年報・死刑廃止2021(2021年10月10日刊)より転載


袴田事件の差し戻し決定

袴田事件弁護団事務局長 小川秀世

1  2020年12月22日付最高裁決定

2020年12月22日、最高裁は、再審請求を棄却した東京高裁決定を取消し、東京高裁に差戻す決定をした。差戻し前の東京高裁決定は、とんでもない決定であったから、当然取り消されるべきものであったが、万が一特別抗告が棄却されれば、釈放されている袴田巖さんが収監されるかもしれなかった。その危険がなくなったことでは、正直ほっとした気持ちもあった。

2          最高裁決定には特別の思いが込められている

今回の最高裁決定は、残念なことに、東京高裁への差戻しであり再審開始ではなかった。つまり、静岡地裁の再審開始決定の二つの柱であったDNA鑑定やみそ漬け実験報告書等について、いずれも再審開始の要件である証拠としての明白性を認めなかったのである。とくにDNA鑑定は、本田克也教授や、弁護団のDNA班と呼ばれていたメンバーが懸命に取り組み、それを静岡地裁が正しく評価してくれていたものであったし、それに対する東京高裁の判断は、取消決定の中でもとくにひどいところであったから、最高裁がそれを容認したことは大いに失望した。

加えて、東京高裁における録音テープなどの「遅すぎる」証拠開示によってはじめて明らかになった警察官の偽証等を理由にした新たな再審事由の申立てに対して、その東京高裁がいわば「遅すぎる」として不当にも却下していたが、それについても最高裁は判断を示さなかった。

このように、最高裁決定については、私たちには納得しがたいところがいくつもあった。しかし、それでも私たちは、この決定は最高裁の五人の裁判官の、特別の思いが込められたものであり、これまでの裁判所の判断を超えた判断が含まれていると考えている。

最高裁は、証拠の明白性を認めなかったのであるから、論理的には再審請求を棄却することもできたはずである。しかし、棄却して再度の再審請求手続きを求めるのではなく、東京高裁決定を取消した上で、さらに審理を尽くすように命じたのである。もちろん、棄却すれば袴田さんの再収監という大きな混乱が生じ、世界中から注目されることになることは避けられない。最高裁にもそれを回避したい気持ちはあったことは間違いない。しかし、それでも今回の判断の内容は、最高裁の中での真剣な議論を経た上で、いわば袴田さんを救済するためのありうる次善の方向であったことが感じられるのである。

また、三名の裁判官による多数意見は差戻しであったが、少数意見となった二名の裁判官は再審を開始すべきであるとの判断であり、しかも、少数意見の裁判官はもちろん、多数意見のうち二名の裁判官も、個別意見を書かれていた。そして、それらの中身をみると、弁護団の中でも議論がされていなかった問題も含め、最高裁の中で本当に熱心な議論行われていたことが伝わってくる内容であった。これらについては、後に述べることにする。

3  偏見にとらわれなかった最高裁

一番重要な点は、差戻し決定をみると、財田川事件の最高裁の差戻し決定のように、袴田事件は有罪とするには証拠が不足しているとの判断がなされたと読み取ることができることである。つまり、死刑事件であるこの事件について、最高裁が誤判であることをはっきりと認識したことが、今回の差戻し決定につながったと考えられるのである。これを説明しよう。

五点の衣類についての偏見

この事件は、五点の衣類が中心証拠であり、それが犯行着衣でかつ袴田さんのものであるとの認定によって有罪とされてきた。ところが、実際には五点の衣類が犯行着衣であるとする根拠などなかったのである。

五点の衣類は、事件発生から一年二か月も経過した時点で、袴田さんが住み込みで働いていた現場近くのみそ製造工場内のみそタンクの底部から麻袋に入った状態で発見された。それまで犯行着衣とされてきた袴田さんのパジャマには、目に見える血痕すらなかった。そのため、鑑定の結果、袴田さんの血液型でない型の血液が検出された(当初は発表もなかった点などから、これもきわめて怪しいが)という理由で犯行着衣であるとして逮捕され、取調べでも繰返し追及されていた。しかし、犯行着衣であれば、相当の返り血が付着していたはずである。このように、返り血が付着した衣類がないという事実は、冤罪ではしばしば問題になる論点であり、この事件でも、本当にパジャマが犯行着衣なのか大いに疑問があった。

ところが、そうした疑問が残ったまま進んでいた公判の最中に発見された五点の衣類には、多量のかつ複数の血液型の血が付着していた。被害者四人は、すべて異なった血液型であったのだ。

しかも、衣類の中にあった緑色ブリーフは、会社の同僚らが口をそろえて袴田さんのものだと供述し、さらに、突如行われた警察による五点の衣類発見直後の捜索においてズボンの共布が袴田さんの実家から発見されたというのだ。少なくとも、衣類が袴田さんのものであることは間違いないと思わせるような証拠がそろったのである。

しかし、五点の衣類が発見された時、袴田さんはこの事件の公判中で、当然、拘置所に入っていたから、みそタンクに入れられるはずがない。そのため、関係者や警察官は、本当は論理が逆なのであるが、「袴田のものなのだから……事件直後に隠されたとしか考えられないし……それなら犯行着衣だ」と思い込んでしまった。もちろん、発見直前に入れられた可能性も一応考えたかもしれないが、その場合、警察によるねつ造工作と考えるしかない。ところが、そこで「警察によるこれほど大がかりで手の込んだねつ造などありえない」という偏見が強く影響した。そのため、証拠のないまま、「発見直前に入れられた可能性は考えられない」とされ、弁護人すら事件直後に隠された犯行着衣であると思い込んでしまったのである。そのため、再審請求がなされるまで、弁護人は、犯行着衣であることを争うことすらしなかった。その結果、「衣類は袴田のものか否か」という点だけが争点となり、「犯行着衣か否か」の検討がなされないままになってしまったのである。

再審請求後の裁判所の対応

第一次再審請求申立後、弁護人は、五点の衣類は発見直前に入れられた警察によるねつ造証拠であると主張してきた。しかし、ねつ造を裏付ける決定的証拠がないと判断されてきたこともあり、その主張はずっと無視されてきた。

例えば、第一次再審請求のときの最高裁は、まったく根拠がないのに、「これら五点の衣類及び麻袋は、その発見時の状態等に照らし長期間みその中につけ込まれていたものであることが明らかであって、発見の直前に同タンク内に入れられたものとは考えられない」と証拠のないまま一年二か月前にみそタンクに入れられたと認定し、だから犯行着衣であることは間違いないとされたのである。しかし、証拠に基づかない認定がそのまま維持できるはずがない。

第二次再審請求の申立ては、この最高裁の判断をターゲットにした。五点の衣類発見時の状態は、二〇分もあれば作ることができるとするみそ漬け実験報告書を新証拠としたのである。それをふまえた上でのDNA鑑定であった。

そして、静岡地裁において、五点の衣類に付着している血痕は被害者のものでないし、犯人のものとされた血痕は袴田さんのものではないとする本田克也教授の決定的なDNA鑑定がなされた。さらに加えて合計三通のみそ漬け実験報告書等を根拠に、五点の衣類の色と付着していた血液の色からすると、事件直後に入れられたとは言えないことも明らかにされた。その結果、静岡地裁の再審開始決定は、警察によるねつ造証拠の可能性が高いと認定したのである。警察によるねつ造などと言明する裁判所も、珍しいように思うかもしれないが、これは上記証拠からすれば当然の帰結であった。

ところが、東京高裁決定は、上記の二つの重要な新証拠の信用性をいずれも否定したことから、再び、五点の衣類について、単に「警察によるねつ造などありえない」という偏見だけでもって犯行着衣であると判断していた。偏見というのは、本当に根深いものであることを思い知らされたのである。

誤判であるとの最高裁の判断

今回の最高裁も、DNA鑑定や色に関する証拠であるみそ漬け実験報告書等を、明白な証拠とは認めなかったことは東京高裁と同様だった。にもかかわらず、五点の衣類が事件直後に入れられたと認定する明確な根拠はないとして、発見直前に入れられた可能性があることを認めたのである。

これは、きわめて重大な判断であった。

第一に、これは、第一次再審において五点の衣類は「発見時の状態等に照らし長期間みその中につけ込まれていたものであることが明らか」とした最高裁の前記判断を直接否定したということである。その結果、犯行着衣とした認定の根拠がなくなったのである。

第二に、五点の衣類が発見直前に入れられたとすれば、ねつ造証拠ということになる。つまり、「ねつ造」という言葉は使用していないが、最高裁は偏見にとらわれないで、五点の衣類がねつ造証拠である可能性を認めたということであり、同時に、新証拠以前の問題として、確定判決が誤っていたと判断したということである。

死刑事件について、確定判決に誰がみても明らかな誤りがあった、しかも中心証拠の核心的部分の認定が誤っていたということである。これは最高裁にとっても衝撃であったに違いない。だからこそ、なんとかこの事件は救済すべきであると判断し、今回の差戻し決定になったと考えられるのである。

4  差戻し決定の具体的な内容

第一に、DNA鑑定である。DNA鑑定は、犯行着衣とされた五点の衣類と、被害者着衣について行われたものであった。再審開始決定では、本田鑑定により、犯行着衣の返り血が付着したように見える部分の血痕のDNAは被害者のDNAと一致しなかったし、B型ゆえに、袴田巖さんの血痕と言われていた半袖シャツ右肩上部の血痕のDNAも、同人のものではないとの結論であった。だからこそ、静岡地裁は、五点の衣類が警察によるねつ造証拠の可能性があると認めたのである。

本田教授は、鑑定の前処理であるが、静岡地裁から五点の衣類には、汚染(コンタミネーション)のおそれがあるから、血痕部分の試料についてのDNA鑑定結果が、付着血液のDNAであると言えないと困るという注文が出され、独自の方法を考え出し、使用したのである。それが細胞選択的抽出法である。これは、血液の細胞は他の細胞と比較して比重が大きいと考えられるから、比重の相違を利用して血液細胞を選択するという方法である。

ところが、これが本田教授の考案した新しい方法であったことから、検察官が動員した学者が、次々に疑義を呈示した。そのため、即時抗告審で鈴木鑑定が行われた。しかし、鈴木鑑定は、裁判所の鑑定事項に即した鑑定すら実施しないままに結論を出しており、証人尋問でも圧倒的に本田教授の証言に説得力があった。だから、誰もが、静岡地裁の再審開始決定が維持されると考えていた。ところが、それが取り消されてしまったのだ。

今回の最高裁は、結論的には、DNA鑑定については東京高裁決定の判断を承認した。それは、みそ漬けになった古い血痕であるから、DNAが変性し劣化していることは否定できず、だから鑑定をそのまま信用することはできないというのだ。その理由として、同じ試料を二つに分けてDNA鑑定を繰り返しても、続けて同じ型が検出されないことが多かったこと、稀少性があり日本人には見られない型がいくつも検出されたこと、本田教授自身本件の試料にはコンタミがあることを認めていること等であった。

しかし、本田鑑定では、血痕の付着していない部分から採取したほとんどの対照試料からはDNAが検出されなかった。ということは、血痕部分の試料から検出されたDNAは、コンタミを拾ったのではなく、血痕のDNAと判断する方が常識的な解釈である。しかも、今回の鑑定は、同一人でないことが確認できればよいのであり、一つでも型が異なればそう判断できるはずである。

また、事件当時は売血が行われていたのだから、外国人の血の入った売血がねつ造に使われたとしても不思議ではなく、そうであれば日本人にはほとんど見られないDNA型が検出されても不思議ではない。

ただし、差戻し前の東京高裁は、本田教授の鑑定の方法に、資料が意図的に処分され、あるいは隠されたなどの疑いをもったり、本田教授自身のDNAによって試料を汚染させたもので、技術的に劣った、あるいはずさんな方法によって実施されたというような根拠のない不当な批判まで加えていた。しかも、東京高裁の決定をみた他の著名な刑事弁護士が、むしろSTAP細胞事件が暴かれたことを思わせるかのように賞賛していたことには失望したし、怒りを覚えた。しかし、最高裁は、そんな東京高裁の姿勢と判断に対して、本田供述の人格攻撃的な説示をしたのはあえて不適切であり不正確であるとあえて述べ強く批判したことは、とても心強く感じた。

そうは言っても、本田教授のDNA鑑定が否定されたのは不当であるし、非常に残念であった。

5  血液の色についての判断

先に述べたとおり、確定判決が誤りであったという最高裁の判断が、血液の色について審理を尽くせという差し戻し決定につながったと考えられる。

五点の衣類に付着していた血液は赤みが残っていた。しかし、一年二か月間もみそに漬かっていたのであれば、誰もが赤みが残っていることが少しおかしいと感じるのではないかと思う。同様に、五点の衣類のうちの白い生地であった白半袖シャツやステテコのみそによる着色の程度もとてもわずかなものであったから、同じようにおかしいように思われた。これらは、いずれも静岡地裁が再審開始決定の理由の一つとしたところである。

しかし、血液は、赤みが残っているか否かということで、わかりやすいこと、また、単に染色ということではなく、化学反応が影響するであろうから、論じやすいということもあったと思う。しかも、最高裁は、昭和四二年当時のカラー写真は、再現性が悪いから証拠として使用することは不適切であるという東京高裁の判断を承認したため、五点の衣類のみそによる着色の程度は問題にできないとしてしまっていた。

その結果、最高裁は、五点の衣類に付着していた血液の色だけを審理させることとしたのである。

ただ、最高裁が、血液の色によって衣類が入れられた時期が判断できると考えたのは、前記のとおり、もともと入れられた時期に関する確実な証拠が何もなかったからである。

弁護団は、即時抗告審において、メイラード反応による血液の色の褐色化を主張した。だから、一年二か月前にみそ漬けにされたのであれば、赤みが残っているはずがないと主張したのである。

メイラード反応というのは、糖とアミノ酸による褐色化の反応で、熟成によってみそが色づく要因たる反応である。しかし、メイラード反応がどのくらいの期間で、どの程度色の変化に影響するのかは、まったく不明であった。そこで、最高裁は、褐色化の原因の一つとして考えられるメイラード反応がどの程度進行していたかを含め、一年二ヶ月間のみそ漬けにより赤みが残るか否かを判断せよと指示したのである。

6  東京高裁における審理の状況

検察官の意見書

検察官は、東京高裁に、一号タンクの中のみそはメイラード反応の進行は進んでいなかったから、血液も赤みが残っていた可能性があるとの二名の専門家からの事情を聞いた捜査報告書と意見書を提出した。

しかし、メイラード反応が進行していなかったというのは、みその色が比較的薄い色であったという、五〇年前のみその色についてのみそ会社の従業員の記憶による。そもそも五〇年前の記憶がどのくらい正確か疑問である上、みその色が比較的薄かったから血液のメイラード反応も進行していなかった、だから赤みが残っていたというのは、論理の飛躍があると考えられる。みその色だけでメイラード反応の進行度合いがわかるのか疑問であるし、しかも、それがどのくらい血液の色の変化に影響を及ぼすのか、実験もされておらず、正しく判断できる専門家などいないはずだからである。なにより、次に述べるように、メイラード反応以外でも血液の色を褐色化、黒色化する要因があるのである。しかも現実に、血液は短期間のみそ漬けで、いや短時間のみそ漬けで黒くなるのである。人血の付着した布をみそに漬ける実験をこれほど繰返したのは、ほとんど我々弁護団と支援者しかいないはずで

ある。

支援者と弁護団の繰返しの実験

一年二か月も経過すれば、常識的にも、血液は真っ黒になるのではないかと誰もが考えるであろう。ただ、みその中での化学変化等について、醸造中のみそは有機物で微生物もいるような複雑な環境であるため、どのくらいの期間ないし速度でメイラード反応を含めた褐色化の化学反応が進行するのかわかるのか、という疑問もあるのかもしれない。しかし、私たちはまったく心配していない。

五点の衣類がみそタンクに入れられた時期として可能性があるのは、事件直後である発見の一年二か月前か、そうでなければ、発見の一週間前から発見時までの期間である。その間の約一年二か月間は、八トン以上のみそが一号タンクに入っており、発見時のようにタンクの底に衣類の入った麻袋を入れることは物理的に不可能であったからである。したがって、五点の衣類がいつ入れられたか厳密に確定する必要はなく、上記二つの時期のうち入れられたのはどちらかという問題なのである。だから、その判断はさほど困難ではない。

そして、実際に私たちは、いろいろな条件、つまりみその種類を変え、熟成が進んでいないもの、進んだもの、白みそ、赤みそ、さらには水分を多くするためにみその滲出液であるたまりやそれと混合したみそなどを使い、また血液もいろいろな条件を考え、採取した直後のもの、数時間経過したもの、複数の血液型のものを混合した血液など、考えられるあらゆる条件の実験を行った。こんなに色々な条件で実験ができたのは、実験の場所に来ていただいて血液を何度も採取していただいた医療関係者の支援、さらにこちらの注文の原料で事件当時と類似のみそを造っていただいたみそ屋さんの支援によるところが大きい。そして、支援者の家に寝袋持参で泊まり込んで、みそ漬け等の時間を変え、血液の採取からみそ漬けまでの時間を変えて、実験を実施したのである。

その結果、本当にどんなものでも、どんな条件でも短時間で黒くなることが確信できたのである。

さらに、支援者の一人で、夫が医師で家庭の主婦の方が、家庭の調味料などに血液を付着させた布等を浸す実験をしてくれた。水、醤油、たまり、米酢、日本酒、サラダ油、みりん、豆乳、ポッカレモン、さらに蜂蜜まで使用して血液を付着させた布等を漬けたのである。そして、この実験によって、酸性の液体の中では布に付着した血液がすぐに濃い褐色になることが判明した。そして、調べてみるとみそは弱酸性であった。吐血が胃酸によってヘモグロビンが変化して黒くなるということは、この実験で理解できたが、これもきわめて重要な発見であった。

これらは簡単な実験であるから、誰がやっても同じである。一年二か月どころか、短期間で赤みが消えてしまうという結論は、もはや動かせないのである。それは、メイラード反応が進んでいなくても何も問題がないことになる。

現在、私たちの実験について科学的な説明を専門家にお願いしている段階である。

今後の審理の見通し

今述べたとおり、検察官の主張のように、仮にメイラード反応が進行していなくても、現実に血液は短期間で赤みが消えて黒くなってしまうのである。しかし、検察官は、メイラード反応は進んでいなかったというだけで、どのような条件があれば赤みが残るのかという指摘すらできないでいる。

そもそも、検察官自身が、差戻し前の東京高裁に提出した中西実験では、みその材料から始めて、熟成前のみそがほとんど着色していない薄い色のときでも、すでに血痕は黒っぽくなっているのである。検察官が、それはメイラード反応でないというのであれば、別の要因があるということになる。そうすると、メイラード反応が進んでいなかったという検察官の前記意見書は、何の意味もないということになるが、検察官は、それにはまったく触れていない。

こんな状況であるので、私たちは東京高裁の審理を終え、再審開始を勝ち取るために、今後さほど時間を要しないと考えている。

7  袴田さんと強力な支援者

袴田巖さんは八五歳であり、糖尿病ではあるが元気である。八八歳のひで子さんと二人の生活であるが、ひで子さんも高齢であるため、毎日、支援者の中心人物の一人である猪野待子さんが袴田家を訪問し、生活の支援をしている。待子さんは、そのために巖さんから絶対の信頼を受けており、注射を怖がり必ず拒否する巖さんに対して、待子さんだけがインシュリンの注射をすることを許されている。

巖さんは、釈放後の習慣であるが、毎日五、六時間は街の様子の見回りのため外出している。これは散歩というようなものではなく、「絶対的権力者」である巖さんが、「ばい菌」から人々を守るための仕事なのである。そして、そんな巖さんを見守るために、支援者の人たちも毎日必ず、交代でずっと付き添っている。袴田さんには日曜日も祝日も盆も正月もなく、当然、見守りも文字通り毎日である。本当に強力で暖かい支援である。そして、こうした支援の人達との交流によって、袴田さんは、ほんの少しずつではあるが、普通の生活を取り戻しつつあるところである。

浜松の街の人達も、巖さんが歩いているのを見つけると、暖かい声をかけてくれる。勉強会ないし集会も、毎月浜松市内で開催されている。ホームページやブログも次々に更新されている。心配なことと言えば、ひで子さんが、このコロナ下でも、呼ばれればすぐに全国どこにでも出掛けてしまうこと位である。ひで子さんは、本当に活動的なのである。

巖さんが釈放されたことで、こんなふうに巖さんをめぐる状況も激変した。再審無罪への道も、ずっと速度を上げることができたと思う。

私たちは支援者とともに弁護団会議を開催し、合宿も行い、そのため弁護団と支援者の共通のメーリングリストを利用して意見、情報を交換している。このような協力関係にあるから、先に述べたとおり、繰り返し行ってきたみそ漬け実験も、そのための採血も、支援者の力によるところが大きいのである。さらに、クラウドファンディングにも、全国の多くの方が賛同、協力していただき、DNA鑑定の関連を含め、幅広い弁護活動ができているところである。

こうした支援に応えるためにも、弁護団は一日も早く再審開始を勝ち取りたいし、間もなく勝ち取ることができると考えている。