月日裁判の経過巖さんの状況
3月27日・静岡地裁が再審開始・死刑及び拘置の執行停止を決定。
・静岡地検が拘置の執行停止決定に対し東京高裁に抗告。
・東京拘置所から解放。
・秀子さんらと都内ホテルに宿泊。
3月28日・東京高裁第11刑事部(三好幹夫裁判長)が静岡地検の前日の抗告を棄却(検察が特別抗告を見送り確定)。・都内の精神科病院に入院。
・国民健康保険に加入。
3月31日・静岡地検が再審開始決定に対し東京高裁に即時抗告。
4月10日・弁護団が東京高裁第8刑事部の大島隆明裁判長・加藤学裁判官と面談し、即時抗告の早期棄却などを求める意見書を提出。
4月14日・日弁連で行われた再審開始決定報告集会に参加。
4月18日・弁護団がDNA鑑定に関する証拠保全等の申入書を東京高検と静岡地検に提出。
5月12日・弁護団が東京高裁に早急に三者協議を開くよう求める申入書を提出。
5月19日・後楽園ホールで行われた「ボクシングの日」イベントに参加し、リング上でWBC名誉王者ベルトを受領。
5月23日・日比谷野音で行われた狭山事件集会に参加し、石川一雄さんら冤罪被害者と再会。
5月27日・都内の精神科病院を退院。
・新幹線で浜松に帰郷。
・浜松市内の総合病院(精神科)に入院。
6月11日・東京高検が弁護団の4・18申入書に対する意見書と関連証拠を提。同時に黒革財布などに関する意見書も提出し、関連する未提出
証拠18点を任意に開示。
6月25日・弁護団が事件の特異性を概説し袴田さんの無実を訴える意見書を東京高裁に提出。
6月29日・清水集会に参加。
・支援者らと清水市内を散策。
・秀子さん宅に外泊。
6月30日・入院先の病院に戻ることを拒否。
7月1日・帰院拒否が続いたためそのまま退院。
・秀子さんとの同居生活を開始。
・住民票を静岡市から浜松市に異動。
7月17日・東京高検が即時抗告申立理由補充書及び関連証拠を提出。
・地裁審理段階で「存在しない」としていた5点の衣類のカラー写真のネガフィルムが存在していた(再審開始決定後に警察で偶然見つかったと主張)ことが判明。
7月25日・弁護団がDNA鑑定に関する証拠開示申立書を東京高裁に提出。
7月27日・浜北集会に参加予定も外出を拒否。
・自宅で小中学校時代の同級生と再会。
8月5日・弁護団が上記ネガフィルムについて求釈明申立書と証拠開示命令申立書を東京高裁に提出。・東京高裁で第1回三者協議実施。・東京高検が、同ネガフィルムが存在していたことについて弁護団に謝罪。
8月14日・介護認定審査で要介護1に認定。
8月19日・東京高検が弁護団の7・25証拠開示申立書に対する意見書と関連証拠を提出。
8月27日・体調悪化により医師が往診。血糖値を測定するも測定不能。すぐに入院するよう勧められるが外出を拒否。
8月28日・午後11時過ぎ、自宅トイレで倒れ、浜松市内の総合病院に救急搬送・入院。
・肺炎と診断されたほか、心筋梗塞・狭心症などの疑いありと診断。
9月2日・弁護団が同ネガフィルムの提出方法に関して、ネガを切断せずに提出するよう求める申入書を東京高検に提出。
9月5日・CT検査で胆石・胆嚢炎・肝膿瘍が見つかり胆石・胆嚢の摘出及び膿の除去手術を実施。
9月10日・東京高検が同ネガフィルムの発見経緯に関する捜査報告書や同ネガフィルムなどを東京高裁に提出。同時にDNA鑑定・5点の衣類の色・捏造の有無に関する証拠も提出。
9月16日・心臓の血管拡張(ステント留置)手術を実施。
9月17日・同ネガフィルムの謄写方法などについて高裁・高検・弁護団が臨時の協議(第2回)を実施。
9月29日・緊急入院先病院退院
10月8日・外来受診
10月11日・フォーラム90集会(帰郷後初参加の集会)
10月17日・支援者と初の散歩に
10月19日・国民救援会名古屋集会参加
10月23日・第3回三者協議・いのちなきところに正義なし(主催エジディ)
10月24日・東大川人ゼミ
10月25日・いのちなきところに正義なし(主催エジディ)
11月24日・上川法務大臣要請(フォーラム90)/静岡
11月29日・死刑廃止を考える集会(島根県弁護士会)
12月18日・弁護団反論書(DNA及び5点の衣類の色関係)
12月25日・第4回三者協議
12月30日・支援者の親戚で餅つき
1月25日・清水集会不参加
1月30日・検察 取調べ録音テープ24巻開示・映画「袴田事件」プロジェクト始動記者会見
2月8日・静岡県ボランティア協会研究集会/浜松
2月10日・第5回三者協議
3月10日・巖さん79歳の誕生日


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