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袴田さん支援クラブ

袴田巖さんに再審無罪を!

新着情報 (page 1 of 3)

大島隆明裁判長、来年の定年を待たずに依願退官(8月3日付)

大島隆明(元東京高等裁判所第8刑事部総括判事)氏とは、袴田事件の第2次再審請求審の即時抗告審の裁判長を努めた裁判官です。

大島元裁判長はデュープロセス(公平な適正手続き)に則った判歴を有する裁判官、今どきの裁判所には貴重な人財だという評判でした。戦後の横浜事件の再審開始決定でも、オウム真理教の菊池さんに対する逆転無罪判決などでも、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則と言われながらも守られてこなかった宝石を蘇らせたキャリアがありました。この裁判長ならばと、私たちは高裁決定に大いに期待しました。それがあらぬ事に、来年定年を迎えるこの時、袴田事件の再審請求審という世紀の裁判で、天に唾する背信行為に出たのです。法曹界がその変節に驚きました。

 

しかし、何故の変節なのでしょうか。東京高裁での即時抗告審は、裁判長の訴訟指揮に検察官寄りの姿勢が垣間見られたのですが、審理でのやり取りは弁護側ペース。とりわけDNA型鑑定をめぐる対質尋問(検察側の鈴木鑑定人と弁護側の本田鑑定人を同時に尋問)では、検察側は形なしの状態だったと聞いています。3人の裁判官も検察の旗色が悪いことを十分認識していたようです。にもかかわらず、弁護側の主張をことごとく否定するばかりか、あたかも弁護側に厳密な立証責任があるかのような攻撃に出るわ、検察官の主張を丸呑みするわ、あたかも裁判官の法衣を着た検察官のようでした。

 

さらに大島裁判長は、6月11日に袴田さんを死刑にしろという不当な決定を出した後、7月末には別の強盗殺人事件の控訴審で一審の死刑判決を支持する判決を出しました。私は裁判内容について知識がないのでこの裁判と判決についてその当否に触れることはできません。が、尊い人間の生命を権力が奪うという残虐な刑罰を科した、そのことは事実。連続して二人の命をこの世から抹殺する決定者となって、最多の死刑執行命令に署名した上川法相に殺しのライセンスを与え、その直後に依願退官です。今の気分はどんなものでしょうか。

いずれにせよ、裁判官生活を飾る最後の仕事がこの始末。人間の自由と尊厳を護る砦が裁判所と裁判官ではなかったのでしょうか。大島氏の良心は、そんなことは分かり切っていたことでしょう。支配秩序を維持しお上の無謬性神話と権威を護るために司法が存在し、そのためには無実であろうがなかろうが、犯人と思しき国民を罪に陥れ殺してしまってもかまわないのでしょうか

 

立法、行政、司法の三権分立については、小中学校で習います。立法府と行政府は時に誤ります。暴走することもあります。それによって侵される国民の自由と尊厳を守ることを使命としているのが、司法の府としての裁判所。刑事司法は、そう説明されています。そうではないのでしょうか。『絶望の裁判所』(瀬木比呂志著)には、最高裁は「憲法の番人」ではなく「政府の番犬」だと表現されていました。最高裁にはそれが事実ではないことを見せてもらいたいのです。同じ犬でも、政府や議会に対して人権擁護の警鐘を鳴らす犬になってほしいものです。

 

このように裁判官としてのキャリアを締めくくって、大島氏は何を得たのでしょうか。それによって失ったものの方にずっと価値が、崇高な実績と誇りがあったはずです。大島氏は多くの国民を失望させたとともに、自らの裁判官人生の晩節を汚したのです。

東京高検 検事長への要請

           2018年5月16日

 

東京高等検察庁

検事長 稲田 伸夫 殿

 

浜松 袴田巌さんを救う市民の会

共同代表 寺澤 暢紘

 

6月11日に、袴田巖さんの裁判の決定が出されます。

検事長殿には、袴田さんの裁判のやり直しが速やかに行われますようご尽力下さいますようお願い申し上げます。

 

即時抗告審では、「白半袖シャツの右肩の血痕が、袴田さんのDNA型と一致しない」という鑑定結果が信用できるかどうかが争われてきました。

然るに、この血痕が袴田さんのものかどうか・・事件から48年経って、私達の前に現れた袴田さんの腕には、この争われている血痕の傷だと認定されている傷が、まだ残っていたのです。それが写真の傷です。私達は、この傷を見た時、この傷から出た血が白半袖シャツの右肩の損傷部分についたという認定が、明らかに誤っているとわかりました。そして、袴田さんが生きて帰って来られたことによって知ることができたこの事実を申し上げずにはいられません。

写真でわかる通り、袴田さんの傷は、横に走る1つの傷であり、白半袖シャツの損傷は縦に2つです。位置も、形も数も一致していません。しかも、袴田さんが、このシャツを着て、この腕の傷を負ったなら、受傷後、このシャツを脱ぐまでの間に出血した血が、袖に付いていなければなりません。それは、2つの損傷部分とは違う位置にです。なぜなら、袴田さんの傷とシャツの損傷の位置が違うからです。袴田さんの腕の傷から出た血が、この2つの損傷部分だけに全て滲み込むことはありえません。偶然でも起こり得ません。

私達が、この写真を提出することは、非常識に思われるかもしれません。しかし、袴田さんが、死刑の執行の恐怖に怯え、生き続けて来られた48年という年月を思う時、袴田さんが生き続けて証明している、この明らかな無実の証拠を無駄にしたくはありません。

確定死刑判決の事実認定そのものが誤っており、袴田さんのDNA型とシャツの血痕のDNA型が違っていたのは当然のことであり、もはやDNA鑑定の実験の手法は問題にはできません。再審開始は当然のことと考えます。

確定死刑判決の事実認定に合理的疑いがあることが明確である以上、検察官の良心に則った正義を示して下さいますようお願い申し上げます。

一日でも早く、袴田さんを死刑の恐怖から解放してくださいますよう、今できる最善を、どうか尽くして下さいますようお願い申し上げます。

映像袴田事件 「生き抜いて残した右肩の傷の真実」

袴田事件の無実を証明する証拠です。5点の衣類がねつ造であったことを指し示す「右肩の傷」。

映像で表現しました。制作:浜松 袴田巖さんを救う市民の会

袴田さんは 生きることで「無実」の証拠を残した

「犯行着衣」とされている白半袖シャツに滲み込んでいたB型の血痕(DNA鑑定で争点となっている)の傷と認定されている傷が、袴田さんの腕に残っていた。

【白半袖シャツの損傷・血痕(証拠開示)】

【袴田さんの腕の傷(釈放後2年目に撮影)】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

袴田さんは、白半袖シャツの2つの血痕は「自分のものではない」と、訴え続けてきた。
(1983年9月4日の袴田さんの日記)
「本件での問題は、2つの穴と2つの血痕です。この穴と血痕の生成理由につき、検察官は、およそ次のようにこじつけています。一回刺さって、ちょっと抜けてまた刺さったから、鼠色スポーツシャツには1つの穴であるが、白半袖シャツには2つの穴ができた。として見ると、検察官の論理からしても、右白半袖シャツを着用して負傷した者は、右肩などに2つの傷が完璧に存在することにならざるを得ない。何故なら、検察官自身が白半袖シャツの右肩を2度にわたって刺したと主張しているからである。つまり、2度刺せば2つの傷穴ができ
その穴を中心に丸く2つの血痕ができるのは道理で、正に白半袖シャツの状態がそれであり、よって、右シャツ着用者は2つの傷があることになる。」
(同年9月23日の日記)
「本件白半袖シャツについて。下着、とりわけメリヤスシャツは、肌にぴったりと付くものであるから、それを1部分だけ移動させる事は不可能である。仮に、無理矢理転移させたとしても、それは一瞬で元の位置に戻ることは確実である。本件白半袖シャツの2つの損傷と2つの血痕は、当たり前の事として2つの傷の下でしか生成は可能ではない。
ご承知のとおり、下着等は肩で着られるものであるから、腕の付け根はもちろん密着している。したがって、それらが2,3センチにしろ移動したままになるなどということは、先ず絶対に起こり得ないことである。右シャツの損傷と血痕は、右のような理由をもってしても、私とは無縁であることを浮き彫りにしている。」

袴田さんが、もし、この白半袖シャツを着用していて、腕に傷を負ったなら

・袴田さんの腕の傷は2つあるはずである。また、白半袖シャツの袖には、このシャツを脱ぐまでの間に腕の傷から出血した血が付着しているはずである。

しかし、袴田さんの傷は、横に引いた1つの傷であり、シャツの血痕は、2つの損傷部分だけである。これでは、腕の傷から出た血が全部、2つの損傷部分の内側から滲み込んだことになる。このように血が滲み込むことは、たとえ偶然でも起こり得ないことは一目瞭然である。

 

腕の傷は、袴田さんが、事件当日の消火活動で受傷したと主張していた傷である。そして、それを取調官も検察官も自白前まで疑っていなかったのである。

消火活動時に着ていたパジャマの右袖には、相応する部分にかぎ裂きの損傷があり、次に着替えた作業着の右袖にも血痕が付いていた。しかし、自白後に撮影された証拠写真は、敢えて、それをごまかすかのように、傷の位置がわからない。

【「自白」後の身体検査時の写真】

鑑定書の写真】

袴田さんの傷は、白半袖シャツの損傷・血痕とは、位置も形状も数も合っていない。これが死刑判決の証拠とされてよいはずがない。最高裁で死刑が確定した後も不当な裁判を闘い続けていた袴田さんは、死刑の恐怖から、徐々に闘う言葉を奪われていった。しかし、48年、生き続けて、自らの身体をもって、この認定の非常識さを証明された。誰がこの傷から出た血が白半袖シャツの2つの損傷部分に付いた言えるであろうか。白半袖シャツの損傷部分の2つの血痕が、袴田さんのDNA型と一致しないのは、当然の結果と言えるものである。

     (2018.5.12 浜松 袴田巌さんを救う市民の会)

袴田巖さんの壁が出現 5月18日開幕式

「袴田巖さんの壁」

プラハにある「ジョン・レノンの壁」にヒントを得て、小川秀世法律事務所静岡市葵区本通六丁目 カメリアビル)
に設置されました。5月18日には、袴田巖さん、ひで子さんも出席して開幕式。





朝日新聞5/19朝刊

趣旨アピール

袴田事件は,平成26年3月27日,静岡地裁が再審開始を決定し,合わせて死刑及び拘置の執行を停止したことで,袴田巌さんは釈放されました。静岡地裁が,前例がないにもかかわらず袴田さんを釈放した理由は,DNA鑑定等により袴田さんの死刑判決に疑問があることが明白になったこと,さらに,本件では警察による証拠ねつ造が行われた可能性が高いと考え,これ以上拘置を続けることは「耐えがたいほど正義に反する」と判断したからでした。

ところが,検察官が即時抗告をしたことにより,その後4年2ヶ月も経過した今,ようやく東京高裁の決定が出されることになりました。しかし,袴田さんは,すでに82歳の高齢になり,健康状態も万全ではありません。とくに,袴田さんは,いまでも死刑執行の恐怖にとらわれており,妄想の世界から抜け出せません。袴田さんに,元気な状態で普通の生活を取り戻してもらうためには,一刻も早い無罪判決が必要なのです。

即時抗告審での審理状況からすると,検察官の即時抗告は棄却され,静岡地裁の判断が維持されることは確実です。しかし,それに対して,もし検察官が特別抗告をすれば,再審が実際に開始されるまで,さらに2年,3年あるいはそれ以上の期間を要することになってしまいます。

静岡地裁の判断によれば,本件は,国家が重大な過ちを犯し,袴田さんの人生を奪ってしまったということであり,決して償うことはできません。そうであれば,これ以上審理を長期化させることは,正義の観点からは決して許されないはずです。もし,検察官が,東京高裁の判断に不服があったとしても,再審公判の場で主張,立証する機会があるのですから,その意味でも,本件で特別抗告まですることは,不当と言うべきです。

ところが,最近の再審事件である松橋事件,大崎事件などで検察官が特別抗告したことからすると,検察官は,本件でも同様の対応をすることが懸念されます。しかし,本件の重大性,特殊性に鑑みれば,これは検察官の判断だけにゆだねるべき問題ではなく,検察庁法14条により検事総長を指揮する権限が与えられている法務大臣が,大局的観点から,正義にかなった対応をとるべきことが期待されている事案と考えられます。

そして,以上の趣旨を明らかにし,上川法務大臣に訴えるために,この「袴田巌さんの壁」を設置し,多くの皆さんにもこの壁に一言書き添えていただき,協力をお願いするものです。

KG 袴田巖さん支援クラブからのアピール

6月11日の高裁判断に期待する

KG 袴田巖さん支援クラブ

 

袴田事件は発生以来半世紀の星霜を経ても未だに解決していません。犯人として逮捕された袴田巖さんは48年間にわたる監獄での独房生活を強いられました。4年前、静岡地裁における第2時再審請求審での再審開始決定によって、死刑の執行停止とともに東京拘置所から釈放されたとはいえ、死刑囚という屈辱を晴らすには至っていないのです。無実の死刑囚であり、冤罪被害者の袴田巖さんは、今でも闘っています。巖さんとともに、私たちは一日も早く、袴田さんの汚名を返上する裁判所の決定を勝ち取るとともに、誤判を犯さない刑事司法、えん罪を許さない社会にしていかねばなりません。国家権力の横暴がまかり通るような社会は誰からも嫌悪され、誰もがそんなところで人生を送るのはまっぴら御免ですから。

1. 裁判の現時点とこれから  再審とは?

現在、袴田事件は第2次再審請求審の即時抗告審が決着を迎える段階にきています。東京高裁はこの6月11日に決定を出すことを表明しています。
だが、その再審請求審とはどういうものか、即時抗告審とは一体何か。現在進行中の裁判とは、いったいどういうものなのか。まず説明しておかねばなりません。

袴田事件の公判は、1966年9月9日に静岡地裁で第1審が始まりました。1968年9月11日静岡地裁で有罪死刑判決。東京高裁へ不服申立(控訴)するも、1976年5月18日控訴棄却。さらに最高裁へ不服申立(上告)。1980年11月19日、最高裁上告を棄却。これで、第1審での死刑判決が確定したのです。それを確定判決といいます。ここまでが三審制と言われる裁判です。
そこまでやっても、人間の行いですから判決の過誤がありえます。国家権力が無実の人に罪を負わせることは絶対に避けなければならない、これはフランスの人権宣言以来の歴史上最も大切で崇高なテーマです。そこで近代民主主義社会の制度として登場したのが再審のシステムなのです。

 再審は、法体系に組み込まれている無辜(無実の人)の救済を目的とする制度

三審制の結論でも有罪の確定判決を覆そうとするのが、再審。しかし、三審制に続く第四審ではなく、三審制を否定する制度でもありません。そこに再審制度の特殊性があるのです。再審制度は、無辜(無実であるにもかかわらず、誤って有罪とされた人)を事後的に救済することを立法の目的としています。従って、確定判決が無罪の場合、その無罪判決に対する再審は請求できません。また、より重い刑罰を求めての再審請求も認められてはいません。裁判官が、元の確定判決よりも重い刑を科すことも許されていないのです。
一方的に受刑者の利益を回復させるためのワンサイドゲームに特化した司法手続きが、再審制度なのです。これを利益再審といい、不利益再審制度というものはありません。三審制といえども、過誤による有罪判決を確定させてしまうことから自由ではないのです。そこで、誤って罰を与えられた人の人権を重視し汚名を返上することの制度的保障としています。司法の歴史的知恵といえるでしょう。

 再審請求審と再審公判

再審と言っても「再審請求審」と「再審公判」があります。その二段階の手続きを踏まなければならないのです。まずは確定判決を出した裁判所へ再審を請求し、再審公判を認めるか否かの審理からスタートします。袴田事件の場合、1980年11月19日に最高裁で死刑判決が確定。その後1981年4月20日、静岡地裁に再審請求を申し立てました。
静岡地裁では13年間の審理の末、1994年8月8日請求が棄却されました。直ちに東京高裁へ即時抗告。10年間の即時抗告審は2004年8月26日即時抗告棄却に。さらに、再審開始を求めて最高裁へ特別抗告。最高裁では、2008年3月24日、3年半の後に特別抗告が棄却されました。星霜27年、第1次再審請求審が終わります。

ところで、再審請求は繰り返して何度でも申し立てすることができます。国民の公正な裁判を受ける権利なのですから、繰り返し回数に限度はありません。袴田巖さんの姉のひで子さんが請求人となって2008年4月25日、第2次の再審請求を静岡地裁に申し立てたのです。6年間審理が続き、2014年3月27日、静岡地裁はついに再審開始決定に踏み切りました。裁判長は村山浩昭氏、再審請求を認めるとともに死刑の執行停止、拘置の執行停止も決定し、袴田さんは即日東京拘置所から釈放され自由の身になったのでした。「これ以上、袴田に対する拘置を続けることは、耐え難いほど正義に反する状況にある」という決定は、裁判官の正義と勇気を物語るものとして司法の歴史を飾る名言です。
しかるに、静岡地検は東京高裁に即時抗告を提起。犯行着衣とされる「五点の衣類」に付着していた血液のDNA型鑑定、新たに法廷に提出された取り調べの録音テープなどを争点として4年近い審理が続き、その最終局面を迎えています。
再審請求が認められ、再審開始決定が出されると、次のステップの再審公判が始まります。この再審公判で無罪判決が出ると、長かった裁判にようやく決着がつくのです。袴田事件は第一審から半世紀を数えようとしています。

 徹底しない無辜の救済 ――― 再審開始を阻む高いハードル

再審請求が認められるには、困難があります。確定した有罪判決に対して、無罪を言い渡すべき明らかな証拠が新たに発見されたときにのみ再審開始が認められます(刑事訴訟法435条 6 号)。これまで再審請求が数多く出されてきましたが、認められた例はほんのわずかに過ぎません。
かつては、再審における「明らかな証拠」とは、真犯人が現れたとか確実なアリバイを示す証拠が発見されたことなど、その証拠のみで無罪であることが要求されていました。そのため、再審が開始されるのはきわめて例外的なケースでした。再審は「針の穴にラクダを通す」ようなものと言われていたほどです。「疑わしきは被告人の利益に」の原則が実質的には適用されず、確定判決の権威が人権を踏みにじって省みない時代が続いてきました。

ところが1975(昭和50)年、最高裁は白鳥事件の再審請求を棄却したものの、その決定の中で画期的なことを主張しました。即ち、再審においても「疑わしきは被告人の利益に」の鉄則が適用されることを宣言。再審を開始するための新証拠の要件を、それまでの「その証拠だけで無罪の証明となること」から「確定判決までに提出された旧証拠と新証拠とを総合的に判断して有罪判決の認定に合理的な疑いを生じさせれば足りる」としたのです。開かずの再審の門が開けられるようになりました。
続けて最高裁は翌1976(昭和51)年、白鳥決定で明らかにした原則を財田川事件に適用。さほど有力な新証拠がなかったにもかかわらず、その場合でも旧証拠だけで有罪とするのに疑問があれば再審が認められる可能性があるとして、再審請求を棄却した決定を取り消し(再審開始決定を出し)たのです。

こうして再審の門が開きやすくなった結果、免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件の死刑 4 事件をはじめ、いくつかの重大な事件で次々に再審開始が認められ、再審無罪判決が出されるようになりました。再審無罪が例外中の例外ではなくなり、無辜を救済する再審制度はようやく息ができる時代が開けたのです。

 徹底しない無辜の救済 ――― 検察が不服申立できる日本

日本の司法制度は、英米式システム(コモンロー)に立脚しています。英米では、進級式のシステム(三審制)の過程で一旦無罪判決が出された場合、その無罪判決が確定判決とされ、それ以上の進級審理はありません。アメリカやイギリスなどでは検察の無罪判決への不服申し立てを許さないのです。被告人は即刻放免され、二度とその事件で逮捕されたり起訴されたりすることはないのです。一つの事件で二重に罪を問うことを禁止する『一事不再理の原則』に反するとされているからです。再審の段階でもその原則が貫かれ、再審開始決定や再審無罪判決に対する不服申し立ても許されていません。

ところが、日本ではそこまで進んではいません。袴田事件の第2次再審請求審、静岡地裁での再審開始決定に対して静岡地検は東京高裁へ即時抗告。再審請求者に有利な決定に対する上訴(控訴や上告)が、当然のように認められているのです。さらに、拘置の停止に対しても不服申立をするに至っては、「公益を代表する」という検察の看板はもう泥だらけ。再審は無辜の救済を目的としているという原則が置き去りにされています。

 徹底しない無辜の救済 ――― 再審での検察による追加立証は不可のはず

さらに、無辜の救済を目的とする再審に暗雲がかかっています。それは、再審(請求、公判)において検察官が新たな立証行為を追加しようとしていることです。検察は、裁判所と弁護団には通知せず、新たな味噌漬け実験を試みて、2016年10月19日、その結果を証拠として提出してきました。繰り返しますが、現行法は、再審があくまでも確定判決に対して請求者の利益になるための審理(利益再審)としているのであって、不利益再審は否定されています。検察の立証活動は判決が確定した段階で終了しているのです。確定判決の当否を判断するのが再審。確定判決があるにも拘らず、屋上屋を重ねるがごとき有罪事実認定を補強するための立証活動は、再審においては許されないはずです。

再審において検察官に何らかの活動の余地を認めるとしても、そもそも検察官の立場は「確定判決の有罪事実認定は正当である」ということ、確定審において完了した以上の立証活動は不要のはずです。それどころか、再審において検察官が何らかの追加立証を行うのは自己の立場と矛盾します。再審において有罪立証を追加することは、論理的には背理となります。矛盾です。なぜなら、確定審における検察官の立証活動が有罪判決とするには不十分、又は不適切であったことを自から認めることに他ならないからです。

 徹底しない無辜の救済 ――― 検察官は再審に協力すべき立場にあるはず

検察官は、法的には「公益の代表者」。刑事訴訟法439条1項1 号で再審請求権者が挙げられていますが、なんとその筆頭が検察官なのです。その規定がジョークでない限り、再審においては、検察官の立場と役割は通常審のそれとは異なります。訴訟を提起した一方の当事者として弁護側と対立的に振る舞うことは本来予定されていないのです。再審制度の立法意思を実現するならば、検察官は再審に協力する義務を負っているといえます。不服申立や追加立証活動は、再審における検察官の役割に反することになるのです。

いわゆる郵便不正事件等において発覚した検察不祥事を受けて、検察の在り方検討会議が「検察の再生に向けて」という提言を出しました。その提言は、検察官が「公益の代表者」として、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障を役割とすることを謳い、有罪判決の獲得のみを目的とすることなく、公平な裁判の実現に努めるべきことを主張しています。また、通常公判で有罪の獲得に拘泥することなく「引き返す勇気」の必要性を強調しています。この理は、再審請求審においても当然のことです。

 自分の非を認めた潔い先輩検察官に見習うべし

2014年3月27日の静岡地裁による再審開始決定は、大きな波紋を呼び起こしました。袴田事件担当の最高検元検事、竹村輝雄氏がショックを語っています。(4月3日放送のNHK番組『クローズアップ現代』、番組タイトル「うもれた証拠 ~“袴田事件”当事者たちの告白~」)
「それは重いですね。本当に眠れなかった、わたし、この決定を読んでね。検察官としてこれは十分に教訓として反省すべきところです。」
「よく証拠を見ることでしょうね。一方の立場からではなく、公平な立場からみることですよ、証拠を。」
地裁の決定にショックを受けたとしても、自らの非を認めることには、たいへんな勇気が必要だったと思います。謙虚な気持ちと正義感がなければできなかったでしょう。進んで非を認め反省を隠さない、この先輩検察官を見習うべきではないでしょうか。

他にも、振り返ってみるべき事例があります。例えば、足利事件と東電OL事件で裁判の最後を締めくくった検察官の態度です。
1990年に起きた足利事件の確定判決は無期懲役でした。2009年4月、犯人とされ服役していたS氏のDNA型と被害者の着衣に付着していた体液のそれとが一致しないという鑑定が出されました。2009年6月、鑑定結果を受けて、東京高等検察庁が「新鑑定結果は再審開始の要件である『無罪を言い渡すべき明らかな証拠』たり得る」とする意見書を提出(事実上の再審開始決定)。併せて「有罪判決を導いた証拠が誤りであった以上、刑の執行を継続すべきではない」として服役中のS氏を釈放したのです。それから2010年2月12日、再審第6回公判で、検察側は「取り調べられた証拠により、無罪を言い渡すべきことは明らか」とし、論告で無罪を求めました。論告に際して、「17年余りの長期間にわたり服役を余儀なくさせて、取り返しのつかない事態を招いたことに検察官として誠に申し訳なく思っています」と謝罪したのです。

また、1997年に発生した東電OL事件は、一審無罪でしたが、二審東京高裁で逆転して有罪(無期懲役)。2003年最高裁で有罪が確定、収監されました。2005年に再審請求。2011年に新たなDNA型鑑定で型の不一致が証明され、2012年東京高裁は再審開始と刑の執行停止を決定しました。東京高検は最高裁への特別抗告を断念。2012年10月24日の再審公判初日、検察は「被告以外が犯人である可能性を否定できない」として無罪を主張、結審となったのでした。

袴田事件を担当する検察官はこのような検察の歴史の輝かしい部分を十分に理解されていることと思います。弁護人だけが被告の人権を守ることに尽力するわけではありません。元来、裁判官も検察官も、人間の尊厳と自由の砦であることに差はないのです。再審請求即時抗告審が、検察官の華麗なる勇気、潔く事実に忠実な態度への拍手をもって終了となることを願ってやみません。

 

 

2. 即時抗告審の争点

 無罪を証明していた血液のDNA型鑑定

第2次再審、静岡地裁での審理では、シャツの肩の部分(傷の周囲)の血液が袴田さんのものかどうかをDNA型鑑定で明らかにすることが目的でした。
弁護団推薦の筑波大学の本田教授は、血球細胞のDNAを取り出して判定。袴田さんの型とは異なる。故にシャツに着いていた血液は袴田さんのものではない、と結論を出しました。
検察官推薦の神奈川歯科大の山田教授は、ミトコンドリアDNAを鑑定。本田鑑定と同様に、袴田さんの型とは異なると結果を出しました。ところが、法廷での鑑定人尋問では、「自信がないから、私の結果を信用しないでくれ」「袴田さんのシャツから採取した血液なのに、袴田さんのと一致しないのはおかしい」などと胡乱なことを言いだしたのです。

即時抗告審では、本田鑑定の「レクチンを使った選択的細胞抽出法」が取り上げられ、検察推薦の鈴木大阪医科大学教授に再現実験を委嘱。鈴木教授の実験は本田鑑定の忠実な再現実験はやらずに、独自の実験をしていました。で、「レクチンはDNAをこわしてしまうこと」を結論としていました。弁護団は、色々な意味でその実験の奇怪な逸脱ぶりをいぶかり、この1月13日、その鈴木実験の忠実な再現実験を試みたのです。
その結果はメチャクチャ。抽出実験には到底なりえません。本当に鈴木教授が自らの手で実験したのか、まともな感覚で経過を観察しながらやったのか、根本的な疑問を抑えることができないくらいとのことです。
大阪医科大学の鈴木広一教授といえば、1991年法医学会学術奨励賞を受賞、日本DNA多型学会会長を務めたこともある学会の名士です。その名に恥じることをやるはずはないと思われますが、一体どうしたことでしょう。検察の顔を立てなければならないので、外形的には本田鑑定を否定するような結果を出しています。しかし、そうしながらも、「私の本当の主張は少しでも中身を検討すれば分かってもらえるはず」と言っているようにも受け取れます。そうとでも考えなければ、鈴木教授の学識と鑑定再現実験のお粗末さとの整合性が取れないので、あながち穿った見方でもないと思われます。

19日の記者会見で、鈴木教授の再現実験の再現実験を担当した弁護士はこのように発言しています。
「やってみたところ、うまくいきませんでした。まず、鈴木先生の手法だと、水溶液の量は0.2㍉㍑なので本田鑑定の5分の1。レクチン試薬の濃度は本田先生の倍になります。それで反応させてみると、入れ物の底の方に血液がこびりついてしまい、とれなかった。本田先生だと、水溶液の中に、血液が溶け出しているのが見てわかる状態なのですが、その血液の塊のようなものが底にこびりついてしまっていた。入れ物ごと逆さまにしても下に落ちてこない。鈴木先生の手法だと、血液を別の入れ物に移しかえて、何度か衝撃を与えると血液の塊のようなものが入れ物に落ちてくる状態だった。
やってみてわかったのが、鈴木先生が尋問のときに言っていたような結果にはならなかったし、おそらくやっている途中で「これはどこかおかしいだろう」と気づくと思うので、弁護人としては、鈴木先生は本当に実験を監修なさっていたのだろうかと疑問に思った。
レクチンの試薬の量や濃度に関する視点がまったく欠落している。例えていえば、医者が薬を出すときに、量を気にせずに処方しているのと同じ。どんなにいい薬でも、量が少なければ効かない。」

もう一点、本田教授の「V-PCR法(バナジウム法)」というDNAを増殖する方法についても検察から批判がありました。しかし、この方法は8年前に検察官からの依頼で本田教授がDNA型鑑定した際にも採用していた方法でした。この方法による結果で、検察は被告を有罪にし、大いにこの方法を評価していたのです。自分のために使う場合と反対意見のために使われた場合とで、評価が逆になる矛盾を弁護側から指摘され、以降、この点には触れなくなりました。

 5点の衣類の色も、衣類がねつ造だったことを証明

発見されたときの5点の衣類ですが、1年以上も味噌タンクの中に入っていたにしては色が薄すぎたのです。付着していた血液の色も赤みが強すぎたのでした。再審開始決定の理由の一つとされました。
この点を指摘され、検察は新たに衣類の味噌漬け実験を秘密裏に行い、その結果を新証拠として出してきました。その結果は、図らずも弁護団でもやっていた味噌漬け実験と同様なものにしかならず、これまで否定していた弁護団の実験を補強するものでした。なので、意見書としてまとめることができなかったのです。そこで、他の学者を動員して反論してきたのですが、それらは科学的な反論ではなく、裏付けのない感想を述べたてたものに過ぎません。血液(味噌も)が濃い色に変化するのは、メイラード反応によるものです。検察はこの反応について無知だったので色の変化を科学的に解明できず、太刀打ちできなかったのです。

 新証拠の録音テープなどから分かった違法な取り調べ

取り調べの録音テープが、即時抗告審の段階で検察から新たに発見された証拠として提出があり、それを分析する中で違法な取り調べが明らかにされました。
① トイレに行かせず、取調室に便器を持ち込む。   特別公務員暴行陵虐罪、偽証罪
② 弁護士との接見を盗聴    公務員職権乱用罪、偽証罪
③ ズボンのタグの「B」を色であると知りながらサイズと偽装   有印虚偽公文書作成罪,同行使罪、偽証罪
上記の取調官の犯罪を示し、再審請求の理由を追加(刑事訴訟法435 条 7 号)しました。

 事件は丸ごとねつ造、虚構の袴田事件

袴田事件について知れば知るほど、暴き出された事実に底知れぬ嫌悪感、止まらない戦慄に襲われない人はいないのではないでしょうか。
半世紀前に起きたみそ製造会社の専務一家4人が惨殺され放火された凶悪事件の真犯人は取り逃がされ、事件は時効になってしまいました。それは警察の大失態でしたが、それを挽回しようと暴走したのが虚構の事件、袴田事件でした。国家権力の捜査機関が実行犯となり、袴田巖さんという無辜の庶民が突然被害者となりました。逮捕され牢獄の独房に監禁されること48年間。そのうち、33年間は死刑囚、無実であるにも拘らず国家権力によっていつ殺害されるかわからないという過酷で残忍な重圧の下にありました。この世界的にも類例のない酷悪な事件は、みそ会社での犯罪とは全く別。国家権力による不法行為としての不気味な姿が暴き出されたのです。
分かってきたのは、捜査当局が証拠に少々手を加えていたというレベルを遥かに超えて、事件は丸ごとでっち上げ、許しがたい虚構の事件だったということです。袴田巖さんを事件の真犯人とする証拠は一つもありません。しかし、当初は捜査当局の巧妙な奸計が功を奏し、第1審の静岡地裁で死刑判決、弁護団は高裁、最高裁へと上訴したものの1980年12月12日、死刑判決が確定しました。

そこから逆転劇が始まります。1981年11月、日弁連は袴田事件委員会(弁護団)を結成、全面的な支援を開始しました。無実の死刑囚を救援するために、再審無罪を求めての法廷闘争です。袴田さんに押し付けられた濡れ衣が次々と白日の下に晒され、2014年3月、再審請求が静岡地裁で認められました。再審開始決定は、見事に証拠のねつ造を明るみに出して指弾、長期にわたる拘禁を「耐え難いほど正義に反する」と断じて無実の死刑囚を釈放したのです。が、敗れた検察は鉄面皮、東京高裁へ即時抗告しました。然るに即時抗告審でも、検察は再審開始決定を覆すだけの武器を持っていないことが明らかになっています。検察は、手負いの野獣のごとく暴れてはいますが、再審請求が認められ、再審無罪判決が出されるのは必至。一日も早く即時抗告が棄却され再審公判に移行して正義の決着が求められているのです。
東京高裁が近々決定を出します。検察の即時抗告棄却、再審開始決定のために、正義を求める勇気ある人々が立ち上がっています。私たちは、その流れの一翼になることを誇りとしております。

3月19日「袴田巖死刑囚救援議員連盟」総会

袴田巖死刑囚救援議員連盟」総会が19日に開かれました。

高裁の判断が待たれる今、緊急に開かれたものです。

塩谷立衆議院議員(浜松選挙区)が会長でご挨拶。

 

 

 

 

 

小川英世弁護団事務局長は、熱く訴えました

法務大臣は検事総長に個々の事件について指揮する権限を有する(検察庁法14条)ので、即時抗告が棄却された時、特別抗告をしないよう議員の方々に要請していただきたいと。

理由は、二つ。
一つ目は、袴田さんは釈放されてはいるが、現在も妄想の世界で苦しんでいて人としての普通の生活が全然できていないこと。浜松の街歩きは、自分は最高権力者で仕事で人々を守るいう妄想にとらわれてのこと。それは袴田さんの日記からも明らかであり、、刑務所時代と全く同じ。最高権力者になれば死刑の執行はできない。つまり、いまでも死刑の執行の恐怖に苛まれているという状況。早く無罪判決を勝ちとらなければならず、検察に特別抗告などさせてはならない。

二つ目は、死刑再審であるという重大性。なかでも、静岡地裁は再審開始決定で無罪が確定する前に釈放した。警察による証拠のねつ造があったからだ。この事件は特別なものだと法務大臣に要請をしていただきたい。

また、横光克彦議員は、刑事再審法の不備を正すこと、検察の上訴の禁止や証拠の全面開示などを訴えました。

こんなにたくさんの国会議員が公正な司法判断を求めて、巖さんの速やかな再審無罪の実現を訴えているのです。

大崎事件の特別抗告をした検察に、「検察はおもしろがってやっているのか」という批判の声さえあがったとか。

総会決議全文は以下の通りです。

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「袴田巖死刑囚救援議員連盟」総会決議

 

 2010年(平成22年)4月22日に超党派の国会議員60名以上の参加により本議員連盟が設立されてから間もなく8年を迎える。この間我々は、その目的である袴田巖さんの処遇改善と早期釈放実現のためにご家族、弁護団、支援者と連携しつつ、東京拘置所での袴田さんとの面会や、時の法務大臣への要請など様々な活動を実施してきた。

そうした中、2014年(平成26年)3月27日、静岡地裁は「捜査機関が証拠をねつ造した疑い」「拘置をこれ以上継続することは耐えがたいほど正義に反する」という異例の強い表現で捜査当局やその主張を追認してきた裁判所の責任を問いただす再審開始決定を下した。そして、袴田さんは48年ぶりに獄中から解放された。これにより、袴田さんの早期釈放の実現という我々の目的は達成されたかに見えた。

しかしながら、検察は即時抗告に踏み切り、再審開始は棚上げとなった。4年を経て、今年度中には東京高裁にて再審開始の可否が決まるとされている。その決定次第では、袴田さんが再収監される可能性すら残されている。残念ながら袴田さんの身分は未だ確定死刑囚のままであり、我々が求める「真の釈放」は実現していないと言わざるを得ない。

東京高裁での即時抗告審は4年もの歳月を要し、今月10日、袴田さんは82歳になった。再審請求人である姉のひで子さんも85歳である。残された時間はわずかしかない。よって我々は、本日の総会で以下のことを決議する。

1、法と証拠に基づく公正公平な司法判断による袴田さんの再審無罪の実現

2.東京高裁が検察の即時抗告を棄却した暁には、検察に特別抗告を断念させるために全力を挙げること

2018年(平成30年)3月19日

袴田巖死刑囚救援議員連盟会員一同

@WEB_SEKAI に「はかまたさん」(青柳雄介氏の連載)が始動!

青柳さんは、袴田巖さんに密着取材を続け、岩波書店発行の雑誌『世界』に「神を捨て 神になった男 確定死刑囚・袴田巖」を好評連載中。4月号で連載第14回目となります。血を吐くような心情を透徹した文章に綴った巌さんの獄中書簡・日記を連載冒頭に紹介しながら、読者を優れた表現力で袴田事件の核心へと誘い、袴田巖さんの姿を浮き彫りにしています。

 

その青柳氏が↓WEB上で、こんな新連載をはじめました。岩波書店『世界』編集部 @WEB_SEKAI

袴田巖氏に密着する著者ならではの筆致で、日常の「はかまたさん」を等身大で描きます。
青柳氏しか書けない「はかまたさん」、みなさんもご覧ください

http://websekai.iwanami.co.jp/posts/340  #WEB世界

1/19 弁護団記者会見、即時抗告審最終意見書提出

1月19日に弁護団、検察官の双方が、東京高裁へ最終意見書を提出。

これで、第2次再審請求審の即時抗告審の審理は終了しました。後は、最終意見書への反論があれば2月2日までに提出とされていて、年度内(3月末まで)に高裁の決定が出される予定で進められています。

 

最終意見書は、即時抗告審のまとめです。2014年3月、静岡地裁が再審開始を決定。それに対する不服申立(即時抗告)を検察が東京高裁へ訴えたのです。

検察の主張は、原決定(静岡地裁の再審開始決定)は間違いだということ。それに対して、弁護側の主張は、原決定に間違いはなく、正しいということです。

弁護団の最終意見書を掲載します。興味のある方は、ご覧ください。ここをクリック20180119 statement

原決定の根拠となった血液のDNA型鑑定について

  第2次再審、静岡地裁での審理では、シャツの肩の部分(傷の周囲)の血液が袴田さんのものかどうかをDNA型鑑定で明らかにすることが目的でした。

弁護団推薦の筑波大学の本田教授は、血球細胞のDNAを取り出して判定。袴田さんの型とは異なる。故にシャツに着いていた血液は袴田さんのものではない、と結論を出しました。

検察官推薦の神奈川歯科大の山田教授は、ミトコンドリアDNAを鑑定。本田鑑定と同様に、袴田さんの型とは異なると結果を出しました。ところが、法廷での鑑定人尋問では、「自信がないから、私の結果を信用しないでくれ」「袴田さんのシャツから採取した血液なのに、袴田さんのと一致しないのはおかしい」などと胡乱なことを言いだしたのです。

即時抗告審では、本田鑑定の「レクチンを使った選択的細胞抽出法」が取り上げられ、検察推薦の鈴木大阪医科大学教授に再現実験を委嘱。鈴木教授の実験は本田鑑定の忠実な再現実験はやらずに、独自の実験をしていました。で、「レクチンはDNAをこわしてしまうこと」を結論としていました。弁護団は、色々な意味でその実験の奇怪な逸脱ぶりをいぶかり、この1月13日、その鈴木実験の忠実な再現実験を試みたのです。
その結果はメチャクチャ。抽出実験には到底なりえません。本当に鈴木教授が自らの手で実験したのか、まともな感覚で経過を観察しながらやったのか、根本的な疑問を抑えることができないくらいとのことです。
大阪医科大学の鈴木広一教授といえば、1991年法医学会学術奨励賞を受賞、日本DNA多型学会会長を務めたこともある学会の名士です。その名に恥じることをやるはずはないと思われますが、一体どうしたことでしょう。検察の顔を立てなければならないので、外形的には本田鑑定を否定するような結果を出しています。しかし、そうしながらも、私の本当の主張は「少しでも中身を検討すれば分かってもらえるはず」と言っているようにも受け取れます。そうとでも考えなければ、鈴木教授の学識と鑑定再現実験のお粗末さとの整合性が取れないので、あながち穿った見方でもないと思われます。

19日の記者会見で、鈴木教授の再現実験の再現実験を担当した弁護士はこのように発言しています。
「やってみたところ、うまくいきませんでした。まず、鈴木先生の手法だと、水溶液の量は0.2㍉㍑なので本田鑑定の5分の1。レクチン試薬の濃度は本田先生の倍になります。それで反応させてみると、入れ物の底の方に血液がこびりついてしまい、とれなかった。本田先生だと、水溶液の中に、血液が溶け出しているのが見てわかる状態なのですが、その血液の塊のようなものが底にこびりついてしまっていた。入れ物ごと逆さまにしても下に落ちてこない。鈴木先生の手法だと、血液を別の入れ物に移しかえて、何度か衝撃を与えると血液の塊のようなものが入れ物に落ちてくる状態だった。やってみてわかったのが、鈴木先生が尋問のときに言っていたような結果にはならなかったし、おそらくやっている途中で「これはどこかおかしいだろう」と気づくと思うので、弁護人としては、鈴木先生は本当に実験を監修なさっていたのだろうかと疑問に思った。
レクチンの試薬の量や濃度に関する視点がまったく欠落している。例えていえば、医者が薬を出すときに、量を気にせずに処方しているのと同じ。どんなにいい薬でも、量が少なければ効かない。」

もう一点、本田教授の「V-PCR法(バナジウム法)」というDNAを増殖する方法についても検察から批判がありました。しかし、この方法は8年前に検察官からの依頼で本田教授がDNA型鑑定した際にも採用していた方法でした。この方法による結果で、検察は被告を有罪にし、大いにこの方法を評価していたのです。自分のために使う場合と反対意見のために使われた場合とで、評価が逆になることを弁護側から指摘され、以降、この点には触れなくなりました。

5点の衣類の色について

  発見されたときの5点の衣類の色が、1年以上も味噌タンクの中に入っていたにしては薄すぎたのです。付着していた血液の色も赤みが強すぎたのでした。

この点を指摘され、検察は新たに衣類の味噌漬け実験を秘密裏に行い、その結果を新証拠として出してきました。その結果は、図らずも弁護団でもやっていた味噌漬け実験と同様なものにしかならず、これまで否定していた弁護団の実験を補強するものでした。そこで、他の学者を動員して反論してきたのですが、それらは科学的な反論ではなく、裏付けのない感想を述べたに過ぎません。血液(味噌も)が濃い色に変化するのは、メイラード反応によるものです。検察はこの法則について無知だったので、太刀打ちできなかったのです。

違法な取り調べ

  取り調べの録音テープが、即時抗告審の段階で検察から新たに発見された証拠として提出があり、それを分析する中で違法な取り調べが明らかにされました。
① トイレに行かせず、取調室に便器を持ち込む。   特別公務員暴行陵虐罪、偽証罪
② 弁護士との接見を盗聴    公務員職権乱用罪、偽証罪
③ ズボンのタグの「B」を色であると知りながらサイズと偽装   有印虚偽公文書作成罪,同行使罪、偽証罪

上記の取調官の犯罪を示し、再審請求の理由を追加(刑事訴訟法435 条 7 号)しました。

事件は丸ごとねつ造、虚構の袴田事件

 袴田事件について知れば知るほど、底知れぬ嫌悪感、留まることを知らない戦慄に襲われない人はいないのではないでしょうか。
半世紀前に起きたみそ製造会社の専務一家4人が惨殺され放火された凶悪事件の真犯人は取り逃がされ、事件は時効になってしまいました。それは警察の大失態でしたが、それを挽回しようと暴走したのが虚構の事件、袴田事件でした。国家権力の捜査機関が実行犯となり、袴田巖さんという無辜の庶民が突然加害者とされました。逮捕され牢獄の独房に監禁されること48年間。そのうち、33年間は死刑囚、無実であるにも拘らず国家権力によっていつ殺害されるかわからないという残忍な重圧の下にありました。この世界的にも類例のない酷悪な事件は、みそ会社での犯罪とは全く別。国家権力による不法行為として不気味な姿をさらしているのです。
分かってきたのは、捜査当局が証拠に少々手を加えていたというレベルを遥かに超えて、事件は丸ごとでっち上げ、許しがたい虚構の事件だったということです。当初は捜査当局の巧妙な奸計が功を奏し、第1審の静岡地裁で死刑判決、弁護団は高裁、最高裁へと上訴したものの1980年12月12日、死刑判決が確定しました。

そこから逆転劇が始まります。1981年11月、日弁連は袴田事件委員会(弁護団)を結成、全面的な支援を開始しました。無実の死刑囚を救援するために、再審無罪を求めての法廷闘争です。袴田さんに押し付けられた濡れ衣が次々と暴き出され、2014年3月、再審請求が静岡地裁で認められました。再審開始決定は、見事に証拠のねつ造を明るみに出して指弾、長期にわたる拘禁を「耐え難いほど正義に反する」と断じて無実の死刑囚を釈放したのです。が、敗れた検察は鉄面皮、東京高裁へ即時抗告しました。然るに即時抗告審でも、検察は再審開始決定を覆すだけの武器を持っていないことが明らかになっています。検察は、手負いの野獣のごとく暴れてはいますが、再審請求が認められ、再審無罪判決が出されるのは必至。一日も早く即時抗告が棄却され再審公判に移行して正義の決着が求められているのです。

12/7 福岡事件70年、全国再審キャンペーン 浜松集会開催

『私はわらじがぬがれない』2017浜松集会

 

12月7日浜松協働センターにおいて、福岡事件再審キャンペーン『事件発生70年、全国70か所での講演をを目指して!』浜松集会が開かれました。1月に関東学院大学で始まったこのキャンペーンは全国各地を回り、11月再び関東学院大で70回目を迎え、この浜松の集会は72回目に当たるということでした。平日の午後でしたが10数名の参加を得て、ご家族で50年以上も再審運動を進められてこられた生命山シュバイツアー寺の古川龍樹さんの講演と西さん泰龍氏の遺品展が行われました。

 

《福岡事件とは》

終戦後間もない1947年5月福岡市博多区で2人が射殺される事件が起こりました。殺された中国人と日本人の2人の男性は軍服の闇取引のボスで、強盗殺人事件として捜査した福岡県警は西武雄元死刑囚を首謀者、石井健治朗元死刑囚を実行犯として計7人を強盗殺人容疑で逮捕しました。西元死刑囚は「その場にはいなかった。事件とは無関係」、石井元死刑囚は「正当防衛で偶発的に2人を殺害した。」と主張したが、2人とも56年に最高裁で死刑が確定、75年には再審運動の盛り上がりの中で実行犯の石井元死刑囚は恩赦で無期懲役に減刑(89年仮釈放)されましたが、同じ日の朝、無実を叫ぶ西死刑囚はなぜか恩赦は叶わず、何の前触れもなく急ぐように刑が執行されました。西死刑囚が主導したという見立てに直接証拠はなく、他の逮捕者の供述だけで認定され裁判で被告たちは「無理やり調書を取られた」と供述を否定しましたが、結局4人は懲役刑、1人は無罪になりました。

冤罪の構図は今も同じで、自白中心の捜査に終始し、客観的な証拠に基づいて事実認定がなされていません。袴田事件より19年前の出来事ですが、戦後初の死刑囚、すべての冤罪事件の始まりとして決して歴史の闇に埋もれさせてはならないし、その今日的な意味を考え続けていかなければならないと思います。

 

《再審運動の広がり》

戦後の混乱期の状況が事件の解明に複雑に影響し、単なる偶発的事件が計画的な強盗殺人事件にすり替えられ、その首謀者として西武雄さんが捕らえらえたのが福岡事件の真相ですが、その再審運動に生涯をささげたのが古川龍樹(りゅうじ)さんのお父上、泰龍氏でした。

福岡刑務所の教誨師をしていた泰龍氏は西武雄さんと出会い、交流を重ねるうちに冤罪を確信し、財産をなげうって全国を東奔西走し再審運動への支援を広げていきました。偶然に家族が連続殺人事件の犯人を見破り、時の人となったことなどもあり、福岡事件は多くの人に知られていくようになり、神近市子、土井たか子といった国会議員の支援も行われるようになって「二人の死刑囚」というドキュメンタリー番組も放映され、大きな反響を呼びました。この辺の展開は袴田事件と重なるものがありますが、福岡事件は事件から25年を経て、大きく動き出します。75年5月には再審事件にも「疑わしきは被告人の利益に」という白鳥決定が出て、帝銀、免田、福岡の戦後の占領統治下での事件が明治100年の恩赦の対象になり、福岡事件にも一筋の明かりが見え始めます。

ところが1975年6月17日、再審運動に挑戦するかのように、事件の実行は認めていた石井被告は無期懲役に減刑されましたが、西武雄さんは無実を叫びながら刑を執行され、返らぬ人となりました。石井さんは89年42年ぶりに仮釈放され、08年に91歳で亡くなりました。「自分が死刑になるのはわかる。でも西君は何も知らない。事件とは無関係だ」と石井さんは言っています。戦後死刑囚第1号だった西死刑囚は投獄当時32歳が60歳を過ぎていました。その間一貫して無実を叫び続け、写経や仏画に打ち込み、若い囚人の親代わりもして看守の信頼も厚い模範囚だったといいます。そんな西死刑囚に対して福岡拘置所は遺言も書かせず、支援者にも知らせず、恩赦却下と同時に処刑しました。これほどむごい仕打ちをする根拠はどこにあるでしょうか?再審の壁や司法の闇とかいう前に私は検事と裁判官に言いたい。謙虚に、明鏡止水の心境で事実と向き合ったのか、人として恥じない行動だったのかと。

 

《福岡事件再審運動の教訓》

わらじをはいて十年 無実の死刑囚を救うため わたしはひとり ひとり 街を 村を訴え、叫び、歩き続けた。…たったひとりのいのちすら 守れない世の中を 私は信じることができない。無実で死刑にならない世の中を 私は信じたい 証明したい でなければ 私は救われない 生きられない 私はわらじがぬがれない(古川泰龍)

この言葉を胸に古川泰龍氏は福岡事件の再審運動に命がけで奔走しました。その甲斐あって一時は死刑の執行を寸前でやめさせることもありましたが、結局は死刑が執行されてしまいます。その後、西さんの遺族が請求人になって死刑後再審請求を行いましたが、そのご遺族もなくなって再審は『終了』してしまいました。

いま袴田事件は第2次再審請求が通り、静岡地裁での『再審開始』が決定しましたが、検察の無意味な抵抗=即時抗告という手続きのため三年半もの時間が浪費されてしまっています。福岡事件再審運動の教訓の第一は、何が何でも袴田巌さんが元気なうちに再審を開始し、冤罪を晴らさなければならないことです。そのために東京高裁の決定に向けできることは何でもやって検察の抗告を棄却させねばなりません。検察は高裁での審理をまじめにやろうとやろうとはせず、弁護側の鑑定の手法のケチ付に終始し、一日で出来る実験を一年半も掛けて行い、徒に時間の引き延ばしを図りました。弁護団が要求した『すねの傷の証拠』の記録や写真はついに提出できず、逮捕時に専務に蹴られたというすねの傷はなかったことが明らかになっても「すねの傷はあったが時間がなくて記録できなかった。事件と関係ないと思った」などと子供じみた言い訳を押し通そうとしています。

この間、私たち『市民の会』は「すねの傷の真実」のDVDを作成し検察のウソを明らかにしたり、大島隆明裁判長宛で検察の抗告の棄却と一刻も早い再審の開始をお願いするハガキ運動を行ってきました。年度内の決着に向けさらに運動を強めていかなければなりません。

教訓の第二は東京高裁で抗告が棄却された後の準備です。熊本の松橋事件の例でも福岡高裁の決定を不服として検察は最高裁に抗告し、自らの誤りを認めようとせず、引き返す勇気も持てません。袴田事件でも検察の対応は「あったことをなかったことにしようとする」かのごとく時間稼ぎに躍起になっています。絶対に最高裁まで引き延ばしを許してはなりません。

袴田巌さんは釈放されて1000日を超えましたが、17000日死刑の恐怖と戦ってきた心の傷は癒えてはいません。午前午後雨の日も風の日も1日7時間以上の見回りを自らに課し、毎日8か所の神社やお寺、慰霊碑などをお参りし、自らの世界に閉じこもる様子は「心は獄中のまま」というお姉さんの秀子さんの指摘が当たっていると感じます。

30歳で逮捕され、人生の一番輝かしい時間を奪われて、家族も生活もメチャクチャにされて、そのうえ釈放されても心が壊れたままのひどい目にあっても、まだ検察は巌さんを苦しめようとするのか。村山判決の「耐え難いほど正義に反する」状態をこれ以上続けさせてはなりません。2月24日には東京で全国集会が予定されていますが、浜松でも再審の一刻も早い開始を訴えて大きなうねりを作り上げなければなりません。

教訓の第三は再審法の制定に今こそつなげていかなければならないことです。福岡事件は西さんの死後、ご遺族が請求人になって再審の運動は古川さんの家族が担って来ましたが、再審請求は遺族が亡くなると『終了』するのだそうです。再審が実現しなくても続けなければならない運動の難しさを古川さんが教えてくれました。あったことがなかったことにされ誤った裁判が永久に正されないのは私たちにとっても不幸なことです。過去の冤罪無罪事件の徹底的検証はもちろん、無罪を訴えて争った裁判記録の検証は司法の責任として当然やらねばならないことだと思います。関係者が亡くなったから終了というのでは、冤罪被害者は永久に浮かばれません。今後科学の進歩によって冤罪が晴れる日が来るかもしれません。全ての冤罪事件の被告、支援者が手をつなぎ再審法の制定を世論に発信することは袴田さんの支援者にとっても必要だろうと思います。

 

 即時抗告審の審理が終結、11/6三者協議後、弁護団記者会見「決着ついた」

即時抗告審、最終スケジュールが決定

 

 

3年前、静岡地裁の再審開始決定で袴田巖さんは死刑の執行停止と拘置の停止で釈放されましたが、検察が即時抗告。東京高裁での審理が続けられてきました。11月6日の審理(裁判官、検察官、弁護人の三者協議)の後、弁護団が記者会見、その内容を明らかにしました。

  • 9月に実施されたDNA型鑑定についての鑑定人尋問(本田克也・筑波大教授と鈴木広一・大阪医大教授)で審理を終結。そこまでで審理が尽くされたと判断し、
  • 今後は、来年1月19日までに検察官、弁護人の双方から最終意見書を提出、それへの反論の意見書を2月2日にそれぞれが提出。
  • 裁判所はその両者を検討の上、3月の年度末以内にできるだけ早く結論を出す。

即時抗告審、高裁の決定は年度内に出される見通しとなりました。

即時抗告審では、DNA型鑑定の内容が焦点とされてきました。3年半前の地裁での再審開始決定の主要な根拠となったのが、本田教授のDNA型鑑定でした。袴田さんと事件を関係づける証拠、唯一の物証であった「五点の犯行着衣」が袴田さんのものであるという検察の主張が崩れたのです。「犯行着衣」には大量の血液が付着していたのですが、DNA型を調べたところ、その血液は4人の被害者のDNA型と一致せず、また、袴田さんのDNA型とも一致しないという驚くべき鑑定結果が明らかにされたのです。「犯行着衣」には、ズボンは袴田さんが穿けなかったことなど、それ以外にも捜査機関のでっち上げを示す点が沢山ありました。DNA型鑑定の結果は「ねつ造」を推認させる理由の決め手でした。その点を皮切りに、検察側の提出した証拠や自白の全てに疑問符が付けられ、「ねつ造」という言葉まで使われました。

静岡地裁の決定はこう喝破しています。「これ以上拘置しておくのは捜査機関によってねつ造された疑いのある重要な証拠によって有罪とされ、極めて長期間死刑の恐怖の下で身柄を拘束されてきた。無罪の蓋然性が相当程度あろことが明らかになった現在、これ以上、袴田に対する拘置を続けることは、耐え難いほど正義に反する状況にある。よって、裁量により、拘置の執行も停止する。」という日本の裁判史上画期的な決定が出されました。

検察による高裁への即時抗告請求の主要な根拠が、このDNA型鑑定に対するものでした。検察からの要求を受けた高裁が、本田鑑定の再現実験を依頼したのが鈴木教授でした。鈴木教授は、本田鑑定の手法(選択的抽出法)を忠実に再現するのではなく、実験器具も別のものを使っていました。それで本田鑑定の選択的抽出法とバナジウム法を批判したのです。鈴木教授の意見書は本田鑑定を否定するもの足りえない、その点が9月末に行われた鑑定人尋問で明らかになりました。

さらに、弁護団は本田鑑定の忠実な再現実験を、DNA型鑑定には素人の学生と弁護士が挑戦して見事に再現できました。そのビデオ映像を提出、証拠として採用されたのです。これで決まりでした。

検察からは、審理を続行したいという意見もなかったようです。弁護団は、これで検察が即時抗告に期待したことは完全に崩れてしまったと判断。あとは、検察の最高裁への特別抗告ができないよう、高裁が原審の決定(地裁での再審開始決定)を不動のものとする即時抗告棄却決定を出すよう主張したいと表明しました。

弁護団は、別に、再審理由の追加申立補充書を高裁に提出。警察の取り調べを録音したテープの解析などから、警察の捜査に違法な手口(有印虚偽公文書作成など)が発見されたと主張しています。

 

再審の今後ですが、様々なケースが想定できます。

第2次再審請求の即時抗告審は、来春決着です。しかし、再審無罪までの道のりはまだまだこれからです。来春、再審開始決定が支持されて再審が決まると、今度は再審公判に移ります。

過去のえん罪事件、足利事件と東電OL事件では、DNA型鑑定の結果で検察官が白旗を掲げました。確定判決が覆されたのですが、検察が再審公判で「無罪」の主張、「無罪」の論告に踏み切り、検察と裁判所が被告に謝罪するという異例な結末を迎えました。検察、裁判所はいつも悪魔の僕ではなく、潔く自分の過ちを認めることがあったのです。

今回、東京高検はその例に習い、即時抗告を取り下げ、再審公判で無罪を主張するべきなのです。誰もが過ちから自由ではないのです。過ちを認めることを憚っていては、返って国民からの信頼を失うことになるのですから。これが、最善で最短の解決となります。

次の可能性ですが、高裁が即時抗告を棄却(=再審開始決定が高裁で認められること)となると、検察が最高裁へと不服申立(特別抗告)することが考えられます。最高裁での特別抗告審に移るのです。最高裁で特別抗告が棄却(=再審開始決定が最高裁で認められること)になると、今度は再審公判が静岡地裁で開かれることになります。

ここで問題になるのは、再審請求審でも再審公判でも、再審開始決定や無罪判決に対する検察の不服申立(抗告)が日本の司法で認められていることです。日本の司法制度は、コモンロー(英米式司法)なのですが、英米では検察の不服申立は許されていません。再審において検察の抗告を認めるということは、無辜を救済するシステムという再審制度の立法意思に反するからです。検察の広告は、日本の司法が未だに「推定無罪の原則」「疑わしきは被告人の利益に」という人権を重視する近代司法の考え方に抵抗していることの証左なのです。

いずれにしても、2014年の再審開始決定からの裁判の流れからすると、再審無罪という結論は疑いようがないと思われます。問題なのは、時期です。袴田巖さんはいつになったら汚名を挽回し、名誉回復とともに何の恐れもなく生活できるようになるのか。そこが問われているのです。袴田巖さんがえん罪で逮捕されたのは、1966年、30才のときでした。半世紀の星霜が流れ、今は81才。共に暮らす姉のひで子さんは84才になっています。

謙虚に反省しない検察・司法当局ならば、「天に満ちる怒声(どせい)に撃たれよ、地を覆う呻(うめ)きに慄(おのの)き、民の怨嗟(えんさ)を浴びよ。歴史の鉄槌を甘んじて受けよ。」かつて先達者が唱えた台詞を、もう一度繰り返したい。

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