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袴田さん支援クラブ

袴田巖さんに再審無罪を!

Author: free-iwao (page 18 of 22)

映像袴田事件 「生き抜いて残した右肩の傷の真実」

袴田事件の無実を証明する証拠です。5点の衣類がねつ造であったことを指し示す「右肩の傷」。

映像で表現しました。制作:浜松 袴田巖さんを救う市民の会

袴田さんは 生きることで「無実」の証拠を残した

「犯行着衣」とされている白半袖シャツに滲み込んでいたB型の血痕(DNA鑑定で争点となっている)の傷と認定されている傷が、袴田さんの腕に残っていた。

【白半袖シャツの損傷・血痕(証拠開示)】

【袴田さんの腕の傷(釈放後2年目に撮影)】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

袴田さんは、白半袖シャツの2つの血痕は「自分のものではない」と、訴え続けてきた。
(1983年9月4日の袴田さんの日記)
「本件での問題は、2つの穴と2つの血痕です。この穴と血痕の生成理由につき、検察官は、およそ次のようにこじつけています。一回刺さって、ちょっと抜けてまた刺さったから、鼠色スポーツシャツには1つの穴であるが、白半袖シャツには2つの穴ができた。として見ると、検察官の論理からしても、右白半袖シャツを着用して負傷した者は、右肩などに2つの傷が完璧に存在することにならざるを得ない。何故なら、検察官自身が白半袖シャツの右肩を2度にわたって刺したと主張しているからである。つまり、2度刺せば2つの傷穴ができ
その穴を中心に丸く2つの血痕ができるのは道理で、正に白半袖シャツの状態がそれであり、よって、右シャツ着用者は2つの傷があることになる。」
(同年9月23日の日記)
「本件白半袖シャツについて。下着、とりわけメリヤスシャツは、肌にぴったりと付くものであるから、それを1部分だけ移動させる事は不可能である。仮に、無理矢理転移させたとしても、それは一瞬で元の位置に戻ることは確実である。本件白半袖シャツの2つの損傷と2つの血痕は、当たり前の事として2つの傷の下でしか生成は可能ではない。
ご承知のとおり、下着等は肩で着られるものであるから、腕の付け根はもちろん密着している。したがって、それらが2,3センチにしろ移動したままになるなどということは、先ず絶対に起こり得ないことである。右シャツの損傷と血痕は、右のような理由をもってしても、私とは無縁であることを浮き彫りにしている。」

袴田さんが、もし、この白半袖シャツを着用していて、腕に傷を負ったなら

・袴田さんの腕の傷は2つあるはずである。また、白半袖シャツの袖には、このシャツを脱ぐまでの間に腕の傷から出血した血が付着しているはずである。

しかし、袴田さんの傷は、横に引いた1つの傷であり、シャツの血痕は、2つの損傷部分だけである。これでは、腕の傷から出た血が全部、2つの損傷部分の内側から滲み込んだことになる。このように血が滲み込むことは、たとえ偶然でも起こり得ないことは一目瞭然である。

 

腕の傷は、袴田さんが、事件当日の消火活動で受傷したと主張していた傷である。そして、それを取調官も検察官も自白前まで疑っていなかったのである。

消火活動時に着ていたパジャマの右袖には、相応する部分にかぎ裂きの損傷があり、次に着替えた作業着の右袖にも血痕が付いていた。しかし、自白後に撮影された証拠写真は、敢えて、それをごまかすかのように、傷の位置がわからない。

【「自白」後の身体検査時の写真】

鑑定書の写真】

袴田さんの傷は、白半袖シャツの損傷・血痕とは、位置も形状も数も合っていない。これが死刑判決の証拠とされてよいはずがない。最高裁で死刑が確定した後も不当な裁判を闘い続けていた袴田さんは、死刑の恐怖から、徐々に闘う言葉を奪われていった。しかし、48年、生き続けて、自らの身体をもって、この認定の非常識さを証明された。誰がこの傷から出た血が白半袖シャツの2つの損傷部分に付いた言えるであろうか。白半袖シャツの損傷部分の2つの血痕が、袴田さんのDNA型と一致しないのは、当然の結果と言えるものである。

     (2018.5.12 浜松 袴田巌さんを救う市民の会)

6月の集会予定

6月の集会予定

6月11日 東京高裁での再審開始即時抗告審の決定が出されます。

決定の結果と今後の再審の展望について、弁護団、支援者から報告・アピールがあります。

6月16日(土)即時抗告審報告全国集会 午後1時半より

静岡労政会館 6階ホール

主催:袴田巖さんの再審無罪を求める実行委員会

 

6月23日(土)第10回袴田事件がわかる会 午後1時半より

浜松復興記念館

ゲスト:袴田事件弁護団 間光洋弁護士 、 姉 ひで子さん

主催:キッチンガーデン袴田巖さん支援クラブ

 

6月24日(日)浜松報告集会  午後2時より

浜北区 中瀬協働センター

弁護団報告 小川秀世 弁護団事務局長

主催:浜松 袴田巖さんを救う市民の会

袴田巖さんの壁が出現 5月18日開幕式

「袴田巖さんの壁」

プラハにある「ジョン・レノンの壁」にヒントを得て、小川秀世法律事務所静岡市葵区本通六丁目 カメリアビル)
に設置されました。5月18日には、袴田巖さん、ひで子さんも出席して開幕式。





朝日新聞5/19朝刊

趣旨アピール

袴田事件は,平成26年3月27日,静岡地裁が再審開始を決定し,合わせて死刑及び拘置の執行を停止したことで,袴田巌さんは釈放されました。静岡地裁が,前例がないにもかかわらず袴田さんを釈放した理由は,DNA鑑定等により袴田さんの死刑判決に疑問があることが明白になったこと,さらに,本件では警察による証拠ねつ造が行われた可能性が高いと考え,これ以上拘置を続けることは「耐えがたいほど正義に反する」と判断したからでした。

ところが,検察官が即時抗告をしたことにより,その後4年2ヶ月も経過した今,ようやく東京高裁の決定が出されることになりました。しかし,袴田さんは,すでに82歳の高齢になり,健康状態も万全ではありません。とくに,袴田さんは,いまでも死刑執行の恐怖にとらわれており,妄想の世界から抜け出せません。袴田さんに,元気な状態で普通の生活を取り戻してもらうためには,一刻も早い無罪判決が必要なのです。

即時抗告審での審理状況からすると,検察官の即時抗告は棄却され,静岡地裁の判断が維持されることは確実です。しかし,それに対して,もし検察官が特別抗告をすれば,再審が実際に開始されるまで,さらに2年,3年あるいはそれ以上の期間を要することになってしまいます。

静岡地裁の判断によれば,本件は,国家が重大な過ちを犯し,袴田さんの人生を奪ってしまったということであり,決して償うことはできません。そうであれば,これ以上審理を長期化させることは,正義の観点からは決して許されないはずです。もし,検察官が,東京高裁の判断に不服があったとしても,再審公判の場で主張,立証する機会があるのですから,その意味でも,本件で特別抗告まですることは,不当と言うべきです。

ところが,最近の再審事件である松橋事件,大崎事件などで検察官が特別抗告したことからすると,検察官は,本件でも同様の対応をすることが懸念されます。しかし,本件の重大性,特殊性に鑑みれば,これは検察官の判断だけにゆだねるべき問題ではなく,検察庁法14条により検事総長を指揮する権限が与えられている法務大臣が,大局的観点から,正義にかなった対応をとるべきことが期待されている事案と考えられます。

そして,以上の趣旨を明らかにし,上川法務大臣に訴えるために,この「袴田巌さんの壁」を設置し,多くの皆さんにもこの壁に一言書き添えていただき,協力をお願いするものです。

「検察官は、引き返す勇気を」 KG 袴田さん支援クラブからのアピール

袴田事件再審請求即時抗告審の最終局面にあたっての声明

検察官は、引き返す勇気を

2018年5月19日
KG 袴田巖さん支援クラブ

袴田事件の第二次再審請求審の即時抗告審は、もうすぐ決定が出されます。

 

いわゆる郵便不正事件等において発覚した検察不祥事を受けて、検察の在り方検討会議が「検察の再生に向けて」という提言を出しました。その提言は、検察官が「公益の代表者」として、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障を役割とすることを謳い、有罪判決の獲得のみを目的とすることなく、公平な裁判の実現に努めるべきことを主張しています。また、通常公判では有罪の獲得に拘泥することなく「引き返す勇気」の必要性を強調しています。この論理と倫理は、再審請求審においても当然のことです。

 

この提言の趣旨に沿ったものなのでしょうか、検察官は即時抗告審において600点ほどの新証拠を公開しました。遅すぎたという重大な難点はあるものの、その潔い姿勢は注目に値するものです。何故ならば、それらの証拠は袴田さんの無罪を証明するものばかりだからです。

検察官は、公開の前に証拠の全てを点検していることと思います。そこで、こんな証拠を出せば有罪がひっくり返されてしまうと直感したはずです。にもかかわらず、自らに不利になる証拠を敢えて公開したのです。これまでの強引な訴訟姿勢からすると、隠し続けることに躊躇はなかったと思われるのですが、にもかかわらず敗訴を予期しながら公開に踏み切ったと思わざるをえません。このことは、公判担当検事から検事総長に至るまでの共通認識と合意がなければできないことです。東京高裁第8刑事部の裁判官も、その点は見抜いていることと思います。はっきり言うと、新たに証拠を公開した時点で、検察は敗訴を覚悟していたのではないでしょうか。

 

2014年3月27日の静岡地裁による再審開始決定は、大きな波紋を呼び起こしました。袴田事件担当の最高検元検事、竹村輝雄氏がショックを語っています。(2014年4月3日放送のNHK番組『クローズアップ現代』、番組タイトル「うもれた証拠 ~“袴田事件”当事者たちの告白~」)

「それは重いですね。本当に眠れなかった、わたし、この決定を読んでね。検察官としてこれは十分に教訓として反省すべきところです。」

「よく証拠を見ることでしょうね。一方の立場からではなく、公平な立場からみることですよ、証拠を。」

地裁の決定にショックを受けたとしても、自らの非を認めることには、たいへんな勇気が必要だったと思います。謙虚な気持ちと正義感がなければできなかったでしょう。進んで非を認め反省を隠さないこの先輩検察官を、後輩の皆さんは心の底で見習っていることと思います。

 

他にも、振り返ってみるべき事例があります。例えば、足利事件と東電OL事件で裁判の最後を飾った当時の東京高検の態度です

1990年に起きた足利事件の確定判決は無期懲役でした。2009年4月、犯人とされ服役していたS氏のDNA型と被害者の着衣に付着していた体液のそれとが一致しないという結論が出されました。2009年6月、鑑定結果を受けて、東京高等検察庁が「新鑑定結果は再審開始の要件である『無罪を言い渡すべき明らかな証拠』たり得る」とする意見書を提出(事実上の再審開始決定)。併せて「有罪判決を導いた証拠が誤りであった以上、刑の執行を継続すべきではない」として服役中のS氏を釈放したのです。それから2010年2月12日、再審第6回公判で、検察官は「取り調べられた証拠により、無罪を言い渡すべきことは明らか」とし、論告で無罪を求めました。論告に際して、「17年余りの長期間にわたり服役を余儀なくさせて、取り返しのつかない事態を招いたことに検察官として誠に申し訳なく思っています」と謝罪したのです。

 

また、1997年に発生した東電OL事件は、一審無罪でしたが、二審東京高裁で逆転して有罪(無期懲役)。2003年最高裁で有罪が確定、収監されました。2005年に再審請求。2011年に新たなDNA型鑑定で型の不一致が証明され、2012年東京高裁は再審開始と刑の執行停止を決定しました。東京高検は最高裁への特別抗告を断念。2012年10月24日の再審公判初日、検察は「被告以外が犯人である可能性を否定できない」として無罪を主張、結審となったのでした。

 

袴田事件を担当する検察官はこのような検察の歴史の輝かしい部分を十分に理解されていることと思います。弁護人だけが被告の人権を守ることに尽力するわけではありません。元来、裁判官も検察官も、人間の尊厳と自由の砦であることに差はないのです。

また、法の執行者として考慮して頂きたいことがあります。法の執行とは、法の条文と現実とを対比して事実が条文に違反しているかどうかを判断し、その処罰を請求するという表面的、結果的な行為では済まされません。その法(制度)には、立法の目的と理想がたぎっているのです。法の執行とは、その原点に立脚してその意思を実現するために、法律の条文を活用すること以外の何物でもないと思います。再審制度の目的は、無辜の救済(無実は無罪に)です。誤判(誤った判決)の被害者を救助することです。その方法は、証拠が無罪を指し示すならば当然無罪、検察の立証に疑問の余地があるだけでも無罪としなければならないということなのです。

 

検察はこの時点で、引き返していただきたい。再審公判に速やかに移行し、無罪を公に認めていただきたい。袴田事件の裁判が、検察官の華麗なる勇気、潔く真実に忠実な態度への拍手をもって終了となることを願ってやみません。

東京高裁は6月11日に決定を出すことを公表、再審開始決定が決まるか!

袴田事件の再審是非、6月11日に判断 東京高裁

1966年に静岡県で一家4人が殺害された事件で死刑が確定し、静岡地裁が再審開始を決定して釈放された袴田巌さん(82)=浜松市=について、東京高裁(大島隆明裁判長)は再審開始の是非の決定を6月11日に出すことを決め、関係者に通知した。地裁の再審開始決定を不服として、検察側が高裁に即時抗告している。

袴田さんは裁判で無罪を主張して最高裁まで争ったが、80年に死刑が確定。静岡地裁は2014年3月、「犯行時の着衣」とされたシャツから袴田さんとは別人のDNA型を検出した本田克也・筑波大教授の鑑定などを根拠に再審開始を決定。「捜査機関による証拠捏造(ねつぞう)」の可能性も指摘し、袴田さんは即日で釈放された。検察側は本田教授の鑑定について「独自の手法で信用できない」などと主張。高裁では約4年にわたって審理が続き、本田教授の鑑定手法が最大の争点となってきた。

袴田さんは現在、浜松市内で姉の秀子さん(85)と暮らす。周辺を歩くことが日課だが、半世紀近くにわたった拘禁生活の影響は大きく、意味が通じない発言が多い。自分のことを「神」や「天皇」と語ることもある。秀子さんによると、最近は笑顔が増えているが、「精神的にはまだまだ治っていない。半分くらいはまだ自分の世界の中」という。

 

朝日新聞デジタル 2018年5月7日17時00分

KG 袴田巖さん支援クラブからのアピール

6月11日の高裁判断に期待する

KG 袴田巖さん支援クラブ

 

袴田事件は発生以来半世紀の星霜を経ても未だに解決していません。犯人として逮捕された袴田巖さんは48年間にわたる監獄での独房生活を強いられました。4年前、静岡地裁における第2時再審請求審での再審開始決定によって、死刑の執行停止とともに東京拘置所から釈放されたとはいえ、死刑囚という屈辱を晴らすには至っていないのです。無実の死刑囚であり、冤罪被害者の袴田巖さんは、今でも闘っています。巖さんとともに、私たちは一日も早く、袴田さんの汚名を返上する裁判所の決定を勝ち取るとともに、誤判を犯さない刑事司法、えん罪を許さない社会にしていかねばなりません。国家権力の横暴がまかり通るような社会は誰からも嫌悪され、誰もがそんなところで人生を送るのはまっぴら御免ですから。

1. 裁判の現時点とこれから  再審とは?

現在、袴田事件は第2次再審請求審の即時抗告審が決着を迎える段階にきています。東京高裁はこの6月11日に決定を出すことを表明しています。
だが、その再審請求審とはどういうものか、即時抗告審とは一体何か。現在進行中の裁判とは、いったいどういうものなのか。まず説明しておかねばなりません。

袴田事件の公判は、1966年9月9日に静岡地裁で第1審が始まりました。1968年9月11日静岡地裁で有罪死刑判決。東京高裁へ不服申立(控訴)するも、1976年5月18日控訴棄却。さらに最高裁へ不服申立(上告)。1980年11月19日、最高裁上告を棄却。これで、第1審での死刑判決が確定したのです。それを確定判決といいます。ここまでが三審制と言われる裁判です。
そこまでやっても、人間の行いですから判決の過誤がありえます。国家権力が無実の人に罪を負わせることは絶対に避けなければならない、これはフランスの人権宣言以来の歴史上最も大切で崇高なテーマです。そこで近代民主主義社会の制度として登場したのが再審のシステムなのです。

 再審は、法体系に組み込まれている無辜(無実の人)の救済を目的とする制度

三審制の結論でも有罪の確定判決を覆そうとするのが、再審。しかし、三審制に続く第四審ではなく、三審制を否定する制度でもありません。そこに再審制度の特殊性があるのです。再審制度は、無辜(無実であるにもかかわらず、誤って有罪とされた人)を事後的に救済することを立法の目的としています。従って、確定判決が無罪の場合、その無罪判決に対する再審は請求できません。また、より重い刑罰を求めての再審請求も認められてはいません。裁判官が、元の確定判決よりも重い刑を科すことも許されていないのです。
一方的に受刑者の利益を回復させるためのワンサイドゲームに特化した司法手続きが、再審制度なのです。これを利益再審といい、不利益再審制度というものはありません。三審制といえども、過誤による有罪判決を確定させてしまうことから自由ではないのです。そこで、誤って罰を与えられた人の人権を重視し汚名を返上することの制度的保障としています。司法の歴史的知恵といえるでしょう。

 再審請求審と再審公判

再審と言っても「再審請求審」と「再審公判」があります。その二段階の手続きを踏まなければならないのです。まずは確定判決を出した裁判所へ再審を請求し、再審公判を認めるか否かの審理からスタートします。袴田事件の場合、1980年11月19日に最高裁で死刑判決が確定。その後1981年4月20日、静岡地裁に再審請求を申し立てました。
静岡地裁では13年間の審理の末、1994年8月8日請求が棄却されました。直ちに東京高裁へ即時抗告。10年間の即時抗告審は2004年8月26日即時抗告棄却に。さらに、再審開始を求めて最高裁へ特別抗告。最高裁では、2008年3月24日、3年半の後に特別抗告が棄却されました。星霜27年、第1次再審請求審が終わります。

ところで、再審請求は繰り返して何度でも申し立てすることができます。国民の公正な裁判を受ける権利なのですから、繰り返し回数に限度はありません。袴田巖さんの姉のひで子さんが請求人となって2008年4月25日、第2次の再審請求を静岡地裁に申し立てたのです。6年間審理が続き、2014年3月27日、静岡地裁はついに再審開始決定に踏み切りました。裁判長は村山浩昭氏、再審請求を認めるとともに死刑の執行停止、拘置の執行停止も決定し、袴田さんは即日東京拘置所から釈放され自由の身になったのでした。「これ以上、袴田に対する拘置を続けることは、耐え難いほど正義に反する状況にある」という決定は、裁判官の正義と勇気を物語るものとして司法の歴史を飾る名言です。
しかるに、静岡地検は東京高裁に即時抗告を提起。犯行着衣とされる「五点の衣類」に付着していた血液のDNA型鑑定、新たに法廷に提出された取り調べの録音テープなどを争点として4年近い審理が続き、その最終局面を迎えています。
再審請求が認められ、再審開始決定が出されると、次のステップの再審公判が始まります。この再審公判で無罪判決が出ると、長かった裁判にようやく決着がつくのです。袴田事件は第一審から半世紀を数えようとしています。

 徹底しない無辜の救済 ――― 再審開始を阻む高いハードル

再審請求が認められるには、困難があります。確定した有罪判決に対して、無罪を言い渡すべき明らかな証拠が新たに発見されたときにのみ再審開始が認められます(刑事訴訟法435条 6 号)。これまで再審請求が数多く出されてきましたが、認められた例はほんのわずかに過ぎません。
かつては、再審における「明らかな証拠」とは、真犯人が現れたとか確実なアリバイを示す証拠が発見されたことなど、その証拠のみで無罪であることが要求されていました。そのため、再審が開始されるのはきわめて例外的なケースでした。再審は「針の穴にラクダを通す」ようなものと言われていたほどです。「疑わしきは被告人の利益に」の原則が実質的には適用されず、確定判決の権威が人権を踏みにじって省みない時代が続いてきました。

ところが1975(昭和50)年、最高裁は白鳥事件の再審請求を棄却したものの、その決定の中で画期的なことを主張しました。即ち、再審においても「疑わしきは被告人の利益に」の鉄則が適用されることを宣言。再審を開始するための新証拠の要件を、それまでの「その証拠だけで無罪の証明となること」から「確定判決までに提出された旧証拠と新証拠とを総合的に判断して有罪判決の認定に合理的な疑いを生じさせれば足りる」としたのです。開かずの再審の門が開けられるようになりました。
続けて最高裁は翌1976(昭和51)年、白鳥決定で明らかにした原則を財田川事件に適用。さほど有力な新証拠がなかったにもかかわらず、その場合でも旧証拠だけで有罪とするのに疑問があれば再審が認められる可能性があるとして、再審請求を棄却した決定を取り消し(再審開始決定を出し)たのです。

こうして再審の門が開きやすくなった結果、免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件の死刑 4 事件をはじめ、いくつかの重大な事件で次々に再審開始が認められ、再審無罪判決が出されるようになりました。再審無罪が例外中の例外ではなくなり、無辜を救済する再審制度はようやく息ができる時代が開けたのです。

 徹底しない無辜の救済 ――― 検察が不服申立できる日本

日本の司法制度は、英米式システム(コモンロー)に立脚しています。英米では、進級式のシステム(三審制)の過程で一旦無罪判決が出された場合、その無罪判決が確定判決とされ、それ以上の進級審理はありません。アメリカやイギリスなどでは検察の無罪判決への不服申し立てを許さないのです。被告人は即刻放免され、二度とその事件で逮捕されたり起訴されたりすることはないのです。一つの事件で二重に罪を問うことを禁止する『一事不再理の原則』に反するとされているからです。再審の段階でもその原則が貫かれ、再審開始決定や再審無罪判決に対する不服申し立ても許されていません。

ところが、日本ではそこまで進んではいません。袴田事件の第2次再審請求審、静岡地裁での再審開始決定に対して静岡地検は東京高裁へ即時抗告。再審請求者に有利な決定に対する上訴(控訴や上告)が、当然のように認められているのです。さらに、拘置の停止に対しても不服申立をするに至っては、「公益を代表する」という検察の看板はもう泥だらけ。再審は無辜の救済を目的としているという原則が置き去りにされています。

 徹底しない無辜の救済 ――― 再審での検察による追加立証は不可のはず

さらに、無辜の救済を目的とする再審に暗雲がかかっています。それは、再審(請求、公判)において検察官が新たな立証行為を追加しようとしていることです。検察は、裁判所と弁護団には通知せず、新たな味噌漬け実験を試みて、2016年10月19日、その結果を証拠として提出してきました。繰り返しますが、現行法は、再審があくまでも確定判決に対して請求者の利益になるための審理(利益再審)としているのであって、不利益再審は否定されています。検察の立証活動は判決が確定した段階で終了しているのです。確定判決の当否を判断するのが再審。確定判決があるにも拘らず、屋上屋を重ねるがごとき有罪事実認定を補強するための立証活動は、再審においては許されないはずです。

再審において検察官に何らかの活動の余地を認めるとしても、そもそも検察官の立場は「確定判決の有罪事実認定は正当である」ということ、確定審において完了した以上の立証活動は不要のはずです。それどころか、再審において検察官が何らかの追加立証を行うのは自己の立場と矛盾します。再審において有罪立証を追加することは、論理的には背理となります。矛盾です。なぜなら、確定審における検察官の立証活動が有罪判決とするには不十分、又は不適切であったことを自から認めることに他ならないからです。

 徹底しない無辜の救済 ――― 検察官は再審に協力すべき立場にあるはず

検察官は、法的には「公益の代表者」。刑事訴訟法439条1項1 号で再審請求権者が挙げられていますが、なんとその筆頭が検察官なのです。その規定がジョークでない限り、再審においては、検察官の立場と役割は通常審のそれとは異なります。訴訟を提起した一方の当事者として弁護側と対立的に振る舞うことは本来予定されていないのです。再審制度の立法意思を実現するならば、検察官は再審に協力する義務を負っているといえます。不服申立や追加立証活動は、再審における検察官の役割に反することになるのです。

いわゆる郵便不正事件等において発覚した検察不祥事を受けて、検察の在り方検討会議が「検察の再生に向けて」という提言を出しました。その提言は、検察官が「公益の代表者」として、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障を役割とすることを謳い、有罪判決の獲得のみを目的とすることなく、公平な裁判の実現に努めるべきことを主張しています。また、通常公判で有罪の獲得に拘泥することなく「引き返す勇気」の必要性を強調しています。この理は、再審請求審においても当然のことです。

 自分の非を認めた潔い先輩検察官に見習うべし

2014年3月27日の静岡地裁による再審開始決定は、大きな波紋を呼び起こしました。袴田事件担当の最高検元検事、竹村輝雄氏がショックを語っています。(4月3日放送のNHK番組『クローズアップ現代』、番組タイトル「うもれた証拠 ~“袴田事件”当事者たちの告白~」)
「それは重いですね。本当に眠れなかった、わたし、この決定を読んでね。検察官としてこれは十分に教訓として反省すべきところです。」
「よく証拠を見ることでしょうね。一方の立場からではなく、公平な立場からみることですよ、証拠を。」
地裁の決定にショックを受けたとしても、自らの非を認めることには、たいへんな勇気が必要だったと思います。謙虚な気持ちと正義感がなければできなかったでしょう。進んで非を認め反省を隠さない、この先輩検察官を見習うべきではないでしょうか。

他にも、振り返ってみるべき事例があります。例えば、足利事件と東電OL事件で裁判の最後を締めくくった検察官の態度です。
1990年に起きた足利事件の確定判決は無期懲役でした。2009年4月、犯人とされ服役していたS氏のDNA型と被害者の着衣に付着していた体液のそれとが一致しないという鑑定が出されました。2009年6月、鑑定結果を受けて、東京高等検察庁が「新鑑定結果は再審開始の要件である『無罪を言い渡すべき明らかな証拠』たり得る」とする意見書を提出(事実上の再審開始決定)。併せて「有罪判決を導いた証拠が誤りであった以上、刑の執行を継続すべきではない」として服役中のS氏を釈放したのです。それから2010年2月12日、再審第6回公判で、検察側は「取り調べられた証拠により、無罪を言い渡すべきことは明らか」とし、論告で無罪を求めました。論告に際して、「17年余りの長期間にわたり服役を余儀なくさせて、取り返しのつかない事態を招いたことに検察官として誠に申し訳なく思っています」と謝罪したのです。

また、1997年に発生した東電OL事件は、一審無罪でしたが、二審東京高裁で逆転して有罪(無期懲役)。2003年最高裁で有罪が確定、収監されました。2005年に再審請求。2011年に新たなDNA型鑑定で型の不一致が証明され、2012年東京高裁は再審開始と刑の執行停止を決定しました。東京高検は最高裁への特別抗告を断念。2012年10月24日の再審公判初日、検察は「被告以外が犯人である可能性を否定できない」として無罪を主張、結審となったのでした。

袴田事件を担当する検察官はこのような検察の歴史の輝かしい部分を十分に理解されていることと思います。弁護人だけが被告の人権を守ることに尽力するわけではありません。元来、裁判官も検察官も、人間の尊厳と自由の砦であることに差はないのです。再審請求即時抗告審が、検察官の華麗なる勇気、潔く事実に忠実な態度への拍手をもって終了となることを願ってやみません。

 

 

2. 即時抗告審の争点

 無罪を証明していた血液のDNA型鑑定

第2次再審、静岡地裁での審理では、シャツの肩の部分(傷の周囲)の血液が袴田さんのものかどうかをDNA型鑑定で明らかにすることが目的でした。
弁護団推薦の筑波大学の本田教授は、血球細胞のDNAを取り出して判定。袴田さんの型とは異なる。故にシャツに着いていた血液は袴田さんのものではない、と結論を出しました。
検察官推薦の神奈川歯科大の山田教授は、ミトコンドリアDNAを鑑定。本田鑑定と同様に、袴田さんの型とは異なると結果を出しました。ところが、法廷での鑑定人尋問では、「自信がないから、私の結果を信用しないでくれ」「袴田さんのシャツから採取した血液なのに、袴田さんのと一致しないのはおかしい」などと胡乱なことを言いだしたのです。

即時抗告審では、本田鑑定の「レクチンを使った選択的細胞抽出法」が取り上げられ、検察推薦の鈴木大阪医科大学教授に再現実験を委嘱。鈴木教授の実験は本田鑑定の忠実な再現実験はやらずに、独自の実験をしていました。で、「レクチンはDNAをこわしてしまうこと」を結論としていました。弁護団は、色々な意味でその実験の奇怪な逸脱ぶりをいぶかり、この1月13日、その鈴木実験の忠実な再現実験を試みたのです。
その結果はメチャクチャ。抽出実験には到底なりえません。本当に鈴木教授が自らの手で実験したのか、まともな感覚で経過を観察しながらやったのか、根本的な疑問を抑えることができないくらいとのことです。
大阪医科大学の鈴木広一教授といえば、1991年法医学会学術奨励賞を受賞、日本DNA多型学会会長を務めたこともある学会の名士です。その名に恥じることをやるはずはないと思われますが、一体どうしたことでしょう。検察の顔を立てなければならないので、外形的には本田鑑定を否定するような結果を出しています。しかし、そうしながらも、「私の本当の主張は少しでも中身を検討すれば分かってもらえるはず」と言っているようにも受け取れます。そうとでも考えなければ、鈴木教授の学識と鑑定再現実験のお粗末さとの整合性が取れないので、あながち穿った見方でもないと思われます。

19日の記者会見で、鈴木教授の再現実験の再現実験を担当した弁護士はこのように発言しています。
「やってみたところ、うまくいきませんでした。まず、鈴木先生の手法だと、水溶液の量は0.2㍉㍑なので本田鑑定の5分の1。レクチン試薬の濃度は本田先生の倍になります。それで反応させてみると、入れ物の底の方に血液がこびりついてしまい、とれなかった。本田先生だと、水溶液の中に、血液が溶け出しているのが見てわかる状態なのですが、その血液の塊のようなものが底にこびりついてしまっていた。入れ物ごと逆さまにしても下に落ちてこない。鈴木先生の手法だと、血液を別の入れ物に移しかえて、何度か衝撃を与えると血液の塊のようなものが入れ物に落ちてくる状態だった。
やってみてわかったのが、鈴木先生が尋問のときに言っていたような結果にはならなかったし、おそらくやっている途中で「これはどこかおかしいだろう」と気づくと思うので、弁護人としては、鈴木先生は本当に実験を監修なさっていたのだろうかと疑問に思った。
レクチンの試薬の量や濃度に関する視点がまったく欠落している。例えていえば、医者が薬を出すときに、量を気にせずに処方しているのと同じ。どんなにいい薬でも、量が少なければ効かない。」

もう一点、本田教授の「V-PCR法(バナジウム法)」というDNAを増殖する方法についても検察から批判がありました。しかし、この方法は8年前に検察官からの依頼で本田教授がDNA型鑑定した際にも採用していた方法でした。この方法による結果で、検察は被告を有罪にし、大いにこの方法を評価していたのです。自分のために使う場合と反対意見のために使われた場合とで、評価が逆になる矛盾を弁護側から指摘され、以降、この点には触れなくなりました。

 5点の衣類の色も、衣類がねつ造だったことを証明

発見されたときの5点の衣類ですが、1年以上も味噌タンクの中に入っていたにしては色が薄すぎたのです。付着していた血液の色も赤みが強すぎたのでした。再審開始決定の理由の一つとされました。
この点を指摘され、検察は新たに衣類の味噌漬け実験を秘密裏に行い、その結果を新証拠として出してきました。その結果は、図らずも弁護団でもやっていた味噌漬け実験と同様なものにしかならず、これまで否定していた弁護団の実験を補強するものでした。なので、意見書としてまとめることができなかったのです。そこで、他の学者を動員して反論してきたのですが、それらは科学的な反論ではなく、裏付けのない感想を述べたてたものに過ぎません。血液(味噌も)が濃い色に変化するのは、メイラード反応によるものです。検察はこの反応について無知だったので色の変化を科学的に解明できず、太刀打ちできなかったのです。

 新証拠の録音テープなどから分かった違法な取り調べ

取り調べの録音テープが、即時抗告審の段階で検察から新たに発見された証拠として提出があり、それを分析する中で違法な取り調べが明らかにされました。
① トイレに行かせず、取調室に便器を持ち込む。   特別公務員暴行陵虐罪、偽証罪
② 弁護士との接見を盗聴    公務員職権乱用罪、偽証罪
③ ズボンのタグの「B」を色であると知りながらサイズと偽装   有印虚偽公文書作成罪,同行使罪、偽証罪
上記の取調官の犯罪を示し、再審請求の理由を追加(刑事訴訟法435 条 7 号)しました。

 事件は丸ごとねつ造、虚構の袴田事件

袴田事件について知れば知るほど、暴き出された事実に底知れぬ嫌悪感、止まらない戦慄に襲われない人はいないのではないでしょうか。
半世紀前に起きたみそ製造会社の専務一家4人が惨殺され放火された凶悪事件の真犯人は取り逃がされ、事件は時効になってしまいました。それは警察の大失態でしたが、それを挽回しようと暴走したのが虚構の事件、袴田事件でした。国家権力の捜査機関が実行犯となり、袴田巖さんという無辜の庶民が突然被害者となりました。逮捕され牢獄の独房に監禁されること48年間。そのうち、33年間は死刑囚、無実であるにも拘らず国家権力によっていつ殺害されるかわからないという過酷で残忍な重圧の下にありました。この世界的にも類例のない酷悪な事件は、みそ会社での犯罪とは全く別。国家権力による不法行為としての不気味な姿が暴き出されたのです。
分かってきたのは、捜査当局が証拠に少々手を加えていたというレベルを遥かに超えて、事件は丸ごとでっち上げ、許しがたい虚構の事件だったということです。袴田巖さんを事件の真犯人とする証拠は一つもありません。しかし、当初は捜査当局の巧妙な奸計が功を奏し、第1審の静岡地裁で死刑判決、弁護団は高裁、最高裁へと上訴したものの1980年12月12日、死刑判決が確定しました。

そこから逆転劇が始まります。1981年11月、日弁連は袴田事件委員会(弁護団)を結成、全面的な支援を開始しました。無実の死刑囚を救援するために、再審無罪を求めての法廷闘争です。袴田さんに押し付けられた濡れ衣が次々と白日の下に晒され、2014年3月、再審請求が静岡地裁で認められました。再審開始決定は、見事に証拠のねつ造を明るみに出して指弾、長期にわたる拘禁を「耐え難いほど正義に反する」と断じて無実の死刑囚を釈放したのです。が、敗れた検察は鉄面皮、東京高裁へ即時抗告しました。然るに即時抗告審でも、検察は再審開始決定を覆すだけの武器を持っていないことが明らかになっています。検察は、手負いの野獣のごとく暴れてはいますが、再審請求が認められ、再審無罪判決が出されるのは必至。一日も早く即時抗告が棄却され再審公判に移行して正義の決着が求められているのです。
東京高裁が近々決定を出します。検察の即時抗告棄却、再審開始決定のために、正義を求める勇気ある人々が立ち上がっています。私たちは、その流れの一翼になることを誇りとしております。

即時抗告審の大島隆明裁判長って、どんな裁判官?

大島隆明裁判長

大島隆明裁判長

経 歴

1954年(S29)7月28日、東京生まれ。
東京大学卒業後、司法修習生を経て弁護士として登録。主に民事事件に関わる。
1年半後に裁判官に転じる。
S56.10.1 ~ S59.3.31 岡山地裁判事補
S59.4.1 ~ S61.3.31 東京地裁判事補
S61.4.1 ~ S63.3.31 最高裁民事局付
S63.4.1 ~ H2.4.7 福岡地家裁判事補
H3.4.1 ~ H6.3.31 東京地裁判事
H6.4.1 ~ H10.4.2 司研刑裁教官
H10.4.3 ~ H11.3.31 大阪地裁判事
H11.4.1 ~ H13.3.31 大阪地裁13刑部総括 (刑部総括とは裁判長を務める地位)
H13.4.1 ~ H15.8.14 東京高裁9刑判事
H15.8.15 ~ H18.12.19 東京地裁12刑部総括
H18.12.20 ~ H24.6.1 横浜地裁2刑部総括
H24.6.2 ~ H25.8.1 金沢地裁所長
H25.8.2 ~ 東京高裁8刑部総括と、エリートコースを歩む。
定年退官発令予定日  平成31年7月28日

 

1.「日本の刑事裁判官」での大島隆明裁判官。[第32期]

    (webサイトから転載)

特徴的な判決

■逆転無罪 【17/9】 ★業務上過失致死 / 天竜川転覆事故 被告人は事故を起こ
した船には乗っていなかった元船頭主任の方。1審の有罪被告人3名中、
ただひとり控訴していた   控訴審で被告人質問採用されず / 2017
年1月の1審判決から8か月後の逆転無罪判決★1審・静岡地裁/佐藤裁
判長の有罪判決を覆す at 東京高裁

■1審無罪支持 【16/11】 ★覚せい剤の密輸&関税法違反 / 被告人はタイ人2
名 裁判員裁判★1審・千葉地裁/金子裁判長 with 裁判員チームの無
罪判決を支持 at 東京高裁

■1審破棄、差し戻し 【16/9】 ★傷害★1審・千葉地裁/高木チームの無罪判
決を破棄、差し戻す at 東京高裁

■逆転無罪 【16/5】 ★心神喪失>殺人× 「心神喪失状態」 と主張し始めたのは
控訴審から★1審・長野地裁松本支部/本間裁判長 with 裁判員チームの
有罪判決を覆す at 東京高裁

■逆転全面無罪 【15/11】 ★殺人未遂ほう助も無罪×オウムによる東京都庁爆発
物事件×26(う)1331★1審・東京地裁/杉山裁判長 with 裁
判員チームの一部無罪判決転じて、有罪判決を覆す at 東京高裁

■1審無罪支持 【15/7】 ★強盗致傷など★1審・東京地裁/杉山裁判長 with 裁
判員チームの無罪判決を支持 at 東京高裁

■逆転無罪 【15/5】 ★背任×被告人は元弁護士★1審・静岡地裁浜松支部/青沼
チームの有罪判決を覆す at 東京高裁

■1審破棄、差し戻し 【15/2】  三鷹ストーカー刺殺事件の2審で東京地裁支部の有罪判決(懲役22年)を覆すat 東京高裁

●1審無罪 【08/11】 ★傷害×県立高校定時制の食堂で職員から生徒への注意の延長線上の出来事★ at 横浜地裁

●再審開始決定 【08/10】 ★横浜事件×第4次再審請求★ at 横浜地裁

●1審無罪 【07/7】 ★犯人隠避教唆×交通事故★ at 横浜地裁

●1審無罪 【07/2】 ★ビル虚偽登記事件★ at 東京地裁

●1審無罪 【06/8】 ★マンションで政党ビラ配布×住居侵入★ at 東京地裁

●逆転有罪 【07/12】 ★覆される by 池田(修)チーム/東京高裁

●1審無罪 【04/2】 ★現住建造物等放火&詐欺★ at 東京地裁

●1審無罪 【00/5】 ★業務上過失傷害×交通事故★ at 大阪地裁

 

 

2. 元オウム信者の菊地直子さんに対する東京高裁控訴審での逆転無罪判決。

東京地裁での第1審、裁判員裁判です。
菊池さんは、地下鉄サリン事件や猛毒のVXガスによる襲撃事件については不起訴となり、東京都庁の郵便物爆破事件で起訴されました。2014年6月30日に懲役5年の有罪判決。「爆発物がつくられるとまでの認識はなかった」として爆発物取締罰則違反幇助罪は認めなかったのですが、「教団が人の殺傷を含む活動をしようとしていると認識」していて爆弾の材料を運んだという罪で、殺人未遂幇助罪が認められたのです。
菊池さんは、特別指名手配されて17年間の逃亡生活の後に逮捕されました。物証はなく、危険物を運んだことは認めるが、爆弾の材料だとは知らなかったと主張しました。証人として出廷したオウム教団幹部の井上死刑囚は、活動の内容や目的を説明し爆弾のことも話したら、被告は「頑張ります」と応えたと証言。しかし、同じく教団幹部の中川死刑囚の証言では、被告は幹部ではなかったので、そんなことまで知らなかったということでした。

争点は、運んだものが爆弾の材料だったので、運搬した際にテロに加担しているという認識があったか、それともなかったかという点に絞られたわけです。結果は、殺人未遂幇助罪で懲役5年有罪判決。その決め手は、中川証言よりも井上証言の方が信用できるということと、自分が無罪であれば17年間も逃げているのは怪しいという理由でした。

東京高裁での控訴審。大島隆明裁判長が担当します。
菊池さんは事実誤認があるとして控訴。控訴審では2015年11月27日、「一審判決を棄却、被告人は無罪」とする逆転無罪判決が出されました。
有罪にした第1審は裁判員裁判でした。しかも「オウムは悪い奴らだから、みんな有罪にしろ」という風潮の中でのことです。誰しもオウムは怖いし、その一員だったのだから責任をとって当然と思っています。(この悪い奴らは理屈抜きに懲らしめてやればいいという考え方は大問題です)。1審判決を支持して有罪とし、量刑を少しまけてやるくらいでも良かったし、その方がマスコミや法曹界にも受けたことでしょう。

大島裁判長は、周囲の偏見に対して冷静でした。「疑わしきは罰せず」の原則に則り、刑事裁判のルール(デュープロセス)に従って毅然と無罪を言い渡したのでした。一審判決の判断は、経験則、論理則に反する不合理な点がある。
つまり、爆発物取締罰則違反幇助罪が成立しないのだから、爆弾の材料だという認識があったというのには無理がある。また、一審判決の根拠となった井上嘉浩の証言は合理性を欠く。つまり、かなりの年月が経過しているのに、些細なエピソードの記憶が鮮明過ぎ、反って信用性が薄い。さらに、長期間逃亡をもって殺人未遂幇助の意思を認定できない。
以上3点の理由で、有罪とするには合理的な疑問がある。疑わしいだけでは有罪にはできない。従って無罪とするしかないと判断したのです。世間の風当たりや批判を承知での勇気ある英断、近代刑法、刑事訴訟法の鏡といえる無罪判決でした。

また、大島裁判長は、判決の言渡しの後、証言台の前に立つ被告に「審理した結果、法律的には無罪となりました。ただし、客観的には、あなたが運んだ薬品で重大な犯罪が行われ、指を失った被害者が出ています。あなた自身が分からなかったとしても、あなたの行為が犯罪を生んだことを、心の中で整理してほしい」と諭したのです。

その後、2017年12月27日に最高裁判所で上告が棄却され、無罪が確定。

 

 

3.  2010年10月、大島裁判長が横浜事件に決着、実質的に被告は無罪の冤罪事件として認定。

横浜事件は、太平洋戦争中の1942年から1945年にかけての事件。総合雑誌『改造』に掲載された細川嘉六さんの論文「世界史の動向と日本」が新聞紙法違反とされ、細川さんが逮捕されました。そして、その捜査中に発見された写真が問題になったのです。細川さんの出版記念で宴会をしたときの記念写真一枚をとりあげ、それを唯一の証拠として、日本共産党再結成を謀議していたと決めつけられました。悪名高い治安維持法違反で改造社と中央公論社をはじめ、朝日新聞社、岩波書店などに所属する編集者、新聞記者ら約60人が逮捕され、拷問され悲惨なことに4人が獄死、約30人が有罪となりました。この事件は神奈川県警管轄の事件だったので、横浜事件と呼ばれています。

戦後、無実を訴える元被告人やその家族・支援者らが再審請求をし続けた結果、60年後の2005年に再審が開始されました。横浜地裁での再審公判では、免訴判決が下されました。免訴とは、刑事訴訟において、裁判所が有罪・無罪を判断することなく訴訟を打ち切る判決。確定判決を経ている時、刑が廃止された時、大赦があった時、時効が完成した時に限って出されます。「ポツダム宣言廃止とともに治安維持法は失効し、被告人が恩赦を受けたことで、免訴を言い渡すのが相当」という判決でした。高裁、最高裁ともにその判決を引き継ぎました。納得のいかない再審請求者はさらに再審請求を重ねます。

2008年10月、第4次再審請求審の横浜地裁で大島隆明裁判長が担当、再審開始を決定しました。その後の再審公判ではまたもや免訴の決定でしたが、大島裁判長は無罪の可能性を示唆。「免訴では遺族らの意図が十分に達成できないことは明らか。無罪でなければ名誉回復は図れないという遺族らの心情は十分に理解できる」と述べ、刑事補償手続での名誉回復に言及したのです。この判断を受けて、原告は控訴せず刑事補償手続きに移行しました。
(大島裁判長にしてみれば判決に無罪と書きたかったのでしょうが、そうすると高裁、最高裁で覆されるのは容易に想像できるのです。ここで無罪判決をだすことが、必ずしも最善ではないと考え免訴を選択、その上で刑事補償の法廷に舞台を移し、そこでもっと踏み込んだ決定を出すことにしたと思われます。法制度や裁判所や法曹界のしがらみの中で、実質的に無罪判決に導き冤罪被害者に報いようという知恵者の編み出した策です。

元被告遺族は刑事補償を求めて横浜地裁に請求手続き。審理担当は、またしても大島隆明裁判長でした。2010年2月4日、大島裁判長は元被告5名に対して、請求通りの金額(約4千7百万円)を支払うよう決定。その中で特高警察による拷問を認定し、共産党再建謀議とされた宴会は「証拠がなく事実とは認められない」と判示しました。
その上で、この冤罪事件は「特高警察による思い込みや暴力的捜査から始まり、司法関係者による事件の追認によって完結した」と認定し、「警察、検察、裁判所の故意、過失は重大」と警告しました。もし再審で実体判断が行われた場合には無罪判決を受けたことは明らかであると述べて、実質的に被告を無罪と認定し、事件が冤罪であったことを認めたのです。

 

 

4. 無罪判決を次々に出しても、公平で優秀だから評価が高い。

袴田事件の第2次再審請求審での村山裁判長の再審開始決定と似ていると思いませんか。大島さんは人間の自由と尊厳を大切にし、デュープロセスに立脚した公平な裁判ができる裁判官です。日本の裁判官にも硬骨漢が居ることを証明する貴重な方であるといっても過言ではありません。
司法記者からの評判はすこぶる良好。刑事事件では「被告人に適正な処罰を与える」のがモットーで、法曹界では「証拠を多面的にとらえ、検察、弁護側のいずれ寄りの立場も取らない異色の裁判官」という評価です。
(検察側、弁護側のいずれ寄りの立場も取らないのは、裁判官として当たり前のことですが、それが当たり前でないことが大問題なのです。裁判所(官)が近代の法体系の精神に立脚して仕事をすれば、自白の強要や証拠のねつ造は裁判ではねられてしまい、冤罪は消えてなくなるに違いないのですから)

『裁判官の品格』(池添徳明著)の中では、このように紹介されています。「実務実習などでも一緒で親しかった同期の弁護士は、「博識ですごく頭のいい人です。人をやり込めたりすることもなく、穏やかな感じで人の話もよく聞く。何にでも幅広く興味をもって好奇心が旺盛でしたね」と当時の様子を振り返る。」「無罪判決を次々に出しても、公平で優秀だから大島さんは裁判所の中で浮いていないし評価もされている。東京地裁や横浜地裁といった大都市で裁判長を任されているのも、信頼されているからでしょう。良識派の珍しい裁判官だと思います。」
以上のような経歴をもつのが、袴田事件再審請求即時抗告審を担当している大島隆明裁判長です。
これまでの即時抗告審での経過を見ると、内容的な勝負はついています。明らかに検察側の負けです。しかし、そうだからと言って勝訴するとは限りません。それは、静岡地裁での確定判決がそうであったように、そして多くの刑事裁判がそうであるように、最終的には裁判官の心証や考え方(知見、時には偏見)に結果が大きく左右されるからです。
即時抗告審の決定は、再審開始とともに死刑と拘置の執行停止にまで踏み切った村山裁判長の勇断の後に続き、その当否を判断するわけです。私から見ると輝かしい経歴を備えている大島裁判長、来年定年退官を迎えます。袴田事件という世界から注目されている裁判に、今回どんな決定を出されるのでしょうか。

(文:和泉湧)

3月19日「袴田巖死刑囚救援議員連盟」総会

袴田巖死刑囚救援議員連盟」総会が19日に開かれました。

高裁の判断が待たれる今、緊急に開かれたものです。

塩谷立衆議院議員(浜松選挙区)が会長でご挨拶。

 

 

 

 

 

小川英世弁護団事務局長は、熱く訴えました

法務大臣は検事総長に個々の事件について指揮する権限を有する(検察庁法14条)ので、即時抗告が棄却された時、特別抗告をしないよう議員の方々に要請していただきたいと。

理由は、二つ。
一つ目は、袴田さんは釈放されてはいるが、現在も妄想の世界で苦しんでいて人としての普通の生活が全然できていないこと。浜松の街歩きは、自分は最高権力者で仕事で人々を守るいう妄想にとらわれてのこと。それは袴田さんの日記からも明らかであり、、刑務所時代と全く同じ。最高権力者になれば死刑の執行はできない。つまり、いまでも死刑の執行の恐怖に苛まれているという状況。早く無罪判決を勝ちとらなければならず、検察に特別抗告などさせてはならない。

二つ目は、死刑再審であるという重大性。なかでも、静岡地裁は再審開始決定で無罪が確定する前に釈放した。警察による証拠のねつ造があったからだ。この事件は特別なものだと法務大臣に要請をしていただきたい。

また、横光克彦議員は、刑事再審法の不備を正すこと、検察の上訴の禁止や証拠の全面開示などを訴えました。

こんなにたくさんの国会議員が公正な司法判断を求めて、巖さんの速やかな再審無罪の実現を訴えているのです。

大崎事件の特別抗告をした検察に、「検察はおもしろがってやっているのか」という批判の声さえあがったとか。

総会決議全文は以下の通りです。

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「袴田巖死刑囚救援議員連盟」総会決議

 

 2010年(平成22年)4月22日に超党派の国会議員60名以上の参加により本議員連盟が設立されてから間もなく8年を迎える。この間我々は、その目的である袴田巖さんの処遇改善と早期釈放実現のためにご家族、弁護団、支援者と連携しつつ、東京拘置所での袴田さんとの面会や、時の法務大臣への要請など様々な活動を実施してきた。

そうした中、2014年(平成26年)3月27日、静岡地裁は「捜査機関が証拠をねつ造した疑い」「拘置をこれ以上継続することは耐えがたいほど正義に反する」という異例の強い表現で捜査当局やその主張を追認してきた裁判所の責任を問いただす再審開始決定を下した。そして、袴田さんは48年ぶりに獄中から解放された。これにより、袴田さんの早期釈放の実現という我々の目的は達成されたかに見えた。

しかしながら、検察は即時抗告に踏み切り、再審開始は棚上げとなった。4年を経て、今年度中には東京高裁にて再審開始の可否が決まるとされている。その決定次第では、袴田さんが再収監される可能性すら残されている。残念ながら袴田さんの身分は未だ確定死刑囚のままであり、我々が求める「真の釈放」は実現していないと言わざるを得ない。

東京高裁での即時抗告審は4年もの歳月を要し、今月10日、袴田さんは82歳になった。再審請求人である姉のひで子さんも85歳である。残された時間はわずかしかない。よって我々は、本日の総会で以下のことを決議する。

1、法と証拠に基づく公正公平な司法判断による袴田さんの再審無罪の実現

2.東京高裁が検察の即時抗告を棄却した暁には、検察に特別抗告を断念させるために全力を挙げること

2018年(平成30年)3月19日

袴田巖死刑囚救援議員連盟会員一同

@WEB_SEKAI に「はかまたさん」(青柳雄介氏の連載)が始動!

青柳さんは、袴田巖さんに密着取材を続け、岩波書店発行の雑誌『世界』に「神を捨て 神になった男 確定死刑囚・袴田巖」を好評連載中。4月号で連載第14回目となります。血を吐くような心情を透徹した文章に綴った巌さんの獄中書簡・日記を連載冒頭に紹介しながら、読者を優れた表現力で袴田事件の核心へと誘い、袴田巖さんの姿を浮き彫りにしています。

 

その青柳氏が↓WEB上で、こんな新連載をはじめました。岩波書店『世界』編集部 @WEB_SEKAI

袴田巖氏に密着する著者ならではの筆致で、日常の「はかまたさん」を等身大で描きます。
青柳氏しか書けない「はかまたさん」、みなさんもご覧ください

http://websekai.iwanami.co.jp/posts/340  #WEB世界

3月17日(土)第7回袴田事件がわかる会

第7回  3月 17日(土)  午後1時30分 ~ 4時

入場無料      Uホール(浜松勤労会館)   ( 中区城北1-8-1)

ゲスト  袴田事件弁護団 弁護士  白山 聖浩 氏    姉  袴田 ひで子 さん

テーマ  裁判(即時抗告審)の争点 / 今月の袴田巖さん / 何故ウソの自白をしてしまうのか、自白の心理学

昨年9月から毎月開催してまいりました袴田事件が分かる会ですが、この3月で7回目を迎えます。

毎回、日弁連の袴田弁護団の先生と袴田ひで子さんをゲストに、マスメディアが伝えない情報をも取り上げてきました。

冤罪被害者の袴田巖さんの近況もご報告するコーナーも加えました。

今現在、裁判は4年前の再審開始決定から東京高裁の即時抗告審に移り、その最終段階に来ています。

裁判で検察と弁護団が火花を散らしてきた争点の数々、大島裁判長とはいかなる人物か、

そのような点に踏み込んでの解説、さらに刑事司法制度の仕組みに至るまで説明、論議してきました。

まだまだお伝えするべき内容はつきません。

どうぞ、袴田事件がわかる会に引き続きお越しください。

お待ちしております。

主催 : キッチンガーデン 袴田さん支援クラブ
協力 : 浜松 袴田巖さんを救う市民の会

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