2022年12月17日(土) 午後1時30分~4時
浜松復興記念館 2階 (浜松市中区利町304-2・五社神社東)入場無料、お気軽にお越しください。
袴田ひで子さんがビデオであいさつ
講 演 小川秀世 さん (弁護士 袴田事件弁護団事務局長)
裁判の舞台は東京高裁。5点の衣類に付着していた血痕の色変化について専門家の知見を闘わせ、 1年2カ月味噌漬けにされると黒褐色に変化するこかどうか、それが争点。 弁護側も検察側も新たに味噌漬け実験を試み、その結果を基に専門家を証人尋問しました。 審理は11月で終了。12月に双方から最終意見書が提出されて結審。 来年の3月いっぱいまでに高裁は決定を下すことになりました。 高裁での裁判の最終局面。弁護団の事務局長として大活躍の小川弁護士に、 高裁決定前の緊迫した現状と再審開始に向けた展望について語っていただきます。 袴田事件に関心がある方にとっては聞き逃せない講演です。 万障お繰り合わせの上、ご来場ください。 主催:袴田さん支援クラブ
2022年11月19日(土) 午後1時30分~4時
浜松復興記念館 2階 (浜松市中区利町304-2・五社神社東) 入場無料、お気軽にお越しください。
ゲスト 袴田ひで子さん(袴田巖さんの姉)
講 師 山崎俊樹 さん(袴田巖さんを救援する清水・静岡市民の会事務局長)
袴田巖さんへの警察・検察、そして裁判所の攻撃は杜撰ではあったが凄まじく、ろくな証拠もないまま死刑宣告に至った。それに対して、死刑えん罪被害者・巌さんへの救援運動が燃え広がった。
1980年11月19日、最高裁で死刑判決が下された時、最高裁の中庭で、<無実のプロボクサー袴田巌を救う会>が結成された。『袴田事件・冤罪の構造』の著者、高杉晋吾氏を代表としてボクシング評論家郡司信夫氏、協栄ボクシングジムの金平正紀会長等、ボクシング関係者らが参加。そして1981年11月13日、日弁連は袴田巖さんをバックアップすることを決定、袴田事件委員会を設置して再審無罪のための弁護活動を強化した。1982年2月には<清水市こがねみそ事件袴田巌救援会>発足、代表は今村高五郎氏。続いて<浜松・浜北、無実の死刑囚袴田巌さんを救う会>が巌さんの幼馴染みの渥美邦夫氏を代表として発足した。さらに1992年10月、全日本ボクシング協会に<袴田巌、再審支援委員会>発足、笹崎吉弘氏が委員長就任。これを受け継ぎ、2006年5月には東日本ボクシング協会が会長輪島功一氏を委員長、理事新田渉世氏を実行委員長とする<袴田巌再審支援委員会>を設立した。2010年4月、国会議員57名が結集して<袴田巖死刑囚救援議員連盟>発足、会長には牧野聖修衆院議員が立った。
このような布陣に国民救援会やアムネスティ・インタナショナル、キリスト教の団体などが加わり、法学者や一般の個人も仲間入り、なお一層戦列が強化された。支援者は弁護団とともに「裏木戸通り抜け実験」や「衣類の味噌漬け実験」など、再審開始に向けた裁判での立証活動、世論喚起のためのキャンペーン、検察庁や裁判所への抗議・要請活動などを展開。私ども<袴田さん支援クラブ>は2020年、クラウドファンディングを企画・実行。1600人以上の賛同者から1800万円を超える寄付金を集めて弁護活動に投入した。このような救援活動の歴史を総括、山崎俊樹さんにレポートしていただく。
主催:浜田さん支援クラブ
2022年10月15日(土) 午後1時30分~4時
浜松復興記念館 2階 (浜松市中区利町304-2・五社神社東) 入場無料、お気軽にお越しください。
ゲスト 袴田ひで子さん(袴田巖さんの姉)
講 演 秦 融 さん (ジャーナリスト Forbesオフィシャルコラムニスト)
1961年愛知県生まれ。84年筑波大卒、中日新聞入社。社会部デスク、カイロ支局長を経て、2013年3月から編集委員。2021年12月退社。2009年、連載「農は国の本なり」で農業ジャーナリスト賞。編集を担った大型コラム「ニュースを問う」欄では、呼吸器事件を調査報道し、連載「西山美香さんの手紙」で19年早稲田ジャーナリズム大賞(草の根民主主義部門)、20年日本医学ジャーナリスト協会賞大賞。南海トラフ80%の内幕で、同年科学ジャーナリスト賞を受賞。近著「冤罪をほどく ”供述弱者”とは誰か」(風媒社)が講談社の『本田靖春ノンフィクション賞』を受賞。
精神に障害のある人が冤罪の被害者にされてしまうケースは数多い。2003年、滋賀県で起きた湖東記念病院呼吸器事件はその代表例。植物状態の72歳男性が死亡した際、人工呼吸器のチューブを抜いて殺害したとして、看護助手の西山美香さんが殺人罪で逮捕・起訴された。懲役12年の判決が確定して服役。有罪の決め手は被疑者の「自白」のみだった。「私は殺していません」という悲痛の叫びは、ついに再審へと結実。2020年春に再審無罪を勝ち取った。この事件を中日新聞が特集記事に。その中心で活躍したのが秦融氏だ。著書「冤罪をほどく ”供述弱者”とは誰か」(2021年12月発刊)では、捜査当局がどのように精神的な弱みを利用して罪を着せたのか、その詳細が明らかにされた。 今回、一連の取材を通じて考えたこと、えん罪が成り立つ司法の病弊などを抉り出していただく。
18才から成人、裁判員に選ばれることがあります。
裁判員裁判の基本と心構えを学ぶ
18才で裁判員に選ばれて、判決を下す?
凶悪事件で死刑判決を出すことも?
呼び出されたらどうすれば?
法律の勉強をしないといけない?
そもそも「裁く」ってどういうこと?
法廷ではどこに注目すれば?
裁判の「3つの呪い」って何?
無実なのに有罪にされる「えん罪」って?
選ばれなくても知るべき「社会の基本」!
自由研究や志望理由書のネタにも!?
もちろん、20代以上の方にも!
第56回袴田事件がわかる会 特別講演企画
一言で言うと、一般市民が裁判員として司法に参加するのが裁判員制度。これは司法制度「改革」の目玉であり、「この国のかたちの再構築に関わる一連の諸改革の最後の要として位置づけられるべきものである」と重要視されてきました。裁判所、法務省(検察庁)、日弁連、法曹三者が関わって推進され、 市民の感覚と意見が裁判に反映されるのは健全で良いことだと思う向きが多いようです。
しかし、 「裁判員制度は…公権力から個人を守るとりでである米国の陪審制度とは根本的に違(い)…本当に国民のための制度なのか。裁判所が主導権を握りつつ,国民関与の形をとることで判決や司法制度への批判を免れるための仕組みではと勘ぐってしまいます」(朝日新聞2012/5 /26)というような意見もあります。
講師の宮本先生は、問題をこう提起します。「重要なのは、この制度によって、自白重視の人質司法などと指摘されるこの国の刑事司法が是正されるのかどうかです」。裁判の公平さはどうなったのか?市民の常識感覚は反映されているのか?判決が確定するまで、被告は無罪と推定されなければならないという裁判の原則はどうなっているのか?そもそも刑事裁判に裁判員として参加するのは、国民の権利なのか?それとも義務なのか?宮本先生に、単刀直入、率直に語っていただきます。
☆ 袴田ひで子さんの挨拶と近況報告
☆ 宮本弘典氏講演
☆ 袴田さん支援クラブの「今月の袴田家」
日本の死刑執行の詳細は法務省によって徹底的に隠されています。「寄らしむべからず、知らせるべからず」。具体的な事項についての法律による規定もなく、役人の間での慣習や内規によって運営されているだけです。国民は何も知らされずに、死刑という刑罰の賛否を判断させられているのです。目隠しされたまま、観念的に賛成、反対を論じても始まりません。
死刑囚に執行の日取りをいつ伝えるのか?遺書を書く時間があるのか?執行日が分かってから家族などとの面会は許されるのか?執行に抵抗して暴れたらどうやって刑場に連れていくのか?絞首刑実行のボタンを押す刑務官はどんな思いなのか?誰が執行に立ち会うのか?絞首刑にこだわる理由は?日本国憲法が禁止する「残虐な刑罰」ではないのか?
このような死刑執行の知られざる実態を、佐藤大介さんは著書にまとめ「“死刑賛成“とこれを読んでも言えますか?」と問いかけています。明治6年から150年変わらずに維持されてきた現行の死刑制度とその実態が明るみに出て、その是非を考える前提の知見の提供にこれほど恰好なものはありません。ジャーナリストの佐藤さんは、死刑囚とその遺族、被害者の遺族、刑務官、検察官、法務官僚、元法務大臣など関係者へのインタビューを積み重ね、鋭い問題提起をしています。
前代未聞のお話しを聴いていただきます。
講師は市川寛弁護士(元検事)。
2001 年、佐賀地方検察庁在職中に佐賀農協(現 JA 佐賀)組合長を起訴するが、暴言など不法な取り調べが明るみに出て、被告人は無罪。
市川検事は辞職。しかし、被告人の人生は戻りませんでした。
2005 年に弁護士に転じた後、著書『検事失格』で、正義を志した青年が「検事」になるメカニズムや、「えん罪」を作ってしまう検察庁の組織構造などを赤裸々に語りました。
多くの人が薄々感じていながら、秘密のベールに隠されていたた「検察のえん罪製造システム」を当事者がはじめて明かした貴重な証言です。
華鼎(かなえ)国際法律事務所所属の弁護士
著書に『検事失格』(新潮文庫)、
『ナリ検』(日本評論社)、
『暴走する検察 歪んだ正義と日本の劣化』(光文社・共著)など
主催:袴田さん支援クラブ
刑務所とは、どんな所か? 元刑務官が語る刑務所の実態、
受刑者や死刑囚はどんな待遇を受け、どんなことを考えているのか。
ゲスト 袴田ひで子さん(袴田巖さんの姉)
ゲスト 坂本敏夫さん (ノンフィクション作家・元刑務官)
坂本敏夫さんは、1967年に大阪刑務所勤務を初めとして法務省事務官や各地の刑務所で刑務官を務めました。1994年広島刑務所総務部長を最後に退官。その後は、刑務官時代の経験を基に執筆活動に入り現在に至ります。法務省事務官時代に、死刑囚として拘置所に閉じ込められていた袴田巌さんと面会、その時の印象を「一目見ただけで、この人は事件の真犯人ではないことを直感した」と語っています。えん罪死刑囚、拘置所での袴田巌さんに温かい眼差しを向け、巌さんの解放後も袴田家を訪れてエールを送り続けています。
刑務所の実態、とりわけ死刑執行の詳細はブラックボックス、世間には知られていない事実や制度の弊害について多数の著書を出版して告発、死刑の廃止をも訴えている方です。本来は矯正施設(犯罪者の再教育機関)のはずが懲罰施設(犯罪者を懲らしめる機関)として機能していることを、人権を尊重する考え方に立脚して鋭く考察しています。刑務所や死刑囚の実態について語ってもらうならこの人です。初の小説『典獄と934人のメロス』は、関東大震災発生(1923年)の際に横浜刑務所の典獄(刑務所長)だった椎名通蔵が囚人934人を一時釈放する処置をとった事実を取材して書かれた傑作です。
主催 袴田さん支援クラブ
東京高裁での再審請求差し戻し審の争点は、「血痕の色」に絞り込まれています。
事件から1年2か月後に味噌タンクの底から発見された「5点の衣類」の血痕には赤色が残されていました。
検察官の見解では長時間の味噌漬けにもかかわらず色はそのまま赤みが残るとされていますが、弁護側の味噌漬け実験の結果では赤みは見られず黒褐色に変化してしまった。
黒ずむはずの色が赤かったのは発見直前に味噌タンクに入れられたねつ造証拠であることを示していると弁護団(と静岡地裁の再審開始決定)は主張。
検察官も密かに実験を試みていたことが分かりました。その実験を基に検察は「赤みが残ることも条件によってはある」と開き直っているのです。
その検察による味噌漬け実験とはどんなものだったのか?本当に赤色は変化しなかったのか?
その実験の恣意性と結果について、弁護団の味噌漬け実験を主導してきた山崎さんが分析・評価します。
果たして味噌漬けにされた血痕に赤みは残るのか?残らなければ、有罪とされた唯一の証拠とされた「5点の衣類」はねつ造品ということになります。
袴田さんは再審無罪となるのです。
© 2023 袴田さん支援クラブ