23歳“清水っ娘”と「袴田事件」―事件との出会い、そして決意

なかがわまお

皆さんは、「袴田事件」についてどのようなイメージを持っているだろうか。

今では一般的に「冤罪事件」として知られていることが多いだろう。すでに無罪判決が下されている事件だと思っている方も多いかもしれない。

 

事件現場の近く、静岡県の清水で生まれ育った現在23歳の私は、最近まで、「袴田事件」=「昔近くで起こった冤罪事件」くらいの認識しか持っていなかった。

 

袴田さんが釈放された2014年当時、私は中学1年生だった。何となくテレビなどで見たような気はするが、はっきりとした記憶は残っていない。おそらくその前後の社会の授業で日本の四大死刑冤罪事件について学び、もしかすると最近まで記憶がごちゃ混ぜになっていたかもしれない。

 

それほど、私にとって袴田事件は、近いようで遥か遠い事件だった。

 

2023年3月、袴田事件の再審開始が決定したことを知った。

 

静岡地裁で行われるなら近いから行ってみようかな。

それくらいの軽い気持ちで、とりあえず予習として、関連する書籍を数冊読み始めた。

 

それらを読んで、私は愕然とした。冤罪だというイメージはあったのだが、ここまで酷いものだとは想像もつかなかった。近くに住んでいながら今まで何も知らなかったことを、私はすぐに恥じることになった。

 

ずさんな捜査に過酷な取調べ、検察側の矛盾した論理展開や証拠の捏造疑惑……、素人目線から見ても、この事件、語ろうと思えばキリがないほどにおかしな点が多すぎる。

どうしてこんなにも無茶苦茶なやり方で、人一人を死刑にすることができるのか。裁判とは何のためにあるのか。どうしてこれほど矛盾点が多いのに、今になるまで再審が開かれなかったのか。憤りとやるせなさで頭がいっぱいになった。

 

事件発生から今年で57年になる。

逮捕当時30歳だった袴田巖さんは、87歳になってしまった。

釈放されて穏やかに生活されているとはいえ、今もまだ「死刑囚」だ。

 

この再審が開始されるまでに、多くの支援者や弁護団、巖さんの姉・ひで子さんなどによる、半世紀にもわたる血の滲むような努力があった。私のような若い世代が、「袴田事件=冤罪」というイメージを先入観なく持てていたのは、私が生まれるよりも前から、巖さんの無罪を求めてずっと闘い続けてきた方々の功績にほかならない。

 

再審初公判の日、支援者の方々やひで子さん、弁護団の先生方に実際にお会いして、その有り余るエネルギーをこの眼で見た。そして私は、何だか居ても立っても居られない気持ちになった。

 

袴田さんやその周りの方々のために、私にも何かできることはないか。

清水の人間として、若い世代として、何か力になれないか。

 

そのような思いから、これから事件を追いながら、拙文ながらも自分の言葉で発信していく場として、ブログ『清水っ娘、袴田事件を追う』を立ち上げた。今後の公判や支援活動のこと、事件と関わるなかで感じたことなどを綴っていく予定です。

https://m-nkgw.hatenablog.com/

 

Twitter(なかがわまお:@m_nkgw2000)でも、事件に関することや、自分の思いなどを発信していくつもりです。

https://twitter.com/m_nkgw2000

 

いろいろと未熟な私ではありますが、だからこそ伝えられるということも、もしかするとあるかもしれません。私の記事が多くの方々の目に留まり、より関心を持っていただくきっかけになれば幸いです。特に若い世代や、静岡県民、事件のことをあまり知らない方々に、ぜひ読んでいただきたいと思っています。

 

まずはこの事件のことを知ってください。袴田さんの無実の叫びを、またずっと闘ってきた方々の咆哮を、聴いてください。そして、袴田巖さんの雪冤を、応援してください。

 

私も、まだ何をすれば良いのか模索中ではありますが、とりあえず自分のできる限りのことを全力で頑張ってみます。

袴田巖さんに真の自由が訪れるその日まで。

 

筆者の中川真緒さんは、静岡市在住の新人小説家。

静岡市主催の文芸賞「静岡市民文芸」の小説部門で、大賞にあたる市長賞を受賞。