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袴田巖さんに再審無罪を!

Author: free-iwao (page 1 of 8)

7月18日(土)第33回袴田事件がわかる会

第33回袴田事件がわかる会

日時:2020年7月18日(土) 午後1時半~4時
会場:浜松復興記念館 (浜松市中区利町304-2 五社神社東)
ゲスト:袴田ひで子さん

マンガ『デコちゃんが行く 袴田ひで子物語』がヒットして、さらに人気者になりました。

「勝つまで闘う。絶対勝てる。だって、巖は無実なんですから。私は、巖が獄中でできなかったこと、好物を食べさせ、行きたいところに行かせ、好きなように自由にさせる。巖との毎日を大切に、明るく生きていく。」釈放されて6年になる巖さんの近況やひで子さんの心境を語ってくれます。

ゲスト:小川秀世弁護士 (袴田事件弁護団事務局長)

日弁連が設置した袴田事件弁護団の中心で活躍するリーダー。「はっきり言って、袴田さんとこの強盗殺人・放火事件とを結びつける証拠は何一つありません」。武器は明快な論理と刑事弁護人としての責任感と誇りです。静岡の刑事弁護人なら、この人。

 

主催:袴田さん支援クラブ

 

あの袴田さんは、どうしていらっしゃるだろうか?

2014年3月27日、日本中を駆け巡った衝撃的なニュース、殺人犯、死刑囚として拘留されていたが、あれは間違いだった「蓋然性が高い」と突然釈放されて48年ぶりに姿を現した袴田巖さん、その横には紅潮した姉の秀子さん。

袴田巖さんは、浜松の街を毎日7時間前後歩き続けています。

袴田さんは、雨の日も台風の日も、炎暑の日も凍てつく日も、ひたすら歩き、足を止めては一点を見つめ静かに一心に何か小声で呟かれていますが、その姿は修行僧のようです。自由を獲得しての気楽で楽しい散歩とはほど遠い、痛々しいまでの姿がそこにはあります。

袴田さんは二つの世界の中で生きています。現実世界と袴田さん独自の精神世界と。

現実世界では、袴田さんは実に真っ当で模範とさえなる紳士です。街の中で目に付いたゴミを拾うこともあり、礼儀正しく、止まってくれた車など他人の好意には片手を挙げたり帽子をとって感謝の意を表し、工事現場の人や店の人にも進んで挨拶をし、私たち支援者にも礼やねぎらいの言葉をかけたりします。

他方、独自の世界にいる袴田さんは、家の中では自室の定位置に坐りじっと深い思慮に沈んでいるようであり、時に誰かと会話しているようでもあります。

袴田さんの「呟き」または「唱える」は、声が小さく聞き取れないのですが、近くで耳を澄ますと、「正義」「世界平和のため」「かわいそう」などの言葉をかすかに捉えることができたこともありました。それが終わると、空に向かって両手に親指と人差し指で丸を作ったものをかざし、それからVサインをかざし、それが終わると少しほっとした表情で、少し休んでまたひたすら歩くということを繰り返しています.

ご承知のように、「袴田事件」は歴史に残る冤罪事件です。日本国内に止まらず、世界的にも関心が高く、袴田家には諸外国メディアからの取材人もやってきます。事件や裁判に関しては本もたくさん出ているし、報道もされています。しかし、袴田巖さんご本人についての関心は薄く、「拘禁症を患う」と一言で片づけられているのが現状です。

「私のもろもろの闘いは今弱者の生を代表するものである」(獄中書簡集より)。獄中で呻吟しつつも断言した格調高い意気込みは、30年を経た現在、再審無罪の獲得という自らの個人的問題を超越。人々の幸福を希って、さながら修行僧のように浜松の街を歩き回る巖さんの姿に貫かれているのです。真犯人なら、社会正義などには感心があろうはずがありません。今もって不正義と闘い続ける「最高権力者になった袴田巖」。このことは巖さんが無実であること、袴田事件は冤罪だということを如実に物語っているものです。

今でも巌さんの闘いは続いているのです。

6月20日、第32回袴田事件がわかる会

お出かけください 初めての方もお気軽に

6月20日、第32回袴田事件がわかる会

日時 : 6月20(土)  1304:00

会場 : 浜松復興記念館  (浜松市中区利町304-2)

ゲスト  袴田ひで子さん   (袴田巖さんの姉)

マンガ『デコちゃんが行く 袴田ひで子物語』がヒットして、さらに人気になりました。「勝つまで闘う。絶対勝てる。だって、巖は無実なんですから。私は、巖が獄中でできなかったこと、好物を食べさせ、行きたいところに行かせ、好きなように自由にさせる。巖との毎日を大切に、明るく生きていく。」釈放されて6年になる巖さんの近況やひで子さんの心境を語ってくれます。

渥美邦夫さん  (浜松 袴田さんを救う市民の会 共同代表 / 元静岡大学教授)

袴田巖さんの兄茂治さんなどとともに、浜松・浜北に巖さんを支援する会を立ち上げたのが、当時静岡 大学教員の渥美さんです。巖さんとは小学校の同級生でした。

第二次再審で出された検察の味噌漬け実験報告について詳細に検討。ご自分の経験と知見から検察の言い分を裁きます。

主催 : 袴田さん支援クラブ 

 HP  http//www.free-iwao.com    Email: info@free-iwao.com      ☎   090-2342-2309

人として許されない  袴田事件

無実の人を死刑囚にし、48年間も拘置所の独房に閉じ込めていました。こんなこと、人として許されると思いますか

 旧清水市での強盗殺人放火事件発生(1966年6月30日)から49日目、袴田さんが逮捕された(8月18日)のは青天のへきれきでした。濡れ衣を着せられたまま裁判にかけられて何と死刑判決が確定(1980年12月12日)。ここまで14年が経過しました。そして、判決を不当として、袴田さんと弁護団は裁判のやり直し(再審)を静岡地裁に請求(1981年4が20日)。それから静岡地裁の再審開始決定と袴田さんの解放(2014年3月27日)まで、さらに34年が費やされたのです。ようやくえん罪が晴らされるかに見えたのでしたが、検察が高裁へと異議申し立て、高裁の決定では身柄の解放を維持したものの再審開始決定を棄却(2018年6月11日)。弁護団が最高裁へと特別抗告(6月18日)。現在最高裁で審理中です。釈放されてから6年の月日が流れました。

事件発生から54が過ぎ、そのうち袴田さんは48年間の監獄生活を強いられました。今は、仮にですが釈放され無罪扱いされています。ご存知のように浜松で姉のひで子さんと平穏な生活を送っています。

裁判所の判断は、再審開始するという決定実質的に無罪、認めない決定(実質的には有罪が、両立しまた対立しているのです。本来、現在の日本国憲法や法律では、そういう場合「被告人の利益に」沿う結論を出すと決まっています。つまり、再審の入り口でグズグズしていますが、再審公判(やり直し裁判)を開き、そこで有罪無罪を公平に争えばよいのです。

ところが、検察は無謬神話(検察は絶対に正しい、間違いを犯さないという思い込み)と権威にしがみついて必死、裁判所も検察に頭が上がらないことが多い。今回審理を担当している最高裁第3小法廷は、請求人や弁護団の意見をちゃんと聞いてくれるでしょうか。その点が疑問です。ですから、法律上の問題としては凍り付いたまま解決できないかのような情勢に見えてしまいます。

その反面、高裁決定は再審を否定しながら袴田さんを再収監することはなかった。検察も、静岡地裁の「解放決定」にはしつこく異議申し立てをしたものの、今回は釈放維持の決定に異議申し立てをせずに素通りさせたのでした。これらの事実が物語っているのは、法的な処置というよりモラルの問題に思えます。つまり、無実を主張し続ける袴田さんを死刑囚としたことや半世紀もの監禁はやり過ぎ、これ以上苦しめるのは人道に反するのではないか。これ以上責め続けることに、負い目を抱えているのではないでしょうか。

静岡地裁の「有罪を示す証拠はねつ造された疑いがある」「これ以上拘置を続けることは耐え難いほど正義に反する」という一喝は、袴田さんの「犯罪者」というレッテルを剥がしてしまいました。そして解放されてからもう6年間も一市民として平和に生活してきている事実は、市民から「袴田さんは無罪になって町に戻ってきた仲間」として迎えられているのです。

最高裁は、ある意味で困っていると思われます。今や事件は法律の問題であるばかりか、人道上の問題として浮かび上がっているからです。これまで袴田さんを苦しめてきたことに加えて、これ以上ひどいことをするなんて、国民は誰も許さないからです。

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有罪証拠の柱・『5点の衣類』は、ねつ造

有罪証拠の柱・『5点の衣類』は、ねつ造

袴田事件最大の争点『5点の衣類』とは?

『5点の衣類』とは、事件から1年2か月後に発見された5点の衣類の事です。 それはズボン、スポーツシャツ、ステテコ、半袖シャツ、ブリーフの5点で、事件のあった 味噌会社の専務宅から線路を隔てた味噌工場の深いタンクの底から麻袋に包まれた姿で発見されました。

ステテコ

鉄紺色ズボン

半袖シャツ

スポーツシャツ

緑色パンツ

 

 

 

 

 

 

公判開始から1年が過ぎ、パジャマ以外物証がなく検察の立証は完全に行き詰っていた時のハップニングでした。起訴状にはない重要証拠が突然出現しました。検察はすぐさま訴因を変更、起訴状や「自白調書」に反する主張に乗り換えたのです。

拘置所にいた袴田さんは、これを「真犯人が動き出した証拠で、ますます有利になりました」と、大喜びで母親に手紙を書いています。無実の被告人としては、『5点の衣類』がまさか自分に着せられる濡れ衣だとは思いもよらなかったことでしょう。

弁護団は異例の展開に十分反論できないまま、68年9月『5点の衣類』を最大の決め手に死刑判決が下されました。確定控訴審(東京高裁)の審理においても、5点の衣類を中心的な証拠として死刑判決が維持されました。以降、『5点の衣類』が犯行着衣でしかも袴田さんのものなのか、この点が裁判の主要な争点となってきたのです。

誰もが事件との関連を容易に想像できる場所にあえて隠す理由は何だったのか?発見の経緯が謎だらけで、袴田さんと結び付けるために様々な細工も施されていました。同僚の会社員なら袴田さんをすぐに連想できるステテコと緑色ブリーフ。そしてズボン、スポーツシャツ、半そでシャツには袴田さんの「自供に合わせる」かのように損傷が作られていたのです。しかも5点の衣類にはすぐそれと分かる大量の血が付着しており、警察は衣類発見からすぐに『5点の衣類』を犯行着衣と決めつけ、異例のスピードで審理が進められました。

いつ、誰が、何故、深さ1,67mもの巨大な味噌タンクの底に隠したのか?謎は深まるばかりですが、見方を変えて誰かが袴田さんを犯人にするために仕組んだ罠だとすれば謎が解けるのです.

マッチと絆創膏

はこの時、味噌タンクから発見されたのは『5点』だけではなかったのです。

衣類の損傷は常識では考えられないほどずさんな物でしたが、注目すべきは味噌タンクから見つかったのは5点の衣類だけではなく、ズボンの左後ポケットに「こがね味噌」の名入りマッチと絆創膏が入っていたことです。袴田さんは消火作業中に左中指に深い切り傷を負っていて、警察はもちろんそのことを知っています。会社名入りのマッチも犯人がこがね味噌会社の関係者であることを暗示する見えすいた小細工です。犯人を特定する証拠を残すこと自体、隠すという行為とは相反しています。しかも、袴田さんが負傷したのは左中指なので絆創膏は右手に持って治療します。治療が終わり、右手でポケットにしまうなら常識的には右後のポケットです。警察はそこまで頭が回らなかったのでしょう。不自然というより全てがありえない事です。

 

謎だらけの『5点の衣類』

【発見の経緯】

事件発生から1年2ケ月後の1967年8月31日午後4時過ぎ、『こがね味噌』工場内にある『一号タンク』から赤味噌の搬出作業をしていた従業員が異物の混入に気づき、掘り出してみると南京袋でした。「袋の口は縛ってなくて、中に手を突っ込むと衣服が入っていた。つかんで取り出したらこれが血に染まっていた」「素人が見ても血だと分かりました」第17回公判(1967/9/13)での従業員Mの証言

味噌タンクは縦横約2mのほぼ正方形、深さ167cmで地上部分は91cmあり、南京袋はタンクの底の底、縁から165cmの所で見つかった。この時点で1年前に仕込まれた8トンの味噌は大方出荷されていて、事件直後とほぼ同量の味噌が入っていたところでした。しかし、味噌工場は事件直後に警察の捜査が入り厳重に調べられていたところでした。見落とすことなど考えられない捜査があった場所

誰が、いつ、隠したのか?

一審の静岡地裁の判決では「味噌タンクに隠した状況、日時は全く根拠がない」としたのが東京高裁では「7月20日以前、それ以降は不可能」と変わり何の根拠も示さず断定し、犯行着衣であるとされてしまいました。弁護団もこの時点ではまさか警察がねつ造するとは考えられなかったのです。

味噌タンク(発見場所)

 

 

 

 

 

 

 

【衣類の疑問】

―ありえない服装と不自然な衣類の損傷からずさんなねつ造が見えてくる―

 

事件当日は台風一過の熱帯夜(新聞発表によるとこの日の旧清水市の気温は28℃,湿度80%)。84歳の今、いつも扇子を手放さない無類の汗かきの袴田さんが、緑色パンツの上にステテコをはき、さらに秋冬物の純毛製の厚いズボンをはいて、上にはメリヤス製の半袖シャツにアクリル製の長袖のスポーツシャツという服装で、4人を相手に大立ち回りをしたことになります。「自供」によれば、さらにこの上に厚手のゴム雨合羽を着て、ゴムサンダルを履いて、専務宅へ侵入するため、木によじ登ったというのです。

これはもう笑い話です。真冬の街歩きにも扇子を手放さず、汗びっしょりになる袴田さんの今が無実を証明しています。ステテコは男性にとって夏の部屋着の様なもので、普通ズボンの下にパンツと一緒にはくことはまずありえません。汗かきの袴田さんならなおさらです。

また、着る必要のない雨合羽と血が全く付着してないゴムサンダルについては、袴田さんの無罪の証拠だから検察は触れなくなりました。

【犯行着衣らしく見せること】

5点の衣類が犯行着衣であるかどうかと袴田さんの物であるかということは本来別の問題なのですが、警察にとってねつ造の目的は、5点の衣類が犯行着衣であるかのように見せることであり、さらに5点の衣類が袴田さんの物だと立証することでした。

そのために袴田さんを連想させる緑色パンツとステテコは必要不可欠で、シャツとズボンには自供に添った損傷があることが重要だったのです。袴田さんの犯行というシナリオ自体が空想の産物である限り、想像だけで完壁にねつ造するのは不可能で、付着した血が上着より下着の方が多いとか、右肩の傷とシャツの損傷の位置も数も不一致なこと、すねの傷とズボンの損傷の鍵型の向きが逆だったこと等々、全て杜撰(ずさん)です。

第一次再審での静岡大学沢渡教授の鑑定では身体の傷と衣服の損傷、血痕の位置には法則があり、半袖シャツはその法則に反している。半袖シャツとスポーツシャツがねつ造されたもので、別々に傷が付けられたとすればこのような食い違いが生じたことは理解できると証言しています。

事後のねつ造ですから、シャツとズボンの損傷が袴田さんの生身の傷の位置と厳密に合致させることは不可能。おそらく、犯行着衣らしく見せれば、後は裁判所が上手に言い繕ってくれるだろうとの期待があったでしょうし、裁判はその思惑通りに進んできました。第二次再審の静岡地裁決定で、ウソが見破られるまでは。

 

【なぜ5点なのか】  ―ねつ造の意図が透けて見える―

ふつう犯人が犯行着衣を処分する時、確実に発見されそうな場所に、殺人の決定的証拠を隠すだろうか。発見させるためなら理解できる。工場のすぐ外は海岸線が続いており、スコップと麻袋を抱え、ハシゴで深い味噌タンクの底に降りて行く危険よりも、海に投棄する方がはるかに安全だ。また、味噌タンクのそばのボイラー室で、あるいは放火したときに一緒にしてすべて焼却すれば簡単に始末できます。

しかも、残虐な強盗殺人放火事件の関係証拠が、なぜ5点だけなのかという疑問も当然湧いてきます。それはねつ造する側の事情によって『5点』が《必要十分》だったと考えるのが自然です。袴田さんのものと思わせるためならブリーフとステテコだけで《十分》だったのに、犯行着衣に見せるためには、自供に沿うような傷が付き、血染めになった半袖シャツ、スポーツシャツ、ズボンが《必要》だったのです。

重大なことに、ここに袴田さんのものであるパジャマとゴムサンダル(犯行時に身に着けていたとされた証拠物件)が入っていない。別に見つけている。特にパジャマは決定的な証拠として扱われていました。そのことは、5点の衣類は事件と関係がないことを示唆しています。もし、真犯人が犯行着衣を隠すならば、最初に犯行着衣とされたパジャマやベルト、手拭い、ゴムサンダルなど事件現場で血がついて発見されたとされたもの全てを一緒に処分するでしょう。血染めの衣類とこれらの付属物も証拠価値としては同等で、処分し忘れることは真犯人にとって致命的なミスにつながります。静岡県警が知恵を絞って考え、選別した結果が『5点』だったのです。5点の衣類は袴田さんの物かどうか疑わしいものばかりで、一緒に入れられなかったパジャマとゴムサンダルは間違いなく袴田さんの物であり、無実の証拠だからです。誰でもねつ造できる『5点』だということが、ねつ造の証拠なのです。そう考えれば、ズボンのポケットにマッチと絆創膏がこれ見よがしに入っていたことが理解できます。

 

裁判所はどう評価・判断したか

確定判決(1976.5.18)の認定

㋐5点の衣類には下着に至るまで多量の、被害者らの血液型と一致する人の血が付着していた

㋑ズボン、スポーツシャツ、半そでシャツに各々損傷があり、白半そでシャツ右肩の部分には内側からにじみ出て付着したとみられる人血(B型)が付着していた

㋒衣類は事件後一年以上経過後、昭和42年(1967)8月31日味噌出しをしていた味噌会社従業員によって発見され、前年7月20日以前、新たな仕込みが始まる前にこれらの衣類が隠されたもので、それ以降は不可能である

㋓発見場所の工場が犯行現場に近く、他に同様な事件は認められない

 

㋐㋑㋓だけでは、疑問の余地がないほどの証明にはならず、ねつ造の可能性を否定できない。㋒は認定の誤り。犯行着衣であるとするにはどれも疑問だらけで、認定のための必要な証拠や事実が存在しない。こんな虚ろな証拠での死刑判決は無理筋もいいところです。    

 

静岡地裁再審開始決定(2014.3.27)の判断

・5点の衣類はDNA鑑定によって袴田の着衣でもなく、犯行着衣でもない蓋然性がある

・味噌漬け実験の結果、衣類の色合いや、血痕の色は1年以上味噌に漬かっていたとするには不自然で、ごく短時間でも、発見された当時と同じ状態になる可能性が明らかになった。

・5点の衣類という最も重要な証拠が捜査機関によってねつ造された疑いが相当程度あり、その他にも捜査機関の違法、不当な捜査が存在し、又疑われる。国家機関が無実の個人を陥れ、45年以上にわたり身体を拘束し続けたことになり、拘置をこれ以上継続することは、耐え難いほど正義に反する。

袴田さんの無実の叫びが、ついに裁判官に届きました。村山浩昭裁判長はその日のうちに袴田さんの刑の執行と拘置の停止を決め、袴田さんは48年ぶりに監獄から釈放されました。

 

東京高裁大島決定(2018.6.11)の判断

5点の衣類が①犯行時に袴田が着ていた衣類である ②袴田の物であるこの2点の認定が揺るがない限り、「無罪を言い渡すべき」明らかな証拠とは言えないそれ以外の証拠は補助的なものに過ぎない

  • 本田教授の細胞選択的抽出法は一般的に確立した科学的手法とは認められず、その信用性に疑問がある
  • 味噌漬け再現実験で用いた味噌とこの会社の味噌の色は異なり、比較したカラー写真は劣化退色している。判断の基礎とした写真は、5点の衣類の色合いを正確に表現したものではない。これらの写真を基に大まかな傾向や、味噌漬けの色を判断したのは不合理な判断だ。
  • 5点の衣類を発見時に近接した時期に、味噌タンクの中に隠すには、従業員の協力が不可欠であるが、そのような協力を得ることは著しく困難で、捜査機関が隠匿した現実的可能性は乏しい。                                                                                                                                                                                                             (都合のいい可能性論で、ねつ造の否定にはならない)

④「はけないズボン」確定判決はズボンのサイズの認定に誤りがあるが、ウエストサイズを見る限り、袴田が本件当時はけなったとは言えない(原因はウエストサイズではない

⑤「すねの傷」袴田を全裸にでもしない限り、ズボンの下の傷の発見は困難で、逮捕時の袴田の右すねに傷がなかったとは言えない。   (裁判官の無知と非常識)

611抗議行動

 

 

 

 

 

 

弁護団の主張

特別抗告理由補充書5(2019.7.17)

検察の主張を丸写しにした偏見と思い込みの大島決定に対し、弁護団は最高裁へただちに特別抗告、その補充書を順次提出してきました。その補充書5では5点の衣類が味噌タンクに隠された時期は不明であり、高裁決定では5点の衣類がねつ造証拠である可能性を否定することができないことを明らかにしました。

高裁決定はおよそ裁判所の判断と思えないずさんな決定。裁判官のねつ造に対する強い偏見が証拠の評価を誤らせ、論理的な思考を妨げたのです。

 

5点の衣類が犯行着衣であるとの認定部分の重大な誤り

【5点の衣類はいつ隠されたのか?時期は不明!】

隠匿(いんとく)可能な時期は

➀1966年6月30日~7月20日

② 1967年7月25日~8月31日の間

※7月20日から翌年の7月25日までは約8トンの味噌が入れられた(タンクの体積は約8㎥)

①ならば犯人が入れた⇒犯行着衣の可能性

②ならば袴田さんは逮捕・拘留中⇒ねつ造の可能性

 

 

確定判決の概要のうち

㋐は「被害者らの血液型と一致」と言うが専務はA型、妻はB型、次女はO型、長男はAB型であり、「一致」という評価は無意味。付着していた血液のほとんどがA型で最も残酷な殺され方をした次女のO型が全く検出されないのはありえない。ねつ造の可能性が強く疑われる。

㋑も同様に衣類の損傷はねつ造の可能性を否定する根拠にはならず、ズボンや半そでシャツなどのずさんな損傷の生成は、かえってねつ造の疑いを増すばかり   。

㋒隠した時期について、確定判決は7月20日以前でそれ以降はほとんど不可能と言うがそれ自体が間違い。十分可能だった。翌年7月25日以降には味噌の取り出しが始まり、8月末にはシャベルがタンクの底に届くほどの味噌しか入っていなかったので、この会社の従業員によって、作業中にごく自然に発見されることになった。

㋓は入れられた時期とは全く無関係で、ねつ造を否定する根拠にもならない。

結局、5点の衣類がタンクに入れられた時期は確定できず、よって犯行着衣であると認定することはできない。もし発見時直前に入れられたのなら袴田さんは無関係で、ねつ造の可能性を否定できないにもかかわらず、明確に時期を特定することなく、確定判決等が犯行着衣であると認定したのは明らかな誤り。それは証拠評価の誤りではなく、犯行着衣と認定するための事実や証拠を欠いていた。『5点の衣類』は犯行着衣ではない!!      

 

 

一審の高裁、最高裁の重大な誤り

「衣類が味噌タンクに1年余りも漬かっていたような状態が、一朝一夕にできるとも思わない」    (東京高裁決定)1976.5.18

「5点の衣類及び麻袋は、長期間味噌の中に漬け込まれていたものであることは明らか」     (最高裁決定)1980.11.19

 

弁護団による味噌漬け再現実験の結果、20分で5点の衣類の色は再現された!

 

高裁決定の認定の誤り

「味噌漬けの当時のカラー写真は再現性が悪く、これを基に色について論じることはできない」

 

東京高裁、最高裁も当時のカラー写真を基に衣類の状態を確認したもので(上記)、これを否定することは、東京高裁や最高裁の判断にも反している                        

 弁護団による味噌漬け実験の、わずかな時間で味噌色に染めることができるという事実に対して、カラー写真が劣化退色しているとか、当時の赤味噌の色が薄かったなどいうのは単なるケチ付けに過ぎない。

 

確定判決の証拠構造は空洞!

確定判決の「5点の衣類は犯行着衣であり、袴田さんの物である」という認定は、そのために必要な事実や証拠が存在せず、5点の衣類が味噌タンクに入れられた時期もあいまいで、合理的な疑問が山積。刑事訴訟法で言う適正手続きに反しています。ねつ造の可能性を否定できないにもかかわらず、犯行着衣であると認めたことは誤りであった。確定判決等の証拠構造は、ぜい弱であるという以上に有罪認定を支えるべき証拠の柱がない空洞構造であった

                                                       

最後に、裁判所の立場で考えたとしても、公正な裁判が行われたとは言えないことを明らかにしておかねばなりません。たとえ本田教授によるDNA鑑定の手法が否定されたからといって、衣類に付着した血痕が袴田さんの物でも被害者らの物でもあるとされたわけではないのです。同様に、味噌漬け実験報告書が排斥されたからといって、衣類が長期間味噌漬けになっていたと証明されたわけではありません。それらのことから帰結される結論は、グレーだということ。5点の衣類が袴田さんのものかどうかは、分からないということでしかないのです。とすると、結論は再審開始決定が相応しい。再審を開いて、そこで再度の審理を始める決定を出すのが相当でした。

高裁大島決定は偏見と思い込みに頼って、安易に5点の衣類が犯行着衣ではない可能性を否定した。静岡地裁の再審開始決定がねつ造の可能性を指摘した以上、大島裁判長は予断と偏見を排し、ねつ造ではない証拠を明示しなければならなかった。          

清水一人                                                                                                     

                                                                     

 

 

メデイアに注目された『デコちゃんが行く』

メデイアに注目された『デコちゃんが行く』

5月1日の発売に先立って、4月28日に地元浜松のメデイアにコミック『デコちゃんが行く 袴田ひで子物語』の発刊をお披露目。

燦燦と注ぐ陽光を浴びながら、浜松復興記念館前で記者会見を行いました。当クラブ代表の猪野待子と袴田ひで子さんがスピーチ、マスコミ9社が集まり取材しました。

袴田巖さんも登場しましたが、発言はなく、そのまま街中へパトロールに出かけていきました。

 

早速、当日の夜、NHKニュースが取り上げ、翌朝は静岡新聞が報道。西日本新聞、毎日新聞が後を追って記事を掲載、それ以前にも、朝日新聞デジタルなど50社以上が報道しました。

袴田ひで子さんは有名人、それに加えてマスコミが大きく取り上げたこともあって、大型書店では平積みにしてアピール、通販のAMAZONでは一時その日のベストセラーとなりました。

書店や通販サイトで品切れとなって、入手困難な場合は、当クラブに購入申し込みをどうぞ。在庫からお送りいたします。

4/28 NHKニュース

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4/28静岡新聞

 

5/3 毎日新聞

 

 

 

コミック『デコちゃんが行く 袴田ひで子物語』5月1日発売!

コミック『デコちゃんが行く 袴田ひで子物語』5月1日発売

全国の有名書店、AMAZONで買えます

袴田事件(最高裁で再審請求審理中)・弟の無罪を闘い続ける87才姉の人生を描く

これは、袴田巖さんの姉・ひで子さん誕生から現在までを描いた漫画です。「死刑囚の姉」「弟の無罪のため闘う姉」、テレビのニュースに映る袴田ひで子さんとはどんな人なのか、多くの人が関心を持っています。その一人である私が、湧いた興味から袴田家を訪れ、親密になるに至り知った見事な彼女の人生物語です。「デコちゃん」、昔から彼女はそう呼ばれていました。

ひで子さんの気丈な姿は多くの人が知るところです。ひで子さん、その人となりにまず驚くのは、報道陣です。「いや~、元気もらいました」、取材後は、必ずというほど驚きの声をあげて帰っていきます。でも、それは序の口。これまで語られなかった事が山ほどあります。もっと、もっと、みなさんに元気を届けましょう。この複雑で閉塞感のある現代で生きるのに疲れてしまった人たちに、ダウンしている人たちにこそ彼女を知ってほしい。どんな困難が襲ってきてもへこたれず、なにくそ前を向いて前進する逞しいデコちゃん、それを仕舞い込んでいるのはもったいない。そう思って、この度、漫画『デコちゃんが行く』を作りました。

「デコちゃん」は、徹底した合理主義、独立独歩、即決即断、さらに他人への温かな眼差しを持つ人生の達人です。それを端的に表すエピソードを一つ紹介すると、60才を前に多額の借り入れをして土地を購入、自宅兼用マンションを建てたことです。家賃収入を返済に充て18年間で完済後、はじめて引っ越し一部を自宅にします。78才の時のことでした。その3年後に巖さんが釈放されて彼を迎え、二人暮らしになって現在に至ります。巖さんを犯人と思い込む世間とは距離をおき、巖さんの裁判の見通しは全く立たない中、自分にも何か生きる希望が必要だった、と彼女。「そうだ、巖が帰ってきた時に住む家がないと困る。巖と住む家を建てよう」。一般的には「終活」を始める年齢に、大事業に挑む、そして成し遂げる。そのマンションがあるからこそ、現在巖さんも養っていくことができる、これは見事です。

怖いものなしの「デコちゃん」、知られざる彼女をどうぞ漫画でお楽しみください。

【書籍概要】
書籍名:『デコちゃんが行く! 袴田ひで子物語』
発行 :令和2年 5月1日発売 初版発行
発行者:いの まちこ
漫画 :たたら なおき
原作 :大庭有希子
定価 :1364円+税
サイズ:A5判
ページ数:256
発売元:静岡新聞社 静岡市駿河区登呂3-1-1 電話054-284-1666
制作 :静岡新聞社
ISBN978-4-7838-8002-8 C0079

【お問い合わせ先】
袴田さん支援クラブ
Email : info@free-iwao.com

4月18日(土)第32回袴田事件がわかる会延期

4月18日(土)第32回袴田事件がわかる会を延期します。
コロナウィルス流行のため、次回の会を延期します。
袴田さん支援クラブ

3/21 第31回袴田事件がわかる会

第31回袴田事件がわかる会

 日時 : 3月21日(土) 1:30~4:00

会場 : 浜松復興記念館  (浜松市中区利町304-2)

ゲスト 袴田ひで子さん   (袴田巌さんの姉)

「勝つまで闘う。絶対勝てる。だって、巌は無実なんですから。私は、巌が獄中でできなかったこと、好物を食べさせ、行きたいところに行かせ、好きなように自由にさせる。巌との毎日を大切に、明るく生きていく、それだけですよ。」釈放されて6年になる巌さんの近況やひで子さんの心境を語ってくれます。

ゲスト 鈴木昂さん  (袴田巌さんを救援する静岡県民の会代表)

静岡県は「えん罪のデパート」と言われています。1948年の幸浦事件、1950年の小島事件、1954年の島田事件、1955年の二股事件、丸正事件、1966年の袴田事件等。警察・検察の「自白の強要」と証拠のねつ造などによるえん罪事件が相次いでいるのです。

二股事件との出会いから島田事件での闘いを中心に話します。「拷問王」とまで言われた紅林麻雄警部のこと、同僚で捜査の違法を告発した刑事の南部清松さんのこと、二股事件で誤捜査を白日の下にさらした二股署の刑事、山崎兵八さんとご家族のこと。えん罪事件に織り込まれた、知られざる人間のドラマの数々が次々と顔を見せるのです。 実に興味深い実話の数々を、歴史の証人がじっくりと語ります。

主催 : 袴田さん支援クラブ 

 

ご近所さんの一大事! 袴田事件 

袴田巌さんは浜松市民です。雄踏町に生まれ育ち、戦時中に赤佐村に疎開して暮らしてきました。国体のボクシングでは静岡県を代表して善戦したのです。そんな袴田さんが、史上まれにみるえん罪事件の被害者になったのが、袴田事件。事件発生から50年が経過するも、一方で真犯人は逃げ延び、他方では袴田さんを苦しめ続けています。袴田事件はご近所で起きた一大事。見逃せない一大事です。

 袴田事件は、「人質司法」に加えて証拠のねつ造にまで捜査当局が手を染めた非道なでっち上げ事件です。そのことを2014年の再審(裁判のやり直し)請求審で静岡地裁が認め、再審開始と死刑の執行停止及び拘置の停止決定を出し、袴田巖さんは即日釈放されました。地裁決定には、耐え難いほど正義に反する」と裁判官の怒りが込められていました。袴田さんは、48年間の独房生活から生還したのです。ようやく春が来たかと、日本中が拍手、世界からも日本の裁判所に人権と良心、正義が期待できると評価されたものでした。

ところが、検察官が東京高裁に異議申し立て。高裁は昨年、何と検察官の主張をなぞるような論法で再審開始決定を棄却したのです。しかし、袴田さんを無罪扱いする処置(釈放したまま)は維持され、袴田さんは引き続き浜松で暮らしています。DNA鑑定の結果、犯行衣類とされた「5点の衣類」に付着していた血痕は、被害者のものでもないし、袴田さんのものでもないことが証明されました。また、警察検察が長いこと隠してきた膨大な証拠が第2次再審請求審が始まってから開示され、DNA鑑定以外の証拠でも袴田さんの無実は明白です。

今、裁判のやり直しを始めるかどうか、裁判所の判断が真二つに分かれ、現在、最高裁に持ち込まれて審理中です。

 結果は予断を許しません。が、巌さんを死刑囚にして半世紀もの監禁はやり過ぎ、これ以上苦しめるのは酷すぎではないか。内心ではそう反省している法曹関係者は少なくないと思われます。そもそも袴田さんと事件を結びつける証拠は誰の目にも怪しいものばかり。加えて検察は、袴田さんに有利になる証拠をまだ隠し持っているようです。

元々無実なのですから時間の問題で再審無罪となる日が必ず来ます。未来のそのとき、今審理を管轄している最高裁第3小法廷の5人の裁判官が歴史によって裁かれるのです。今回の最高裁決定に対して、司法の良心として栄誉を称えられるのか、それとも歴史の汚点となって辱めを受けるのか、そのいずれかに審判が下ることになる。それだけの重みを自覚していただきたい。

私たちは再審開始決定は言うまでもなく、再審公判での無罪を勝ち取らなければなりません。心ある市民の皆さんが声を上げなければ、裁判所は無理を通そうとします。袴田さんの半世紀を超える闘いに正義の神様は微笑んでくれません。まずは知ってください。考えてください。何をしたら良いのか?という方、袴田事件がわかる会へどうぞ。

袴田巖さんに公正な裁判を! 再審(裁判のやり直し)開始を!

袴田さん支援クラブ

 HP : http://free-iwao.com        Email : info@free-iwao.com

ひで子さん87才誕生パーティ

2月8日 ひで子さん誕生パーティ

2月8日、ホテルコンコルド浜松で、袴田ひで子さんの

87才お誕生会が開かれました。

袴田さん支援クラブ主催、第30回袴田事件がわかる会を切り替えて

およそ50名が出席。

詳細は、ブログをご覧ください。 https://npokitchengarden.hamazo.tv/

 

1/18(土) 第29回袴田事件がわかる会

 第29回袴田事件がわかる会

袴田事件がわかる会は
袴田事件ってなに?
どうなってるの?
よくわかんない……
そんなみなさんのための会です
ぜひ、お気軽にお出かけください。

入場無料・予約不要

日時 : 1月18日(土) 午後1時30分 ~4 時
会場 : 浜松市復興記念館(浜松市中区利町304-2・五社神社むかい)

ゲスト : 袴田秀子さん(袴田巌さんの実姉)
【欧米からの取材に感じる世界の眼差し】
袴田巌さんの姉で保佐人。獄中で精神に変調をきたした巌さんを見守り続けた。「巌は無実、だから訴訟はかならず勝つ」という信念のもと、巌さんとともに暮らし、全国各地で行われる
えん罪被害者のための集会や死刑廃止のための集いに積極的に参加。86 歳の年齢を感じさせないバイタリティで活動中。
ゲスト 瑞慶覧 敦さん(再審・えん罪事件全国連絡会 事務局長)
【えん罪事件の現状と再審法改正の取り組み】
日本には数多くのえん罪事件があります。仙台北稜クリニック事件(被害者・守大助さん)、大崎事件(被害者・原口アヤ子さん)、日野町事件(被害者・故阪原弘さん)、湖東記念病院人工呼吸器事件(被害者・西山美香さん)、豊川幼児殺人事件(被害者・田辺雅樹さん)、名張毒ぶどう酒事件(被害者・奥西勝さん)、今市事件(被害者・勝又拓哉さん)など。それらのえん罪被害者の救援に立ち上がり、全国規模で支援活動に取り組んでいるのが、国民救援会、再審・えん罪事件全国連絡会です。

 

主催 : 袴田さん支援クラブ

12/21(土) 第28回袴田事件がわかる会

12/21(土) 第28回袴田事件がわかる会

特別招待の袴田秀子さんが見たローマ教皇と東京ドームのミサ

日時:12月21日(土)  午後 1:30~4:00
会場:浜松市復興記念館  (浜松市中区利町304-2)

ゲスト:袴田秀子さん   東京ドームミサで感じたこと、思ったこと

ゲスト:笠井千晶さん  (映像ジャーナリスト)

テレビ報道記者勤務を経て独立後、撮影・編集までを手がけるテレビ・映画のドキュメンタリーを制作。長期に渡って取材を続ける袴田事件では、2014年、袴田巖さんの釈放時に姉秀子さんに同行、釈放直後、ホテル内での様子をも映像に記録、報道する。NNNドキュメント「我、生還す -神となった死刑囚・袴田巖の52年-」制作、今年10月に全国放送となった。2018年、第5回 山本美香記念国際ジャーナリスト賞受賞(映画「Life 生きてゆく」)はじめ受賞作品多数。

 

弁護団広報誌『FREE HAKAMATA NOW』の読み方

袴田家物語ーーーこのひと月を写真で紹介

入場無料 / 毎月第3土曜日開催
主催 : 袴田さん支援クラブ 

 

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