10月27日(金) 第1回再審公判 開催される
3月13日、東京高検が再審開始を決定。3月20日に東京高検が最高裁への特別抗告(不服申し立て)を断念。
10月27日、袴田巖さんの無罪に向けての再審公判が静岡地方裁判所で始まった。
これから、公判での検察官と弁護人とのやり取りなどの中から、気づいたことを逐次レポートしていく。
公判に先立って ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
1 検察の有罪立証という暴走が続く。
これまでの再審請求審で、まるで無罪判決と見紛うような決定が2度も繰りかえされた。それは、検察官が執拗に続けてきた「追加の有罪立証」が裁判所によって反論され、否定されてきた公の結論であった。巖さんは無実なのだから、有罪を証明する証拠などあるはずがない。検察提出の有罪証拠はすべてが偽装、偽造でねつ造されたもの以外ないのだから。
再審は、再審請求審とその後の再審公判という二段階で進められる。が、長すぎるまでの期間(袴田事件の場合1981年から2023年の艱難辛苦の42年間)をかけて闘論が繰り広げられる主戦場は請求審の方、再審公判は精々1,2年で済まされているのが現状だ。
検察官は、再審請求審で敗訴していると言っても過言ではないにもかかわらず、幼児の泣き叫ぶがごとく、「有罪立証、有罪立証」と言い続けている。村木さんの郵便不正事件での証拠偽装が発覚してから「検察の威信」は地に落ちているのに、そして「検察の理念」という反省文を公表しているのに、未だに「正義を守る無謬の検察」神話が通用するかのような傲慢さを隠そうとしない。検察の社会的役割は、民主主義社会における「公益の代表」である。いったん敗訴した以上は、請求審の決定内容を迅速に実現すべく行動するのが責務であり、ルールである。裁判所の指摘が「捜査機関による証拠のねつ造」という確かに厳しく肯きがたいものであれ、罪をねつ造してしまった一部の先輩達の非を認め、袴田さんの無罪に同意して裁判所に協力すべきなのだ。ここで私は、現在の検察官に罪はない、が、責任があると言いたかった。その責任とは謙虚に過去の罪を認めて今後に生かす決意を国民の前に行動で示すことだ。現実の検察は、責任などどこ吹く風、過去からの罪をいまだに積み重ねて恥じることがない。検察の暴走は続く。国民からメディアから、そして裁判所からも袋叩きにされて当然の醜態を晒している。
世論もメディアの論調もみな検察の態度に批判的なのは、こういうことだ。
ただ、再審公判での検察官の追加立証、蒸し返しのオウム立証を後押しするかのような判例を、最高裁が作っている。「再審制度は、所定の事由が認められる場合に、当該審級の審判を改めて行うものであって、その審判は再審が開始された理由に拘束されるものではない」最高裁2008年3月14日判決(横浜事件)。
検察は再審請求審で負けることがあっても、敗者復活戦として再審公判に臨みなさい。再審公判では請求審でのことは一切忘れて再度有罪立証にチャレンジしなさい。そういうエールである。これは暴論。役人が得意とする形式論に過ぎず、ほとんど全ての審理は再審請求審で終了している現状を鑑みれば、ゼロからのスタートというわけには行かない。
弁護団はこう主張している。再審請求審において、通常審における有罪判決の不足部分の補充、ないし再審公判における有罪立証を先取りする積極的な活動が嫌というほど続けられてきたのは検察官も裁判所も認めるところ。そのような再審請求審における審理経過と再審開始決定は、再審公判開始にあたっての前提とされなければならない。従って、検察官のこれ以上の有罪立証行為、特に、法医学者7名による共同鑑定書の証拠調べ請求は却下されるべきである。
再審制度は、無辜の救済のために特化されたものであることを忘れてはならない。通常審の永遠に続けられる続審ではないし、無罪判決(決定)を何度繰り返しても無辜の救済が不当に妨げられることを誰も容認しはしない。
2 巖さんの出廷は、強制されないことに
10月24日、静岡地裁の國井コート(國井恒志氏を裁判長とする3人の裁判官から成る裁判体のことを指す)は、「袴田さんの出廷を強制しない」という出廷免除を決定した。精神科医師の診断書や支援者(巖さん見守り隊)の現状報告書、東京高裁の大善コートの裁判官との面談記録、そして解放後に日頃書き綴っていたノートのコピーなどを添付した弁護人からの要望書を受とり判断資料とした。さらに法定外(静岡地裁浜松支部の会議室)で、國井コートの3人の裁判官、検察官と弁護人も加わって、巖さんと直接面談した。その結果、刑事訴訟法が言う「回復の見込みがない心神喪失者」と認定した。その場合、再審に被告人が出廷しなくても審理ができると定めている。
再審公判の冒頭で被告人が「罪状認否」をすることになっているが、補佐人として出廷する姉のひで子さんが代理人として代わりに無罪を主張した。
袴田巖さんは長期の独房での拘禁・死刑囚生活で精神を蝕まれており、公判には対応できない。そればかりか、自分はすでに無罪になっている、事件などなかった、などという認識に強く拘ることで心の平衡を保っている。出廷を強制され、被告として処遇されている状況に置かれた場合、巖さんにとってそれは再び拷問にかけられるに等しい。
國井コートの血の通った決定に拍手したい。
3 再審公判の流れ
- 冒頭手続き ・裁判官による人定質問(被告人袴田巖さんが出廷していないので裁判官による確認)
・検察官の起訴状朗読
・被告人の罪状認否の代わりに、
代理人(補佐人の袴田ひで子さん)の事件に対する陳述
- 証拠調べ手続き ・検察官の冒頭陳述
・検察官の立証
・弁護人の冒頭陳述
・弁護人の反証
- 弁論手続き ・検察官の論告、求刑
・弁護人の弁論
・被告人の最終陳述
- 判決の宣告
注1 証拠には、証人、証拠書類、証拠物の3種類がある。証人であれば尋問、証拠書類であれば朗読、証拠物であれば展示という方法で取り調べ
注2 証拠調べ手続きは、争点ごとに分割して順次の審理となる。それぞれ検察側、それから弁護側が反証する。
パート 1
事件全体に関する冒頭陳述 (本件はどういう事件だったのか)
パート 2
- 検察の主張 ① (犯人がみそ工場関係者である上、証拠から推認される犯人の事件当時の行動を、被告人が取ることが可能であったこと)
- 検察の主張 ② (みそ工場の醸造タンクから発見された5点の衣類が、被告人が犯行時に着用し、事件後に同タンクに隠匿したものであること)
- 検察の主張 ③被告人が犯人であることと整合するその他の事情が存在すること)
- 検察官の主張①~③以外に関する弁護人の反論
パート 3
(血痕の色調・DNA型鑑定のうち、確定審・再審請求審で取り調べられた証拠)
パート 4
(血痕の色調について、検察官の補充立証に関する審理) ここで専門家証人の証人尋問を行う
注3 今年度分の公判期日とそこでの審理内容の割り振りが決まっている。
第1回公判期日 令和5年1 0月27日(金)
午前11時~ パート 1 (本件はどういう事件だったのか)事件全体に関する冒頭陳述
検察官の冒頭陳述
午後1時~ 弁護人の冒頭陳述
検察官及び弁護人の証拠調べ請求並びに証拠意見
証拠採用決定
パート2 検察官立証(検察官の主張①について)
以降の回については、今後お知らせします。
出席者
裁判官3名 裁判長:國井恒志 裁判官:益子元暢 裁判官:谷田部峻
検察官3名 丸山秀和 島本元気 岡本麻梨奈
弁護人17名 西嶋勝彦 小川秀世 小澤優一 福地明人 田中薫 笹森学 村崎修 水野智幸
伊豆田悦義 角替清美 間光洋 戸舘圭之 加藤英典 伊藤修一 佐野雅則 西澤美和子 白山聖浩
被告代理人 袴田ひで子
検察官と弁護人の冒頭陳述だが、個々の争点についての冒頭陳述はその都度行われるので、今回は事件の概要に関する陳述である。
代理人 袴田ひで子さんの罪状認否 そのまま掲載する
「1966年11月15日、静岡地裁の、初公判で、弟巖は無罪を、主張致しました。それから57年にわたって、紆余曲折、艱難辛苦がございました。本日、再審裁判で、再び、私も、弟イワオに代わりまして、無罪を主張致します。長き裁判で、裁判所、並びに、弁護士、及び検察庁の皆様方には、大変お世話になりました。どうぞ、弟巖に、真の自由をお与えくださいますよう、お願い申し上げます」
検察官の冒頭陳述 (事件の概要)
第1 事件の概要及び争点。第2 背景事情。第3 犯行状況等。第4 被告人が犯人であること。という構成で論を進めている。そして「裁判の争点は、被告人が犯人であるか否かです。」として、その理由を展開する。。ここで、検察官の主張①、②、③、と「有罪立証」なるものが展開される。
第1回公判では、検察官の主張①の陳述と証拠調べが行われ、次回弁護団からの反証が予定されている。この検察官の主張①の証拠調べについては、弁護団の反論が終わってから、つまり第2回公判レポートで触れたい。第1回レポートでは、袴田さんが犯人であるという検察官の主張を、検察官の冒頭陳述 (事件の概要)の中での主張について触れたい。
その1. 犯人がみそ工場関係者であることが強く推認され、犯人の事件当時の行動を、被告人がとることが可能であったこと。
その2. クリ小刀が凶器であり、遺留品の従業員用雨合羽のポケットから鞘が発見された。
その3. みそ工場にあった混合油が事件直後5.65リットルなくなり、誰かに費消されていた。缶からは、血痕が採取された。
その4. 血痕のついた手ぬぐいが工場から見つかり、ふろ場からも血痕が採取された。犯人がみそ工場に出入りしていたことの証拠。
その5. 被告人は事件当夜、みそ工場にある寮に一人でいた。
その6. 以上の点から、犯人がみそ工場関係者であり、事件当夜みそ工場に出入りして雨合羽や混合油を持ち出して犯行に及んだことが強く推認される。それが可能だったのは被告人である。
弁護人の冒頭陳述 (事件の概要)
まず冒頭で、本件をどのように考えなければならないかという点について述べている。これは大変重要な意見で画期的な意味を持つので、そのままここに採録する。
「この裁判は、再審開始決定が確定したことによる袴田巖さんの再審公判です。しかし、本日のこの法廷には、袴田さんの姿はありません。袴田さんは、無実の罪で死刑判決を受けたことで精神を病み、この法廷に出頭することにも耐えられないことから、裁判所も出廷を強制できなかったのです。
誤った死刑判決は、袴田さんに48年間もの苛酷な拘置所生活を強いてきました。それとともに、袴田さんには、釈放されても回復しがたい重大な精神的ダメージを与えてしまったということです。
このように袴田さんのこれまでの人生を奪い,精神世界をも破壊してしまった責任は、重要な証拠を次々にねつ造し、野蛮で唾棄すべき違法捜査を繰り返した警察にあり、さらには無実を示す証拠を隠蔽し、警察と共謀して犯罪的行為を行ってきた検察にあり、それを安易に見逃してきた弁護人や裁判官にもあるはずです。そうであれば、この再審公判は、形式的には被告人は袴田さんですが、ここで本当に裁かれるべきは、警察であり、検察であり、さらに弁護人及び裁判官であり、ひいてはこの信じがたいほど酷いえん罪を生み出した我が国の司法制度も裁かれなければならないのです。
今日、この法廷に集まり、裁判を担い、傍聴している私たちは、まずこのことを頭におかなければならないはずです。」
以下の内容は、弁護団ホームページにこの第1回再審公判での弁護人冒頭陳述が掲載されているので、それを参照されたい。 https://hakamada-jiken.com/
ここでは、乱暴ではあるがその要旨を箇条書きして、問題の所在を明らかにする助けにしたい。
- この事件は、住居侵入・強盗・殺人・放火事件とされているが、強盗事件など存在しない。確定判決(1980年)と再審公判で検察官が主張する犯行の状況、犯人像はまったく事実に反している。
- 犯人は外部にいて、殺害、放火した後、表口のシャッターを開けて出ていった。
- 単独犯ではなく、犯人は複数いた。深夜の犯行ではなく、犯人は被害者らが起きていたときから被害者宅に入り込んでいた。6月29日の午後11時以前に犯人が被害者宅に入っていたとすれば、袴田さんのアリバイは完全に成立する。
- 強盗ではなく、怨恨による犯行であること。
- 犯人らは、裏木戸から逃げたものではなく表シャッターから逃げて行った。
要するに、この事件が強盗殺人事件ではなく、怨恨による殺人事件であって、しかも犯人は複数。被害者ら家族が就寝する前に
家の中に入り込んで4人を殺害し、放火後、みそ工場と反対方向の表シャッターから逃げていったというように考えられる。
袴田さんにはアリバイがあり、こんなことをする動機もない。
- 警察は真犯人を知っていた可能性が考えられる。。真犯人を逃がし、工場関係者に嫌疑を向けさせるために証拠のねつ造に手を染め、ウソを重ねてきた。
- 当初、犯行着衣とされ最も重要な物的証拠であったパジャマには血痕などなかった。現認できるような血痕(新聞報道された血染めのシャツ)であったなら、即刻逮捕されたはず。
- 証拠のねつ造は、パジャマの血液型鑑定、焼け跡から見つかった雨合羽、そのポケットに入っていたクリ小刀の鞘、柄のないクリ小刀、裏口に落ちていたという2個の金袋などから始まり、強要による自白のねつ造、千円札に「イワオ」と名前まで書いてあった焼けた現金(清水郵便局で発見されたという)、虚偽調書の作成などが続けられた。
- ところが、自白を裏付けられるような証拠をねつ造し積み上げようとも、有罪判決には届かない。そこで大逆転を狙って窮余の策に手を付けた。それが事件後1年2か月後に味噌タンクから発見された5点の衣類。赤い血に染まった衣類が犯行着衣とされ、袴田巖さんの所有物とされた。
- しかし、第2次再審請求審の静岡地裁では、証拠ねつ造の可能性が指摘され、捜査機関の仕業とまで言及された。最高裁もねつ造を疑って高裁に差し戻し。それを受けた高裁でも、捜査機関によるねつ造の可能性が高いとして再審開始決定となった。
- にもかかわらず、検察は未だに5点の衣類は袴田さんのもので犯行着衣だという謬説に固執し続けている。
- 検察は、自ら5点の衣類にかけた呪詛を断ち切り、これ以上有罪を主張することを放棄すべきだ。
筆者の独り言 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
1. 再審、裁判のやり直しの目的は「無辜の救済」にある。その確定判決が正しかったのか、無実であるにもかかわらず有罪としてしまったのか。その点が問われる。したがって、まな板に載せらるのは「確定判決」そのものでなければならない。しかし、袴田さんの再審ではおかしなことが起こっている。危機に立つ「確定判決」を検察官が補強しようとする。有罪の理由を補充しようとする。検察官は、どうして裁判所の判決を護ろうととするのか。また、どうしてそんなことが許されるのか。重大な疑義がある。
何故かと言うと、確定判決が完璧なものであれば、補強や補充などする必要がないではないか。再審請求者は、確定判決の瑕疵を新証拠をもって突くのだ。有罪にした事実認定と 法の適用が正当ならば、それだけで勝負すべき。それが怪しいから後からも追加立証で辻褄合わせをする。しかも裁判所ではなく検察官が担当して不足を補う。要は、再審が通常審の続審に成り下がっているから、いつまで経っても再審請求審は終わらない。そんなことがまかり通っていいのか。司法がなりふり構わず「無謬性」を装うための勝負を執拗に繰り返しているようにしか見えない。無辜は救われず、国民は騙され、立法の精神は泣き叫んでいるに違いない。
2. さらに問題は尽きない。「確定有罪判決」を護ろうとするばかりか、判決で認定された犯罪事実を勝手に歪める、具体的な認定を抽象化してあいまいにする、あるいは事実を差し替えること がある。そうまでして、一度有罪と決めつけた罪と罰を維持しようとする。これは一体なんだ。
袴田事件では、犯人は隣保の壁から屋根に上がって中庭におりた。裏木戸を3回行き来してガソリンを持ち込み火をつけ逃げた。そういう認定だったはず。再審公判になって、表のシャッターを通って逃げたかもしれないが、どこを通ろうと袴田が犯人なのだから、そんなことはどおってことない、と言い出した。犯人の侵入経路、逃走経路を特定しなくとも良いのか。また、クリ小刀が凶器とされそれで4人を刺したとされていたのが、クリ小刀だけでなく、他に凶器があったかもしれない。でも、袴田がやったことに変わりはないから、と平然としていていられるのか。もう、別の事件になってしまったかのよう。
1980年に確定した死刑判決が正しかったか否か。ではなく、事実を確実に認定し積み重ねるのではなく、色々な可能性を言いつくろってを袴田さんが4人を殺し放火した犯人だと決めつけることに一生懸命なのだ。「細かい事実はとにかく、袴田がやった可能性がある」、犯人だ、と主張しているだけの検察官である。それが、声高に言われる「有罪立証」の中身。
3. 5点の衣類に付着していた血痕の色調変化が最重要の争点となっている。1年2か月の間、味噌タンクの底に置かれた衣類の色調変化、付着していた血痕の色調変化についてである。検察は何を立証しなければならないか。それは、1年2か月の長期間にわたって味噌漬けされていたということを実験でも科学的にも証明しなければ有罪立証にはならない。「赤みが残ることもある、そういう場合もあるんだ」ということだけでは、決定的に足りない。的外れ。それだけでは、問題となる味噌タンクに入れた時期はいつなのか、分からない。1年前でもありうるし、発見直前かもしれない、要するに時期不明というだけである。そういう結論しか導き出せない。
もしかすると、検察官はこう考えているのではないか。再審では通常審とは反対に、検察官の有罪立証とは弁護人の無罪証明に合理的な疑いを差し挟めばそれで良いのだ、と。弁護側のDNA型鑑定や味噌漬け実験などとそれを裏付ける科学的理論の瑕疵をあげつらえば、それで有罪立証となる。そう錯覚しているように見える。頭脳明晰で法の隅々まで精通している検察官が、とんだ思い違いをしている。可能性で勝負できるのは弁護側。有罪を立証する検察官は、誰が見てもそう確信できるような確実さでしか勝負できないのだ。検察の提出した証拠が適法に収集されたものか、そして証明力が万全か、そこに合理的な疑いを弁護人が指摘できれば無罪、できなければ有罪となる。それが裁判の原則。再審においてもそれは変わらない。この鉄則というべきルールが怪しくなっている。みんなで警鐘を鳴らさなければ。
(文責:袴田さん支援クラブ時事務局長 猪野二三男)