こがね味噌強盗殺人事件

事件は、1966年6月30日に静岡県清水市(現静岡市清水区)で発生した殺人・放火事件です。こがね味噌という味噌製造会社の専務、橋本藤雄さんの一家四人が殺され、さらに放火されるという惨劇でした。
現場は、東海道線清水駅から興津駅の中間地点、清水駅から約3キロ。昔ながらの家並みが続いているところ。橋本さん宅は、両隣とはわずか30センチくらいの隙間で、ほとんど接していました。隣りの土間の下駄ばきの足音がよく聞こえるほどです。隣りの小川さんは、その夜午前1時35分から40分の間、小用をしようと起きた時、材木の倒れるような音、ドシン、ガラガラという音を聞いています。それ以外は、その夜、両隣の住人は悲鳴や犯行時の物音を聞いていないのです。不思議なことです。

30日はこがね味噌の給料支給日で、橋本家にはおよそ300万円余りの現金や預金通帳がありました。その大金は手つかずに残され、実際に盗まれたとみられるのはたった8万円でした。これも謎です。

小川さんとは反対側の隣家に住む杉山さんは、1時47分から50分頃、二回の布団部屋の窓から煙が侵入してきたのを発見、火事を直感して外に出ました。消防団のサイレンが鳴りだし、近所の農家市川さんが清水警察署に通報したのが2時10分頃、鎮火したのが、2時半頃でした。

焼け跡からは焼け焦げた死体が4体発見されました。死体解剖から凶悪な殺人・放火事件と断定されたのです。主人の藤雄さん(41才)には計15か所の刺し傷、切り傷、全身に火傷、死因は失血によるものと推定されました。妻のちえ子さん(38才)は背中などに6か所の刺し傷、切り傷、死因は出血と火傷。次女の扶示子さん(17歳)は9カ所の刺し傷と全身の火傷、死因は心臓刺し傷による出血と一酸化炭素中毒。長男の雅一郎さん(14才)は11カ所の傷と全身火傷、死因は胸部を刺された傷からの出血でした。また、現場には、強いガソリン臭が残っていて、目をそむけたくなるほどのむごたらしい事件だったのです。
両隣の人達にも気づかれることなく、一度に家族四人を残虐な方法で殺傷し、さらには証拠を残さないようにしたためか放火。短時間にこれだけのことを手際よくやってのけたのです。犯人は単独ではなく複数、しかも修羅場になれた殺しのプロ集団の犯行としか思えません。怨恨、見せしめなどの動機が想定される事件でした。

袴田事件

事件後、当初は警察は「単独犯か複数犯か」「内部の犯行か外部の犯行か」「物取りか怨恨か」、皆目見当がつきませんでした。犯人を捜しあぐね、ついに従業員の袴田巖さんに白羽の矢を立てたのです。従業員は全員が地元の出身で袴田さんは浜松から来たよそ者。そして、袴田さんは元プロボクサーだったことで、「ボクサー崩れ」と蔑視、不良扱いされたのでした。「ムラ社会の差別意識」そのものです。白羽(生贄)の矢が袴田さんに立てられました。静岡県警察は、「袴田さんが犯人である」と信じろ、その信念を持てとの号令一下、袴田さんを犯人に仕立て上げるための無茶苦茶な捜査を始めたのです。まるで前近代のドラマで、黄門さまを呼んでこなくてはならないような事件です。信じ難いことですが、事実です。

犯人探しは、犯人と思しき人に対して「真犯人かもしれないが、そうでない場合もありうる」という両方の視点から調べるのが当たり前。最初から犯人と決めつけてそのための証拠や証言を求めてまわるだけだと、偏見と独善が暴走するのが常です。その結果、無実の人に濡れ衣を着せて罪に陥れるばかりか、真犯人を取り逃がしてしまうという取り返しのつかない失態を招くのです。

静岡地検は、強盗殺人・放火事件の犯人として袴田さんを起訴。犯人とされた袴田巖さんは、警察の拷問に近い脅迫的な自白の強要(取り調べといわれています)によって犯行を認める自白をさせられましたものの、公判廷では無実を訴えてきました。
裁判では1968年9月11日静岡地裁が死刑判決を出しました。1976年5月18日 東京高裁が控訴を棄却。1980年12月12日、最高裁判所で死刑が確定しました。
死刑確定後も袴田さんは冤罪を訴えて、再審請求を繰り返してきました。ついに2014年3月27日、静岡地裁において死刑及び拘置の即日執行停止並びに裁判の再審を命じる歴史的決定が出されたのです。しかし、検察側は再審決定の棄却を求めて即時抗告、東京高裁で審理中。3年以上の年月がさらに経過。事件発生から半世紀を費やしても、未だに解決していない事件です

 

二つの事件

この事件は、本来であれば「こがね味噌強盗殺人・放火事件」という名称になります。が、「袴田事件」と言うのは、それとは別の冤罪事件のこと。実は、事件は二つあるのです。ひとつは、凄惨極まりないこがね味噌強盗殺人・放火事件です。被害者は、橋本さん一家の四人。これは捜査当局の失策で真犯人を取り逃がし、未解決のままもう時効です。

もう一つの事件が袴田事件。これは捜査機関の過失、過誤などというものではなく、権力の乱用であり国家権力が暴走した末の国家の犯罪です。警察、検察が罪なき市民を犯人に仕立て上げ罪を負わせるために、拷問による自白の強要、証拠の偽造や隠ぺいを平然と押し通した。公務員による重大な人権侵害です。被害者は、袴田巖さん。事件はまだ続いています。裁判所によって再審無罪の決定が出され、袴田巖さんの名誉が回復され、国家による賠償が実行されるまで続きます。それでも、袴田巖さんに刻まれた傷跡を消すことはできないのですが。