「袴田事件」における最大の争点は犯行着衣です。確定判決(第1審静岡地裁判決)は、袴田さんが「5点の衣類」を着て犯行に及んだと認定し、これを決定的証拠として死刑判決を言渡しました。

5点の衣類

冤罪の証拠「犯行着衣」

ネズミ色スポーツシャツ

冤罪の証拠「犯行着衣」

白半袖シャツ


冤罪の証拠「犯行着衣」

鉄紺色ズボン

冤罪の証拠「犯行着衣」

白ステテコ


冤罪の証拠「犯行着衣」

緑色ブリーフ

「5点の衣類」は、事件発生から1年2か月後の1967(昭和42)年8月31日に、専務宅から東海道線線路を隔てて南に30メートルほどの場所にあった味噌製造工場(第1工場)の味噌醸造用タンク(1号タンク)の底に残っていた味噌の中から、麻袋に入れられた状態で、味噌の出荷作業をしていた従業員によって発見されたもので、いずれの衣類にもはっきりと血痕が付着していました。
しかし、この「5点の衣類」をめぐってはこれまで数々の不可解な点が指摘されています。

1.「5点の衣類」は犯行着衣なのか?

(1)直接証拠の不存在

「5点の衣類」に関する確定判決の推論

①「5点の衣類」が工場内から発見された。
②殺害行為が存在したことを裏付ける証拠である。(=「5点の衣類」は犯行着衣である)
③「5点の衣類」に含まれる鉄紺色ズボンの共布が袴田さんの実家から発見された。
④鉄紺色ズボンは袴田さんのものである。
⑤「5点の衣類」は一つの麻袋の中に入れられていた。
⑥「5点の衣類」は袴田さんのものである。
⑦袴田さんは犯人である。

冤罪の証拠「犯行着衣」

1号タンクで発見された「5点の衣類」

そもそも確定判決は「5点の衣類」が犯行着衣であるか否かについて十分な検討を行っていません。それらが事件現場の近くから発見されたこと、被害者と同じ血液型の血液がはっきりと付着していたこと、事件直後から1号タンクに新たに味噌が仕込まれる7月20日までの20日間のうちに隠されたと認められることなどからして、それが犯行着衣であることは間違いないとの前提に立ち、「殺害行為の存在」を裏付ける証拠の一つとして「5点の衣類」の存在を挙げているのです。

確かに、現場近くの第1工場から血痕が付着した衣類が発見されれば、事件と何らかの関係がある衣類だと考えるのは当然ですが、それだけで「5点の衣類」が犯行着衣であると断定することはできません。

冤罪の証拠「犯行着衣」

当初犯行着衣とされたパジャマ

警察が1日平均12時間にもおよぶ過酷な取調べを20日間以上にわたって行なった末にようやく取りつけた袴田さんの自白調書では、パジャマを着て犯行に及んだとされており、「5点の衣類」については一言も語られていません。もちろん、犯人が「5点の衣類」を着て専務ら4人を殺害しているところや、その後誰かが7月20日までの間に「5点の衣類」を1号タンクに隠したところを目撃したなどの証言も存在しません。

また、「5点の衣類」に付着していた血液が被害者の血液型と一致したと言っても、被害者の血液型は専務がA型、妻がB型、次女がO型、長男がAB型で4人とも異なるので、どの血液型が検出されても誰かのものと一致するのは当然で、それは単に被害者の血液である可能性があることを示しているに過ぎません。

なお、東京高裁で審理された第1次再審請求即時抗告審では、1998(平成10)年3月、「5点の衣類」の付着血痕についてDNA型鑑定の実施が決定され、科学警察研究所と岡山大学法医学部法医学教室がそれぞれ鑑定を実施しました。しかし、1999(平成11)年9月に出した科警研の鑑定結果、2000(平成12)年7月に出した岡山大学の鑑定結果とも、残念ながら試料の汚染と陳旧化が進んでいたため「鑑定不能」に終わっています。


(2)不自然な血痕付着状況
「5点の衣類」に残されていた血痕の血液型はA型・B型・AB型の3種類で、O型の血液は検出されていません。次女の血液だけが付着していないのです。次女も他の3人と同じように刃物で10か所近く刺されて殺害されているので、犯人はかなりの量の返り血を浴びたはずですが、「5点の衣類」にはどういうわけかO型の血液だけ付着しておらず極めて不自然です。

さらに不可解なのは、緑色ブリーフに付着していたB型の血液が、白ステテコと鉄紺色ズボンから検出されていない点です。言うまでもなく返り血は被害者の血液ですから、最初に外側に着ている衣類に付着し、それが徐々に内側に着ている衣類へと浸透して行くと考えられます。そして普通の人であれば内側からブリーフ・ステテコ・ズボンの順番で着用するでしょう。もし緑色ブリーフに付着していたB型の血液が被害者の返り血であれば、それより外側に着ているステテコとズボンに付着していないはずはありません。袴田さんの血液型もB型ですが、袴田さんには緑色ブリーフの血痕付着位置に対応するような傷はありません。

弁護団はこの矛盾点を指摘しましたが、東京高裁は第1次再審請求即時抗告審の棄却決定で次のような、経験則を無視した常識はずれの認定を行いました。

厳密にいえば,確定判決等は,犯人が犯行時において5点の衣類全部を終始通常の方法で着用していたと断定しているわけではなく,例えば,犯行の途中でズボンを脱いだなどという可能性も否定できないのである。

確定判決はあたかも「5点の衣類」が犯行着衣であることは当然であるかのごとく前提し、袴田さんが犯人であるとの結論を導き出していますが、以上のように、その前提を支える直接証拠はどこにもないのです。

2.「5点の衣類」は袴田さんのものなのか?

確定判決は「5点の衣類」について次のように認定しています。

鉄色ズボンは被告人のものと断定することができ、ブリーフは被告人のものである疑が極めて濃厚である。そして前記の如く、麻袋の中に右五個の衣類が、一緒に脱いだ形でまるめて入れられていたことと合わせて考えると、スポーツシャツ及びステテコ、半袖シャツも、被告人のものであると推認することができる。

つまり、白ステテコ・白半袖シャツ・ネズミ色スポーツシャツの3点は、袴田さんのものである証拠はないが、鉄紺色ズボンや緑色ブリーフと一緒に麻袋に入れられていたから袴田さんのものだ、と言うのです。では、袴田さんのものと断定した鉄紺色ズボンとその疑いが極めて濃厚だとする緑色ブリーフは本当に袴田さんのものなのでしょうか。

(1)はけない鉄紺色ズボン
袴田さんは「5点の衣類」が発見された直後、家族に宛てて手紙を書いています。

事件後1年2か月過ぎた今日、しかも再鑑定を申請したら、こういうものが出てきましたが、これは真犯人が動き出した証拠です。これでますます有利になりました。

また、袴田さんが東京高裁に提出した控訴趣意書には「鉄紺色ズボンは、ウエストを体に合わせて直してあると言う事なので私に穿かせて見て欲しいと思います」と書かれています。犯行着衣とされた「5点の衣類」がもし袴田さん自身のものであったとしたら、自分に不利な結果が出ることが明らかな装着実験を望むはずがありません。

冤罪の証拠「犯行着衣」

東京高裁で行われた装着実験

控訴審では袴田さんが控訴趣意書でも希望していた「5点の衣類」の装着実験が3回(①1971年11月20日②1974年9月26日③1975年12月18日)実施されましたが、いずれの実験でも鉄紺色ズボンは袴田さんには小さすぎてはくことができませんでした。にもかかわらず東京高裁は、ズボンを90℃の高温で乾燥させるなど鉄紺色ズボンが実際には受けていない作用を加えて無理やりズボンを縮ませた鑑定結果を元に、経年乾燥によってズボンが縮んだことや袴田さんが太ったことなどの理由を挙げ、事件当時は十分にはけたと認定したのです。

弁護団は再審請求段階でも繊維の専門家による鑑定書を提出し、ズボンが縮んだという裁判所の認定に合理性はなく、したがって袴田さんが装着実験で鉄紺色ズボンをはけなかったのはもともとのサイズが小さかったためで、ズボンは袴田さんのものではないと主張しましたが、裁判所はこれも認めませんでした。

(2)共布の発見

冤罪の証拠「犯行着衣」

共布発見時の箪笥の引出し

上記のとおり、確定判決は鉄紺色ズボンについて、袴田さんのものと断定できると認定しています。控訴審での3回の装着実験でそれが袴田さんには小さすぎてはけないことを認識していながら、その認定を東京高裁が維持したのは、「5点の衣類」発見から12日後の1967(昭和42)年9月12日に、鉄紺色ズボンの共布(裾上げしたときに裁断された布切れ)が袴田さんの実家の箪笥の引出しから発見されているためです。

たとえ鉄紺色ズボンが袴田さんにはけたとしても、それが袴田さんのものと断定することはできません。なぜなら世の中には袴田さんにはけるサイズのズボンなど数えきれないほど存在するからです。鉄紺色ズボンには、それが袴田さんのものであることを示す特徴は何もありませんし、販売店の従業員が袴田さんに売ったとの証言もありません。この共布こそ鉄紺色ズボンと袴田さんを結び付け、それを前提に「5点の衣類」が袴田さんのものであるとの認定を導いた唯一最大の証拠、言い換えれば、袴田さんに死刑判決を言渡した最大の証拠と言っても過言ではありません。
しかし、この共布の発見経過は非常に不可解で、警察による証拠の捏造の疑いが濃厚であり、本当に袴田さんの実家にあったものなのか、にわかに信用することはできません。もし、この共布に証拠価値がないのであれば、鉄紺色ズボンが袴田さんのものであることを裏付ける直接証拠は存在しないことになります。

(3)2枚の緑色ブリーフ
袴田さんが事件前から緑色のブリーフを1枚持っていたことは袴田さん自身も認めていますし、会社の同僚も袴田さんが緑色のブリーフをはいているところを見たことがあると証言しています。では、「5点の衣類」の緑色ブリーフが、袴田さんが事件前からはいていた緑色ブリーフなのでしょうか。

実は「5点の衣類」が発見されたあと、袴田さんがもともと持っていた緑色ブリーフは袴田さんのお兄さんの家で保管されていることがわかりました。袴田さんが逮捕されたあと、従業員寮に残されていた袴田さんの私物は、会社の同僚によって袴田さんの実家にほとんど送り返されており、そのうちのいくつかの衣類は、袴田さんの家族が拘置所にいる袴田さんに差し入れていました。

冤罪の証拠「犯行着衣」

袴田さんの家族が保管していた緑色ブリーフ

緑色ブリーフについても袴田さんのお兄さんが差し入れようとしたのですが、当時の弁護人が色の付いたブリーフの差し入れに賛成しなかったため、結局差し入れずに持ち帰り、自分の家に保管していたのです。弁護団はもちろんこの緑色ブリーフを証拠として提出しましたが、裁判所は袴田さんの家族が袴田さんをかばうために嘘をついていると解してこの緑色ブリーフの証拠価値を全く認めませんでした。

控訴審では、袴田さんのお兄さんに助言した弁護人が当時のいきさつを公判で証言するべく自らを証人として取り調べるよう申請を行いましたが、裁判所はこれを認めず、確定判決の認定を追認しています。

以上のように、確定判決が袴田さんのものであると断定した鉄紺色ズボンと、その疑いが極めて濃厚であると認定した緑色ブリーフについても、裁判所の判断には重大な疑問が多々残されています。これら2点の衣類が袴田さんのものであることに疑義が生じるのであれば、それらと一緒の麻袋に入れられていたからと言って、他の3点の衣類が袴田さんのものであると推測することはできなくなり、結局「5点の衣類」が袴田さんのものであることは立証されていないということになります。


(袴田巖さんの再審を求める会HPより転載)

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