1月19日に弁護団、検察官の双方が、東京高裁へ最終意見書を提出。

これで、第2次再審請求審の即時抗告審の審理は終了しました。後は、最終意見書への反論があれば2月2日までに提出とされていて、年度内(3月末まで)に高裁の決定が出される予定で進められています。

 

最終意見書は、即時抗告審のまとめです。2014年3月、静岡地裁が再審開始を決定。それに対する不服申立(即時抗告)を検察が東京高裁へ訴えたのです。

検察の主張は、原決定(静岡地裁の再審開始決定)は間違いだということ。それに対して、弁護側の主張は、原決定に間違いはなく、正しいということです。

弁護団の最終意見書を掲載します。興味のある方は、ご覧ください。ここをクリック20180119 statement

原決定の根拠となった血液のDNA型鑑定について

  第2次再審、静岡地裁での審理では、シャツの肩の部分(傷の周囲)の血液が袴田さんのものかどうかをDNA型鑑定で明らかにすることが目的でした。

弁護団推薦の筑波大学の本田教授は、血球細胞のDNAを取り出して判定。袴田さんの型とは異なる。故にシャツに着いていた血液は袴田さんのものではない、と結論を出しました。

検察官推薦の神奈川歯科大の山田教授は、ミトコンドリアDNAを鑑定。本田鑑定と同様に、袴田さんの型とは異なると結果を出しました。ところが、法廷での鑑定人尋問では、「自信がないから、私の結果を信用しないでくれ」「袴田さんのシャツから採取した血液なのに、袴田さんのと一致しないのはおかしい」などと胡乱なことを言いだしたのです。

即時抗告審では、本田鑑定の「レクチンを使った選択的細胞抽出法」が取り上げられ、検察推薦の鈴木大阪医科大学教授に再現実験を委嘱。鈴木教授の実験は本田鑑定の忠実な再現実験はやらずに、独自の実験をしていました。で、「レクチンはDNAをこわしてしまうこと」を結論としていました。弁護団は、色々な意味でその実験の奇怪な逸脱ぶりをいぶかり、この1月13日、その鈴木実験の忠実な再現実験を試みたのです。
その結果はメチャクチャ。抽出実験には到底なりえません。本当に鈴木教授が自らの手で実験したのか、まともな感覚で経過を観察しながらやったのか、根本的な疑問を抑えることができないくらいとのことです。
大阪医科大学の鈴木広一教授といえば、1991年法医学会学術奨励賞を受賞、日本DNA多型学会会長を務めたこともある学会の名士です。その名に恥じることをやるはずはないと思われますが、一体どうしたことでしょう。検察の顔を立てなければならないので、外形的には本田鑑定を否定するような結果を出しています。しかし、そうしながらも、私の本当の主張は「少しでも中身を検討すれば分かってもらえるはず」と言っているようにも受け取れます。そうとでも考えなければ、鈴木教授の学識と鑑定再現実験のお粗末さとの整合性が取れないので、あながち穿った見方でもないと思われます。

19日の記者会見で、鈴木教授の再現実験の再現実験を担当した弁護士はこのように発言しています。
「やってみたところ、うまくいきませんでした。まず、鈴木先生の手法だと、水溶液の量は0.2㍉㍑なので本田鑑定の5分の1。レクチン試薬の濃度は本田先生の倍になります。それで反応させてみると、入れ物の底の方に血液がこびりついてしまい、とれなかった。本田先生だと、水溶液の中に、血液が溶け出しているのが見てわかる状態なのですが、その血液の塊のようなものが底にこびりついてしまっていた。入れ物ごと逆さまにしても下に落ちてこない。鈴木先生の手法だと、血液を別の入れ物に移しかえて、何度か衝撃を与えると血液の塊のようなものが入れ物に落ちてくる状態だった。やってみてわかったのが、鈴木先生が尋問のときに言っていたような結果にはならなかったし、おそらくやっている途中で「これはどこかおかしいだろう」と気づくと思うので、弁護人としては、鈴木先生は本当に実験を監修なさっていたのだろうかと疑問に思った。
レクチンの試薬の量や濃度に関する視点がまったく欠落している。例えていえば、医者が薬を出すときに、量を気にせずに処方しているのと同じ。どんなにいい薬でも、量が少なければ効かない。」

もう一点、本田教授の「V-PCR法(バナジウム法)」というDNAを増殖する方法についても検察から批判がありました。しかし、この方法は8年前に検察官からの依頼で本田教授がDNA型鑑定した際にも採用していた方法でした。この方法による結果で、検察は被告を有罪にし、大いにこの方法を評価していたのです。自分のために使う場合と反対意見のために使われた場合とで、評価が逆になることを弁護側から指摘され、以降、この点には触れなくなりました。

5点の衣類の色について

  発見されたときの5点の衣類の色が、1年以上も味噌タンクの中に入っていたにしては薄すぎたのです。付着していた血液の色も赤みが強すぎたのでした。

この点を指摘され、検察は新たに衣類の味噌漬け実験を秘密裏に行い、その結果を新証拠として出してきました。その結果は、図らずも弁護団でもやっていた味噌漬け実験と同様なものにしかならず、これまで否定していた弁護団の実験を補強するものでした。そこで、他の学者を動員して反論してきたのですが、それらは科学的な反論ではなく、裏付けのない感想を述べたに過ぎません。血液(味噌も)が濃い色に変化するのは、メイラード反応によるものです。検察はこの法則について無知だったので、太刀打ちできなかったのです。

違法な取り調べ

  取り調べの録音テープが、即時抗告審の段階で検察から新たに発見された証拠として提出があり、それを分析する中で違法な取り調べが明らかにされました。
① トイレに行かせず、取調室に便器を持ち込む。   特別公務員暴行陵虐罪、偽証罪
② 弁護士との接見を盗聴    公務員職権乱用罪、偽証罪
③ ズボンのタグの「B」を色であると知りながらサイズと偽装   有印虚偽公文書作成罪,同行使罪、偽証罪

上記の取調官の犯罪を示し、再審請求の理由を追加(刑事訴訟法435 条 7 号)しました。

事件は丸ごとねつ造、虚構の袴田事件

 袴田事件について知れば知るほど、底知れぬ嫌悪感、留まることを知らない戦慄に襲われない人はいないのではないでしょうか。
半世紀前に起きたみそ製造会社の専務一家4人が惨殺され放火された凶悪事件の真犯人は取り逃がされ、事件は時効になってしまいました。それは警察の大失態でしたが、それを挽回しようと暴走したのが虚構の事件、袴田事件でした。国家権力の捜査機関が実行犯となり、袴田巖さんという無辜の庶民が突然加害者とされました。逮捕され牢獄の独房に監禁されること48年間。そのうち、33年間は死刑囚、無実であるにも拘らず国家権力によっていつ殺害されるかわからないという残忍な重圧の下にありました。この世界的にも類例のない酷悪な事件は、みそ会社での犯罪とは全く別。国家権力による不法行為として不気味な姿をさらしているのです。
分かってきたのは、捜査当局が証拠に少々手を加えていたというレベルを遥かに超えて、事件は丸ごとでっち上げ、許しがたい虚構の事件だったということです。当初は捜査当局の巧妙な奸計が功を奏し、第1審の静岡地裁で死刑判決、弁護団は高裁、最高裁へと上訴したものの1980年12月12日、死刑判決が確定しました。

そこから逆転劇が始まります。1981年11月、日弁連は袴田事件委員会(弁護団)を結成、全面的な支援を開始しました。無実の死刑囚を救援するために、再審無罪を求めての法廷闘争です。袴田さんに押し付けられた濡れ衣が次々と暴き出され、2014年3月、再審請求が静岡地裁で認められました。再審開始決定は、見事に証拠のねつ造を明るみに出して指弾、長期にわたる拘禁を「耐え難いほど正義に反する」と断じて無実の死刑囚を釈放したのです。が、敗れた検察は鉄面皮、東京高裁へ即時抗告しました。然るに即時抗告審でも、検察は再審開始決定を覆すだけの武器を持っていないことが明らかになっています。検察は、手負いの野獣のごとく暴れてはいますが、再審請求が認められ、再審無罪判決が出されるのは必至。一日も早く即時抗告が棄却され再審公判に移行して正義の決着が求められているのです。