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袴田巖さんに再審無罪を!

Author: free-iwao (page 1 of 20)

1月、2月の再審公判後の弁護団記者会見2連発

1月16,17日の再審公判後の弁護団記者会見

2024年1月17日。第7回再審公判後の弁護団記者会見です。検察側の「蒸し返し・悪あがき」という他ない主張に対し、徹底した反論が行われました。動画はその報告です。 小川弁護士「殺人の行われ方>袴田さん犯人説はありえない」 田中・白山弁護士「開示された取り調べ録音は、袴田さんが犯人人されたことの証拠」 間弁護士「決着の付いた、5点の衣類の色問題を繰り返す検察の理不尽と再立証」

2月14,15日の再審公判後の弁護団記者会見

歴史的「再審公判」も後半戦。有罪立証を行う検察官と、それを突き崩そうとする弁護人の攻防が続きます……が、しかし、これは「攻防」と言えるのか。 検察官は「袴田さん=犯人、は不自然ではない~ありえる」と主張します。これを「立証」と言えるでしょうか。とても言えません。「犯人の可能性がある」で有罪にできるなら、誰でも罪に陥れられてしまいます。刑事裁判の大原則は「疑わしきは被告人の利益に」です。それを、無視するような検察官の「ウソ」を暴き、そもそもこの公判自体が茶番にされてしまっていることに警鐘を鳴らします。

2月17日 袴田事件がわかる会

2月8日 袴田ひで子さん【91才】の誕生日

袴田ひで子さん【91才】の誕生日を迎えました。そのお祝いの催しと、インタビューの動画です。 弟、巖さんからは何とも可愛らしいプレゼントが。そして、いよいよ迫る「無罪」への想いを語ります。

【91才】袴田ひで子さん【祝】 – YouTube

 

2024/1/17日,第7回再審公判後の弁護団記者会見

2024年1月17日。第7回再審公判後の弁護団記者会見です。検察側の「蒸し返し・悪あがき」という他ない主張に対し、徹底した反論が行われました。動画はその報告です。 小川弁護士「殺人の行われ方>袴田さん犯人説はありえない」 田中・白山弁護士「開示された取り調べ録音は、袴田さんが犯人人されたことの証拠」 間弁護士「決着の付いた、5点の衣類の色問題を繰り返す検察の理不尽と再立証」

【再審公判7】弁護団の攻勢、さらに続く – YouTube

 

 

 

 

まさか!まさか!の袴田事件! No.4 味噌漬けの血痕の赤みは消える

工事中

まさか!まさか!の袴田事件!No.3 可能性論に衣替えした「有罪立証」

工事中

まさか!まさか!の袴田事件!No.2 怨恨・見せしめの処刑(リンチ)

工事中

まさか!まさか!の袴田事件! No.1 事件は替え玉事件だった

まさか!まさか!の袴田事件! No.1

袴田巖さんの再審公判が続いている。私たちは、次々に飛び出す「まさか!」の事実、裁判の実態を目の当たりにしている。メディアの報道がヒートアップしてはいるが、表面的に撫でているだけ。そもそも取材している記者が事件報道にじっくりと取り組む仕組みになってはいない。1年から3年くらいで転勤を繰り返すのだから、腰を落ちつかせての取り組みは土台無理。それで良しとしているメディアとは一体何か。社会問題の報道を娯楽番組にして耳目を集めれば、番組視聴率が取れ、購読者が増えるというのか。
司法を監視する私たち市民が知らなければならないことが、メディアの報道で伝えられることは期待できない。従って、私たち再審無罪を要求している袴田巖さんの支援者がそれを声高に言うしかないのである。

 

1. 事件は警察の謀略、替え玉事件だった

これまで袴田事件とは警察の捜査が行き詰まり、無理やり袴田さんを犯人に仕立てあげた事件とされてきた。他のえん罪事件と同様、捜査当局は自分の無謬性や面子を護るために自白を強要し証拠を隠すだけでなくねつ造までして有罪判決にこだわった。警察・検察を仲間だと錯覚して彼らの後ろ盾となった裁判所は、検察の主張をご丁寧に添削・校正して有罪宣告を繰り返してきた。
警察の見当違いの見込み捜査、加えて違法な「取調べ」で虚偽の「自白調書」が作られ、血痕無き「血染めのパジャマ」が物証として有罪の根拠とされた。そして犯行着衣パジャマ説が立ち行かなくなると、5点の衣類をねつ造してあくまでも巖さん犯人説を強行してきた。そういう事件として扱われてきた。

ところが、そんな認識を根本から覆さなければならない事情が次々と発覚、又は事実の見直しを迫られる実態が明るみに出てきた。それは、弁護団が再審公判で主張している外部犯人説である。ただ、弁護団の立論はそこまで。だが、外部犯人説をつぶさに検討してみる。と、そこからの論理的演繹によって導かれる信じがたい犯罪が浮かび上がる。警察の謀略である。
警察は真犯人を知っていた。真犯人から見逃してくれるよう要請を受け、借りを返さなければならなかった。それが動機。そして真犯人として袴田さんを生贄にした事件が袴田事件である。端的に言うと、警察の謀略事件の替え玉事件としてでっち上げられたのが袴田事件ということだ。

私たちは主張してきた。こがね味噌一家強盗殺人放火事件と袴田事件とは別の事件であると。「一家4人が惨殺された袴田事件」などという表現は不当であり、「袴田事件」とカッコを付けることも、「いわゆる袴田事件」と「いわゆる」を付けることも、そもそも必要もない。それぞれの加害者と被害者とが違うのだ。
こがね味噌一家強盗殺人放火事件の加害者は氏名など不詳の複数人、多分暴力団関係者であろう。被害者は殺された専務一家の4人である。それに対して強盗殺人放火事件の替え玉として仕組まれたのが袴田事件。加害者は真犯人を見逃し隠そうとした警察(検察)であり、被害者は袴田巖さんである。たまたま巖さんに白羽の矢が立てられた。「ヨソ者でボクサー崩れ」という差別意識からだ。
が、実は少しでも犯人らしいイメージが被せられれば誰でも良かったのだ。誰でも良かったという意味では被害者は警察からナメられ凌辱された日本国民一般である。そういう意味で、替え玉事件としての袴田事件の真相が、全面的にではないのが残念ではあるが、白日の下にさらされ告発されるときがやってきたのである。

では、その理由を解説していく。
⑴  現場の状況から。

①  まずは、現場で発見された雨合羽である。犯人が身につけて犯行現場に向かい、途中で脱ぎ捨てた物とされていた証拠である。みそ工場で働く従業員に支給されていてみそ工場にあったことから、犯人は従業員であることを指し示しているというわけだ。
ところがである。犯行後、放火されて現場は全焼したのに、中庭に脱ぎ捨てられたはずの雨合羽は焼けていない。焼け落ちた家財や建具、ガラスなどの残骸の上にのっていた。焼けた残骸に接している箇所だけが焦げている。凶器とされたクリ小刀の鞘がポケットから見つかったという警察発表。念の入ったおまけまでついていた。
これをどう見るか?誰かが火災の後そこに置いたとしか考えようがない。それ以外の解釈があるだろうか。置いたのは誰か?消化作業に必死だった従業員や付近の住民なのか?消防士の仕業か?それとも警察の捜査員なのか?賢明な貴方にはお分かりであろう。「ホシは工場に住み込みで働いていた従業員の誰かだ」、焼け残った雨合羽にそう言わせていることは容易に分かる。事件後の現場検証に加えて、味噌工場と社員寮も捜索している。

②  そして、裏木戸は通り抜け可能で表のシャッターは施錠されていたという見立て。それを前提に、裏木戸から外に出たところに金の入って小袋が二つ落ちていたという警察の発表である。裏木戸から東海道線の線路を渡って30m行くとみそ工場(社員寮がある)につながる。これも社員寮の住人が犯人だということを暗示している証拠になっている。
発見したのは警察官であった。裏木戸の外には、カンヌキのかかっていた戸を無理に開けて消火作業に入ろうと人が集まっていた。野次馬を含めて、誰も地上に落ちていたはずの金袋に気づいてはいない。二袋といっても強奪されたのは三袋である。ポケットがないので、警察は犯人が両手に持っていたままだったという。そのうち二つを現場から出たところに落とし失くしてしまった。そんな強盗犯がいるだろうか?そもそも被害者宅には相当の金品があり、数個の金の入った小袋は甚吉袋という手提げ袋に収納されていて、甚吉袋は複数個あったのだ。そのうちの小袋三個を甚吉袋から出して、取るに足らない金額を持ち去ろうとするなどというのは、およそ強盗の仕業ではない。慌てていたからだと言われるが、隣家にも気づかれていない状況で、何も慌てる必要はなかった。
実際には、裏木戸はカンヌキで施錠されており、表のシャッターは鍵がかかっていなかったのだ。また、発見したとされた捜査官は自分が発見したわけではなく、「お前が発見したことにして報告書を書いておけ」という上司の指示に従っただけと、後日告白している。弁護団はこの発見者である捜査官を証人として呼び出すよう何度も裁判所に要求したが、「その必要はない」とはねつけられ続けてきた。

以上のことは、警察の捜査は証拠のねつ造から取り掛かったことを示している。初動の段階から巖さんを犯人に仕立てあげようと小細工を始めていたのだ。その悪事を如実に教えてくれる事例なのである。

③  家族4人が殺された状況である。とても単独犯とは考えられない手口であった。4人が次々にメッタ突きに刺された。そして焼かれた。殺人というより、処刑(リンチ)というべき殺され方であり、「猟奇的殺人」(清水警察署長の弁)という奇怪な手口であった。この様子については稿を改めて【No.2】で記述する。
ところが、密接していた隣家では助けを呼ぶ声や叫び声など、物音ひとつ聞いていないのだ。火災が延焼して初めて異変に気が付いたのである。巖さん一人でこんなことが実行できるはずもない。暴力で他人を殺傷するプロ集団が用意周到に計画し、完全犯罪を狙ったとしか考えようがない。
これは「袴田事件」ではない。「味噌会社専務宅強盗殺人放火事件」である。

⑵  もう一つ、警察の意図が分かりやすい事実を挙げよう。

犯行があった6月30日の翌日か翌々日のこと。巖さんと親しくしていたWさん宅に刑事が来て、「犯人は袴田巖に違いない。お宅に顔写真が有ったら提出してくれ」と言って、巖さんの写真をアルバムから剝ぎ取って持ち去ったというのだ。Wさんは当時のことを覚えていて、その不可解を繰り返し証言している。犯行の翌日には、巖さんを犯人と決めつけていたのだ。

⑶ 「血染めのシャツ発見」という見出しの新聞報道である。

7月4日の社員寮捜索で、巖さんの部屋の押し入れにあったパジャマを任意提出で持ち去った。そして大量の血痕が付いていたとマスコミ記者に情報提供した。これは、汚いトリックであり後々まで尾を引くことになる。トリックというのは、こういうことだ。実際にはパジャマには返り血もついていないし、放火に使ったとされる油もついてはいなかった。後日発表された科警研の鑑定では、そういう結論である。だが、警察の悪知恵は「大量の血と油が付いたパジャマ」というデマをまことしやかに語ることに積極的価値を見出したのである。
まず、マスコミ記者たちを騙した。記者もその情報を鵜呑みにした。誇大に宣伝するかのような「血染めのシャツ発見」という大見出しを立てた新聞もあった。明らかな誤報である。この大々的な誤報で、読者ばかりかたいていの人は騙された。袴田さんが犯人と断定され、凶悪犯と決めつけられてしまった。
記者が簡単に考えてみればそのトリックに気が付いたはずだ。現認しなければ記事を書けないと言って、パジャマの現物を見せてくれと要求すればよかったのだ。何故なら、それは決定的に重要な証拠になるだろうが、疑問だらけなことに直ぐ気が付くからだ。
考えてみていただきたい。大量の血と油が付いていたならば、任意提出ではなく強制的に差押えたはず。またその場で、巖さんは逮捕していなければならないはず。そもそも、巖さんが犯人であるならば、血染めのパジャマを押し入れに入れたまま着用、または保管しておくはずがないだろう。まともなジャーナリストが少し踏み込めば、警察が何を企んでいるかということに神経を集中させ、警察情報の垂れ流しが誤報になる可能性を懸念せざるを得ないはずである。
全く問題意識がなく、警察に迎合して点数稼ぎするしか能がない報道は、警察の共犯となって巖さんに襲いかかっていくことになる。警察の謀略の共犯である。報道の中立の看板は見えない。マスコミ報道は本来権力を監視するのが使命であるが、実際には権力の手先に成り下がっている。もし、マスコミ報道が客観的で冷静であれば、おそらく袴田事件はなかった。検察は起訴すらできなかったであろう。マスコミをまんまと騙した警察は高笑いである。

⑷  何故こんな謀略を仕組んだのか。

その背景には当時の警察と暴力団との抜き差しならぬ癒着があった。労働争議が起これば、まず暴力団が出動して抑圧する。それ以外にも警察は民間の暴力を利用していたのである。その恩義を返さなければならない。犯罪を大目に見たり、時には隠蔽してやる。小説や映画のテーマにもなっている歴史に刻まれた罪であり恥辱である。
常識的に事件捜査の方向性を検討すれば、暴力団関係者に当たるのが順当である。実行者たちは、高跳びといってどこかへ姿をくらます。事件後、高跳びした鉄砲玉を捜すことから始めるのが常套手段。そこに捜査の手を伸ばしたのであろうか?その記録は?
おそらくは真犯人に頼まれて断れなかった。普段の恩返しか恩を売ったのかは不明だが、双方の了解があったであろう。しかし、そんなことは絶対に隠し通さねばならない。工場の従業員に罪を被せ、何が何でも通そうと必死であったに違いない。巖さんの受難はここから始まったのだ。
事件の初動捜査から都合の悪い証拠を隠蔽するとともにねつ造証拠をばら撒いた。新聞は警察の手先となって誤報虚報を繰り返した。捜査当局は従業員などからの証言を偽造するなど、新聞の誤報を利用して正義を演じとおした。5点の犯行着衣は、犯行着衣パジャマ説がもはや通用しなくなりそうだった段階で登場させた窮余の一策であった。他には有罪証拠はなかった。「捜査当局がそんなことをするはずがない」という神話を裁判官は絶対に信じてくれる。マスコミも信じるだろうし、また国民も疑いを持つことはなかろうという確信に支えられての強行であったと思われる。事実、大半の裁判官は騙され、報道は「科学的操作の勝利」などとほめ讃えたのであった。通常審の地裁・高裁・最高裁までウソが通用した。そして第一次再審請求審も警察のペースが崩れることはなかった。
ところが、悪事は1966年から48年間大手を振るってきたが、千里を走った悪事はついに命運が尽きた。2014年3月末の第二次再審請求審の静岡地裁決定が立ちはだかった。「有罪証拠はねつ造されたもので、それをやったのは捜査当局以外に考えられない」と指摘、警察の犯罪はここまでの運命だった。ついに真実の一端が明らかにされたのである。
巖さんが犯人ではないということが裁判官によって宣告された。再審請求が認められたということだけでなく、拘置と死刑執行の停止をも決定、巖さんは即日解放されたのであった。地裁の再審開始決定は内容的には無罪判決である。48年の長きに渡った監獄生活、逃れようがない独房で死刑執行の絶望的恐怖から生還した。

今現在、再審公判が始まり審理中である。検察は古びて使い物にならない「巖さん犯人説」を、新しい可能性論という服に着替えさせることによって復活させようとしている。それもこの上ない執拗さで。それは何故か?こがね味噌強盗殺人事件の出自に原因がある。国家権力にとってどうやっても国民の目から隠し通さねばならない「権力の謀略」であったということである。国民の生命と暮らし、平和な秩序を守るための警察組織が、それと正反対の悪魔と化したことが分かれば、民主国家の根幹を揺るがす。その責任を取らなければならなくなるからだ。

袴田事件の本質は、こがね味噌強盗殺人放火事件の替え玉事件であり、警察の謀略だったという点にある。警察追外には捜査権もなければ事実を解明する手段もない。真犯人を探そうにも半世紀も前の事件であり関係者の殆どが鬼籍に入っているし、時効にもなっていることだ。だが、事実を見る目と常識的な想像力があれば、誰もがこの結論に達するであろう。
他にも根拠となる証拠はあるが、上記で列挙した事項で必要にして十分な告発となると思われる。論を補強してくださる方がいらっしゃれば、ぜひお願いしたい。

(2024年1月 文責:猪野)

 

 

1/27(土) 第74回袴田事件がわかる会

1/27(土) 第74回袴田事件がわかる会

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23歳“清水っ娘”と「袴田事件」 No.5

「2023年を振り返って、そして2024年の抱負」

 

2024年がやって参りました。

昨年お世話になった皆様に心の底から感謝申し上げます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

習字の上手な友達に書いてもらったやつ~

 

また、能登半島地震などによって被害に遭われた皆様には、心よりお見舞い申し上げます。新年早々辛いニュースが続きますが、これから皆様にとって幸福がたくさん訪れますよう、お祈り申し上げます。

 

今年はきっと、巖さんが真の自由を取り戻し、ひで子さん、また弁護団の先生方、支援者の方々などに素晴らしい幸福が訪れることでしょう!

私も微力ではありますが、無事に無罪判決が下されるまで、気を抜かずがんばっていきます。

 

2023年は、後半の数ヶ月だけなのだが、袴田事件に関わったことでとても濃密な年だったような気がする。3月まではまだ大学生だったことが遥か昔のことのようだ。まずは2023年を振り返ってみる。

 

◎大学卒業、無為に過ぎ去る日々

 

今からちょうど一年前、私は京都の下宿先で一人、大学の卒論を出し終えて卒業を待つだけの無為な日々を過ごしていた。

 

大学生活はそれなりに楽しかった。

大学卒業式。自堕落で気ままな学生生活でした

しかし、卒業したとてやることもない。就職が決まった友人は引っ越しやら手続きやらに走り回り、私はカーテンを閉めた部屋で一人。誰かと話すことも笑うこともなく、友達は本と酒だけ。

秋頃まではそれなりに就活もしていたのだが、どうにもこうにも上手くいかず…そんな中で、もともと患っていたうつ病が次第に悪化、気付けば心は粉砕骨折していた。

 

この頃はスマホもほとんど見なかったので、袴田事件再審決定のニュースも知らなかったか、もしくはさほど気に留めてはいなかった。

 

◎実家暮らし引きこもりニートへ

 

4月、清水の実家に帰ってきた。

数ヶ月間は精神的にかなり不安定で、ほとんどベッドから出なかったと思う。あまり記憶はない。

 

ほとんど引きこもっていたが、図書館だけには通った。大好きな小説もたくさん読んだが、同時に、事件系のルポルタージュ本や、裁判や刑法など、司法関連の本も手当たり次第によく読んでいた。

 

私はもともと事件などに興味があって、ただ面白そうな本を趣味として読んでいただけにすぎない。法学部出身でもないし、勉強をしていたわけでもない。だから司法などについては完全な素人だし、今も基本的には怠惰でいろいろと意識の低い人間だ。

 

◎全くの無知から、袴田事件に惹かれ

 

8月か9月頃だったか、袴田事件再審の初公判期日が決まりつつある頃の新聞記事を見て、「そうか、静岡地裁でやるのか」と思った。そんなことすらわかっていなかった。

 

見た瞬間に行くことを決めた。歴史に残る重大な再審に、どうせ暇な私が、行かない理由もなかった。その足で図書館に行き、関連の本をあるだけ全部借りてきた。いくつか書籍を読み、こんなに酷いことがあるのか…と衝撃を受けた。袴田事件の全貌を知れば、こんなの最初からすべてがおかしいと誰でもわかるではないか…?

 

私は本当に何も知らなかったのだ。

袴田事件も含む過去の冤罪事件は、「ミス」や「間違い」だと思っていた。「捏造」や「隠蔽」によって無実の人を「意図的に」陥れる、そんな荒唐無稽なことが現代の日本にあるなんて、想像すらできなかった。

 

袴田事件の無罪判決をこの目で見届けなければいけない、何だかそう感じた。清水の人間として、事件を知らなければいけない、風化させたくない、という勝手な使命感のようなものも抱いていた。

◎再審初公判の衝撃

 

そして迎えた2023年10月27日、袴田事件再審初公判。午前8時半頃の静岡地裁前は支援者に報道陣に大賑わい。静岡地裁前で横断幕や旗を掲げる、各地から集まった大勢の支援者。初めて生で拝見したひで子さん。闘う人々は皆若々しく、くらりとするほどの熱気を感じた。

 

傍聴券は外れ、さてこれからどうしようかときょろきょろしていたところ、支援者の方に声をかけていただいた。そこから他の支援者の方ともお話しさせていただき、記者会見までしれっと居座っていたのだった。

 

あの日の何とも形容しがたい熱狂はまだ忘れられない。私も何かしたい!という思いが溢れた。

 

◎袴田事件を「支援する」ということ

 

しかし、私は正直、支援者という立場に立つことには迷いがあった。支援者の熱さに恐怖すら感じてしまったのもあるし、そもそもこのような支援団体=過激というようなイメージもあった。

まあ、ある意味ではそれは正しい。社会を動かすのはいつだって非常識で型破りな人間なのだ。この再審だって、そんな方々がいなければ実現していなかった。しかし、基本的には皆穏やかで知的で魅力的な方々であり、今まで大変よくしていただいている。私は支援者の皆様のことを心から敬愛している。

第5回公判前。ひで子さん、弁護団の先生方、今年も頑張ってください!

 

今私は、「支援者」を名乗れるのかどうかはわからない。それは単に自分の未熟さ故である。すでに再審が始まっている今、物凄い支援者の方々が揃っている中で、私にできることなどあまりない。何かしたい。でも何をするべきか。私に何ができるか。そんな思いは、ずっと頭の中をぐるぐるしている。でも、とりあえず使えそうな私の武器は3つはあるかな、と考えた。

 

①若さ

 

支援者の方々の平均年齢は高めで、23歳の私はいつもポツンと浮いている感じになる。若いというだけで広告塔になるのなら、好きに使っていただいて構わないと思っている。また、やはりジェネレーションギャップを感じることは多い。しかしそれはお互い様なので、なるべく持ちつ持たれつになればと、かなり生意気に発言させていただいている。

 

また、支援者の方々ではスマホやパソコンを使える方も少ない。やはりここは若者として、インターネットはどんどん活用していきたいと思っている。

 

②清水生まれ

 

私は、清水の事件現場からそう遠くない場所で、事件を知らないまま暮らしてきた。

 

初公判のときに、「清水出身”なのに”すごいね」と声をかけられて、首をかしげたことがある。私は「清水出身”だから”来た」つもりだったのだ。しかし、清水に住みながら、袴田さんが釈放されたというニュースを先入観なく眺めることができていた私は、とても恵まれていたのだと後々気付いた。清水、特に事件現場付近では、今も風当たりは厳しいらしい。

 

実際に、事件当時から清水在住で、未だに袴田さんが犯人だと思っている方とお話ししたことがある。私には、まだこんなことを言っている人が存在する、ということ自体が信じられなかった。悔しくて、精一杯”弁護”したが、話はずっと平行線。なんだか泣きたくなった。

 

当時を知っていれば無理もないことなのかもしれない。しかし、清水の人だからこそ、この事件から目を背けてはいけないのではないか?それでいいのか、清水人。私はそう思う。

 

③文章力(?)

 

まあ、武器かはわからないのだが、少なくとも文章を書くことは好きである。昔から本を読むことと文章を書くことが好きで、小さいときから夢はずっと作家だった。大学時代は文芸サークルで小説の執筆に取り組んでいた。このサークルの仲間の存在が、まだもう少し夢を見ていてもいいかな…と思わせてくれている。

そういえば、昨年の夏に書いた小説で、有難いことに静岡市主催の文芸賞の大賞をいただけた。これも自信に繋がる。

 

今もこうして袴田事件に関して文章を書くことが楽しい。私の言葉が誰かの役に立てているなら嬉しい。もっと勉強し、深く考え、言葉で社会を動かしてみたい、それが私の野望だ。

 

◎”清水っ娘”誕生

 

そして、ブログ「清水っ娘、袴田事件を追う」を立ち上げることにした。最初は単純に、私の目線から見たこの再審を、文章として記録しておきたいと思ったのだ。ついでに世の中に向けても発信していきたい。

 

袴田事件に興味がある方々はもちろんだが、私はやはり「恵まれた」若い世代を引き込んでいきたい。「Z世代」などと言われる私たちは、もう「袴田事件=冤罪事件」のイメージの中で生きている。あとは知るだけだ。

 

しかし、全く興味のない人を引き込むのはなかなか難しい。私の発信を見てくださっている方は、おそらくもともと袴田事件に興味を持っている人ばかりだろう。何か新しい策を講じなければ、とは思っている…。

 

◎いつの間にかズブズブに

 

公判や集会に顔を出し、ブログを書き、手作りの名刺もどきを配り、などしているうちに、すっかり支援者の一員のようになってしまった。大変有難いことに、支援者の方々からブログの記事を褒めていただくことも多い。浜松にも行き、袴田家にお邪魔させていただき、先月は巖さんとお友達にもなれた。支援者の方々に少しずつ認めていただけているのかな…?と勝手に思っている。

巖さんと初対面したとき(11/18)

 

こうして活動することは、言葉を選ばずに言えば、ただ「楽しい」「面白い」。様々な分野について勉強になるし、日々充実していると感じる。袴田事件に飛び込んだことは、私の人生にとって本当に貴重な経験になると思う。

 

しかし、私が今こうして活動できているのは、ひとえに巖さん・ひで子さんや、弁護団や支援者の方々などの血の滲むような努力の結果である。いつ何時も、皆様の長年の努力への敬意だけは忘れない。新参者の私が、うまい汁を吸うことは絶対に許されない。それを踏まえたうえで、無罪判決が出るまで、私自身も全力で走り抜こうと思っている。

 

◎2024年の抱負

さて、2024年の抱負を述べておく。私は今年で24歳になる。将来も見据えていかなければいけない年齢でもあり、まだやりたいことを無鉄砲にやってみたい年齢でもある。年女という節目の年でもあり、大きく飛躍できる一年にしたいと思っている。

①無罪判決を勝ち取った時、みんなで祝杯を挙げる!!

 

弁護団長の西嶋先生は大のお酒好きとか。弁護団や支援者の中にも嗜む方がいらっしゃると思います。酒の中でも祝い酒というやつが一番おいしい。だから、無罪判決が出たらみんなで祝杯を上げたいな。それが私の今年叶えたい夢だ!

 

②貪欲に、がむしゃらに。

 

様々なことにチャレンジし、好奇心旺盛に走り回り、たくさん学び、今年はもっとアクティブに頑張っていきたい。もちろんがむしゃらだけではだめなので、戦略も立てつつ、主体的に行動していこうと思う。

 

裁判が落ち着いたら、袴田事件についてもっと知りたいとも思っている。私が知らない間に、誰がどのように動いて、再審開始、そして後の無罪判決まで導いたのか。私は単純にそれが知りたい。関わってきた人の人生が知りたい。

 

また、この活動の中で、書くことを仕事にしたいという気持ちがだんだん強くなってきた。実力はもちろん必要だが、使えるものは使う、行けるところは行く、できることはやる、どこに落ちているかわからないチャンスを掴み取りたい。私の座右の銘は「虎穴に入らずんば虎子を得ず」。改めて肝に銘じ、たくさん成長できる年にしたい。

 

③太く、長く続ける。

 

活動を始めてからここが一番の課題。できるだけたくさん、そして継続的に活動を頑張りたい。

 

私はADHDを持っている。もちろんそのせいだけではないが、オン/オフの切り替えやタスクの管理、情報整理なんかがとても苦手だ。おまけにうつ病もパニック障害もあって、心身ともにまあ常に不調といえば不調である。一度集中してしまうとそこからずっと追われている気分になったかと思えば、ぷつっと一週間以上電池が切れたようになったりする。

 

投薬でもある程度マシにはなるが限界もあるので、自分の中でルールを明確に決めて、生活の基盤を整えていく必要がある。無罪判決まででも、まだまだ長い闘いだ。それに、そろそろ甘えていられる歳ではないこともわかっている。一生付き合っていかなければならない障害なので、結局は自分で何とかするしかない。今年こそ頑張ろう!

 

④人生を楽しむ!

 

とはいえ、やっぱり楽しく生きたい!いろいろ挑戦したい。冒険したい。好きなことをとことんやってみたい。ギリギリ若気の至りで許されるうちに、ある程度恥も外聞も捨てて、やりたいことは全部やってみたい。そんな一年にしたい。

 

そんなわけで、2024年、張り切って参ります。無罪判決まであと少し、頑張っていきましょう。今年もよろしくお願いいたします。

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