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袴田さん支援クラブ

袴田巖さんに再審無罪を!

Author: free-iwao (page 21 of 22)

袴田事件即時抗告審 9/26,27 DNA鑑定人尋問 

2014年3月27日、静岡地裁で再審開始決定が出されましたが、検察官が東京高裁へ即時抗告(不服申し立て)し、審理が3年以上続いています。東京高裁(大島隆明裁判長)は、DNA鑑定をめぐって鑑定人の本田克也氏(筑波大学教授)と鈴木康一氏(大阪医科大学教授)の尋問を9月26日、27日の両日にわたって行います。高裁での即時抗告審は、この証人尋問で事実調べを終了し、年内に検察官と弁護人の最終弁論、来春に決定をだすことが予想されており、最後の重要局面を迎えています。

袴田事件弁護団は、27日夕刻、記者会見を予定しています。

支援団体(袴田巖さんの再審無罪を求める実行委員会)は、街頭宣伝と東京高検、高裁への要請行動を行います。日程は、以下のとうり。
9月26日 
12:00 東京高裁前宣伝活動
12:45 東京高裁前、弁護団、姉ひで子さん激励
14:00 有楽町マリオン前、リレートーク、宣伝活動
    参加予定 元WBAミドル級チャンピオンボクサー 竹原慎二さん
         将棋プロ棋士 神谷広志さん
         絶叫歌人 福島泰樹さん
         布川事件冤罪被害者 桜井昌司さん ほか
9月27日
8:30   東京高裁前宣伝活動   
9:45   東京高裁前、弁護団、姉ひで子さん激励
10:00  東京高裁への要請、署名提出
11:00  東京高検への要請
13:30  即時抗告の争点と経過報告会
     会場:中央区立築地社会教育会館第1洋室

清水再審で警察官の職務犯罪を追及 「狭山差別裁判473号」刑事裁判の現風景 第49回

「狭山差別裁判 473号」(部落解放同盟中央本部発行)からの転載です。筆者は菅野良司氏。2015年に岩波書店から「冤罪の戦後史」を出版。なぜ冤罪が起きるのかを問う。帝銀事件、狭山事件、名張毒ぶどう酒事件、東電OL事件、足利事件など戦後の著名な17事件を取り上げ、日本の刑事司法の問題点を追及。
袴田事件を清水事件と呼んでいます。弁護団が追求している警察官の捜査上の犯罪がいくつもあります。それらがが分かりやすく叙述されています。

清水再審で警察官の職務犯罪を追及

ジャーナリスト 菅野良司


清水事件(いわゆる袴田事件)は、2014年3月27日に静岡地裁で再審開始決定から3年以上が経過するが、いまだに再審開始が確定していない。釈放された袴田巖さんは故郷の浜松で姉の秀子さんと暮らすがまだ無罪となっていない。東京高裁の即時抗告審になってから取り調べ録音テープが証拠開示され、違法な捜査、取り調べの実態が明らかになった。2016年12月、弁護団は捜査の違法を再審の理由として追加する申立てをおこなった。違法な捜査、取り調べは狭山事件と共通する。清水事件における取り調べ、捜査の不正の実態と再審理由追加申立ての主張を紹介する。

清水事件の再審は、2014年3月27日に静岡地裁で再審開始決定が出たが、検察官が即時抗告し、3年以上も経過した2017年4月現在も、東京高裁で抗告審が続いており、開始決定が確定していない。抗告審では、開始決定の大きな要因となったDNA型鑑定の信頼性が中心的な争点となっていたが、清水事件弁護団(団長・西嶋勝彦弁護士)は、2016年12月21日、捜査当時の警察官による職務犯罪が明らかになったとして、新たに再審理由を追加した。多くの再審事件がある中でも異例の再審理由とみられ、即時抗告審の行方が注目される。その職務犯罪とはどういうことなのか、弁護団の主張を紹介したい。

 録音されていた排尿音

即時抗告審に入った後の2015年1月30日、検察官が約48時間に及ぶ取り調べ録音テープをあらたに弁護団に開示した(本誌461号で既報)。袴田巖さん(81歳、捜査時は30歳。現在釈放中)が強盗殺人容疑で逮捕された当日である1966年8月18日から、起訴後の9月22日にいたる間の取り調べの様子を録音したものだ。検察官の説明によると、検察官には送致されていなかったテープで、2014年10月に静岡県警の倉庫から段ボール箱に入った状態で計23巻が発見されのだという。
そのうち、否認期にあたる9月4日の録音テープには、何と袴田さんが取調室内で排尿する音まで録音されていた。ジーッというような音とともに液体が何かにあたるようなピシッピシッとも聞こえる音が約10秒録音されていた。弁護団が作成したテープの反訳書によると、その音の前後には、袴田さんの「小便、行きたいんですけどね」という声と、「そこでやんなさい」「ふた(蓋)しとけ」などという取調官の声も録音されていた。

約8分も“がまん”させる

袴田さんが「小便、行きたいんですけど」と発言してから、便器が取調室内に運び込まれるまで最短でも約8分が経過している(録音がいったん中断した跡があるので、それより長い可能性がある)。その約8分の間にも取調官は、一方的に長舌をふるって袴田さんに自白を迫っているのが記録されている。例えば、こんな具合だ。

「いいじゃないか、もう、ここまで来れば。がんばるだけがんばってきただろう、おまえも。お?何も残すことないだろ?何もこれ以上言うことないだろう、おまえ、な。人間だったら、おまえ、こっちの胸飛び込めよ。なあ、そしてねえ、ひとつ胸を開いて、お互いに話し合おうじゃないか」
「潔く往生したらどうだ、おまえさん。おう?それがおまえさんの道じゃないか。ん?袴田、袴田。話できないか?ん?おまえさんがやったことに間違いないんだろ?間違いないんだろ?袴田、おい、お?返事をしなさい、返事を。間違いないんだろ?袴田、返事をしなきゃだめじゃないか」
自白を迫り、ヒタヒタと追い詰めるような取調官の執拗な問いかけや息使いを、文字で表現するのは困難だが、この約8分間の録音を聞いただけでも取り調べ圧力とは相当なものだ、と思い知らされる。

証拠なき有罪確信

9月4日前の8月29日に静岡県警幹部は取り調べの検討会を開き、「袴田の取調べは情理だけでは自供に追込むことは困難であるから取調官は確固たる信念を持って、犯人は袴田以外にはない、犯人は袴田に絶対間違いないということを強く袴田に印象づけることにつとめる…[袴田さんは=筆者注]犯人は自分ではないという自己暗示にかかっていることが考えられたので、この自己暗示をとり除くためには前述のように犯人だという印象を植付ける必要がある」との方針を固めていたことが、同県警が1968年2月に発行した清水事件の捜査記録から判明している。まさに証拠なき有罪確信だったが、取調官の誤った「確信」がリアルに伝わってくる録音内容である。
否認を続ける袴田さんは尿意を表明してから約8分間もこらえ、どんな思いで取調官の言葉を聞いていたのだろうか、と思う。この間に袴田さんが発したと思われる言葉は3回あるが、うち2回は録音が不明瞭で聞き取れない。便器が用意された後、緊張感からか、あるいは羞恥心からか、袴田さんがいったん「でなくなっっちゃった」と言った後に排尿音が聞こえてくる。
取調室内で取調官の見えるような状態で排尿する事態は、どう考えても異常だ(室内に衝立を用意したというような録音もない)。法律以前の問題であろう。短くとも約8分間の引き延ばし自体も人権侵害である、とだれしも思う。

取調官の偽証が判明

実は袴田さんは、確定一審当時から「トイレに行かせてもらえず、調べ室で排尿させられた」と違法な取り調べの実態を主張していた。取調官も、9月4日に清水警察署の取調室内で排尿させたことは認めていた。しかし、理由として「取調室から廊下を通って便所に行くには、新聞記者のカメラが放列をなしているので、袴田がこれを嫌がり、袴田から便器を持ってきてもらいたいとの依頼があったので、取調室内で排尿させた。衝立を立て、その陰でした」という趣旨の法廷証言をしていた(1963年2月19日、静岡地裁第24回公判)。写真を撮られたくないという袴田さんの希望によるもので違法性はない、と警察、検察は主張し、静岡地裁の確定死刑判決も室内排尿について言及していなかった。
ところが、今回の開示テープでは、袴田さんは「写真を撮られるのが嫌だから~」というような発言は一切していなかったことが判明した。逆に取調官が、「便器もらってきて」「ここでやらせればいいから」と他の捜査員に便器持ち込みを指示し、「そこでやんなさい」と袴田さんに命じる発言が明瞭に記録されていた。弁護団によると、便器持ち込みを指示し、命令した取調官の氏名は判明している(すでに死亡)。
また、新聞記者らによる「カメラの放列」についても、弁護団が当時新聞紙面を調べところ、9月4日に撮影された袴田さんの掲載写真はなかった。同日、袴田さんは午前、午後、夜と3回にわたる取り調べを受けているが、朝食、昼食、夕食は清水署一階の留置場でとっており、二階の取調室との間を少なくとも6回は行き来していたことが留置人出入簿から判明している。しかし、4日撮影の掲載写真がないことから(撮影しても掲載しなかった可能性も考えられる)、この日、カメラ放列はなかったのではないか、と弁護団は指摘している。

職務犯罪① 偽証

取調官らによる職務犯罪として弁護団が第一にあげるのは、偽証罪である。取調室内での排尿を袴田さんは依頼していないのに証言したこと。室内に衝立を持ち込んだ事実はないのに衝立を用いたと証言したこと。9月4日にカメラの放列はなかったのに、あったがごとく証言したこと。弁護団は、これらの法廷証言は偽証罪にあたり、警察・検察に有利に裁判を進めるためという偽証の動機も認められるとしている。

職務犯罪② 特別公務員暴行陵虐罪

刑法は、「裁判、検察もしくは警察の職務を行う者…が、その職務を行うにあたり、被告人、被疑者…に対して暴行または陵辱もしくは加虐の行為をしたときは、7年以下の懲役または禁錮に処する」と特別公務員暴行陵虐罪を規定している。弁護団は、取調室内で排尿させたこと自体が陵辱に該当するとしている。
陵辱については、「精神的または肉体的苦痛を与えると考えられる行為に及べば足り、現実にその相手方が承諾したか否か、精神的または肉体的苦痛を被ったか否かは問わない」とした判例があるという。袴田さんが辱められ、精神的苦痛を感じたことは自身の確定一審の法廷証言からも明らかである。さらにまた弁護団は、約8分間、排尿をこらえさせたこと自体も加虐にあたるとしている。加虐とは、有形力の行使以外の方法で肉体的な苦痛を与えることとされ、袴田さんが尿意を訴えているにもかかわらず、がまんさせ、その間執拗に自白を迫った行為は「実に忌まわしい加虐行為」と非難している。

職務犯罪③ 接見盗聴は公務員職権乱用罪

開示された録音テープには、テープの外箱に「8月22日 No.2 午後4時40分~45分 岡村弁ゴ士」とメモされたものがあった。録音内容を確認すると、弁護士らしい人物が袴田さんの家族から弁護を頼まれた趣旨を説明し、「検事に会って、面会許可をもらって[きた]」「私とうちにいる弁護士、二人ついている」「子供のことは心配するなってな、みんなして面倒みるから」などいう言葉が約5分にわたり録音されていた。
これに応じる袴田さんの言葉としては、「パジャマにね」「血がつた」「そう言われても僕わかんないですよ」「全然知らないのに」などの言葉が断片的に録音されていた。
弁護団は、当時、袴田さんの弁護人を務めていた岡村鶴夫弁護士が袴田さんの逮捕後初めて接見した8月22日の様子を捜査官が密かに盗聴録音したことが明らかだ、としている。
刑事訴訟法は、被疑者や被告人と弁護士が立会人なくして接見できる旨(いわゆる秘密交通権)を規定している。それにもかからず、警察が接見を盗聴していたことは、公務員職権乱用罪にあたる、と弁護団は主張している。

盗聴を知っていた袴田さん

袴田さんは、取調官ら警察官が弁護士との接見を盗聴していた、と確定審の上告趣意書で訴えていた。その中で袴田さんは次のように語っている。
「弁護人と接見する際には、刑事等前もって私に対し弁護士に言いつけたら後で半殺しにしてくれるからなあ、と言い渡し、刑事等が盗聴しているのであります。でありますから、私に対する拷問、虐待、長時間の法を犯した取り調べの真相を弁護人に訴えることができなかったのであります…刑事等の違法行為を弁護人に訴えれば、その後の反動的な取り調べで、私は生命にも係る拷問虐待を強いられることは火を見るよりもあきらかであったのでございます」
今回、その接見が盗聴されていたことを示す録音テープが開示されて初めて袴田さんが訴えていたことが真実であったことが明らかになった。実に捜査時から50年越しに白日のもとにさらされた。検察へ未送致とされる証拠を含めて、証拠開示の重要性があらためて気づかされる思いだ。

職務犯罪④ 盗聴否定の偽証

接見時に袴田さんが盗聴されていること訴えることができなくとも、当時の弁護士は、それとなく接見盗聴を疑っていたのかも知れない。確定一審の第24回公判で、取調官が証言台に立った際、袴田さんの弁護士(原隆男・弁護士)は、「接見の内容を盗聴器で聞くようことは絶対にないですか」と、実にストレートな質問を浴びせていた。これに対し、取調官は「はい、ございません」と、これもまた明瞭に否定していた。接見盗聴を公判廷で否定したこの取調官は、主任取調官で前述の便器持ち込みを指示し、室内排尿を袴田さんに命じた人物でもあった。
弁護団は、この取調官が盗聴を否定した法廷証言は偽証罪にあたるとしている。

職務犯罪⑤ 虚偽公文書作成罪

今回開示された録音テープの内容とは離れるが、弁護団は、清水事件で長く問題となってきた「五点の衣類」のうち、鉄紺色ズボンの寸法についても、警察官の犯罪があったとしている。袴田さんは確定控訴審で3回にわたり、このズボンを装着してみたが、袴田さんの太もものところで止まってしまい履けないものだった。
なぜ、履けないズボンが犯行着衣と認定されたのか。ズボンを含めた「五点の衣類」は事件発生から1年2か月後の1967年8月31日に袴田さんが働いていた味噌工場の味噌タンクから発見されたのだが、発見の模様を記録した実況見分調書(9月4日付)には、ズボン内側の寸法札に「寸法4 型Bと記載されている」と記録されていたからだった。
後に、「型B」とは肥満型の人向けのタイプで、「B体はウエストサイズ84㌢であった」とズボン製造会社F社の役員が法廷証言(ただし、本件ズボンがB体だ、とは証言しなかった)するなどしたため、販売時にウエストが詰められるなどして犯行時にはウエスト約80㌢あり、ウエスト約76~80㌢の袴田さんは6履けたはずだ、と認定された。実際に法廷で実物のウエストを計ってみると、68~70㌢であり、袴田さんより約10㌢も小さなものだった(本件ズボンを袴田さんが試着した写真を見ると、ズボンは腰まで上がらず、太もも部分で止まっていることが分かる)。にもかかわらず、ズボンの素材が乾燥して縮んだとか、袴田さんが逮捕、勾留中に太ったからだなどという理由で犯行着衣と認定されたシロモノだった。

判読不明だった寸法札

実況見分調書に「型B」と記載した捜査員の名前は判明している。この調書に写真の添付はなかった。ところが、発見当日である8月31日には寸法札の写真撮影がなされており、この写真によると、Bの左横の文字あるいは記号は滲んでしまって判読不明で、とても「型」と読めるものではなかった(撮影していた事実が明らかになったのは、確定控訴審の段階だった)。実況見分調書に「型」と記載した捜査員は、実際には判読できないのに「型」と記載したことになる。弁護団は、この判読できないにもかかわらず、あえて「型」と虚偽の記載をしたことが、有印虚偽公文書作成罪とその行使罪にあたる、と主張している。

「色」と「Y体」の隠蔽

判読できないものを「型」と記載した事実は、重い。この背景には、捜査側の重大な悪意が潜んでいたことが判明している。実は、静岡県警捜査本部はズボン発見直後の9月4、5日にF社に捜査員を派遣し、Bは大きさや体形を表す記号ではなく、色調を表す記号で、Bの左脇にある滲んだ文字はもともと「色」と記されていたことを把握していたのだった。さらに9月中旬には、「Bは色調を表す記号で、グリーン系であることを表していた」という趣旨のF社専務の供述調書や、「本件ズボンの巾から判断すると、普通の体格で若向き用のY体である」という趣旨の縫製従業員の供述調書も作成していた(これらの調書が弁護側に開示されたのは、第二次再審が静岡地裁で審理されていた2010年9月13日になってからだった)。
つまり9月4日付の実況見分調書で、判読不明なものをあえて「型」と読み、その直後に「色」であることが判明したにもかかわらず、県警は訂正もせず、これを隠蔽していたのだった。従業員の言う通りY体であるなら、鉄紺色ズボンはY体4号のズボンであり、その規格はウエスト76㌢、小売店で約3㌢詰められているので販売時には約73㌢だったとみられる。実測値が68~70㌢とすると、何らかの理由でさらに5~3㌢ほど縮んだことになる。どのみち、袴田さんには履けないズボンだった。
寸法札には「寸法4 色B」と記載されていたのだった。「寸法」は読み取れるのに、なぜ「色」の部分だけ判読不能になっていたのか、不思議である(「寸法」「色」の文字は不変であるため、同じ素材で印刷されていたのかも知れない。「4」「B」は変動するため、別の素材で記載されたものと思われる)。
筆者があえて邪推すれば、実況見分調書が作成されたのは、実際は9月4日ではなく、「色」であることが判明して以降の9月中旬ころではなかったか、と思われる。8月31日が撮影日とされる寸法札の写真自体も、実は9月中旬ではなかったのか。その間に、「色」の部分だけを読めないように何らかの工作をしたのではないか。静岡地裁の再審開始決定で、ズボンを含めた「五点の衣類」全体の捏造が指摘された現時点で、この邪推はささいな的外れかも知れない。いずれにしても、実況見分調書に「型」と虚偽記載し、これを隠していた罪は重い。

異例の「7号申立て」

事件の捜査にあたった警察官による取調室内排尿に関する偽証罪、排尿それ自体に関する特別公務員暴行陵虐罪、接見盗聴に関する公務員職権乱用罪と偽証罪、ズボンの寸法札に関する有印虚偽公文書作成罪。これら5件の犯罪が成立するとして、どうして再審理由になるのだろうか。
袴田さんが虚偽自白に陥った後に、警察官が作成した自白調書はすべて任意性がないとして排除され、確定死刑判決の証拠にはなっていない。だから、室内排尿と有罪認定の証拠とは、直接的な結びつきはない。5件の職務犯罪の発覚は、刑事訴訟法435条6号が再審理由として規定する「無罪…を言い渡[す]…べき明らかな証拠をあらたに発見した」場合には、直接的には該当しにくい。多くの再審事件は、この6号による無罪証拠をかかげて争うケースだが、今回、弁護団は、同条7号に規定された職務犯罪が証明された場合にあたる、と主張している。

適正な捜査を求める7号規定

435条7号は、証拠の作成に関与した警察官や検察官らが「被告事件について職務に関する罪を犯したことが確定判決により証明されたとき」は再審請求できるとしている。この規定はそもそも適正な公務執行や裁判の公正さを確保するために設けられたとされる。ここにいう「職務に関する罪」とは何を指すのか。同様の規定が置かれた旧刑事訴訟法の時代には贈収賄など汚職関連の罪に限定されるという判例(1937年6月8日、大審院判決)があるそうだが、弁護団によると、限定的に解釈する理由はなく、幅広く解釈するのが有力だという。
袴田さんの場合、逮捕、取り調べ、起訴、公判と進む経過の中で、それらに関係した警察官らが本来の職務に密接に関連して犯した犯罪も含まれる、というのが弁護団の見解だ。室内排尿させることは本来の警察官の職務ではないが、取り調べという本来職務に密接に関連してなされたものである。法廷偽証は、取り調べという本来職務の状況を証言する際に行われたものだ。寸法札に関する虚偽公文書作成は、本来職務である実況見分調書作成にあたりなされたものであり、本来職務そのもので犯罪を行ったことになる。

横浜事件では6号で再審開始

筆者はこれまで捜査に関係した警察官に対して偽証罪が成立し、有罪判決が確定したという例を知らない。横浜事件では、捜査にあたった特高警察官に対し特別公務員暴行傷害罪(物理的に有形力を行使した暴行によって傷害した)の有罪判決が確定しているが、再審理由としては6号の無罪証拠として扱われ、最終的に認められた(横浜事件第三次再審請求の東京高裁即時抗告審決定、本誌468号参照)。捜査関係者の職務に絡んだ犯罪が立証されるケースが極めてまれであるため、7号を理由として再審請求することは困難だ。これまでの著名再審事件では、ほとんど例がないのではないかと思われる。

確定判決がなくとも事実の証明で

7号は、職務犯罪が「確定判決により証明されたとき」と規定しており、警察官らの確定有罪判決を求めている。清水事件では、排尿させた取調官らの確定有罪判決はない。偽証の公訴時効は7年、特別公務員暴行陵虐罪は5年、有印虚偽公文書作成罪は7年で時効になる。それらの犯罪は約50年も以前の行為であり、とっくに時効が成立している。しかもすでに死亡している取調官もいる。確定判決は得られそうにない。
再審の手続きに関する刑事訴訟法の規定は数少ないが、その中の437条に、警察官らの「確定判決を得ることができないときは、その事実を証明して再審の請求をすることができる」という規定がある。今回、弁護団はこの規定を援用している。開示された録音テープの内容から、偽証や陵虐、盗聴の事実が合理的疑いを超えて明かであり、実況見分調書の虚偽記載も寸法札の写真などから明らかだ、としている。

理由の追加は認められるか

7号による再審申立て理由の追加には、もう一つの課題がある。清水事件は第二次請求審一審の静岡地裁で再審開始決定が出て、即時抗告審の段階にある。請求一審段階で主張しなかった再審理由7号を、抗告審段階であらたに主張することが認められるかどうか、である。
著名な白鳥事件の再審請求で、最高裁は、請求一審段階で主張しなかった再審理由を請求二審以降に主張するのは不適法だ、という趣旨の決定を出している(1975年5月20日、最高裁第一小法廷、白鳥決定)。また、狭山事件の第二次再審請求では、異議審で同じ6号の無罪証拠をあらたに追加することは不適法という趣旨の決定を出している(2005年3月16日、最高裁第一小法廷決定)。
しかし、清水事件弁護団は、これらの判例を「形式的かつ硬直的な運用である」として非難している。具体的に清水事件の第一次再審即時抗告審では、東京高裁が職権であらたに「五点の衣類」のDNA型鑑定を採用したことがあり、請求一審ではなかった新事実や新証拠を抗告審の審理対象にしたことがあった。抗告審段階であらたな無罪証拠を提示することが不適法なら、この場合、東京高裁自らが判例違反を犯したことになってしまう、と弁護団は指摘している。室内排尿や取調官の偽証は、抗告審段階になってから検察官が開示した録音テープによって初めて明白に証明されたわけで、その主張を封じることは無辜の救済という再審制度の理念を著しく損なうものと言わなければならない。

おとり捜査事件で7号再審

435条7号を再審理由に追加することに関連しては、最近のニュースがある。1997年に北海道小樽市で拳銃を所持していたとしてロシア人船員が銃刀法違反で逮捕され、懲役2年の有罪が確定した事件があった。この事件の弁護団が「警察の捜査協力者である人物が、拳銃を持ち込むよう船員に求めた違法なおとり捜査だった」とする元捜査員の新証言などを6号の無罪証拠として再審請求したところ、札幌地裁は元捜査員らの証人尋問などを行った上で2016年3月3日、これを認め「おとり捜査による違法収集証拠を排除すると、犯罪の証明がない」などと6号の理由があるとして再審開始を決定した。
これに検察官が即時抗告したが、札幌高裁(裁判長・高橋徹、裁判官・瀧岡俊文、深野栄一)は同年10月26日、6号の再審理由にはあたらないとした上で、あらたに職権で7号の理由があると判断して再審開始を支持、即時抗告を棄却し、確定した。同高裁は、元捜査員らはおとり捜査を隠蔽するため捜査協力者が存在しなかったような虚偽の捜査書類を作成しており、これが虚偽公文書作成罪にあたり7号に該当する、公訴時効などで確定有罪判決は得られないものの「合理的な疑いを超えて証明されたと認めることができる」ので437条にも該当すると判断した。この弁護団は一貫して6号による再審開始を求めており、7号、437号の適用はまったく主張していなかったにもかかわらず、である。
先の白鳥決定が、6号以外のあらたな再審理由を請求二審以降で主張することは許されない判例とするならば、銃刀法事件再審の札幌高裁は、これまた職権で重大な判例違反を犯したことになってしまうのではないだろうか。ちなみに、このロシア人船員には2017年3月7日、札幌地裁の再審公判で無罪が言い渡され、確定している。7号再審が極めて異例な中で、小樽銃刀法事件の再審例は清水事件再審の行方に大きな影響をもたらすとみられる。

旧有罪証拠が虚偽の場合

有印虚偽公文書作成罪が成立すると清水弁護団が主張する「型」記載の実況見分調書は、新しい証拠ではなく確定死刑判決の証拠として標目にかかげられている。再審の理由として刑事訴訟法435条1号は「原判決の証拠となった証拠書類または証拠物が、確定判決により偽造または変造であったことが証明されたとき」と規定しており、ここにいう「偽造」には、作成権限のある者による虚偽証拠(「型」と記載した実況見分調書)も含まれるとされる。弁護団は、実況見分調書が虚偽証拠と確定判決で証明されたわけではないが、「証明されたことに該当する」と主張し、同条1号理由による再審申立ても追加している。

テープは6号新証拠

清水弁護団は、取調官の偽証などを明らかにした録音テープの反訳書などは、435条7号、437条だけでなく同時に、435条6号の無罪を言い渡すべき新規明白な証拠でもある、とも主張している。警察官の職務犯罪行為は、「五点の衣類」の捏造へつながったことを強く推認させ、再審開始決定の正当性を一層強固にする新証拠にも該当するというわけである。
2016年12月21日に東京・霞が関で記者会見した西嶋勝彦・弁護団長は「即時抗告審はDNA型鑑定だけが焦点ではなく、違法な捜査だったことを世間の人々にわかっていただきたい」と強調した。小川秀世・弁護団事務局長は「重大な職務犯罪が行われていたことが明らかになった。数々の違法行為が積み重ねられており、7号理由だけで再審開始が確定してもおかしくはない状況だ」と語った。
村﨑修・弁護士は「取調室内における排尿は、拷問に匹敵することが行われたことを示している。そうした違法捜査の体質は、即時抗告審に入って密かに大規模な味噌漬け実験をしていたことに表れているように現在も続いている」と指摘した。
清水再審はもはや、検察官が一刻も早く即時抗告を取り下げ、再審公判を始めるべき時期ではないだろうか。

「神を捨て、神になった男(第1回)」  雑誌「世界」(岩波書店発行)2017年1月号

神を捨て、神になった男(確定死刑囚・袴田巖)

雑誌「世界」2017年1月号第1回「袴田事件なんか最初からないんだ」
文・写真:青柳雄介
※画像をクリックすると、別ウィンドウでPDFファイルが開きます(PDF:2.17MB)。
雑誌「世界」(岩波書店発行)2017年1月号より転載

第2回以降は、雑誌「世界」をお買い求めいただき、ご購読ください。

死刑が緩和される方向に向けて  安田好弘講演(『フォーラム90』154号 より転載) 

安田好弘弁護士7月13日、金田勝年法務大臣は、西川正勝さん(大阪拘置所)、住田紘一さん(広島拘置所)の死刑を執行した。西川さんは再審請求中で、住田さんは裁判員裁判の一審で死刑判決を受け、弁護人の申し立てた控訴を自ら取下げ死刑が確定していた。死刑事件は必要的上訴を制度として導入すべきだろう。国会での答弁で法相の資質を問われた金田法相が死刑の執行をしたのである。フォーラム90は今回の執行の問題を考え、抗議していくために7月27日17時30分から衆議院第一議員会館国際ホールで集会を持ち、集会決議を法相事務所に届けた。ここに掲載した安田弁護士の講演はその集会発言である。(初出『フォーラム90』154号)
※安田好弘氏は、死刑が求刑された事件の刑事弁護を数多く担当し、死刑判決を多数回避させてきた経歴を持つ。死刑廃止主義者。 また、大手マスメディア、テレビなどの出演依頼はほとんど断るマスメディア嫌いとしても知られる。

安田好弘

 

1、7月13日の執行

7月13日に、大阪拘置所で西川正勝さんが、広島拘置所で住田紘一さんが処刑されました。西川さんは61歳、住田さんは34歳。お二人に対する死刑執行は、どちらもたいへん大きな問題を抱えていて、それについて少しお話をしたいと思います。
今回の死刑執行ですが、僕たちはあの法務大臣だったらやるだろう、時期としてもこの国会が終わった後、内閣改造前にやるだろうと危機感を持っていました。しかし、私たちの予測をさらに超えたのは再審請求中の人を執行したことです。そこまではやらないだろうと思っていたのですが、この大臣はやってのけました。その問題点についてもお話ししていきたいと思います。いずれにしても安倍内閣はこれで29人を執行したことになります。過去最大の数です。現在、死刑確定者は125人ですから、その4分の1に近い人を彼の内閣で執行したわけです。確かに、刑法では、法務大臣が死刑執行を命令するとなっていますけれども、死刑執行は閣議報告事項として報告されると言われています。また、事前報告もされているという説もあります。ですから、内閣総理大臣たる安倍晋三総理がこの死刑執行についてまったく知らされていないとは言えないと思いますし、それなりに指導性を発揮できる場面もあったのだろうと思います。この大量の死刑執行は、安倍総理の意向に反しないものであると言えるだろうと思います。ですから、安倍内閣が続く限り、容赦なく死刑が執行されると考えなければなりません。
特に、今回は休会中の死刑執行です。しかも金田勝年法務大臣の退任が目の前に迫っている中で行われた執行です。ですから、彼は、国会での質問に応じる必要もありませんし、法務大臣としての政治的責任も負わなくてもいいということですから、無責任というそしりを免れませんし、法務大臣にのみに死刑執行命令の権限を付与した法の趣旨に反する執行だと思います。

2、法を無視した再審請求中の執行

再審請求中の執行について少しお話をしなければならないと思います。かつて1999年に福岡拘置所の小野照男さんに対して再審請求中の執行がありました。私たちが知る限りでは、再審請求中の執行はこの1件だけですが、小野さん以前に4件ほど再審請求中の執行があったと言う人もいますが、確認がとれていません。
どうして、このような異例のことを金田法務大臣がやったか。今日の資料の3ページに「法務大臣臨時記者会見の概要」が掲載されていますが、そこを見ていただきながら、敢えて読んでみたいと思います。
「もし再審請求の手続き中はすべて執行命令を発しない取り扱いをするものということであるならば、死刑確定者が再審請求を繰り返す限り、永久に刑の執行をなしえないということになりまして、刑事裁判の実現を期するということは不可能になるものと言わなければならないところでございます。従いまして、死刑確定者が再審請求中であったと致しましても、当然、棄却されることを予想せざるをえないような場合におきましては、執行を命ずることもやむを得ないと考えております」。
皆さんに見ていただいている文章(註)と比べて、言葉の語尾は違うものの、その内容は、全く同じです。私が読み上げたものは、1999年に小野照男さんに死刑が執行されたときに、当時の臼井日出男法務大臣が、2000年3月14日の参議院の法務委員会で福島みずほさんの質問に対して答えたものです。皆さんに見ていただいているのは、今回の執行で金田法務大臣が7月13日に記者会見で述べた言葉です。全く同じと言っても過言ではありません。これはどういうことでしょうか。一つは今から18年前に再審請求中の人を死刑執行したことが、今ゾンビのように甦ったということであろうと思います。もう一つは法務官僚が作文をしており、しかも17年前の法務官僚の作文が、未だに生きているということです。つまり死刑執行は政治家が決断しているのではなく、法務官僚が行っており、執行の説明さえも彼らが考え、大臣が記者会見で話す言葉さえも用意している。しかもそれが17年の間、廃棄されずに生き続けているということだろうと思います。これが日本の死刑執行の実態です。そうすると今回、金田法務大臣が再審請求中の死刑執行をしたのは、彼の政治的な考え方やパーソナリティの問題ではなく、いよいよ法務省が再審請求中の執行に乗り出してきたということではないか。18年間控えてきた再審請求中の執行をいよいよ復活させたと考えていいだろうと思うんです。
ところで、金田法務大臣は、現在の法律では再審請求中であっても死刑の執行はできる、法律はそういう規定だと言っています。過去の法務大臣も同じように言っていますし、法務省の官僚も同じように言っているんですけれども、しかしもう一度、本当に法律はそうなっているかということを考えてほしいと思います。私は、法務省や法務大臣の考え方は間違いだと思います。憲法32条は、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」と規定しています。再審もまさにこれに該当します。再審請求中に死刑が執行されると、再審はどうなるかというと、それで棄却、つまり打ち切りになってしまいます。もっとも、執行された人の相続人は再審請求ができますけれども、新たな再審請求を起こさなければならない。ですから死刑執行は、その人の裁判を受ける権利を根本的に奪うことになるわけです。つまり憲法32条違反であるわけです。それから刑訴法475条には法務大臣が命令する、6カ月以内に死刑執行命令を発しなければならないとありますが、これには但し書きがあって、再審請求をしている場合は、この6カ月間の中に算入しないと書かれています。しかし、6カ月経過後の再審請求については何ら規定をしていません。この条文の作成者は、死刑は6カ月以内に執行してしまう建前であるから、6カ月後のことについては規定する必要がないと考えたのだと思います。しかし、この6カ月以内に執行するとの規定が法的強制力がないとされている現行制度の下では、6カ月以降については、6カ月前と同じく再審請求中の人は死刑を執行しないと解釈すべきであると思います。誤って死刑を執行してしまう危険を回避しようとするこの条文の趣旨は、6カ月経過しようとしまいと同じです。条文上は、6カ月経過すれば再審請求中であっても死刑執行できるとは何処にも書かれていないのです。しかし、法務省及び法務大臣は、先に述べましたとおり、6カ月経過後は、再審請求中であっても死刑執行をすることができると解釈しています。しかし、それは条文解釈の一方的な解釈にすぎませんし、6カ月以内に執行しなければならないという建前の下にはじめて成り立つ解釈だと思います。再審請求中の死刑執行については、憲法で保障されている裁判を受ける権利、あるいは人権尊重の考え方から、また誤った死刑執行を防止する趣旨から、今一度、議論しなおし、法律上、死刑執行禁止を明示すべきであると思います。
先ほど読み上げましたように、法務大臣は再審請求中の死刑執行の正当性について、「もし再審請求中なら死刑執行できないということであれば、いつまでも死刑執行できなくて法の実現が不可能になる」と言っています。しかしそれは大きな間違いだと思うんです。再審請求は開かずの門であると言われているように、再審請求には、証拠の新規性及び明白性というたいへん厳しい要件が課せられています。確定審で取り調べられたことのない新たな証拠で、しかも、その証拠から無罪または軽い罪に当たることが明白でなければならないとされています。ですから、再審請求すること自体がそもそも困難なわけです。簡単に再審請求を申し立てすることはできません。私どもはよく再審請求をするためには新しい証拠、そして明白な証拠、つまり明白性と新規性がないといけないと話し合っています。新しい証拠で、その証拠によって無実であることが分かるものでなければならないという条文があるんです。つまり、そう簡単に誰も再審請求できないんです。しかも、刑訴法447条2項には、「何人も、同一の理由によっては、更に再審の請求をすることはできない」とあり、連続して再審請求をすることも禁止しています。ですから、「再審請求中に執行できないならば永久にできない」というのは前提として誤りです。もし、このような規定があっても、乱訴的な再審請求がなされ、結果として死刑が執行できないという事態が生じるならば、それはそれとして、立法問題として議論し、法律を変えるか、あるいは法律にさらに付け加えるかすべきだと思います。法務大臣や法務官僚がご都合論で法律の解釈をし、再審請求中の死刑執行をするというのは、およそ許されるべきではないと思います。
さらに先ほども読み上げましたけれども、彼らは再審が棄却されることが明らかな場合は執行できるのだと最後に付け加えています。しかし、これは法律の規定を完全に無視しています。三権分立のもと、再審は唯一裁判所だけが判断することになっています。行政が判断することは許されていません。しかし今回、再審が認められるかどうか、再審の理由があるかどうかを法務大臣あるいは法務官僚が判断して執行するというわけですから、これは明らかに越権行為です。ですから今回の執行は、法律の解釈を、死刑執行ができるように歪め、越権行為をした上で、死刑を執行したわけですから、大きな問題である以前に、犯罪的な行為ではないかと私は思うわけです。
さらに申し上げなければいけないのは、この法務大臣、法務官僚の認識は完全に間違っていまして、死刑事件の再審の実態を全然理解していないと思います。ちょっと調べてみましたところ、免田栄さんの再審は第6次再審でようやく認められています。島田事件の赤堀政夫さんは第4次再審です。名張の奥西勝さんのケースですと、第9次再審中に病気で亡くなっています。しかも名張事件については第7次再審で、一旦再審開始決定が出ているんです。徳島ラジオ商事件ですと第6次再審です。こういうことが再審の実態なわけです。つまり、再審請求を繰り返さないと再審は実現しないというのが今の日本の実情なのです。法務省はこの事を十分に知っているにもかかわらず、「理由もなく繰り返す」と非難しています。とんでもない実態無視だと思います。
さらにもう一つ実態として申し上げなければならないのですが、私どもが死刑事件を担当していて分かるのですが、死刑事件には、冤罪が非常に多いんですね。統計的にみても免田さんと同じ時期に再審無罪になった死刑事件が4件あったわけです。戦後の死刑事件が約450件ぐらいしかなかった中での4件の冤罪ですから、たいへん高い冤罪率です。そこだけみてもお分かりになると思うのですが、死刑が問われる事件というのは、多くは殺人事件が伴い、現場は悲惨で凄惨で見るに堪えない状況です。その現場を見た捜査員はどう思うでしょうか。「こんなことをやる人間はたいへん悪い奴だ。強い犯意でやったに相違ない。用意周到な計画の下にやったのだろう。このようなことをやる人間は、もともと反社会的で危険な存在だったはずだ」。こういうふうに見てしまうわけです。現場の凄惨さに見合った犯行態様と犯人像を作り上げてしまうのです。そして、その認識に合わせて被疑者・被告人の供述は作られていくわけです。
しかし実際に逮捕された被疑者・被告人はどうかというと、本当に消え入りたいほどの思い、反省・悔悟の思いの中にあって、自分はその時、どういうつもりであったと言って、取調官に対し抗弁したり弁明したりするなんてことは、およそそのような力はありませんし、仮にあったとしても、自分自身に抗弁したり弁明したりすることは認めないわけです。その結果、非難されるままにその非難を受け入れる、あるいは捜査官が作り上げた解釈をそのまま受け入れる。せめて、そうすることが、せめてもの反省の証しだと思うわけです。ですから事実と違うことが証拠としてどんどん作られていってしまいます。私もよく経験するんですけれども、強固な犯意があったかどうか、計画的であったかどうかという点については、ほとんどの場合、現実と違う事実になっているわけです。そして本当はどうであったのかということをようやく言えるのが、死刑が確定し、自分がやったことを客観的に見ることができて、そして事実を検証することができてはじめて、「あ、この判決は間違っている。自分のやったことと違うことが書いてある」と気づくわけです。それでようやく再審請求が始まるんです。ですから、再審請求をするには相当な時間が必要です。しかも、それを手助けしてくれる弁護士はおらず、自分でたどたどしくやり始める以外にありません。とらわれの身であって、自由に証拠を探すことができるわけではありませんので、同じ証拠で再審を訴え続けるしか方途がありません。法務省は、こういう実態を知っているはずなんですね。しかし、彼らは、「ためにする再審」と言って、死刑確定者の人たちのする再審を「延命の手段だ」と言うわけです。死刑事件の実態をあえて捨象して、今回の法務大臣のような弁明をしているわけです。これが、今回の西川さんに対する再審請求中の死刑執行の問題だと思います。

3、審理はつくされてはいない

それから住田さんについてです。住田さんは裁判員裁判で死刑が宣告され、弁護人が即日控訴したんですね。弁護人は被告人とは独立して控訴権を持っていますから、本人の意思に反しても控訴できるわけです。過去には本人に控訴する意思がないため控訴しなかった弁護人もいましたけれども、今は本人の意思に反してでも控訴をするというのが弁護人の共通認識になっています。このケースでも本人の意思を無視して弁護人が控訴をしたわけです。
住田さんの事件は前科がなく、被害者の方が一人という事案でした。被害者一人のケースですと、よほどのことがないと死刑にはなりません。死刑が議論されるのは、だいたい被害者が二人からのケース。単純殺人ですと、被害者が二人でも死刑にならないケースが多いと言われているのですが、住田さんの場合は被害者が一人で死刑判決だったわけですから、弁護人とすれば当然、上級審でもう一度判断してほしい、従来の死刑基準からすると重すぎると考えるのがあたりまえです。しかし住田さんは自分から控訴を取り下げるということをしました。
私も同じようなケースを体験して思ったことですけれども、それは裁判員裁判が持っている欠陥に原因しているのだろうと思います。裁判員裁判の法廷では、裁判官・裁判員がひな壇に9人ずらっと並んでいます。被告人からすれば、それだけでも圧倒的な雰囲気です。そして検察官が複数人並び、そのすぐ後ろに被害者遺族の人と補佐人。被告人を厳しい目で見つめる目があります。反対側に弁護人が1人か2人、そして被告人。被告人は本当に法廷の中で存在自体が小さくそして孤立している状態です。しかも5?7日で審理が終わり、判決が出るという状態です。被告人の話を十分に時間をかけて聞いてくれることもありません。そして、あっという間に死刑判決が出る。そういう中にあって、被告人は、裁判に期待を抱くことができるでしょうか。法廷に出ることでさえ、たいへんな苦痛であろうと思います。裁判員裁判は、控訴あるいは上告して争ってまでして公正な裁判を得ようという意識、意欲そのものを潰してしまっているのではないかと思うわけです。
裁判員裁判では連続的に1週間あるいは10日間ぐらいのスケジュールで判決が出てしまうのですが、その間被告人には当時のことを思い出し、見直して、誰かに話をする機会もないわけです。このような短い期間では、被告人は、傍聴人と接触したり交流する機会がないということです。今までは公判は1カ月に1?2回のペースでしたので、その間に傍聴人が被告人に手紙を出し、あるいは拘置所に出かけて行って面会をして、交流が始まることが多くありました。そういうなかで死刑事件の被告人は、ようやく自分を取り戻すと言うんでしょうか、自分を見直し、自分のやったことに正面から向き合う。もちろん被害者にも向き合う勇気が出てきて、はじめて反省・悔悟の気持ちが生まれ、そしてもう一度やり直してみよう、あるいは謝罪して一生生きていこうという気持ちが生まれてくるわけです。しかし、そういう機会を裁判員裁判は完全に奪い取っているわけです。ですから裁判員裁判の悪い面が、控訴の取下げという今回の結果を生んだと言えると思います。
法務大臣は記者会見で、「記録を精査し、再審事由や上告理由があるかどうか調べ、そして死刑執行の命令を出した」と言っていますが、記録を精査したと言うのならば、住田さんのケースは、一審しか審理されていないことがすぐ分かるはずです。まったく審理不十分で、住田さんには審理を受ける権利が保障されていなかったということが分かるはずです。法務大臣が説明している中身を見ますと、重要な部分が欠けているんです。「個々の事案について関係記録を十分に精査し、刑の執行停止」これは心神喪失の場合など刑の執行停止が法律に規定があることです。「再審事由の有無等について慎重に検討し、これらの事由等がないと認めた場合に初めて死刑執行命令を発すること」ができ、自分はそうしたと言うわけです。しかし、そこには、欠けているものがあります。過去の法務大臣は、「再審事由」の次に、「恩赦の事由」という言葉を入れていました。死刑確定者は恩赦を受ける権利を有しています。日本が批准している国際人権規約のB規約第6条には、死刑確定者には恩赦を求める権利があると書かれています。しかし、彼は、それすらも理解しておらず、恩赦という言葉を言い忘れてしまっているわけです。今回、住田さんのケースですと、上告審まで審理されていないということ、過去の死刑適用基準からすると死刑判決は重すぎることからすれば、それを是正するには恩赦しかなかったはずなんですけれども、それを彼は完全に忘れてしまっていたわけです。
私どもはこういう不幸をなくすために、自動上訴制度を設けるよう訴えています。本人が望むと望まざるにかかわらず、死刑という極限的な刑罰を科すためには、十分に三審まで審理を尽くすということを制度として保障するようにと要求しているわけですが、こうした要求について彼らはまったく耳を貸そうとしていないわけです。

4、今後の課題

今回の執行については、日弁連や駐日EU代表部からも抗議声明が出されており、さらに全国の弁護士会やドイツ、フランスの大使などからも、これから抗議声明が出てくるだろうと思います。しかし法務省、法務大臣はそれらを一顧だにすることなくさらに死刑を行ってくるだろうと思います。
そういう中にあって、私たちは何をやっていくかということです。死刑廃止にとって、現在もたいへん厳しい状況にあります。圧倒的多数の人が死刑存置を支持していますし、死刑廃止は、政治課題になろうともしていません。とりわけ、強固な排斥主義が台頭し始めていますし、安保法制、共謀罪等々、治安法制がますます強化されています。このような状況の中で、どのようにして突き進んでいくか、本当に、真剣に考える必要があると思います。私たちの運動を常に客観視して、多面的な視点で捉えることが必要だと思います。私は、私たち少数派が少しでも前進することができるとするなら、一歩一歩、死刑が廃止される方向に、つまり具体的には死刑が少なくなる方向に、言葉としては、死刑制度が緩和される方向に、そして多面的に物事を動かしていくしかないだろうと思うんです。死刑廃止か存置かという対立軸ではない、そして死刑廃止とは違う考えに基づく、もう一つの選択肢、終身刑の創設と死刑全員一致制を考えなければならないと思いますし、先に申し上げた必要的上訴の創設を求めていくことも大切ですし、恩赦の権利化や死刑確定者に対する必要的弁護制度の創設も求めていく必要があると思います。こういう個別具体的な要求実現の運動を、死刑廃止・存置という対立軸の運動とは別の視野と問題意識でやっていく必要があると思います。そして少しでも死刑の判決を少なくし、執行を少なくし、そして死刑の是非について冷静に考えられる、判断できる土壌、環境を作っていく必要があると私は思っています。
皆さんも同じ思いだと思います。手を取り合ってやっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

意見広告賛同金のお礼

2017年9月1日

この度は、無実の死刑囚袴田巖さんの支援アピールとしての新聞意見広告にご理解と激励をいただきありがとうございました。
また、多くの方より賛同金を賜り、御礼申し上げます。住所の記載があった方には領収証をお送りいたしました。が、氏名のみの方にはこの場にて感謝の意を申しあげます。ありがとうございました。

さて、東京高裁の審理はすでに3年5か月が経過し、本年6月になって、1年半余りの時間をいたずらに費やしただけのDNA鑑定検証実験の結果が漸く提出されました。そもそも検察の主張する検証実験に対して弁護団は必要性を認めず、巖さんや請求人の秀子さんが高齢でもあることから、反論があるなら再審公判ですべきであると主張して来ました。にもかかわらず、結局裁判所は検察推薦の鑑定人による検証実験の実施を強行しました。
そして、先月行われた三者協議において、来る9月26日及び27日の両日にわたり、鑑定人尋問が行なわれることとなりました。さらに裁判所は、この鑑定人尋問を経て、年内の最終意見書の提出、年度内の結論を想定しています。しかし、この間の裁判所の検察寄りの訴訟指揮では、無意味な検証実験に強引に「科学性」をまとわせ、不正義かつ非人道的な結論を導き出す一抹の不安があります。
このような審理状況を踏まえ、袴田巖さんの再審無罪を求める取り組みを強め、「再収監」を何としても阻むため頑張る所存ですので引き続きのご理解、ご協力をお願いします。

浜松 袴田巖さんを救う市民の会

共同代表 寺澤 暢紘
〒430-0807 浜松市中区佐藤1-43-1-608
Tel:090-9261-4840

新聞意見広告の訂正とお詫び

去る8月18日の朝日新聞及び毎日新聞朝刊(東京本社版)に、一刻も早い袴田巖さんの再審開始を求める意見広告を掲載し、読者の皆様にご理解とご支援をお願い致しましたが、意見広告紙面において、袴田巖さんの再審開始を決定した静岡地裁・村山浩昭裁判長のお名前に誤りがございました。ここに謹んで訂正とお詫びを申し上げます。
また、意見広告掲載当日から多くの読者の皆様から、賛同金や激励の言葉をいただきました。誠にありがとうございました。

平成29年8月28日

袴田巖さんの再審無罪を求める実行委員会
【構成団体:アムネスティ・インターナショナル日本、日本国民救援会、日本プロボクシング協会袴田巖支援委員会、袴田巖さんの再審を求める会、袴田巖さんを救援する静岡県民の会、袴田巖さんを救援する清水・静岡市民の会、浜松・袴田巖さんを救う市民の会、無実の死刑囚・袴田巖さんを救う会】
袴田事件弁護団

私の死刑廃止論

和泉 湧

無辜の保護という一点のみで、死刑廃止は正当化できる

袴田事件のようなえん罪事件では、死刑制度が決定的な問題として直ちに浮かび上がってくる。死刑が執行された場合、取り返しのつかないことになるからだ。未だに死刑制度を存置している日本は、果たして先進国の一員なのであろうか。世界の先進国とは、カネやモノをより多く持っているからなのか。そうではあるまい。人間の生命と尊厳に対して、国民の一人一人がどれだけの敬意を払い、それを社会的に保障しているか。その点を基準とするのが本当であろう。

2014年3月27日、再審開始決定で、袴田さんは釈放された。その翌日、駐日英国大使館はツイッターに、こう態度表明した。

「45年間にわたり死刑囚として収監されていた袴田さんが、証拠がねつ造された疑いがあるため、釈放されました。これは、司法が万能ではないこと、そして日本が 死刑 を廃止する必要性を示しています」。

イギリスでは、死刑執行後に真犯人が発覚した「エヴァンス事件」という冤罪事件をきっかけに死刑廃止の機運が高まった。1960年代に反逆罪など一部の犯罪を除いて死刑が廃止され、1998年に完全な死刑廃止に至っている。
この英国大使館の日本へのメッセージは、日本という独立国家の主権を侵害するものではない。我々は、日本国民である前に人類(世界)の一員である。日本の生活と文化をその基盤として支えている世界的な文明の恩恵を享受している。国によって文化の違いは認められて当然であるが、人間の自由、平等、尊厳を保護するという社会の底流にある文明の素について、イギリスには当てはまるが、日本人にはなじまないなどというものではない。世界文明のキーストーンとしての人権尊重の思想は、人類社会において普遍性を備えている。

死刑は、不可逆的で絶対的な刑罰である。元の生きている状態に戻すことはできない。また、「身体刑」の究極であって、切り落とす身体部分を腕一本にするか、そこに足一本を付け足すかという相対勘定も入り込めない。また、死刑は人体に直接襲いかかるばかりではない。死刑を前にして、迫りくる絞首刑を想像することが耐えられない苦しみを与える。判決が出されてから執行されるまで、死刑囚を四六時中脅かしているのだ。
捜査官も裁判官も、人間である以上間違いを犯すことがある。裁判では「真実」を確実に発見するという保証はなく、誰がやってもどこまで行っても冤罪の危険性から自由ではない。刑事司法の法体系には、再審制度がその中でレギュラーポジションを占めている。それも近代が始まるのと軌を一にした歴史をもち、日本も採用する英米法では、無辜の救済のみを目的としている。確定判決を受けた者の利益のためにのみ再審が認められるのだ。最近、再審請求中であるにも拘わらず死刑執行が相次いでいるが、それでは無法状態ではないか。もとより、万が一の間違いから人の命を守るためには、社会のルールとしての死刑はあってはならない。無辜の生命を保護するためには、明らかに有罪と判ずることができる場合であっても、死刑は排除すべきである。「疑わしきは、被告人の利益に」「10人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰してはならない」という刑事司法の原則を徹底させなければならない。法体系から死刑をなくすことは、無辜の保護という一点のみでも正当化される。

袴田事件だけではなく、実際のえん罪事件の裁判を覗くと、酷くレベルが低い。「こんなことも認められないのか」「それはないだろう」ばかり。裁判において、検察官の牽強付会ぶり、また、裁判官の「自由心証主義」という名のもとでのコジツケとその強弁に対して、「誰にでも簡単にわかることを認めてもらう」のが裁判での弁護側立証だと言われるほどである。
さらに、逮捕から公判に至るまで無実を主張し続けると、「反省がなく、情状酌量の余地がない」と勝手に判断され、死刑判決が出るケースが多い。なんと、「推定無罪」ではなく「推定有罪」がまかり通り、屁理屈で武装したえん罪事件の死刑判決がこれまで続いてきた。そして今後も繰り返されていくことが予測される以上、極刑である死刑の存置を決して許してはならないと考える。

死刑は公務員による野蛮で残虐な刑罰である

死刑制度は廃止されなければならない。何故なら、野蛮で残虐に過ぎる刑罰だから。
日本国憲法には、こう規定されている。
第三十六条【拷問及び残虐な刑罰の禁止】
公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁止する。
ここで言う残虐な刑罰とは何を指すのか?死刑以外にはない。従って、日本国憲法が施行されると同時に、死刑制度は廃止されなければならなかったのだ。
憲法九条では、国の交戦権を否定している。要するに、国家が戦争で外国人を殺してはならないということを命じている。国家権力の発動として、外国人は殺してはいけないのに日本人を殺して良いはずはない。「善人」であろうが「悪人」であろうが、誰に対しても国家権力は殺人のライセンスなど持ってはいないのである。
死刑とは、人権侵害の究極である。自然権としての人権とは、どんな法律にも規制されず、どんな契約にも縛られない。国家、法律、契約などに絶対的優先権を持つ。自然に備わっている天賦の権利が人権なのである。刑法に死刑を取り入れても、本来それは無効である。そして、死刑の存廃は多数決で決める課題でもあり得ない。

日本で採用している死刑は絞首刑である。絞首刑の残虐性が裁判で争われたことは、何度かある。いずれのケースでも、「絞首刑は憲法36条にいう残虐な刑罰ではない」との最高裁判所の確定判決(死刑制度合憲判決事件)が出ている。
ならば、実際の死刑がどのくらい残虐なのか、証言を求めよう。

「処刑された遺体から目と舌が飛び出ていて、口や鼻から血液や吐しゃ物が流れ出し、下半身から排せつ物が垂れ流しの状態だった。」
「ロープにこすられて顔から肉がもぎ取られ、首は半ばちぎれていた。」

次は、明治時代の記録で、小野澤おとわという人物の絞首刑執行である。

「刑台の踏み板を外すと均(ひと)しくおとわの体は首を縊(くく)りて一丈(いちじょう)余(よ)の高き処(ところ)よりズドンと釣り下りし処、同人の肥満にて身体(からだ)の重かりし故か釣り下る機会(はずみ)に首が半分ほど引き切れたれば血潮が四方あたりへ迸(ほとばし)り、五分間ほどにて全く絶命した」「絞縄(しめなわ)のくい入りてとれざる故、刃物を以て切断し直に棺におさめた」

このくらいで吐き気を催すから止めておく。日本と同じく死刑存置国のアメリカでは、絞首刑は非人道的とされ、残虐性を薄めようと努めている。絞首刑から電気椅子での刑になり、今では薬殺刑が主に選択されている。絞首刑は失敗することがあって、凄惨な事態を経験したからだという。

世界各国で実行されている死刑の種類を記し、想像力を働かせるための参考に供したい。
絞首刑(つるし首)、電気刑(電気椅子)、ガス殺刑、銃殺刑、斬首刑(首を切り落とす)、石打刑。イランや北朝鮮では、刑の執行を公開している。歴史を振り返ると、さらに残虐な方法がある。拷問の歴史もそうだが、死刑の歴史は酸鼻を極める。
絞首刑、斬首刑、鋸挽き、生き埋め、十字架刑、溺死による処刑、薬殺刑、杭打刑、串刺し刑、磔刑、腰斬刑、皮剥ぎの刑、腹裂きの刑、凌遅刑、石打ち刑、火刑、釜茹で、銃殺刑、突き落とし、車輪刑、電気椅子、炮烙、圧死刑、四つ裂き刑)、八つ裂きの刑、猛獣の餌食等。
かつて、我々の祖先はかような残忍非道 に手を染め、あるいはその手にかかってきた。現代でも、報復感情が爆発するとこのような狂った罰を欲することがあるから恐ろしい。人間以外の動物の世界に殺し合い(死刑)はない。傲慢にも、人間は非道に対して「ケダモノ!」と罵るが、実は人間はケダモノ以下なのではないか。

死刑は応報。威嚇効果、隔離効果もある。だから良いのか

かつて、死刑がのさばっていたころ、「刑罰は、悪に対して悪をもって対抗する悪反動であるため、犯した犯罪に相当する刑罰によって犯罪を相殺しなければならない」という絶対的な応報が唱えられていた。死刑を理論的に正当化するための刑罰応報論である。だが、放火による殺人には火あぶりの刑を、刺殺の場合には磔刑(磔(はりつけ)にして刺し殺す刑)を、というように、そこまで具体的に対応させてきたわけではない。「殺人には殺人を」ということである。この相殺論では、殺人以外の罪に対して死刑というわけにはいかない。
1948年の最高裁判例では、「犯罪者に対する威嚇効果と無力化効果(隔離効果)による予防説に基づいて合憲」としており、応報刑的要素についての合憲性は排除されている。犯罪者(予備群)に対する威嚇だというが、そうではない。すべての国民に対する威嚇である。もう一つの理由として、犯罪の無力化効果(隔離効果)というが、刑務所に隔離すれば済むこと、何も抹殺までしてあの世に隔離する必要はないではないか。結局のところ、威嚇、脅し。それで凶悪犯罪を予防するというのである。いずれにしろ、野蛮な考え方で、人間の尊厳や生命の価値を基本原則としての論ではない。
死刑が威嚇なら、刑罰全般もそういうことになる。法を犯して社会秩序を乱すと酷い目に合わせるぞ。そんな、脅しで泰平の社会を築こうなどという発想が野蛮ではないか。そういう野蛮で未開な次元から脱却しようとしてきたのが、近代、現代の歴史ではないのか。歴史の進歩とは人口と物が増え生活が便利になっただけではなかろう。圧政との闘いの歴史の行きつく先がこれか。脅されて汲々と暮らすのが理想であったのか。人生を歩む旅人として、北風に曝されるよりも太陽の陽射しを浴びて外套を脱ぎたいものだ。

ここで、冤罪に関わることを思いだす。罪を犯してもいない被告には濡れ衣を証明する手立てはごく限られている。気力だけでは、どうしようもない。だが、被告の生命を手中に握る人たちが死刑にするのに冒す危険といえば、度々やってしまう思い違いだけ。判決で死刑判決を出し、それが過誤であったことが分かっても、何ら罰せられることがないのはどういうわけだろうか。死刑判決に関わった人たちはみんな殺人の共同正犯ではないか。細かいことを云えば、職権の濫用もある。証拠をねつ造した捜査官、それを利用して死刑を求めた検察官、死刑を決定した裁判官の責任はどうなるのだ。被告が冤罪を晴らしても、人生は元に戻らない。えん罪を作った方は、お咎めなしで出世街道を歩き続けるというのは、不公平極まりない。「死には死」ではないのか。そう言いたいところではあるが、人間の命にこんなに著しい軽重があるのは誰しも大いなる不満を禁じ得ないだろう。
しかも、過って無辜を殺してしまう罪だけではない。真犯人を逃がしてしまっている。その罪が付け加わることを忘れてはならない。無辜を罰してはならないと言いながら殺し、真犯人を逃がしてしまうこの二重の罪は、新聞にも雑誌にも載らない、テレビにも流れない。誰も指摘することなく、当たり前のようになっている現状には、戦慄を覚えずにはいられない。せめて、人智が万能ではないのであるならば、「99人の真犯人を逃しても、1人の無辜を罰してはならない」原則を絶対的に厳守すべきである。

被害者遺族の感情はどうなるのか

裁判の実務では、応報論は生きている。犯行の被害の程度を考慮して量刑が行われている。また、「被害者家族の被害はどうやって埋められるのだ。死んでお詫びすべきだ」。死刑肯定論者の感情的にして強力な主張も、応報論である。自分の親兄弟、妻子が殺人事件の犠牲者であったら、その犯人を死刑にせずにはおかないでしょ、と言われる。被害者感情を重視せよ、と言う声が最近とみに大きくなってきている。
被害者の遺族の気持ちを考えてみよという心情は理解できる。では、身寄りのない被害者の場合は、遺族がいないので死刑でなくとも良いのか。遺族の悲しみといっても複雑。我が子や親、親族に対する殺人(尊属殺人)は、殺人事件全体の4割以上を占める。心中事件で死ぬケースを入れるともっと増える。その場合、遺族はストレートに死刑を望むのか。そんなことはない。復讐するとなどと考えもしない。被害者も加害者も身内なのだから、その思いは複雑極まりないのではないか。

被害者遺族の感情を重視するという点で、外国に例がある。イスラム法国家では、被害者遺族が赦した場合は死刑執行が免除されるというコーランの教えがある。また、アメリカでは被害者遺族が死刑を望まない場合は、知事が死刑を終身刑に減刑することが可能である。これらの例は、遺族の思いを考慮して量刑を緩和するケースであって、日本で言われているような遺族に代わって刑を重くするわけではないのである。
日本では被害者遺族が法務省に死刑執行を止めるよう求めても、それが考慮されることはない。遺族の思いとは関係なく処刑している。あるいは、裁判で死刑判決を求めても、遺族の要求だからといってそのまま受け入れられてはいない。すべての事件に被害者遺族がいるわけでもなく、遺族がいてもそのすべてが死刑を期待するわけでもない。また、死刑の執行で遺族の感情が回復し元に戻るなら一考の価値があるかもしれないが、大切な肉親の喪失感を打ち消すことは到底無理であろう。それは完全に解決されることはないが、死刑制度とは別に社会全体の問題として対策すべきではないか

現実の死刑はどうなっているのか。最近の殺人事件被害者数、死刑判決確定者数、その総数(執行されていない数)、死刑を執行された数は、下記の表の通り。

日本の死刑確定者数確定者総数被執行者数殺人事件被害者数
2010(H22)91112465
2011(H23)231310442
2012(H24)91337429
2013(H25)81308370
2014(H26)61293395
2015(H27)41263363
2016(H28)31293289

被害者数は警視庁調べ(犯罪情勢)、以外はアムネスティ調べ
死刑判決を受けるのは、殺人事件の中でも凶悪で、情状酌量の余地がない事件だけ。刑が確定するのはわずかであることがわかる。処刑数も実際にはわずかな数字なので、その痛みが社会に広がっていくこともない。威嚇の効果も知れたものである。

「死には死」とすれば、社会は一体どうなってしまうのか

「誰かを死に追いやったなら死をもって償うべき」という死刑肯定論は、一見反論しにくいと思われるが、この考え方は実に危険。社会を破壊するほど危険である。血で血を贖う死刑制度は社会を残虐に堕落させてしまう。人々の心に戦慄が走り、精神を委縮させたり、狂わせるに違いない。
極端な話をしよう。「死には死」としたらどうなるか、考えてみていただきたい。故意、過失を問わず自分が原因で誰かが死ぬということならば、交通事故や医療事故、過誤による死も当てはまる。交通事故では、年間数千人が命を落とす。これらを殺人事件での死者に加えるとさらに多い数に膨れ上がる。年間に死刑囚が数千人の規模で増えていく。それだけの人数を収容しきれないので、直ちに死刑執行となる。
毎年、数千の絞首刑が執行される。そうなると、死刑の「犯罪抑止効果」、威嚇効果を上げるためには、死刑をより残虐にしかも公開で執行すればよい。そうすれば犯罪が効果的に減少し、死刑囚の数も減るという悪魔のささやきが現実味を帯びてくる。そうするとどうなるか。
1年間で数千人の死刑を誰でも見学できる公開の場所で執行する。それも。全国の刑場を10カ所とし、数千人を処理。各地で毎日2人づつの絞首刑。あるいは毎月まとめると、月に40人くらいづつ一気に処刑されるのである。毎年、数千人ずつ人口が減っていく。否、殺人や事故で数千人が死ぬのだから、合計で一万有余の人命が失われる。さらに想像力を羽ばたかせると、それだけではない。一万有余の人には家族親戚、友人知人がいる。当然彼らも平気ではいられない。数万、数十万、数百万の辛酸をなめる被害者、夥しい犠牲が都市や田園を走り、日本中を覆うのだ。文明社会は崩壊しないだろうか。
確かに犯罪は減るかもしれない。が、どうだろう、その凄惨な光景は。未来社会の荒ぶる姿を、暴力が支配する社会としていち早く描き出すハリウッド映画の場面が浮かぶ。この原点は「命には命で贖う」ということだ。同時に、平和で自由な社会、人間の尊厳は死ぬことであろう。これでいいのか。よさこい祭りよりも頻繁に絞首刑が公開で実行される結末、その地獄絵図は果てしない。

こんな社会をあなたは望むのか。こんな残虐でも平気でいられるのか。見ている子供たちは絞首刑の真似をし始め、大人たちはこんな日常にうんざりすることだろう。年配者は、「こんな社会を作ってきた覚えはない」と嘆き恐れおののくに違いない。「命には命」の論理を単純に突き詰めると、こんな風に社会が残酷に狂い死んでしまうのである。私は、そんな悪夢にうなされるのである。

日本では、「死をもって贖う」のが慣習であった、などと言う言説もある。これは見当違いも甚だしい論。古の日本には死罪はなかった。実に平和な社会であった。極刑は遠島(島流し)。酷い目にあわされた人は死んで祟ると信じられていたからである。「祟り」の信仰によって死罪を避けていた。また、不殺生を説く仏教の教えの影響もあった。そこへ残虐さを持ち込んだのは武士であった。
歴史の時代によって死罪の有無やその形態も変わってきた。が、言えるのは、日本人は残虐さを避ける平和的な民族だったということ。「死をもって贖う」のが古来よりの醇風美俗だという人はきっと、神風特攻隊や人間魚雷回天(一人乗りで爆薬を積み、敵艦に体当たりした特攻潜水艇)、そして震洋(爆弾を積んで体当たりするベニヤ板製のボート)での攻撃を「お国のため」と称して礼賛する人でもあると思う。人権意識ゼロだからである。

さらに言おう。
被害者感情をどうしてくれる、裁判でも被害者遺族の意見を取り入れ遺族の感情に報いるようにしろ。あなたは自分の妻子が殺されたらどう思うか。犯人に死刑を望むことだろう。犯人を許せるか、考えてみろ。と、その興奮は留まることがない。
そう、誰しも自分の家族や親友が殺されたら冷静ではいられない。応報感情を抑えられない。だから、だから。冷静ではいられないから、犯人捜査や刑事司法に関わってはいけないのだ。公正さを担保するために、当事者または当事者に準ずる者はその件に関わることなかれ、というのは民主主義社会の原則。当事者以外の第三者が冷静に問題解決に当たるべきである。
例えば、警察官の子供が事件の被害者となった場合、その警察官はその事件の捜査からは外される。裁判官は自分の家族が関わる刑事事件であれ民事事件であれ、その事件を担当することはない。何故ならば、冷静な捜査や公平な判断ができないからだ。それは人情の暴走から社会を防衛するための知恵なのである。刑事司法に被害者、加害者、その関係者が立ち入って影響を与えるのはタブー。この原則は、現代社会では誰しもが認める常識と言っていい。
付け加えれば、事件の捜査に始まり、公判、刑の執行に至るまでの刑事司法は、かたき討ちではない。リンチ(私刑)でもない。被害者に代わって国家が加害者に報復するわけでもない。私的であれ公的であれ、報復は報復を呼び、復讐の連鎖をもたらす。しかも報復と言っても復讐と言っても良いが、必ず拡大再生産されていく。行きつく先は自滅である。歴史を紐解けば、その事例に事欠くことはない。

国家に国民の生命を与奪する権利はない

「報復としての死刑」や「見せしめとしての死刑」は、歴史的に死に絶えることなく現役で制度化されている国が残っている。しかし、現代史の流れは死刑制度廃止。国連総会は、1989年12月、死刑廃止を目的とする議定書(死刑廃止条約)を採択。その議定書第1条では「本議定書の締約国の領域において、何人も死刑に処せられない。各締約国はその領域内における死刑廃止のため全ての必要な措置をとる」と明確に宣言している。それ以降、野蛮で残虐な死刑を廃止する国が増えてきている。
それは、第二次世界大戦の終結後、7千万人近い犠牲者(直接の死者)を出し国土を焦土と化した惨状を目の当たりにして、人権思想が市民権を獲得して広く周知されてきたからだ。刑罰に関する考え方が転換された。罪を犯した者に対して、苦役を課して(痛めつけて)思い知らせるというのが刑罰。また、犯罪者は社会から隔離して社会を防衛する。そうすることで、社会の秩序を保とうとする。これは非人道的な古い考え方で、ベクトルが戦争と同じ方向、残虐さに向いている。
人間の尊厳は全てに優先する。第二次世界大戦以降の世界は、日本からすると日中戦争と太平洋戦争に負けてアメリカ軍に支配された以降のことだ。世界は、「二度ど戦禍を招かない」と決意した。その原点で社会を再起動させ、人権思想を実現にするべく社会制度の最適化を図ってきた。世界人権宣言に続く日本国憲法がその象徴なのである。
現在、欧州連合 (EU) 各国は、不必要かつ非人道的であることを理由として死刑廃止を決定し、死刑廃止をEUへの加盟条件の1つとしている。欧州議会の欧州審議会議員会議は2001年6月25日に日本およびアメリカ合衆国に対して死刑囚の待遇改善および適用改善を要求する1253決議を可決した。この決議で日本に対して、死刑の密行主義と過酷な拘禁状態を指摘している。
第69回国際連合総では、2014年12月18日、「死刑の廃止を視野に入れた死刑執行の停止」を求める決議が、過去最高数に達する117カ国の賛成により採択された。死刑制度を存置する国々に対し、死刑に直面する者の権利を保障する国際的な保障措置を尊重し、死刑が科される可能性がある犯罪の数を削減し、死刑の廃止を視野にまずは死刑執行を停止することを要請する決議である。
しかし、日本政府は、過去5回の死刑廃止、執行停止決議のいずれにも反対している。賛成国は増える一方であるにも拘らず、反対票を投じ、決議をあざ笑うかのように処刑を断行した。明らかに死刑廃止という世界の動きに逆行。さらに、国連自由権規約委員会の第6回日本政府報告書審査において、日本政府はあらためて、死刑制度の廃止を含む勧告を受けた。日本政府は死刑を廃止しない理由として「国民の大多数が死刑を支持している」からといって、国連などからの勧告に従わないでいる。死刑制度は、もとより多数決で決めるものではない。国民が「拷問や残虐な刑罰」を致し方ないとして認めれば、それらの行為は許されるとでも言うのか。そんなことはない。国民の世論に対して憲法の規定は優先する。ましてや、憲法に先立つのが自然権としての人権なのだ。
48年間被告が拘束され続けた袴田事件は、えん罪の可能性が高い判決として国際的に注目された。昼夜独居処遇による収容体制の見直し、情報の十分な開示、死刑事件における義務的かつ効果的な再審査の制度の確立、および拷問等による自白の証拠不採用など、国連の委員会は厳しい勧告を出した。

いかがわしい世論調査、8割以上が死刑賛成って本当か

2004年に内閣府が実施した死刑制度への賛否調査「基本的法制度に関する世論調査」では、死刑に賛成が8割を超えていたという結果が出ている。しかし、世論調査というものには、必ず「誘導」がある。主催者の意向に沿うような結論が出るように、質問の仕方を工夫する。この調査でもそう。「場合によっては死刑もやむを得ない」という選択肢があった。こう訊かれれば、たいていの人は肯定してしまう。随分とバイアスがかかった質問である。この仕組まれた罠にはまった人が、8割を超えたということなのである。質問の向きを変えれば、結果はまったく異なったものになるに違いない。                                         世論調査で死刑賛成派がいかに多くとも、人間の生存権を否定することはできない。繰り返すが、世論調査で死刑賛成派がいかに多くとも、世論によって人間の生存権を否定することはできない。世論が侵略戦争を支持すれば、隣国に攻め込んでよいのだろうか?世論が認めれば、拷問が奨励されるのだろうか?世論といえども、人間の自由と尊厳を否定することはできない。従って、死刑制度の存置がそれで認められるわけではないことをお断りした上で、その世論調査を検討してみる。

調査の結果は、「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」が6%。「場合によってはやむを得ない」が81.4%。「わからない、一概には言えない」が12.5%であった。ところが、「場合によってはやむをえない」の回答者にさらに聞くと、「将来も死刑を廃止しない」が61.7%、「状況が変われば、将来的には死刑を廃止しても良い」が31.8%、「わからない」6.5%と出た。
この結果を、死刑存置論者は8割以上と言えるのか。「場合によってはやむをえない」の中の「将来も死刑あり」が6割なのだから、本当の死刑存置論者は、全体の約半数というところが実際である。質問の仕方で誘導し、さら恣意的に結果を分析した結果が8割。この「結果」を宣伝することで世論を舵取りしようという意図がうかがわれるのだ。「みんなそう言っている」となれば、世論の流れは加速するのが日本人の風潮であるからして、この宣伝は効く。だが、心の底まで変えることはできないのではないか。太平洋戦争で「天皇陛下万歳」と心から叫んで死んでいった兵士は、本当に多数なのか、疑問である。日本人の表面的な浅薄が言われるが、私はそれを信じてはいない。
現在ではこのキャンペーンが浸透した結果、8割の国民が死刑制度を肯定的に捉えているかもしれない。恐ろしいことである。近年、凶悪犯罪は統計的には減少しているにもかかわらず、厳罰化の傾向にある。マスコミの報道姿勢が操っている。新聞や雑誌は「酷いことが起こっているぞう」と騒ぎ立てた方が売れるから。「悪い奴には人権などない。人ではないのだから、何をやってもいいのだ」などと嵩にかかっている人も目につくようになった。
その手の人は、米軍が広島、長崎に原子爆弾を落として数十万人を虐殺し、何百万人の負傷者、その家族、親戚、友人を犠牲者として残した凄惨な事件に対して、「犠牲者の気持ちになってみろ」「やられたんだかから、やり返せ」といきり立ってもよさそうだが。8割の死刑肯定派であっても、アメリカに報復する原子爆弾の必要性を説く人は皆無である。実のところ、アメリカが強いから「報復」できないとすれば、「死刑」は弱い者いじめと言う外ない。
理性的に考えれば、報復を肯定することはできまい。だから、原爆を抱えてアメリカに向かっていかなくても良い。「ヒロシマ、ナガサキ」の被爆経験から、日本は、そして世界は、絶対的な平和を希求した。人の命の尊さを、命をいともたやすく奪って憚らない暴力の凄まじい恐ろしさを知った。その実感と考え方を、市民社会になお残されている中世の名残りとしての死刑制度にも適用すべきなのである。死刑制度をどう考えるかは、その社会の文明度を表示する。日本国民は、そのことにいち早く気が付かなければならない。
死刑制度は、一日も早く廃止されるべきである。

※下記の画像をクリックすると、「2016死刑執行国マップ」のPDFが別画面で開きます(509KB)
世界の死刑マップ

静岡県警に抗議行動 静岡新聞2017/08/19

2017年8月19日(静岡新聞)

袴田さん支援者県警に謝罪要求逮捕から51年静岡地裁の再審開始決定で釈放された袴田巌さん(81)が、強盗殺人容疑などで逮捕されてから51年となる18日、当時の取り調べに違法行為があったとして、支援団体「袴田巌さんの再審無罪を求める実行委員会」などが、県警に謝罪を求める抗議文を提出した。
抗議又では、証拠開示された取り調べ時の録音テープに、取調室に便器を持ち込んで用を足させるなど拷問をうかがわせる内容が録音されているほか、袴田さんと弁護士の接見の様子を録音したとみられる音声も含まれていたと主張。「違法捜査は明らか」だとしている。
記者会見した寺沢暢紘さん(72)は「県警は素直に事実を認めるべきだ」などと語った。支援者らは提出の前後、県警本部やJR静岡駅周辺で、袴田さん一の無実を訴えるビラなどを通行人に配り、早H期の再審開始を訴えた。
日本国民救援会静岡県本部2017年8月20日静岡新聞「袴田事件」の現場巡る敗曙躰静岡地裁の再審開始決定で釈放された袴田巌さん(81)を支援する「袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会」(楳田民夫代表)などは19日、1966年6月30日に発生した「袴田事件一の現場などを巡る見学会を開いた。県内外から約50人が参加した。
最初に静岡市清水区の事件現場をマイクロバスで訪問。支援者は当時から残る石造りの蔵を指し、「今も火災の跡が壁に残っているのが見えます」などと案内した。逮捕される前に経営していたバーのあつた場所など袴田さんにゆかりのある数カ所にも立ち寄った。袴田さんの姉秀子さん(84)も参加し、袴田さんが獄中で書いた手紙の文面を紹介。「支援をお願いします」と訴えた。

中学生に自白を強要。えん罪づくりの捜査は変わらず

8月11日の新聞などによると、またしても警察の捜査が暴走。

警視庁高井戸署の警察官が、万引事件に関わった疑いで中学3年生の男子生徒2人を取り調べた際、暴言を浴びせて自白を強要した問題で、2人の父親と弁護士が10日、東京都内で記者会見。中学生側からの人権救済申し立てを受け、調査した東京弁護士会が明らかにした。

2015年12月に同級生が起こした万引きへの関与を疑われ、高井戸署で取り調べを受けた。当時15歳の中学生は、親の勧めでICレコーダーを持ち込んで録音していた。黙秘権の告知もなく、関与を認めなかったところ、警察官は脅迫して自白を迫った。2人は、一時、関与を認めさせられた。

警視庁は昨年12月、担当した警部補を刑務部長厳重注意、巡査部長を所属長注意の処分をした。警視庁の森本敦司生活安全総務課長は10日、「取り調べで不適切な言動があったのは事実。再発防止に努める」と話したという。

父親は「やったという前提で捜査しており、非常に怖い」と警察を批判した。今もって、またまた繰り返される「取り調べ」という皮を被った「自白の強要」という犯罪。袴田事件のときは静岡県警の組織ぐるみだったが、今回のはどうなのか。「中学生になめられてたまるか、桜の代紋が黙っちゃいないぜ」とチンピラまがいの脅しに、公務員特別暴行陵虐罪、職権濫用罪を適用すべきだ。

記録に残すべしと思い立って、東京弁護士会が10日付の警告書で認定したやり取りの一部を以下に記す。

□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

(事件への関与を否定する供述をした生徒に対し)「発言次第じゃお前の首を取るぞ。てめえ高校なんか行かせねぇぞコラ。学校じゃねぇんだぞここは。おら。高校なんか行かせねえよお前。お前の言い方次第じゃやってやんぞ。とことんやってやんぞおめぇ」

(「やってないです」という生徒に対し)「じゃあどこでもいって勝負でもしてこいお前は。学校でも高校でも教育委員会でもなんでも話するから。お前高校いかせねえよお前。お前はいかせない。じゃあ。学校行く資格がないお前は。反省がないもんお前。反省が見えない。(中略)どうすんだよ。認めねえのか。じゃあ逮捕状でもなんでもとってやるよ。んじゃ」
「お前にあの、ごめんなさいという気持ちがあれば、そこはちゃんとくみ取ってあげようって俺は思っている。でもお前にその気持ちがないようであれば、とことん追い込むしかないなあ、ということ。てめえを高校に行かせることはできない」

(否認をする生徒に対して)「もうお前と話しても時間の無駄か。んじゃあ。時間の無駄ということで、んじゃあこの話を打ち切っちゃっていいか。裁判所でもあのー検察庁でもどこでも俺行ってくるから。どこでも行ってくる。お前には反省もくそもねえよ。てめえさえよければいいのかんじゃあ。鼻水たらして万引きしてくればいいのか、同じクラスメートが。(中略)ばっくれてんじゃねえんだお前。ちゃんと話せよ。時間の無駄だお前」

(否認をする生徒に対して)「じゃあお前には反省も何もないという風に決断していいのか」 「お前たちはな、高校受験も控えてるし、大事な時期だから早々にできる。極力小さくできれば穏便に話をまとめてあげたいなというつもりで俺は今日ここに来た。という気持ちをもって俺はここに来た。でも俺はこうやって話をしてみると、知らぬ存ぜぬ、いや関係ないですよ。知りませんよ。反省も何もないんだよ。お前には。反省も何もないんだ。だったら鑑別でも少年院でもどこでもぶちこむしかないのかなって俺は今考えている。高校受験。関係ねぇよ。やむをえない。関係ない。見過ごすわけにいかないよ、んじゃ」

(もう1人の生徒は認めているという話を出した後に)「向こうは反省、ごめんなさいができている。てめえだけなんだよ。お前おちょくってんのかお前。お前だけだお前。(中略)じゃあお前だけ事件として俺、取り上げるぞ悪いけど。んじゃあ。何回も何回も言っているけど、めんどくせえよもう。お前だけやっちゃって、やっちゃっていいか。(中略)じゃあお前だけ事件としてやるぞ、んじゃ。やるぞ。反省のない奴はとことんやってやるぞ。んじゃあ。そこまで言ってあげてんのにお前。もう頑張る時間は終わったんだよ。終わったの。頑張る時間は終わったの。もうこっからは時間の無駄のタイムに入っているんだよ。ごめんなさいだってよ、あいつは。ごめんなさいだってよ、あいつは」

(事件への関与を認める意味で「すみません」と言ったのに対し)「てめえ言ったんだろ◯◯(万引事件で事情を聴かれた生徒)にコラ。正直に言えねぇんだったらパクるからな、てめえは。言ってみろ」

(「言ったかもしれません」と事件への関与を認める趣旨の供述をしたのに対し)「ちっ。正直に言うんだこの野郎。『すいません』は。(中略)頭下げろコラ」
(「すいませんでした」と何度も謝る生徒に対し)「そういう気持ちがなかったらお前逮捕だかんなてめえ。おーっ。(中略)てめえらを呼んでんのは、お前らが高校生だったら逮捕状もってくんだぞって家に。言うこと聞かねえとバーンだぞお前。お前らが義務教育だからわざわざ呼んでやってんだぞわざわざ。チャンスを与えてやってんだよ。ふざけんなよてめえ。いつまでも時間とらせやがってこの野郎」

「すいません、俺もうやりませんって言うんだったら、それじゃあお前、これから高校も行かないといけないし、じゃあ何とかしてやるよということで、お前、許してあげるんだぞ。否認すれば否認するで間違いなく牢屋に入れるんだぞお前。わかってんのか。意味分かるか。意味分かるかって聞いてるんだよ」

「てめぇごときをおめえ、すぐ連れていけるんだぞお前。それを、しないでおいてあげてんだからなこの野郎お前。情けをかけてあげてんだからなお前。そこをお前、よく考えろお前は。ボケ野郎が」

「我われはお前にチャンスを与えているだけの話だから。お前にチャンスがいらいないんだったら(原文まま)お前逮捕して牢屋に入れ。じゃあ。お前の人生終わりだからな。高校いけねえから」
「お前が高校行こうが行くまいが知らねえよ、んなの。お前は赤の他人だから。お前がこじきになったってかまわねえ。認めねえからな」

「認めるんだったら徹底的に認めろよ、こらあ。認めねえんだったら最後まで認めるな。そのかわりお前を牢屋に入れるから」

「くだらねえことでいつまでもやってんじゃねえぞこの野郎。俺を怒らせんじゃねぇぞ。この野郎いつまでも。てめえはこれから全部書いて親にもバンと言って、もう二度としませんから許してくださいって言わない限りは高校に行けねぇから」

 

袴田巖さんの再審を拒む検察―DNA検証実験をめぐって 袴田事件弁護団 角替清美弁護士が講演

(「キラキラ星通信」第94号(無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会 2017年8月6日発行)より転載)

公開学習会(PART36)

「袴田巖さんの再審を拒む検察―DNA検証実験をめぐって」

袴田事件弁護団 角替清美弁護士が講演

7月2日(日) カトリック清瀬教会

袴田事件 どうもみなさん、今日は貴重な日曜日にわざわざ袴田事件の話を聞きに来てくださってありがとうございます。そして長年にわたって袴田さんを支援してきてくださって本当にいつもありがとうございます。今日は私の方から袴田事件についてお話をさせていただきます。その話の中心は、袴田事件というとDNA鑑定という話が話題になってますので、それについて担当していますので、その話をさせていただきます。余談なんですけど、実は私も日本キリスト教団に所属するクリスチャンで、今朝も教会に行ってきたんですけれども、まさか壇上で話すと思わなかったので恐縮しているんですけれども、このまま話させていただきます。

まず前提として、袴田事件でいま、検証がどうのとか静岡地裁が認めた鑑定が否定されたのどうのというのが報道でいろいろ出ていますが、それについては、はっきり言って、弁護団から見たら先日出た最終報告書でもう決着済み。結局は何の問題もなくて、袴田さんを無罪と認めた証拠の一つの「本田鑑定」、本田先生の鑑定の信用性は逆に裏付けられたという位置付けです。客観的にそうなんですけれども。最近よく報道でみる話はその辺の話なんですけれども、正直あまり重要でもないと思いますし、みなさんにそこの話を細かく話をしてもおそらく理解できないと思いますので、私の方からは袴田事件についてのDNA全般について、どんな経緯でDNA鑑定を行うことになったのか、そのDNA鑑定はどのようなものだったのか、そういうところについておおまかな話をしていきたいと思います。

 

袴田事件のDNA鑑定とは

まずDNA鑑定というのは、袴田事件に限らず最近よく裁判で話題になるものですけれども、通常人の血液と思われる血痕、そこから人間のDNAを抽出して、その型を調べるというものならみなさんおわかりだと思います。人に何兆個とある細胞の中の核に入っているDNAを調べる検査になります。よく使われているのが血痕から取ったDNAです。袴田事件のDNA鑑定はどんなものだったのかというと―基本的にはみなさん支援者なので、あまり前置きをしないで、みなさん知っているものとして話します―、袴田事件では、犯人が残して行ったものだと、だから被害者の血がべっとり付いてたり袴田さんの血が付いているとされてる「五点の衣類」という着衣があって、今回DNA鑑定と言っているのは、その「五点の衣類」と言われる洋服に付いている血液のDNA鑑定の話になります。じゃ、実際にDNA鑑定をした試料がどんなものだったのかというと、これ(次頁写真。編集注。以下同じ)が五点の衣類のうちの三つの着衣、サンプルになります。おわかりの通り血がべっとりと付いてます。ここ(半袖シャツの右肩部分)は袴田さんの血だと言われているものですけど、ここにもべっとりこっちにも当然べっとり。そういうふうに血がたくさん付いています。通常の世間で騒がれている事件でDNA鑑定という時に、これだけの血痕が付いているということは非常に珍しいです。最近よく聞く事件では、犯人が触ったスマホから犯人のDNAが出たとかいう話題。今の技術では、犯人が触ったスマホを犯人が土の中に埋め、それを掘り起こしたものからもDNAが検出されたと捜査機関は言って、あれが犯人だということで捕まえてます。ちなみにこの話は、ちょっと前に話題になったハッカーみたいな、人になりすましのネット上でいたずらする事件の話です。そんな中で、袴田事件で行われた鑑定の試料は、これだけ血がべっとりと付いた試料だった。通常、血痕からDNA鑑定してDNAが出たら、それは血液のDNAだというふうにみます。そんなのは当たり前のことであって、今まで議論されたことありません。そういう前提になっています。

袴田さんの事件では、こういうふうに血がべっとりついている試料を検察側の山田鑑定人、弁護側の本田鑑定人―二人とも裁判所が指名している鑑定人なので、本当は裁判所の鑑定人なんですけど―、それから裁判官三人、裁判所の職員、弁護人、検察官、その一同が―もちろん防備する、余計なものが出ないようにゴミが出ないように服は気をつける―同席の上、専門家の二人が「ここ血が付いていますね、よしここからサンプル切り取ってDNA鑑定しましょう。ここは袴田さんの血と言われているものですから、ここのものは取ってDNA鑑定しなければいけませんね」。そういうことで試料を取ってDNA鑑定が行われてます。私が言いたいのは、要はこれだけの非常に優良な試料からDNA鑑定が行われている。一七年前の鑑定で、「血液型」もこのサンプルから検出されています。血液型を調べるというのはDNAを調べるよりも難しい。何でかというと、細胞があって、DNAは核の中にあるので、核に守られて非常に保存状態がいいんですけど、血液型を調べるものはたんぱく質なので、細胞があったら核の外側にある物質の性質を検査している。ということは、血液型が一七年前に調べられたのであれば、今の技術で当然調べられるということで鑑定をやってます。じゃあ何で一七年前にDNA鑑定は出来なかったかというと、その時はDNAを抽出する時に、不純物を除去する手順がまだ今ほど発展していなかった。だから味噌の成分とかそういうものを除去するのが難しくて、なかなかDNA鑑定は出来なかったんじゃないかというふうにも言われています。いずれにしても、一七年前のDNA鑑定技術と現在のDNA鑑定の技術では、全然もう比べるものじゃないので、その辺のところは技術の進歩とともにDNA鑑定ができるようになったということです。

 

「対照資料」と「ブラインド検査」

静岡地裁でDNA鑑定をやるという時に、検察官は当然反発しました。やらせたくないから当然なんですけど、どうせ出るわけない、出てもそれが血液のDNAなのか何なのかわからない、いろんなことを言ってくる。そういう中で、じゃあ何かズル出来ないような工夫をしましょうということで、裁判所と、これは弁護側が言い出したことなんですけど、普通ではやらないような工夫をした。何をしたかというと、さっき言った血痕のところから取った一六個のサンプルに対して、一一個の「対照試料」を取りました。対照試料って何かというと、「ここに血がついています。じゃあここからこの部分を取りましょう。その横にこれ血液ついていなさそうですよね、そこもちょっと取りましょう」。で検査がちゃんと出来ているかどうか確認できる。両方からDNAが出ていたら、それおかしな話だという話になる。そのサンプルの数は一一個、非常に多いです。それは検察側がやっぱりそういうことを求めてきたので、対照試料をたくさん増やした。

もうひとつは、「ブラインド検査」というのを行いました。これは弁護側から申し入れたんですけど、どういうものかというと、鑑定の内容は、五点の衣類に付いている血液が被害者のものかどうかがわかればもちろんいいんですけど、なかなか被害者のDNA型を知るのも大変なので、主な争点は、これ(半袖シャツ右肩の血痕)が袴田さんの血液かどうか、袴田さんのDNAがここから検出されるかどうか。そこが大変な争点になるというのは最初からわかっていました。なのでブラインド検査をした。どういう事かというと、検察官も難しい難しいって言ってるし、確かに何十年も前の試料だから、まずは五点の衣類のDNA鑑定をしましょう。二人の鑑定人が五点の衣類のDNA鑑定をして、「よし、自分はこの五点の衣類から信頼できるDNA型を取れました。自分が出したDNA鑑定の結果は信用できます。この型はここについている血痕の型です」という自信が

ある結果が得られた鑑定人だけが袴田さんの血液を採りに行きましょう。それから袴田さんのDNA型を検査して、それが五点の衣類についている血液と一致するかどうかをやりましょうと。そうしないと、最初から袴田さんのDNA型がわかっちゃったら、答えがわかっているようなものなので、検察からすれば弁護側の鑑定人が袴田さんと違う型にDNA型をあわせるとか―そんなことしないですけど。こちらからすれば、検察側が袴田さんの型に合わせるとか、型に合わなかったら信用できないと言い出すとか。そういうことができないように、信頼できる型をまずは五点の衣類から採って、その型が採れたそういう自信がある鑑定人だけが袴田さんの鑑定ができる、そういう手続きを踏みました。これによって答え合わせができない、ずるができないDNA鑑定になりました。

 

DNA鑑定の結果

まず山田鑑定人(山田良広・神奈川歯科大大学院教授)は、STR(Short Tandem Repeat短いDNAが繰り返し並んでいる部分)のDNA検査と、ミトコンドリアのDNA検査をやりました。よく巷(ちまた)でDNA検査と刑事事件で言われているものは、STRのDNA検査です。STRの方については彼は、標準の手法じゃなくて若干信頼性が薄くなるような手順を使ったので、結果もいまいちでした。ということで彼は「私のSTRの結果は信用できません。だけどミトコンドリアは専門なので―歯科医なのでミトコンドリアのDNA鑑定が専門―、ミトコンドリアDNA鑑定で得たDNA型については私は自信がある。そしてさっきの右肩袴田さんのものといわれるところからは型を採れました。だから私も袴田さんの検査をします」というふうに言いました。一方本田鑑定人(本田克也・筑波大教授)は、標準の手順のSTRしかやってません。DNA検査としてはただのマニュアル通りにやってるだけなので、信用のできる型が出たと彼は判断して「私の出したDNAの型は自信があります。だからこの型で袴田さんの型と比べます」と。そういうことで、裁判所において「じゃあ二人とも五点の衣類からDNA鑑定出来ましたね。じゃあ二人で袴田さんの血液を採りに行ってください」ということで、二人で東京拘置所まで行って、袴田さんの血液を採ってきて、袴田さんのDNA鑑定をすることになりました。

結果はどうだったかというと、山田鑑定も本田鑑定も、袴田さんのものと言われていた血痕と袴田さんのDNAは一致しないという結論が出ました。山田さんの方は、自分のSTRは信用できないと言っているので、基本的に比べているのは袴田さんのミトコンドリアDNAと五点の衣類のミトコンドリアDNAです。それと合わない。本田さんの方は、普通のDNA型、それが袴田さんのものと合わなかった。だから「合いません」という結論が出ました。二人とも同じ結果です。これでとりあえずDNA鑑定は勝負あったなと私たちは思うわけです。ところがこれが法医学会の不思議なところなんですけど、山田鑑定人は、裁判になって証言台に立った時には、いきなり 「あのー、私のミトコンドリアDNAの鑑定、あれ信用できないですから信用しないで下さい」と。「だから私の結果は袴田さんのと一致しなかったけど、信用しないで下さい」と、いきなり自分の鑑定結果を否定しました。だって信用できる結果が出たから袴田さんの血液採りに行ったんですよね。「いや、それはそうなんですけど、でもよくよく考えたら、コンタミ(contamination他人のDNAが混入して汚染されていること)の可能性もあるし、一致しなかったけど、それはコンタミのDNAかもしれないから信用しないで」という証言になりました。この人の証人尋問は非常に面白かった、裁判長もしまいには笑ってたような証人尋問だったんですけど、本当にそういう驚く証言をしました。

検察官は、本田さんのDNAは間違っていると争ってきました。山田鑑定人は自分で信用できないと言ってくれたからもういいんだと。本田をつぶすんだということで、本田鑑定人の出している型は血液の型じゃない、何かよくわからないものが血液に一緒に付いてて、その型を出している、だから本田鑑定人の結果は信用できないんだと言ってきました。それからもう一つ、本田鑑定人と山田鑑定人の結果が違う、だから信用できないという主張をしてきました。でも結果は違わないんですよね。山田鑑定人は自分のやったSTR型検査は信用できないって最初から言ってた。それでミトコンドリア鑑定をして袴田さんのものと一致しなかった。一方、本田鑑定人はSTRのDNA検査をして、それは信用できると判断して袴田さんのものと比べたら、一致しなかった。だからこの二人の結果って何も違わない。何も違わないのに、山田鑑定人のやったSTR検査は信用できないと山田鑑定人が言ってるんだから、本田鑑定人のやったSTR検査も信用できないという主張をしてきていました。

 

「バナジウム法」と「選択的抽出法」

もう一つ最初から議論になっていたのは、「バナジウム法」と「選択的抽出法」。いまも話題になっている、本田さんの使った手法は信用できないという内容でした。

DNA鑑定にはいくつか段階があって、まずはサンプルを採る。そのサンプルから成分を溶かす。そこからDNAだけを抽出する。その抽出したDNAを増やす。その増やしたDNAの型を判定する。全部これ機械操作になっているんですけど、そういう手順があります。本田先生の「バナジウム法」というのは、DNAを増やす時にちょっとバナジウムというものを加えて増幅を促進させるという手法です。「選択的抽出法」というのは、試料から成分を採る時に、なるべく血液成分を多く採ろうということで、ちょっとひと工夫した選択的な抽出法を使っています。

何でこんなものをやったかというと、DNA鑑定やりましょうという話が出ました。そしたら検察官は、いやいや古い試料だし、たくさんコンタミが混じっているから、採ったDNAが血液のものかどうかわからないから、やってもしょうがないみたいな主張をしました。裁判所は、確かに血液のものってよくわかる方法ないんですかねえみたいな話が出ました。本田先生は最初から、血痕からDNA採ったらそれは血液のDNAだから、そんなことをする必要がないと言っていました。もちろんそれに基づく意見を弁護団も述べました。だけどあんまり検察官がそう言ってくるので、裁判所は本田先生に鑑定を依頼する時に、採ったDNAが血液のものかどうかなるべく確実にしてもらいたいと。なるべく血液からDNAを採れるような方法があればそういう方法を使って欲しいと裁判所から依頼がありました。なので本田先生は、自分はこんな手続きする必要ないけど、裁判所がそう言うのであれば、選択的抽出法というので工夫しましょうということでこの辺の手順を入れたということです。

ちなみに山田鑑定人も同じ鑑定依頼を受けたんですけど、山田さんは何にも特別なことはやってません。尋問で、裁判所で頼まれたのにどうしてやってないんですかと訊きました。そしたら山田鑑定人は、「いや、だって血痕からDNA採ればそれは血液のDNAなので、そういうことは必要ないと思いました」という当たり前の回答をしてました。そういうものなんだけど、裁判所に頼まれたので、手続きを一つ加えた。とにかく検察官はこういう主張をしていた。

もちろんいろんな反論、弁護団もしたんですけど、結局静岡地裁の決定はどういう決定だったかというと、DNA型は血液の型です、普通そうでしょっていうのがまず第一にあって、それからたくさん採った対照試料、血が付いていないと思われるところの試料からは型は何も検出されていない。対照試料から検出されていなくて血液のところから型が検出されてるなら、それは普通血液の型でしょっていうのが静岡地裁の決定の内容でした。それから、いくら古いとはいえ、この試料は裁判所で袋に入れられて、紙に包まれて倉庫の中で大事に保管されてたものです。そういう中で、誰かがそれにツバをつけるとか、べたべた触るとか、そういう可能性はないし、第一そんな可能性を検察官が主張もしていない。こういうことがあったからこの時に付いたはずだとかいう主張するべきだけど、そんなこともしないでコンタミの可能性を議論したって、わけのわからない型が混じったっていう具体的可能性もないでしょと。それが裁判所の判断でした。選択的抽出法は何回も国際論文に発表されてるし、バラジウムは国際論文にとっくの昔に発表されて特許も取得しているものであって、特にその手法を使ったからといって、DNA鑑定が駄目になるとかそんな話ないでしょと。ある程度信用できてそれなりに効果もあるんじゃないですかと。そういう静岡地裁は判断をしました。

 

検察は本田鑑定をつぶしたい

検察官は即時抗告して高裁で主張しているんですけど、これが本当にひどい主張です。ここでちょっとはずれるんですけど、私とか、たぶん弁護団はそうみな思っていると思いますけど、検察官がいま争ってきているのは、本当にただひたすら本田鑑定をつぶしたいと、それだけのためじゃないかなと思うんですね。袴田さんの無罪なんて、そんなの五〇年前にわかってたことなんですよ。あんな証拠で有罪になっていること自体がおかしいんであって、袴田さんが無罪なんてことはもうみんな知ってると思うんです、検察官も。法医学者の仕事の九九%は検察の仕事です。検察とか警察は法医学者にとっても大事なお客様です。捜査機関に干されたら法医学者は仕事ありません。研究材料もなくなる。だから本田教授も当然そういう一人で、圧倒的に検察からの仕事の方が多い。彼は本当に科学に忠実な人で、例えば、弁護団から依頼された死刑事件も彼は鑑定したことがあります、いままでも。そしたらその死刑囚のDNAと犯人のものとされるDNAが一致しちゃった。本田さんは、これ一致しますという鑑定書を出しました。でその人は死刑になりました。同じように検察官に対しても、彼は違うものは違う、認められない結果は認められない、認められる結果は認められる、はっきり言う人なんですね。足利事件の鑑定も本田さんがやっているし、飯塚事件の鑑定も本田さんがやっている。科学に忠実で検察の顔色を見ない、そういう人なんですね。なので、きっと今回こんなのまで彼の鑑定が認められたら、これからますます困る事になると考えて、とにかく本田鑑定をつぶしたいという目的で即時抗告を争っているのが検察だと私は見てます。

本当に、検察官の本田鑑定人に対する主張はひどくて、まず地裁でDNA鑑定やるかどうか、その鑑定人を誰にするかっていう話をした時に、こちらは本田鑑定人を推薦しました。あちらは山田鑑定人を推薦した。そしたら検察官は、書面でこういう意見書を裁判所に出してきた。本田さんていう人は、足利事件で非常に不適切な鑑定を行って審理を混乱させた。だからそんな人が袴田事件のDNA鑑定をやったら非常にまずいことになる、不正義なことになるから、本田鑑定人を鑑定人として認めるべきじゃないと。だけど足利事件といえば、本田先生が一七年前の捜査機関の鑑定の間違いを指摘して、それが明らかになったから、無実で牢屋に捕まってた菅谷さんが一七年ぶりに釈放された事件です。本田先生は足利事件で捜査機関の誤った鑑定を正して、無罪の人を救済した鑑定人です。にもかかわらず、あろうことかその足利事件を使って、よくもそんなことが言えるなあと。しかもよくも堂々と裁判所に書面で出して言えるなあと。その神経は本当にその時に疑ったんですけど、こちらはそういう意見書を出しました。それで裁判所も相手にしませんでした、検察のその意見は。とにかく私が言いたいのは、検察官は、最初から本田鑑定人を何とかしてつぶしたい、何とかして排除したい、そういう言動がありありと見えていました。

 

 東京高裁での検察の主張

高裁の話に戻しますけど、(検察が)高裁でどういう主張をしてきたかというと、すごいんですよこれはね。「本田鑑定人は、本当は出ている型を書き換えて鑑定している」、「実際には本田鑑定人の型が出ているんだ」と。DNA鑑定で出ているのは、本田鑑定人の型なんだなんていう主張をしてきた。これもびっくりなんですけど、じゃあその主張の根拠って何なのという話です。ちょっと先に進みますけど。これがDNA鑑定した時の表です(プロジェクター画面)。こちらは本田鑑定人がDNA型鑑定した時の表で、こうピーク(グラフの波型の上の部分)があって、このピークが出ているところが型で、「何型」みたいなそういう判定なんですね。これ最終段階でDNAが増幅された後に検査してるとこです。全部オート化されているので、こういう型は自動的にバババババーバーと出るんですね。そういう時にどういうことが行われているかというと、機械のその時の調子、光の加減、室内の温度なんかもあるので、そんなに厳密じゃないと思われますけど、基準となる、(ピークが)ここにあったらこの「型」なんだよみたいな「アレリックラダー」と呼ばれるものが一緒に流されているんです。そして一緒に流されているアレリックラダーに自動的にババババババーと反応してここに数値が出るわけです。これは11、これは12と出てくる。そういうふうにして「型」は出る。それを書き換えているという根拠にしたのは何かというと、あの人たちは、本田鑑定人のこのグラフ―当然証拠で鑑定書に出てます―をコピーして拡大したんです。そして自分たち、科警研でアレリックラダーを流して、本田先生の表とこの科警研のアラレリックラダーを張り合わせて、定規引いて、「ほら11じゃなくて本当は12でしょ」みたいな、だから書き換えていると言う。そんなバカな話、小学生の自由研究じゃないんだから、こんなことしてるんじゃないんですよ、法医学の世界は。こんなもの並べて比べてるわけじゃないんですよ。一緒に流してて、ここに数値が出てくるんですよ。それを全然違う機械で流したアレリックラダーを、あろうことか上下に並べて定規引いて、「はい、ずれていますね。だからあなた偽造してますね」って、そういうことを平気で言ってきてる。こんなことを弁護人言わないですよ、どの事件でも、鑑定人に対して。検察官だからこういうことが言える。権力者だからこういうことが言える。だから本当にひどい、悪質だと思うんですけど、こういうことを一つ言っておきます。もうそういうふうに反論してるので、取るに足らないトピックです。

もう一つ(検察が)言ってきたのは、「バナジウム法は信用できない」。立派な京都大学の玉木教授という方、それから科警研の関口さんという方の意見書が出てきました。「本田先生が使ったバナジウム法というのは、論文見たけど再現も出来ないし、これロクでもない、とっても信用できない」という意見書を出してきました。バナジウムって前からトピックにはなっていたんですけども、本田先生という人も、自分はただ単に科学に忠実にやっているだけだから、くだらない反論とかしない人なんですよね。「自分はただやってるだけだから。別に検察が認めなくたって、それは科学が将来証明するから」。そういう人なので、私達もこれから話すこと高裁で初めて知ったんですけど。私達が見つけて本田先生に聞いたら、「おーもうね、とっくに使ってんだよ」みたいな話で。だったら最初から地裁のころから言ってよみたいな話なんですけど。

バナジウムというのは、一〇年も前に本田先生が検察側の鑑定人として使っている手法なんです。非常に難しい、争いのある鑑定ですけど、難しいからこそバナジウムを使って鑑定した。その当時はバナジウム法は論文発表もされてなかった。特許もとってなかった。殺人事件だったんだけど、当然被告人の弁護人は、バナジウム法はまだ誰も使ってない方法だから信用性に欠ける、そういうものを基にしたDNA鑑定は信用性に欠ける、だからこの人は犯人じゃないという主張をしてました。それに対して、検察官は何と言ってたかというと、バナジウム法というのは、一般に用いられている増幅の手順を改良しただけで、化学反応としても別に一般に行われている化学反応だから、ぜんぜん今までのPCR法と変らないと。PCR法というのは増幅法としては従来のものと変らないし、信用されてる。増幅効率がいいということも今回証明されてるし、バナジウム使ったPCR増幅の方法の科学的根拠は十分なんですよと。更に遡って平成一五年頃、本田先生はもうバナジウム法を科警研のために使ったんですね。そしたらそれで見つかった犯人が自白して、それで犯人が突き止められた、そういう裏づけがある、成功体験もある方法なんだ、だからバナジウムを使った増幅手法が十分信頼のある科学的根拠を有するものであることは明らかですと。そういう主張を一〇年も前に検察官が裁判所にしてる。裁判所も何回も筑波大とかに足運んで検証して、このバナジウム法に問題はないですねと。そういうことで本田先生の鑑定を根拠に、殺人犯人とされる人の有罪が確定して、最高裁でも確定しました。懲役一五年です。その後にも本田先生は論文発表もして、特許も取った。その後の鑑定でも、ずっとバナジウムを検察から依頼されたDNA鑑定で使い続けてる。それを使って何人も有罪にしているんです。

それなのに検察は、袴田事件のDNA鑑定では、バナジウム使うから信用できないんだ本田先生の型は、と主張する。この人達、何に基づいて意見書いているのかなあと思うんです。この京都大学の玉木さんとか科警研の関口さん、同じ意見をこの裁判のために書くんですかね。いったい法医学って何なのかなと。そういうところにとっても大きな疑問を感じる。これについて当然私たちはすごい反発したわけです。地裁の時は知らなくて、高裁になって初めてこういうこと知ったんですけど、あんたたち言ってること全然違うじゃん、使ってるじゃん、自分たちがと。このバナジウムの主張取り下げなさいよって言ったんです。そしたら何て言ったか検察官は。「全く同じ手順ですか。温度とかも一緒ですか。室温とかも?」 そういうふうに開き直る、平気で。裁判所は、バナジウムについてはまあまあこれはもういいでしょう、もう何回か使われているものですし、というところでバナジウムの議論は終ってるんですけど、本当にそれだけの問題ですか? 弁護人としてはそう思うんです。自分たちが信用できる信用できるって何人も有罪にしている手法について、平気でこんな主張する人たちの、「選択的抽出法」についての主張は信じられる? 何でそっちの話だけ信じられるんですか。こんなこと言う人たちなんだから、だいたいにもってそういう主張してるんじゃないんですかって。こんな主張はしません、弁護人だったら。まあ選択的抽出法は信用できないっていうのが残ってて、結局、名古屋市立大学の青木さんとか科警研のまた関口さんとかも意見書で、「選択的抽出法信用できません」みたいな話で、いまの検証実験に至ってる。

だけどこの選択的抽出法っていうのは、二回もそれの関連で本田先生は科学誌の国際論文に発表してますし、「査読」も入る。査読というのは、検証するチームがあって、あなたのこの研究どうですかというのをチェックするんですけど、そういうチェックも経て国際論文に二回も掲載されてる。しかも最近ではインド政府の科学捜査研究所の研究チームが、本田先生と全く同じと言ってもいいレクチンを使った選択的抽出法をやって、非常に効果が高かったということで、国際論文で発表されています。今回、結局最終報告は本田鑑定人の選択的抽出法を裏付けているんですけど、「中間報告」というものが出てきて、選択的抽出法はDNAを消失させるみたいなことが書いてある。じゃあ何、このインドの人達はウソついてるのと。本田先生とは何の関係もない、知り合いでも何でもない。本田先生の論文は当然引用してます、本田先生の論文の中身とほとんど同じなので。そういう海外の科学者がきっちり出しているものを否定できないと思う。否定するとすれば、とても非科学的な議論だと思うんです。

 

DNA検証実験の最終報告

それでちょっとここで先週出てきた鑑定文を、結果についてちょっと報告すると、このグラフを見ると、これがDNA型鑑定の「型」というものなんですね。これ一番新しいのでごめんなさい、何もこっちのスクリーンには用意していないんですけど、この一番左方の番号1から33がサンプル番号で、これ検証実験をやった鈴木鑑定人(鈴木広一・大阪医科大教授)の結果です。このD何とかとか、C何とかとか横に出てる、これが「ローカス」(染色体やゲノム上での遺伝子の位置)と言って、DNA鑑定というのはだいたい一六のローカスについて鑑定をします。ここに20、24とか10、12とか13とか数字が出てる、これがいわゆる「型」と言われるものですね。型は一つだったり二つだったりするし、二つあっても一つしか出ない時もある。この数字がDNA型の「型」と呼ばれてるものです。1~33見ると、この太い枠で端から端まで覆ってあるのが、もとの基準型というか。「試薬」のところにオーソストロングと書いてある、これが本田先生が使ったレクチンを混ぜたものです。要はこれを見ると、結局「型」出てるんですね。もちろん本田先生は、古い型なので完璧に出るなんてことも言ってない。だから完璧なわけじゃないけれど―誰も完璧は求めてない―、要は「型」が出てるんですここに。みなさん中間報告の新聞報道なんかも見てくれたと思うんですけど―最終報告の新聞報道は間違ってますけど―、1~33までの中間報告、DNAが消失したとか言ってる。オーソレクチンを混ぜるのは禁忌(きんき)だ、混ぜちゃいけない試薬を混ぜてると言ったけど、「型」が出ている。DNA鑑定って言ったらこれがすべてです。DNA鑑定を頼んだらこれしか出て来ません。もちろん、手順とか出てくるけど、結果はこれがすべてです。しかもこの結果は、中間報告を鑑定人が出した時には、鑑定人はもうこの結果を知ってた。グラフをプリントアウトした日でわかる。それなのにあの中間報告を見ると、普通のDNA鑑定ではやらないような何か検査をしてるんですね。何か棒ならして、目視でDNAが見えるかとか。そんなことやりません、DNA鑑定では。なぜかそれをやって、ほんとに見えないのかも問題あるんですけど。実際鑑定人の言ってる通り見えなかったとしても、「目視的にDNAが見えなかった、だからDNAは消失した」という中間報告を出すわけです。中間報告の時はこの結果が出てたんですから、別にこの結果出せばよかっただけなんですよね。それを中間報告が出た後三か月以上も経ってから出してくる。どうしてなのかなって本当に疑っちゃうんですけど。

いずれにしろ、最終結果がこれで出てきたので、鑑定は出来たっていうだけの話です。でもかといって別にその鑑定の報告書が立派だったわけじゃ全然なくて、おかしな鑑定報告。中間報告では目視でDNAが見えない、だからDNAは消失した、だからレクチンを混ぜるのは禁忌なんだという一足飛びの結論をして、全然論理性も何もないんですけど、最終報告では何と言っているかというと、あの薬はDNAを破壊する、だからDNAが減少したと。DNAが見えなかったからあの薬はDNAに悪いんだ、あの薬はDNAを破壊するんだと中間報告で言っといて、最終報告ではDNAの破壊する薬を使ったからDNAが減少しているんだと。何かただ単に原因と結果を入れ違えただけの議論してて、全然意味のない報告書です。いずれにしろ「型」が出たというところに限っては価値があるかなというもので、これでもうDNA鑑定の議論は終わったのかなあとこちらは思っているんですけど。それで裁判所には、結論はわかったからもういいじゃないですか、これ以上無駄な時間費やして鑑定人に話聞く必要ないでしょという申し入れもしているんですけど、裁判所は、鑑定っていうのは書面で出してもらって、口頭でそれを説明してもらって手続き的に完結するものなので、まあやらないわけにはいかないんです。まだやるとは決めていないんですけど、まあやるものなんです、みたいな感じで鑑定人を呼ぶ期日が入ったというわけです。(九月二六、二七日)

私の言っていること極端に聞こえるかもれないんですけど、(検察は)本当にこういう議論をしてくるんです。私も三〇過ぎて司法試験の勉強始めるまでは、工学部卒業で普通の会社員で技術屋として働いていたので、こんな議論、成り立たないですよ、普通の社会じゃ。こんな議論がまるで何かたいそうな議論のように議論されて報道されてる。でも本当にやっている中身はおかしな議論なんです。だからそれをどうやって正せるのか、本当に毎日考えてもなかなか難しい、わからないですけど。まあ検察というのは、正しい事する時がほとんどなので、そうなっちゃうのもしょうがないかもしれないけど、間違ったことは間違ったって、ただ認めればいいだけだと思うんです。九五%正しい人だって、五%間違える時がある。誰もそんなものは責めないわけですから。本当にDNA、DNAって、一見わかりやすく見えるから報道もされるし、すぐみんなそっちの方に飛びつくんだけど、本当に議論の価値のないものです。だから本当はこんな所に来て話したくないんですけど、みなさんがDNAというと何かたいそうなことしているように感じて興味を持つ。本当にたいそうな話していないので、それをわかってもらいたいというのがまず一番です。

 

みなさんが裁判所を変える

袴田さん、本当に高齢になってきて、前回の三者協議では裁判官も年内ぐらいには最終意見書出す方向でお願いしますみたいな雰囲気でした。まさかひっくり返るとは思っていないのでもうすぐ終るんでしょうけど、(お姉さんの)秀子さんは、五〇年待ったんだからあと二~三年どうってことないと、本当にすばらしい気丈な発言をしてくれてます。だけど袴田さんもう年なので、本当に終らせてもらいたい。袴田さんの手紙、今日の資料にも入っている手紙、本当に感動的ですし、私が忘れられないのはもう一つ、まだ袴田さんが正気だった頃、正月に書いた日記があって、袴田さんは、事件当時一歳だった息子さんのことをものすごく可愛がっていたんですけど、その子について書いてあって。正月にお餅が出た。とっても柔らかい白い餅が出た。これはまるで自分の息子のほっぺたのようだと。いまあの息子は成人して立派になってこんなほっぺたしてないだろう、自分の心の中では、息子はいつまでも………何か私、その手紙を思い出すと(絶句)………何だか今日は教会なのであれかもしれないです。息子さんの話が出てくると、気丈な秀子さんもちょっと正常心でいられないような感じなんだけど、そういう息子さんとも離れられてもう何十年、これ以上つらい思いをさせる必要ない。………(涙)………みなさんが援助してくれてここまで来たので、早く終らせたい。このくだらない議論のために袴田さんの人生を費やしたくないと、そういうふうに思ってやってます。

でどうすればいいかというと、みなさんが裁判所を変えることが出来ます。実際袴田事件がこうやって再審認められてるのも支援のおかげです。弁護団のおかげじゃない、支援のおかげ。それから、事実に忠実な証言者の人もいます。B体(ずっと五点の衣類のズボンのサイズとされてきたが、実は色のことだったと証拠開示で判明。検察は知っていながら隠していた)の、昔のことなのに「いやこれ事実と違うから」といって証言してくれる人もいる。それから、検察にボコボコにされてサンドバックのように殴られながら、科学の正しいところを追究してくれる鑑定人がいる。そういう人たちが、結局みなさんの声が裁判所を変えて、いま袴田さんが釈放されている。だからこれをぜひ続けてもらいたいんですね。私が最初に袴田事件を知ったのは清水の集会で、本当に三〇人もいなかったような集会でした。その時におかしいなと思って、結局司法試験受かったので弁護団に入ったんですけど。それで私が入って、自慢じゃないんですけど、それまでみんな一所懸命やってて、DNA鑑定も一回やって駄目だと思ってたので、DNA鑑定なんか全然動かなかったんですよね。だけど支援者の人たちがDNA鑑定DNA鑑定ってしつこいんですよ。私も新しかったので、「そんなに支援者の人が言うなら、じゃあ本田先生に一本連絡入れてみようか」と言って書いた手紙でここまで来てます。だからここに興味を持って来てくれている方の一人が、本当に裁判官とか検察官を変えてくれるかもしれないので、ぜひ手紙の一本でもいいです。何でもいい、知り合いに話すのでもいい、この事件に興味を持って、この事件が本当におかしいんですよということを伝えていってもらいたいと思います。

ということで、すみません何か途中変になっちゃったんですけど、私の話を終りたいと思います。ありがとうございます。

(テープ起こし・大竹。文責・松田。文章の内容が変らない範囲でまとめさせていただきました)

 

 

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