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袴田さん支援クラブ

袴田巖さんに再審無罪を!

Author: free-iwao (page 17 of 22)

2018年ブログ集『いっしょにご飯が食べたくて』が出来上がりました

この度、2018年度のブログ集『いっしょにご飯が食べたくて』を作成致しました。袴田家の日常に寄り添い、家族のようになっている筆者。50年以上闘い続ける気丈な85歳の姉が82歳の精神を病んだ冤罪被害者の弟を守り慈しむ人生の記録でもあります。
袴田事件について、あるいは裁判の状況については、書籍や映像、ネット上の記事などで論陣が張られています。が、巖さんと姉の秀子さんの暮らしぶりや正義を希求する姿は知られざるところです。そこあるドラマの数々を、ユーモアたっぷりに紹介しています。

希望者には、印刷製本実費の千五百円(送料は別途五百円)でお送りします。本ホームページの【お問い合わせ】からご注文してください。

2/16、姉の秀子さん、86才の誕生パーティ

お誕生日おめでとう

まずは、毎日新聞(2/17)の記事から

袴田事件
元被告の姉・秀子さんの誕生日会 浜松で支援者ら祝う /静岡
1966年に静岡市で起きた「袴田事件」で死刑が確定し、2014年に静岡地裁の再審開始決定で釈放された袴田巌元被告(82)=最高裁に特別抗告中=の支援者が16日、今月8日で86歳となった袴田さんの姉、秀子さんの誕生日会を浜松市中区で開いた。弁護団事務局長の小川秀世弁護士や「袴田事件」をテーマにしたドキュメンタリー映画などを手がける金聖雄監督ら40人以上が出席した。

小川弁護士は、昨年6月に東京高裁が地裁の再審開始決定を取り消したことに触れ「こんなに大勢の人が支援をしてくれる。弁護団としても、早期の再審無罪をという思いがさらに強くなった」とあいさつ。金監督は「秀子さんの生き方にほれて映画を撮るようになった。秀子さんを見ていたら、絶対最後はハッピーエンドになるに違いないと思っている」と話した。袴田さんは不参加だった。

秀子さんはこの日、10年ぶりに着たというドレスで登場。支援者らの前で数曲を熱唱して会場を沸かせ、「昔は誕生日会なんてやったこともなかった。本当にありがとうございます」と笑顔で話した。【古川幸奈】

 

主催は、キッチンガーデン袴田さん支援クラブ、第18回袴田事件がわかる会でした。

半世紀以上も闘い続けてきた秀子姉さんの慰労を、との思いです。

これまで、袴田事件がわかる会に参加された方々が集まってお祝いしました。

 

袴田事件における証拠ねつ造

『法学館憲法研究所報』第19号(2018年11月)より転載

袴田事件弁護団事務局長の小川秀世弁護士による東京高裁の再審開始棄却決定も致命的欠陥を突く論考。

ここをクリックhttp://free-iwao.com/wp-content/uploads/2018/12/flameup.pdf

それでもスネの傷はなかった!

大島決定著しく正義に反する重大な事実誤認!最高裁は直ちに再審開始を!

 

2018年6月11日東京高裁大島裁判長は、静岡地裁村山裁判長の再審開始決定を取り消し、40年前の死刑判決を維持するとんでもない決定を出しました。この決定は本田教授によるDNA鑑定の『手法が信用できない』として、40年間積み上げてきた弁護団による無罪の証拠をことごとく排除し、検察の主張を一方的に認める著しく偏ったものです。

 

静岡地裁の決定では『捏造の可能性』まで指摘された「5点の衣類」の数々の疑問に対し、検察すら言っていない『捏造するのであれば袴田が普段はいていた寸法に合わせるはずだ』とか『ズボンの損傷が不自然なのが自然』で『捜査機関が捏造するのなら、わざわざ不自然なやり方をするとは考え難い』と何の根拠もなく検察の主張を補強しています。そしてこのような偏見と思いこみによって『捜査機関にはパジャマでの犯行という、供述と矛盾する捏造をする動機がない』と静岡地裁の決定と180°異なる結果になるのは当然だと言えます。まさに弁護団が指摘するように『初めに結論ありき』で検察の意見を丸写しの決定で、無実の人を死刑にするかもしれない(検察の主張に合理的な疑いがないか)という恐れと真摯な態度が全くうかがわれません。高齢の袴田さんと家族にとって一日千秋の日々をもて遊び、裁判官の責任を放棄した、こんないい加減な決定で袴田さんは再拘束され、死刑が執行される道がまた開かれてしまったのです。

 

全文で123ページのこの決定文は57ページまでがDNAに関する記述で、当然DNA鑑定などしたこともない裁判官にとって借り物の議論でしかないわけですが、他の個所も根拠のない憶測と机上の空論によって他人(検察)の言葉を自分の意見のように述べているだけのものです。1つ1つこれらに反論し事実を積み上げていく中で、刑訴法411条第3項『重大な事実誤認』があって高裁決定を破棄しない限り、『著しく正義に反する』ことを明らかにしていくことが必要です。ここでは私たち「浜松 袴田巌さんを救う市民の会」が注目してきた『すねの傷』の部分だけ紹介したいと思います。

 

 

/11東京高裁決定より

◆「すねの傷」に関する部分の記述(全文)

《P72下から2行目よりP74上から4行目まで》

なお、弁護人は、○○(専務)との格闘の際に向う脛を蹴られたとの自白に相応するように事件後の昭和41年9月8日には袴田の右下腿前面に比較的新しい打撲擦過傷が認められ鉄紺色ズボンの右足前面のかぎ裂き様の損傷があった旨認定している所、同年7月4日に〇〇(山田医院)で受診した際の記録や同年8月18日に実施された身体検査の調書にも記載がなく、そのような傷は、逮捕時の袴田には右足すねの傷は存在せず、その後に生じたものであることが明らかになったとし、袴田の自白は事実に反するもので、このことは鉄紺色ズボンの損傷は、その自白に合わせて捏造されたものであることをうかがわせるという。しかしながら傷の成因は別としても、袴田の右下腿部には本件発生日から打撲擦過傷痕があったこと自体は、確定審において袴田自身が一貫して認める供述をしているのであって、同年7月4日に医師の診療を受けた際や同年8月18日の逮捕直後の身体検査においては、袴田の申告や供述から容易にわかる顔部や腕部等にある傷であれば医師や係官が見逃すはずはないとはいえるものの、袴田を全裸にでもしない限りはズボンに隠れている場所の傷まで発見することは困難であって、診療の目的や逮捕直後の身体検査の所要時間等から見て、そこまで徹底した検査が行われたとは考え難く、所論のような根拠で、逮捕時の袴田の右すねに傷がなかったとは言えない。また、鉄紺色ズボンの損傷が蹴られた際に出来たものであるかのような控訴審判決の認定については、通常〇〇(専務)が裸足であればもちろん、仮に靴を履いていたとしても、〇〇(専務)に蹴られることによってカギ裂き様の損傷がズボンに生じるという可能性は低いことや、傷の形状とズボンの損傷の形状が必ずしも整合しているともいえないことから疑問がある。そうであるとしても、控訴審判決は、自白と鉄紺色ズボンの傷が適合する旨を補足的に述べたにとどまっている上、鉄紺色ズボンの損傷の成因は、家屋への進入の際や犯行の際の何らかのものとの衝突・擦過を始め種々のものが考えられるのであって、鉄紺色ズボンと本件の結びつきが否定されるものではない。また、仮に、捜査機関が鉄紺色ズボンを犯行着衣として捏造するのであれば、通常何かに引っ掛けた際に出来るカギ裂き様の損傷や成因が自白でも説明されていない損傷を数か所もズボンに作るなどということは考え難い。結局、弁護人の主張は採用できない。(   線、太字は筆者)

 

それでも『すねの傷』はなかった!!

◇無知と偏見、あまりにもひどい大島決定の内容

私たち浜松袴田巌さんを救う市民の会は東京高裁の控訴審の段階で事件直後や逮捕時の記録の全てに『すねの傷』がないことを発見し、「冤罪の証拠その5すねの傷の真実」をホームページに載せ(*1)DVDを作成し、『すねの傷』が逮捕後に出来たものであることを明らかにしてきました。6/11大島決定では123ページにのぼる全文で3分の1をDNAの不毛な科学論争に終始し、たった1ページと数行(上記)をこの問題に割き反論している。ぜひもう一度私たちの文章と見比べていただきたい。

 

8月18日の逮捕当日、3回の身体検査ですねの傷を発見できなかった言い訳は検察の意見書と全く同じです。しかしながら、この決定文がひどいのは検察の稚拙な弁解を擁護するだけでなく、検察すら言っていない「全裸にでもしない限り…発見は困難である」と言い切っている事です。裁判所が出す身体検査令状の意味を裁判所自ら否定するものです。写真や指紋を取るだけなら令状は必要なく、わざわざ裁判所が許可して令状を出すのは、事件と関係する傷などを徹底的に調べるために、身体検査を行う必要があるからです。刑訴法218条第2項は身体検査令状は被疑者を裸にすることを前提に書かれています。小学校の身体検査でさえ、パンツ1枚で行われるのが常識なのに、一家4人殺し、強盗放火事件である本件でズボンをはいたまま身体検査なるものを行ったなどとは到底考えられません。事実、事件発生と同じ昭和41年、選挙違反や駐車違反などで逮捕された女性が全裸にされ、陰部まで調べられ、それが人権問題になっているという資料(*2)を私たちは確認しています。裁判官自身の無知とありえない空想による結論が「すねの傷はなかったとは言えない」であって、裁判官が自信を持って「すねの傷はあったとは言えない」ことは明らかです。大島裁判長、それでも袴田さんを死刑にしますか?

 

◇裁判所は検察の味方か?裁判官に良心はあるか?

さらに決定文は控訴審判決での「専務に蹴られたすねの傷」のくだりを矮小化して、補足的に述べているだけだと言っていますが、東京高裁の控訴審判決文はこう述べています。

 

「パジャマを着て犯行におよんだとする点等に明らかな虚偽があるが、この点については味噌タンク内の衣類が未発見であるのを幸いに被告人が捜査官の推測に便乗した形跡があり、これを根拠に調書全体の信用性を否定するのは相当ではない。専務との格闘の際に腿や向こう脛を蹴られたとの自供内容に相応するように事件後の9月8日には、被告人の右下腿中央から下部前面に4か所の比較的新しい打撲擦過傷が認められたうえ、事件後1年2か月経った頃発見された鉄紺色ズボンには右足前面に2,5cmx4cmの裏地に達するカギ裂きの損傷があった。」(1976年5月)

 

今回の高裁決定文の特徴は「…に疑問がある」と一見弁護団の主張を取り上げるふりをしながら「そうであるとしても」という形で40年という歳月を経るなかで新たな矛盾を積み上げてきた再審の流れをすべて否定して、40年前に時計を撒き戻すという全く許すことができないひどい内容です。無実の人を死刑にするかもしれないという真摯な態度のかけらもない軽薄な文章に怒りがこみ上げてきます。

 

中学生程度の国語力の持ち主なら、確定判決の「自供内容に相応するように」は「打撲擦過傷が認められたうえ」と「かぎ裂きの損傷があった」の両方に対等に掛かる文(並列)だということが理解できます。これのどこが「補足的に述べたにとどまっている」と言えるのでしょうか?公判で袴田さんと事件を結びつける証拠が何もなく、犯行着衣の訴因の異例の変更によって、供述調書の信用性、任意性が大きく揺らぐ中、唯一袴田さんの供述の信用性を裏付けるのがすねの傷であったのです。

 

そして5点の衣類のズボンに残る傷はこの時できたものであるとすることが重要でした。決定文が言うように何かの途中で衝突,擦過したものであれば犯行着衣としては認定し難く、殺人と放火の現場の混乱する状況下で偶然すねの傷と同じ場所に、それを類推させるようなズボンの損傷が、全く関係ない移動中の事故によってできること自体あり得ないからです。確定判決文ではズボンの損傷がすねの傷に相応しているかのごとき表現をすることで、すねの傷との関連を印象付け、その結果鉄紺色ズボンが犯行着衣として認定され、袴田さんの自白が真実であるとされたのでした。この文脈から少なくとも5点の衣類が発見されて以降、50年近くズボンの損傷は専務との格闘の際に出来たものであるとの認識を弁護団も疑うことは有りませんでした。

 

それなのに今回、検察が言ってもいない他の場所で出来た可能性を、裁判官が検察の主張を正当化するために持ち出すことに驚きを禁じえません。それは検察の矛盾に助け舟を出すに等しい事です。検察と裁判所がグルになったらもうこれは裁判ではありません。この大島決定の性格は本田鑑定を否定することで他の矛盾に目をつむり、検察の主張を代弁するひどいものですが、すねの傷についても全く同様でお話になりません。

 

◇憲法第38条;違法な取調べでの自白は証拠にならない!

裁判所も検察官同様、ことあるごとに「確定審において袴田自身が一貫して認める供述をしている」「自白でも説明されていない損傷」などと、自らの主張の正当性のために、自白をゆるぎない前提のように持ち出します。しかしながら、裁判官自身がこの決定文の中で逮捕後の異常な取調べを認め「自白の任意性、信用性に疑問」としている自白は、平均で1日12時間以上にも及び、トイレにも行かせないなど違法な取調べの結果引き出されたものでした。しかも45通のうち44通は自白に任意性がないといって取り上げられなかった支離滅裂なものでした。

袴田さんを何としても殺人犯に仕立て上げようとする検察はともかく、検察の主張に合理的な疑いがないかを判断するべき裁判官が、信頼性のない自白をタテに論理展開をすることは自己矛盾で、絶対にしてはいけないことです。

 

本当に袴田さんは公判の過程ですねの傷を一貫して認めていたのでしょうか?

事件当夜6月30日に負傷して、警察官が初めてすねの傷の存在を知ったという9月6日は傷が出来てから68日後になります。一般に肉が露出するほどひどい擦過傷を負ったとしても、2か月以上経過すればかさぶたも取れ、ほとんど傷が判別できないくらいに回復します。事実、袴田巌さんは2017年7月13日に自宅近くの公園の10数段の階段から転倒して転げ落ち、顔面強打で腫れ上がり、下腿の擦過傷は肉が露出するほどひどく、救急車で浜松医療センターに入院することになりましたが、2週間ほどでほぼ完治しました。この時袴田さんは81歳、30歳の袴田さんならばもっと回復は速かったと推測されます。

事件後68日経っても存在していた傷は、逮捕時まで全く発見されなかったミステリーは不問にするとして、自白をした時点ではほぼ完治していたと思われます。傷を負った直後の痛みはそれなりに記憶にとどめることはできても、完治していく傷の存在を人はどこまで記憶にとどめることが出来るのでしょうか?

9月6日に8,5cmあった傷が2日後には3,5cmに縮み、しかもすねの傷とズボンの損傷との関連が問題になるのは、1年2か月後、5点の衣類が発見されて以降です。袴田さんは自身の認識として、右手中指の傷と右肩の傷は消火作業の途中で負傷したと自覚し公判でも述べています。すねの傷に関しては上記のような理由で、記憶に不確かなまま、一連の行動の中で負傷したものと判断したとしてもおかしくはありません。公判の場で記憶にないものを答えようとして述べたことが「一貫して認めていた」とされたのです。

 

さらに検察は供述調書を取り上げて「臨場感を持ってこれがその時の傷ですと袴田が証言した」といっていますが、排除された警察官による員面調書に証拠の価値は全くありません。自白にしても、開示された録音テープには調書を棒読みさせられる袴田さんの声は残っていますが、自白に転ずる瞬間の録音だけはありません。結局、すねの傷に関しては自白以外に物証はなく、違法な取調べの結果、自白を強制されたもので、警察官の作文(9・6調書1961丁)を見せられても到底信用できません。

 

◇2回の診察での重大な事実誤認=検察の意見書丸写しの誤り

大島決定には重大な事実誤認があります。すねの傷について、まともに検証することなく検察の意見書をそのまま書き写しただけの決定文は、『袴田の申告や供述から…』と7月4日及び8月18日に袴田さんが申告や供述をしたかのように言っていますが、事件とは無関係の袴田さんが逮捕前の診察で申告や供述をする理由がなく、そもそも7月4日の山田医院の診察は、前日に浜北の実家近くの福井医院で中指の治療をした袴田さんにとって不要なものでした。

折しも7月4日は「容疑者に従業員H浮かぶ」と毎日新聞がスクープをした日です。清水に戻った袴田さんは同僚に強く勧められ、山田医院の診察を受けるのですが、そこに被害者の解剖をした警察医鈴木俊次がいて、鈴木医師自ら創傷検査を行い「傷はすべて見た」と公判で証言し、カルテにも記載されましたがその中に「すねの傷」はありません。福井医院の診察では「金物のような鈍い物」という見立てが、山田医院の診察では「鋭利な刃物の可能性」になり、事件との関連を示唆する重要な証拠になるのです。

この事実から鈴木医師は明らかに証拠になることを認識したうえで診察に臨んだといえます。それでも「すねの傷」は発見できなかった。そういう状況の下で申告云々は関係なく、一方的な診察であったわけで、そもそも検察が申告といったのは福井医院でのことを述べているのを、検察の文章を切り取った裁判官が申告という言葉を使って重大な事実誤認をしたのです。

 

福井医院での診察は、いつものように週末に実家に帰った袴田さんが、消火作業の際負傷した中指の傷が化膿しかかっていたので受けたのですが、このことを検察は「袴田は中指の傷については申告したが、すねの傷は犯行と関係があることを恐れて申告しなかった」と袴田さんは嘘をつくずるい奴だと決めつけて、この申告という言葉を使っているのです。

しかしながら、前述のように68日経ってもなお、変化しつつある傷は、事件から4日後の7月3日の時点では相当重傷であったはずで、指の傷の受診の際に同時に受けることが自然です。検察の言うように事件との関連でいえば、中指の傷こそ隠していたはずです。専務との取っ組み合いの最中に負ったという傷は、本当にくり小刀でできた傷ならば、犯人は一番隠したい傷のはずです。それに比べてすねの傷は、どっかで転んだとかどんな風にも説明はできます。それを検察の推理のように、中指だけ申告して、すねの傷は申告がなかったから診察しなかったというのはありえない話です。すねの傷を隠す必要があるならば、指の傷も自分で治療するなどして隠すのは容易だったはずだからです。

 

◇記録にないから「なかった」んでしょう!

これは愛媛県の獣医学部新設疑惑の記者会見に臨んだ加計学園加計孝太郎理事長の言葉です。この1年、メデイアを通してどれだけこの言葉を聞いたでしょうか?

 

「記憶にも記録にもない」というこの言葉は、真実を隠したい側が記憶はあやふやだが記録は確かだという意味を込めて使われています。そして真実を隠したい側には記録を捏造したり、消すことができることを私たちは目の当たりにしてきました。しかし、袴田さんを逮捕した当日、警察官には記録を消す理由は全くありません。50年近く「あった」とされてきた記録が「なかった」ことの意味は相当大きいものです。

一審の裁判はその時点では完治していたすねの傷の検証は行わず、暗黙の了解のもとで「あった」として審理されてきたからです。もし、逮捕当日に警察の全ての記録にすねの傷がないことを一審の裁判官が知っていたら、石見裁判長と高井裁判官は無罪を主張した熊本典道裁判官の説得をはねのけ、それでも死刑を押通したでしょうか?東京高裁の横川裁判長も「自供内容に相応するように」(確定判決)すねの傷があったと自信を持って言えたでしょうか?もし、たった1通の供述調書が採用されなければ、事件当日「あった」ことも証明できない信頼性のないこんな証拠で、無実であるかもしれない容疑者を死刑にすることなど、絶対にできなかったはずです。

 

◇最高裁は高裁決定の事実誤認を認め、直ちに再審開始を!

6月11日東京高裁大島裁判長は静岡地裁の再審開始決定を取り消し、再び袴田さんを死刑台に送ろうとする決定を下しました。この決定がいかにひどいものか、ここでは浜松袴田さんを救う市民の会が強く訴えてきた「すねの傷」に絞って検証しましたが、本田鑑定を否定することによって、検察の主張をそのまま代弁する独断と偏見の姿勢はすべての項目に一貫しています。たとえば5点の衣類の捏造の疑いに関しては、「自白(パジャマでの犯行)と矛盾する捏造を警察が行うとは考えにくい」と一方的に警察の側に立ち、ずさんな証拠の数々には「捜査機関が捏造するのであれば、もっとうまくやる」などと驚くべき屁理屈で警察の不祥事の尻ぬぐいさえしています。大島決定の背後にある『捜査機関が証拠の捏造などするはずがない』という思い込みは半世紀前ならいざ知らず、今では国民の誰もが信じてはいません。

 

そもそも確定判決にある『捜査官の推測に便乗し』という表現こそ袴田さんの無罪の証明です。犯行現場を知らない袴田さんは捜査官の言うとおりに従うしかなかったからです。同じ事実を見て黒とするか白とするか、これは大島決定にも言えることですが裁判官の見方によって大きく変わります。事実を真摯に見つめることではなく、先入観や偏見で物事を判断したら、決まった結論しか導き出されません。これでは裁判は必要なくなります。

「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則を無視し、数々の疑問にまともに答えようとしない高裁決定には重大な事実誤認があり、検察が「すねの傷」の確たる証拠を出せないこと、それだけで再審開始の要件を満たすものだと思います。

 

30歳で逮捕された袴田さんは82歳、弟の無実を信じ支え続けてきたお姉さんの秀子さんは85歳になります。残された時間は限られています。世界中の人々が袴田事件に注目し、歴史に残る裁判の行方は後世の批判にさらされることになります。

無実の人は無罪に!この当たり前の判決が司法自らの手で正されることを願ってやみません。

 

清水一人

 

 

*2警察庁刑事局発行(昭和41年11月)留置場管理関係資料による

それによると、35歳、41歳、29歳の女性が密造酒所持、選挙違反、駐車違反で逮捕された際、ズロースまで脱がされる様子が詳しく記述されている。

再放送:NNNドキュメンタリー’18 神となった死刑囚・袴田巖の52年

巖さんのドキュメンタリー番組が日本テレビ系列で全国放送されました。

NNNドキュメント’18
我、生還すー神となった死刑囚・袴田巖の52年ー
2018年10月14日(日)24:55~(15日午前0時55分のこと)
中京テレビ制作

見逃した方のために、再放送があります。

10月21日(日)11:00~ BS日テレ
10月21日(日)5:00~/24:00~ CS「日テレNEWS24」

岩波書店の『WEB世界』に意見表明

岩波書店の『WEB世界』に意見表明

当クラブ代表の猪野待子に、岩波書店の『WEB世界』から原稿執筆依頼があり、出稿しました。

【巖さんの妄想「最高権力者」は無実の証】というタイトル。

URLはここです。https://websekai.iwanami.co.jp/posts/1201

30歳で逮捕された袴田巖さん、その後の人生は暗転し地獄の苦しみに襲われること半世紀。他に類例のない重く過酷な刑罰を背負う死刑囚とされてきました。巖さんが被った精神的ダメージは甚大で、痛々しいかぎりです。無罪が確定しない現在、回復は遅々としており本質的な蘇生は望めないというのが現状です。なぜなら、巌さんを蝕んだ根本原因、冤罪が解決されていないからです。支援者として身近に巌さんと接する私は、その精神的ダメージにあってもなお不動のものとして生きる巖さんの心情について述べずにはいられません。

巖さんの症状は「拘禁症」、つまり長期にわたる拘禁がもたらす妄想などと一言で言われていますが、そんな通り一遍のものではありません。虚無が支配する独房に投獄された48年間の毎日は、強いられた孤独と絶望の中で、冤罪を晴らせない焦りと抑えることのできない怒りに震え、そして宿命として迫りくる死刑執行への戦慄に苛まれる日々。

そういう極限状況に放置された「死刑囚」の頭の中に渦巻くものは何か。

私は思うのです。もし、真犯人であったなら、罪を犯したことへの慚愧の念と被害者への罪悪感に襲われることはあっても、あるいは被害者の亡霊に慄くことはあっても、巖さんのように正義を希求して身を焦がすなどということがあるだろうかと。

巖さんは、現実の他に心の中に独自の世界(妄想)を創り出しています。そこでは、「最高権力者になった袴田巖」が「嘘のない世界」「社会の正義」「世界の平和」「全人民の幸福」を実現するため、不正義と闘い続けるのです。人の命をも奪おうとする社会の不正義と。二度とそのような「悪」がはびこらないように。巖さんは静かに叫びます。「闘いは勝たなきゃしょんないんだ。負けたんじゃ、やられちゃう」と。「警察? 怨んじゃおらんがね」と、自分をトリックに陥れた警察官や検察官、追随する裁判官の個人個人に対する私怨に囚われることなく、さらに、再審無罪の獲得という自身の利害に留まるものでもありません。

「私のもろもろの闘いは今弱者の生を代表するものである」(獄中書簡集より)。獄中で呻吟しつつ断言した格調高い意気込みは、30年を経た現在、人々の幸福を希い、さながら修行僧のように浜松の街を歩き回る巖さんの姿に貫かれており、この高潔さに私は強い感銘を覚えるのです。

そうです。受難によって今も続く精神的状況と行動は、巖さんが無実であること、袴田事件は冤罪だということを満天下に証明する端的でこの上ない証拠なのです。

このノックアウト知らずのファイティングスピリットは、罪人のものでは決してありません。殴られても蹴られても立ち上がり、なお理不尽な悪魔に立ち向かうタフな勇者のもの以外の何物でもないのです。

ところで、裁判、再審請求審では、DNA型鑑定など高度に専門的な議論が飛び交っています。法律論や科学的鑑定も大事でしょうが、何よりまず巖さんという人間を刮目すればそれだけで無実が分かろうというものです。

今回の高裁決定は、まるで検察主張のオウム返しでしたが、再審開始は取り消したものの「拘置と死刑執行の停止」はそのまま継続とし、最高裁へと判断を先送りしました。これは、一方で検察や上からの同調圧力に屈して、他方では袴田巖さんの無実を確信し同情する国民世論からの非難をかわそうとした結果でしょう。

担当した大島裁判長は公平なデュープロセスに則った判歴を有する裁判官、今どきの裁判所には貴重な人財だという評判で、この裁判長ならと、私たちも大いに期待しました。それがあらぬ事に、来年定年退官を迎えるこの時、袴田事件の再審請求審という世紀の裁判で、天に唾する背信行為。大島氏は多くの国民を失望させ、自らの裁判官人生の晩節を汚しました。

4年前、静岡地裁の再審開始決定は「国家機関が無実の個人を陥れ、45年以上にわたり身体を拘束し続けたことになり、刑事司法の理念からは到底耐え難いことといわなければならない」という名言を残しました。その決定と、即時抗告審の記録を一通り読めば、誰の口からも無罪という判定が出ることは明白なこの裁判。いわれのない罪を晴らすまでには、一体どれだけの知力と歳月が費やされなければならないのでしょうか。

「50年戦争だと思っていたら、100年戦争だった……」85歳の姉、ひで子さんが呟いた言葉が痛い。

大島隆明裁判長、来年の定年を待たずに依願退官(8月3日付)

大島隆明(元東京高等裁判所第8刑事部総括判事)氏とは、袴田事件の第2次再審請求審の即時抗告審の裁判長を努めた裁判官です。

大島元裁判長はデュープロセス(公平な適正手続き)に則った判歴を有する裁判官、今どきの裁判所には貴重な人財だという評判でした。戦後の横浜事件の再審開始決定でも、オウム真理教の菊池さんに対する逆転無罪判決などでも、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則と言われながらも守られてこなかった宝石を蘇らせたキャリアがありました。この裁判長ならばと、私たちは高裁決定に大いに期待しました。それがあらぬ事に、来年定年を迎えるこの時、袴田事件の再審請求審という世紀の裁判で、天に唾する背信行為に出たのです。法曹界がその変節に驚きました。

 

しかし、何故の変節なのでしょうか。東京高裁での即時抗告審は、裁判長の訴訟指揮に検察官寄りの姿勢が垣間見られたのですが、審理でのやり取りは弁護側ペース。とりわけDNA型鑑定をめぐる対質尋問(検察側の鈴木鑑定人と弁護側の本田鑑定人を同時に尋問)では、検察側は形なしの状態だったと聞いています。3人の裁判官も検察の旗色が悪いことを十分認識していたようです。にもかかわらず、弁護側の主張をことごとく否定するばかりか、あたかも弁護側に厳密な立証責任があるかのような攻撃に出るわ、検察官の主張を丸呑みするわ、あたかも裁判官の法衣を着た検察官のようでした。

 

さらに大島裁判長は、6月11日に袴田さんを死刑にしろという不当な決定を出した後、7月末には別の強盗殺人事件の控訴審で一審の死刑判決を支持する判決を出しました。私は裁判内容について知識がないのでこの裁判と判決についてその当否に触れることはできません。が、尊い人間の生命を権力が奪うという残虐な刑罰を科した、そのことは事実。連続して二人の命をこの世から抹殺する決定者となって、最多の死刑執行命令に署名した上川法相に殺しのライセンスを与え、その直後に依願退官です。今の気分はどんなものでしょうか。

いずれにせよ、裁判官生活を飾る最後の仕事がこの始末。人間の自由と尊厳を護る砦が裁判所と裁判官ではなかったのでしょうか。大島氏の良心は、そんなことは分かり切っていたことでしょう。支配秩序を維持しお上の無謬性神話と権威を護るために司法が存在し、そのためには無実であろうがなかろうが、犯人と思しき国民を罪に陥れ殺してしまってもかまわないのでしょうか

 

立法、行政、司法の三権分立については、小中学校で習います。立法府と行政府は時に誤ります。暴走することもあります。それによって侵される国民の自由と尊厳を守ることを使命としているのが、司法の府としての裁判所。刑事司法は、そう説明されています。そうではないのでしょうか。『絶望の裁判所』(瀬木比呂志著)には、最高裁は「憲法の番人」ではなく「政府の番犬」だと表現されていました。最高裁にはそれが事実ではないことを見せてもらいたいのです。同じ犬でも、政府や議会に対して人権擁護の警鐘を鳴らす犬になってほしいものです。

 

このように裁判官としてのキャリアを締めくくって、大島氏は何を得たのでしょうか。それによって失ったものの方にずっと価値が、崇高な実績と誇りがあったはずです。大島氏は多くの国民を失望させたとともに、自らの裁判官人生の晩節を汚したのです。

私のDNA鑑定は揺るがない 本田克也 筑波大学教授  朝日新聞(WebRonza 7/3 7/4)

袴田事件、私のDNA鑑定は揺るがない(上)

東京高裁と静岡地裁の異なる判断の背景にあるものは何か。鑑定人の本田教授が語る

本田克也 筑波大学教授

 

DNA鑑定のすべてを否定した東京高裁の判決

4年にも及ぶ審理の末、いわゆる「袴田事件」の即時抗告審における東京高裁の決定が公表された。結果は、静岡地裁が再審開始を認めたのに対して、再審を認めないという正反対の決定である。その理由として、地裁決定で新証拠とされた「DNA鑑定」の信用性を否定するということがクローズアップされたのであったが、この結果を見て、みなさんはどう思われたであろうか。

同じ証拠をみて判断が異なるというのは、どちらかが正しくどちらかが間違いではないか、と思う人もあろう。地裁より高裁の方が上級審であるから高裁の方が正しいのでは、と思う人もあるかもしれない。地裁の方が時間をかけて入念に事実を調べているため、むしろ真実に近い判断がなされることが多いから、むしろ地裁決定が正しいのでは、と思う人もあろう。また、「DNA鑑定」の成否などのような専門性の高い内容を、そもそも裁判所が判断できるのであろうか、という素朴な疑問を持つ人もあるかもしれない。

結論から先に述べれば、静岡地裁ではDNA鑑定の結果を事実としてしっかり調べ、全体のデータの中から有用な情報を引き出した判断がなされているのに対して、東京高裁の判断はDNA鑑定は疑わしいという前提のもとで、そこに用いられた方法の問題点、さらには鑑定人の人間性についての疑惑をできる限り見つけて、DNA鑑定のすべてを否定した結論になっていることがわかる。

功を奏した?検察官の説得

こうしてみると、前者は真実を明らかにしたいという事実に立脚した客観的判断であり、後者は裁判官がどういうわけか抱いてしまった鑑定人への疑惑を証明することを目指した主観的判断である、ということになる。

いったいなぜ、裁判官が「DNA鑑定」に疑惑をもってしまったのか、私にはわからない。個人的に裁判長と過去に関わりがあったわけではないし、裁判の過程で裁判官と関わりがあったわけではない。それどころか今回の高裁での審理では、私は裁判所からいかなる問い合わせも、資料の請求も受けなかったのである。

私が裁判所と関わったのは、審理もほぼ終了した昨年の9月末に行われた証人尋問の一回のみである。とすれば考えられるのはただ一つ、検察官が大変な努力をして、多量の文書の提出によって本田は信用できないと裁判官を説得し続けたことが功を奏したのではないか、ということである。しかし真実は多数決でわかるわけではない。

裁判というものは真実を明らかにするもの、と一般の人は信じているかもしれない。また、かつての私もそうであった。しかし裁判で問題にされるのは書面であり、あるいは尋問によって得られた言語表現であり、客観的事実が扱われるわけではないから、証拠そのものの真偽を明らかにすることはほぼ不可能なのである。

にもかかわらず、東京高裁は裁判官にとっては単なる文献的な知識しかないのに、DNA鑑定の証拠は果たして本物かどうかという、解決困難な議論を強行してしまったのである。

なぜ、袴田さんは再収監されないのか?

それにしても不思議なことがある。それは、再審請求が棄却されながら、どういうわけか袴田さんの再収監がなされなかったことである。つまり地裁決定の後半部分だけは維持されたのであった。ただ、地裁の場合は再審を認めたうえでの、すなわち無罪であることが前提にされた上での判断であり、高裁が理由にしたところの、健康上や生活上の問題からではない。

本来なら再審請求が棄却された以上は、収監されなければならないはずである。それがなされなかった理由はたった一つ、今回の高裁の裁判は袴田さんが無実であるかどうかとはまったく別の次元での裁判であり、その判断とそもそも袴田さんが無実であるかどうかとは切り離して考えられている、ということである。

実は、この決定に今回の高裁審理の本質が表現されている。一言で言えば、決定の「非論理性」ということである。

非論理性で貫かれた4年の裁判

どういう非論理性か? それは、今回の裁判は実は新証拠とされた「DNA鑑定」論争が目的であり、袴田さんの事件とは無関係に論争されたということである。そして、「DNA鑑定」は袴田さんの事件の本質とは無関係であると裁判官が認めていたからこその、非論理的な決定であったのであろう。

こう考えると、東京高裁の裁判長は判断できないような論争に約4年も費やして、無駄な裁判を行ってしまったことがわかる。しかし、もっと不思議なことは、約4年もかかって論争した内容は、まったく決定文には盛り込まれていないのである。まるで、高裁での「DNA鑑定」論争はなかったかのように、検察官の意見書からの部分的引用のみが並べられており、それに対して行われた弁護側の反論はまったく無視されているのである。

特に、高裁での鑑定人尋問で私が質問に答えた内容は、まったく採用されていない。非公開の裁判であるから、中身は何もなかったことにできるところに怖さがあると思ったが、すでに本田に対して「信用できない鑑定人」という先入観を持っていたとしたら、当然だったかもしれない。とすれば、証人尋問は、単なる形式に過ぎなかったとも言えるのである。

これに対し、検察側から推薦された専門家の意見の方は、意図的ともみえる曲解や中傷を含んだものであったにもかかわらず、すべて鵜呑(うの)みにされている。まるで裁判官という名の検察官がもう一人いたかのようである。

事実を無視した判決

裁判官は科学や技術、研究やDNA鑑定については素人なのであるから、両方の意見を公平に聞くべきではなかっただろうか。しかし、結果から見れば、DNA鑑定を否定するために、裁判官がとても理解できないような専門性の高い内容であっても、検察側の見解はそのまま採用し、結果として間違った説明をしているとしたら、問題である。

判決に必要な論理的な判断は、客観的な事実に基づいて行わなければならない。だが、、今回の高裁判決は、主観的な疑惑に基づいた論理が多々、展開されてしまっている。つまり、事実を無視した判決になってしまっているのである。

 

誤った「細胞選択的抽出法」の検証実験

具体的に述べてみよう。今回の高裁審理の論点の最たるものに、鑑定人の私が考案した「細胞選択的抽出法」という方法がある。高裁ではこれに着目して、この方法が有効かどうかを議論しようして、別の専門家を立てて検証実験を行った。

ところが、その専門家はきちんと検証実験を行わず、そこに使われたたった一つの試薬(抗Hレクチン=)にのみ着目し、誤った使い方(細胞を集めるために用いるのではなく、鑑定に用いた濃度よりもはるかに高濃度でDNAに直接作用させて有害性を調べる実験)を「検証」という名のもとに行ってしまったのである。

(注)レクチンとは、植物の種子などに含まれる細胞を凝集させる物質である。鑑定に用いた抗Hレクチンは、すべての血球の細胞膜に含まれるH抗原を識別し、血球凝集を起こす試薬で、血液型判定で通常に用いられている試薬である。抗Hレクチンによる血球凝集反応は、血液型判定の常法として確立した方法である。また今回のDNA鑑定に用いた「細胞選択的抽出法」というのは、抗Hレクチンなどを用いてDNA抽出の前処理段階に細胞凝集過程を置く方法である。

結果として、「細胞選択的抽出法」の検証はまったく行われていない。したがって、「細胞選択的抽出法」の有効性を否定する根拠はなくなったはずである。しかし決定文では、(検証実験は)「本田鑑定と同様の手法を忠実に再現することによって,その信用性を検討した手法によっているものではない」としたうえで、「オーソ抗H レクチンがDNA 分解酵素を含むとの限度では十分信用できる」と認めているのである。

そもそも、「細胞選択的抽出法」を独自の方法であると認めたからこそ「検証」を行ったはずなのに、それをやらなかったとしたら、「独自の方法であり、誰も再現できていないから疑問」と言えるはずはないであろう。「再現できなかった」のではなく、「再現しようとしなかった」のであるから。

この方法は、簡単にかつ数時間で実施できる方法であるから、それを弁護士に再現させたビデオのDVDも裁判で上映し、証拠として提出しているのに、「再現実験は本田の指導、監督の下で行ったものであって、第三者による検証とは位置づけられないものである」(決定文)とされた。「細胞選択的抽出法」の発見者の指導を拒否して、どうしてそれを検証できるのだろうか。疑問があるならできるかどうか試してみればいい。しかし試さないで疑問を持たれ続けているのはどうしてなのだろうか。

国際雑誌で認められた有効性

そもそも、この方法の有効性はすでに国際雑誌(Forensic Sci Genet,2014,10,17-22)に掲載されており、国際学会では何度も発表してきている。それどころか、法医学鑑定のために細胞選択を行うための機器もすでに発売されている(機器名DEPArrey, 製造元Menarini Silicon Biosystems) のであり、その詳しい原理は企業秘密とされ公表されていないが、「細胞選択的抽出法」の技術は世界の法医学界が求めていることは明らかである。

決定文では「本田の『細胞選択的抽出法』という鑑定手法には科学的原理や有用性に深刻な疑問がある」と述べられている。「科学的原理」に関する疑問とは何か。先を読むと、「レクチンはDNA型鑑定に必要な白血球だけを凝集させるものではなく、遠心分離で白血球と他の細胞を分離できたとの研究報告は見当たらない」と書かれている。

しかし私は、「レクチンはDNA型鑑定に必要な白血球だけを凝集させる」などと言ったことは一度もないし、100%分離できないことについては、データを提示しながら何度も繰り返し説明してきている。また、鑑定には相対的に優勢な型の判断を行えば何の問題もないと、データを示して説明している。ならば、ここを本田はどのように説明したのか。「レクチンはDNA型鑑定に必要な白血球を確実に凝集させる」である。

「白血球」は血液の一部であり、DNA鑑定ができる細胞であるから、少なくともそれが凝集できれば白血球(血液)からのDNA鑑定は可能であるし、何ら深刻な問題ではないことになる。(研究報告が)「見当たらない」ことも問題ではない。「見当たらない」からこそ検証させたはずなのに、検証してもらえなかったのではないか。やってみれば可能なことは、すぐ証明されたはずである。

この文章にとどまらず、決定文全編に貫かれていることは、裁判官は「疑問」を一切解決しようとしないまま、また鑑定人尋問に関しても、自分自身が抱いた疑問の正しさが否定されないように、鑑定人に一切、「疑問」について質問しないまま(実際の鑑定人尋問では聞かれていないことが、決定文にたくさん盛り込まれている)、書かれているということである。まるで、決定文はあらかじめできていたかのようである。それ自体が独り歩きした疑惑を客観的な問題であると断定し、「DNA鑑定は信用できない」と述べていくのである。

 

袴田事件、私のDNA鑑定は揺るがない(下)

 

「鑑定データを意図的に削除」という誹謗と中傷

裁判官の抱いた疑惑の独り歩きの最も最たるものは、「本田は、本件チャート図の元となるデータや実験ノートの提出の求めに対し、血液型DNAや予備実験に関するデータ等は既に原審時点において、見当たらない又は削除したと回答しており、その他のデータや実験ノートについても、当審における証人尋問の際に、すべて消去したと証言するに至っている」という決定文の文章である。

「証言した」ではなく、「証言するに至っている」というと、追い詰められた挙句の果てに、都合の悪いデータを意図的に削除する不正を認めたかのように読まれてしまうが、このような事実はない。地裁では追加データを何回も請求されたが、あるものはすべて提出してきた。

鑑定ではマニュアル通りやっているだけなので、実験ノートは作るまでもないのであることは裁判でも証言してきた。そもそも高裁の裁判官は原審(地裁)から関わっているわけではないのであるから、「原審時点において」と書くことはできないはずである。

30年間の研究・実績に基づく命懸けの鑑定

私自身としては、30年間の研究や鑑定実績に基づいた命賭けの真実の鑑定である以上、何ら隠す必要などない。鑑定試料の代わりになるような、特殊なデータも持っていないのであるから捏造することも、その必要もないのである。

請求していないものがこれまでに出ていないからといって、「不正があるから出していないのでは」と邪推するのは、鑑定人への冒涜(ぼうとく)にほかならない。しかし高裁からは一度も追加データを正式に請求されたことはないことは断言しておきたい。

私は裁判所から依頼されて鑑定をやっただけであり、その結果が裁判官の主観にそぐわなかったからといって、不正鑑定人のレッテルを貼られてはたまったものではない。

また「当審における証人尋問の際に、すべて消去したと証言」とあるが、これは2017年の9月27日の尋問終了間際、裁判長から最後の最後になって「カラーのデータが鑑定書に添付されていませんが」と尋ねられ、「そうだったですか? 付けたつもりでしたが……。そうでしたら申し訳ありません」と思いもよらぬ質問への答え方に疑問を持ったということなのであろうか。

本件鑑定を行ったのは尋問の6年前である。高裁審理がはじまってからも3年半も経過したときのことであるから、もしも請求したいなら、それまでに十分に時間はあったし、精査したいなら、それを元に尋問しなければ意味がないはずである。

すでに尋問が終わったあとで、どうしてカラーのデータが必要なのか、白黒データはカラーデータをコピーしただけであって、中身はまったく同じであるのに、と首を傾げたことであった。

そのときはこの裁判長の言葉の意味がわからなかったが、决定文をみて、あの質問は罠(わな)だったのか、と気づかされたのである。

というのは、「当審における証人尋問の際に、すべて消去したと証言するに至っている」に加えて、決定文には尋問では一度も尋ねられたことのない文章、すなわち「縦線(遺伝子の型を示す背景の帯のこと:引用者注)も不鮮明なものが含まれている」と書かれていたのである。これをもって、本田がDNA型を何らかの意図をもって書き換えたことが邪推されている。

裁判官はどうしても鑑定人の捏造(ねつぞう)への疑惑を、証言として確認したかのような形を取りたかったのだということがわかり、実際にはなかった証言があったと書かれていることに、大変に憤りを覚えたことであった。

しかし私がこの鑑定を行ったときには、対照(袴田さんのDNA型)検査は行っていないのであるから、わざわざ書き換えた場合には、誤って袴田さんの型と偶然に一致させてしまうこともありうるのである。しかし書き換えるとは言っても、出力データそのものを変えることはできず、せいぜいその解釈を変えることができるだけであることも、正しく理解されていたか疑わしい。

わかりにくいDNA鑑定否定の理由

高裁の決定文の全文を読んで明らかなのは、一体いかなる理由でDNAの鑑定結果を否定しようとしているのかが、大変にわかりにくい点である。

①データそのものが捏造か、あるいはすべてが汚染の産物である、といいたいのか、②データの解釈が違うとしているのか、③鑑定に使われた方法(細胞選択的抽出法)ではDNA型は出ないはずといいたいのか、よくわからないのであるが、どうもすべてを中途半端に並べて理由にしたいようなのである。そして、裁判で確認しようとされなかったことが、「疑惑」としてつらつらと列挙されているのである。そして、部分的な疑惑を拡大解釈して、全体を否定するのである。かすり傷をたくさん見つけて、致命傷があると言っているようなものである。

今回の高裁審理は「細胞選択的抽出法」が議論になったから、②が論点であると思われていたが、蓋(ふた)をあけてみれば、決定文では「選択的抽出法」のさらに一部でしかない、レクチン試薬と遠心分離の条件への疑問が、わずか数ページ程度述べられているのみでしかない。およそ2年近くも待ったのに、「細胞選択的抽出法」をやってもらえなかったことについては、何らの問題もなかったかのように無視されている。

さらに意外なのは、DNA鑑定のデータを、裁判官が独自に解釈し直しての疑惑がたくさん並べられていることである。このように難しい試料からの鑑定である以上、データには不完全な部分があるのは当然で、逆にそれゆえにデータは本物であると言えるのであるが、裁判官は根幹にある完全なデータを見るのではなく、不完全な部分があるからすべて認められないとするのである。

こうして汚染細胞が混じっているかもしれない、という微細な空想的仮定を拡大解釈していく。そのうえで、本田鑑定で出されたDNA型は血液由来とはいえず、汚染細胞の型かもしれないと推論し、したがって鑑定は信用できない、と結論づけているのである。

裁判に貢献しようとしたのに……

①については、本田のDNA鑑定は汚染細胞由来が混じっている可能性がある以上、まったく信用できないと疑問を呈する。しかし、どこでどのような汚染細胞が混じったかという根拠を示していない。

汚染の有無は混合パターンになるので、データを見ればわかる。今回の鑑定結果は一人分のデータしか出ていないので、汚染を考える必要はないことは、これまで何度も説明してきたが、無視されて続けている。①の可能性を根拠なしに認めてしまうと、これまで行われてきた、そしてこれから行われるすべてのDNA鑑定が否定されることになりかねない。

②については、もしも解釈がおかしいというのなら、ならばデータをどう解釈すべきかを示すべきであろう。本田は一貫した解釈をしているのであり、それにクレームをつけるのなら、どう読めるかを示さなければ意味がないし、またどう読んだら袴田さんとの一致が証明されるのかを示すべきであろう。

③については、実験すれば正しいかどうかがわかることである。しかし実験はされなかった。

もしかしたら、鑑定は何ら否定できていないことに気づいた裁判官が、ついには「本田が信用できないことが、鑑定が信用できない理由である」ということにしたかったのかもしれない。それにしても、决定文では裁判に貢献した鑑定人のすべてを氏名で表記しているのに、私のことは「本田」とすべて飛び捨てにされ、まるで犯罪人であるかのように非難されなければならないのであろうか。

「細胞選択的抽出法」とDNA鑑定の関係

新聞報道でこれまで何度も大きく取り上げられてきたし、高裁での決定文にも独自の方法だとされてきたから、「細胞選択的抽出法」はかなり難しい方法なのではないか、と思っておられる人も少なくないと思われる。しかも、「DNA鑑定の特殊な方法である」という、誤解を招きかねない説明がなされてきたという面もある。

「細胞選択的抽出法」というのは、先に説明したように、血液型判定に使っている抗Hレクチンによる血球凝集反応によるもので、凝集塊を遠心分離によって集めたものを用いて、DNA鑑定を行ったものにすぎない。原理的には独自の方法ではまったくありえず、応用という面で独創性があるに過ぎない。

また、あくまでもDNA鑑定それ自体とは直接関係はなく、「細胞選択的抽出法」+「DNA鑑定」である。換言すれば、「細胞選択的抽出法」はDNA鑑定に含まれるのではなく、前段階に足し算したに過ぎないのである。

したがって、検察側鑑定人が「大問題」と騒いでいたように、DNA分解酵素を持っている疑いがあったとしても、これはDNA鑑定それ自体に使うわけではなく、試料を確定する段階のものであり、薄い濃度で用いる限り、DNA鑑定には何ら影響を与えない。

DNA鑑定それ自体は、市販されている検査キットを用いた通常の方法をマニュアルどおり正確にやったに過ぎず、決して手品のような方法を用いたわけではない。また今回、DNA鑑定が成功したのは、必ずしも「細胞選択的抽出法」が有効であったからと言えるかどうかはわからない。鑑定に使った方法の有効性と、鑑定それ自体の結果の成否は決してイコールではないのである。DNA抽出に用いた機器や、DNA鑑定に用いた試薬の実力にも関わっていることは明らかである。

しかし「細胞選択的抽出法」は血球細胞を確実に凝集させることは事実なので、回収率や他の細胞との分離力がいかほどにせよ、血液由来のDNA型を拾ってこないことはありえない。

裁判官が正しいと思ったことが採用される怖さ

いずれにせよ、高裁で議論されてきた内容はあまりにも次元の低い論争でしかない。しかしそのことは、非公開の裁判であるゆえに、あまり知られていないのかもしれない。裁判というものは真実を明らかにするものではなく、どちらが論争に勝つかどうかの問題なのであるから、誤ったことでも裁判官が正しいと思ったことが採用される怖さがある。

そもそも、この「細胞選択的抽出法」は本田が独自の判断で用いた方法ではなく、本田自身も何度も普通の方法でいいと主張したにもかかわらず、「血液由来のDNA型を確実に検出する方法はないか」という、静岡地裁の最初の裁判官(决定文を書いた裁判官の前任者)の要求に応えて考案した方法であって、それを今さら、「普通の方法でなぜやらなかったのか」と問われても、言いがかりのように思える。裁判官の間で申し送りがまったくなされていないとしかいえない。

この鑑定の過程がいかなるものであったか、DNA鑑定の基礎から理解するには、拙著『DNA鑑定は魔法の切札か』(現代人文社)に詳しく書いてあるので、興味のある方にはぜひ、一読をお薦めしたい。

すべてのDNA鑑定を却下することに?

そもそもDNA鑑定においては、そこにいかなる細胞が付着しているかを調べることが可能ではあっても、そこから検出された型がどの種類の細胞に由来するかを証明することは不可能である。しかしDNA鑑定で知りたいことは、そこに付着している細胞が何であれ、誰に由来する細胞であるかを知りたいだけである。

しかし今回の高裁決定は、それが何の細胞に由来するかがわからない以上、DNA型が信用できないという高い基準で判断した。これは実際には判断できないことであるから、過去のDNA鑑定に疑問を生じさせ、また今後のDNA鑑定のほとんどすべては認めることはできなくなるであろう。これを他の裁判と切り離して、「袴田事件」のみに当てはまる基準にすることが許されるわけはない。

たった一つの事件でしかない袴田事件のDNA鑑定を却下する基準を設けたことによって、他のすべてのDNA鑑定を却下できる理由を作ったことになるとすれば、今回の決定の責任は極めて大きいと言える。

真実はひとつ。袴田さんは犯人ではあり得ない

肝心なことは鑑定に使われた方法ではなく、鑑定の結果の解釈でもない。鑑定データこそがすべてである。高裁決定はそれをしっかり見ることから逃げている。そこには、袴田さんのDNA型はまったく含まれていなかった。根拠のない汚染細胞を仮定しても、汚染があることを示すデータはなかった。

「鑑定者自身のDNA のコンタミネーションを疑うべき場合である」という言葉も决定文には書かれている。しかしこれは、袴田さんとの比較の意味がない付随的な2つの試料についての誤った比較によるものである。

たとえばその一つの試料については「7つの部位で合計9つの型が検出されている」とされているが、これは対になる2つのアレル(バンド)をバラバラに切り離して、型として読んだことによる間違った理解で、実際には2本のバンドが型として確実に検出されているのは2箇所に過ぎないのであるから、これが本田の型と似ていると言っても意味はないのである。

もう一つの試料についても、「6座位合計7つの型」と書かれているが、6座位からは6つの型しか出るはずはないし、実際には2本のバンドが型として確実に検出されているのは1箇所に過ぎない。ここには間違いが書かれてあるだけでなく、また鑑定人の汚染があるという根拠もないのである。

データに見られる微細な欠点を拾い上げて拡大解釈しても、データの根幹が変わることはありえず、データが語る真実を切り捨てることは不可能である。袴田さんは絶対に「犯行時の着衣」とされた5点の衣類とは無関係であり、犯人ではありえないこと、それこそがDNAが語る真実である

今こそ、このことを直視する勇気を持つべきではないだろうか。日本における司法の威信を世界に示すためにも、最高裁では先入観にとらわれず、客観的な事実に基づいた判断を、と期待する次第である。

 

 

 

東京高裁の不当決定に抗議します

東京高裁の裁判官、あなた方は重大なミスを犯しました

キッチンガーデン袴田さん支援クラブ

みなさん、ご承知の通り東京高裁は、4年前の再審決定を取り消しました。私たちは不当な決定に強く抗議するものです。高裁決定の致命的な問題点は、端的に言って「見る方向が逆」(葛野尋之一橋大学教授)という点にあります。再審請求審では、「確定されている有罪判決に合理的な疑いがあるかどうかを判断すべきなのに、再審請求で出された新証拠の個々の信用性を検討しており、問題がある」(同教授)。その信用性の判断も、まるで検察の主張と見紛うような偏見と言う外なく、「疑わしきは罰せず」という理念も、裁判官の良心も正義感も感じられないのです。

東京新聞の社説は、こう喝破しています。「疑わしきは被告人の利益に」という言葉は刑事裁判の原則で、再審でも例外ではない。ところが日本の検察はまるでメンツを懸けた勝負のように、再審開始の地裁決定にも「抗告」で対抗する。間違えていないか。再審は請求人の利益のためにある制度で、検察組織の防御のためではない、と。裁判所も、再審制度の目的を平気で踏みにじっていることを恥じるべきです。「疑わしきは確定判決(再審の対象となっている判決)の利益に」という悪習慣を断ち切り、再審は「無辜の救済」、つまり裁判官の誤判決から無実の人間を救い出すことを鋼鉄の原則としなければいけません。いつまでたっても日本の司法に世界から浴びせられる非難と嘲笑は、大きくこそなれ止むことは決してないでしょう。

ここで、問題はこうです。4年前の静岡地裁での裁判のやり直しを開始するという決定が正しいのか、それとも、その決定を真っ向から否定する高裁決定(裁判はやり直す必要がないという決定)が正当なのか?これは、弁護団が最高裁へ特別上告(高裁決定に不服を申し立て、最高裁の判断を仰ぐ)するので、最高裁が決定を出すことになります。

ところで、静岡地裁の決定の再審開始を取り消したのですが、それと同時に出された死刑の執行停止と拘置の停止決定は否定されずに残されています。袴田さんは釈放されたままで良いというのです。これまでの判例や理屈からすると、再審開始をひっくり返すなら同時に死刑の執行停止、拘置の停止も取り消されるはずです。しかし、それが出来なかった。4年前からの無罪扱い(釈放されたまま)は継続され、仮のものではあれ袴田さんには自由が続きます。袴田さんの無罪を知っている国民の声に押されて、そうせざるをえなかったのです。また、裁判所も本音では無罪と考えているのではないでしょうか。

私たちは、罪なき浜松市民がぬれ衣を着せられたまま48年間も独房に閉じ込められたままであったことに悲憤の涙を流してきました。今回の不当な決定には激怒、また激怒させられているのです。涙はもう出ません。不当な決定に抗議します。

私たちはこの国の主権者として、高々と抗議の声を挙げましょう。

東京高検 検事長への要請

           2018年5月16日

 

東京高等検察庁

検事長 稲田 伸夫 殿

 

浜松 袴田巌さんを救う市民の会

共同代表 寺澤 暢紘

 

6月11日に、袴田巖さんの裁判の決定が出されます。

検事長殿には、袴田さんの裁判のやり直しが速やかに行われますようご尽力下さいますようお願い申し上げます。

 

即時抗告審では、「白半袖シャツの右肩の血痕が、袴田さんのDNA型と一致しない」という鑑定結果が信用できるかどうかが争われてきました。

然るに、この血痕が袴田さんのものかどうか・・事件から48年経って、私達の前に現れた袴田さんの腕には、この争われている血痕の傷だと認定されている傷が、まだ残っていたのです。それが写真の傷です。私達は、この傷を見た時、この傷から出た血が白半袖シャツの右肩の損傷部分についたという認定が、明らかに誤っているとわかりました。そして、袴田さんが生きて帰って来られたことによって知ることができたこの事実を申し上げずにはいられません。

写真でわかる通り、袴田さんの傷は、横に走る1つの傷であり、白半袖シャツの損傷は縦に2つです。位置も、形も数も一致していません。しかも、袴田さんが、このシャツを着て、この腕の傷を負ったなら、受傷後、このシャツを脱ぐまでの間に出血した血が、袖に付いていなければなりません。それは、2つの損傷部分とは違う位置にです。なぜなら、袴田さんの傷とシャツの損傷の位置が違うからです。袴田さんの腕の傷から出た血が、この2つの損傷部分だけに全て滲み込むことはありえません。偶然でも起こり得ません。

私達が、この写真を提出することは、非常識に思われるかもしれません。しかし、袴田さんが、死刑の執行の恐怖に怯え、生き続けて来られた48年という年月を思う時、袴田さんが生き続けて証明している、この明らかな無実の証拠を無駄にしたくはありません。

確定死刑判決の事実認定そのものが誤っており、袴田さんのDNA型とシャツの血痕のDNA型が違っていたのは当然のことであり、もはやDNA鑑定の実験の手法は問題にはできません。再審開始は当然のことと考えます。

確定死刑判決の事実認定に合理的疑いがあることが明確である以上、検察官の良心に則った正義を示して下さいますようお願い申し上げます。

一日でも早く、袴田さんを死刑の恐怖から解放してくださいますよう、今できる最善を、どうか尽くして下さいますようお願い申し上げます。

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