4/20 第77回袴田事件がわかる会
西村カリン (Karyn NISHIMURA)さん
フランスの公共ラジオグループ「ラジオ・フランス」及び日刊「リベラシオン」紙特派員。1970 年フランス生まれ、1997 年に来日。2004年末から 2020 年まで AFP 通信東京特派員。
袴田再審を傍聴するフランス人特派員は、何を語ったか?
① 袴田再審に見られる日本の裁判の異常性、 フランスの裁判とは大違い
あらかじめシナリオができていて、その通りに進められること。意外性は全くない。しかも、あらかじめ用意された原稿を棒読み、熱が感じられない。裁判官は検察官や弁護士の弁論や証拠提示に対して、一言も質問をしないし証拠の実物が提示されても近寄って見ようともしない。
② フランスでは死刑制度は廃止されている。
1970年代、21歳の被告が死刑宣告後数週間で執行されたが、その後ジャーナリストが独自に捜査して無罪を証明したラヌチ事件が全土を揺さぶり、それを契機に死刑制度の問題が浮かび上がった。1981年の大統領選挙で、ミッテラン候補が死刑制度の廃止を公約に掲げて立候補。当選を果たす。その4か月後、国民の6割は死刑存続支持だったにも拘らず、死刑を廃止する法律が成立した。
ミッテラン大統領が指名した法務大臣、ロベール・バタンデール氏は弁護士。自分が弁護した被告がえん罪なのに死刑執行されたことが始まりで死刑廃止を訴えていた。バタンデール法務大臣は国会で演説し、死刑制度の残虐性を訴えて両院の議員を説得、死刑制度廃止にこぎ着けた。
筆者は強く思う。日本でも、死刑えん罪事件(袴田事件や死刑が執行されてしまった飯塚事件、戦後の再審無罪となった死刑えん罪事件)が注目され、死刑制度廃止の流れが作られなければならないと。イギリスでも死刑えん罪事件がきっかけで死刑制度廃止に行きついた。日本も英仏に続け!
また、筆者も傍聴して、裁判が決まりきったお役所仕事のように流されていく実態を見て、日本の裁判に絶望する。これでいいのか?
カリンさんの講演、映像をご覧ください。
2024年1月17日。第7回再審公判後の弁護団記者会見です。検察側の「蒸し返し・悪あがき」という他ない主張に対し、徹底した反論が行われました。動画はその報告です。 小川弁護士「殺人の行われ方>袴田さん犯人説はありえない」 田中・白山弁護士「開示された取り調べ録音は、袴田さんが犯人人されたことの証拠」 間弁護士「決着の付いた、5点の衣類の色問題を繰り返す検察の理不尽と再立証」
歴史的「再審公判」も後半戦。有罪立証を行う検察官と、それを突き崩そうとする弁護人の攻防が続きます……が、しかし、これは「攻防」と言えるのか。 検察官は「袴田さん=犯人、は不自然ではない~ありえる」と主張します。これを「立証」と言えるでしょうか。とても言えません。「犯人の可能性がある」で有罪にできるなら、誰でも罪に陥れられてしまいます。刑事裁判の大原則は「疑わしきは被告人の利益に」です。それを、無視するような検察官の「ウソ」を暴き、そもそもこの公判自体が茶番にされてしまっていることに警鐘を鳴らします。
袴田ひで子さん【91才】の誕生日を迎えました。そのお祝いの催しと、インタビューの動画です。 弟、巖さんからは何とも可愛らしいプレゼントが。そして、いよいよ迫る「無罪」への想いを語ります。
2024年1月17日。第7回再審公判後の弁護団記者会見です。検察側の「蒸し返し・悪あがき」という他ない主張に対し、徹底した反論が行われました。動画はその報告です。 小川弁護士「殺人の行われ方>袴田さん犯人説はありえない」 田中・白山弁護士「開示された取り調べ録音は、袴田さんが犯人人されたことの証拠」 間弁護士「決着の付いた、5点の衣類の色問題を繰り返す検察の理不尽と再立証」
2024年がやって参りました。
昨年お世話になった皆様に心の底から感謝申し上げます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
また、能登半島地震などによって被害に遭われた皆様には、心よりお見舞い申し上げます。新年早々辛いニュースが続きますが、これから皆様にとって幸福がたくさん訪れますよう、お祈り申し上げます。
今年はきっと、巖さんが真の自由を取り戻し、ひで子さん、また弁護団の先生方、支援者の方々などに素晴らしい幸福が訪れることでしょう!
私も微力ではありますが、無事に無罪判決が下されるまで、気を抜かずがんばっていきます。
2023年は、後半の数ヶ月だけなのだが、袴田事件に関わったことでとても濃密な年だったような気がする。3月まではまだ大学生だったことが遥か昔のことのようだ。まずは2023年を振り返ってみる。
今からちょうど一年前、私は京都の下宿先で一人、大学の卒論を出し終えて卒業を待つだけの無為な日々を過ごしていた。
大学生活はそれなりに楽しかった。
しかし、卒業したとてやることもない。就職が決まった友人は引っ越しやら手続きやらに走り回り、私はカーテンを閉めた部屋で一人。誰かと話すことも笑うこともなく、友達は本と酒だけ。
秋頃まではそれなりに就活もしていたのだが、どうにもこうにも上手くいかず…そんな中で、もともと患っていたうつ病が次第に悪化、気付けば心は粉砕骨折していた。
この頃はスマホもほとんど見なかったので、袴田事件再審決定のニュースも知らなかったか、もしくはさほど気に留めてはいなかった。
4月、清水の実家に帰ってきた。
数ヶ月間は精神的にかなり不安定で、ほとんどベッドから出なかったと思う。あまり記憶はない。
ほとんど引きこもっていたが、図書館だけには通った。大好きな小説もたくさん読んだが、同時に、事件系のルポルタージュ本や、裁判や刑法など、司法関連の本も手当たり次第によく読んでいた。
私はもともと事件などに興味があって、ただ面白そうな本を趣味として読んでいただけにすぎない。法学部出身でもないし、勉強をしていたわけでもない。だから司法などについては完全な素人だし、今も基本的には怠惰でいろいろと意識の低い人間だ。
8月か9月頃だったか、袴田事件再審の初公判期日が決まりつつある頃の新聞記事を見て、「そうか、静岡地裁でやるのか」と思った。そんなことすらわかっていなかった。
見た瞬間に行くことを決めた。歴史に残る重大な再審に、どうせ暇な私が、行かない理由もなかった。その足で図書館に行き、関連の本をあるだけ全部借りてきた。いくつか書籍を読み、こんなに酷いことがあるのか…と衝撃を受けた。袴田事件の全貌を知れば、こんなの最初からすべてがおかしいと誰でもわかるではないか…?
私は本当に何も知らなかったのだ。
袴田事件も含む過去の冤罪事件は、「ミス」や「間違い」だと思っていた。「捏造」や「隠蔽」によって無実の人を「意図的に」陥れる、そんな荒唐無稽なことが現代の日本にあるなんて、想像すらできなかった。
袴田事件の無罪判決をこの目で見届けなければいけない、何だかそう感じた。清水の人間として、事件を知らなければいけない、風化させたくない、という勝手な使命感のようなものも抱いていた。
そして迎えた2023年10月27日、袴田事件再審初公判。午前8時半頃の静岡地裁前は支援者に報道陣に大賑わい。静岡地裁前で横断幕や旗を掲げる、各地から集まった大勢の支援者。初めて生で拝見したひで子さん。闘う人々は皆若々しく、くらりとするほどの熱気を感じた。
傍聴券は外れ、さてこれからどうしようかときょろきょろしていたところ、支援者の方に声をかけていただいた。そこから他の支援者の方ともお話しさせていただき、記者会見までしれっと居座っていたのだった。
あの日の何とも形容しがたい熱狂はまだ忘れられない。私も何かしたい!という思いが溢れた。
しかし、私は正直、支援者という立場に立つことには迷いがあった。支援者の熱さに恐怖すら感じてしまったのもあるし、そもそもこのような支援団体=過激というようなイメージもあった。
まあ、ある意味ではそれは正しい。社会を動かすのはいつだって非常識で型破りな人間なのだ。この再審だって、そんな方々がいなければ実現していなかった。しかし、基本的には皆穏やかで知的で魅力的な方々であり、今まで大変よくしていただいている。私は支援者の皆様のことを心から敬愛している。
今私は、「支援者」を名乗れるのかどうかはわからない。それは単に自分の未熟さ故である。すでに再審が始まっている今、物凄い支援者の方々が揃っている中で、私にできることなどあまりない。何かしたい。でも何をするべきか。私に何ができるか。そんな思いは、ずっと頭の中をぐるぐるしている。でも、とりあえず使えそうな私の武器は3つはあるかな、と考えた。
支援者の方々の平均年齢は高めで、23歳の私はいつもポツンと浮いている感じになる。若いというだけで広告塔になるのなら、好きに使っていただいて構わないと思っている。また、やはりジェネレーションギャップを感じることは多い。しかしそれはお互い様なので、なるべく持ちつ持たれつになればと、かなり生意気に発言させていただいている。
また、支援者の方々ではスマホやパソコンを使える方も少ない。やはりここは若者として、インターネットはどんどん活用していきたいと思っている。
私は、清水の事件現場からそう遠くない場所で、事件を知らないまま暮らしてきた。
初公判のときに、「清水出身”なのに”すごいね」と声をかけられて、首をかしげたことがある。私は「清水出身”だから”来た」つもりだったのだ。しかし、清水に住みながら、袴田さんが釈放されたというニュースを先入観なく眺めることができていた私は、とても恵まれていたのだと後々気付いた。清水、特に事件現場付近では、今も風当たりは厳しいらしい。
実際に、事件当時から清水在住で、未だに袴田さんが犯人だと思っている方とお話ししたことがある。私には、まだこんなことを言っている人が存在する、ということ自体が信じられなかった。悔しくて、精一杯”弁護”したが、話はずっと平行線。なんだか泣きたくなった。
当時を知っていれば無理もないことなのかもしれない。しかし、清水の人だからこそ、この事件から目を背けてはいけないのではないか?それでいいのか、清水人。私はそう思う。
まあ、武器かはわからないのだが、少なくとも文章を書くことは好きである。昔から本を読むことと文章を書くことが好きで、小さいときから夢はずっと作家だった。大学時代は文芸サークルで小説の執筆に取り組んでいた。このサークルの仲間の存在が、まだもう少し夢を見ていてもいいかな…と思わせてくれている。
そういえば、昨年の夏に書いた小説で、有難いことに静岡市主催の文芸賞の大賞をいただけた。これも自信に繋がる。
今もこうして袴田事件に関して文章を書くことが楽しい。私の言葉が誰かの役に立てているなら嬉しい。もっと勉強し、深く考え、言葉で社会を動かしてみたい、それが私の野望だ。
そして、ブログ「清水っ娘、袴田事件を追う」を立ち上げることにした。最初は単純に、私の目線から見たこの再審を、文章として記録しておきたいと思ったのだ。ついでに世の中に向けても発信していきたい。
袴田事件に興味がある方々はもちろんだが、私はやはり「恵まれた」若い世代を引き込んでいきたい。「Z世代」などと言われる私たちは、もう「袴田事件=冤罪事件」のイメージの中で生きている。あとは知るだけだ。
しかし、全く興味のない人を引き込むのはなかなか難しい。私の発信を見てくださっている方は、おそらくもともと袴田事件に興味を持っている人ばかりだろう。何か新しい策を講じなければ、とは思っている…。
公判や集会に顔を出し、ブログを書き、手作りの名刺もどきを配り、などしているうちに、すっかり支援者の一員のようになってしまった。大変有難いことに、支援者の方々からブログの記事を褒めていただくことも多い。浜松にも行き、袴田家にお邪魔させていただき、先月は巖さんとお友達にもなれた。支援者の方々に少しずつ認めていただけているのかな…?と勝手に思っている。
こうして活動することは、言葉を選ばずに言えば、ただ「楽しい」「面白い」。様々な分野について勉強になるし、日々充実していると感じる。袴田事件に飛び込んだことは、私の人生にとって本当に貴重な経験になると思う。
しかし、私が今こうして活動できているのは、ひとえに巖さん・ひで子さんや、弁護団や支援者の方々などの血の滲むような努力の結果である。いつ何時も、皆様の長年の努力への敬意だけは忘れない。新参者の私が、うまい汁を吸うことは絶対に許されない。それを踏まえたうえで、無罪判決が出るまで、私自身も全力で走り抜こうと思っている。
さて、2024年の抱負を述べておく。私は今年で24歳になる。将来も見据えていかなければいけない年齢でもあり、まだやりたいことを無鉄砲にやってみたい年齢でもある。年女という節目の年でもあり、大きく飛躍できる一年にしたいと思っている。
①無罪判決を勝ち取った時、みんなで祝杯を挙げる!!!
弁護団長の西嶋先生は大のお酒好きとか。弁護団や支援者の中にも嗜む方がいらっしゃると思います。酒の中でも祝い酒というやつが一番おいしい。だから、無罪判決が出たらみんなで祝杯を上げたいな。それが私の今年叶えたい夢だ!
②貪欲に、がむしゃらに。
様々なことにチャレンジし、好奇心旺盛に走り回り、たくさん学び、今年はもっとアクティブに頑張っていきたい。もちろんがむしゃらだけではだめなので、戦略も立てつつ、主体的に行動していこうと思う。
裁判が落ち着いたら、袴田事件についてもっと知りたいとも思っている。私が知らない間に、誰がどのように動いて、再審開始、そして後の無罪判決まで導いたのか。私は単純にそれが知りたい。関わってきた人の人生が知りたい。
また、この活動の中で、書くことを仕事にしたいという気持ちがだんだん強くなってきた。実力はもちろん必要だが、使えるものは使う、行けるところは行く、できることはやる、どこに落ちているかわからないチャンスを掴み取りたい。私の座右の銘は「虎穴に入らずんば虎子を得ず」。改めて肝に銘じ、たくさん成長できる年にしたい。
③太く、長く続ける。
活動を始めてからここが一番の課題。できるだけたくさん、そして継続的に活動を頑張りたい。
私はADHDを持っている。もちろんそのせいだけではないが、オン/オフの切り替えやタスクの管理、情報整理なんかがとても苦手だ。おまけにうつ病もパニック障害もあって、心身ともにまあ常に不調といえば不調である。一度集中してしまうとそこからずっと追われている気分になったかと思えば、ぷつっと一週間以上電池が切れたようになったりする。
投薬でもある程度マシにはなるが限界もあるので、自分の中でルールを明確に決めて、生活の基盤を整えていく必要がある。無罪判決まででも、まだまだ長い闘いだ。それに、そろそろ甘えていられる歳ではないこともわかっている。一生付き合っていかなければならない障害なので、結局は自分で何とかするしかない。今年こそ頑張ろう!
④人生を楽しむ!
とはいえ、やっぱり楽しく生きたい!いろいろ挑戦したい。冒険したい。好きなことをとことんやってみたい。ギリギリ若気の至りで許されるうちに、ある程度恥も外聞も捨てて、やりたいことは全部やってみたい。そんな一年にしたい。
そんなわけで、2024年、張り切って参ります。無罪判決まであと少し、頑張っていきましょう。今年もよろしくお願いいたします。
© 2024 袴田さん支援クラブ