論説 袴田事件 再審へ速やかに結論を
静岡県で1966年に一家4人を殺害したとして死刑が確定、3年半前に静岡地裁の再審開始決定で釈放された袴田巌さんの即時抗告審で、東京高裁は2日間にわたリ法医学者2人の尋問を行った。地裁決定の根拠となったDNA鑑定を手掛けた筑波大教授と、その手法に異を唱えた大阪医科大教授で、審理はヤマ場に差し掛かっている。
筑波大教授は、確定判決で犯人の着衣とされた5点の衣類に付着した血痕のDNA型は袴田さんのものと一致しないとした。一方、鑑定が再現可能かの検証を高裁から委託された大阪医科大教授は手法の有効性を否定する報告書をまとめ、検察側は「地裁決定には根拠がない」と主張する。
これに対して弁護側は検証のやり方に疑間を投げ掛け、検察側はさらに民間の研究機関にDNA鑑定に関する実験などを依頼し、新たな証拠を出そうとする動きも見せているという。高裁の結論がいつ出るのか、見通すのは難しい。DNA鑑定は地裁決定の大きな柱であり、それ自体の信頼性を突き詰めるのは必要な作業だろう。
しかし時間がかかり過ぎてはいないか。袴田さんは81歳と」高齢で3年前の夏に倒れたこともあり、健康に不安を抱えている。また地裁決定の根拠はDNA鑑定だけではない。裁判のやり直しに向け、 速やかに結論に至ることが求められよう。
静岡地裁の再審開始決定は2014年3月。死刑の執行を停止し、袴田さんの釈放を認めた。釈放の理由については「捏造された疑いがある証拠で有罪とされ、長期間、死刑の恐怖の下で身柄を拘束された。拘置を続けることは堪え難いほど正義に反する」とした。捏造の疑いありとされたのは5点の衣類だった。
みそ製造会社の専務宅で一家4人が殺害された事件から1年2カ月もたって一審公判中、現場そばのみそ工場のタンク内で見つかった。シャツやズボンなどで、検察側は冒頭陳述でパジャマとした犯行時の着衣をこれらの衣類に変更するという異例の措置を取った。
地裁決定が裡造の疑いにまで踏み込んだのはDNA鑑定によるところが大きいが、それだけではない。事件から1年以上も経過して発見されたという経緯や、ズボンのサイズが袴田さんには合わず、長い間みその中にあったにしては血痕の赤みが強過ぎることなども 不自然と指摘している。
事件直後、みそ工場の捜索に加わった元警察官は弁護団に「タンクの中を竹棒でつついたが、何も見つかりなかった」と証言し、別の元警察官も証拠捏造の可能性をうかがわせる話をしているという。弁護側は証人尋問を請求したが、結論は持ち越しになっている。
一審死刑判決の付言では「長時間にわたり被告人を取り調べ、自白の獲得にきゆうきゆうとし、物的証拠の捜査を怠った」と捜査批判が展開されている。これを書いた元裁判官は14年に「無罪の心証を持っていた」と告白。先輩裁判官に死刑判決を書くよう命じられ従ったが、控訴審で捜査のおかしさに気付いてほしかったと振り返った。だが死刑判決が覆ることはなかった。袴田さんは再審開始決定で48年ぶりに釈放されたが、いまなお司法に翻弄される日々が続く。「疑わしきは被告人の利益に」との刑事裁判の鉄則がかすんでいくようにも見える。