袴田事件の無実を証明する証拠です。5点の衣類がねつ造であったことを指し示す「右肩の傷」。
映像で表現しました。制作:浜松 袴田巖さんを救う市民の会
袴田さんは 生きることで「無実」の証拠を残した
「犯行着衣」とされている白半袖シャツに滲み込んでいたB型の血痕(DNA鑑定で争点となっている)の傷と認定されている傷が、袴田さんの腕に残っていた。
袴田さんは、白半袖シャツの2つの血痕は「自分のものではない」と、訴え続けてきた。
(1983年9月4日の袴田さんの日記)
「本件での問題は、2つの穴と2つの血痕です。この穴と血痕の生成理由につき、検察官は、およそ次のようにこじつけています。一回刺さって、ちょっと抜けてまた刺さったから、鼠色スポーツシャツには1つの穴であるが、白半袖シャツには2つの穴ができた。として見ると、検察官の論理からしても、右白半袖シャツを着用して負傷した者は、右肩などに2つの傷が完璧に存在することにならざるを得ない。何故なら、検察官自身が白半袖シャツの右肩を2度にわたって刺したと主張しているからである。つまり、2度刺せば2つの傷穴ができ
その穴を中心に丸く2つの血痕ができるのは道理で、正に白半袖シャツの状態がそれであり、よって、右シャツ着用者は2つの傷があることになる。」
(同年9月23日の日記)
「本件白半袖シャツについて。下着、とりわけメリヤスシャツは、肌にぴったりと付くものであるから、それを1部分だけ移動させる事は不可能である。仮に、無理矢理転移させたとしても、それは一瞬で元の位置に戻ることは確実である。本件白半袖シャツの2つの損傷と2つの血痕は、当たり前の事として2つの傷の下でしか生成は可能ではない。
ご承知のとおり、下着等は肩で着られるものであるから、腕の付け根はもちろん密着している。したがって、それらが2,3センチにしろ移動したままになるなどということは、先ず絶対に起こり得ないことである。右シャツの損傷と血痕は、右のような理由をもってしても、私とは無縁であることを浮き彫りにしている。」
袴田さんが、もし、この白半袖シャツを着用していて、腕に傷を負ったなら
・袴田さんの腕の傷は2つあるはずである。また、白半袖シャツの袖には、このシャツを脱ぐまでの間に腕の傷から出血した血が付着しているはずである。
しかし、袴田さんの傷は、横に引いた1つの傷であり、シャツの血痕は、2つの損傷部分だけである。これでは、腕の傷から出た血が全部、2つの損傷部分の内側から滲み込んだことになる。このように血が滲み込むことは、たとえ偶然でも起こり得ないことは一目瞭然である。
腕の傷は、袴田さんが、事件当日の消火活動で受傷したと主張していた傷である。そして、それを取調官も検察官も自白前まで疑っていなかったのである。
消火活動時に着ていたパジャマの右袖には、相応する部分にかぎ裂きの損傷があり、次に着替えた作業着の右袖にも血痕が付いていた。しかし、自白後に撮影された証拠写真は、敢えて、それをごまかすかのように、傷の位置がわからない。
袴田さんの傷は、白半袖シャツの損傷・血痕とは、位置も形状も数も合っていない。これが死刑判決の証拠とされてよいはずがない。最高裁で死刑が確定した後も不当な裁判を闘い続けていた袴田さんは、死刑の恐怖から、徐々に闘う言葉を奪われていった。しかし、48年、生き続けて、自らの身体をもって、この認定の非常識さを証明された。誰がこの傷から出た血が白半袖シャツの2つの損傷部分に付いた言えるであろうか。白半袖シャツの損傷部分の2つの血痕が、袴田さんのDNA型と一致しないのは、当然の結果と言えるものである。
(2018.5.12 浜松 袴田巌さんを救う市民の会)