歳月の事はわかりゃせん。みな消しちゃって、消した方が価値があって、消しちゃってるんだね。どんどん消している」
年齢は関係なく生きている感じですか。
「まあ人間性。現に一生懸命やって、自分が真理ならこうなる。世界中の権力の頂点になっちゃった。これだけ見たってそうで、儀式というもので困らんようになっている。守る、
守らんという問題を作ってくるが、儀式で契約があってやっているだからね。契約がか
わりゃせんでね。そういう冤罪闘争の最後だね」
えん罪とずっと闘ってきたんですね。
「えん罪と言われたら殺されはしないんで。どんなことしたって、未提出証拠があって、
嘘じゃ殺せねーんだ」
どうして時間がかかったんですかね。
「偉くするため。世の中良くするため。長くかかっるということね」
ちょっと悔しくないですか。
「まあ天下を取ったと。天下が自分がやらなきゃ出来ねぇ―んだ。ただ出来るものはいやせんのじゃ。最後の闘いにしたって、そんなら天下取った人は偉いんだ、強いんだ、正しいんだって言われるかって、人間いやせん。袴田巖より俺の方が偉い、強い、正しいだとか言えやせん。それで負けだよ。嘘じゃ出来ん。強いなんて言えない」。
嘘はだめ。頑張る力がものすごい。そのエネルギーはボクシングにあるんじゃないですか。
「ボクシングねー。ありゃ知恵の問題。ボクシングは負けないものが世の中運営する能力だ。儀式で決まっているんだから。ボクシングは負けたものをこっちが勝ったなんて言うわけない。強い弱いははっきりしている」。
いつも巖さんはどうして強いんですか。ボクシングを頑張ったからかですか。根性ですか。1
「正しい世の中が存在しなきゃしょうがない。なんていったって嘘の問題じゃね。嘘がな
くなるほかない」。
4か月経ちました。感想は
「4か月か。儀式は終わった。それでおしまい。何か言う必要はないんだ。終わって儀式、計算されてばい菌はみんな死刑囚だ。袴田巌は権力の頂点に立った。これで儀式は終わった。これで終わったんだからもうやることはない。こっちが天下取っちゃったんだから。だからああだこうだと言っても通らん。どこかおかしいぞと。今日言えといえば、終わったんだ。何か袴田巖は権力を取って。そりゃ嘘だとか言えね―ンだ。ばい菌は死刑囚である。死刑を認めて終わった。だから何もないんだね。後は何もないんだね。そういう勝負として完全電気椅子の時代に入ってばい菌では糞も血も燃えちゃうんだ。燃えて何かあるわけない。ばい菌の死刑囚を助けるといって助ける道ない。昨日も今日も出て来た。袴田巖よりは強い、えらい、正しいと言うなと、間違いを認めろと、救いがあると言ってる。こっちから言えるわけないんだ。そういうこと言えなくなっちゃった。終わった。えん罪が終わって形が出来ちゃった。ばい菌が死刑囚なんだ。終わってねこれを代えようと思っても代わりゃせん」
自分で勝ち取った。
「それが事実だ。儀式というものの中心が勝たなきゃ世の中良くならない。全ての権力与えて勝たした」。
親戚の人たちとゆっくりしたい気持ちはないですか。
「それどこじゃない。いま建設が行われているのも事実でね。何も困らんように浜松で行われている。自分の家もちゃんとする。大邸宅。困らんように道に入っていって建設。建設がちゃんとすればもうこれで終わりだぞとなってきた」
岩水寺のお姉さんの所に遊びに行きませんか
「いろんなことが書かれている。契約にそむくことはできんのだね。言うならば契約にそむくことはできんから。天の神はいまこの下で行われている地下でどんどん建設が進んでいる。ただの世界が。天の神がいて存在する。失墜させるため存在。神の純血の時代。支配しているんだ。これが一番強いんだ。そういう権力支配でここへどういうものが来るのかということだ。袴田巖が天皇となって、どういうものが反対に来るのかということが今日までの問題。どういうものが反対してくるのか。終わったこと。監獄制度があって、整理された電気椅子の世界。元の世界だから電気椅子なくなっちゃう、或いは石になっちゃう。そうなっている。世の中にとって害になるものは石になっちゃう。これが最後で何か新しくやろうと思っても出来ない。監獄で死刑囚は出来ねーていうこと。袴田巖は全権力を取っちゃって、ばい菌が死刑囚。何か世の中をひっくり返そうと思ってもひっくり返せねーんだな。死刑囚じゃひっくり返せない」
袴田巖さんをお大事に。
「こりゃね、血の問題で袴田巖の純血の時代が認められたという、これが一番強くて、正しくて、すぐれている。儀式で。これが変えることはできんのだ。女の純血、神の純血、完成の時代。儀式の問題であったと、いろいろ困るようになってきた。勝つために作られた世界だからね。神に反対してくるもの。ことごとく失墜」

8.ばい菌は近づくな。”逆鱗に触れる”(8月24日解放153日目)

そんなある日、弁護士がひで子さんと集会参加にむけた打ち合わせにやってきました。打合せをしながら弁護士が、巖さんに「味噌タンクに入って仕事したの」など、事件に関わる質問をしていました。巖さんは「そんなものは関係ないんだ」と、拒否的でした。巖さんが歩き始めると弁護士も一緒に歩きながら話しかけていました。
しばらくしてソファに座った巖さんに「肩の傷見せてよ」と巖さんの右腕のシャツをめくり始めました。そして、右肩の傷を調べ始め、ついにはメジャーで測ることになりました。巖さんはされるがままの姿勢ではありましたが、「終わったことだ。関係ないんだ」と随分嫌がっていました。私はこの場にいたくないなあと思いながらも、弁護士の行為を見ていました。そして、メジャーでの測定を手伝ってしまいました。

肩の傷を見せて
「そんなもの関係ないよ」
「そんなもの事件じゃありゃせん。死んだものがいやせん」
昔5点の衣類が問題になった時のこと覚えてますか。袴田さんはズボンは袴田さんの物じゃないと言ったこと覚えてますか。
「死んだ人がいないのに、血のついたもんなんか関係ないじゃないか。血のついたものなんか嘘なんだ」
「ズボンもステテコも一緒だ。事件が無い、死んだ者もいないんだから、血は関係ないんだ」
寮で宿直したことはありますか。
「ないんだ。忙しんだ。こっちは次郎長一家でね」

「神の国」に奪われた言葉このように、弁護士から強引に5点の衣類に関して聞かれたところ、巖さんは一貫して「関係ない。事件はない」と、迷惑そうな口ぶりでした。
それから4日後の8月28日の深夜、巖さんは糖尿病の悪化が原因で市内の病院へ緊急入院をしました。もともと甘いものが好物の巖さんが夏の暑さで、アイスや氷菓子を食べたことなどが原因なのか、夜中にトイレで倒れ、緊急入院しました。入院後の検査で、糖尿病に加え、動脈硬化が見つかり、手術が予定されましたが、その手術の前に胆石が見つかり、結果的には2度の手術を受け、9月19日に無事退院が出来ました。

緊急入院中巖さんをお見舞いに出かけたところ、剣もほろろとはこのこととで「ばい菌、糞」と言われ、「来られても困る。帰れ」と散々でした。
「あんたなんて関係ない。知りゃあせん。死んじゃっていやせん。男は全部死んじゃってしょうがない。監獄制度で、御身の神の5メートルで崩れちゃったじゃないか。ばい菌との問題は全部終わった」
「どこかへ消えてなくなれ。糞なんかで来られても困るんだ。おれは」
「こっちが邪魔だから、糞と一緒じゃ困るんだ。糞は監獄制度でもいらないんだ。そんなもの見たかないんで帰ってくれ」と、大変な怒り方で巖さんの逆鱗に触れたことによる怒り爆発でした。
退院後、私に対するこの怒りは徐々に収まりました。やれやれでした。

それは巖さんが3度目の入院を終え、ひで子さんの家に戻れたことでの安心感が生まれ、そのことで怒りの感情が収まっていったようでした。また全くの想像ですが、入院中の看護師さん等のやさしい対応に心身ともに癒され、巖さんから受ける雰囲気が何となくすっきり穏やかになった感じを受けました。そして、退院後数日してひで子さんから散髪をすすめられ、床屋さんに出かけることが出来ました。それからというもの買い物、散歩、散髪と外出が出来るようになりました。信頼できるお姉さんの家に戻れた実感が安心感になり、その後の各地の集会参加が出来ることになったと思います。

9.負けなしの天皇(11月22日解放243日目)

この日、散歩の時間に喫茶店に行きましょうと誘いました。それまでは、女性の支援者との散歩や外出の様子は聞いていましたので、何とか行けるのかなと期待をしました。しかし、男性ということが気になるのか、即答はありませんでした。「行ってきな」と、ひで子さんから背中を押され、一緒に出かけることが出来ました。

喫茶店にて
テレビで相撲を見たり時代劇を見たり、事件記者を見ていたようですね。
「もっとやればいいと思う。面白いと思う。きりがない。ストーリーが。あれは上手いよね。儲かるはずだが」。
時代劇は?
「水戸黄門なんかテレビで出ているがね、英雄が出にゃしょうがないんだな。出世物語ならね見る価値があるんだな。ぶち殺されて死んでしまっていくなんていう大将描いたってしょうがねえんだ。出世物語ならみんな見ようじゃないかとね。テレビ局もできたということで。みんな研究する必要があるんだね。文明だとね。文明で面白いテレビを見せるという」。
一番良く見る番組は何ですか
「いっぱいある」
歌、歌謡曲は?
「七色の歌が良い。良い声の人なら良いんだな。良い声の人がいっぱいいりゃね。歌謡もね世界的に金を動かすことが出来るんだからね。なかなか七色の声はないんだ。七色の声を持っていればヒットする。こういう人が大将でやれば歌謡界も金を儲ける」
美空ひばりは
「儀式でばかに悪く言ちゃったんだな。西郷隆盛とやってなんてど悪く言われちゃって。死んじゃったって状況で。悪いことはできん。秋田のリンゴが世界一で、霊を食うって言うんだ。美空ひばりの霊がね出て来て、人気が落ちてやれなくなった。儀式においても大将にできんようになった。袴田儀式でね。西郷隆盛と一緒だからダメになったということ。西郷隆盛と一緒にものを言ってたんじゃ、新しい時代にやれなかったということでね」。
島倉千代子は?
「いたねー。年を取っちゃった。北島三郎なんかと一緒にやりだした。頑張ってた。これが悪いというわけじゃない。性的な問題だな。男と女なんていう。こういうこと疑われちゃいけない。マスコミには。そういうことが問題だった」
あのころでは、坂本九は。
「坂本九は良い歌唄っているんだね」。
上を向いて歩こうとかそれ唄えますか
「いやー悪い声は出せねーんでね。坂本九ね。アメリカなんかでヒットした。世界的に有名になってきた。書かれただけの世界で。富士山に落ちゃった。飛行機が」
それはニュースで見たんですか。
「知っているんだな。儀式の問題で、ああいう書いただけだろうだからね。現に生きてるんだからな。書いただけの問題だね」
ニュースで一番印象に残っていることは。
「神の国」に奪われた言葉「ニュースでね。別に、野球がどこが勝ったとかあんなことばかりで、そんなことばかり気にして、ボクシングだけになったとか書かれている。そんなことが書かれている。監獄制度化ではね。政治的にあんなことが、ハイジャックなんてね、田中角栄がやったという、ああいう問題が」。
以前聞いたことのある「目白裁定」は、田中角栄のことですか?
「そうじゃない。儀式で目白に大きな山があって、あれに動物の大将がみんな入って生活している。それでメジロが大事なんだな。動物の一番上だからね。動物の全ての対象だからね、子の決定は強いんだ。目白も袴田巖が家を取ったんだ。自分の家でもある。田中角栄じゃ持っていれなかった。金がなくて私が持っている。立派な所。東京一の所を売り払った。その後袴田巖が取ったんだね。今日まで維持している」。
島田事件はどうですか
「島田事件ね。島田とは浜松に近えんだな」。
赤堀さんは?
「弁護士の持っていき方だな。あんなもの乞食にされちゃってる感じがな。一般的に支援がほしいだろがね。カンパも。ありゃ弁護士がやったんだろうな。乞食なんて感じじゃあ、あんなもんがなきゃもっと支援の輪が広がっただろうね」。
赤堀さんに名古屋で会いました。
「頑張ってんだ」
巖さんもガンバらなきゃ。
「赤堀と競争して頑張ってもいかんでね。天下取った人間だからね。天下人になった人間だからそれと一緒じゃ困るんだな」
あちこち呼ばれて大変じゃないですか・
「権力的にね。話ぐらいしにゃしょうがない。権力というものはそういうものだということだね。世界の人間がね、みんな困らんように、そういう考えで工夫、指導しなきゃしょうがない。現状強化になって審議もやっている。だんだんよくなって来ている。お金もなくなりゃせんなんていう世界まで想像出来るようになって、そんな時代。頂点の世界だね。一番歴史においてこれだけお金が減りゃへん時代になってね。病気をしやせん。これで死にゃせんということになって来た」。
一番みんなに言いたいことはなんですか
「神を信じれば、信じれば悪はない。神に反対しちゃいかん。神に反対することは神を殺そうということで、それがいけないんだということ。神が。何でもできる神が出来なくなっちゃう。国民がいっぱい反対してたんじゃね。そういう筋道を神が通そうとしているんだね。反対できるのか、お前の価値はねぇんだから。全勝で勝った神だから。反対していた事を間違ってたと認めなさい。今日あたりでも頂点の言い分なんだな。儀式が終わって。だんだんなくなってきた。神を殺そうとしている者はなくなってきた。現実にね。無駄なことなんだ。神は死にゃせん。霊の国もあってね。死にゃせんようになっている。そいうことを信じにゃいかんだな。こいつを殺しちゃ世の中困るんだ。死にゃせん。死なん保障がされている。これが中心なんだ。言えばわかる。反対すれば神がつぶれちゃうと思っているんだな。人間がね。ばい菌をもって反対してきたんだね。それが間違っている。第一糞を焼くなんて。あんな物いらんだ。世界で。地球が持たん。反対になってきている。それで袴田巖が糞を焼く機械を発明して、浜松で松菱で展示までして、糞を焼く時代にしようとしたんだ。反対したんだ。西郷隆盛を頂点にして検事が反対したんだ。これが不味かった。儀式が長引いちゃった。なかなか国家権力が自立出来ねーんだな。検事が反対じゃね。検察官は神を守らにゃしょうがない。神を守って自立させにゃしょうがない。そういう役目を持っているんだ。反対じゃ困る。西郷隆盛が大将で反対だってんだから。糞なんか焼いたら人間死んじゃうぞと、言いだした。どえらい嘘なんでね。袴田儀式だった。なかなか進みゃへん」。
昨日はのんびりしましたか
「昨日はこれと言って。建設が進んでいるということ。京都か?京都なんか建設が進んで完成した。もう終わって建設するところはないだろうと変わって来たんだね。神が楽になる。全ての裁定が神が完成したことを認めればこれで神も幸せに生活できるって事だね。困らんようにやっていける。国民主導でね」。
監獄を出るとき感じた事は
「本当かーということ。現実がね。釈放するなんて出てきたが、東京拘置所を出てきたが。信じられるもんじゃなねえ」
何て説明があったのですか
「なーんにもないんだ。看守が5人ぐらい来て、釈放するって言うんだ。後をついて行って、手続きとって荷物をもらって。なかなか信じられんのだな」
嬉しかったでしょう
「まあ、ヒルトンホテルに行ってね。目白か。ヒルトンホテルで3日くらい泊まったかな。だんだん落ち着いてきたんだね。やらにゃいかん事がある。正しいことで国家権力に勝ったということだからね。最高裁に勝ったということ。袴田巖は裁決になったんだから。釈放するじゃ、死刑判決下していたのが、死刑できんのだからね。最高裁が負けたんだ、袴田巖が裁決になっちゃった。権力支配。権力の強さだな。それだけはっきりしているんだね。最高裁が負けりゃ一番強いのが袴田儀式で、検察、裁判所に闘って、一番強いのが最高裁だ。それが袴田に負けたって言うんで、袴田巖が最高裁になっちゃった」
検察に即時抗告され、弁護士頑張っている。巖さんは健康を大事にしてください。
「健康の問題でね。健康で生活して世界が困らんようにしなきゃいかん。保証していく。現職だからね。全ての権力で現職が袴田巖なんだからね。現職なんだからしっかりしなきゃ世界が困るんだ」。
出て来た時はお姉さんも大喜びで、信じられなかった。巖さんもビックリしましたか。
「環境があるんだからね。頼りにしてれば驚くだろうね。監獄制度の問題でなかなか信じられんでね。本当にね。急に釈放すると言ったて、死刑囚釈放するなんたって信じられるもんじゃないんで。国家権力という物の考え方は真理があるんだでね、真理があって嘘ではどうも人は殺せんぞという。それで未提出証拠物なんかという物を調べる。本当にこいつがやったのか、やってねぇーのか、事件を犯したのかどうか調べる。そんなことできません。国家も悪いことはしたかないんだでね。事件やってねぇーものを殺そうなんて思やせん」
獄中から出て来てから毎日が早いですか
「生きているということであるんだが。世界と共にだっていうことでね。世界が困ったんじゃどうもない。世界のあっちで困るこっちで困るって言ってたんじゃね。世界という国民が幸せなら一番良いということだね。そのために信義をやっているんだね。生死の問題だね。人間は死ぬものとなっていた。ばい菌時代じゃね。死んじゃうんだぞと教育してきたんだな。そういう教育がなくなったんだな。監獄時代で。新しい時代になって死にゃせんぞと。生き方でね。学校でも死にゃせんぞと、教えだしてるんだな。新しい現実の世界じゃね。それで幸せがあるんだ。死ぬなんてことが一番困るんだ。教育はね。世界的にね、人間が死なにゃしょうがないという教育をしているようじゃね。幸せが無いんだ。よほど苦しいか、年を取ってね。苦しい生活をしにゃしょうがない。それを何とかなくせようと。年を取って死なんぞなんていうことをね。
巖さんは幸せがほしいと思います。ボクシングをやって、清水で事件に巻き込まれ、獄中で苦労して、もし戻るとしたらどの時代に戻りたいですか。
「戻るって事なら小さい時かな。ハワイ、バッキンガム宮殿で生まれてりゃ小さい時困りゃせん。全て自分の味方だからね。全てのものが自分の味方なら幸せなんだな。なかなかなれねぇんで。反対が多いんだが。これが不幸な世界で、死んでしまわにゃしょうがない。人間はね。そいう世の中なんだね。死という恐怖だな。人間が持っている。年を取ったら死ぬという本能的にそういうことをなくする時代である。それだから死にゃせん。したんだ、私がね。年をとりゃせん時代にした。建設して大々的に運営されている。保障されている。世界で初めてそこまで行けた人間の知恵でね。だんだんそういうとこで生活しようと思う。人間はね。年も取らない。金を使っても減りゃせん。ここまで来た理論的に。世界にアピールしている神がここまで来て、神を信じろということだが。神への反対がどこまでなくなるか」
子どものころというのは
「ハワイのマウイ島で生まれてバッキンガム宮殿で生活したんだ。5歳の時日本に送られてきた」。
浜名湖に行ったようですが。
「分かりゃせん。雄踏なんて言ってもさっぱりわかりゃせん。道まで変わってさっぱりわかりゃせん」。
浜名湖で泳ぎましたか。
「水泳なんかのマネしてる。夏は」
古橋広之進とか。
「フジヤマノトビウオなんていわれて、世界選手権とったんだな。そういう関係は浜松であて、ボクシング教えてまで出来て、古橋が袴田巌にボクシング教えたまで出て来た。儀式で書かれてきている。一生懸命教えたんだ。何とか強くしようと教えたんだがね」
駅前で署名集めていたとき巖さんにボクシング教えてもらったという人に会いました。
「袴田巖という性質、問題だ。運動神経がよいということ。反射神経がよくて、ボクシングをやってる。もっと早いんだね。パンチが早いんでね。みんなよりね。はじめからそういう生まれつきなんだな」。
ボクシングをどうしてやろうと思ったのですか
「神の国」に奪われた言葉「神の国」に奪われた言葉「好きだからだね。何とかボクシングで生きていこうなんてね。小さい時からね。小学校、中学校そんな時期からボクシングで生きていこうと」
好きな選手はいましたか。
「当時の白井義男とかエスピノサ、エロルデとか来て、プロボクシングをやってたんだ。そんな当時の儀式なんだね。誰にも負けるなんたあ思わなんだ。負けるというボクシングをやってなんだ。叶わないなんて思やせん」
国体に出て東京に行ってプロになったプロもチャンピオン目指したんですね。
「プロのボクサーとしてね、袋叩きにしちゃうんだからね。コーナーに押しつめてバシンバシンとね。どこからでも手が出てね。打ちぁバシーンと食らうという」
怖くないですか。
「怖くないんだね。ボクシングはねグローブはめてるから。なぐらりゃせんだから。どれでもよけられるだからね。相手のパンチはね。お見通しだ。なぐらりゃせん。相手のパンチが飛んできてもすべってちゃうだけだ。そういうボクサーだから、打ちあってもやらりゃせん」
ボクシングは面白いですか。
「面白いちゃあ面白い。書かれている部分で勝利だから。勝つことは世界選手権で躍りあがるほど嬉しい。チャンピオンでトップだから。莫大な金が賭けられている。大変な金で、日銀が介入してきて、一億円もギャラ出すんだ。世界選手権にね、ちょっとばかじゃないだからね」。
後楽園で名誉チャンピオンベルトをもらって嬉しかったですか。
「サドラーに勝ったという。世界一強いという方なんでね。当時じゃサドラーが世界一強かった」
どこの国の人ですか。
「アメリカだ。インドであるがアメリカへ行ってやってた。一番強くなった。ヘビー級まで負けね―という評判があったんだわ。そんなもんに勝ったということ。後楽園でやってね。これで袴田巖の時代になった。それでウエルター級、ヘビー級までとっちゃってとても大きになってね」
アメリカと言えばハリケーンカーターっていましたね。
「消されちゃってるんだな」。
カーターさんも頑張ってましたね。
「ああそう」
あちこち行けるようになりましたが、自分でいきたいところは
「ハワイに行けば一番良いと思うんだがね。ハワイは全て味方だと思うんだな。比べると、浜松にいても全て味方とは言えねえんでね。全ての味方が出来れば一番いいんだが、なかなかできん」。
味方はたくさん欲しいですね
「ああそうだね。闘いが終わったというが儀式でね。敵がいっぱい増えたんじゃ困る。勝ったと言っても。そういう恨み事がないようにしようというね、裁定がね。実際はねえんだぞというようでも、儀式ていうものが問題だ。あれで勝ったこれで勝ったという。嘘なんだよと。恨みを持つんじゃないよ。恨みがなくなればいいんだな。負けた恨みが書いただけでも、負けた恨みが頭に残っている。だんだん忘れてしまわにゃしょうがない。袴田巖を忘れよう。みんなが覚えていない。今はそういう忘れる過程だね。裁定が世界の忘れにゃしょうがない。嘘なんだからね。忘れる過程なんだね」
袴田巖さんのことを忘れちゃいけないということですよね。
「世界を運営するという、そういう自分がいて尊敬してもらわにゃしょうがないんだな。馬鹿にされたんじゃね。現状の社会は、まだ馬鹿にしているんだな。そういう事をなくすようになくなれば本物だ。運営すりゃ神という名において文句ないんだね。神も健康でなくちゃしょうがない。神も健康であればいいというだね。健康なら何とかなる。世の中神を尊敬すれば何とかなる。神に頼ってればね。絶対勝つんだという。どんな勝負したって、そういう意味合いなんだな。だんだんわかってきているんだな。神に対抗したんじゃ勝てねーぞという」
真実がある。対抗してもだめだという事ですね
「金がかからんだろうから。そういう集会は良いんでしょう」
また、協力をお願いします。
「だんだん進歩しているだろうだからね。進歩していて、ちぃっとでも利益を見て打ち出そうということでね。世界中のものを集めてね、それで神という名においてそれを実現させる必要がある。集会で問題にしている事を権力はそうあるべきであって、裏切りがないということ。審議があるんだから冤罪の問題においても審議がある。これは責任をもたにゃいかん。国家においては責任を持ってもらわにゃやれない。国民の利益にない責任を持てばということ。利益になるということ。集会がね、責任持てば。責任を持って学んできた。金は増えてくる」
初めての集会でもっと人を大勢集めなきゃダメみたいなことを言ってましたが、覚えてますか。
「どこだったか?日弁連か?覚えちゃいんな。消されるな」
清水の時は。
「清水は、警察でやったか」。
駅の近くです。清水で集会やって浜松に帰ったんですよ。記憶ありませんか
「ないこともない。清水で集会やって、浜松へ帰った。責任持たされたということ。天皇になっていくんだな。責任を持たされた事なんだな、あれは」。
帰った時に、ここは良いと、気にいったようでしたが。
「ばれているというような状況。病院なんて状況がね。お粥なんか食ってると書かれてる。栄養がね、力つかん」。
病院は苦労しましたね
「病院の問題で、病院で立派にやっていけるかどうかという、病院生活で病人になって死んじまうのが当たり前。管理体制じゃね。こういうことは勝たなきゃいかんという」。
常に闘いですね
「闘いで病院じゃね。栄養も少ないんだでね。おかゆじゃ柔らかい。食べてたんじゃ元気が出ない」
「注射、血を取ったり、病院じゃまいっちゃうんだな。書いただけの問題でね。どう帰れるかという問題。歩くぐらいのことはやって来たんだね。だんだん健康な人間の道を歩いてきた。権力の道を歩こうとなった。それが復活したんだ。浜松でね。栄養が足りない。栄養がなくて眠れねぇ。そこが痛いだとか感じがある。眠れにゃしょうがない。栄養を探している。寝ながら。自分の栄養を溶かしていく。やはり甘いものを食べたいと思いだすと眠れるんだな。栄養なんだからね。そういうことで闘いに勝ってきた。病院生活ではええ加減にゃまいちゃう。病院でお粥じゃまいっちゃう」
病院では看護師さんや先生が優しかったですね。
「そりゃまあね。優しかなきゃしょうがない。大事にしているやはり一番は栄養ですよ。病院でも栄養十分くれるなら、それで復活できる。歩くようになろうと。お粥じゃできん。寝たきりになっちゃうんでね」
喫茶店の感想は。
「広さもこのくらいありゃいいじゃないか」
コーヒーの味は(注文は「ジェラードコンコーヒー」でした)
「良いコーヒーだ。コーヒーの好きな人は、多い方が良い。倍くらいほしい」

10.任意性、未提出証拠物(11月22日解放243日目)

「神の国」に奪われた言葉招かれた集会で、主催者が冒頭でNHKの「クローズアップ現代」を最前列の席で、巖さんは思いもかけず見ることになりました。ひで子さんと並んで、微動だにせず、表情も変えることなく画面を見ていました。何の前触れもなく、このように映像で自分が巻き込まれた事件の解説や、自分自身のことが映し出され、巖さんの胸の内はどんなものか想像が付きませんでした。
集会を終えて控室で帰りを待っている巖さんに感想を聞きました。

講演会会場で「クローズアップ現代」の映像を見て
テレビを見てどうでしたか。
「確信がないだな。未提出証拠物なんだな。冤罪であるかどうか。国家は未提出証拠物を持っているんだね。周囲の人がどういうこと言っているのか。勝負は冤罪かどうか国家が持っている未提出証拠物、これで決まるんだね。監獄内の言い分じゃないんだな。監獄内の言い分でなきゃダメなんだ」
テレビは無実をしっかり言っていましたね。
「未提出証拠物のことを言わなきゃしょうがない。決め手なんだからね」
巖さんの若いころの写真も出てました。
「てめ―の顔かっ?変わっちゃってるんだ。それが信じて闘って、そういうことなんだがね。世界を取るかとらんかの闘いになっちゃったんだから。袴田巖がそういう意義だね。糞を焼くか焼かないかということからなって来た。権力の頂点をついに取っちゃったという。問題が正しいことを認めなきゃしょうがない。世界はそれでなきゃやれねぇんだから実際。糞だらけで死んじゃしょうがない。なかったんだでね」
巖さんは事件の事を画面で初めて見ましたね。
「どういうとらえ方をするのか。何たって裁判は未提出証拠物。冤罪闘争はどうもならんですね。国家内での信ずる情報でなきゃね」
NHKの番組です。
「分かってくれたと思う。世界があるんだでね。世界の裁定があるんだでね。裁定無罪と言ってそんなことをだな、ねじ曲げることはできない。権力でもね。権力を使っても出来ないんだね」
集会でのお姉さんのお話しはわかりましたか。
「どうとらえるか。なかなかできんことだ。実りがないんでね。勝ったということはものすごい協力があったということ。歴史的な書かれた問題でね。歴史的に頂点まで勝ったという人が正しい。歴史をなにしてだね。地球を治したということ。糞だらけの闘いだった」
巖さんが頑張ったからですね。
「糞だらけでしょうがなかった時代だ。こういうことは勝たなきゃしょうがない。袴田巖が勝ったんだね。まだ困る人がいる。なかなかね。困る人間がいる。そういう面を失くしていくと思うことだ。これからの新決定。世の中を作るという、そういう問題の建設だから、必要ないな病院なんていうものは。なくなってきている。お粥くらいで栄養がなくなっちゃう。どんどん死んじゃうしかない。健康を取り戻せないんだ。病院という組織じゃね、なかなかね。栄養が問題で人間が歩いて元気になって、通院できるという保証がないとね。養老院とか年を取った人の栄養の世界だね」

11.消されてる話(12月23日解放274日目)

「神の国」に奪われた言葉3月から12月まで9カ月が経ちましたが、早かったですか。
「早いちゃ早いんだね」
あっという間でしたか。
「ふり返りゃね、ふり返えってみればね」
私が最初にお会いしたのが3月28日でした。東京の病院に入院した日です。後楽園でチャンピオンベルトを受け取った日も一緒でした。
「ああそうですか」
東京に時々見舞いに出かけました。日弁連の集会では帰りに一緒に病院まで送りました。東京から浜松に帰る時はずっと一緒でした。思い出はどこかありますか。
「ないんだな。消されてるんだね。消されちゃって、わからんようにされている。過去がね。どれかわからんようにされている。儀式の中でね」
浜松駅で歓迎された事は覚えていますか
「覚えちゃいねぇえんだな」
浜松の病院で家に帰るといった事は覚えていますか。
「覚えちゃいないんだね。消されちゃうんだね」
清水に行って自由になるプログラムがあると言って、清水に行って集会やって、その日の夕方からここに来て、お風呂に入って横になって「良い風だ」となごんでいましたが。
「ああそう」
救急車で運ばれた時の事は覚えていますか。
「消されちゃたな。どこへどう行ったかなんちゅうことはね分からせんだね」
東京と浜松で1回ずつと労災病院と3回入院したんですね。
「ああそう」
労災病院を退院してお姉さんに散髪に行きたいと言って、それからあちこち行くようになったんですね。
「わかりゃせんだ」
散髪は気持ちいいですか。
「だんだん軌道に乗って来るんだろうね」
髭は床屋さんでやってもらうんですか。
「やってもらってるんだね」
将棋は強い人が出ませんか。
「どうなんだろうね。ついてるとか、ついていないかという問題なんだね。ついてりゃ勝つんだがね」
腕前じゃないですか。
「ついてりゃ勝てるんだ。やっぱね。将棋なんてもんは」
負けたこともあるんですか。
「そりゃ負けたこともある。将棋は」。
裁判でどうしても勝ちたいと思ったのはいつですか
「そりゃ一審だろうね」
一審でしっかり弁護があって、裁判官が認めてくれれば、こんなことにならなかったということですね。
「一審が大事だね。一審がね、裁判所の問題だね」
裁判官がちゃんと見てくれなかったということですかね。
「裁判所の違いでね。どこまで任意性を認めるのか。大変難しい問題だでね」
巖さんが最高裁に上申書を書いた中で、松本という警察官が悪い奴だと言ってますが、一番悪いのはその人間ですか。
「理論の問題だでね。裁判所がどういうふうな判断をするのか。勝ち負けの問題で、生死の問題があって、それでいてなかなか殺さねえということだね」
巖さんが頑張ったですね。
「無実の証拠があったから。犯人じゃないという証拠があるということじゃ殺せない。裁判所、権力はね。どんなことをしたって」
最高裁でやり直し裁判の1回目が終わり、やり直しの2回目で再審開始決定が出て、3月27日に釈放されたんですけど、検察がまた東京高裁に即時抗告している。今そういう状況です。もうひと踏ん張りです。
「裁判所の問題で裁定まで出来たということ。いろんな形でものを言っても、任意性の問題」。
任意性?
「裁判で任意性があったのか、ねぇのか。これで決まっちゃってもしょうがないんだな。それ以上のことは言えねーんだね」
完全無罪判決まで闘わないといけないです。
「国家は証拠を持っているんだからね。こいつがやっている犯人であるかないかということをね。未提出証拠物がある事は、最初から。いつ正義に還るか。権力がね。それが冤罪闘争で冤罪闘争といわれてきたんだね。どれだけの人間の価値があるかということが試されるんだね。糞を焼く闘いで来ているんだね。袴田巖が糞を焼く闘いで出来ているんだね。これを焼くということになると負けなんだ。国家権力が負けだったね。全世界においては焼かにゃ地球もんややれねえんだな。日本だって、秋田あたりじゃやれねえんだ。臭くてね。そういう時節で、こがね味噌事件だったがね。実際、任意性はないんだね。袴田巖に直結する証拠がねぇんだね。証明されていて最初からね、無罪になるしかないんだな。どこまで検討してもね。それで釈放するになっただね」
ハメラレたという感じがするんですか。
「そういうことと歴史的問題だね。歴史で糞を焼く。袴田巖が糞を焼く闘いをやったんですからね。人糞焼却機を発明して、松菱で展示して、世界が糞を焼く時代に入ったんだね。それをやらせないというのが西郷隆盛だ。検察の大将だって。世界を焼かにゃ。今度焼いてきたから、日本も焼かにゃしょうがないとなったんだ。袴田巖が勝ったということだ」
弁護士が頑張っていますんで。
「裁判闘争なんていう問題は終わりですよ。事実はありゃせんだからね。任意性の問題で」
強引に警察でやられたんですか?
「全部嘘だからね。実際の問題じゃないんだでね」
結構悔しい思いとか、ひどいことされたように思いますが。
「未提出証拠物がちゃんとしているんでね。やりゃせんだ。いくら有罪といってもうそでね。一、二、三審なんて言っても嘘だ。わかりきっているんだね」
お姉さんから借りて手紙を読みました。5点の衣類が出てきて勝ったと思ったと書いてありましたが。
「そんなことわからん。監獄に居たんじゃね。弁護士がそういうことを言いだしたのかな。新聞出たのかな。監獄で出たんだな。おそらく知っているということは出ているということだ」
明らかにおかしいです。
「事態が全てデッチ上げられているんだ。書かれている。デッチ上げられている。任意性が有るのか無いのか。任意性があるのかないのかは第1回の問題で」
任意性ですか?
「任意性だとか、真実性だとかあるんだね。裁判所の言い分でね。証明力がね」
裁判官が証拠を見てくれれば、こんなことにならなかったですね。
「どんなことをしても有罪にしろ、有罪にしろだな。任意性を無視してね。任意性なんかないのに有罪にしたんだね石見と高井がね。熊本裁判官は無罪だね。任意性が無いんだから袴田巖が犯人だという証拠を認めないんだね」。
熊本さんは無実を分かってくれたのですか
「そういう勘だったんだな。裁判官としてこれが正しいということになったんだ。最後には国連憲章の全世界の最高裁が集まっているだからね。これが任意性が無い、無罪だと言って、これじゃしょうがない。こういう事実があるんでね。嘘じゃあ勝てねえ。嘘でいつまでも捕まえておけないということ」
熊本裁判官が信じて、今度村山裁判官が認めてくれた。やっと認めてくれた裁判官が出たということですね。
「そういう過程だろうがね。任意性の問題は。4の5の言っても一番上が認めているだからね。任意性のない袴田巖は関係ない。それで日本の下の方が、最高裁でござる、高裁でござると言ったってそんなの関係ない。そんな根拠で裁判所の経緯ってものは一番上の者がやった。最後にはね」
あの日は、嬉しかったし、巖さんも信じられなかったみたいですね。
「歴史的な問題でね。事実が分かるということだが。どんなことをしたって権力でさえ取っちゃう力があるんだでね。冤罪には権力を取っちゃう力がある」
世界中が驚きました。こんなことがあるのかと。47年と7カ月で娑婆に出てきたんですよ。
「ああそう」

ところで、以前、戻るとしたらどんな時代が良いですかと聞いた時、子どもの時代が良いと言ってましたが。もう一つ別の質問して良いですか。もう一度ボクシングの選手になりたいという気持ちはありますか
「ボクシングね、これからやったってしょうがない。全てマスターしちゃった人間だでね。ボクシングというボクシングを全て勝った。まだ強いのがいるなんていうことはもうない。みんな袴田巌にやられちゃったんだからね。悪魔の人間までもノックアウトされちゃったんだね。これからボクシングをやってどうのこうのということはない。上はないんでね」
生まれ変わったら、どうですか。
「生まれ変われば分からん。そりゃね生まれ変われば分からんということだね」
昔の良い思い出を取っておいて、本当にやりたいことが出来ると良いですね。
「世界の問題だでね。世界一強いということが大事なんだな。人間はそういう証明力なんだね。これから必要なものはない。誰がどういうふうに認めていくのか。認めさすことが出来るのか。いろんな形で高い次元、権力を持ってね、世界管理をしていくことが必要。どこまでやりとおせるのかということなんだな。自信を持っていくほかないんだね。世界平和を叫んだって、なかなかできんだでね個人でね。証明がね。そういう時節で強いことが必要だということだね」
強い人と協力してくれる人がたくさん必要ですね。
「協力体制ね。協力体制というと金銭の問題だ。日銀の全て社長になって、世界の国家権力に給料をやる、毎日ね。ここまでに.なれば、言うこと聞かないわけにゃいかない。こういう力を守っていくということで、いつまでも守っていけばそれで世界の国家権力者としてびくともしないということだね」
最高裁に上申書を書いたと思いますが、大勢の人に読んでもらいたいと思います。
「そんなものは嘘だからね。未提出証拠物があって、犯人じゃないとはっきりしてたんだからね。裁判所はそれを見ているだからね。どうのこうの言ってしょうがない。分かっていてやったことだ。高裁も無罪だということは分かってやっただけのことだね。そういう過程で莫大な金が動いている」
巖さんのことを分かっているにもかかわらず、裁判所が見ていない証拠が出ていない。
「そういうこともあるんだね。時代が変わるからだね。糞焼く時代に入るからだね」
日記続いていますか。
「やってますよ」
当時のこがね味噌の人たちに会ったら言いいたいことありますか。
「何もないんだね。嘘のことだからね。興味を持ったってもしょうがないんだよ。こがね味噌事件なんてものはね」
専務さんとは仲良かったですか
「こっちが社長だからね。味噌のね。儀式じゃね。社長の地位だから。向こうは専務だからね。社長にどげんつくをくれるなんてことはできんのだ。社長の言い分だから通してなきゃしょうがない」
専務は身体が大きかったですか。
「そういう関係なんだがね。神の国での中心になっていたんだがね。当時は。儀式の中心だったからね。そういう社長の地位がつくんだね」
柔道をやっていたんですか専務さんは。
「柔道じゃ一番強いということであったんでね。専務は。力道山に勝ったなんていうようなことを言いだしたからね。力道山が転がっちゃったなんてね。相当強い奴なんだね。柔道がね」
火事の現場に出会ったことが無いんですが。消火活動は頑張ってやったんですか。
「そういう問題はわかりゃせんのだな。書かれているがわかりゃせんのだ。内容的には実際それが嘘のことなんだね。全部嘘のことが集められていって。起訴状自体がねえんだから。嘘なんだな。嘘のことが儀式で通ってたということだね。であるから任意性が大事なんだね。袴田巖が犯人だという証拠があるのかないのかだね。袴田巌に結びつくものが有るのか無いのか。ないんだ何も。直結するものがね」
そもそも最初が間違っている。
「最初がね。清水の問題だね。次郎長一家がいて、次郎長一家が勢力持っていて嘘ぐらい何でもねえという世の中あるんだね。そういう中で事件もありゃせんのに事件があった。嘘なんだ」。
とんでもないことに巻き込まれたんですね
「そういう環境づくりということは、浜松にもあったんだがね、そういうね、儀式に入るという、入られんかもしらんということもあった。結局清水に行って、書かれたということ」
清水は住みよい街じゃないですか。
「温泉の世界だでね。下がね温泉がいっぱい通っている。水がきれいだし、温泉が通っていて暖かいだでね。清水で生活すれば暖かい。冬も暖かい」
温泉は好きですか。
「温泉はぜいたくもんとしてある。温泉入って生活するというような金がかかるんだな。金がかかるがお風呂ぐらいじゃしょうがないんだな」。
温泉でゆっくりする感じがありますが、そんなことできると良いと思いますが。
「温泉で遊ぶという、なかなかそこまでいかんのだ。忙しくてね。飛び回っているという、そういう状態で忙しいように書かれているだね。休みでも何でもね書かれちゃって。タイ釣りなんかも出来るんだ。こがね味噌は海があるからね。外海でたい釣りなんかも出来るんだ。タイ釣りをするそういう経験を持っているだがね。大きなものが釣れるんだね」
清水では釣りもしたようで。今、釣りに行こうと言ったらどうですか。
「今は行こうなんて思やせん。ここじゃね」。
飛び回って忙しくないですか。
「自分の家にドンボでもあるとかね、池があるということならね、釣りも出来るだが。よそに行って釣りをするような暇はないんだね」
落ち着いたら温泉も良いんじゃないですか。
「遊ぶということはもう考えられん状態になってきちゃっているだね。政治に打ち込む以外にね、幸せが無いとか、やるしかないとか、正当性が無いという自分の。生きていく過程でね。そういうふうになっちゃってきている。負けなし天皇なんかで鍛えられている。負けちゃいかんぞと鍛えられてきている。政治的権力を持って世界を運営するということが一番叶っている。他にやる事はねえんだな。他にやろうなんていうことはねえんだな」。
やる事はちゃんとやると。
「世界の平和のためにどうするべきかということをね」
時間が出来たら行けたら良いですね。
「時間の問題も必要だがね。金銭的な問題なんだね。沢山金を持たなければ世界平和の保障はなかなかできんということだね。世界の利益を自分はもっちゃえばね、全ての社長になってもってしまえばやれるんだが、なかなかそこまで行けない。許されねえという問題がね」
言うことを聞かない人たちがいますからね。
「反対があるということだね」

お正月の話ですがもちつきをして、おもちを食べるとかてゆっくりしたいとか、本当にそうなると良いですね。
「正月というとそんなことで暇をつぶすということが世界は普通なんだね。なかなかできんということだね。みんな協力してやらんとね。おもちついて遊ぶということができんのだね。そういう貧しい時代を通ってきているんだがね」
あんまり獄中の話をすると気分を悪くするかもしれませんが、獄中での正月はどんなふうに迎えたんですか。
「除夜の鐘ぐらい聞くんだね。ラジオで。寝るんだね。三が日というものはおもちが出ますよ。お雑煮も出るんだね。甘いもんも出るんだね」
正月の感じ?
「そりゃお正月が来たっていう感じだね。獄中でもね、やってるんだね」
お姉さんの家でやっとゆっくりお正月が出来ますね。
「実社会で生きるということだでね」

11月28日から30日まで松江に出かけました。島根県弁護士会に招かれ、ひで子さんと二人で羽田から飛行機で出かけました。巖さんは松江に行く少し前から日記を書くように進められ、書き始めていました。しかし、松江滞在中日記帳は持参したものの、付けることなく帰宅しました。
松江に出かけている間の日記中断で、日記の日付と現実がずれてしまい、正月にはひと騒動でした。元旦は日記は12月の28日なのに、初詣は行く、周りではおめでとうと言い、メディアは正月の感想を聞いいてくるということで、巖さんは怒ってしまいました。自分の日記が正しいのに周りが違うことを言って、馬鹿にしている、というような事ではないかと思いますが、怒り爆発でした。それまで将棋を指していましたが
「将棋はやらん」。
飾ってあった後楽園ホールでのリング上でのファイティングポーズの写真は片付けてしまうというありさまでした。
この怒りは時間経過で納まり、数日後にはテレビを見たり、来客者との話をしたりという以前の様子に戻りました。また、大好きな将棋は、巖さんが風邪をひいて治りかかりの頃、「将棋やりましょうか」と声をかけたところ、すんなり再開出来ました。

12.ジョーク・連想(2月8日解放321日目)

2月8日のひで子さんの誕生日に、お祝いのケーキを食べました。ケーキを食べた後巖さんに「ケーキ美味しかったですか」と尋ねたところ、「景気が良くなるな」と言われ、「あれ、ダジャレ?」と喜んでしまいました。さらに、巖さんの誕生日をお祝いする集会の後、身内でのお祝いの会を開きました。ケーキのろうそくの火を吹き消して、バースディケーキを食べたり食事をした後、みんなで「なだそうそう」や「故郷」を歌いました。
その後、ギターで巖さんの激励の意味を込めた歌が唄われ、「では、『ハレルヤ巖』という歌を唄います」と言った直後、「晴れてないよ」と、巖さん。
その場のみんなの笑顔がはちきれました。巖さんから聞いた3度目のダジャレでした。
みんなと一緒に笑いながら、ジョークであってほしいと思った出来事でした。

13.さあ、今から(3月1日解放342日目)

「神の国」に奪われた言葉は人間の力で、仲間の力で、よみがえるんだ
「神の国」に奪われた言葉その晩巖さんは自分の誕生日のお祝いであることをどれほど自覚していたのでしょうか。この日の午後巖さんのお祝いをこれまで支援してきた皆さんと一緒に、解放後初めての誕生祝いをしようと計画し、甘い物が好きな巖さんは必ずケーキを食べに来てくれると思っていました。会場に来たら、花束やボクシングのチャンピオンのサイン入りのTシャツや、財布をプレゼントしようと、みんなで期待していました。
ところが巖さん。「ノーベル文学賞がくるから待ってなきゃいかん」、とか「電波を受け取らなきゃいかんので出られん」と、見事な空振りに終わりました。その後ひで子さんの家にお邪魔して、集会で寄せられた誕生祝いを巖さんにプレゼントし、お寿司を食べ、バースディケーキをみんなでいただきました。

巖さんはこれまで、食べる物を食べるとみんなのいる場から離れ、自分のペースでの過ごし方でした。ところが最近では、ひで子さんの誕生祝いの日もそうでしたが、自分の席を立つことなく、みんなと一緒に時間を過ごすことが出来るようになってきました。
この日のビックリは、前述の「晴れてないよ」以外に二つありました。「ハレルヤ巖」は巖さんの応援歌的な歌でした。みんなの手拍子が始まると、何と巖さんの手が小さく、小さくですが、確かに手拍子が始まりました。
そして、会がお開きになり三々五々帰り支度を始めたところ、
「誰か将棋をやる?」
まさかの巖さんの呼びかけ。参加者と一緒に時間が過ごせ、手拍子が出て、自分から将棋の相手を求めるという、巖さんが仲間の中で確実に蘇ってきていることが、とても嬉しくなりました。と、同時にいつも思うことですが、何故、巖さんのこうした何事もない些細なことで嬉しくならなければならないのかと憤りが収まりません。

冤罪は、人生を奪い、心を奪い、仲間と生きるための「言葉」を奪います。
いま、巖さんは重く抑えつけているどす黒い塊を、闘う力と強い信念で少しずつ溶かし始め、信頼できる人と居場所を得て、さらなる闘いの場へ向かおうとしています。
さあ、今から

14.79歳の誕生日に(3月10日解放351日目)

誕生日の感想を聞かせてください。
「神の国」に奪われた言葉「どんどんありがたい日になっている。それで幸せな道がみんな開かれりゃいい」
「袴田巖と3月10日となると誕生日ということだな。これは神の申し子としての袴田巖がばい菌をみなやっつけた。袴田巖がばい菌を一掃したというそういうお祝いの日」「神の国の儀式が与えられそれなりの日。ばい菌がみんな死んじゃうというゲンのある日。袴田巖が強い日なんだ」
獄中の誕生日と今日は違いますか。
「どうだったかな。忘れちゃったな。分かりゃせんな。あったのかという覚えがない。獄中誕生日でお祝いがあったか覚えてない」
獄中から娑婆に出て随分時間が経たったように思います。
「忘れちゃってるね。消されてるというとそれまでだが、どういういきさつでどうなって来たか、忘れちゃってるよ。ファイルが消されている。どんどん忘れてっちゃう。因果関係がわかりゃせん」
浜松に戻って随分気持ち落ち着きましたか。
「どういうことなのかな。環境が違うんだ。てめえが知っている浜松とは。昔と違うんだ。そういう生活の中でだんだん慣れて来たということだ」。
浜松のどんなこと覚えていますか。
「ボクシングをやれて、試合が毎月あったということ。そんなことで期待されていたということ」
「少年時代、青年時代に期待されて。将来世界チャンピオンになって袴田巖をみんなで応援したという」
国体も頑張ったんですね。国体の仲間の人たちの名前を覚えていますか。
「覚えてない。消されてる。静岡県の代表、日本の代表になってた。それだけ強いものになったという。階級的に偉くなっていった。自信を持っていったということ」
みんなでお祝いされて、お祝いの感想を聞かせてください。
「責任をもたにゃしょうがない期待している者に対して、期待されている者に」
一緒に歌を唄って手拍子を打ってましたね。楽しかったですか。
「将来いろいろ期待していることだからね。どこまでできるのか、それで偉いと言われてる。自分の行く道が与えられている。偉くなるために正しい道で行けと」
巖さんも、支援者も、お姉さんも頑張って、一日も早く無罪を取りたいですね。
「困らない。何も問題ない。そういうもんだ」
いまはここでゆっくり生活出来ていますか。
「無罪という世界にない国家がそれだけしっかりしているんだ。無実のものは世界中にいないんだから。それだけどうしようもないうそ。嘘を言わせないという、国家の言うことを聞かせる、それが良いか悪いかという問題が出てくる」
「国家権力が容認して新しい時代。人権を確立していくかという、そういう日になってきている」


おわりに

「神の国」に奪われた言葉無実の死刑囚、元プロボクサー袴田巖さんのことを知ったのは、日本で4人目の再審死刑囚であった、島田事件の赤堀政夫さんの救援運動に関わっていた最中でした。静岡県は冤罪のデパート言われ、戦後、二俣事件、幸浦事件、小島事件と警察のデッチ上げによることが裁判で認められ、無罪判決が勝ち取られていました。

袴田巖さんへの支援は、東京での「民権人権確立委員会」(通称ラジコン)のメンバーが袴田巖さんとの面会活動を通じ、支援が始まっていました。このラジコンのビラを見て、静岡で袴田巖さんの支援活動が始まりました。

島田事件の赤堀さんは、年に無罪判決が勝ち取られ、袴田巖さんは島田の後は自分の番だと裁判の行方を期待していました。しかし、4人の再審無罪判決が続いたことで、ただでさえ狭き門とされていた再審の門を、司法は更に狭め袴田巖さんは1980年12月最高裁が上告棄却したことで、確定死刑囚にさせられてしまいました。

「神の国」に奪われた言葉赤堀政夫さん解放の後は、袴田巖さんのお姉さんとの交流は続き、袴田さんの支援集会に参加するくらいでした。ところが、ある時清水の支援団体の発行する機関紙に、巖さんの面会時のスケッチが掲載されました。30歳で逮捕された巖さんの姿は、いつもボクシングのファイティングポーズでした。その機関誌には禿げあがった頭の巖さんの顔でした。これを見て、何後かしなければと当時再開し始めた浜松の支援活動に参加するようになり、2014年3月27日のあの歴史的、画期的な再審開始決定の日に静岡地裁前で喜びの歓声をあげることが出来ました。
袴田巖さんとは、獄中での面会は拘置所の厚い壁に阻まれ面会はできませんでしたので、解放の翌日の入院予定の病院が巖さんとの初対面でした。巖さんは東京で2カ月、浜松で33日間の入院の後、お姉さんの家に落ち着くことになりました。巖さんは1年が経過しましたが、極度の拘禁反応による妄想性の障害は根強く残っています。

私は、当初巖さんには再審法廷で、検察や裁判官に向き合って完全なる無罪判決を手にしてほしいと考えていました。今1年が経ち、巖さんの様子を近くで見聞きしてきた現在は、無理に裁判に向き合い、法廷に立たなくても、好きな将棋を指して、気ままに暮らす生活がよほど大事かと考え始めています。

しかし、巖さんはずっと闘い続け、解放された後もなお死刑の恐怖との闘いを挑んでいると思います。こうした巖さんが、自らの冤罪を晴らし、無罪判決を勝ち取るため闘ってきた軌跡を改めて紹介したいと考えた次第です。

冤罪を晴らす当事者は巖さんであり、ひで子さんですが、闘い、頑張るのは弁護士をはじめ、支援者であり、市民一人ひとりであると考えます。
2015.4