11月10日(金) 第2回再審公判 開催される

10月27日の第1回再審公判に引き続き、11月10日に第2回が開かれた。

物々しい統制と警備の中、傍聴人希望者は第1回公判の時と比べると少なくなったとはいえ、実際に傍聴できたのは応募者の1/3程度。私は運よくクジに当たり、歴史的公判の一部を目撃することととなった。

 

第2回再審公判での闘論       2023年11月10日

出席者

裁判官3名  裁判長:國井恒志 裁判官:益子元暢  裁判官:谷田部峻

検察官3名  丸山秀和  島本元気  岡本麻梨奈

弁護人14名  西嶋勝彦 小川秀世 小澤優一 田中薫 笹森学 水野智幸      間光洋

村崎修  伊豆田悦義 角替清美 加藤英典  伊藤修一 西澤美和子 白山聖浩

被告代理人  袴田ひで子

 

今回のテーマ

第1回公判では、具体的な争点の中の以下の主張が検察官によってなされた。

検察の主張①  (犯人がみそ工場関係者である上、証拠から推認される犯人の事件当時の行動を、被告人が取ることが可能であったこと)

今回は、それに対する弁護側の反証である。 弁護団HPに陳述内容をそのまま掲載してあるので、詳しくはそれを参照のこと。ここでは、要約して解説する。

 

検察の主張  前回の第1回公判での主張

その1.犯人がみそ工場関係者であることが強く推認され、犯人の事件当時の行動を、被告人

がとることが可能であったこと。 

その2. クリ小刀が凶器であり、遺留品の従業員用雨合羽のポケットから鞘が発見された。

その3. みそ工場にあった混合油が事件直後5.65リットルなくなり、誰かに費消されていた。

缶からは、血痕が採取された。

その4. 血痕のついた手ぬぐいが工場から見つかり、ふろ場からも血痕が採取された。

犯人がみそ工場に出入りしていたことの証拠。

その5. 被告人は事件当夜、みそ工場にある寮に一人でいた。

その6. 以上の点から、犯人がみそ工場関係者であり、事件当夜みそ工場に出入りして雨合羽や混合油を持ち出して犯行に及んだことが強く推認される。それが可能だったのは被告人である。

 

弁護人の反証

  1.  「みそ工場にあった雨合羽を着て犯行現場に赴いた」というが。

そもそも、雨も降っていない深夜、重くてゴワゴワと音がする雨合羽など着ていくはずがない。

捜査報告書に記載されている発見時刻は当初は11時15分となっていたが、その後訂正されて4時とされていて、発見時の写真も添付されていない。また発見されたとする雨合羽の下には火災により焼けたガラスの破片の焼けて変色したものなどがあった。ということは、火災が発生し、ガラスなどが焼け落ちた後に雨合羽は置かれたことになる。

一体誰が置いたのか。

2. 雨合羽の使用状況については十分に捜査されていない。雨合羽はみそ工場の従業員に支給されたもので、検察官は、本件雨合羽は28日午後3時半以降みそ工場に置かれており当の従業員は使用していないとしている。ところが、28日は午後3時半以降も18時までの間も雨が降っており、その間に誰かが使用した可能性もある。

さらに、従業員の複数人が雨合羽を消火作業の際に使用したとの証言もある。個人に支給されていた雨合羽の保管・管理は厳格ではなかったようだが、警察の捜査は尽くされていない。

3. ちっぽけなくり小刀を検察は凶器と認定したが、被害者4人の40か所にも及ぶ刺傷は無理。次女の遺体のそばから発見されたくり小刀は先端が欠損しており、柄のない刃体の状態で 発見された。これが凶器であるとする法医学者の鑑定があるが、何故か新品のクリ小刀を使用しており、意図的である。反対に、これが凶器であることを否定する鑑定、新品を使ってもクリ小刀では形成することのできない創傷があることを指摘する鑑定もある。雨合羽のポケットから発見されたとされる鞘と対のものか調べるための合体実験もしていない。

また、このクリ小刀には鍔がない。その状態では、血糊で滑って差すことも切ることも困難。とても凶器として認定できるものではない。

4. このクリ小刀は錆と腐食が激しく、銘を確認するにもそれらを削ぎ落しさらに薬品を使わなければならなかったほど。発見場所の近くには焼け残った段ボール箱があり、そこに古く使えなくなった登山ナイフ、小刀、大工道具などがあり、このクリ小刀はそれらと一緒にしまい込まれていたものである可能性が高いと見られる。現場検証では、不思議なことに台所で使う包丁などの刃物が見つからなかったことも不思議。凶器として使われ、持ち去られた可能性もある。

また、この事件には計画性があり、外部から凶器が持ち込まれた可能性も否定できない。結論的に言えるのは、くり小刀は凶器ではなかったということである。

5. 犯人がみそ工場にあった混合油を放火に使用したことには疑問がある。検察官はそう主張するが、被害者の着衣などから放火に使われた油がどんなものか鑑定が不可欠。それがないまま、7月3日には工場の混合油が任意提出させられ、それが放火に使用されたと認定された。が、なお、藤雄の死体のすぐそばには、4リットル用のブリキの石油缶が放置されており、中身はほとんど残っていなかった。この缶の中の油を使った可能性もある。現場に油があるのに、わざわざみそ工場までガソリンを取りに行くことなど、想定しがたい。

6. 検察官は、犯人がみそ工場に出入りしたことをうかがわせるその他の事情があると主張しているが、その理由はすべて失当である。

 

理由① 被害品の現金入り布袋が二つ、犯行現場とみそ工場の間に落ちているのを警察官が発見したことを挙げている。犯行後も被害者宅表8畳間の奥の夜具入れの中には甚吉袋が残されていて、現金入りの布袋5個が残されていた。犯人が4人を殺害してまで金を奪おうとしたとすると、甚吉袋ごと奪うのではなくそれを残しておくことも、その中から3個だけ持ち去るなどということは著しく不自然。被害者宅にはほかにも多くの金品があり、その強取が目的であれば、これ等の金品も持ち去るはず。強盗事件とは言えない。そして、発見場所が犯行現場とみそ工場の間で、従業員が行き来する経路上だからみそ工場にある寮の住人と結びつくと主張。

ところが、その経路は被害者宅の裏木戸を通らなければならないのだが、裏木戸はカンヌキと上下にある留め金で頑丈に閉ざされていたことが分かっている。犯人が裏木戸をくぐり抜けて逃走するのは不可能。工場と関連付けることも無理なのだ。落ちていたのではなく置いてあったようであり、発見された場所では消火作業で多数の人がごったがえした所。発見者は警察官だった。

 

 理由② みそ工場内の風呂場等で血痕が確認されたこと。検察官は工場の風呂場の壁面や工場の2階事務所西側壁に血痕を発見したという。これは7月23日の採取。事件後23日も経ってから現場から遠く離れた風呂場で採取された微量の血痕が、事件と関連していると考える方がおかしい。

 

被告人は当夜、みそ工場の従業員寮に一人でおり、証拠から推認される犯人の事件当時の行動を、被告人がとることが可能であった。検察官の主張である。

それに従うと、こうなる。

犯人(巖さん)は、寮の自室からくり小刀を所持して向かいの部屋に寝ていた二人の従業員に気づかれずに階段を降り、工場にあった雨合羽を着て、宿直の従業員にも気づかれずに工場を出て線路を渡り、被害者宅のどこかから侵入。脱いだ雨合羽にくり小刀の鞘を入れ、被害者らが居住する空間に入り込み金員を物色した。それに気づいた被害者らをくり小刀で順次刺傷し40ヶ所もの傷を負わせ、現金入り布袋3個を奪って被害者宅を脱出。その途中2袋を被害者宅裏木戸近くに落としてしまう。線路を渡って工場に戻り、工場内の混合油の缶から5、6リットルの油をポリ樽に入れて再び線路を渡って被害者宅に戻る。倒れていた4人に混合油をかけて放火、被害者宅から逃げ帰り工場に戻った。その行動が可能であったのは巖さん一人。だから、犯人だと主張する。

 

袴田さんが検察官の主張するような行動をとったことを証明するだけの意味ある証拠は何もなく、その逆を示す証拠が出された。それは、巖さんが履いていたゴム草履である。

警察は犯行時にゴム草履を履いていたとし、それを7月7日に任意提出させた。ところが、そのゴム草履には血も油もどちらも付着していなかった。警察は、痕跡がないとの報告を受けがらこれを無視。書類作成すらしなかった。血や油の付着痕のない履物、ゴム草履、この一点の証拠だけでも、巖さんの無罪は証明されている。

 

私の独り言

1. 以上のような証拠に基づく弁護側の無罪主張は、これまでの再審請求審ではお目にかからなかった。それは、再審請求審ではもっぱら新証拠の提起に力点が置かれていたから。

犯行着衣とされた5点の衣類の生地と血痕の色変化や血痕からのDNA型鑑定に焦点が当てられていたことによる。今、再審公判では改めて確定判決が正しかったかどうか、それを一から審理する。犯行のプロセスなどの具体的事実がまず再度引き出され争点とされている。

 

 2. 前回指摘したように、検察の主張は可能性論ばかり。それでは有罪立証にはならない。また、犯行の動機が抜けている。取り調べの度ごとに動機は変わり、最終的には清水で母と息子と3人暮らしをするための新居に移るための資金が欲しかったという。だが、当時巖さんの父親は病で臥せっており、看護が必要であった。病状を心配する巖さんが父親を見捨てて母親と息子を清水に呼び寄せて3人で暮らそうなどと発想すらしまい。動機にならないような動機であるが、それが出てこない。

検察官の冒頭陳述はあまりにあっさりしており、これでいいの?十分なの?という感想を殆どの方は感じたと思う。実際には、確定判決の事実認定通りのシナリオでは、もたない。欠陥が多すぎて批判に耐えられないという危機感があったのではないか。だから、検察は抽象的な可能性で勝負をごまかそうとしたのが本当のところであろう。

 

3. 検察庁のホームページに掲載がある検察官の異動を見ると、2014年の静岡地裁での再審開始決定を覆した東京高裁での公判担当検事、S氏は今年釧路地検の検事正から最高検に異動となっている。また、他にも検事が集められているようで、袴田再審公判対策チームを率いているのがS氏ではないか。そう言えば、御用学者を多数集めて弁護側の鑑定や法医学者を非難する意見書を何通も出させ、その権威で裁判所を煙に巻く作戦が東京高裁でのS氏のやり方だった。今回も多数の御用学者による「共同鑑定書」なるもので勝負しようとしている。次回公判で披露され、証人尋問でも有罪立証の決め手としてそれが顔を出す。しかし、そんなもので有罪判決が取れると思っているほど呑気ではないと思う。勝てるとは考えてはいないだろうが、「証拠をねつ造してまで無辜を死刑にした」という裁判官による宣告はどうしても避けたいと願って再審法廷に臨んでいるだけだ。

私はこう思う。

巖さんを犯人に仕立てあげ、死刑えん罪で苦しめた罪は当時の先輩検察官にあり、その限りで現在の検察官には罪はない。しかし、過去の過ちに対する責任がある。再審公判では無罪を主張し、裁判官に「然るべく」とだけ伝える。そして、裁判官とともに心から謝罪する。それが責任というものだ。ところが、未だに「有罪」などと頑なになっているということは、罪である。今の検察官にも罪があると断じなければならない。職権乱用、公務員特別暴行陵虐罪であるばかりか、殺人未遂罪である。

(文責:袴田さん支援クラブ 猪野二三男)