1.くり小刀は凶器なのか?

確定判決(一審静岡地裁判決)によれば、袴田さんは木工用のくり小刀1本で、専務・妻・子供2人を次々と刺して瀕死の重傷を負わせたうえ、混合油を4人の体に撒いて火を放ち殺害したとされています。

冤罪の証拠「くり小刀」

凶器とされたくり小刀

凶器とされたくり小刀の刀身は全長17.2cm、刃長12.1cm、刃幅2.2cmで、7月2日午後2時30分頃、専務宅の現場検証を行っていた警察によって、二女の死体の足元付近から発見されました。発見時は柄も鞘もない状態で、全体的に黒く焼け焦げていました。なお、鞘はくり小刀発見以前の6月30日に、専務宅中庭に落ちていた雨合羽の右ポケットに入っていたのを警察が発見したとされています。

被害者4人の死体には形や長さ・深さが様々な刺傷や切傷が多数残されており、その数は専務が15か所、妻が7か所、二女が9か所、長男が10か所に上ります。専務と二女には肋骨を切断する傷があり、そのうち二女の傷は肺と心臓を貫通して胸椎まで達していました。


冤罪の証拠「くり小刀」

ポケットに鞘が入っていたとされる雨合羽

弁護団が第1次再審請求時に提出した鑑定書によれば、二女と同じような年齢・体型のモデルを使って体表から胸椎までの平均距離を計測した結果、受傷時の体の凹みを考慮してもその距離は14.7cmとなり、刃長が12.1cmしかないくり小刀でその傷を負わせることは不可能であることがわかりました。しかもその傷の傷口は1.2cm(皮膚の弾力を考慮しても1.38cm)だったので、刃幅が2.2cmあるくり小刀を根元まで刺したのではないことになります。となると当然負わせることのできる傷の深さ(体表からの距離)は刃長の12.1cmよりも短くなります。つまり、二女の体に残された傷からすると、凶器とされたくり小刀は刃長が短すぎるだけでなく、刃幅が広すぎることになるのです。


冤罪の証拠「くり小刀」

雨合羽のポケットに入っていたとされる鞘

また、専務ら4人に合計40か所以上の傷を負わせ、少なくとも肋骨を2回も切断したにもかかわらず、発見時のくり小刀は刃先が数ミリ欠けていただけで刃こぼれはほとんどありませんでした。これだけの傷を負わせておきながら刃こぼれがほとんどないということは普通では考えられません。しかも、欠けていた刃先は解剖時被害者の体内からは見つからず、警察は火葬場まで行って調べましたが結局発見できませんでした。つまり、刃先は元々欠けていた可能性が高いのです。


さらに、くり小刀の発見時の写真(⇒事件の概要)からすると、火災によって焼失したと裁判所が認定したくり小刀の柄は、事件発生時にはすでになかった可能性さえあります。刃先が欠けているだけでなく、柄もなかったとすれば、どうやって肋骨を切断するほどの傷を負わせることができるのでしょうか。大体そんなものを凶器に使うはずがありません。

確かに、専務ら4人の死体に残された40か所以上の傷の中には、現場で発見されたくり小刀で負わすことのできる傷もあります。しかし、そのくり小刀1本だけで全ての傷を負わすことは不可能です。したがって、それを可能だとした確定判決の認定は誤っていると言わざるを得ません。

2.くり小刀を買ったのは袴田さんなのか?

犯行に使用されたとされるくり小刀は、1966(S41)年3月末か4月初めの日曜日に、袴田さんが沼津の刃物店で購入し、事件発生まで袴田さんが自分の部屋に隠していたとされています。袴田さんがそのくり小刀を刃物店で購入したことを裏付ける証拠は、袴田さんの自白と刃物店店員の証言だけです。しかし、袴田さんの自白は拷問的な取調べの末になされたもので証拠価値はなく(⇒自白)、刃物店店員の証言についても信用性ありとした裁判所の判断には多いに疑問が残ります。

その店員は1967(S42)年7月20日に静岡地裁で開かれた公判で次のように述べています。

検察官:(袴田を)いつ頃見たという感じでしたか。
店員:比較的その写真(※警察が作成したこがね味噌従業員の写真帳)見せられて新しい時期に二、三か月前のような記憶なんです。
検察官:三、四月頃位という感じですか。
店員:じゃないかと思います。
検察官:その人に品物は、あなたの店で売った記憶はありますか。
店員:何か売ったような記憶はあるんです。
検察官:くり小刀を売ったかどうか覚えていませんか。
店員:それは全然覚えていません。

また弁護人の質問にはこう答えています。

弁護人:くり小刀を十三本売って、その人のうち一人でも記憶にございますか。
店員:一本も記憶にありません。
弁護人:くり小刀という特殊なものを顔写真の人が買ったということからこの人だというわけじゃないですね。
店員:そういうわけじゃないです。
弁護人:さきほどの写真の二枚目の表側二段目の真ん中、これも袴田なんですが、それは記憶なかった。
店員:そうですね、ちょっとわからなかったです。
弁護人:あなたの店へ来る客の写真を見せれば大体覚えていますか。
店員:覚えておりません。
弁護人:袴田の場合に覚えていたというのは何か特徴があってのことですか。
店員:特徴があったか何かよくわからないですけれども、写真見たら偶然この顔に見覚えがあったんです。

これらの証言からわかるように、店員は確たる根拠もなしに、ただ何となく見覚えがあると言っているに過ぎません。人間の記憶のメカニズムは非常に複雑で、外部からの刺激や自らの思い込みでたやすく変質してしまうことが知られており、証言の信用性を判断する場合には慎重な検討を要します。店員のこれらの曖昧な証言を証拠に、袴田さんがその店でくり小刀を購入したとする認定は杜撰としか言いようがありません。

加えて、警察が7月14日に店員に写真帳を見せたときの捜査報告書には次のような記述があり、当の警察でさえも、袴田さんがその店でくり小刀を買ったことについて確証を得ていなかったことは明らかです。

(店員に写真帳を)閲覧させたところ、別添従業員写真28枚のうち袴田巌の写真1枚を引き抜き、
「この写真の男はどこかで見た覚えのある顔であるが、お店で買物をしてくれたお客さんであるかはっきりしないが、私はお店への往復以外ほとんど外出しないので、若しかするとお店へ来ているかも知れませんが」
と申しており、それが何時頃のことであるかは今日のところ全く不明であり、右袴田にクリ小刀を販売したことについては、判らない状況であります。

この様に、袴田さんが沼津の刃物店でくり小刀を購入したことを裏付ける証拠の証明力は非常に乏しいことがわかります。

そもそも同種のくり小刀は多数流通しており、警察の捜査ではそれらのうちの一部の販売先しか判明していません。また、警察がくり小刀の流通ルートを特定した捜査の経緯にしても、鑑定によって銘柄が判明する前に富士の刃物店に行き同種のくり小刀を購入しているなど不自然な点があります。

上記のとおり証拠の証明力が脆弱である以上、凶器とされたくり小刀がどこで販売されたのか特定することはできません。その流通経路・所有者や現場に残されていた理由についての真相は解明されておらず、現場で発見されたくり小刀を凶器と断定することには依然多くの疑問が残されているのです。


(袴田巖さんの再審を求める会HPより転載)

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