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袴田巖さんに再審無罪を!

新着情報 (page 1 of 11)

10/21 津田静岡県警察本部長が巖さんに直接謝罪

10/21 津田静岡県警察本部長が袴田家を訪れ、巖さん、ひで子さんにに直接謝罪。

「申し訳ありませんでした」と、深々と頭を下げた。

 

10/4弁護団、新証拠について会見

光の定量分析から、5点の衣類のねつ造を証明

事件の最重要争点の一つ。【5点の衣類の血痕の色】。長期間みそ漬けの血痕が「赤みを失って黒くなる」ことは、すでに科学的に説明されました。それでも「赤みが残る可能性がある」として検察官は有罪立証を行いましたが、その不合理は明らか。静岡地裁は、はっきりと「警察・検察によるねつ造」と断定しました。 しかし、検察官が控訴する可能性がなくなったわけではありません。弁護団は準備済みの「新鑑定」を公表しました。「5点の衣類」の開示写真のネガを専門家が解析し、その「色」の真相を突き止めます。

7/6 外国特派員協会での記者会見

7月6日 袴田ひで子さんと小川秀世弁護士が、東京・外国特派員協会での記者会見に臨みました。

第79回袴田事件がわかる会 宮本弘典教授講演

法学者が見る袴田事件の再審公判・・・検察の有罪立証は違法

6月15日、関東学院大学法学部教授の宮本弘典氏の講演

5/22、再審公判は結審。弁護団記者会見

5/22、再審公判は結審。弁護団記者会見

判決は、9月26日に決定

4/20 第77回袴田事件がわかる会 村山浩昭氏が講演

巖さんの再審開始と監獄からの解放を決定した当時の裁判長、村山浩昭氏が登壇

2024年4月20日・浜松復興記念館での第77回袴田事件がわかる会。

■袴田ひで子さんの挨拶

■村山浩昭弁護士(元静岡地裁裁判長)の講演

■水野智幸弁護士(元裁判官、袴田弁護団)の報告

■村山浩昭・水野智幸両氏による対談

 

4/17 第13回再審公判後の弁護団記者会見

再審開始の切り札・DNA型鑑定ーーホンダ鑑定は正しい

再審公判も終盤の第13回。テーマは「DNA型鑑定」。2014年3月27日に静岡地裁が再審開始を決定した重要な証拠が、本田克也筑波大学教授による鑑定結果です。これは2018年東京高裁で否定されましたが最高裁で復活、弁護団は再審公判でもう一度その正当性妥当性を主張しました。そのエッセンスを、弁護団の伊豆田悦義弁護士が語ります。法廷を見聞した袴田ひで子さんは「伊豆田先生の勝ち!」と断じました。

3/25,26,27日の証人尋問後の弁護団記者会見(3/27)

3/27証人尋問後の弁護団記者会見

「袴田裁判」再審公判の第10回から12回。後半戦のヤマ場の証人尋問が行われました。弁護側証人は3名。清水恵子教授、奥田勝博助教(共に旭川医大法医学講座)、石森浩一郎教授(北海道大学副学長・理学部)。検察側証人は2名。池田典昭九州大学名誉教授と神田芳郎久留米大学教授。証人尋問の最後には【対質尋問】が行われ、5名の法医学者が並んで登壇して裁判官からの質問に応えました。
弁護側証人は「1年以上味噌に漬かった血痕に赤みが残ることはない」として、「5点の衣類」がねつ造証拠であることを主張しました。一方の検察側は、池田証人が「長期間味噌漬けになった血痕に赤みが残らない、などというのは常識」と、まるで弁護側証人のような発言をして、法廷をざわつかせました。続く神田(こうだ)証人は「赤みが残る可能性を否定はできない」と主張しました。
法廷で何が起こり、交わされたのか。弁護団の会見をご覧ください。

 

 

3月10日巖さん88才、2月8日ひで子さん91才、楽しく誕生会

3月10日巖さん88才の誕生会

2月8日ひで子さん91才の誕生会

フランス人記者の目で見た日本の刑事司法

2/17第75回袴田事件がわかる会での講演

西村カリン (Karyn NISHIMURA)さん
フランスの公共ラジオグループ「ラジオ・フランス」及び日刊「リベラシオン」紙特派員。1970 年フランス生まれ、1997 年に来日。2004年末から 2020 年まで AFP 通信東京特派員。

袴田再審を傍聴するフランス人特派員は、何を語ったか?

① 袴田再審に見られる日本の裁判の異常性、 フランスの裁判とは大違い

 あらかじめシナリオができていて、その通りに進められること。意外性は全くない。しかも、あらかじめ用意された原稿を棒読み、熱が感じられない。裁判官は検察官や弁護士の弁論や証拠提示に対して、一言も質問をしないし証拠の実物が提示されても近寄って見ようともしない。

② フランスでは死刑制度は廃止されている。

1970年代、21歳の被告が死刑宣告後数週間で執行されたが、その後ジャーナリストが独自に捜査して無罪を証明したラヌチ事件が全土を揺さぶり、それを契機に死刑制度の問題が浮かび上がった。1981年の大統領選挙で、ミッテラン候補が死刑制度の廃止を公約に掲げて立候補。当選を果たす。その4か月後、国民の6割は死刑存続支持だったにも拘らず、死刑を廃止する法律が成立した。

ミッテラン大統領が指名した法務大臣、ロベール・バタンデール氏は弁護士。自分が弁護した被告がえん罪なのに死刑執行されたことが始まりで死刑廃止を訴えていた。バタンデール法務大臣は国会で演説し、死刑制度の残虐性を訴えて両院の議員を説得、死刑制度廃止にこぎ着けた。

筆者は強く思う。日本でも、死刑えん罪事件(袴田事件や死刑が執行されてしまった飯塚事件、戦後の再審無罪となった死刑えん罪事件)が注目され、死刑制度廃止の流れが作られなければならないと。イギリスでも死刑えん罪事件がきっかけで死刑制度廃止に行きついた。日本も英仏に続け!

また、筆者も傍聴して、裁判が決まりきったお役所仕事のように流されていく実態を見て、日本の裁判に絶望する。これでいいのか?

カリンさんの講演、映像をご覧ください。

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