6月11日の高裁判断に期待する

KG 袴田巖さん支援クラブ

 

袴田事件は発生以来半世紀の星霜を経ても未だに解決していません。犯人として逮捕された袴田巖さんは48年間にわたる監獄での独房生活を強いられました。4年前、静岡地裁における第2時再審請求審での再審開始決定によって、死刑の執行停止とともに東京拘置所から釈放されたとはいえ、死刑囚という屈辱を晴らすには至っていないのです。無実の死刑囚であり、冤罪被害者の袴田巖さんは、今でも闘っています。巖さんとともに、私たちは一日も早く、袴田さんの汚名を返上する裁判所の決定を勝ち取るとともに、誤判を犯さない刑事司法、えん罪を許さない社会にしていかねばなりません。国家権力の横暴がまかり通るような社会は誰からも嫌悪され、誰もがそんなところで人生を送るのはまっぴら御免ですから。

1. 裁判の現時点とこれから  再審とは?

現在、袴田事件は第2次再審請求審の即時抗告審が決着を迎える段階にきています。東京高裁はこの6月11日に決定を出すことを表明しています。
だが、その再審請求審とはどういうものか、即時抗告審とは一体何か。現在進行中の裁判とは、いったいどういうものなのか。まず説明しておかねばなりません。

袴田事件の公判は、1966年9月9日に静岡地裁で第1審が始まりました。1968年9月11日静岡地裁で有罪死刑判決。東京高裁へ不服申立(控訴)するも、1976年5月18日控訴棄却。さらに最高裁へ不服申立(上告)。1980年11月19日、最高裁上告を棄却。これで、第1審での死刑判決が確定したのです。それを確定判決といいます。ここまでが三審制と言われる裁判です。
そこまでやっても、人間の行いですから判決の過誤がありえます。国家権力が無実の人に罪を負わせることは絶対に避けなければならない、これはフランスの人権宣言以来の歴史上最も大切で崇高なテーマです。そこで近代民主主義社会の制度として登場したのが再審のシステムなのです。

 再審は、法体系に組み込まれている無辜(無実の人)の救済を目的とする制度

三審制の結論でも有罪の確定判決を覆そうとするのが、再審。しかし、三審制に続く第四審ではなく、三審制を否定する制度でもありません。そこに再審制度の特殊性があるのです。再審制度は、無辜(無実であるにもかかわらず、誤って有罪とされた人)を事後的に救済することを立法の目的としています。従って、確定判決が無罪の場合、その無罪判決に対する再審は請求できません。また、より重い刑罰を求めての再審請求も認められてはいません。裁判官が、元の確定判決よりも重い刑を科すことも許されていないのです。
一方的に受刑者の利益を回復させるためのワンサイドゲームに特化した司法手続きが、再審制度なのです。これを利益再審といい、不利益再審制度というものはありません。三審制といえども、過誤による有罪判決を確定させてしまうことから自由ではないのです。そこで、誤って罰を与えられた人の人権を重視し汚名を返上することの制度的保障としています。司法の歴史的知恵といえるでしょう。

 再審請求審と再審公判

再審と言っても「再審請求審」と「再審公判」があります。その二段階の手続きを踏まなければならないのです。まずは確定判決を出した裁判所へ再審を請求し、再審公判を認めるか否かの審理からスタートします。袴田事件の場合、1980年11月19日に最高裁で死刑判決が確定。その後1981年4月20日、静岡地裁に再審請求を申し立てました。
静岡地裁では13年間の審理の末、1994年8月8日請求が棄却されました。直ちに東京高裁へ即時抗告。10年間の即時抗告審は2004年8月26日即時抗告棄却に。さらに、再審開始を求めて最高裁へ特別抗告。最高裁では、2008年3月24日、3年半の後に特別抗告が棄却されました。星霜27年、第1次再審請求審が終わります。

ところで、再審請求は繰り返して何度でも申し立てすることができます。国民の公正な裁判を受ける権利なのですから、繰り返し回数に限度はありません。袴田巖さんの姉のひで子さんが請求人となって2008年4月25日、第2次の再審請求を静岡地裁に申し立てたのです。6年間審理が続き、2014年3月27日、静岡地裁はついに再審開始決定に踏み切りました。裁判長は村山浩昭氏、再審請求を認めるとともに死刑の執行停止、拘置の執行停止も決定し、袴田さんは即日東京拘置所から釈放され自由の身になったのでした。「これ以上、袴田に対する拘置を続けることは、耐え難いほど正義に反する状況にある」という決定は、裁判官の正義と勇気を物語るものとして司法の歴史を飾る名言です。
しかるに、静岡地検は東京高裁に即時抗告を提起。犯行着衣とされる「五点の衣類」に付着していた血液のDNA型鑑定、新たに法廷に提出された取り調べの録音テープなどを争点として4年近い審理が続き、その最終局面を迎えています。
再審請求が認められ、再審開始決定が出されると、次のステップの再審公判が始まります。この再審公判で無罪判決が出ると、長かった裁判にようやく決着がつくのです。袴田事件は第一審から半世紀を数えようとしています。

 徹底しない無辜の救済 ――― 再審開始を阻む高いハードル

再審請求が認められるには、困難があります。確定した有罪判決に対して、無罪を言い渡すべき明らかな証拠が新たに発見されたときにのみ再審開始が認められます(刑事訴訟法435条 6 号)。これまで再審請求が数多く出されてきましたが、認められた例はほんのわずかに過ぎません。
かつては、再審における「明らかな証拠」とは、真犯人が現れたとか確実なアリバイを示す証拠が発見されたことなど、その証拠のみで無罪であることが要求されていました。そのため、再審が開始されるのはきわめて例外的なケースでした。再審は「針の穴にラクダを通す」ようなものと言われていたほどです。「疑わしきは被告人の利益に」の原則が実質的には適用されず、確定判決の権威が人権を踏みにじって省みない時代が続いてきました。

ところが1975(昭和50)年、最高裁は白鳥事件の再審請求を棄却したものの、その決定の中で画期的なことを主張しました。即ち、再審においても「疑わしきは被告人の利益に」の鉄則が適用されることを宣言。再審を開始するための新証拠の要件を、それまでの「その証拠だけで無罪の証明となること」から「確定判決までに提出された旧証拠と新証拠とを総合的に判断して有罪判決の認定に合理的な疑いを生じさせれば足りる」としたのです。開かずの再審の門が開けられるようになりました。
続けて最高裁は翌1976(昭和51)年、白鳥決定で明らかにした原則を財田川事件に適用。さほど有力な新証拠がなかったにもかかわらず、その場合でも旧証拠だけで有罪とするのに疑問があれば再審が認められる可能性があるとして、再審請求を棄却した決定を取り消し(再審開始決定を出し)たのです。

こうして再審の門が開きやすくなった結果、免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件の死刑 4 事件をはじめ、いくつかの重大な事件で次々に再審開始が認められ、再審無罪判決が出されるようになりました。再審無罪が例外中の例外ではなくなり、無辜を救済する再審制度はようやく息ができる時代が開けたのです。

 徹底しない無辜の救済 ――― 検察が不服申立できる日本

日本の司法制度は、英米式システム(コモンロー)に立脚しています。英米では、進級式のシステム(三審制)の過程で一旦無罪判決が出された場合、その無罪判決が確定判決とされ、それ以上の進級審理はありません。アメリカやイギリスなどでは検察の無罪判決への不服申し立てを許さないのです。被告人は即刻放免され、二度とその事件で逮捕されたり起訴されたりすることはないのです。一つの事件で二重に罪を問うことを禁止する『一事不再理の原則』に反するとされているからです。再審の段階でもその原則が貫かれ、再審開始決定や再審無罪判決に対する不服申し立ても許されていません。

ところが、日本ではそこまで進んではいません。袴田事件の第2次再審請求審、静岡地裁での再審開始決定に対して静岡地検は東京高裁へ即時抗告。再審請求者に有利な決定に対する上訴(控訴や上告)が、当然のように認められているのです。さらに、拘置の停止に対しても不服申立をするに至っては、「公益を代表する」という検察の看板はもう泥だらけ。再審は無辜の救済を目的としているという原則が置き去りにされています。

 徹底しない無辜の救済 ――― 再審での検察による追加立証は不可のはず

さらに、無辜の救済を目的とする再審に暗雲がかかっています。それは、再審(請求、公判)において検察官が新たな立証行為を追加しようとしていることです。検察は、裁判所と弁護団には通知せず、新たな味噌漬け実験を試みて、2016年10月19日、その結果を証拠として提出してきました。繰り返しますが、現行法は、再審があくまでも確定判決に対して請求者の利益になるための審理(利益再審)としているのであって、不利益再審は否定されています。検察の立証活動は判決が確定した段階で終了しているのです。確定判決の当否を判断するのが再審。確定判決があるにも拘らず、屋上屋を重ねるがごとき有罪事実認定を補強するための立証活動は、再審においては許されないはずです。

再審において検察官に何らかの活動の余地を認めるとしても、そもそも検察官の立場は「確定判決の有罪事実認定は正当である」ということ、確定審において完了した以上の立証活動は不要のはずです。それどころか、再審において検察官が何らかの追加立証を行うのは自己の立場と矛盾します。再審において有罪立証を追加することは、論理的には背理となります。矛盾です。なぜなら、確定審における検察官の立証活動が有罪判決とするには不十分、又は不適切であったことを自から認めることに他ならないからです。

 徹底しない無辜の救済 ――― 検察官は再審に協力すべき立場にあるはず

検察官は、法的には「公益の代表者」。刑事訴訟法439条1項1 号で再審請求権者が挙げられていますが、なんとその筆頭が検察官なのです。その規定がジョークでない限り、再審においては、検察官の立場と役割は通常審のそれとは異なります。訴訟を提起した一方の当事者として弁護側と対立的に振る舞うことは本来予定されていないのです。再審制度の立法意思を実現するならば、検察官は再審に協力する義務を負っているといえます。不服申立や追加立証活動は、再審における検察官の役割に反することになるのです。

いわゆる郵便不正事件等において発覚した検察不祥事を受けて、検察の在り方検討会議が「検察の再生に向けて」という提言を出しました。その提言は、検察官が「公益の代表者」として、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障を役割とすることを謳い、有罪判決の獲得のみを目的とすることなく、公平な裁判の実現に努めるべきことを主張しています。また、通常公判で有罪の獲得に拘泥することなく「引き返す勇気」の必要性を強調しています。この理は、再審請求審においても当然のことです。

 自分の非を認めた潔い先輩検察官に見習うべし

2014年3月27日の静岡地裁による再審開始決定は、大きな波紋を呼び起こしました。袴田事件担当の最高検元検事、竹村輝雄氏がショックを語っています。(4月3日放送のNHK番組『クローズアップ現代』、番組タイトル「うもれた証拠 ~“袴田事件”当事者たちの告白~」)
「それは重いですね。本当に眠れなかった、わたし、この決定を読んでね。検察官としてこれは十分に教訓として反省すべきところです。」
「よく証拠を見ることでしょうね。一方の立場からではなく、公平な立場からみることですよ、証拠を。」
地裁の決定にショックを受けたとしても、自らの非を認めることには、たいへんな勇気が必要だったと思います。謙虚な気持ちと正義感がなければできなかったでしょう。進んで非を認め反省を隠さない、この先輩検察官を見習うべきではないでしょうか。

他にも、振り返ってみるべき事例があります。例えば、足利事件と東電OL事件で裁判の最後を締めくくった検察官の態度です。
1990年に起きた足利事件の確定判決は無期懲役でした。2009年4月、犯人とされ服役していたS氏のDNA型と被害者の着衣に付着していた体液のそれとが一致しないという鑑定が出されました。2009年6月、鑑定結果を受けて、東京高等検察庁が「新鑑定結果は再審開始の要件である『無罪を言い渡すべき明らかな証拠』たり得る」とする意見書を提出(事実上の再審開始決定)。併せて「有罪判決を導いた証拠が誤りであった以上、刑の執行を継続すべきではない」として服役中のS氏を釈放したのです。それから2010年2月12日、再審第6回公判で、検察側は「取り調べられた証拠により、無罪を言い渡すべきことは明らか」とし、論告で無罪を求めました。論告に際して、「17年余りの長期間にわたり服役を余儀なくさせて、取り返しのつかない事態を招いたことに検察官として誠に申し訳なく思っています」と謝罪したのです。

また、1997年に発生した東電OL事件は、一審無罪でしたが、二審東京高裁で逆転して有罪(無期懲役)。2003年最高裁で有罪が確定、収監されました。2005年に再審請求。2011年に新たなDNA型鑑定で型の不一致が証明され、2012年東京高裁は再審開始と刑の執行停止を決定しました。東京高検は最高裁への特別抗告を断念。2012年10月24日の再審公判初日、検察は「被告以外が犯人である可能性を否定できない」として無罪を主張、結審となったのでした。

袴田事件を担当する検察官はこのような検察の歴史の輝かしい部分を十分に理解されていることと思います。弁護人だけが被告の人権を守ることに尽力するわけではありません。元来、裁判官も検察官も、人間の尊厳と自由の砦であることに差はないのです。再審請求即時抗告審が、検察官の華麗なる勇気、潔く事実に忠実な態度への拍手をもって終了となることを願ってやみません。

 

 

2. 即時抗告審の争点

 無罪を証明していた血液のDNA型鑑定

第2次再審、静岡地裁での審理では、シャツの肩の部分(傷の周囲)の血液が袴田さんのものかどうかをDNA型鑑定で明らかにすることが目的でした。
弁護団推薦の筑波大学の本田教授は、血球細胞のDNAを取り出して判定。袴田さんの型とは異なる。故にシャツに着いていた血液は袴田さんのものではない、と結論を出しました。
検察官推薦の神奈川歯科大の山田教授は、ミトコンドリアDNAを鑑定。本田鑑定と同様に、袴田さんの型とは異なると結果を出しました。ところが、法廷での鑑定人尋問では、「自信がないから、私の結果を信用しないでくれ」「袴田さんのシャツから採取した血液なのに、袴田さんのと一致しないのはおかしい」などと胡乱なことを言いだしたのです。

即時抗告審では、本田鑑定の「レクチンを使った選択的細胞抽出法」が取り上げられ、検察推薦の鈴木大阪医科大学教授に再現実験を委嘱。鈴木教授の実験は本田鑑定の忠実な再現実験はやらずに、独自の実験をしていました。で、「レクチンはDNAをこわしてしまうこと」を結論としていました。弁護団は、色々な意味でその実験の奇怪な逸脱ぶりをいぶかり、この1月13日、その鈴木実験の忠実な再現実験を試みたのです。
その結果はメチャクチャ。抽出実験には到底なりえません。本当に鈴木教授が自らの手で実験したのか、まともな感覚で経過を観察しながらやったのか、根本的な疑問を抑えることができないくらいとのことです。
大阪医科大学の鈴木広一教授といえば、1991年法医学会学術奨励賞を受賞、日本DNA多型学会会長を務めたこともある学会の名士です。その名に恥じることをやるはずはないと思われますが、一体どうしたことでしょう。検察の顔を立てなければならないので、外形的には本田鑑定を否定するような結果を出しています。しかし、そうしながらも、「私の本当の主張は少しでも中身を検討すれば分かってもらえるはず」と言っているようにも受け取れます。そうとでも考えなければ、鈴木教授の学識と鑑定再現実験のお粗末さとの整合性が取れないので、あながち穿った見方でもないと思われます。

19日の記者会見で、鈴木教授の再現実験の再現実験を担当した弁護士はこのように発言しています。
「やってみたところ、うまくいきませんでした。まず、鈴木先生の手法だと、水溶液の量は0.2㍉㍑なので本田鑑定の5分の1。レクチン試薬の濃度は本田先生の倍になります。それで反応させてみると、入れ物の底の方に血液がこびりついてしまい、とれなかった。本田先生だと、水溶液の中に、血液が溶け出しているのが見てわかる状態なのですが、その血液の塊のようなものが底にこびりついてしまっていた。入れ物ごと逆さまにしても下に落ちてこない。鈴木先生の手法だと、血液を別の入れ物に移しかえて、何度か衝撃を与えると血液の塊のようなものが入れ物に落ちてくる状態だった。
やってみてわかったのが、鈴木先生が尋問のときに言っていたような結果にはならなかったし、おそらくやっている途中で「これはどこかおかしいだろう」と気づくと思うので、弁護人としては、鈴木先生は本当に実験を監修なさっていたのだろうかと疑問に思った。
レクチンの試薬の量や濃度に関する視点がまったく欠落している。例えていえば、医者が薬を出すときに、量を気にせずに処方しているのと同じ。どんなにいい薬でも、量が少なければ効かない。」

もう一点、本田教授の「V-PCR法(バナジウム法)」というDNAを増殖する方法についても検察から批判がありました。しかし、この方法は8年前に検察官からの依頼で本田教授がDNA型鑑定した際にも採用していた方法でした。この方法による結果で、検察は被告を有罪にし、大いにこの方法を評価していたのです。自分のために使う場合と反対意見のために使われた場合とで、評価が逆になる矛盾を弁護側から指摘され、以降、この点には触れなくなりました。

 5点の衣類の色も、衣類がねつ造だったことを証明

発見されたときの5点の衣類ですが、1年以上も味噌タンクの中に入っていたにしては色が薄すぎたのです。付着していた血液の色も赤みが強すぎたのでした。再審開始決定の理由の一つとされました。
この点を指摘され、検察は新たに衣類の味噌漬け実験を秘密裏に行い、その結果を新証拠として出してきました。その結果は、図らずも弁護団でもやっていた味噌漬け実験と同様なものにしかならず、これまで否定していた弁護団の実験を補強するものでした。なので、意見書としてまとめることができなかったのです。そこで、他の学者を動員して反論してきたのですが、それらは科学的な反論ではなく、裏付けのない感想を述べたてたものに過ぎません。血液(味噌も)が濃い色に変化するのは、メイラード反応によるものです。検察はこの反応について無知だったので色の変化を科学的に解明できず、太刀打ちできなかったのです。

 新証拠の録音テープなどから分かった違法な取り調べ

取り調べの録音テープが、即時抗告審の段階で検察から新たに発見された証拠として提出があり、それを分析する中で違法な取り調べが明らかにされました。
① トイレに行かせず、取調室に便器を持ち込む。   特別公務員暴行陵虐罪、偽証罪
② 弁護士との接見を盗聴    公務員職権乱用罪、偽証罪
③ ズボンのタグの「B」を色であると知りながらサイズと偽装   有印虚偽公文書作成罪,同行使罪、偽証罪
上記の取調官の犯罪を示し、再審請求の理由を追加(刑事訴訟法435 条 7 号)しました。

 事件は丸ごとねつ造、虚構の袴田事件

袴田事件について知れば知るほど、暴き出された事実に底知れぬ嫌悪感、止まらない戦慄に襲われない人はいないのではないでしょうか。
半世紀前に起きたみそ製造会社の専務一家4人が惨殺され放火された凶悪事件の真犯人は取り逃がされ、事件は時効になってしまいました。それは警察の大失態でしたが、それを挽回しようと暴走したのが虚構の事件、袴田事件でした。国家権力の捜査機関が実行犯となり、袴田巖さんという無辜の庶民が突然被害者となりました。逮捕され牢獄の独房に監禁されること48年間。そのうち、33年間は死刑囚、無実であるにも拘らず国家権力によっていつ殺害されるかわからないという過酷で残忍な重圧の下にありました。この世界的にも類例のない酷悪な事件は、みそ会社での犯罪とは全く別。国家権力による不法行為としての不気味な姿が暴き出されたのです。
分かってきたのは、捜査当局が証拠に少々手を加えていたというレベルを遥かに超えて、事件は丸ごとでっち上げ、許しがたい虚構の事件だったということです。袴田巖さんを事件の真犯人とする証拠は一つもありません。しかし、当初は捜査当局の巧妙な奸計が功を奏し、第1審の静岡地裁で死刑判決、弁護団は高裁、最高裁へと上訴したものの1980年12月12日、死刑判決が確定しました。

そこから逆転劇が始まります。1981年11月、日弁連は袴田事件委員会(弁護団)を結成、全面的な支援を開始しました。無実の死刑囚を救援するために、再審無罪を求めての法廷闘争です。袴田さんに押し付けられた濡れ衣が次々と白日の下に晒され、2014年3月、再審請求が静岡地裁で認められました。再審開始決定は、見事に証拠のねつ造を明るみに出して指弾、長期にわたる拘禁を「耐え難いほど正義に反する」と断じて無実の死刑囚を釈放したのです。が、敗れた検察は鉄面皮、東京高裁へ即時抗告しました。然るに即時抗告審でも、検察は再審開始決定を覆すだけの武器を持っていないことが明らかになっています。検察は、手負いの野獣のごとく暴れてはいますが、再審請求が認められ、再審無罪判決が出されるのは必至。一日も早く即時抗告が棄却され再審公判に移行して正義の決着が求められているのです。
東京高裁が近々決定を出します。検察の即時抗告棄却、再審開始決定のために、正義を求める勇気ある人々が立ち上がっています。私たちは、その流れの一翼になることを誇りとしております。