被告人 袴田巌に対する住居侵入・強盗殺人・放火事件判決

静岡地方裁判所
(昭和四三年九月一一日言渡)

目次

(主文)…………………………………………………………………………………… 1
(罪となるべき事実)…………………………………………………………………… 2
(自白調書の排除)……………………………………………………………………… 3
(有罪の理由)……………………………………………………………………………11
第一 自白調書以外の証拠から認定される事実………………………………………11
一 犯罪事実………………………………………………………………………………12
(一)火災とその結果……………………………………………………………………12
(二)放火の事実…………………………………………………………………………13
・焼死体と衣類………………………………………………………………………13
・衣類付着の油………………………………………………………………………13
・石油缶の混合油……………………………………………………………………14
・石油缶付着の人血…………………………………………………………………15
(三)殺害の事実…………………………………………………………………………15
・焼死体の傷…………………………………………………………………………15
・くり小刀(刃体と鞘)雨合羽……………………………………………………16
・工場内の人血………………………………………………………………………18
・一号タンクにあった着衣類………………………………………………………18
・着衣類の付着物と損傷………………………………………………………19
・着衣類に付着した人血………………………………………………………28
・着衣類に付着した油…………………………………………………………35
・手拭(油と血液)…………………………………………………………………36
・パジャマ(油と血液)……………………………………………………………36
(四)金員奪取の事実……………………………………………………………………39
・じんきち袋…………………………………………………………………………39
・紛失した現金等……………………………………………………………………39
・焼けた札等同封の封筒……………………………………………………………40
二 被告人と犯罪事実との結びつき……………………………………………………41
(一)一号タンクにあった着衣類………………………………………………………41
・ズボン………………………………………………………………………………41
・ブリーフ……………………………………………………………………………43
・その他………………………………………………………………………………44
(二)焼けた札等同封の封筒……………………………………………………………45
・筆跡鑑定……………………………………………………………………………45
・紙質鑑定……………………………………………………………………………47
・松下文子と被告人の関係…………………………………………………………47
(三)パジャマ……………………………………………………………………………49
(四)くり小刀……………………………………………………………………………49
(五)被告人の右肩の傷…………………………………………………………………49
(六)被告人の左手中指の傷……………………………………………………………50
(七)被告人のアリバイ…………………………………………………………………51
第二 自白調書の信用性…………………………………………………………………52
(一)パジャマ……………………………………………………………………………52
(二)動機…………………………………………………………………………………52
(三)凶器…………………………………………………………………………………53
(四)左手中指の傷………………………………………………………………………53
(五)現金約五万円の行方………………………………………………………………53
(六)風呂場の血液………………………………………………………………………54
(七)手拭…………………………………………………………………………………54
(八)金袋…………………………………………………………………………………54
(九)侵入場所……………………………………………………………………………55
(一〇)脱出場所…………………………………………………………………………55
(一一)現金の隠し場所…………………………………………………………………57
(一二)ポリ樽……………………………………………………………………………58
(一三)マッチ……………………………………………………………………………59
(事実認定の結論)………………………………………………………………………59
(法令の適用・量刑の理由)……………………………………………………………61
(証拠標目)………………………………………………………………………………67

昭和四一年(わ)第三二九号
判     決
本籍 清水市仲町四二番地
住居 同市横砂六五一番地の一
王こがね味噌工場寮内
味噌製造工員
袴  田     巌
昭和一一年三月一〇日生
右の者に対する住居侵入・強盗殺人・放火被告事件について、当裁判所は、検察官岩成重義出席のうえ審理をして、次のとおり判決する。
主     文
1.被告人を死刑に処する。
2.押収してあるくり小刀一丁(昭和四一年押第一五五号の四)は没収する。
3.押収してある現金六万円(昭和四一年押第一五五号の九)、同一万五千円(同押号の一〇)、同八千円(同一一)、同千五百円(同一二)、同百円(同一三)、同二百円(同一四)、同三拾円(同一五)、領収証一枚(同一六)、小切手三枚(同一七ないし一九)、現金一万円(同二一)、同一万円(同二二)、同一万六千円(同二三)、同五百円(同二四)、同四百円(同二五)、同四拾円(同二六)、領収証一枚(同二七)、小切手一枚(同二八)、一万円紙幣三枚(同四九)、五千円紙幣二枚(同五〇)、千円紙幣一〇枚(同五一)、五百円紙幣一枚(同五二)、百円紙幣二枚(同五三)は被害者に還付する。
4.訴訟費用は全部被告人の負担とする。
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理     由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和四〇年一月頃から清水市横砂六五一番地の一有限会社王こがね味噌橋本藤作商店(現在は「株式会社王こがね味噌」に改組されている)に味噌製造工員として勤務し、同年四月頃から、同商店第一工場二階の従業員寮一〇畳の間に他一人の従業員と共に住込んでいた者であるが、昭和四一年六月三〇日午前一時すぎ頃、同店の売上金を、若し家人に発見されたときは脅迫してでも奪おうと考えて、くり小刀を携え右商店の専務取締役橋本藤雄方(清水市横砂六五一番地の一)住居に侵入して金員を物色中、右橋本藤雄(当時四二年)に発見されるや、金員強取の決意を固め、右藤雄方の裏口附近の土間において、所有のくり小刀(刀渡約一二センチメートル・昭和四一年押第一五五号の四)で、殺意もって同人の胸部等を数回突刺し、さらに、物音に気付いて起きてきた家人に対しても殺意をもって、同家奥八畳間で、藤雄の妻ちえ子(当時三九年)の肩、顎部等を数回、藤雄の長男雅一郎(当時一四年)の胸部、頸部等を数回、同家ピアノの間で、藤雄の次女扶示子(当時一七年)の胸部、頸部等を数回、それぞれ前記くり小刀で突刺し、次いで、右藤雄が保管していた有限会社こがね味噌橋本藤作商店の売上現金二〇四、九一五円、小切手五枚(額面合計六三、九七〇円)、領収証三枚を強取し、さらに右藤雄ら四名を、右住居もろとも焼毀してしまおうと考え、同商店第一工場内の三角部屋附近に置いてあった石油缶(昭和四一年押第一五五号の七)在中の混合油を持ちだして、これを、前記藤雄、ちえ子、雅一郎、扶示子の各被傷体にふりかけ、マッチでこれに点火して放火し、よって、
(一) 右藤雄らが現に住居に使用しかつ現在する木造平家建住宅一棟(
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約三三二・七八平方メートル)を焼毀し,
(二) 右藤雄を、右肺刺創等による失血のため死亡せしめて殺害し、
(三) 右ちえ子を胸部刺創等による失血と全身火傷のため死亡せしめて殺害し、
(四) 右雅一郎を胸部刺創等による失血と全身火傷のため死亡せしめて殺害し、
(五) 右扶示子を、心臓刺創等による失血と一酸化炭素急性中毒のため死亡せしめて殺害し、
たものである。
(証拠の標目)
別紙「証拠の標目一覧表」記載のとおり
(被告人の自白調書の一部排除について)
検察官は、第二一回公判において、被告人の司法警察員に対する供述調書二八通及び検察官に対する供述調書一七通の取調を請求し、当裁判所は、第二八回公判において、右供述調書四五通を全て証拠として採用して証拠調を行なった.しかしながら、当裁判所は、再度検酎した結果、右四五通の供述調書のうち、被告人の検察官に対する昭和四一年九月九日付供述調書-通を除く、四四通の供述調書は、被告人弁護人が公判廷で主張したのとは別の理由によって証拠能力がない、との結論に達したので、刑事訴訟規則二〇七条によって、職権でこれを排除する。

(一) 被告人の司法警察員に対する供述調書二八通の証拠能力について
証人、松本久次郎、同松本義男、同岩本広夫、同住吉親、同森田
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政司の当公判廷での供述を総合すると、
1. 被告人は、昭和四一年八月一八日、午前六時四〇分頃、清水警察署に任意出頭の求めに応じて出頭して、同署で直ちに取調を受け、午後〇時から午後一時まで休んだのち、再び取調を受け、午後七時三二分に逮捕状を執行され、同署に留置され、再び午後八時三〇分頃から午後一〇時〇五分頃まで取調を受けたのであるが、この日の取調は、(イ)パジャマの血、(ロ)アリバイ、(ハ)左手中指の傷の三点を中心に行われたが、被告人は、(イ)については、血の付着を否定し、(ロ)については、寮の部屋で寝ていたとのべ、(ハ)については消火活働の際トタンで切ったとのべ、誌局自分は本件の犯人ではない旨主張していたこと、
2. 被告人は、同月二一日に清水警察署に勾留されたため、同日から一〇月七日までの被告人に対する取調は、全て清水警察署で行われたこと、
3. 逮捕の翌日である八月一九日から、九月五日までの、被告人に対する司法警察員の取調の日と取調時間を、
被告人が逮捕された八月一八日の翌日である八月一九日から、九月六日までの間についてみると、八月一九日・三回で合計一〇時間三〇分の取調、同月二〇日・三回で合計七時間二三分の取調、同月二一日・二回で計六時間〇五分の取調、同月二二日・六回で合計一二時間一一分の取調、同月二三日・三回で合計一二時間五〇分の取調、同月二四日・三回で合計一二時間〇七分の取調、同月二五日・四回で合計一二時間二五分の取調、同月二六日・三回で一二時間二六分の取調、同月二七日・三回で合計一三時間一七分の取調、同月二八日三回で合計一二時間三二分の取調、同月二九日・五回で合計七時間一九分の取調、同月三〇日・四回で合計
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一二時間四七分の取調、同月三一日・三回で九時間三二分の取調、九月一日・三回で合計一三時間一八分の取調、同月二日・四回で合計九時問一五分の取調、同月三日・二回で合計九時間五〇分の取調、同月四日・三回で合計一六時間二〇分の取調、同月五日・三回で合計一二時間五〇分の取調、同月六日・三回で合計一四時間四〇分の取調、というように、連日、一日平均一二時間の取調べであったこと、
4. 右の期問中の取調の形式をみると、司法警察員松本久次郎、同松本義男、同岩本広夫、同森田政司、同住吉親らが、取調べに関与し、そのうち一名が取調べに当って他のうち一名が立会うという形式で取調べがなされたこと、およびそのうち、最も多く取調に当ったのは、松本久次郎で、次ぎが松本義男であったこと、
5. また、右の取調の内容をみると、とくに八月二〇日頃からは、司法警察員は、主として(イ)被告人のパジャマの血、(ロ)アリバイ、(ハ)被告人の左手中指の傷、(ニ)工場の溝から発見された手拭の血、(ホ)兇器の五点について、被告人に供述を求めたのであるが被告人は、これに対して殆ど答えようとしなかったため、司法警察員は九月五日までは、右3記載のような時間に、連日執ように右五点の追求に終始したこと、
6. 右のように、被告人は、逮捕以来犯行を否認しつづけていたが九月六日午前一〇時頃、司法警察員松本義男の取調に対して、はじめて本件犯行を自白したため、松本義男自らは立会人になり、松本久次郎と取調を交代して、松本久次郎が、同日付の供述調書二通を作成し、同日午後からは岩本広夫が同日付三通、住吉親が同日付一通の各供述調書を作成したこと、
九月七日付以降の供述調書は全て岩本広夫が、松本義男、住吉親、
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森田政司のうち一名を立会人として取鯛べて作成したものであること、
7. とくに、被告人がはじめて本件犯行を自白した九月六日の司法警察員松本義男の取調の状況についてみると、同日は、まず松本義男が午前八時四〇分頃から、被告人を取調べたが、松本義男は、終始黙否している被告人に対して、「バジャマの血が付着した原因および場所」と「アリバイ」に関して、供述を求め、約一時間にわたって、「ちゃんとはっきりすべきではないか」、「はっきりするのが人の道ではないか」と諭したり「はっきりした態度で、本当の気持で話をしなければならない」等と繰り返し説得したこと、および右のような取調をするに当って、当時松本義男は被疑者がはっきりしたくないと言っている時でも人としてはっきりするのか当然だと思っていたこと、被告人は右のような取調の結果午前一〇時頃になって初めて本件犯行を自白するに至ったこと、
8. 被告人が逮捕されてから九月六日に自白するまでの間に、弁護人が被告人と接見したのは、(イ)、八月二二日に七分間、(ロ)、八月二八日に一五分間、(ハ)、九月三日に一五分間であったこと、
等の事実が認められる。
このような実態をもつ本件司法警察員の被告人に対する九月六日、被告人が自白をするまでの取調は、――外部と遮断された密室での取調自体のもつ雰囲気の特殊性をもあわせて考慮すると――被告人の自由な意思決定に対して強制的・威圧的な影響を与える性質のものであるといわざるをえない.
したがって、このよう取調の結果なされた自白およびこのような取調の影響の下になされた自白は、何れも「自由で合理的な選択」
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にもとずく自白と認めるのは困難といわざるをえず、従って、刑事訴訟法第三一九条第一項の「任意にされたものでない疑いのある自白」に該当し、証拠とすることができないものと認める。
よって、前記のごとき司法警察員の取調の結果ないし取調の影響のもとでなされたことが明らかな自白を録取した供述調書二八通は、刑事訴松法第三一九条第一項によって証拠とすることができないので、職権でこれを排除する。

(二) 被告人の検察官に対する供述調書のうち、昭和四一年九月一〇日付以後のもの一六通の証拠能力について、
右一六通の供述調書は、何れも、被告人が、本件訴因について起訴された昭和四一年九月九日以後に、検察官が被告人を取調べて作成したものであることは、当裁判所に顕著な事実である.
そこで、起訴後に検察官が起訴に係る訴因について被告人を取調べることが許されるか否かについて検討する。
弁護人は、この点に関しては別段何も主張していない。しかし、当裁判所は、当事者主義訴訟構造のもとにおける被告人の地位および刑事訴訟法第一九七条第一項、第一九八条第一項に鑑みると、「任意捜査としての被告人の取調」は赦されるが「強制捜査としての被告人の取調」は、許されないものと解する。
而して、ここに「任意捜査としての被告人の取調」とは、一般的には、

(1) 被告人が自らすすんで供述することを申出たため、これに応じて、捜査官が取調べる場合、
(2) 被告人が、捜査官の取調べのための出頭要求に対して、取調べのための出頭要求に応ずる義務がないことおよび一たん出頭要求に応じて取調に応じても、何時でも取調を拒んで退去することが
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できること、を知りながら、出頭して取調に応ずる場合、をいうものと解する。
特に、刑事訴訟法第一九八条第一項但書に照らすと、「勾留中の被告人」に対して、捜査官の方から、取調べのための出頭を求める場合には、その取調に終始弁護人を立会せない限りは、捜査官において、取調べのための出頭を求める際に、被告人の場合は被疑者の場合とちがって、(イ)、取調べのための出頭要求に応ずる義務のないこと、(ロ)、一たん出頭要求に応じて出頭して取調に応じても、何時でも取調を拒んで退去することができること、を、明示することが「任意捜査としての被告人の取調」であるための不可欠の要件(明らかに、右のことを熟知していると認められる被告人の場合を除いて)であるといわざるをえない。
しかるに、証人吉村英三の当公判廷での供述によると、本件の「勾留中の被告人」に対する検察官吉村英三の昭和四一年九月一〇日以後の取調に関して、同人は「起訴前の取調方法と起訴後の取調方法はちがっていない」「留置場から調室に呼ぶ方法も、起訴前と起訴後とでちがいはなかった」と述べており、また右の取調に終始弁護人を立会せたことも認められず、さらに、本件被告人が、とくに、前述のような被疑者の場合と被告人の場合とのちがいを、明らかに知っていたという証拠もない。したがって、前に述べた「勾留中の被告人の取調」が任意捜査であるための何れの要件も充たしていない。
従って、本件検察官が起訴後に行なった被告人に対する取調は、すべて、「任意捜査としての被告人の取調」ということはできず、刑事訴訟法第一九七条第一項但書に違反する取調べであると同時に、右条項は刑事訴訟の基本的構造に係わる重要な規定であるから、適正手続の保障をを定めた憲法第三一条にも違反する取調である、といわなけれ
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ばならない.
よって、このような取調によって作成された被告人の検察官に対する供述調書一六通は、証拠とすることができないものとして、職権で排除する。
なお、この点に関して、「捜査官が当該公訴事実について被告人を取調べることはなるべく避けなければならないところであるが、これによって直ちにその取調を違法とし、その取調の上作成された供述調書の証拠能力を否定すべきいわれはない」旨判示した昭和三六年一一月二一日の最高裁第三小法廷の判決(刑集第一五巻第一〇号一七六四頁)があるが、この事案は、右の控訴審判決の認定によると(前掲同号一七七二頁)、被告人か検察官宛の召喚願を提出して、供述したい旨の申出をなしたのに応じて検察官が取調をなしたというものであるから、前掲の要件の(1)の場合にあたり、「任意捜査としての被告人の取調」に属することが明らかである(さらに、右最高裁判決も指摘しているように、右事件では、第一審において、被告人および弁護人か証拠とすることに同意した事葵も認められる)。
してみると、本件の被告人に対する取調は、重要な点で違いがあるから、本件は、右最高裁判決の適用範囲外にあるといわねばならず、従って、本件に対する当裁判所の結論と、右最高裁判所判決とは矛盾しない。
(被告人の検察官に対する昭和四一年九月九日付供述調書の任意性について)
右(被告人の自供調書の一部排除について)の(一)で述べたように、被告人の司法警察員に対する供述調書の任意性に疑いがあるとすれば右供述調書の任意性にも疑いがあるのではないか、との疑問が生まれるので、この点について検討すると、証人吉村英三の当公判廷での供
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述によると、検察官吉村英三は、昭和四一年八月二〇日午後七時頃から二時間、同月二一日午後二時頃から一時間、同月三一日午後七時頃から二時間、同年九月二日午後七時頃から二時間、同月三日午後七時頃から二時間、同月八日午後六時頃から三時間、同月九日午後二時から五時間、午後七時三〇分から二時間、何れも清水警察署において被告人を取調べたこと、右取調に際しては検察事務官を立会せただけで司法警察員を立会せたことはないこと、とくに九月八日の取調の際には、すでに被告人は司法警察員に対して自白していたので、「警察と検察庁はちがうのだから警察の調べに対して述べたことにはこだわらなくていい」旨注意して取調を行なったが、これに対して被告人は「私がやりました」と述べたこと、九月八日及び九月九日の取調に際して、司法警察員作成の自白調書を参考にして取調べたのではなく、またこれを取調の際机の上に置いていたのでもないこと等の事実が認められる。
これらの事実に照らすと、検察官吉村英三の被告人に対する九月九日の取調に対して、前記司法警察員の被告人に対する取調が強い影響を及ぼしたものとは認められない。従って、この点から、右供述調書の任意性に疑いあり、ということはできない。
また、証人吉村英三の当公判廷の供述によっても、被告人のいうごとく同人が被告人を取調べる際大声でどなったり、机の上を叩きつけたり等したり、また、「自供しない限り二年でも三年でも勾留するぞ」とか、「警察で認めたのに、なぜ検事に対して認めないのか」等と言った事実も認められない。
その他に、右供述調書の任意性を疑わしめるような事実も認められない。
よって、被告人の検察官に対する昭和四一年九月九日付供述調書は、
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任意性が認められるので、証拠として採用する。

(付 言)
すでに述べたように、本件の捜査に当って、捜査官は、被告人を逮捕して以来、専ら被告人から自白を得ようと、極めて長時間に亘り被告に人を取調べ、自白の獲得に汲々として、物的証拠に関する捜査を怠ったため、結局は、「犯行時着用していた衣類」という犯罪に関する重要な部分について、被告人から虚偽の自白を得、これを基にした公訴の提起がなされ、その後、公判の途中、犯罪後一年余も経て、「犯行時着用していた衣類」が、捜査当時発布されていた捜索令状に記載されていた「捜索場所」から、しかも、捜査官の捜査活動とは全く無関係に発見されるという事態を招来したのであった。
このような本件捜査のあり方は、「実体真実の発見」という見地からはむろん、「適正手続の保障」という見地からも、厳しく批判され、反省されなければならない。本件のごとき事態が二度とくり返されないことを希念する余り敢えてここに付言する。

(有罪の理由)
当裁判所は、右(証拠の標目)掲記の証拠を総合して、判示のごとく(罪となるべき事実)を認定したのであるが、被告人及び弁護人は、本件犯行は被告人とは無関係であって、全くの冤罪であるから、被告人は無罪である旨主張している。そこで、当裁判所が判示のごとく(罪となるべき事実)を認定した理由の要点を以下説明する。
まず、被告人の検察官に対する昭和四一年九月九日付供述調書を除いた証拠によって認められる事実および右事実より推認される事実を明らかにし、次いで、右被告人の検察官に対する供述調書の信用性を検討する。(以下の〈数字〉は証拠の標目の証拠番号を示す)
第一、自白調書以外の証拠によって認定される事実
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一、 犯罪事実の存在について

(一) 火災の発生とその結果について、

1. 火災の発生
〈99〉〈100〉〈101〉〈102〉〈103〉〈104〉〈105〉〈106〉〈301〉〈302〉〈303〉〈304〉〈305〉〈306〉〈307〉〈308〉〈309〉〈310〉〈311〉〈312〉〈313〉〈314〉〈315〉〈316〉〈317〉〈318〉を総合すると、昭和四一年六月三〇日(以下月・日だけのときは昭和四一年を示す)午前一時五〇分頃、清水市横砂六五一番地の一有限会社こがね味噌橋本藤作商店(現在では株式会社「王こがね味噌」と組織変更されている。以下、「こがね味噌」と略称)の専務取締役橋本藤雄(以下「藤雄」と略称)方(以下「藤雄方」と略称)から火災が発生し、同日午前二時三二分頃鎮火したことが認められる。

(二) 火災は何人かの放火によるものであるという事実。

1. 各焼死体の附近には各人が着用していたと認められる衣類等が存在していた。
即ち、〈329〉〈330〉〈331〉によると、次表記載のような物が各人の焼死体の附近に存在していた事実が認められる。
焼死体名 存在していた物の番号
ちえ子 〈74〉〈75〉〈76〉〈78〉〈79〉〈80〉
雅一郎 〈77〉〈81〉〈82〉〈83〉〈84〉
扶示子 〈87〉〈88〉
藤雄 〈85〉〈86〉
2 右の衣類等には何れも油が付着していた。
(1) 〈446〉〈447〉によると、〈74〉〈75〉〈76〉〈78〉〈79〉〈80〉〈81〉〈82〉〈83〉〈84〉〈85〉〈87〉には、潤滑油様の炭化水素を主成分とする油が付着していること、および、右〈74〉〈75〉〈76〉〈78〉〈79〉〈81〉〈82〉〈83〉〈84〉〈87〉の潤滑油は、後にのべる〈7〉に入っていた混合油に含まれている潤滑油分と類似していることが認められる。
(2) 〈427〉によると、同 面の別紙鑑定対象資料(ガソリン)収集先品名等一覧表記載のとおり、また〈459〉によると、同書の別紙、静岡県石油商業組合清水庵原支部一覧表記載のとおり、清水市内およびその近郊の石油を販売している店から、ガソリン、混合油が蒐集されたことが認められ、〈359〉〈154〉によると、右のガソリン及び混合油が〈359〉の鑑
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定資料(20)、(21)として、用いられたことが認められる。
(3) 〈359〉によると、(イ)〈74〉〈75〉〈76〉〈77〉に付着しているのは、出光石油系赤アポロガソリンと同系アポロバイクルプ潤滑油との混合油であること、(ロ)〈77〉〈78〉〈79〉〈80〉〈81〉〈82〉〈83〉〈84〉〈85〉〈86〉〈87〉〈88〉にも、右混合油の付着が推定されること、(ハ)〈74〉〈75〉〈76〉〈77〉に付着している油は、〈78〉〈79〉〈80〉〈81〉〈82〉〈83〉〈84〉〈85〉〈86〉〈87〉〈88〉と同種の混合油と推定されること、(ニ)〈74〉〈75〉〈76〉〈77〉に付着している油は、同鑑定書中の資料の油(20)、(21)すなわち、右(2)掲記のガソリン及び混合油のうち、清水市興津本町田村石油、同市小河内小沼石油、同市入江浜田遠藤石油で販売している混合油および工場倉庫内の混合油と同種と認めるのが妥当とされていること、(ホ)その結果〈74〉〈75〉〈77〉〈78〉〈79〉〈80〉〈81〉〈82〉〈83〉〈84〉〈85〉〈86〉〈87〉〈88〉に付着している油は、右(ニ)の出光石油系の混合油および工場倉庫内の混合油と同種のものと推定されていること等が認められる。
3. 〈7〉〈414〉〈415〉〈416〉を総合すると、七月三日にこがね味噌第一工場(以下「工場」と略称)の通称三角部屋(以下「三角部屋」と略称)南側倉庫に石油缶一個〈7〉が存在しており、同日これを領置したこと、右石油缶は一八リットル入りであるが、領置した時には一二・三五リットルの混合油が入っていたことが認められる。
4. 右の石油缶〈7〉には一八リットルの混合油が入っていたのであるが、六月二七日から六月三〇日午前中までの間に一二・三五
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リットルに減少したと認められる。即ち〈131〉〈353〉〈354〉〈355〉を総合すると、六月二三日、清水市興津本町の田村石油から混合油一八リットル入の石油缶二個が配達され、そのうちの一個は六月二六日に従業員佐藤健吾らが釣船に積んで使用し、残りの一個は開けないまま三角部屋の前に置いていたこと、こがね味噌工場では混合油は釣船用にだけしか使用していなかったこと、佐藤健吾が右未使用の筈の缶の中の混合油を使用した従業員の存否を調べたところ、同工場の従業員の中には誰も居なかったこと、杉山雅信が六月三〇日午後に石油缶〈7〉を見たときは一二リットル位しか混合油が残っていなかった、等の諸事実が認められるからである。
5. 右石油缶〈7〉には人血が付着していた。
〈361〉〈362〉〈363〉〈364〉によると、右石油缶〈7〉の側面二ヶ所に人血の付着が確認された(但し、血液の量が微量のため血液型は判定不可)ことが認められる。
以上の1ないし5の事実及び以下の(三)-(1)に掲げる死体の状況を総合すると、こがね味噌第一工場三角部屋附近においてあった石油缶〈7〉の中から、約五・五リットル位の混合油が持ち出され、前記(一)2(2)の各死体(但し藤雄を除く三名は存命中であったことは次の(三)-(1)で明らか)にかけられ、そしてこれに火が放たれたものであることが認められる。
(三) 殺害及び金員奪取行為の存在
1. 殺害行為の存在
(1) 前記四個の焼死体の何れにも、存命中に受けたと認められる数多くの切創等が存在する。
即ち、〈329〉〈330〉〈331〉〈332〉〈333〉〈334〉
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〈335〉〈336〉〈337〉によると、次の事実が認められる。

藤雄 ちえ子 雅一郎 扶示子
1.傷の部位と種類 右前胸部、右側胸部に一一、右肩胛骨附近に四、の刺切創顎に一、左肩胛骨背部に五、の刺傷 前頚部に一、右前胸部に一、背部に四、の刺創 左手首手背に三、の刺創あり 二は貫通前頚部胸部に九、の刺創
2.生活反応 なし あり あり あり
3.血液型 A B AB O
4.火傷の程度 炭化 右半身二度位左半身三ないし四度位右半身三ないし四度位左半身二度位 胸腹部二度位 他は炭化
5.死因 右胸部刺切創、右肺刺切創による失血左胸壁貫通の刺創による出血並びに全身火傷右肺、肝臓の各刺創及び左胸壁内に達する刺創による出血並びに全身火傷前胸部、心臓肝臓の各刺切創による失血及び火傷

尚、右各死体の各刺切創の成傷器は「鋭利な刃物」であることも認められる。
(2) くり小刀(柄・鞘なし)一本〈4〉および、くり小刀の鞘〈6〉の入った雨合羽〈5〉の存在
イ、 〈324〉によると、七月二日午後二時三〇分頃、藤雄方仏だんの間の扶示子の死体の足元附近から全長一七・二センチメートル、刃長一二センチメートル、刃巾二・二センチメートルの、柄も鞘もついていないくり小刀〈4〉が発見されたことが認められる。
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ロ、 〈324〉〈328〉〈411〉〈412〉〈413〉によると、藤雄方中庭の東北寄り(勉強部屋寄り)土間から、「水田」のネーム入りの焼けた雨合羽の上衣〈5〉が発見され、その右ポケットにくり小刀の鞘〈6〉が入っていたことが認められる。
ハ、 〈126〉〈127〉によると、右合羽〈5〉は、五月頃にこがね味噌で従業員の水田義高に支給されたものであることが認められる。
ニ、 〈127〉によると、水田義高は六月二八日午前から雨の中を右合羽〈5〉を着用して集金して廻り、午後三時頃会社に戻って合羽を脱ぎ、これを寮の下の脱衣室の壁にかけたか、あるいは三角部屋の机の上に置いたかの何れかであったこと、翌二九日は晴天であったので同人は、これを使用しなかったこと等が認められる。
ホ、 〈344〉〈345〉によると、藤雄は六月二九日の夕方、工場から藤雄方へ帰宅する際には雨合羽〈5〉着用していなかったことが認められる。
へ、 〈174〉〈175〉によると、右くり小刀〈4〉およびくり小刀の鞘〈6〉と同様のものについては、藤雄方の調度品についてよく知っていると認められる山西勝太郎、橋本登美子の両名とも本件発生迄同人方では見たことがなかったことが認められる。
ト、 〈368〉によると、右くり小刀〈4〉から、血液付着の事実は確認できなかったが、〈153〉〈156〉によると、仮に、本件火災前に血液が付着していたと仮定した場合には、本件程度の火災が招来する高温によって血液は炭化し
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てしまい、後日血液付着の事実を確認することができなくなることが認められる。
チ. 〈369〉〈183〉〈184〉〈155〉〈375〉〈376〉〈4〉〈6〉を総合すると、右くり小刀〈4〉には「安来鋼」「玉菊」の銘が打たれて居り、これは、兵庫県小野市の井上熊吉製作所が、兵庫県三木市の寺口小刀製作所に中身の刃体を製造させ銘を打たせたうえ、岐阜県関市の木鞘製作所に刃体に合わせて一本づつ鞘を作らせていたこと、及び右くり小刀〈4〉と鞘〈6〉とが一致することが認められる。
リ. 〈374〉によると、右くり小刀〈4〉と同種のものが二月中旬から三月中旬にかけて、岐阜県関市の山勝商店から、(イ)沼津市菊光刀物店に一五本、(ロ)富士宮市小西鋸店に一〇本、(ハ)富士市菊光刀物店に六本それぞれ卸し売りされたこと、及び本件発生までに(イ)店ではうち一三本が販売され、うち一一本が販売先不明、(ロ)店では一〇本全部が販売され、うち六本が販売先不明、(ハ)店ではうち三本が販売され、うち一本が販売先不明であることが認められる。

(3) 工場内の三ケ所に人血が付着していた。
〈365〉〈366〉〈367〉〈149〉によると、工場内の各所についてルミノール検査を行なった結果工場内の六ヶ所に陽性反応が認められ、さらにその部分について血液鑑定を行なった結果、工場入口のくぐり戸附近、三角部屋奥の下水溝の横の板壁、風呂場の腰板等にA型及びA型らしいと思われる血痕の付着が認められた(前記(三)1、(1)で明らかなように藤雄の血液型と一致する)。

(4) 工場一号タンクから、被害者らの血痕と同型の血痕が多量
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に付着した着衣五点即ち、白ステテコ一枚〈89〉、白半袖シャツ一枚〈90〉、ネヅミ色スポーツシャツ一枚〈91〉、鉄紺色ズボン一本〈92〉、緑色パンツ一枚〈93〉、(右ズボンのポケットには絆創膏一個〈94〉あり)が在中する麻袋〈95〉が、発見された。
イ、 〈129〉〈139〉によると、昭和四二年八月三一日午後三時四〇分頃、工場一号タンクより、こがね味噌従業員水野源三が味噌の搬出作業中に右麻袋〈95〉を発見したことが認められる。
ロ、 〈173〉〈435〉によると、昭和四二年八月三一日午後の司法警察員の実況見分の際には〈89〉ないし〈93〉の着衣に次の図のごとく、血痕ようのものが付着していたことおよび損傷が存在していたことが認められる。(次の(イ)ないし(ホ)に、(a)、(b)…とあるのは次の図①ないし④に、(a)、(b)…とある部分を指す)。
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(イ) 〈89〉・血痕
(a) 右膝部に二三・五センチメートル × -七センチメートルのもの一個
(b) (a)の上部に一〇センチメートル × 六センチメートルのもの一個
(c) 左膝部に三四センチメートル × 二二センチメートルのもの一個
(d) 前の開きの最下部両側に左、右に八センチメートル × 六センチメートル、一〇センチメートル × 八センチメートルのもの各一個
その他小さな痕跡が全般にある。
(ロ) 〈90〉・(血痕及び損傷)
(a) 右袖のつけ根近くの袖上部(右肩部分)に二個の損傷(袖の端から一四センチメートルのものが直径二・五ミリメートルで、袖の端から一五・三センチメートルのものが直径三ミリメートルで二つとも丸形の穴があいている)があり、これを中心に内側から表へしみ出た状況で五センチメートル × 二・五センチメートルの範囲の血痕あり。
(b) 前面及び左胸部には外から付着したと認められる血痕で鶏卵大のもの二個と襟口左下に二〇センチメートル × 七センチメートルの薄いもの一個
(c) 襟の右口に拇指頭大の血痕三個
(d) 背の部分に内側から付着したと認められる血痕で二〇センチメートル × 一〇センチメートルの範囲のもの一個
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(e) 前面裾の部分に拇指頭大の血痕二個
(ハ) 〈91〉・(損傷)(味噌の水分、塩分などがしみて濡れているので色は明確でないが、見分時において、黒色のようであったため、血痕までは確認できなかった。)
(a) 左胸のポケットの上から六センチメートル、右から二センチメートルの部位に、〇・五センチメートル × 〇・五センチメートルの穴がある。
(b) 右袖のつけ根のところにつけ根から袖へ向って三センチメートル、袖の上辺から一・五センチメートルのところに、三ミリメートル × 三ミリメートルの穴の様な損傷
(ニ) 〈91〉
(血痕)
ごく薄く赤紫色の血痕のようなものが全般にしみこんでいる。
(損傷)
(a) 右足部・外側の縫目より七センチメートル、裾から二二センチメートルの部位に┓型のかぎ裂き様の損傷一個(裏生地まで損傷)
(b) 右足部・(a)の上方で、裾から四六センチメートル外側の縫目から三センチメートルの部位に、横二センチメートル、縦三・五センチメートルの穴一個
(c) 左足部・裾から二六センチメートル、左外側の縫目から、三センチメートルの部位に、一・五センチメートル × 一・二センチメートルの損傷一個
(d) 左足部・(c)の上方、裾から三二センチメートル左外
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側の縫目から九センチメートルの部位に〇・四センチメートル × 三・五センチメートルの穴一個(裏生地にまで及ぶ)
(e) 左足部・(d)の上方、裾から四一センチメートル、左外側の縫目から一二・五センチメートルの部位に〇・二センチメートル × 一・五センチメートルの損傷一個
(ホ) 〈93〉
(a) 前開きの口が右側についているが、その縁に長さ五センチメートル、巾一センチメートルの赤紫色の血痕ようのもの、
(b) 後面には右上方から左下方にかけて薄い血痕様のもの、
ハ、 〈439〉によると、〈89〉ないし〈93〉の着衣には次のごとく血痕ようのものが付着しており、その血液型は次のとおりであることが認められる。
(イ) 〈89〉
(表側)(a) 左足外側に上下約三八センチメートル、前後約三〇センチメートルのもの一つ、
(b) 右大腿前面に一〇センチメートル × 一五センチメートル一個
(c) (b)の上部に手掌大一個
(d) 股下部左右に夫々手掌大一個
(ロ) 〈90〉
(表側)(a) V襟下端の下方約一〇センチメートルの部分に六センチメートル × 六センチメートルのもの一個
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(b) (a)の左下方一三センチメートルの部分に五・五センチメートル × 五・五センチメートルのもの一個
(c) 右上腕部に直径約五センチメートルのもの一個(この部分は内側より付着したものと認められる)
(d) 左肩縫い目の部分に五センチメートル × 三センチメートルのもの一個
(e) その他、左袖口、前下端部、後側下端部に夫々存在(裏側)
(裏側)
(f) 右上腕部に(c)同様のもの
(g) 左肩部に(d)同様のもの
(h) V襟下方前側に直径約五センチメートルのもの一個
(i) 右上腕部(f)は、指頭大の濃赤紫色のものが一・五センチメートルの間隔で二個認められ、夫々の痕の両内側に一・五センチメートルの間隔で直径三ミリメートルの穿孔が認められる。
(ハ) 〈91〉
(表側)
(a) 左胸前面全般
(b) 左肩部分
(裏側)
(c) 前面に広範囲
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(d) 左肩部分
(ニ) 〈92〉
(表側)
(a) 生地黒色様で、血痕様か否か不明だが、右足に二個の穿孔(下側のは下端から二一・五センチメートルのところから上方に二・五センチメートル × 二・五センチメートルの三角形の様で、上側のは、裾より四五・五センチメートルのところで三・五センチメートル × 二センチメートルのもの)がある。
(裏側)
(b) 広範囲に血痕様のもの浸潤
また、右〈439〉は、各衣類の次の図①ないし⑥の、①、②…と記した部分について、血液型の検査を行なったものである。
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右検査によると、右〈89〉ないし〈93〉の各部分には何れも人血の付着が認められ、血液型は、
〈89〉は、総てA型、
〈90〉の右肩部③はB型、他はA型、
〈91〉の右袖の部分⑤がAB型、右前裾部④は不明、その他はA型、
〈92〉前立裏部④は不明、他はA型、
〈93〉の左前③はB型、右前下①がA型、右前②がB型らしい、
であったことが認められる。
〈443〉によっても、〈93〉についてB型を検出できなかっただけで右〈439〉の結果と殆ど同様の結論であることが認められる。
ニ、 〈446〉〈447〉によると、右〈89〉ないし〈93〉の着衣の何れにも、ケン化性油脂のほかには油が付着していなかったこと、従って前記一、(二)、2で認められた被害者らの着衣等に付着していた油と同種、同質の油は付着していなかったことが認められる。
ホ、 〈129〉〈139〉によると、右〈95〉の麻袋は、第一工場の奥の倉庫内に保管されていたものであることが認められる。
へ、右〈89〉ないし〈93〉の着衣の入った麻袋は、昭地四一年七月二〇日以前に前記一号タンクに入れられたものと認められる。即ち、〈98〉〈136〉〈185〉〈152〉を総合すると、本事件直前には、右一号タンクには少量の味噌しか残って居なかったこと、こがね味噌では七月二〇日に右タ
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ンクに新しく味噌の原科をタンク一杯に仕込んだこと、新しく仕込んだのちは、右〈89〉ないし〈93〉の着衣の入った麻袋〈95〉を一号タンクの底から二〇センチメートル位の深さまでに埋めることは殆ど不可能であること、捜査官は七月四日に令状に基いて工場内の捜索を行なったが、その際は右一号タンク内の捜索はしなかった等の事実が認められるからである。
(5) 排水溝の中から手拭〈3〉が発見された。
イ、 〈3〉〈408〉〈409〉〈410〉によると、七月四日午前九時五分頃三角部屋奥西側の境にある巾五八センチメートル、深さ二九センチメートルの排水溝の中から手拭〈3〉一本が発見されたが、それには「こがね味噌」のネームが入って居り、その中央部に棒状に血液様のものが付着していたことが認められる。
ロ、 〈358〉によると、右手拭の中央部の血液様のものは、人血であり、その血液型はAB型らしいと判定されうることが認められる。
ハ、 〈359〉によると、右手拭には油は付着していないことが認められる。
(6)  パジャマ〈1〉の存在
イ、 〈404〉〈405〉〈406〉によると、七月四日午前九時三〇分頃、第一工場従業員宿舎一〇畳の間(被告人と佐藤文雄が住込んでいた)の左側の夜具入下段からバジャマ〈1〉が発見されたこと、右は被告人のものであることが認められる。
口、 (血液付一着)
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〈358〉〈357〉を総合すると、右パジャマの上衣の左胸ポケットの部分、下衣の右膝の部分に最も多量に、その他上衣の左前下側等にも人血が付着し、そのうち、上衣の左胸ポケットの人血は、AB型、左前下側の人血は血液型不明、下衣の石膝の人血はA型、その他の部分の血液型は不明であることが認められる。
ハ、(油付着)
〈359〉によると、右パジャマには、出光石油系赤アポロガソリンと同系アポロバイクルブ潤滑油との混合油と認められる油が付着しており、前掲第一、(二)、2の(1)(2)の各物質および石油缶〈7〉中の混合油と同種であることが認められる。
以上の(1)ないし(6)の事実を総合すると、次の諸事実を認めることができる.
即ち、犯人は右(4)の〈89〉ないし〈93〉の着衣類を身につけて、その上に工場の三角部屋か脱衣室にあった雨合羽〈5〉を着、(2)のくり小刀〈4〉(当時は柄も付いていた)を所持して藤雄方の土間に至り、そこでくり小刀を鞘〈6〉から抜いて、鞘を雨合羽の右ポケットに入れてから、雨合羽を土間に脱ぎ棄て、そのあと、藤雄、ちえ子、雅一郎、扶示子の四名を右くり小刀で突刺し、その際、被害者らの血液が右〈89〉ないし〈93〉の着衣類に付着したこと、犯人は右くり小刀を扶示子の死体の近くに落して逃げた(その後火災で柄の部分は焼失した)こと、血液の付いた右〈89〉ないし〈93〉の着衣類を着用したまま、工場内に入り、少くとも工場入口のくぐり戸から入って、風呂場等を歩いたこと、さらに犯人は、本件犯行から、右〈89〉ないし
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〈93〉の着衣類を脱ぐまでの間に、何らかの原因で右肩に傷を負って出血したこと、犯人の血液型がB型、であること等が認められる。
また、(二)の放火との時間的先後関係をみると、前記(三)1.(1)で認められた藤雄ほか三名の死体の状況及び〈89〉ないし〈93〉の着衣に(二)2.3.の油が付着していなかったこと、(三)1.(6)で明らかなようにパジャマ〈1〉には、被害者藤雄、同雅一郎と同型の血液および、(二)2.3.と同質の油が付着していたこと等から、少くとも、犯人が工場内を歩いたのち、右〈89〉ないし〈93〉の着衣類を脱ぎ、そのうち、被告人のパジャマ〈1〉を着て、(何処で、何うして着換えたかは不明であるが)石油缶〈7〉から混合油を持ち出して放火に使用したこと、および、その後何らかの事情によって右被告人のパジャマが、七月四日には、工場内の寮の被告人の部屋に置かれていたものであることが認められる。また、右くり小刀〈4〉は、(2)リ、に記載した三軒の店のどれかで販売された可能性が極めて強い。
さらに、犯人となりうる者の範囲という点からみると、右で明らかなように、犯人が藤雄方に侵入する前に工場の三角部屋か脱衣室にあった雨合羽〈5〉を持出していること、被害者らを殺傷後「血の付いた〈89〉ないし〈93〉の着衣類を、着たままかあるいは手に持ってかして再び工場に入り、風呂場に行っていること、三角部屋近くにあった石油缶〈7〉から混合油をとりだしていること、少くとも、右混合油を扱い始めた頃からは被告人所有のパジャマ〈1〉を着用していたと認められること、右パジャマが、七月四日には寮の被害人の部屋にあったこと等から、犯人は、工場内の事情に詳しい者であることが推測され、
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また犯人の血液型はB型であることが認められる。
2 金員奪取の事実の存在
(1) 本事件直前には藤雄方寝室八畳間の夜具入戸棚の中には集金用手提袋(通称じんきち袋)〈29〉があり、その中に次のものが入っていた。即ち、〈341〉〈342〉〈343〉〈344〉〈345〉〈420〉〈421〉〈422〉によると、
イ、現金八四、八三〇円及び小切手三枚(額面合計三〇、二七〇円)在中の布製金袋
ロ、現金三六、九四○円及び小切手一枚(額面一六、八〇〇円)在中の布製金袋
ハ、現金八二、三二五円及び小切手二枚(額面合計一六、九〇〇円)在中の布製金袋
ニ、現金四九、一六七円及び小切手一枚(額面三、〇〇〇円)在中の布製金袋
ホ、現金一〇〇、一〇〇円及び小切手二枚(額面合計一四、八五〇円)在中の布製金袋
へ、現金九四、七五一円及び小切手二枚(額面三三、三九八円)在中の布製金袋
ト、現金八、二六〇円及び小切手一枚(額面三二、七三八円)在中の布製金袋
チ、現金一〇、六〇〇円在中の布製金袋
リ、こがね味噌の会社印鑑四個在中の布製金袋
が入っていたことが認められる。
(2) 処が、〈340〉〈341〉〈342〉〈343〉〈344〉〈345〉〈420〉〈421〉〈422〉を総合すると、本件火災直後右(1)イ、ないしリ、のうちイ、ロ、ハを除くものは前期(1)の夜具入戸
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棚のところに残っていたが、イ、ロ、ハは、見当らなかったことが認められる。
(3) 〈338〉〈339〉〈417〉によると、六月三〇日午前五時三〇分頃、藤雄方裏出入口東側杭の外側コンクリート部から(1)のイの金袋が、また同日午後二時頃、藤雄方の裏出入口と線路の間附近から(1)のロの金袋がそれぞれ発見されたことが認められる。
(4) 右(1)イの金袋に人血が付着していた。
〈360〉によると、右(1)イ及びロの金袋のうちイに人血が付着していた(但し血液型は血液の量が微量のため判定不能)ことが認められる。
(5) 焼けた札を同封した封筒〈46〉ないし〈53〉が発見された。
イ、〈400〉〈399〉〈398〉〈424〉〈46〉〈47〉〈48〉〈49〉〈50〉〈51〉〈52〉を総合すると九月一三日午後二時四〇分ころ、清水市相生町清水郵便局事故郵便物係において、清水警察署長宛の差出人名の書いてない封筒一枚〈46〉が発見され、その中には、次のものが同封されていたことが認められる。
(在中物)
(イ) 一万円札三枚〈48〉・二分の一位焼失
(ロ) 五千円札二枚〈49〉・五分の三位焼失のものと二分の一位焼失のもの
(ハ) 千円札一〇枚〈50〉・二分の一位焼失
(ニ) 五百円札一枚〈51〉・二分の一位焼失
(ホ) 百円札二枚〈52〉・二分の一位焼失
(ヘ) 便箋一枚〈47〉
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ロ、右の(ヘ)には、「ミソコウバノボクノカバンノナカニシラズニアツタツミトウナ」と片仮名で鉛筆のようなもので書かれている。
ハ、右の(ハ)のうちの二枚には、それぞれ「イワオ」と片仮名で鉛筆のようなもので書かれている。
ニ、〈370〉によると、右イ(ホ)の百円札二枚のうち番号不詳のものの方には、人血の付着が認められだが、その血液型は血液微量のため判定不能であったことが認められる。
以上の(1)ないし(5)の事実を総合すると、犯人は、(1)の金袋のうち、イ、ロ、ハ、の三個を、(じんきち袋から直接か否かはこの段階では確定できない)窃取又は強取し、その後イ、ロ、の金袋を(3)の各場所にそれぞれ落し、ハ、の金袋だけを持って逃げたこと(従って犯人が実際に取得したと思われる現金は、約八万二、三千円位である)、イの(イ)ないし(ホ)の現金は、盗まれた(1)のハ、の金袋に在中していた八二、三二五円の一部であって、何らかの事情によって、右現金を手に入れた者が、同時に犯人が「イワオ」といか名前の者であるか、少くとも犯人が「イワオ」という名前の者と重要な関係がある者だということを知って、そのことを知らせようとして、札の一部及び、便箋に、自ら前記のような文字を書いて清水警察署長宛に投函したものであることが推認される。
二、 本件犯罪事実と被告人との結びつきについて
(一) 一(三)-(4)の着衣類〈89〉ないし〈93〉と被告人の関係
1. 鉄紺色ズボン〈92〉
(1) 端布〈96〉の存在
〈433〉〈434〉〈436〉によると、昭和四二年九月一二日午
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前八時五〇分頃、被告人の実家である浜北市中瀬三一八〇番地袴田茂治方で端布〈96〉が発見されたことが認められる。
(2) 〈448〉によると、右端布〈96〉は、九月二七日頃、こがね味噌から右被告人の実家に送り返された荷物(寮にあった被告人の衣類等一切をまとめたもの)の中に入っていたことが認められる。
尤も袴田ともは、公判廷においては、これを否定しているが、その供述態度はあいまいかつ作為釣で信用しがたい。
(3) 端布〈96〉とズボン〈92〉の関係
イ、 〈444〉によると、この両者は、生地が同一種類であり生地の染色も似て居り、さらに、ズボン〈92〉には、端布〈96〉の切断面に一致する切断面が存することが認められる。
ロ、 〈199〉によると、ズボン〈92〉は名古屋市西区山田町深井縫製の深井和江の店で、縫製されたものであり、端布〈96〉は右ズボンの右裾を切断したとも布であることが認められる。
ハ、 〈204〉によるとズボン〈92〉のウエストの直し方、および裾の縫い方が富士市富士本町日の丸洋服店のそれと特徴がよく似て居り、この方法は、同店独自のものであること、ならびに、同店では裾を直した場合必ずとも布はズボンのポケットに入れて客に渡すことにしていた、事案が認められる。
(4) さらに〈169〉によると、右富士市日の丸洋服店は、本店が同市本町三〇番地に、駅前店が同市同町二丁目一九番地にあり、被告人が昭和三六年一〇月頃から同三七年七月
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頃まで居住していた同市同町一丁目一三番地の三枝喜三郎方とは、本店から徒歩五分位、支店から徒歩二分位の距離であったこと及び、被告人の実姉西尾と志子の居住する同市中里町一丁目二四九番地から、国鉄冨士駅に至るバスの沿線に右日の丸洋服店の各店が存在していたことが認められる。
右(1)ないし(4)の事実を総合すると、端布〈96〉は鉄紺色ズボン〈92〉のとも布であって、右ズボンは被告人のものであることが認められる。
2. 緑色ブリーフ〈93〉
(1) 〈139〉〈127〉〈185〉〈136〉〈187〉〈132〉〈189〉〈190〉〈191〉〈192〉によると、被告人の同僚でありこがね味噌従業員である水野源三ら九名は、本件以前被告人が緑色のバンツを穿いていたことを見ており、又同人らはこがね味噌の従業員のうちで緑色系統のパンツを穿いている者は被告人以外には見たことがないと述べている。
(2) 〈194〉〈195〉によると、被告人の実母ともが、少なくとも本件発生以前に一度、浜北市中瀬の清水屋洋品店から白色ブリーフ一枚と緑色フリーフ一枚を買って、こがね味噌の寮の被告人宛に送ったことが認められる。
(3) ところが、弁護人は、右パンツ〈93〉と同様な緑色のブリーフ〈97〉を証拠として提出したうえ、これは、九月二七日頃こがね味噌から被告人の実家に送り返された被告人の荷物の中に入っていたもので、〈97〉が被告人のもので〈93〉は被告人のものではない旨主張している。そこで検討するに、
イ、 〈197〉によると、浜北市中瀬衣料品店清水屋では、右のような緑色のブリーフは、専ら浜松市の小宮山商店から
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だけ仕入れて居り、他の店からは仕入れてないことが認められる。
ロ、 〈203〉〈205〉によると、右小宮山商店では、右の縁色のブリーフは、「ムーンライト」と名のつくもので、専ら東京の川村繊維から仕入れていることが認められ、また〈203〉により小宮山商店で扱った緑色のブリーフは腰のゴム紐が二本入っているのに、〈97〉の方は腰の紐が一本しかないから、同店で扱ったものでないこと、また〈205〉により、〈93〉の方は生地、形、色及び腰のゴム紐が二本であることから、同居で扱っていたものとよく似ていることが認められる。
ハ、〈205〉によると、「ムーンライト」という名の緑色のブリーフは、東京の鐘百メリヤス有限会社で製造し、専ら川村繊維にだけ卸売していること、ブリーフの穿き口の緑の糸のとめ方及びいわゆる「チン出し」部分の緑のジグザグ縫いの二点が、同社製造の「ムーンライト」という名のブリーフと似ていること、さらに、同社で、ブリーフ裏側の前の部分にジグザグ縫いをするようになったのは八月九日にミシンを改良したのちであって、それ以前は単純な一本縫いであったことが認められる。従って〈97〉のブリーフは裏側の前の部分がジグザグ縫いになっているので、少くとも、八月七日以前に右鐘百メリヤスで製造されたことはありえないことが認められる。
3. ネズミ色スポーツシャツ〈91〉
〈201〉によると、袴田レエ子は、被告人と一緒に住んでいた昭知三八年一一月頃、清水市の長崎屋の特価品売場で〈91〉
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によく似た長袖のスポーツシャツを買ったことがある旨のべているが、襟に赤線が入っていたか否かは憶えていないと述べているし、〈198〉によると、当時清水市の長崎屋に勤務していた大木茂は〈91〉のように「カネカロン」のマークの付いたスポーツシャツを取扱ったことはあるが、襟にラインの入って居るのは高価品であるから特価品売場で扱ったことはないと思う旨述べているので、これだけから右スポーツシャツが被告人のものであると断定することはできない。
4. 白ステテコ〈89〉 白半袖シャツ〈90〉
右二つのものについては、これを被告人のものと断定する直接証拠はない。
以上要するに、1.鉄色ズボン〈92〉は、被告人のものと断定することができ、2.のブリーフ〈93〉は被告人のものである疑が極めて濃厚である。そして前記の如く、麻袋〈95〉の中に右五個の衣類が、一緒に脱いだ形でまるめて入れられていたこと、 と合わせて考えると、(3)のスポーツシャツ及び(4)のステテコ、半袖シャツも、被告人のものであると推認することができる。
(二) 第一、???(三)2、(5)の清水警察署宛の封筒等と被告人との関係について、
1. 二重封筒〈46〉、便箋〈47〉千円紙幣〈50〉に記載された片仮名文字の筆跡鑑定
(1) 鑑定資科の収集
〈109〉〈110〉〈438〉を総合すると、
(イ) 注文控ノート〈54〉のうち、ノートのいわゆる中身のはじめから一九枚目の一一月二三日付の分までのうち、赤い丸印の付してある行欄を除くものはすべて松下文子
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が、清水市万世町二丁目京染取次店池田長光方に勤めていた頃、同人が記入したものであること、
(ロ) 便箋のメモ〈53〉は、清水市村松四二の八つばめ荘山崎武方から押収されたもので、その便箋に記載された文字は松下文子が書いたものであること
が認められる.
(2)  筆跡鑑定の結果
右(1)の資料に基く各筆跡鑑定書の結論は次のとおりである。
即ち、
イ、 〈395〉によると、
「〈46〉〈47〉の片仮名文字の筆跡と〈53〉〈54〉の片仮名文字の筆跡とは符合する。」
ロ、 〈396〉によると、
「〈46〉〈47〉の筆跡と〈53〉〈54〉の筆跡とは「符号する筆跡」と認められる。」
ハ、 〈437〉によると、
「〈50〉に記載してある「イ、ワ、オ、」の文字と〈46〉〈47〉に記載してある文字とは資料不足のため断定はできないが、同一人のものと推定される。」
ニ、 〈429〉によると、
「〈50〉の筆跡と〈46〉〈47〉のそれとは同一人によって記載されたものと推定される。」
ホ、 〈442〉によると、
「〈46〉〈47〉の筆跡と〈53〉〈54〉のそれ、〈46〉〈47〉の筆跡と〈50〉に記載された「イ、ワ、オ、」の文字のそ
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れ、〈50〉の右「イ、ワ、オ、」の筆跡と〈53〉〈54〉のそれは何れも同一人の筆跡と認められる。 」
2. 二重封筒〈46〉、便箋〈47〉の紙質の鑑定
(1) 鑑定資料の収集
〈111〉によると、〈55〉〈56〉は、清水市村松四二の八つばめ荘山崎武方から押収されたもので、松下文子が所有していたものであることが認められる。
(2) 鑑定の結果
〈397〉によると紙質の面でイ、〈47〉と〈55〉のうちの一冊は極めて類似していること、 ロ、〈47〉と〈55〉のうちの他の一服はやや異なること、ハ、〈46〉と〈56〉は同種であることが認められる。
3. 松下文子と被告人の関係
(1) 〈134〉〈157〉〈120〉を総合すると、被告人と松下文子は、ともにこがね味噌の従業員として働いていた頃親しく交際していたものであり、また五月頃には被告人が実母のともに、松下文子を、結婚を希望している相手として紹介したこともあったことが認められる。
(2) 〈157〉によると、八月七日頃の夜被告人が黒柳美代子の留守中、同人宅を松下文子を探す目的で訪れてきたこと、被告人が本件で逮捕された日(八月一八日)の二、三日後に、松下文子が黒柳美代子宅を訪ねて、同人に対して、「刑事が何回も来ていやになる」とか袴田との関係で「もしわたしが話したりするとわたしを犯人に仕立てあげるから喋らない」「云ってしまって後で仕返しされると困る」などという趣旨のことを言っていたこと、同人が松下に、「被告人が、松下
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を訪ねてきたことがある」旨告げたところ、驚いていたこと等が認められる。
(3) 松下文子に対する捜査官の取調の状況
イ、 〈162〉より明らかなように松下文子は、被告人から現金を預かったか否等について当公判廷で証人として質間された際、殆ど、「忘れた」、「知らない」の答えに終始しているが、当公判廷に於ける供述の態度には極めて作為的なものが認められるのでその供述は信用できない。
ロ、(イ) 〈166〉によると、住吉親は九月一五日から九月二七日までの間、松下を取調べたのであるが、これに対して、松下は、「証拠隠滅の罪は重いのか」、「本当のことを話すと、自白したことになって皆さんに顔向けできない」、「私が言ったことについて絶対罪にしないと約束してくれれば、話をしてもいい」、「メモだけなら話をしてもいい」等という趣旨のことを言ったことが認められる。
(ロ) 〈168〉によると、森下哲雄は九月一五日から一七日までの間に、松下文子を取調べたのであるが、その際「罪証隠滅の罪は重いか」「被告人から受取ったことにするから検事さんにうまくとりなしてもらいたい」、「受取ったことは受取ったんだけれども、直接ではなく、第三者を通じてだ」という趣旨のことを言ったことが認められる。
ハ、 〈165〉によると、森田政司は、九月一九日から九月二六日までの間、松下文子を取調べたが、その際「共犯にならないなら話をしてもいい」、「ただ預っただけなら罪に
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ならんという検事の証明書をもらってくれれば安心して話できる」という趣旨のことを言ったことが認められる。
以上(1)ないし(3)の事実を総合すると、松下文子が〈50〉のうちの二枚に「イワオ」と書き、〈47〉にも前記2、(5)のような 文章および文字を書いて現金を同封して発送したこと、松下文子は何らかの方法で右現金を被告人から預かったこと、及び松下文子は、右現金は被告人が本件犯行に関与して取得したものであることを知っていたことが認められる。
(三) パジャマ〈1〉について
すでに第一、一、(三)1.(6)で述べたとおり、パジャマ〈1〉は被告人のものであり、七月四日に寮の被告人の部屋から発見されたのである。
(四) くり小刀について
〈176〉によると、前記一、(三)、1.(2)、リ、の金物商三軒のうち沼津市菊光刃物店の高橋みどりが、被告人が本件について自白する以前の七月頃、捜査官から、こがね味噌従業員二〇名余の写真を見せられた際、被告人の写真について、二・三ヶ月前頃同店で見た顔である旨のべた事実および、同店では、〈4〉と同様のくり小刀は一本五百円で販売していたことが認められる。
(五) 被告人の右肩の傷と〈90〉の右肩部分の損傷との関係
1. 〈428〉によると、被告人の血液型はB型であることが、認め
られるから、〈90〉の右肩の損傷の部分に内側から付着したと認められる血液の血液型と一致する。
2. 〈371〉〈372〉によると、被告人には、九月八日当時、右上腕部前面に横に走る長さ一・五センチメートル、巾〇・五センチメートルの紫褐色の化膿の痕が存在していたこと、また〈428〉によると、被告人には八月一八日当時、右上腕の外側
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上三分の一の部分に一・五センチメートル、巾○・五センチメートルの、肉芽組織が存在していたことが認められる。
この右肩の傷と、〈90〉の右肩の損傷は、完全に一致する訳ではないが、〈90〉を着用したままで、充分生成の可能な傷であることが認められる。
(六) 被告人の左手中指の傷について
1. 〈123〉によると、六月三〇日の午前三時ころ、被告人が、 左手の第二、第三、第四指の何れかを手拭でまいていたこと、〈126〉によると、同日の午後被告人が工場内で、左手の中指に布の様なものをまいていたこと、七月四日水野庄次郎の勧めによって、医師山田昌徳に左手中指の傷の診察に赴いた際、被告人は同医節に対し、右の傷は、藤雄方の火災の除、消火活動に徒事中、屋根のトタンで切った旨説明したこと、〈138〉によると、被告人は七月二日の午後〇時四五分頃、同人の寮の部屋の隅で、左手中指の傷の手当をしていた(包帯をとってガーゼのようなもので拭いて、ヨードチンキのようなもので手当をしていた)ことが認められる。
2. 〈144〉によると、被告人は七月三日の午前中に、浜北市中瀬四七〇の医師福井徳弘宅を訪れて、同人に左手中指の傷の治療を求めたので、同人が診察したところ、左手中指の末節に傷口の跡があり、腫れて化膿しかかっていたので同人は、この傷は四・五日位前に鋭い刃物で出来たものと判断した事が認められる。
3. 〈146〉〈378〉によると、医師山田昌徳は七月四日午後〇時三〇分頃、鈴木俊次立会の上で被告人の手の傷等を診察したたところ、左中指末節の内側に長さ一センチメートル、巾四ミリメ
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ートルの切創を認め、右切創は四日位経ているものであること 及び成因は本人の訴えのようにトタンによる切傷でなく、鋭利な刃物による切傷と判断したことが認められる。
4. 〈371〉〈372〉によると、木村和夫が、同年九月八日午前九時五分頃、森田政司立会の上で、被告人の身体を検査したところ、左中指末節掌側に横の長さ一・五センチメートル、巾は狭い切創痕があったことが認められた。
5. 〈428〉によると、医師鈴木完夫は、同年八月一八日に被告人の指を診た結果、左中指第二関節の曲側(掌側)に横一・五センチメートル、巾四ミリメートルの??籔痕が認められ、右は鋭利な刃物により生じたものであると判断したことが認められる。
6. なお、被告人は当公判廷で左手中指の傷について、本件消火作業の際屋根の上ですべって転び、トタンで切ったと述べているが、右1.ないし5で明らかなように、この傷は鋭利な刃物による傷と認めるのが相当であって、トタンで切れたものと判断するのは不合理である。

(七) 被告人に本件当夜アリバイがないこと
〈185〉〈190〉〈209〉によると、本件当日の六月三〇日には、火災発見当時まで、従業員岩崎和一は工場階下の宿直室で宿直していたこと、寮の二階の八畳の間には、佐藤省吾と松浦光男が寝ていたこと、一方寮二階の一〇畳間には当夜被告人と佐藤文雄が寝ることになっていたが、当夜佐藤文雄は橋本藤作方に留守番として泊るために午後八時半頃、右部屋を出たこと、従業員井上利喜雄が所用で工場に来て午後一〇時半頃、右被告人の部屋に立寄った時には、被告人が一人で右部屋にいたこと等が認められる。また本件の全証拠によっても、右井上が被告人の部屋を出てのち
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本件火災の鎮火に近い頃被告人が火災現場に姿を見せるまでの間に被告人の姿を何処かで見たという者も認められない。
以上の(一)ないし(七)の諸事実を総合すると、被告人が本件の犯人であることの蓋然性は極めて高いということができる。

第二、 自白調書の内容と前記第一で認めた事実との関係
当裁判所が証拠として採用した被告人の検察官に対する昭和四一年九月九日付供述調書によると、被告人は検察官に対して、検察官が主張する事実にほぼ合致する供述をなしていることが認められる。そこで、右供述の信憑性について検討する。
1. パジャマ〈1〉に関する供述について
被告人は、藤雄ほか三名を刺した際は、パジャマ〈1〉を着用していた旨供述しているが、これが虚偽の自白であることは、前記第一、(二)、(三)で指摘した事実に照らして明らかである。これは、右供述の当時(九月九日)、末だ前期〈89〉ないし〈93〉の着衣類が発見されず、パジャマだけであったため、まず検察官、が、被告人は犯行(殺傷)の際にパジャマを着用していたものだという推測のもとに、被告人に対してパジャマの血液等についての説明を求めたため、被告人は、前記〈89〉ないし〈93〉の着衣が未だ発見されて居ないのを幸いに、検察官の推測に便乗したような形で、右のような供述をするに至ったものと認められる。
2. 犯行の動機に関する供述について
被告人は、本件犯行の動機に関して、母と子供と三人一緒に住むための、アパートの敷金・権利金にする金が欲しかった、月末になると、集金した金を袋に入れて専務が家に持って行き、仏壇の前の辺りにおいてあるのを見たことがあるので、これを窃ろうという気になった旨述べている。
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〈454〉〈456〉〈457〉〈458〉によると、昭和四一年三月から五月頃にかけて、被告人、同人の実姉、母等との間で、アパートヘでも移って被告人ら親子三人で生活をしてはという話が交されたこと、〈127〉によると、本件以前に被告人が水田義高に対して、集金用の袋に入っている金の額を尋ねたことがあること、〈143〉によると、被告人が、当時相当小遣銭にも窮していたことが窺われること、等が認められるので、被告人の右の供述は、首肯することができる。
3. 兇器の購入に関する供述について
被告人は、昭籾四一年の三月末頃か四月初頃の日曜日に沼津に遊びに行ったとき刃物等を売っている店から買ってきたナイフを携えて侵入し、本件犯行に及んだ旨供述しているが、これは、前記第一、一、(三)、1、(2)の事実と矛盾しない。
4. 被告人の左手中指の傷に関する供述について
被告人は左手中指の傷は、藤雄と格闘中ナイフを取られようとしたので、これを取られまいとして、左手をナイフの下の方にかけたところ、左手中指がちかっと感じたと述べている。これによると、右の傷は、くり小刀〈4〉によって生じた可能性が極めて強いのであるが、これは、前記第一、二(六)で述べたことにも符合する。
5. 現金約五万円の行方に関する供述について
被告人は、強取した現金のうち約五万円を、七月一一日か一二日頃、松下文子宅に持って行って同人に預けたこと、及びその後半月か二〇日位たって取りに行ったが、同人がいなかったのであづけたままになっている旨述べている。これは、前記第一、二、(二)で認められた事実とほほ符合する。しかも、右の供述は九月九
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日になされているのに対して、前期第一、一、(三)、2、(5)のごとく焼けた札等が清水郵便局で発見された(従って捜査官にも明らかになった)のが九月一二日であるので、この点の供述はかなり信用性が高いものと認められる。
6. 工場風呂場に付皿した血液に関する供述について
被告人は、藤雄らを刺したあと、第一工場の、くぐり戸から工場内に入り、三角部屋およびその附近、風呂場等を歩いた旨供述しているが、右供述は前記第一、一、(三)、1、(3)で陽性反応の認められたところのうち三ヶ所には、何れも被害者藤雄の血液型と同型のA型およびA型らしい血液が付着していたという事実と符合する。
7. 手拭〈3〉に関する供述について
被告人は、本件犯行後、消火作葉中工場の二階の事務室に行き階段横に置いてあった新しい手拭で左手中指の血を拭いたあと、三角部屋の入口の下の下水の中に手拭を葉てた旨自供しているが、前記一、(三)、1、(5)で明らかなように、手拭〈3〉の発見された場所手拭の状況、そして被害者雅一郎と同型のAB型らしい(被告人の血液型はB型であるから少なくとも、B型の血液だけでないことだけは確実である)血液が付着していることなどの事実と、ほぼ符合する。
8. 布製金袋三個に関する供述について
被告人は、ナイフで雅一郎が倒れる少し前頃、ちえ子が寝室の奥から床の間の前辺りまで出て来て、〝これ持って行って〟と言って三個位の金袋を投げてよこしたので、雅一郎とちえ子を刺したあとそれを捨って逃げた旨供述している。
この供述は、前記一、(三)、2、(一)のような、九個の金袋が入ったじんきち袋が、もとの場所におかれたままであるのに、そのう
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ち三個の金袋だけが紛失していたという事実の理由の説明としては、一応首肯しうるものということかできる。
9. 侵入した場所に関する供述について
被告人は、藤雄方に侵入した場所について、裏口の右手の方に屋根に接して木が立っていたので、鉄道の防護柵を乗り越えて隣家の庭に降りその木に登って藤雄方の屋根に移って、中庭に面した土蔵の屋根に移り、そこから土蔵の屋根のひさしのところの水道の鉄管を伝って中庭に降り、中庭に面した勉強部屋の右端の五寸位開いていたガラス戸を開けて勉強部屋に入った、と供述している。
〈171〉〈390〉によると、被告人が供述している物が、供述どおりの場所に存在していたことが認められ、また〈171〉〈391〉によると、捜査官が、右被告人の供述のとおりの方法で侵入の可否を実験してみたところ、侵入が可能であった(とくに、水道の鉄管を伝って降りることの可否も、水道の鉄管がくらくらしたが決して降りることができないような状態ではなかった)ことが認められる。しかも、右被告人供述が、なされたのは九月九日であるのに、前記〈171〉の実況見分がなされたのが、九月一二日であることに照らすと、右被告人の供述はかなり信用性が高いものといわねばならない。
10. 脱出した場所に関する供述について
被告人は、藤雄らを刺したのち、裏口に至り、裏口の戸の下の方についていた、がちゃんと引っかけるようになっている鍵を開けて戸を引張ったところ、上の方は開かなかったが、下の方が体が出入できる位開いたので、そこから外へ出て、その後石油缶の混合液をもって再び、そこから侵入し、放火ののち、同所から脱
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出した旨供述している。
〈171〉〈387〉〈392〉によると、右のうち裏口の扉は、上のかけがねは、いわゆるかけたままの状態で、内側の通路に、扉から二メートル位のところに落ちて居り、下のかけがねは、いわゆるオスの部分だけが扉についていたこと等が認められるが、これは下のかけがねだけはずし、上のかけがねははずさなかったという供述と合致する。
次に、本件火災発生当時、右裏口の扉が開いてたか否かについての目撃者の供述を検討する。
〈124〉によると、右扉は普段は、藤雄の妻ちえ子が閉めて居りかんぬきをかけ、合わせ目の上下のかけかねをかけ、さらに、合わせ目の下に漬物石位の大きさの石を一個置くのが常であったことが認められる。
そこで、火災発生直後の目撃者の証言をみると、それぞれ目撃地点が異なるけれども、〈102〉によると二、三〇センチメートル位、〈105〉によると、一〇センチメートル位、〈121〉によると二尺位夫々開いていたことになって居り、また、〈104〉によると、一五ないし二〇センチメートル位、しかも上の方より下の方が広く、開いていたことになって居り、〈134〉によると、一〇センチメートル位、しかも上の方より下の方か広く開いて居り、そのうえ左右の扉が前後にいわゆるソビレタ形になっていたことになっている。
一方、〈101〉〈120〉によると、井上利喜雄および滝俊一は扉が閉まっていたので、右扉を蹴って開けたことが認められるが、〈101〉によると、滝俊一が中に入ってた時には、扉の内側には屋根等から落ちた瓦や壁土などが、三〇センチメートル位の高
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さになっていたことが認められる。
そうだとすると、火災発生当時は少しは開いていたが、火災によって、屋根から瓦、壁土などが落下して扉の内側に堆積したため閉まったようになったものと認められる。従って、右によると扉の下の方だけに隙間ができて、そこから脱出したという供述とも合致する。
さらに、〈171〉〈392〉によると、捜査官が、前記扉とほぼ同様のものを作って、被告人の供述どおりの方法で、脱出の可否を、実験したところ、脱出が可能であったことが認められる。
右のうち、〈171〉〈387〉〈392〉の、扉の状況の見分がなされたのが、九月一六日であり、脱出可否についての実験がなされたのが九月一五日であるのに対して被告人の供述がなされたのは九月九日であるので、この点に関する供述はかなり信用性が高いものということができる。
11. 強取した現金をC温醸室の床暗樽の下に隠したか否かに関する供述について
被告人は、強取した現金を一旦C温醸室の味噌樽の下に隠し、その後七月二日に一五、〇〇〇円、七月八日頃、一〇、〇〇〇円位、七月一一日か一二日頃残り全部約五〇、〇〇〇円位を味噌樽の下から取り出した旨供述している。〈62〉〈63〉〈115〉〈116〉〈117〉〈118〉〈460〉〈476〉〈477〉〈478〉〈445〉を総合すると、被告人が、七月一〇日以後、中沢千恵子方で使用した百円紙幣のうち、〈63〉には、一般に流通している百円紙幣に付着している水溶性ニヒドリン陽性物とは異ったもの及び味噌の成分に類似のものが付いていること、さらに、〈63〉には、C温醸室の味噌樽の下から採取した泥土〈460〉の成分と類似のものが付
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いていることが認められるのでこの点の供述も不合理ではない.
12. ポリ樽に関する供述について
被告人は〈7〉石油缶から、混合油を運ぶ際、工場の通路横に積んであった味噌を入れる八キログラム入れのポリ樽に、混合油を入れて行ったと述べている.〈451〉〈452〉によると、〈61〉と同様のポリ樽〔八キログラム入れ)が、工場の通路横に置いてあったことは認められるが、その数の増減は確認できず、また本件についての捜査の結果、混合油を入れた形跡の認められる八キログラム入れのポリ樽のかけら等は発見されなかったことが証拠上明らかである。しかし〈154〉によると、ポリ樽は、火災の際の高温によって消失することが認められるので、本件の場合も、どこかに棄てられていたのが、火災のために消失してしまったという可能性も充分に考えられるので、この点の供述も不合理とはいえない.
13. マッチに関する供述について
被告人は、放火に際してマッチを使ったと述べ、そのマッチが仏壇間の仏壇の横の畳の上にあった旨供述している.〈449〉〈450〉によると、〈59〉〈60〉のマッチニ個が、仏壇の間に存在していたことが、認められ、また右〈59〉〈60〉以外にマッチがその附近に存在していたとしても、火災によって消失してしまったであろうことが充分推認されるので、この点の供述も不合理とはいえない。

(結論)
以上第一および第二において本件の重要な争点について検討してきた結果を総合し、かつ本件について当裁判所で取調べた全証拠を検酎してみても、被告人が本件とは関係がないのではないかとの疑いを抱
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かせるような事実の存在も認められないことをもあわせて考慮した結果、
当裁判所は、検察官が主張する事実のうち、次の事実については、証明が尽された、との結論に達した。
即ち、
「被告人袴田巌は、
1.昭和四一年六月三〇日年前一時すぎ頃、金員窃取、しかも若し家人に発見された場合には、家人を刃物で脅かしてでも金員を奪取しようとの意図をもって、くり小刀〈4〉を所持して、藤雄方に侵入した
2.侵入の際の服装は、〈89〉ないし〈93〉の衣類を身につけたうえに、工場の三角部屋か脱衣室においてあった雨合羽〈5〉を着ていた
3.侵入する際、藤雄方裏口の右手の方の屋根に接して立っている木に、鉄道の防護柵を乗り越えて登り、藤雄方の屋根に移り、中庭に面した土蔵の屋根に移り、そこから水道の鉄管を伝って中庭に降りて藤雄方に侵入した
4.侵入後、くり小刀〈4〉を鞘〈6〉から抜いて、鞘〈6〉を雨合羽〈5〉の、右ポケットに入れて、その後雨合羽を脱ぎ棄て、くり小刀〈4〉を手に持った
5.その後、金員物色中藤雄に発見されて金員強取の決意をし、同人と格闘の末、結局同人をくり小刀〈4〉で刺し殺した
6.藤雄と格闘中に、くり小刀〈4〉で、自己の左手中指を傷つけた
7.その後、ちえ子、雅一郎、扶示子をくり小刀〈4〉で刺し(但し三名とも即死ではなかった)、くり小刀〈4〉を扶示子の近くに落した
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8.その後、金袋三個を強取した
9.その後、一旦裏口の扉から脱出した
10.裏口を出る途中で、8.の三個の金袋のうち二個を落とした
11.その後、工場入口のくぐり戸から工場内に入った
12.工場内で、〈89〉ないし〈93〉の衣類を脱いでパジャマ〈1〉を着た
13.ついで三角部屋横においてあった石油缶〈7〉から混合油を持ちだし、再ぴ9.の裏口から藤雄方に入り、藤雄、ちえ子、雅一郎、扶示子の体にそれぞれ混合油をふりかけて、マッチで点火して火を放った
14.そのあと、七月一〇日頃、強取した現金のうち五万円位を、松下文子に預けた
15.また、時聞的には、右1.ないし13.の段階の何れの時期かは確定できないが、少くとも、11.以降〈89〉ないし〈93〉の衣類を着たままか、若しくは脱いで手に持つかして、工場内の風呂場に行った
16.少くとも11.以降に手拭〈3〉で左手中指の血をふき、その後12.以降に〈89〉ないし〈93〉の衣類を麻袋〈95〉に入れて、一号タンクに入れた」
という事実である.
他方、検察官が主張する事実のうち、
イ、藤雄方に侵入してから、藤雄と格闘するまでの詳細な経緯および格闘の具体的状況の詳細
ロ、ちえ子、扶示子、雅一郎を刺した順序およびその具体的状況の詳細
ハ、〈89〉ないし〈93〉の衣類を一号タンクに入れた際の具体的な
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状況およびその日時の詳細
ニ、パジャマ〈1〉を着た場所および経緯、犯行後のバジャマの後始末の詳細
ホ、パジャマ〈1〉右肩に存する損傷の生成時期及び生成原因
等の諸点のうち、
ハ、については全く根拠がなく、その他、イ、ロ、ニ、ホについての証拠としては、被告人の検察官に対する自白が存在するだけである。そして、右の各点に関する被告人の自白は、その内容自体に不合理な点は認められないが、他にこれを裏付ける証拠がないのでそれだけで自白どおりの事実を認めるにはちゅうちょせざるをえない。
従って、当裁判所は、右イないしホの各点については、明確な結論に達することかできなかった。
しかしながら、本件において右のイないしホについて明確な結論に達しえず、従ってこれらの各点についての検察官の主張は何れも認めなかったことが、被告人が少くとも判示(罪となるべき事実)記載の限度の犯罪の犯人であることについて、合理的な疑いを抱かしめるに足りるものとは認められない。
以上の次第で、当裁判所は、被告人が第一回公判以来終始否認してきたにも拘らず、判示(証拠の標目)挙示の証拠を総合して、判示(罪となるべき事実)記載の犯罪事実の存在およびその犯人が被告人であることの何れについても、合理的な疑いを超える程度に証明が尽された、との結論に達したのである。
(法令の適用および量刑の理由)
被告人の判示所為のうち、住居侵入の点は、刑法第一三〇条前段、罰金等臨時措置法第三条一第一項第一号に、橋本藤雄、同ちえ子、同雅一郎、同扶示子に対する各強盗殺人の点はそれぞれ、刑法第二四〇条
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後段に、現住建造物放火の点は、同法第一〇八条に、該当するが、右の住居侵入と各強盗殺人および右住居侵入七現住建造物放火との間には、何れもそれぞれ手段結果の関係があるので、同法第五四条第一項後段、第一〇条により、結局以上を一罪として最も重いと認める橋本藤雄に対する強盗殺人罪の刑で処断することになる。従って被告人に対しては、刑法第二四〇条後段所定の死刑又は無期懲役刑の何れかを科すべきことになるが、右の何れを選択すべきかについて以下本件において取調をした証拠に基づき本件の情状を検討する。
1. 被告人の経歴等について
被告人は、静岡県浜名郡磁踏町字布見八、九一九番地で父袴田庄市、妻ともの三男として生まれ両親のもとで養育され小学校三年のころ家族と共に同県浜北市赤佐引移り、同地の小、中学校を卒業した後同市内の織物会社の工員として三年位稼働し、その後同県浜松市の北川自動車会社の工員として働いているうち、同市内のボデイビルデング協会に通ってボクシングを習うようになり、昭和三二年には国体にボクシングの選手として出場し三位を獲得するほどに上達したが、その頃被告人の通っていたボデイビルデング協会の教師をしていた中島邦雄の内妻と深い仲になったため同協会をやめて同女と二人で同棲するに至った。
その後北川自動車をやめ、中島の内妻とも別れてプロボクサーになるため昭和三三年ころから川崎市新丸子にある不二拳斗クラブに入り練習に励むうち、偶々試合で清水市に赴いた際同市内のバーでホステスをしていた赤穂レエ子と知合い、間もなく東京都内で同女と同棲し始めたが、体の調子が悪くなりボクサーを続けていくことが出来なくなったので、昭和三七年ころ不二拳斗クラブをやめて清水市に戻り同市内のキャバレー「太陽」のボーイになり、レエ子も
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同店のホステスとして半年程働いた後、同キャバレーに出入りしていた酒屋三枝修司の世話で富士市に行き、昼は三枝酒店の店員をやり夜はレエ子と共に同市内のバー「ボン」で働いていたが、給料が安かったので再び清水市に戻って前記「太陽」で働くようになった。
そのうち間もなく「太陽」に出入りしていた酒屋西宮日出男の世話で同人から資本金を出して貰い昭和三八年一一月から同市仲町でバー「暖流」を開業し、レエ子と共同でその経営に当るうち、経営不振に加えて被告人が競輪やマージャンにこったため同四〇年一月ころ西宮に対し約五〇万円位の借金を残したまま店は潰れてしまったが、再び同人の世話で同市旭町で「万花」というバーを開業し、レエ子が主としてその経営に当り、被告人は同年一月ころから同市横砂のこがね味噌合資会社橋本藤作商店(当時の商号)の工員として働くようになった。
この間昭和三八年一二月には正式にレエ子との婚姻届を済ませ、同三九年一〇月一五日には同女との間に長男旭が生まれたが、右「万花」も開業後僅か三ヶ月でやはり経営不振のため潰れてしまい、そのうえレエ子が店に来ていた男の客と仲良くなったことに嫉妬して屡々同女に乱暴するようになり、被告人の仕打ちに愛想を尽かした同女は、被告人と旭を残したまま同年五月ころ家出してしまったので、被告人は旭を松北市の実家に預け、自分は単身こがね味噌工場の寮に住込んで稼働するに至ったものである。
2. 動機について
本件犯行は、被告人の放縦な生活態度から妻とも離別することとなり、夫婦間の子供を引取らざるを得なくなり、昭和四二年末これを実母の許に預け、毎月養育費を同人に送金することとしていたがそのため母と嫂?とがとかく円満を欠くようになり、母と姉から一戸
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を借受けて子供を引取るようすすめられたものの、もともとふしだらな生活を続けていたため、家を借りるための敷金などはもとより小使銭も十分でなく、同年六月中旬勤め先の会社から一万円前借する始末であったので、金銭に窮した末、纏った金ほしさに企てたことによるものであって、その動機において些かも同情すべき点はない。
3. 犯行の態様及び被告人の性格について

本件は勤務先会社の責任者であり旦つ平素食事の世話や、時には遊びに同伴して貰うなどしていた恩義ある者の一家をねらったものであり、侵入方法も深夜周倒な企画の下になされ、被害者藤雄に発見されるや、かねて用意した兇刃を振ってその胸部など一〇数ヶ所を滅多突きにしたほか、殆んど抵抗もせず又そのすべも知らない子女に襲いかかり、ちえ子に約六ヶ所、雅一郎に約六ヶ所、扶示子に約九ヶ所の各瀕死の重傷を与え、剰さへ息も絶え絶えに喘いでいる同人らに次々と油をそそいでこれに点火し、家もろとも焼燬したものであって、この一連の行為はまさに残忍非道というか、鬼畜の所為というか人間性のある者の仕業とは到底考えられない。
しかもかかる犯行を敢てした後、工場に引返し、犯行時着用した衣類、奪取金員を隠匿するなど冷静に工作をなし、犯行後今日に至るまで自己の犯した罪についての反省がなされているとは認められない被告人の心情は反社会的性格を如実に顕わしているものといわざるを得ない。

4. 被害者感情と社会的影響について
被害者が如何なる者であろうともその生命は等しく尊いものであるが、藤雄は四二才の働き盛りで、間もなく年老いた父藤作の跡をついで会社社長としてさらに一段の飛躍を夢みていたであろうし、
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その夢はおろか年老いた父母を残したまま、何等責むべき落度もないのに兇刃に斃れ、またちえ子は三九才の貞淑な妻、よき母として夫の飛躍、子供の成長を希っていたであろうし、雅一郎、扶示子はいづれも青春に富む高校生でともに未来えの限りない希望を抱いていたであろうに、いづれも学業の半ばでこの災難に遭い世を去ったのである。残された藤雄の父藤作もこの不幸な出来事の後間もなくこの世を去り今や年老いた母と長女昌子の二人が荒波に投げ出されたのであって、一瞬にして被告人の魔手によって生命を奪われた四名の心情はもとより、残された二人の心情もまた察するに余りあるものがある。
又本件犯行がその冷酷残忍さの故に世の人々の戦慄を呼び社会一般の人に与えた影響は極めて大きいものがある。
5. 被告人に関する情状について
被告人には少くとも本件犯行に至るまでは格別非難さるべきこともなく平穏な世活を送ってきたことや、妻レエ子とすでに数年前から実質上離別して一子旭を引取って母に養育して貰い、自らは会社の寮に住込み働いていたという一見同情すべき事情があるが、妻レエ子との離別ももとはといえばその原因の大部分が被告人自身のふしだらな行動に基因するものであることを思へば特にこれをもって同情すべき事情とは云えないであろう。

6. 結論
叙上の如き諸般の情状を考慮すれば、今や死刑廃止制をとる国はふえ、これを存置する国においても死刑は例外的、象徴的な刑罰となりつつある世界のすう勢を考慮の上被告人が道路交通法違反のほか前科のない身であることなど記録に顕れたすべての有利な事情を斟酌してもなお本件においては正義の観念が最後の手段として要求
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するものは極刑以外にないものとの結論に達し所定刑中死刑を選択する。
よって、被告人を死刑に処する。
なお、押収してあるくり小刀一本(昭和四一年押第一五五号の四)は、犯示強盗殺人の犯罪行為の用に供した物で、犯人以外の者に属しないから、刑法第一九条第一項第一号、二項を適用してこれを没収し押収してある現金六万円(昭和四一年押第一五五号の九)同一万五千円(同一〇)同八千円(同一一)同千五百円(同一二)同百円(同一三)同二百円(同一四)同三十円(同一五)領収証一枚(同一六)小切手三枚(同一七ないし一九)現金一万円(同二一)同一万円(同二二)同一万六千円(同二三)同五百円(同二四)同四百円(同二五)同四十円(同二六)領収証一枚(同二七)小切手一枚(同二八)一万円紙幣三枚(同四九)五千円紙幣二枚(同五〇)千円紙幣一〇枚(同五一)五百円紙幣一枚(同五二)百円紙幣二枚(同五三)は、判示強盗殺人の罪の唯物で被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法第三四七条第一項によりこれを被害者株式会社王こがねみそに還付することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることとする。
よって主文のとおり判決する。
昭和四三年九月一一日
静岡地方裁判所第一刑事部
裁判長裁判官 石見勝四
裁判官 高井吉夫
裁判官 熊本典道
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番号 証拠の標目
一 パジャマ上下一着(昭和四一年押第一五五号の一)
二 国防色作業衣一着(同押号の二)
三 手拭一枚(三片)(同押号の三)
四 くり小刀(柄とさやのないもの)一丁(同押号の四)
五 雨合羽 一枚(同押号の五)
六 さや 一本(同押号の六)
七 石油缶 一個 (押収当時一二・八リットルの混合油在中)(同押号の七)
八 布小袋 一枚         (同押号の八)
九 現金一万円札六枚(同押号の九)
一〇 右同五千円札三枚(同押号の一〇)
一一 右同千円札八枚(同押号の二一)
一二 右同五百円札三枚(同押号の一三)
一三 右同百円硬貨一個(同押号の一三)
一四 右同五拾円硬貨四個(同押号の一四)
一五 右同拾円硬貨三個(同押号の一五)
一六 領収証(NO三八)一枚(同押号の一六)
一七 小切手(J二二四五八)一枚(同押号の一七)
一八 小切手(HE〇三五九五)一枚(同押号の一八)
一九 小切手(HR〇七五九五)一杖(同押号の一九)
二〇 五拾円貨五万円造幣局とある布小袋一枚(同押号の二〇)
二一 現金一万円札一枚(同押号の二一)
二二 右同五千円札二枚(同押号の二二)
二三 右同千円札一六枚(同押号の二三)
二四 右同五百円札一枚(同押号の二四)
二五 右同百円硬化四個(同押号の二五)
二六 右同拾円硬貨四個(同押号の二六)
二七 領収証(NO五七)一枚(同押号の二七)
二八 小切手(AP〇八二三二)一枚(同押号の二八)
二九 集金用手提袋一個(同押号の二九)
三〇 御室袋NO??エ??とある布小袋一枚(同押号の三〇)
三一 上の方に切り取った穴のある布小袋一枚(同押号の三一)
三二 布小袋一枚(同押号の三二)
三三 中央に焼け穴がある布小袋一枚(同押号の三三)
三四 入口が少し鋳けた布小袋一枚(同押号の三四)
三五 印鑑入袋とある布小袋一枚(同押号の三五)
三六 焼けたガマ口一個(同押号の三六)
三七 現金百円札九枚(同押号の三七)
三八 右同百円硬貨一個(同押号三八)
三九 右同五拾円硬貨二個(同押号の三九)
四〇 右同拾円硬貨二八個(同押号の四〇)
四一 現金五円硬貨三個(同押号の四一)
四二 右同一円硬貨拾個(同押号の四二)
四三 くり小刀一丁(同押号の四四)
なぜ数がズレたのか ?
四四 トタン張りの焼けた戸二枚(同押号の四五)
四五 焼けたかんぬきの棒きれ三個(同押号の四六)
四六 二重封筒一枚(同押号の四七)
四七 便箋一枚(同押号の四八)
四八 約二分の一焼失している一万円紙幣三枚(同押号の四九)
四九 約五分の三及び二分の一焼失している五千円紙幣二枚(同押号の五〇)
五〇 約二分の一焼失している千円紙幣一〇枚(同押号の五一)
五一 約二分の一焼失している五百円紙幣二枚(同押号の五二)
五二 約二分の一焼失している百円紙幣二枚(同押号の五三)
五三 便箋のメモ(八枚のうち二枚は破れている)六枚及び二片(同押号の五四)
五四 ノート(注文控)一冊(同押号の五五)
五五 コクヨ書翰箋二冊(同押号の五六)
五六 二重封筒五枚(同押号の五七)一枚
五七 菊光刃物店の包装紙(タテ一五センチヨコ二二・五センチ)一枚(同押号の五八)
五八 右同(タテ二二・五センチヨコ三〇センチ)一枚(同押号の五九)
五九 清水銀行のマッチ箱一箱(同押号の六〇)
六〇 静岡銀行のマッチ箱一箱(同押号の六一)
六一 ポリ樽一樽(同押号の六二)
六二 百円札(DS三四九〇八三T、LS一四二九三一V)二枚(同押号の六三)
六三 百円札(GU八四三五五九S、LU五一九九一五U)二枚(同押号の六四)
六四 千円札(GO〇七七八七J)一枚(同押号の七〇)
六五 百円札(TS〇〇四六二OT)一枚(同押号の七一)
六六 千円札(FC四三九八二〇R)一枚(同押号の七二)
六七 百円札(RR七六〇九三一T、NS〇〇六二五S,GL三〇二八九三W)三枚(同押号の七三)
六八 百円札(YR二六〇一九七T、LU八一七三八九S)二枚(同押号の七四)
六九 千円札(JA四八八二二一H)一枚(同押号の七五)
七〇 百円札(QR〇五八〇四七R、CT一七四〇〇四U、CT三四五七四三U)三枚(同押号の七六)
七一 百円札(GU〇五八二六七S)一枚(同押号の七七)
七二 五百円札(AC六七七八六三H)一枚(同押号の七八)
七三 菊光刃物店の平面図一枚、同店の写真五葉(同押号の八〇)
七四 毛布(草色地に橙色の模様)一枚(同押号の八一)
七五 毛布(赤色模様)一枚(同押号の八二)
七六 ボール紙片(同押号の八三)
七七 男子用パンツ(一部焼けたもの)一枚(同押号の八四)
七八 白地にうす紫菱型模様入りねまきの焼けのこりの一部(同押号の八五)
七九 メリヤスシャツの焼けのこりの一部(同押号の八六)
八〇 品名不詳の着衣の一部(同押号の八七)
八一 白地水色縦縞パンツの焼けのこり一部(同押号の八八)
八二 焼けのこった白ワイシャツの一部(同押号の八九)
八三 焼けのこった毛糸腹巻の一部(同押号の九〇)
八四 白メリヤスシャツの焼けのこった一部(同押号の九一)
八五 白ズボン下の焼けのこりの一部(同押号の九二)
八六 水色たて縞のパンツ焼けのこりの一部(同押号の九三)
八七 パンティの焼けのこりの一部(同押号の九四)
八八 ブラジャーの焼けのこりの一部(同押号の九五)
八九 白ステテコ(茶色に変色している)一枚(同押号の九六)
九〇 白半袖シャツ(茶色に変色している)一枚(同押号の九七)
九一 ネヅミ色スポーツシャツ一枚(同押号の九八)
九二 鉄紺色ズボン一本(同押号の九九)
九三 緑色パンツ一枚(同押号の一〇〇)
九四 絆創膏(つかいかけのもの)一個(同押号の一〇一)
九五 麻袋(南京袋)一枚(同押号の一〇二)
九六 端布一枚(同押号の一〇三)
九七 うすみどり色バンツ(ブリーフ)一枚(同押号の一〇六)
九八 当裁判所の検証調書
九九 第二回公判調書中証人深沢守一の供述部分
一〇〇 右同証人小川弁一の供述部分
一〇一 右同証人滝俊一の供述部分
一〇二 第三回公判調書中証人薩川政子の供述部分
一〇三 右同証人佐藤省吾の供述部分
一〇四 第四回公判調書中証人松浦光男の供述部分
一〇五 右同証人薩川しげ子の供述部分
一〇六 右同証人佐藤文雄の供述部分
一〇七 第五回公判調書中証人新村正幸の供述部分
一〇八 右同証人上林茂太郎の供述部分
一〇九 右同証人溝口五郎の供述部分
一一〇 右同証人近藤安一の供述部分
一一一 右同証人入山高弘の供述部分
一一二 右同証人松下保の供述部分
一一三 右同証人春田竜夫の供述部分
一一四 右同証人北条節次の供述部分
一一五 右同証人松本久次郎の供述部分
一一六 右同証人岩本広夫の供述部分
一一七 右同証人松本義男の供述部分
一一八 右同証人中沢千恵子の供述部分
一一九 第六回公判調書中証人岩科和一の供述部分
一二〇 右同証人井上利喜雄の供述部分
一二一 右同証人大石昌代の供述部分
一二二 右同証人村松喜作の供述部分
一二三 右同証人山口元之の供述部分
一二四 第七回公判調書中証人橋本登美子の供述部分
一二五 右同証人山西勝太郎の供述部分
一二六 (証)   水野庄次郎 (第 八回公判)
一二七 (証)   水田義高  (第 八回公判)
一二八 (証)   市川 進  (第 八回公判)
一二九 (証)   市川 進  (第一七回公判)
一三〇 (証)   市川 進  (第二二回公判)
一三一 (証)   佐藤健吾  (第 八回公判)
一三二 (証)   佐藤健吾  (第一八回公判)
一三三 (証)   増田喜代司 (第 八回公判)
一三四 (証)   橋本操   (第 九回公判〉
一三五 (証)   望月倶輔  (第 九回公判)
一三六 (証)   望月倶輔  (第一八回公判)
一三七 (証)   望月倶輔  (第二七回公判)
一三八 (証)   水野源三  (第 九回公判)
一三九 (証)   水野源三  (第一七回公判)
一四〇 (証)   水野志ゆん (第 九回公判)
一四一 (証)   佐薦まき  (第 九回公判)
一四二 (証)   薩川ひさ  (第 九回公判)
一四三 (証)   杉本?次子 (第 九回公判)
一四四 (証)   福井徳応  (第一〇回公判)
一四五 (証)   高橋福太郎 (第一〇回公判)
一四六 (証)   鈴木俊次  (第一〇回公判)
一四七 (証)   岩本広夫  (第一一回公判)
一四八 (証)   鳥居信夫  (第一一回公判)
一四九 (証)   寺田勇太郎 (第一一回公判)
一五〇 (証)   寺田勇太郎 (第二九回公判)
一五一 (証)   富安 要  (第一一回公判)
一五二 (証)   富安 要  (第二〇回公判)
一五三 (証)   鈴木健介  (第一一回公判)
一五四 (証)   篠田 勤  (第一一回公判)
一五五 (証)   漆畑康徳  (第一一回公判)
一五六 (証)   漆畑康徳  (第一一回公判)
一五七 (証)   黒柳美代子 (第一二回公判)
一五八 (証)   岩崎六三朗 (第一二回公判)
一五九 (証)   岩崎六三朗 (第一六回公判)
一六〇 (証)   長野勝弘  (第一二回公判)
一六一 (証)   長野勝弘  (第一八回公判)
一六二 (証)   松下文子  (第一二回公判)
一六三 (証)   木村和夫  (第一二回公判)
一六四 (証)   森田政司  (第一二回公判)
一六五 (証)   森田政司  (第-三回公判)
一六六 (証)   住吉 親  (第一三回公判)
一六七 (証)   住吉 親  (第二五回公判)
一六八 (証)   森下哲雄  (第一三回公判)
一六九 (証)   森下哲雄  (第二七回公判)
一七〇 (証)   米津五六  (第一三回公判)
一七一 (証)   北条節次  (第一三回公判)
一七二 (証)   春田竜夫  (第一三回公判)
一七三 (証)   春田竜夫  (第一八回公判)
一七四 (証)   橋本登美子 (第一三回公判)
一七五 (証)   山西勝太郎 (第一三回公判)
一七六 (証)   高橋みどり (第一四回公判)
一七七 (証)   越水不二三 (第一四回公判)
一七八 (証)   中沢千恵子 (第一四回公判)
一七九 (証)   松本義男  (第一四回公判)
一八〇 (証)   村松敏郎  (第一四回公判)
一八一 (証)   鈴木かね  (第一四回公判)
一八二 (証)   今井貴雄  (第一四回公判)
一八三 (証)   井上吉和  (第一五回公判)
一八四 (証)   寺口行雄  (第一五回公判)
一八五 (証)   岩崎和一  (第一八回公判)
一八六 (証)   岩崎和一  (第二六回公判)
一八七 (証)   村松喜作  (第一八回公判)
一八八 (証)   斉藤幸江  (第一八回公判)
一八九 (証)   佐藤省吾  (第一八回公判)
一九〇 (証)   佐藤文雄  (第一八回公判)
一九一 (証)   山口元之  (第一八回公判)
一九二 (証)   松浦光男  (第一八回公判)
一九三 (証)   佐藤秀一  (第二〇回公判)
一九四 (証)   袴田とも  (第二一回公判)
一九五 (証)   袴田とも  (第二四回公判)
一九六 (証)   加藤 実  (第二一回公判)
一九七 (証)   清水 忠  (第二二回公判)
一九八 (証)   大木 茂  (第二二回公判)
一九九 (証)   深井和江  (第二二回公判)
二〇〇 (証)   滝沢 純  (第二二回公判)
二〇一 (証)   袴田レイ子 (第二二回公判)
二〇二 (証)   安孫子光義 (第二三回公判)
二〇三 (証)   小宮山 覚 (第二三回公判)
二〇四 (証)   保津扶美子 (第二三回公判)
二〇五 (証)   貝本隆一  (第二三回公判)
二〇六 (証)   大石雅子  (第二六回公判)
二〇七 (証)   吉田和代  (第二六回公判)
二〇八 (証)   袴田茂治  (第二六回公判)
二〇九 (証)   井上利喜雄 (第二七回公判)
二一〇 ないし二九九は欠番
三〇〇 (証)  国井大三  (第二九回公判)
三〇一 (員)の火災発生の届出と題する書面  (四一、 六、三〇)
三〇二 消防署員の火災認知と題する書面   (四一、 七、 一)
三〇三 (員報)  太田富雄         (四一、 八、三一)
三〇四 清水市消防署長の火災出動報告書   (四一、 七、 一)
三〇五 (員)   杉山新司         (四一、 八、二一)
三〇六 (検)   杉山新司         (四一、 八、二八)
三〇七 (員)   小川荘作         (四一、 七、一五)
三〇八 (員)   小川荘作         (四一、 八、-七)
三〇九 (検)   小川荘作         (四一、 八、二八)
三一〇 (員)   市川義晃         (四一、 七、 三)
三一一 (巡)   中沢 勇
三一二 (員)   橋本幸三
三一三 (員)   中沢イセ
三一四 (検)   橋本まち
三一五 (検)   橋本芳明
三一六 (検)   橋本とし子
三一七 (員)   橋本庄太郎        (四一、 七、一九)
三一八 (検)   橋本庄太郎        (四一、一〇、 一)
三一九 (員報)  住吉 親         (四一、 六、三〇)
三二〇 (員報)  森下哲雄         (四一、 六、三〇)
三二一 (巡)   杉山勝弘
三二二 (員)   薩川国男
三二三 (巡)   市野良英
三二四 (員検)  春田竜夫         (四一、 八、 八)
三二五 (員検)  黒柳三郎         (四一、 七、二〇)
三二六 (員実)  春田竜夫         (四一、 七、一五)
三二七 (員実)  春田竜夫         (四-、 八、 五)
三二八 (員実)  春田竜夫  (一六枚綴) (四一、 七、 六)
三二九 (員実)  春田竜夫         (四一、 七、 五)
三三〇 (員実)  春田竜夫  (一九枚綴) (四一、 七、 六)
三三一 (員実)  寺田勇太郎        (四一、 七、一〇)
三三二 (鑑)   鈴木俊次  (三一枚綴) (四一、 九、 六)
三三三 (鑑)   鈴木俊次  (二七枚綴) (四一、 九、 六)
三三四 (鑑)   山下英秋  (二七枚綴) (四一、 七、二五)
三三五 (鑑)   山下英秋  (三枚綴)  (四一、 七、二五)
三三六 (鑑)   山下英秋  (一六枚綴) (四一、 七、二八)
三三七 (鑑)   山下英秋  (二枚綴)  (四一、 七、二八)
三三八 (員報)  黒柳三郎  (二枚綴)  (四一、 六、三〇)
三三九 (員報)  黒柳三郎  (三枚綴)  (四一、 六、三〇)
三四〇 (員報)  春田竜夫         (四一、 八、一五)
三四一 (員)   池ノ谷 寛        (四一、 八、 一)
三四二 (員)   池ノ谷 寛        (四一、 九、 九)
三四三 (員)   山梨康子         (四一、 九、一九)
三四四 (検)   津村 剛
三四五 (検)   津村 剛
三四六 (員)   橋本藤作
三四七 (員)   橋本昌子         (四一、 八、 五)
三四八 (員)   橋本昌子         (四一、一〇、一二)
三四九 (検)   橋本昌子         (四一、 八、二八)
三五〇 (検)   橋本昌子         (四一、一〇、 五)
三五一 (員)   橋本さよ         (四一、 七、一八)
三五二 (員)   橋本さよ         (四一、一〇、 七)
三五三 (員)   山梨康子         (四一、 九、 三)
三五四 (巡)   杉山雅信         (四一、 七、 九)
三五五 (巡)   田村浩敏         (四一、 八、一一)
三五六 (員)   田村利作         (四一、 八、二一)
三五七 (員報)  岩本広夫         (四一、 七、 四)
三五八 (鑑)   鈴木健介  (八枚綴)  (四一、 七、二八)
三五九 (鑑)   篠田 勤         (四一、一〇、二〇)
三六〇 (鑑)   鈴木健介  (三枚綴)  (四一、 七、二八)
三六一 (員報)  鳥居信夫         (四一、 八、一-)
三六二 (員報)  鳥居信夫         (四-、 八、-六)
三六三 (鑑)   鈴木健介         (四一、 八、三〇)
三六四 (鑑)   鈴木健介         (四一、 八、 三)
三六五 (員報)  寺田勇太郎        (四一、 七、二四)
三六六 (員報)  寺田勇太郎        (四一、 七、三〇)
三六七 (鑑)   鈴木健介         (四一、 八、一〇)
三六八 (鑑)   鈴木健介         (四一、 七、二八)
三六九 (鑑)   漆畑康徳         (四一、 八、二〇)
三七〇 (鑑)   鈴木健介         (四一、一〇、二〇)
三七一 司法警察員作成の身体検査調書    (四一、 九、 八)
三七二 (鑑)   木村和夫         (四一、 九、 九)
三七三 (巡)   木村和夫         (四一、 九、 九)
三七四 (員報)  米津五六         (四一、 八、一三)
三七五 (巡)   山田才一         (四一、 七、 九)
三七六 (員)   宮本義男         (四一、 七、 九)
三七七 (員報)  今井晴三         (四一、 七、 一)
三七八 (員)   山田昌徳         (四一、 八、 五)
三七九 (員検)  北条節次         (四一、 九、二三)
三八〇 (員)   岡田郁子         (四一、 八、一七)
三八一 (員)   薩川しげ子        (四一、 八、 六)
三八二 (員)   大石雅子
三八三 (員)   吉田和代
三八四 (員)   薩川政子
三八五 (検)   橋本登美子
三八六 (検)   山西勝太郎
三八七 (員実)  北条節次  (一〇枚綴) (四一、 九、二〇)
三八八 (員実)  北条節次         (四一、 九、一八)
三八九 (員実)  北条節次  (六枚綴)  (四一、 九、二〇)
三九〇 (員実)  北条節次         (四一、 九、一五)
三九一 (員報)  北条節次         (四一、 九、二〇)
三九二 (員報)  北条節次         (四一、 九、二六)
三九三 (員実)  春田竜夫         (四一、 九、一六)
三九四 (員報)  岩本広夫         (四一、 九、二〇)
三九五 (鑑)   岩崎六三朗        (四一、 九、ニニ)
三九六 (鑑)   長野勝弘         (四一、一〇、一二)
三九七 (鑑)   篠田 勤         (四一、一一、 四)
三九八 (員報)  原科 勲
三九九 (員報)  松本久次郎
四〇〇 (員)   鈴木 博
四〇一 (検)   松下米子       3甲(四一、 九、二三)
四〇二 (検)   松下米子       3乙(四一、 九、二三)
四〇三 (員検)  住吉 親         (四一、 九、三〇)
四〇四 (員報)  森田政司         (四一、 七、 四)
四〇五 (任)   袴田 巌         (四一、 七、 四)
四〇六 (員領)  森田政司         (四一、 七、 四)
四〇七 (員捜押) 富安 要         (四一、 七、 四)
四〇八 (員報)  岩田竹治         (四一、 七、 四)
四〇九 (員報)  富安 要         (四一、 七、 五)
四一〇 (員捜押) 富安 要         (四一、 七、 四)
四一一 (員捜押) 春田竜夫         (四一、 七、 三)
四一二 (員報)  春田竜夫  (五枚綴)  (四二、 六、三〇)
四一三 (員報)  春田竜夫  (一枚綴)  (四一、 六、三〇)
四一四 (員報)  安本芳雄         (四一、 七、 八)
四一五 (任)   佐藤健吾         (四一、 七、 四)
四一六 (員領)  北条節次         (四二、 七、 四)
四一七 (員報)  青木孝雄         (四一、 六、三〇)
四一八 (員報)  青木孝雄         (四一、 六、三〇)
四一九 (員領)  黒柳三郎         (四一、 六、三〇)
四二〇 (員報)  春田竜夫  (二枚綴)  (四一、 六、三〇)
四二一 (任)   橋本藤作         (四一、 六、三〇)
四二二 (員領)  春田竜夫  (四枚綴)  (四一、 六、三〇)
四二三 (員捜押) 黒柳三郎         (四一、 六、三〇)
四二四 (任)   鈴木 博
四二五 (員報)  内山三郎         (四一、 七、一三)
四二六 (員)   富安 要         (四一、 七、一三)
四二七 司法警察員富安要作成の鑑定方嘱託についてと題する書面
四二八 (鑑)   鈴木完夫         (四二、 五、二四)
四二九 (鑑)   岩崎六三朗        (四二、 八、一六)
四三〇 (鑑)   篠田 勤         (四二、 九、一四)
四三一 (任)   市川 進
四三二 (員)   春田竜夫         (四二、 八、三一)
四三三 (任)   袴田とも
四三四 (員領)  松本久次郎
四三五 (員実)  春田竜夫         (四二、 九、 四)
四三六 司法警察員作成の証拠品発見報告書
四三七 (鑑)   長野勝弘         (四二、 七、 九)
四三八 (検)   池田須美恵
四三九 (鑑)   佐藤秀一         (四二、 九、二〇)
四四〇 請求書
四四一 納品明細書
四四二 (鑑)   遊佐武治郎        (四三、 一、一〇)
四四三 (鑑)   池本卯典         (四二、一二、二八)
四四四 (鑑)   近藤 彰         (四二、一二、 四)
四四五 (鑑)   丹羽口徹吉        (四三、 一、 五)
四四六 (鑑)   阿部 博         (四二、一二、二〇)
四四七 鑑定人阿部博作成の鑑定結果の追加と題する書面(四三、 一、一七)
四四八 (検)   袴田とも         (四二、 九、一七)
四四九 (任)   水野庄次郎
四五〇 (員領)  春田竜夫         (四一、 九、 二)
四五一 (任)   山西勝太郎
四五二 (員領?) 北条節次         (四一、 九、 八)
四五三 は欠番
四五四 (検)   西尾と志子        (四一、 八、一八)
四五五 (検)   西尾と志子        (四一、 九、 九)
四五六 (検)   西尾と志子        (四一、 九、一六)
四五七 (検)   西尾九二栄        (四一、 八、一八)
四五八 (検)   西尾九二栄        (四一、 九、一六)
四五九 (員報)  安本芳雄         (四一、 八、一〇)
四六〇 泥土 一一〇グラム(押収当時)(昭和四一年押第一五五号の一〇四)