2月19日の「袴田事件がわかる会」開催を中止いたします。
猛威を振るうコロナ感染が、身近に迫って来たからです。
今月の坂本敏夫さん(元刑務官・ノンフィクション作家)の講演は、4月16日(土)に延期いたします。
4月までお待ちくださいませ。
コロナと寒さと地域によっては大雪に見舞われています。
みなさまの無事を祈っております。
猛威を振るうコロナ感染が、身近に迫って来たからです。
4月までお待ちくださいませ。
コロナと寒さと地域によっては大雪に見舞われています。
みなさまの無事を祈っております。
坂本敏夫さんは、1967年に大阪刑務所勤務を初めとして法務省事務官や各地の刑務所で刑務官を務めました。1994年広島刑務所総務部長を最後に退官。その後は、刑務官時代の経験を基に執筆活動に入り現在に至ります。法務省事務官時代に、死刑囚として拘置所に閉じ込められていた袴田巌さんと面会、その時の印象を「一目見ただけで、この人は事件の真犯人ではないことを直感した」と語っています。えん罪死刑囚、拘置所での袴田巌さんに温かい眼差しを向け、巌さんの解放後も袴田家を訪れてエールを送り続けています。
刑務所の実態、とりわけ死刑執行の詳細はブラックボックス、世間には知られていない事実や制度の弊害について多数の著書を出版して告発、死刑の廃止をも訴えている方です。本来は矯正施設(犯罪者の再教育機関)のはずが懲罰施設(犯罪者を懲らしめる機関)として機能していることを、人権を尊重する考え方に立脚して鋭く考察しています。刑務所や死刑囚の実態について語ってもらうならこの人です。
誰もが犯人と間違えられて逮捕されてしまう誤認逮捕ということがよくあります。そんな緊急時にどうすればいいのか。あらかじめ知っておくべきことをも語っていただきます。
初の小説『典獄と934人のメロス』は、関東大震災発生(1923年)の際に横浜刑務所の典獄(刑務所長)だった椎名通蔵が囚人934人を一時釈放する処置をとった事実を取材して書かれた傑作です。
死刑再審で無罪を勝ち取った松山事件。濡れ衣を着せる方法は、自白の強要、証拠の隠蔽とねつ造。
藤原さんは2017年に同じ共同通信社の宮野健男氏との共著『死刑捏造 松山事件・尊厳かけた戦いの末に』を出版。1955年に起きた松山事件を取材し、死刑判決をくつがえした名もなき人々の怒りと悲しみ、えん罪の恐ろしさを描いた迫真のドキュメントです。事件を共同通信記者として徹底取材した藤原さんに、袴田事件とそっくりの松山事件を大いに語っていただきます。
戦後の日本で、死刑判決が再審で逆転無罪となったえん罪事件は4件あります。免田事件、財田川事件、島田事件、そして松山事件です。1980年代に相次いで再審無罪となったのですが、それ以降は死刑事件が再審無罪となったケースはありません。
松山事件とは、宮城県松山町(現・大崎氏)の農家が全焼し、焼け跡から一家四人の死体が発見された殺人放火事件です。犯人として逮捕された斎藤幸夫さんは当時24才。取り調べでは「自白」を強要されたものの途中から否認に転じ、その後は一貫して無実を主張し続けたものの、通常審では1960年に死刑が確定。二度目の再審請求が認められ、最終的に無罪が確定したのが1984年7月のこと。逮捕から29年間の獄中の闘いの後、斎藤さんは53才になっていました。一市民に突如として襲いかかった死刑ねつ造事件でした。
袴田事件は松山事件に続いて再審無罪となるべき5番目の事件です。松山事件の教訓を学び、袴田事件を考えます。
主催 袴田さん支援クラブ
大崎事件弁護団事務局長の鴨志田祐美さんが携わってきた大崎事件の裁判(再審請求審)の経過を講演。熱のこもった語りと分かりやすい説明に、聴衆の皆さんが引きこまれた2時間でした。
大崎事件は、1979年、鹿児島県大崎町で起きた「殺人事件」。「犯人」とされた原口アヤ子さんは現在94歳、一貫して無実を訴え再審を求めています。
弁護団は、殺人ではなく事故による死と主張しています。2017年、再審請求が鹿児島地裁によって認められ、福岡高裁も再審開始を支持したのですが、2019年6月、最高裁はそれを棄却。現在、第4次再審請求審が鹿児島地裁で継続中。
再審弁護団の中核として関わってきた鴨志田さんは、この3月、『大崎事件と私ーアヤ子と私の40年ー』というノンフィクションを上梓。「完全ボランティアでお金にならず、頑張ってもなかなかゴールに辿り着けないのに、どうしてそこまで再審にのめり込んでいられるのか」という問いに応えます。(本編は45秒後から始まります)
「私は信じている」「この人がするはずない」ではなく……
明文化された法とルールから袴田裁判を見直すとどうなるか?
ごく基本的な(中学レベルの)知識と市民的常識をもとに
みなさん自身に「有罪・無罪」を考えていただきます。
その過程で、法令や決定の原文を少し読むことにします。
市民として身につけるべき「法の読み方」にも触れてください。
1 バーチャル裁判員裁判
容疑者袴田巖さんを「法とルール」でどう裁く?
2 裁判所の暗号を解く
昨年末、最高裁が下した特別な決定の「裏」を読む
入場無料、お気軽にお越しください。
2021年 9月18日(土) 午後1時30分~4時
浜松復興記念館2階 (浜松市中区利町304-2・五社神社東)
袴田事件と松山事件
えん罪に共通する刑事司法の闇、例証を挙げて明らかにします。 |
日本で死刑囚が再審無罪判決を勝ち取った4件のえん罪事件の一つが松山事件。1960年に死刑が確定したが、1984年7月11日、28年7か月に及ぶ獄中生活を経て生還しました。松山事件とは、1955年10月18日宮城県の松山町(現大崎市で)で起きた放火殺人事件。農家の焼け跡から家族4人の焼死体が発見され刀傷らしきものが認められた事件です。
袴田事件と同様、松山事件でも捜査当局(警察・検察)による自白の強要、証拠隠しやでっち上げなくして「有罪判決」は成り立たなかったのです。藤原聡さんは共同通信社の記者として事件を報道し、宮野健男さんとの共著で2017年『死刑捏造 松山事件・尊厳かけた戦いの末に』を上梓。えん罪被害者の斎藤幸夫さんとその母、ヒデさんの闘いの軌跡を迫真のドキュメントにまとめ世に問うたのです。
主催:袴田さん支援クラブ
2021年 8月21日(土) 午後1時30分~4時
浜松復興記念館2階 (浜松市中区利町304-2・五社神社東)
袴田事件と狭山事件 ☆ えん罪に共通する違法な捜査方法の数々を検証します ☆
ゲスト 袴田ひで子さん(袴田巖さんの姉)
ゲスト 安田聡さん (部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部)コロナ禍のためリモート参加です。
狭山事件(さやまじけん)は、1963年(昭和38年)5月1日に埼玉県狭山市で発生した、高校1年生の少女を被害者とする強盗強姦殺人事件、そしてその裁判で1977年に無期懲役刑が確定した元被告人の石川一雄さんが東京高裁に再審請求を申し立てている事件です。服役して17年後、1994年12月に仮釈放となりましたが、これまで東京高裁に対し二度に渡り再審請求の申し立てを行ないましたが何れも棄却され、現在、第3再審請求が東京高裁で審理されているところです。 袴田事件と同様、狭山事件でも捜査当局(警察・検察)による証拠隠しやでっち上げが「有罪判決」を支えています。その数々を明らかにsu
るのが、安田聡さんです。部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部のリーダーとして、裁判やえん罪被害者の石川さんの支援にあたってきた方です。
2021年 7月17日(土) 午後1時30分~4時
浜松復興記念館2階 (浜松市中区利町304-2・五社神社東)
入場無料、お気軽にお越しください。
東京高裁での差し戻し審では、最高裁が指示したこと(5点の衣類に着いていた血痕が赤かったままだったことに着目してその点を詳しく調べるように)という点が焦点となっています。高裁は、検察官に対して「1年2か月もの長期間味噌漬けされても、血痕は赤いままの状態を保てるのか、その可能性を体験的にまた論理的に説明すべき」と要求。弁護側には「黒ずんでしまうことを体験的にまた論理的に説明すべき」と要求しています。
弁護団は、再び三度、味噌漬け実験で「衣類の血痕は、味噌に漬けられると容易く赤味が消えて黒ずんでしまう」ことを証明。誰がみても、袴田巖さんが犯人だと未だに錯覚している人でさえ、その事実を否定しようがないまでに。
その実験を先頭で進めた山崎俊樹さんに実験の詳細を、弁護団事務局長の小川秀世弁護士に実験の結果が指し示す裁判の展望について、それぞれ語っていただきます。
袴田裁判の今を知るには、この講演を聞くしかありません。
主催: 袴田さん支援クラブ
© 2024 袴田さん支援クラブ