今月7日、我らが西嶋弁護団長が逝去されました。享年82才でした。
突然の訃報に驚きを禁じえません。
袴田さんの再審無罪に辿り着こうとしている矢先のこと、残念で残念でなりません。
私はずっと、先生の古武士を思わせる立ち居振る舞いを見上げてまいりました。
先生の凛とした面影を胸に、志半ばの袴田さんの雪冤、再審無罪に向けて微力をくすことが先生の遺志を受け継ぐことだと心に刻みます。
先生は、1990年から袴田事件弁護団に加わり、2004年には弁護団長に就任。大所帯の弁護団を率いてこられました。2014年3月には再審開始決定を勝ち取り、死刑の執行停止と拘置所からの解放という成果を出しました。その後東京高裁では再審開始決定が棄却されましたが、最高裁では5人の判事のうち2名は再審開始決定を支持。が、3人の判事が高裁への差し戻しを主張したので舞台は高裁へ。高裁での決定は再び再審開始となり、検察が抗告を断念したことで、現在静岡地裁で再審公判が始まっています。西嶋先生のリーダーシップによって、再審無罪の扉がこじ開けられる最後の段階まで船は進んできたのです。
先生は1941年九州福岡市にて生を受け、中央大学法学部を卒業されて1965年に弁護士登録。労働事件での弁護活動を目指して活動を開始されました。事務所の先輩上田誠吉弁護士に誘われて八海事件にも携わり、それをきっかけに刑事弁護の世界に舟を漕ぎ出されのです。大事件を次々に手掛けてこられました。仁保事件、そして江津事件からは再審事件にも関わるようになりました。徳島ラジオ商事件、丸正事件、島田事件と続けられ、そして袴田事件弁護団に加わられたのです。
同時に、日弁連の役員として死刑廃止や刑務所拘置所での待遇改善、そして再審法改正のための活動にも参画なさってきました。
その辺りの経験は、このホームページの『袴田事件弁護団列伝 冤罪事件弁護の泰斗、西嶋勝彦』を参照してください。
同僚や部下として共に仕事をしてきた方々から先生の仕事ぶりと魅力を伺ってきました。みなさん、口を揃えて仰るのは「仕事の割り振りや指示がテキパキしていて怖いほどでした。でも一緒に仕事をするのがとても楽しかった」という趣旨のことばかりです。先生の一貫した弁護活動へのたぎる情熱の然らしめるところで、それが人間西嶋勝彦の真骨頂とお見受けいたしました。
「おくれた戦中派人間」と自己紹介なさいます。酒をこよなく愛され、俳句に親しまれた風流人でもありました。新年に頂いた年賀状に記されていた句を一首
小春日に駿河路通い車椅子
西嶋先生、弁護団と私たち支援者の雪冤闘争を最後まで見守り続けてください。
(文責:猪野)
知る人ぞ知るジャーナリスト、浅野健一氏をお招きします。氏は、共同通信社記者(1972~94年)から同志社大学大学院社会学研究科教授(1994年~2014年、新聞学)そして2014年からフリー・ジャーナリストとして活躍されてきた方です。人権と報道について、舌鋒鋭く追究する第一人者。メディアの実名報道(逮捕と同時にあたかも犯人であるかのように報道、そして実名を出して名誉を棄損する)、日本特有の記者クラブ制度(警察等公的機関から優遇されている大手メディアの閉鎖的な団体、政府や警察情報を垂れ流す報道に陥る元凶)などで、一歩も引かないラディカルなジャーナリストとして有名。
「袴田事件は私が共同通信記者時代に、人権と犯罪報道について考える契機になった事件の一つ」だと言われ、ひで子さんとともに大学で講演したこともある。財田川事件、松山事件の元死刑囚にも会い、記事にしている。気さくなお人柄で、第2回再審公判を傍聴された折りに、ひで子さんとの再会を喜ばれた。
浅野先生の講演で、自分のメディアに関する常識が覆されます。
浅野健一さん(あさの・けんいち)の略歴
1948 年高松市生まれ。慶大経卒、1972 年に共同通信社入社。1984 年に『犯罪報道の犯罪』を出版。1994 年から 2014 年まで、同志社大学大学院メディア学専攻教授。「人権と報道・連絡会」代表世話人。たんぽぽ舎アドバイザー。『客観報道』『天皇の記者たち』『安倍政権・言論弾圧の犯罪』など著書多数。2020年、下咽頭がん手術で声帯を失うが、AI 音声、電気式人工喉頭などを使って講演を再開。「紙の爆弾」「進歩と改革」に寄稿、朝鮮新報、救援、たんぽぽ舎メルマガで連載中。
主催 : 袴田さん支援クラブ HP : http://free-iwao.com/
再審公判での弁護団主張の中心は以下の点にあります。
弁護団をリードしてきた小川先生が、分かりやすく解説します。
主催 : 袴田さん支援クラブ
いよいよだ。この27日から袴田さんの再審公判(裁判のやり直し)が始まる。
検察は再審請求審で無残にも敗北。
再審請求審では、再審開始決定とともに、捜査当局(警察と検察)による証拠のねつ造まで見破られるというところまで追いつめられた。
不名誉の挽回に必死で、新たに有罪を立証する新証拠(学者などの意見書)を提出。弁護団は検察の立証を一刀両断する反証を用意している。
袴田再審とは、無実であるにもかかわらず「死刑」を宣告された袴田巖さんを救うためのやり直し裁判である。
主戦場であった再審請求審で実質的な審理は尽くされ、「袴田さんは無罪の可能性が高い」という結論が出されている。
そこから出発する再審公判は、いったん確定された「有罪死刑判決」の間違いを正し、改めて無罪を宣告するための儀式である。
検察は凝りもせずに有罪主張を維持する。それを迎え撃つ弁護団は、どのような主張を展開するのか?
そして裁判所はどのように裁こうとしているのか?
弁護団の最先端で活躍する若き弁護士、西沢美和子さんを招いて、大いに語っていただく。
「有罪立証」すると豪語している検察官の主張は、またしてもオウンゴールである。検察は味噌漬けにされた期間が長くても血痕に赤みが残る可能性はあるという。そこから飛躍して犯行直後に味噌タンクに犯行着衣が隠されたと決めつける。だが、仮にそれが正しい(赤みが残る場合があった)としてもそれでは有罪(犯行直後に巌さんによって味噌タンクに隠された)を示すような代物ではない。犯行直後か発見直前か、いつ味噌タンクに入れたのか分からないという結論にしかならないのだ。従って、巖さんが犯人だとは言えない。有罪立証には到底届かない。
また、通常審から再審請求審での再審開始決定確定までの検察官の主張も蒸し返し、そしてご都合主義で解釈替えした珍論で辻褄合わせを試みてきた。5点の衣類の血痕のつき方がちぐはぐであることに対して、「犯行中にズボンを脱いだりはいたりした」というお笑い種でしかない解釈をーーこれでは説得不能と反省したのでしょうーー別のこれまた非常識な解釈に変更したりだ。最高検から高検、地検までの検察庁(官)の総力を挙げての知的産物にしてはお粗末、というか証拠のねつ造という事実を覆い隠そうとしても無理があるというべきか。もう、裁判所は検察のまやかしに騙されることはないであろう。あるいは、再審無罪を自明とする国民世論を前にして、これ以上検察を庇い検察の「有罪主張」の校正に注力して醜い姿をさらすことはないであろう。
袴田弁護団事務局長の小川秀世弁護士には、公判の舞台でどう再審無罪に持ち込もうとしているのか。大いに語っていただく。
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