袴田事件再審第2回公判傍聴記―これは闘いである
2023年11月10日金曜日。静岡地裁にて、袴田事件再審第2回公判。
今回は見事傍聴券が当選して、裁判を生で見届けることができた!
この日の静岡はあいにくの雨。
天気のせいか、単純に二回目だからなのか、人もカメラも前回よりかなり少ない。
◎9:45 当選番号発表
思わず、「当たった~!!!」と叫んでしまった。
今回並んだのは89人。3人に1人くらいは当選する計算になるが、一緒にいた5人のうちの4人が当選した。すごい強運!
今回は検察官の主張①(犯人はみそ工場関係者であり、袴田さんが犯行を行うことが可能だった)に対しての弁護側の反証。
長い間指摘され続けてきた点が丁寧に説明されていたので、事件を知っている人にとっては、特に新しい情報というものはない。
しかし、くり小刀、雨合羽、ブリキ缶、ゴム草履などの実物が現れたのには驚いた。
当時の現場や調書の写真も数多く見ることができて、実際に起きた事件なのだということを再認識させられた。
また、当たり前なのだが、検察と裁判官という相手が実際にいるということを目の当たりにして、ああ、これは闘いなんだな……と身に沁みて実感した。
◎10:30頃~ ボディチェック
二階に上がると大勢の裁判所職員の方々。
筆記用具以外は何も持ち込めず、荷物を預けたあと、全身くまなく金属探知機を当てられる。唯一反応した腕時計も入念にチェック。ここまで厳重な警備だとは思っていなかったので驚き。
裁判傍聴自体初めてというのもあってわくわくしていたのだが、法廷前に貼られている紙の
「住居侵入 強盗殺人 放火」「被告人 袴田巖」
というおどろおどろしい文字に一気に身が引き締まる。
◎11:00 開廷
それでは11時になりましたので~、と案外ぬるっと開廷。
席は指定席で、弁護側の後ろ。弁護団の先生方のお顔は重なってしまってあまり見えなかった。
逆に検察のお顔ははっきりと見える。メガネで鋭い目つきの男性2人と、かわいらしい若い女性の3人。どんな気持ちなんだろう、本当は嫌だろうなあ、などと気になってしまった。
最初に、検察が起訴状における被害者(専務)の年齢の誤りを訂正。…今更?
その後弁護側が、事件の4日後の1966年7月4日の「従業員H」の名前が記載された新聞記事を、すでにこの時点で警察が袴田さんを犯人と決めつけてリークした証拠として採用しなかったことに異議を申し立てたが、地裁は棄却。
一般的に、公判外での供述や報道内容などは「伝聞証拠」と呼ばれ、ほとんどは採用されないようだ。確かにこれは確たる証拠にはなりえないし、新聞が適当に書いただけと言われればそれまでだが、悔しい。
◎弁護側冒頭陳述
田中薫弁護士が、犯人はどこから侵入したのか、どうやって4人を殺害したのか、奪ったとされる金はどこに行ったのか、などを問いかけるように述べ、改めて犯人はみそ工場関係者ではないこと、単独ではなく、外部の複数犯であること、強盗目的ではないことを主張した。
まず、ポケットに鞘の入った雨合羽は本当に落ちていたのか、くり小刀が凶器なのか、雨合羽から人血反応があったという鑑定書が再審になって初めて出されたことを指摘。
また、放火に使われたとされる工場にあった混合油や、被害者宅から工場までの間に落ちていた金袋、みそ工場の風呂場の血痕を7月23日に見つけたと主張していることなど、犯人はみそ工場関係者と主張される点についての疑問点を挙げる。
そして、検察側の主張するような行動を袴田さんがとれたとは到底考えられないと締めくくり、冒頭陳述は終了。
雨合羽の鑑定書が再審で初めて出されたという点に対して、検察は「隠したわけじゃなく開示されなかっただけだ」と反論。
隠したとは一言も言っていなかったのだが……。
◎弁護側立証
当時の調書や写真、図を用いながら、一つ一つ反証が行われていく。
・現場状況
まず、現場の図や当時の写真を多く使いながら、事件の状況を確認していく。
私は事件現場には何度か足を運んでいるので、特に事件前の被害者宅の写真を見て胸が苦しくなった。焼けてしまって、今ではそのほとんどが残っていない。
・パジャマ
7月4日に任意提出された袴田さんのパジャマの写真が出される。
ぱっと見では染みがついているようには見えない綺麗なものだった。しかしこれがいわゆる「血染めのシャツ」なのである。
・雨合羽
雨合羽が発見された時刻が、事件当日6月30日の「午前11時」に線が引かれ、「午前4時」と書き直されていること、その後の実況見分調書では雨合羽の記述がないこと、7月6日付で初めて雨合羽の写真が出てきたこと、また消火の際に工場員が雨合羽を着たという証言があったことなどを指摘。
と、ここで、雨合羽とポケットに入っていたという鞘の実物が登場!
モニターに写して見せるが、雨合羽は何となく黒っぽいくらいでほとんど確認できず。
◎12:15~13:15 休廷
・くり小刀
いきなりくり小刀現物が登場!
刃渡り12㎝ほどと知ってはいたものの、実物のあまりの小ささには心底呆れてしまう。
人を4人も殺害したものだなんて到底思えないし、これで人を刺そうという発想にも至らない。被害者4人は40箇所も刺され、肋骨まで切れているのだ。
しかし実物は「凶器」という言葉には全く似合わない、おもちゃのような代物だ。しかもくり小刀から血液は検出されていない。どうして凶器として認められたのか、不思議で仕方がない。
・混合油
警察は普通、放火ならまず油などの特定をするはずなのに、特定をしないまま7月4日には工場内にあった混合油と断定した。しかも、専務の遺体の近くにはガソリンの入った缶があったのにもかかわらず。
鑑定では混合油が放火に使用されたかどうかは不明だという結果が出ている。
ここでまた現物の登場。工場の混合油が入っていたブリキ缶(高さ50~60㎝ほどか)と、混合油を運んだとされるポリ樽(こちらはレプリカ)。
このブリキ缶の側面から数カ所の人血反応があったということだが、もし犯行に使ったのなら絶対に触れるはずの蓋や、巻いてあった縄からは血液は検出されていないのである。
検察が「つまり人血反応は捏造だと言いたいのか」と聞いたが、
田中先生が、「いいえ、捏造と申しているのではありませんよ。側面だけに人血反応があったという点が不自然だと申しているのです」と嫌味っぽく切り捨てる。
◎14:25~14:55休廷
・金袋
奪われたとされる金袋とその金額、また被害者宅に残されたままだった甚吉袋の中の金袋の中身や、現金、通帳、貴金属類などをすべて確認し、改めて強盗ではないことを指摘。
預金もものすごい額が残っており、宝石のついた指輪等も、乙女心がときめくほど大量にある。もしも私が犯人なら絶対に盗りたい。
・取調べの録音テープ
袴田さんが自白を始めた1966年9月6日(とされている)の取調べの録音が流される。
内容は、「犯行後にどこから出たのか」を松本警部が尋ね、袴田さんが「裏(木戸)です」と答えるが、警部が「裏木戸は閂がかかっているのだからありえないだろう」と威圧的に否定する場面である。
生々しい録音が流れ、検察側がさっと強張ったように見えた。自分たちの先輩として、どう感じているのだろうか。
最後に田中先生が、「他の従業員に気付かれずに工場を出て、一人で被害者宅に侵入し、くり小刀一本で4人を殺害し、工場に戻って混合油をポリ樽に移して運び、再び被害者宅に侵入して放火し、また工場に戻るという行動が、いったい袴田さんにとれたでしょうか」と、心に直接訴えかけるように、静かに検察官に問いかけた。
田中先生が語り出した直後から、検察が明らかにそわそわと体を動かし始める。かなり動揺しているように見えた。
・ゴム草履
ここで犯行時に袴田さんが履いていたとされているゴム草履の実物が現れた。
黄色に鼻緒部分が青色の、普通のペラペラのビーサンである。
このゴム草履は犯行時に履いていたとされたのにもかかわらず、当時警察が鑑定したところ血液も油も検出されなかったために、57年間証拠として日の目を浴びることがなかったものだ。
つまり、重大な無罪の証拠になりうる。
最後に、検察側からの質問。
「検察が何を捏造したと言いたいんですか!?」と声を荒げる検察官に、
「捏造なんて一言も申しておりません!」と強く主張する田中先生。
田中先生、問いかけるような静かな語りから、皮肉めいたきっぱりとした物言い、また怒気を含んだ口調まで、一人何役かと思うほど、とにかくメリハリがすごい。何を言われてもコロッと洗脳されてしまいそうだ(笑)
にしても、今回は「捏造」という言葉は一切用いられていなかった。弁護側は非常に落ち着いた口調で、客観的証拠に基づき淡々と指摘をしていた。もっとガンガン攻めてほしい!と物足りなく思ってしまうくらいに。
え、検察官、話聞いてなかったの?と私ですら思った。
最後に次回の日程を確認して終了。
次回、第三回公判は11月20日(月)、検察側が主張②の「5点の衣類」についての主張を行うとのこと。
◎15:50頃 閉廷
終わってどっと疲れを感じたが、意外と時間が早く過ぎたような気もした。初めての裁判で緊張するかと思ったが、それほど厳かな空気だとは感じられなかった。
しかし、やはり実際に裁判を見てみて、事件に対する実感というものが強くなったように思う。
一番大きかったのは、これはれっきとした闘いなのだという体感を持てたことだ。
支援者や弁護団の方しかいない場で事件について話していると、もうすでに無罪判決は確定しているような和やかさが常にある。
しかし、実際には検察という敵がいて、判決を決める裁判官がいる。本当に無罪になるのかどうかも、いつ判決が下されるのかもわからない。
裁判に関しては応援するくらいしかできることはないのだが、なんだか、私ももっと気を引き締めなければ、という思いになった。
そして闘いは袴田さんのためだけではなく、この事件でお亡くなりになった被害者の方のためでもある。
事件現場付近は当時の面影を残して今もうら寂しく、被害者四人は現場近くのお墓で静かに眠っている。早く真相が解明され、被害者の方々が少しでも安らかに眠れることを心から願っている。
また、考えてみれば当然のことなのだが、当時の調書がすべて肉筆で書かれているという事実に驚きを感じた。
冤罪は警察・検察組織全体、司法制度全体の問題である。
しかし同時に、冤罪を作り上げたのは一人一人の人間でもある。
そしてその罪は、現在の検察官一人一人にはない。
人間である以上、間違えることはある。だから、もし過去に過ちがあったのなら、すぐ素直に認めれば良いだけの話ではないか。私はそう思う。
◎17:30~ 弁護団記者会見
最初に西嶋勝彦弁護団長が、第二回公判について「明確な弁論だった」と評価した。
ひで子さんは「弁護士さんが捜査資料をよく読みこんでいることがわかった。改めて弁護士さんの力の強さには感謝しております」と発言。
この言葉を聞いて角替先生の目から涙が……先生、素晴らしかったです。お疲れ様でした。
ひで子さんは、だらだらとした初公判とは違って、今回は「裁判らしい裁判だった。とても良い裁判だった」と感想を述べられた。
角替先生や水野先生は、再審というものの難しさについて語られた。
今回の裁判で証拠となるものは、検察が検察のために集めた、有罪の方向への材料しかない。つまり弁護側は、有罪のために集められた証拠の中から無罪の証拠を探すという、非常に困難な作業をしなければいけないということである。
今回、弁護側は公判内で「捏造」という言葉も用いていないし、意見を主張するのではなく、客観的な証拠に基づく指摘を一つ一つ丁寧に行っていた。
検察側は何だかずっと焦っている様子で、「捏造ではない」とずっと言いたげだったが、そもそも誰もそんなことは言っていないのである。
もちろん弁護団は捏造を疑っているし、本当はそう主張したいだろう。
しかし、捏造かどうかを評価するのはあくまで裁判官であって、弁護側は検察の主張の矛盾点を詰めていって、最終的に「捏造しかありえない」という判断を目指す方針である。
また村崎弁護士は、司法の世界では未だに非常識がまかり通ることを訴え、袴田事件は「司法の汚点」として、司法制度を変えていく闘いでもあると訴えた。そして報道の責任もある、反省してほしい、と語気を強め、記者の方々は心なしか居心地悪そうにしていた。
◎19:00頃 記者会見終了
初めて裁判を傍聴することができて、長くて濃い一日だった。
改めて、弁護士の先生方やひで子さん、また支援者の方々のバイタリティには尊敬する。
私も私なりに、何か力になれるように頑張ろうと、いっそう強く感じる日になった。
第3回公判は11月20日、検察側の主張②、5点の衣類についての立証が行われる。