大島隆明(元東京高等裁判所第8刑事部総括判事)氏とは、袴田事件の第2次再審請求審の即時抗告審の裁判長を努めた裁判官です。
大島元裁判長はデュープロセス(公平な適正手続き)に則った判歴を有する裁判官、今どきの裁判所には貴重な人財だという評判でした。戦後の横浜事件の再審開始決定でも、オウム真理教の菊池さんに対する逆転無罪判決などでも、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則と言われながらも守られてこなかった宝石を蘇らせたキャリアがありました。この裁判長ならばと、私たちは高裁決定に大いに期待しました。それがあらぬ事に、来年定年を迎えるこの時、袴田事件の再審請求審という世紀の裁判で、天に唾する背信行為に出たのです。法曹界がその変節に驚きました。
しかし、何故の変節なのでしょうか。東京高裁での即時抗告審は、裁判長の訴訟指揮に検察官寄りの姿勢が垣間見られたのですが、審理でのやり取りは弁護側ペース。とりわけDNA型鑑定をめぐる対質尋問(検察側の鈴木鑑定人と弁護側の本田鑑定人を同時に尋問)では、検察側は形なしの状態だったと聞いています。3人の裁判官も検察の旗色が悪いことを十分認識していたようです。にもかかわらず、弁護側の主張をことごとく否定するばかりか、あたかも弁護側に厳密な立証責任があるかのような攻撃に出るわ、検察官の主張を丸呑みするわ、あたかも裁判官の法衣を着た検察官のようでした。
さらに大島裁判長は、6月11日に袴田さんを死刑にしろという不当な決定を出した後、7月末には別の強盗殺人事件の控訴審で一審の死刑判決を支持する判決を出しました。私は裁判内容について知識がないのでこの裁判と判決についてその当否に触れることはできません。が、尊い人間の生命を権力が奪うという残虐な刑罰を科した、そのことは事実。連続して二人の命をこの世から抹殺する決定者となって、最多の死刑執行命令に署名した上川法相に殺しのライセンスを与え、その直後に依願退官です。今の気分はどんなものでしょうか。
いずれにせよ、裁判官生活を飾る最後の仕事がこの始末。人間の自由と尊厳を護る砦が裁判所と裁判官ではなかったのでしょうか。大島氏の良心は、そんなことは分かり切っていたことでしょう。支配秩序を維持しお上の無謬性神話と権威を護るために司法が存在し、そのためには無実であろうがなかろうが、犯人と思しき国民を罪に陥れ殺してしまってもかまわないのでしょうか
立法、行政、司法の三権分立については、小中学校で習います。立法府と行政府は時に誤ります。暴走することもあります。それによって侵される国民の自由と尊厳を守ることを使命としているのが、司法の府としての裁判所。刑事司法は、そう説明されています。そうではないのでしょうか。『絶望の裁判所』(瀬木比呂志著)には、最高裁は「憲法の番人」ではなく「政府の番犬」だと表現されていました。最高裁にはそれが事実ではないことを見せてもらいたいのです。同じ犬でも、政府や議会に対して人権擁護の警鐘を鳴らす犬になってほしいものです。
このように裁判官としてのキャリアを締めくくって、大島氏は何を得たのでしょうか。それによって失ったものの方にずっと価値が、崇高な実績と誇りがあったはずです。大島氏は多くの国民を失望させたとともに、自らの裁判官人生の晩節を汚したのです。