捜査と裁判の経過

月日経過裁判所で認定されたことなど
1966年
(S41年)
6月30日事件発生。
静岡県旧清水市の味噌製造会社専務宅が放火され全焼。
焼跡から専務と妻・次女・長男の他殺体を発見。
会社の売上金約8万円が奪われたとされる。
犯行時間は午前1時20分から40分まで
この間で侵入、金品物色、4名殺害、脱出、放火のために再侵入、放火後、再脱出 したと裁判所は認定
7月1日現場検証刃物の鞘、発見報道
7月2日現場検証雨合羽、発見報道
7月4日現場検証
静岡県警が事件現場近くの味噌製造工場と従業員寮を家宅捜索。
クリ小刀、発見報道
7月4日住込み従業員だった元・プロボクサーの袴田巖さんの部屋から、微量の血液が付着したパジャマを押収し、深夜まで事情聴取。当日の夕刊には「血染めのパジャマ発見」と報道。袴田さんを重要参考人として、事情聴取。
7月12日富士急行バス国鉄吉原駅雪のバス内で、現金8万円余の入った財布と見舞い礼状の拾得届出。7月26日になり、ようやく報道
8月18日静岡県警が強盗殺人・放火・窃盗容疑で袴田さんを逮捕(袴田さん、罪状否認)。血痕と油が決め手(パジャマに付着)
8月22日袴田さんの元同僚の松下さんの自宅、家宅捜索。
8月27日袴田さん、ポリグラフ・テスト嘘発見器に反応。警察当局「自白間近」と確信
9月6日勾留期限3日前に袴田さんが犯行を「自白」。袴田さん、「パジャマきて犯行」
9月9日静岡地検が住居侵入・強盗殺人・放火罪で起訴。この日の検察官の調書のみが任意性があるとして証拠採用、他の44通は証拠から排除
9月12日清水郵便局内で「イワオ」と書かれたお札などが入った差出人不明清水警察署宛封筒を郵便局員が発見。
9月24日松下文子さん、盗品保管の容疑で再逮捕。
11月15日静岡地裁の第1回公判で袴田さんが犯行を全面否認。
1967年
(S42年)
8月31日味噌製造会社従業員が工場内味噌タンクから、血染めの「5点の衣類」を発見。ズボン後ろポケットには放火を示唆するマッチ、けがの治療を示唆する絆創膏が入っていた。
9月12日静岡県警が袴田さんの実家を家宅捜索し、「5点の衣類」の一つである鉄紺色ズボンの共布を「発見」・押収。押収目的物は手袋とバンド、しかし新品の共布を「これこそがみそ漬けズボンの共布だとして押収。
9月13日急遽開かれた公判で、検察官は冒頭陳述の犯行着衣をパジャマから5点の衣類に変更。この公判は、9月11日に検察側が裁判所に開催を申し入れ、急遽決まったもの。
袴田さんは、手紙の中で「真犯人が動き出した」と、衣類の出現を喜んでいる。
1968年
(S43年)
9月11日静岡地裁が死刑判決。
東京高裁に控訴。
裁判所は判決の中で、犯行着衣は5点の衣類、その後その衣類をパジャマに着替え、パジャマで放火をしたと認定。
11月17日袴田とも(母)死去。
1969年
(S44年)
4月11日袴田庄市(父)死去。
5月29日控訴審第1回公判開廷。
1971年
(S46年)
11月20日「5点の衣類」の装着実験が実施され、袴田さんには鉄紺色ズボンがはけないことが判明。
1976年
(S51年)
5月18日東京高裁が控訴棄却(死刑判決)。
5月19日最高裁に上告。
1980年
(S55年)
11月19日最高裁が上告棄却。
11月28日最高裁に判決訂正申立。
12月12日最高裁が判決訂正申立棄却決定送達。 死刑判決確定。
1981年
(S56年)
4月20日静岡地裁に再審請求(第1次)。
1992年
(H4年)
2月28日東京地裁に、人身保護申立て。
1994年
(H6年)
8月8日静岡地裁が再審請求棄却。
8月12日東京高裁に即時抗告。
2001年
(H13年)
「5点の衣類」のDNA型鑑定で「鑑定不能」。
2004年
(H16年)
8月26日東京高裁が即時抗告棄却。
9月1日最高裁に特別抗告(第二小法廷)。
2007年
(H19年)
2月一審静岡地裁の主任の元裁判官熊本典道さんが、評議の内容を告白。自分は、「無罪を確信した」。
2008年
(H20年)
3月24日最高裁が特別抗告棄却(第1次)。
4月25日静岡地裁に再審請求(第2次)。
2009年
(H21年)
7月24日静岡地裁で第1回三者協議開催。
12月14日静岡地裁で第2回三者協議開催。
2010年
(H22年)
4月20日「袴田巌死刑囚救援議員連盟」設立総会の開催。
5月28日静岡地裁で第3回三者協議開催。


» 「お問い合わせ」はこちら