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袴田さん支援クラブ

袴田巖さんに再審無罪を!

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熊本典道氏のご逝去を悼み、ご意志を受け継ぎます。

1968年、静岡地裁の第一審主任裁判官、不本意な死刑判決を執筆。その痛烈に反省・告白した元裁判官

熊本典道氏のご逝去を悼み、ご意志を受け継ぎます。

「袴田さんは無罪だった!」 元裁判官の告白。

「こんな証拠で有罪にできるわけがない」自分の判断は無罪。ところが、裁判体の結論としては、2対1の多数決で有罪・死刑。主任裁判官の熊本典道氏は、意に反してその判決文を書いたのでした。「自分が無実の袴田君を殺したも同じ事」、その心痛から退官し弁護士として再出発したものの、心の底に渦巻く悔恨の思いに苛まれる人生を送ることに。約40年後の2007年、ついに死刑判決を自らの過ちとして告白するに至りました。最高裁に「陳述書」を提出し、袴田巖さんに降りかかった冤罪を晴らす活動に入ったのでした。

病床にあっても「袴田君に直接会って謝りたい」という熊本さん。長年の願いが叶ったのは2018年のこと。病気で寝たきりの熊本さんのところにひで子さんが巖さんを連れて見舞いに訪れたのです。そこで、「イワオー、悪カッター」と、心の底から絞り出すような声での謝罪がありました。

「袴田君が一日も早く再審無罪となり、自由になってほしい」という熊本さんの心底からの願いを、私たちが受け継ぎ実現しなければならないと思います。

 

2対1の多数決で決めただって! 人の生命が軽すぎ!

熊本さんは無罪判決を準備してありました。が、有罪死刑判決を書かざるをえなかった不条理を振り返ってみると、貴重な教訓に突き当たります。

「三人の裁判官のうち、一人でも反対すれば死刑にすべきではない」。熊本さんもそう言っていますが、人間の生命を多数決で効率的に処理するというその安易さを突いているのです。日本人の生命はかくも軽いのでしょうか。アメリカの陪審員裁判では、基本的に全員一致でなければ死刑にはしません。結論が分かれた場合には、陪審員を入れ替えてもう一度裁判をやり直します。そのくらいの慎重さで人の命に向き合うのです。

近代司法の原点は、権力の行き過ぎや暴走から市民の生命や財産、自由と尊厳を守るというところにあります。犯罪処理の効率化ではありません。今でも、簡便な多

数決による重罪判決に疑問が投げられない状況にあるのは、日本の司法(また社会)が、未だに近代化されていない、時代遅れということです。「悪い奴らは手っ取り早く捕まえて、ドンドン酷い目にあわせればいい」、江戸時代の“岡っ引き根性”が幅を利かせている犯罪捜査や裁判は、いつまで市民を苦しめ続けるのでしょうか。

ところで、そもそも裁判とは検察官の有罪立証を審理の対象としています。有罪立証が完璧ならば有罪。合理的に(市民の常識で)考えて、立証に疑問があれば無罪。弁護人や裁判官が被告の無実を証明する必要はありません。裁判官が3人いてそのうちの一人が無罪意見ということは、まとめて見れば合理的な疑問あり。合議体としての裁判所は無罪を宣告しなければならないのです。そのことを含めた上で、裁判の公正さは成り立っているのです。

日本国憲法と現行刑事訴訟法は、近代司法の精神に立脚しています。裁判がその精神に忠実で公正であったら、袴田巖さんは正しく無罪だったのです。

 

熊本さんの叫び 「主文は死刑だけど、本当は無罪ですよ」

熊本さんがやむを得ず書いた判決文は、もっともらしく有罪をとりつくろう文脈になってはいますが、法理論的には無罪としか読めない仕掛けがしてあります。熊本さんが判決文中の「付言」で捜査当局の非を鳴らし、続いて石見裁判長も捜査陣を「ならず者」呼ばわり。無罪を示す論述の上に、有罪死刑という「主文」が無遠慮に置かれているようなもの。第一審は「死刑」にしてしまったけれども、上級裁判所(高裁、最高裁)の裁判官はそのトリックを見抜いて死刑判決を覆してほしい。そんな熊本裁判官の願いが込められているからです。しかし、期待をかけられた裁判所では、誰もがそれを取り上げることなく死刑判決が確定するという悲劇となったのです。

この無念はひとり熊本さんのものではなく、みんなが共有する無念。それは市民の責務として、絶対に晴らさなければならないのです。

袴田さん支援クラブ

有罪証拠の柱・『5点の衣類』は、ねつ造

有罪証拠の柱・『5点の衣類』は、ねつ造

袴田事件最大の争点『5点の衣類』とは?

『5点の衣類』とは、事件から1年2か月後に発見された5点の衣類の事です。 それはズボン、スポーツシャツ、ステテコ、半袖シャツ、ブリーフの5点で、事件のあった 味噌会社の専務宅から線路を隔てた味噌工場の深いタンクの底から麻袋に包まれた姿で発見されました。

ステテコ

鉄紺色ズボン

半袖シャツ

スポーツシャツ

緑色パンツ

 

 

 

 

 

 

公判開始から1年が過ぎ、パジャマ以外物証がなく検察の立証は完全に行き詰っていた時のハップニングでした。起訴状にはない重要証拠が突然出現しました。検察はすぐさま訴因を変更、起訴状や「自白調書」に反する主張に乗り換えたのです。

拘置所にいた袴田さんは、これを「真犯人が動き出した証拠で、ますます有利になりました」と、大喜びで母親に手紙を書いています。無実の被告人としては、『5点の衣類』がまさか自分に着せられる濡れ衣だとは思いもよらなかったことでしょう。

弁護団は異例の展開に十分反論できないまま、68年9月『5点の衣類』を最大の決め手に死刑判決が下されました。確定控訴審(東京高裁)の審理においても、5点の衣類を中心的な証拠として死刑判決が維持されました。以降、『5点の衣類』が犯行着衣でしかも袴田さんのものなのか、この点が裁判の主要な争点となってきたのです。

誰もが事件との関連を容易に想像できる場所にあえて隠す理由は何だったのか?発見の経緯が謎だらけで、袴田さんと結び付けるために様々な細工も施されていました。同僚の会社員なら袴田さんをすぐに連想できるステテコと緑色ブリーフ。そしてズボン、スポーツシャツ、半そでシャツには袴田さんの「自供に合わせる」かのように損傷が作られていたのです。しかも5点の衣類にはすぐそれと分かる大量の血が付着しており、警察は衣類発見からすぐに『5点の衣類』を犯行着衣と決めつけ、異例のスピードで審理が進められました。

いつ、誰が、何故、深さ1,67mもの巨大な味噌タンクの底に隠したのか?謎は深まるばかりですが、見方を変えて誰かが袴田さんを犯人にするために仕組んだ罠だとすれば謎が解けるのです.

マッチと絆創膏

はこの時、味噌タンクから発見されたのは『5点』だけではなかったのです。

衣類の損傷は常識では考えられないほどずさんな物でしたが、注目すべきは味噌タンクから見つかったのは5点の衣類だけではなく、ズボンの左後ポケットに「こがね味噌」の名入りマッチと絆創膏が入っていたことです。袴田さんは消火作業中に左中指に深い切り傷を負っていて、警察はもちろんそのことを知っています。会社名入りのマッチも犯人がこがね味噌会社の関係者であることを暗示する見えすいた小細工です。犯人を特定する証拠を残すこと自体、隠すという行為とは相反しています。しかも、袴田さんが負傷したのは左中指なので絆創膏は右手に持って治療します。治療が終わり、右手でポケットにしまうなら常識的には右後のポケットです。警察はそこまで頭が回らなかったのでしょう。不自然というより全てがありえない事です。

 

謎だらけの『5点の衣類』

【発見の経緯】

事件発生から1年2ケ月後の1967年8月31日午後4時過ぎ、『こがね味噌』工場内にある『一号タンク』から赤味噌の搬出作業をしていた従業員が異物の混入に気づき、掘り出してみると南京袋でした。「袋の口は縛ってなくて、中に手を突っ込むと衣服が入っていた。つかんで取り出したらこれが血に染まっていた」「素人が見ても血だと分かりました」第17回公判(1967/9/13)での従業員Mの証言

味噌タンクは縦横約2mのほぼ正方形、深さ167cmで地上部分は91cmあり、南京袋はタンクの底の底、縁から165cmの所で見つかった。この時点で1年前に仕込まれた8トンの味噌は大方出荷されていて、事件直後とほぼ同量の味噌が入っていたところでした。しかし、味噌工場は事件直後に警察の捜査が入り厳重に調べられていたところでした。見落とすことなど考えられない捜査があった場所

誰が、いつ、隠したのか?

一審の静岡地裁の判決では「味噌タンクに隠した状況、日時は全く根拠がない」としたのが東京高裁では「7月20日以前、それ以降は不可能」と変わり何の根拠も示さず断定し、犯行着衣であるとされてしまいました。弁護団もこの時点ではまさか警察がねつ造するとは考えられなかったのです。

味噌タンク(発見場所)

 

 

 

 

 

 

 

【衣類の疑問】

―ありえない服装と不自然な衣類の損傷からずさんなねつ造が見えてくる―

 

事件当日は台風一過の熱帯夜(新聞発表によるとこの日の旧清水市の気温は28℃,湿度80%)。84歳の今、いつも扇子を手放さない無類の汗かきの袴田さんが、緑色パンツの上にステテコをはき、さらに秋冬物の純毛製の厚いズボンをはいて、上にはメリヤス製の半袖シャツにアクリル製の長袖のスポーツシャツという服装で、4人を相手に大立ち回りをしたことになります。「自供」によれば、さらにこの上に厚手のゴム雨合羽を着て、ゴムサンダルを履いて、専務宅へ侵入するため、木によじ登ったというのです。

これはもう笑い話です。真冬の街歩きにも扇子を手放さず、汗びっしょりになる袴田さんの今が無実を証明しています。ステテコは男性にとって夏の部屋着の様なもので、普通ズボンの下にパンツと一緒にはくことはまずありえません。汗かきの袴田さんならなおさらです。

また、着る必要のない雨合羽と血が全く付着してないゴムサンダルについては、袴田さんの無罪の証拠だから検察は触れなくなりました。

【犯行着衣らしく見せること】

5点の衣類が犯行着衣であるかどうかと袴田さんの物であるかということは本来別の問題なのですが、警察にとってねつ造の目的は、5点の衣類が犯行着衣であるかのように見せることであり、さらに5点の衣類が袴田さんの物だと立証することでした。

そのために袴田さんを連想させる緑色パンツとステテコは必要不可欠で、シャツとズボンには自供に添った損傷があることが重要だったのです。袴田さんの犯行というシナリオ自体が空想の産物である限り、想像だけで完壁にねつ造するのは不可能で、付着した血が上着より下着の方が多いとか、右肩の傷とシャツの損傷の位置も数も不一致なこと、すねの傷とズボンの損傷の鍵型の向きが逆だったこと等々、全て杜撰(ずさん)です。

第一次再審での静岡大学沢渡教授の鑑定では身体の傷と衣服の損傷、血痕の位置には法則があり、半袖シャツはその法則に反している。半袖シャツとスポーツシャツがねつ造されたもので、別々に傷が付けられたとすればこのような食い違いが生じたことは理解できると証言しています。

事後のねつ造ですから、シャツとズボンの損傷が袴田さんの生身の傷の位置と厳密に合致させることは不可能。おそらく、犯行着衣らしく見せれば、後は裁判所が上手に言い繕ってくれるだろうとの期待があったでしょうし、裁判はその思惑通りに進んできました。第二次再審の静岡地裁決定で、ウソが見破られるまでは。

 

【なぜ5点なのか】  ―ねつ造の意図が透けて見える―

ふつう犯人が犯行着衣を処分する時、確実に発見されそうな場所に、殺人の決定的証拠を隠すだろうか。発見させるためなら理解できる。工場のすぐ外は海岸線が続いており、スコップと麻袋を抱え、ハシゴで深い味噌タンクの底に降りて行く危険よりも、海に投棄する方がはるかに安全だ。また、味噌タンクのそばのボイラー室で、あるいは放火したときに一緒にしてすべて焼却すれば簡単に始末できます。

しかも、残虐な強盗殺人放火事件の関係証拠が、なぜ5点だけなのかという疑問も当然湧いてきます。それはねつ造する側の事情によって『5点』が《必要十分》だったと考えるのが自然です。袴田さんのものと思わせるためならブリーフとステテコだけで《十分》だったのに、犯行着衣に見せるためには、自供に沿うような傷が付き、血染めになった半袖シャツ、スポーツシャツ、ズボンが《必要》だったのです。

重大なことに、ここに袴田さんのものであるパジャマとゴムサンダル(犯行時に身に着けていたとされた証拠物件)が入っていない。別に見つけている。特にパジャマは決定的な証拠として扱われていました。そのことは、5点の衣類は事件と関係がないことを示唆しています。もし、真犯人が犯行着衣を隠すならば、最初に犯行着衣とされたパジャマやベルト、手拭い、ゴムサンダルなど事件現場で血がついて発見されたとされたもの全てを一緒に処分するでしょう。血染めの衣類とこれらの付属物も証拠価値としては同等で、処分し忘れることは真犯人にとって致命的なミスにつながります。静岡県警が知恵を絞って考え、選別した結果が『5点』だったのです。5点の衣類は袴田さんの物かどうか疑わしいものばかりで、一緒に入れられなかったパジャマとゴムサンダルは間違いなく袴田さんの物であり、無実の証拠だからです。誰でもねつ造できる『5点』だということが、ねつ造の証拠なのです。そう考えれば、ズボンのポケットにマッチと絆創膏がこれ見よがしに入っていたことが理解できます。

 

裁判所はどう評価・判断したか

確定判決(1976.5.18)の認定

㋐5点の衣類には下着に至るまで多量の、被害者らの血液型と一致する人の血が付着していた

㋑ズボン、スポーツシャツ、半そでシャツに各々損傷があり、白半そでシャツ右肩の部分には内側からにじみ出て付着したとみられる人血(B型)が付着していた

㋒衣類は事件後一年以上経過後、昭和42年(1967)8月31日味噌出しをしていた味噌会社従業員によって発見され、前年7月20日以前、新たな仕込みが始まる前にこれらの衣類が隠されたもので、それ以降は不可能である

㋓発見場所の工場が犯行現場に近く、他に同様な事件は認められない

 

㋐㋑㋓だけでは、疑問の余地がないほどの証明にはならず、ねつ造の可能性を否定できない。㋒は認定の誤り。犯行着衣であるとするにはどれも疑問だらけで、認定のための必要な証拠や事実が存在しない。こんな虚ろな証拠での死刑判決は無理筋もいいところです。    

 

静岡地裁再審開始決定(2014.3.27)の判断

・5点の衣類はDNA鑑定によって袴田の着衣でもなく、犯行着衣でもない蓋然性がある

・味噌漬け実験の結果、衣類の色合いや、血痕の色は1年以上味噌に漬かっていたとするには不自然で、ごく短時間でも、発見された当時と同じ状態になる可能性が明らかになった。

・5点の衣類という最も重要な証拠が捜査機関によってねつ造された疑いが相当程度あり、その他にも捜査機関の違法、不当な捜査が存在し、又疑われる。国家機関が無実の個人を陥れ、45年以上にわたり身体を拘束し続けたことになり、拘置をこれ以上継続することは、耐え難いほど正義に反する。

袴田さんの無実の叫びが、ついに裁判官に届きました。村山浩昭裁判長はその日のうちに袴田さんの刑の執行と拘置の停止を決め、袴田さんは48年ぶりに監獄から釈放されました。

 

東京高裁大島決定(2018.6.11)の判断

5点の衣類が①犯行時に袴田が着ていた衣類である ②袴田の物であるこの2点の認定が揺るがない限り、「無罪を言い渡すべき」明らかな証拠とは言えないそれ以外の証拠は補助的なものに過ぎない

  • 本田教授の細胞選択的抽出法は一般的に確立した科学的手法とは認められず、その信用性に疑問がある
  • 味噌漬け再現実験で用いた味噌とこの会社の味噌の色は異なり、比較したカラー写真は劣化退色している。判断の基礎とした写真は、5点の衣類の色合いを正確に表現したものではない。これらの写真を基に大まかな傾向や、味噌漬けの色を判断したのは不合理な判断だ。
  • 5点の衣類を発見時に近接した時期に、味噌タンクの中に隠すには、従業員の協力が不可欠であるが、そのような協力を得ることは著しく困難で、捜査機関が隠匿した現実的可能性は乏しい。                                                                                                                                                                                                             (都合のいい可能性論で、ねつ造の否定にはならない)

④「はけないズボン」確定判決はズボンのサイズの認定に誤りがあるが、ウエストサイズを見る限り、袴田が本件当時はけなったとは言えない(原因はウエストサイズではない

⑤「すねの傷」袴田を全裸にでもしない限り、ズボンの下の傷の発見は困難で、逮捕時の袴田の右すねに傷がなかったとは言えない。   (裁判官の無知と非常識)

611抗議行動

 

 

 

 

 

 

弁護団の主張

特別抗告理由補充書5(2019.7.17)

検察の主張を丸写しにした偏見と思い込みの大島決定に対し、弁護団は最高裁へただちに特別抗告、その補充書を順次提出してきました。その補充書5では5点の衣類が味噌タンクに隠された時期は不明であり、高裁決定では5点の衣類がねつ造証拠である可能性を否定することができないことを明らかにしました。

高裁決定はおよそ裁判所の判断と思えないずさんな決定。裁判官のねつ造に対する強い偏見が証拠の評価を誤らせ、論理的な思考を妨げたのです。

 

5点の衣類が犯行着衣であるとの認定部分の重大な誤り

【5点の衣類はいつ隠されたのか?時期は不明!】

隠匿(いんとく)可能な時期は

➀1966年6月30日~7月20日

② 1967年7月25日~8月31日の間

※7月20日から翌年の7月25日までは約8トンの味噌が入れられた(タンクの体積は約8㎥)

①ならば犯人が入れた⇒犯行着衣の可能性

②ならば袴田さんは逮捕・拘留中⇒ねつ造の可能性

 

 

確定判決の概要のうち

㋐は「被害者らの血液型と一致」と言うが専務はA型、妻はB型、次女はO型、長男はAB型であり、「一致」という評価は無意味。付着していた血液のほとんどがA型で最も残酷な殺され方をした次女のO型が全く検出されないのはありえない。ねつ造の可能性が強く疑われる。

㋑も同様に衣類の損傷はねつ造の可能性を否定する根拠にはならず、ズボンや半そでシャツなどのずさんな損傷の生成は、かえってねつ造の疑いを増すばかり   。

㋒隠した時期について、確定判決は7月20日以前でそれ以降はほとんど不可能と言うがそれ自体が間違い。十分可能だった。翌年7月25日以降には味噌の取り出しが始まり、8月末にはシャベルがタンクの底に届くほどの味噌しか入っていなかったので、この会社の従業員によって、作業中にごく自然に発見されることになった。

㋓は入れられた時期とは全く無関係で、ねつ造を否定する根拠にもならない。

結局、5点の衣類がタンクに入れられた時期は確定できず、よって犯行着衣であると認定することはできない。もし発見時直前に入れられたのなら袴田さんは無関係で、ねつ造の可能性を否定できないにもかかわらず、明確に時期を特定することなく、確定判決等が犯行着衣であると認定したのは明らかな誤り。それは証拠評価の誤りではなく、犯行着衣と認定するための事実や証拠を欠いていた。『5点の衣類』は犯行着衣ではない!!      

 

 

一審の高裁、最高裁の重大な誤り

「衣類が味噌タンクに1年余りも漬かっていたような状態が、一朝一夕にできるとも思わない」    (東京高裁決定)1976.5.18

「5点の衣類及び麻袋は、長期間味噌の中に漬け込まれていたものであることは明らか」     (最高裁決定)1980.11.19

 

弁護団による味噌漬け再現実験の結果、20分で5点の衣類の色は再現された!

 

高裁決定の認定の誤り

「味噌漬けの当時のカラー写真は再現性が悪く、これを基に色について論じることはできない」

 

東京高裁、最高裁も当時のカラー写真を基に衣類の状態を確認したもので(上記)、これを否定することは、東京高裁や最高裁の判断にも反している                        

 弁護団による味噌漬け実験の、わずかな時間で味噌色に染めることができるという事実に対して、カラー写真が劣化退色しているとか、当時の赤味噌の色が薄かったなどいうのは単なるケチ付けに過ぎない。

 

確定判決の証拠構造は空洞!

確定判決の「5点の衣類は犯行着衣であり、袴田さんの物である」という認定は、そのために必要な事実や証拠が存在せず、5点の衣類が味噌タンクに入れられた時期もあいまいで、合理的な疑問が山積。刑事訴訟法で言う適正手続きに反しています。ねつ造の可能性を否定できないにもかかわらず、犯行着衣であると認めたことは誤りであった。確定判決等の証拠構造は、ぜい弱であるという以上に有罪認定を支えるべき証拠の柱がない空洞構造であった

                                                       

最後に、裁判所の立場で考えたとしても、公正な裁判が行われたとは言えないことを明らかにしておかねばなりません。たとえ本田教授によるDNA鑑定の手法が否定されたからといって、衣類に付着した血痕が袴田さんの物でも被害者らの物でもあるとされたわけではないのです。同様に、味噌漬け実験報告書が排斥されたからといって、衣類が長期間味噌漬けになっていたと証明されたわけではありません。それらのことから帰結される結論は、グレーだということ。5点の衣類が袴田さんのものかどうかは、分からないということでしかないのです。とすると、結論は再審開始決定が相応しい。再審を開いて、そこで再度の審理を始める決定を出すのが相当でした。

高裁大島決定は偏見と思い込みに頼って、安易に5点の衣類が犯行着衣ではない可能性を否定した。静岡地裁の再審開始決定がねつ造の可能性を指摘した以上、大島裁判長は予断と偏見を排し、ねつ造ではない証拠を明示しなければならなかった。          

清水一人                                                                                                     

                                                                     

 

 

それでもスネの傷はなかった!

大島決定著しく正義に反する重大な事実誤認!最高裁は直ちに再審開始を!

 

2018年6月11日東京高裁大島裁判長は、静岡地裁村山裁判長の再審開始決定を取り消し、40年前の死刑判決を維持するとんでもない決定を出しました。この決定は本田教授によるDNA鑑定の『手法が信用できない』として、40年間積み上げてきた弁護団による無罪の証拠をことごとく排除し、検察の主張を一方的に認める著しく偏ったものです。

 

静岡地裁の決定では『捏造の可能性』まで指摘された「5点の衣類」の数々の疑問に対し、検察すら言っていない『捏造するのであれば袴田が普段はいていた寸法に合わせるはずだ』とか『ズボンの損傷が不自然なのが自然』で『捜査機関が捏造するのなら、わざわざ不自然なやり方をするとは考え難い』と何の根拠もなく検察の主張を補強しています。そしてこのような偏見と思いこみによって『捜査機関にはパジャマでの犯行という、供述と矛盾する捏造をする動機がない』と静岡地裁の決定と180°異なる結果になるのは当然だと言えます。まさに弁護団が指摘するように『初めに結論ありき』で検察の意見を丸写しの決定で、無実の人を死刑にするかもしれない(検察の主張に合理的な疑いがないか)という恐れと真摯な態度が全くうかがわれません。高齢の袴田さんと家族にとって一日千秋の日々をもて遊び、裁判官の責任を放棄した、こんないい加減な決定で袴田さんは再拘束され、死刑が執行される道がまた開かれてしまったのです。

 

全文で123ページのこの決定文は57ページまでがDNAに関する記述で、当然DNA鑑定などしたこともない裁判官にとって借り物の議論でしかないわけですが、他の個所も根拠のない憶測と机上の空論によって他人(検察)の言葉を自分の意見のように述べているだけのものです。1つ1つこれらに反論し事実を積み上げていく中で、刑訴法411条第3項『重大な事実誤認』があって高裁決定を破棄しない限り、『著しく正義に反する』ことを明らかにしていくことが必要です。ここでは私たち「浜松 袴田巌さんを救う市民の会」が注目してきた『すねの傷』の部分だけ紹介したいと思います。

 

 

/11東京高裁決定より

◆「すねの傷」に関する部分の記述(全文)

《P72下から2行目よりP74上から4行目まで》

なお、弁護人は、○○(専務)との格闘の際に向う脛を蹴られたとの自白に相応するように事件後の昭和41年9月8日には袴田の右下腿前面に比較的新しい打撲擦過傷が認められ鉄紺色ズボンの右足前面のかぎ裂き様の損傷があった旨認定している所、同年7月4日に〇〇(山田医院)で受診した際の記録や同年8月18日に実施された身体検査の調書にも記載がなく、そのような傷は、逮捕時の袴田には右足すねの傷は存在せず、その後に生じたものであることが明らかになったとし、袴田の自白は事実に反するもので、このことは鉄紺色ズボンの損傷は、その自白に合わせて捏造されたものであることをうかがわせるという。しかしながら傷の成因は別としても、袴田の右下腿部には本件発生日から打撲擦過傷痕があったこと自体は、確定審において袴田自身が一貫して認める供述をしているのであって、同年7月4日に医師の診療を受けた際や同年8月18日の逮捕直後の身体検査においては、袴田の申告や供述から容易にわかる顔部や腕部等にある傷であれば医師や係官が見逃すはずはないとはいえるものの、袴田を全裸にでもしない限りはズボンに隠れている場所の傷まで発見することは困難であって、診療の目的や逮捕直後の身体検査の所要時間等から見て、そこまで徹底した検査が行われたとは考え難く、所論のような根拠で、逮捕時の袴田の右すねに傷がなかったとは言えない。また、鉄紺色ズボンの損傷が蹴られた際に出来たものであるかのような控訴審判決の認定については、通常〇〇(専務)が裸足であればもちろん、仮に靴を履いていたとしても、〇〇(専務)に蹴られることによってカギ裂き様の損傷がズボンに生じるという可能性は低いことや、傷の形状とズボンの損傷の形状が必ずしも整合しているともいえないことから疑問がある。そうであるとしても、控訴審判決は、自白と鉄紺色ズボンの傷が適合する旨を補足的に述べたにとどまっている上、鉄紺色ズボンの損傷の成因は、家屋への進入の際や犯行の際の何らかのものとの衝突・擦過を始め種々のものが考えられるのであって、鉄紺色ズボンと本件の結びつきが否定されるものではない。また、仮に、捜査機関が鉄紺色ズボンを犯行着衣として捏造するのであれば、通常何かに引っ掛けた際に出来るカギ裂き様の損傷や成因が自白でも説明されていない損傷を数か所もズボンに作るなどということは考え難い。結局、弁護人の主張は採用できない。(   線、太字は筆者)

 

それでも『すねの傷』はなかった!!

◇無知と偏見、あまりにもひどい大島決定の内容

私たち浜松袴田巌さんを救う市民の会は東京高裁の控訴審の段階で事件直後や逮捕時の記録の全てに『すねの傷』がないことを発見し、「冤罪の証拠その5すねの傷の真実」をホームページに載せ(*1)DVDを作成し、『すねの傷』が逮捕後に出来たものであることを明らかにしてきました。6/11大島決定では123ページにのぼる全文で3分の1をDNAの不毛な科学論争に終始し、たった1ページと数行(上記)をこの問題に割き反論している。ぜひもう一度私たちの文章と見比べていただきたい。

 

8月18日の逮捕当日、3回の身体検査ですねの傷を発見できなかった言い訳は検察の意見書と全く同じです。しかしながら、この決定文がひどいのは検察の稚拙な弁解を擁護するだけでなく、検察すら言っていない「全裸にでもしない限り…発見は困難である」と言い切っている事です。裁判所が出す身体検査令状の意味を裁判所自ら否定するものです。写真や指紋を取るだけなら令状は必要なく、わざわざ裁判所が許可して令状を出すのは、事件と関係する傷などを徹底的に調べるために、身体検査を行う必要があるからです。刑訴法218条第2項は身体検査令状は被疑者を裸にすることを前提に書かれています。小学校の身体検査でさえ、パンツ1枚で行われるのが常識なのに、一家4人殺し、強盗放火事件である本件でズボンをはいたまま身体検査なるものを行ったなどとは到底考えられません。事実、事件発生と同じ昭和41年、選挙違反や駐車違反などで逮捕された女性が全裸にされ、陰部まで調べられ、それが人権問題になっているという資料(*2)を私たちは確認しています。裁判官自身の無知とありえない空想による結論が「すねの傷はなかったとは言えない」であって、裁判官が自信を持って「すねの傷はあったとは言えない」ことは明らかです。大島裁判長、それでも袴田さんを死刑にしますか?

 

◇裁判所は検察の味方か?裁判官に良心はあるか?

さらに決定文は控訴審判決での「専務に蹴られたすねの傷」のくだりを矮小化して、補足的に述べているだけだと言っていますが、東京高裁の控訴審判決文はこう述べています。

 

「パジャマを着て犯行におよんだとする点等に明らかな虚偽があるが、この点については味噌タンク内の衣類が未発見であるのを幸いに被告人が捜査官の推測に便乗した形跡があり、これを根拠に調書全体の信用性を否定するのは相当ではない。専務との格闘の際に腿や向こう脛を蹴られたとの自供内容に相応するように事件後の9月8日には、被告人の右下腿中央から下部前面に4か所の比較的新しい打撲擦過傷が認められたうえ、事件後1年2か月経った頃発見された鉄紺色ズボンには右足前面に2,5cmx4cmの裏地に達するカギ裂きの損傷があった。」(1976年5月)

 

今回の高裁決定文の特徴は「…に疑問がある」と一見弁護団の主張を取り上げるふりをしながら「そうであるとしても」という形で40年という歳月を経るなかで新たな矛盾を積み上げてきた再審の流れをすべて否定して、40年前に時計を撒き戻すという全く許すことができないひどい内容です。無実の人を死刑にするかもしれないという真摯な態度のかけらもない軽薄な文章に怒りがこみ上げてきます。

 

中学生程度の国語力の持ち主なら、確定判決の「自供内容に相応するように」は「打撲擦過傷が認められたうえ」と「かぎ裂きの損傷があった」の両方に対等に掛かる文(並列)だということが理解できます。これのどこが「補足的に述べたにとどまっている」と言えるのでしょうか?公判で袴田さんと事件を結びつける証拠が何もなく、犯行着衣の訴因の異例の変更によって、供述調書の信用性、任意性が大きく揺らぐ中、唯一袴田さんの供述の信用性を裏付けるのがすねの傷であったのです。

 

そして5点の衣類のズボンに残る傷はこの時できたものであるとすることが重要でした。決定文が言うように何かの途中で衝突,擦過したものであれば犯行着衣としては認定し難く、殺人と放火の現場の混乱する状況下で偶然すねの傷と同じ場所に、それを類推させるようなズボンの損傷が、全く関係ない移動中の事故によってできること自体あり得ないからです。確定判決文ではズボンの損傷がすねの傷に相応しているかのごとき表現をすることで、すねの傷との関連を印象付け、その結果鉄紺色ズボンが犯行着衣として認定され、袴田さんの自白が真実であるとされたのでした。この文脈から少なくとも5点の衣類が発見されて以降、50年近くズボンの損傷は専務との格闘の際に出来たものであるとの認識を弁護団も疑うことは有りませんでした。

 

それなのに今回、検察が言ってもいない他の場所で出来た可能性を、裁判官が検察の主張を正当化するために持ち出すことに驚きを禁じえません。それは検察の矛盾に助け舟を出すに等しい事です。検察と裁判所がグルになったらもうこれは裁判ではありません。この大島決定の性格は本田鑑定を否定することで他の矛盾に目をつむり、検察の主張を代弁するひどいものですが、すねの傷についても全く同様でお話になりません。

 

◇憲法第38条;違法な取調べでの自白は証拠にならない!

裁判所も検察官同様、ことあるごとに「確定審において袴田自身が一貫して認める供述をしている」「自白でも説明されていない損傷」などと、自らの主張の正当性のために、自白をゆるぎない前提のように持ち出します。しかしながら、裁判官自身がこの決定文の中で逮捕後の異常な取調べを認め「自白の任意性、信用性に疑問」としている自白は、平均で1日12時間以上にも及び、トイレにも行かせないなど違法な取調べの結果引き出されたものでした。しかも45通のうち44通は自白に任意性がないといって取り上げられなかった支離滅裂なものでした。

袴田さんを何としても殺人犯に仕立て上げようとする検察はともかく、検察の主張に合理的な疑いがないかを判断するべき裁判官が、信頼性のない自白をタテに論理展開をすることは自己矛盾で、絶対にしてはいけないことです。

 

本当に袴田さんは公判の過程ですねの傷を一貫して認めていたのでしょうか?

事件当夜6月30日に負傷して、警察官が初めてすねの傷の存在を知ったという9月6日は傷が出来てから68日後になります。一般に肉が露出するほどひどい擦過傷を負ったとしても、2か月以上経過すればかさぶたも取れ、ほとんど傷が判別できないくらいに回復します。事実、袴田巌さんは2017年7月13日に自宅近くの公園の10数段の階段から転倒して転げ落ち、顔面強打で腫れ上がり、下腿の擦過傷は肉が露出するほどひどく、救急車で浜松医療センターに入院することになりましたが、2週間ほどでほぼ完治しました。この時袴田さんは81歳、30歳の袴田さんならばもっと回復は速かったと推測されます。

事件後68日経っても存在していた傷は、逮捕時まで全く発見されなかったミステリーは不問にするとして、自白をした時点ではほぼ完治していたと思われます。傷を負った直後の痛みはそれなりに記憶にとどめることはできても、完治していく傷の存在を人はどこまで記憶にとどめることが出来るのでしょうか?

9月6日に8,5cmあった傷が2日後には3,5cmに縮み、しかもすねの傷とズボンの損傷との関連が問題になるのは、1年2か月後、5点の衣類が発見されて以降です。袴田さんは自身の認識として、右手中指の傷と右肩の傷は消火作業の途中で負傷したと自覚し公判でも述べています。すねの傷に関しては上記のような理由で、記憶に不確かなまま、一連の行動の中で負傷したものと判断したとしてもおかしくはありません。公判の場で記憶にないものを答えようとして述べたことが「一貫して認めていた」とされたのです。

 

さらに検察は供述調書を取り上げて「臨場感を持ってこれがその時の傷ですと袴田が証言した」といっていますが、排除された警察官による員面調書に証拠の価値は全くありません。自白にしても、開示された録音テープには調書を棒読みさせられる袴田さんの声は残っていますが、自白に転ずる瞬間の録音だけはありません。結局、すねの傷に関しては自白以外に物証はなく、違法な取調べの結果、自白を強制されたもので、警察官の作文(9・6調書1961丁)を見せられても到底信用できません。

 

◇2回の診察での重大な事実誤認=検察の意見書丸写しの誤り

大島決定には重大な事実誤認があります。すねの傷について、まともに検証することなく検察の意見書をそのまま書き写しただけの決定文は、『袴田の申告や供述から…』と7月4日及び8月18日に袴田さんが申告や供述をしたかのように言っていますが、事件とは無関係の袴田さんが逮捕前の診察で申告や供述をする理由がなく、そもそも7月4日の山田医院の診察は、前日に浜北の実家近くの福井医院で中指の治療をした袴田さんにとって不要なものでした。

折しも7月4日は「容疑者に従業員H浮かぶ」と毎日新聞がスクープをした日です。清水に戻った袴田さんは同僚に強く勧められ、山田医院の診察を受けるのですが、そこに被害者の解剖をした警察医鈴木俊次がいて、鈴木医師自ら創傷検査を行い「傷はすべて見た」と公判で証言し、カルテにも記載されましたがその中に「すねの傷」はありません。福井医院の診察では「金物のような鈍い物」という見立てが、山田医院の診察では「鋭利な刃物の可能性」になり、事件との関連を示唆する重要な証拠になるのです。

この事実から鈴木医師は明らかに証拠になることを認識したうえで診察に臨んだといえます。それでも「すねの傷」は発見できなかった。そういう状況の下で申告云々は関係なく、一方的な診察であったわけで、そもそも検察が申告といったのは福井医院でのことを述べているのを、検察の文章を切り取った裁判官が申告という言葉を使って重大な事実誤認をしたのです。

 

福井医院での診察は、いつものように週末に実家に帰った袴田さんが、消火作業の際負傷した中指の傷が化膿しかかっていたので受けたのですが、このことを検察は「袴田は中指の傷については申告したが、すねの傷は犯行と関係があることを恐れて申告しなかった」と袴田さんは嘘をつくずるい奴だと決めつけて、この申告という言葉を使っているのです。

しかしながら、前述のように68日経ってもなお、変化しつつある傷は、事件から4日後の7月3日の時点では相当重傷であったはずで、指の傷の受診の際に同時に受けることが自然です。検察の言うように事件との関連でいえば、中指の傷こそ隠していたはずです。専務との取っ組み合いの最中に負ったという傷は、本当にくり小刀でできた傷ならば、犯人は一番隠したい傷のはずです。それに比べてすねの傷は、どっかで転んだとかどんな風にも説明はできます。それを検察の推理のように、中指だけ申告して、すねの傷は申告がなかったから診察しなかったというのはありえない話です。すねの傷を隠す必要があるならば、指の傷も自分で治療するなどして隠すのは容易だったはずだからです。

 

◇記録にないから「なかった」んでしょう!

これは愛媛県の獣医学部新設疑惑の記者会見に臨んだ加計学園加計孝太郎理事長の言葉です。この1年、メデイアを通してどれだけこの言葉を聞いたでしょうか?

 

「記憶にも記録にもない」というこの言葉は、真実を隠したい側が記憶はあやふやだが記録は確かだという意味を込めて使われています。そして真実を隠したい側には記録を捏造したり、消すことができることを私たちは目の当たりにしてきました。しかし、袴田さんを逮捕した当日、警察官には記録を消す理由は全くありません。50年近く「あった」とされてきた記録が「なかった」ことの意味は相当大きいものです。

一審の裁判はその時点では完治していたすねの傷の検証は行わず、暗黙の了解のもとで「あった」として審理されてきたからです。もし、逮捕当日に警察の全ての記録にすねの傷がないことを一審の裁判官が知っていたら、石見裁判長と高井裁判官は無罪を主張した熊本典道裁判官の説得をはねのけ、それでも死刑を押通したでしょうか?東京高裁の横川裁判長も「自供内容に相応するように」(確定判決)すねの傷があったと自信を持って言えたでしょうか?もし、たった1通の供述調書が採用されなければ、事件当日「あった」ことも証明できない信頼性のないこんな証拠で、無実であるかもしれない容疑者を死刑にすることなど、絶対にできなかったはずです。

 

◇最高裁は高裁決定の事実誤認を認め、直ちに再審開始を!

6月11日東京高裁大島裁判長は静岡地裁の再審開始決定を取り消し、再び袴田さんを死刑台に送ろうとする決定を下しました。この決定がいかにひどいものか、ここでは浜松袴田さんを救う市民の会が強く訴えてきた「すねの傷」に絞って検証しましたが、本田鑑定を否定することによって、検察の主張をそのまま代弁する独断と偏見の姿勢はすべての項目に一貫しています。たとえば5点の衣類の捏造の疑いに関しては、「自白(パジャマでの犯行)と矛盾する捏造を警察が行うとは考えにくい」と一方的に警察の側に立ち、ずさんな証拠の数々には「捜査機関が捏造するのであれば、もっとうまくやる」などと驚くべき屁理屈で警察の不祥事の尻ぬぐいさえしています。大島決定の背後にある『捜査機関が証拠の捏造などするはずがない』という思い込みは半世紀前ならいざ知らず、今では国民の誰もが信じてはいません。

 

そもそも確定判決にある『捜査官の推測に便乗し』という表現こそ袴田さんの無罪の証明です。犯行現場を知らない袴田さんは捜査官の言うとおりに従うしかなかったからです。同じ事実を見て黒とするか白とするか、これは大島決定にも言えることですが裁判官の見方によって大きく変わります。事実を真摯に見つめることではなく、先入観や偏見で物事を判断したら、決まった結論しか導き出されません。これでは裁判は必要なくなります。

「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則を無視し、数々の疑問にまともに答えようとしない高裁決定には重大な事実誤認があり、検察が「すねの傷」の確たる証拠を出せないこと、それだけで再審開始の要件を満たすものだと思います。

 

30歳で逮捕された袴田さんは82歳、弟の無実を信じ支え続けてきたお姉さんの秀子さんは85歳になります。残された時間は限られています。世界中の人々が袴田事件に注目し、歴史に残る裁判の行方は後世の批判にさらされることになります。

無実の人は無罪に!この当たり前の判決が司法自らの手で正されることを願ってやみません。

 

清水一人

 

 

*2警察庁刑事局発行(昭和41年11月)留置場管理関係資料による

それによると、35歳、41歳、29歳の女性が密造酒所持、選挙違反、駐車違反で逮捕された際、ズロースまで脱がされる様子が詳しく記述されている。

「検察官は、引き返す勇気を」 KG 袴田さん支援クラブからのアピール

袴田事件再審請求即時抗告審の最終局面にあたっての声明

検察官は、引き返す勇気を

2018年5月19日
KG 袴田巖さん支援クラブ

袴田事件の第二次再審請求審の即時抗告審は、もうすぐ決定が出されます。

 

いわゆる郵便不正事件等において発覚した検察不祥事を受けて、検察の在り方検討会議が「検察の再生に向けて」という提言を出しました。その提言は、検察官が「公益の代表者」として、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障を役割とすることを謳い、有罪判決の獲得のみを目的とすることなく、公平な裁判の実現に努めるべきことを主張しています。また、通常公判では有罪の獲得に拘泥することなく「引き返す勇気」の必要性を強調しています。この論理と倫理は、再審請求審においても当然のことです。

 

この提言の趣旨に沿ったものなのでしょうか、検察官は即時抗告審において600点ほどの新証拠を公開しました。遅すぎたという重大な難点はあるものの、その潔い姿勢は注目に値するものです。何故ならば、それらの証拠は袴田さんの無罪を証明するものばかりだからです。

検察官は、公開の前に証拠の全てを点検していることと思います。そこで、こんな証拠を出せば有罪がひっくり返されてしまうと直感したはずです。にもかかわらず、自らに不利になる証拠を敢えて公開したのです。これまでの強引な訴訟姿勢からすると、隠し続けることに躊躇はなかったと思われるのですが、にもかかわらず敗訴を予期しながら公開に踏み切ったと思わざるをえません。このことは、公判担当検事から検事総長に至るまでの共通認識と合意がなければできないことです。東京高裁第8刑事部の裁判官も、その点は見抜いていることと思います。はっきり言うと、新たに証拠を公開した時点で、検察は敗訴を覚悟していたのではないでしょうか。

 

2014年3月27日の静岡地裁による再審開始決定は、大きな波紋を呼び起こしました。袴田事件担当の最高検元検事、竹村輝雄氏がショックを語っています。(2014年4月3日放送のNHK番組『クローズアップ現代』、番組タイトル「うもれた証拠 ~“袴田事件”当事者たちの告白~」)

「それは重いですね。本当に眠れなかった、わたし、この決定を読んでね。検察官としてこれは十分に教訓として反省すべきところです。」

「よく証拠を見ることでしょうね。一方の立場からではなく、公平な立場からみることですよ、証拠を。」

地裁の決定にショックを受けたとしても、自らの非を認めることには、たいへんな勇気が必要だったと思います。謙虚な気持ちと正義感がなければできなかったでしょう。進んで非を認め反省を隠さないこの先輩検察官を、後輩の皆さんは心の底で見習っていることと思います。

 

他にも、振り返ってみるべき事例があります。例えば、足利事件と東電OL事件で裁判の最後を飾った当時の東京高検の態度です

1990年に起きた足利事件の確定判決は無期懲役でした。2009年4月、犯人とされ服役していたS氏のDNA型と被害者の着衣に付着していた体液のそれとが一致しないという結論が出されました。2009年6月、鑑定結果を受けて、東京高等検察庁が「新鑑定結果は再審開始の要件である『無罪を言い渡すべき明らかな証拠』たり得る」とする意見書を提出(事実上の再審開始決定)。併せて「有罪判決を導いた証拠が誤りであった以上、刑の執行を継続すべきではない」として服役中のS氏を釈放したのです。それから2010年2月12日、再審第6回公判で、検察官は「取り調べられた証拠により、無罪を言い渡すべきことは明らか」とし、論告で無罪を求めました。論告に際して、「17年余りの長期間にわたり服役を余儀なくさせて、取り返しのつかない事態を招いたことに検察官として誠に申し訳なく思っています」と謝罪したのです。

 

また、1997年に発生した東電OL事件は、一審無罪でしたが、二審東京高裁で逆転して有罪(無期懲役)。2003年最高裁で有罪が確定、収監されました。2005年に再審請求。2011年に新たなDNA型鑑定で型の不一致が証明され、2012年東京高裁は再審開始と刑の執行停止を決定しました。東京高検は最高裁への特別抗告を断念。2012年10月24日の再審公判初日、検察は「被告以外が犯人である可能性を否定できない」として無罪を主張、結審となったのでした。

 

袴田事件を担当する検察官はこのような検察の歴史の輝かしい部分を十分に理解されていることと思います。弁護人だけが被告の人権を守ることに尽力するわけではありません。元来、裁判官も検察官も、人間の尊厳と自由の砦であることに差はないのです。

また、法の執行者として考慮して頂きたいことがあります。法の執行とは、法の条文と現実とを対比して事実が条文に違反しているかどうかを判断し、その処罰を請求するという表面的、結果的な行為では済まされません。その法(制度)には、立法の目的と理想がたぎっているのです。法の執行とは、その原点に立脚してその意思を実現するために、法律の条文を活用すること以外の何物でもないと思います。再審制度の目的は、無辜の救済(無実は無罪に)です。誤判(誤った判決)の被害者を救助することです。その方法は、証拠が無罪を指し示すならば当然無罪、検察の立証に疑問の余地があるだけでも無罪としなければならないということなのです。

 

検察はこの時点で、引き返していただきたい。再審公判に速やかに移行し、無罪を公に認めていただきたい。袴田事件の裁判が、検察官の華麗なる勇気、潔く真実に忠実な態度への拍手をもって終了となることを願ってやみません。

即時抗告審の大島隆明裁判長って、どんな裁判官?

大島隆明裁判長

大島隆明裁判長

経 歴

1954年(S29)7月28日、東京生まれ。
東京大学卒業後、司法修習生を経て弁護士として登録。主に民事事件に関わる。
1年半後に裁判官に転じる。
S56.10.1 ~ S59.3.31 岡山地裁判事補
S59.4.1 ~ S61.3.31 東京地裁判事補
S61.4.1 ~ S63.3.31 最高裁民事局付
S63.4.1 ~ H2.4.7 福岡地家裁判事補
H3.4.1 ~ H6.3.31 東京地裁判事
H6.4.1 ~ H10.4.2 司研刑裁教官
H10.4.3 ~ H11.3.31 大阪地裁判事
H11.4.1 ~ H13.3.31 大阪地裁13刑部総括 (刑部総括とは裁判長を務める地位)
H13.4.1 ~ H15.8.14 東京高裁9刑判事
H15.8.15 ~ H18.12.19 東京地裁12刑部総括
H18.12.20 ~ H24.6.1 横浜地裁2刑部総括
H24.6.2 ~ H25.8.1 金沢地裁所長
H25.8.2 ~ 東京高裁8刑部総括と、エリートコースを歩む。
定年退官発令予定日  平成31年7月28日

 

1.「日本の刑事裁判官」での大島隆明裁判官。[第32期]

    (webサイトから転載)

特徴的な判決

■逆転無罪 【17/9】 ★業務上過失致死 / 天竜川転覆事故 被告人は事故を起こ
した船には乗っていなかった元船頭主任の方。1審の有罪被告人3名中、
ただひとり控訴していた   控訴審で被告人質問採用されず / 2017
年1月の1審判決から8か月後の逆転無罪判決★1審・静岡地裁/佐藤裁
判長の有罪判決を覆す at 東京高裁

■1審無罪支持 【16/11】 ★覚せい剤の密輸&関税法違反 / 被告人はタイ人2
名 裁判員裁判★1審・千葉地裁/金子裁判長 with 裁判員チームの無
罪判決を支持 at 東京高裁

■1審破棄、差し戻し 【16/9】 ★傷害★1審・千葉地裁/高木チームの無罪判
決を破棄、差し戻す at 東京高裁

■逆転無罪 【16/5】 ★心神喪失>殺人× 「心神喪失状態」 と主張し始めたのは
控訴審から★1審・長野地裁松本支部/本間裁判長 with 裁判員チームの
有罪判決を覆す at 東京高裁

■逆転全面無罪 【15/11】 ★殺人未遂ほう助も無罪×オウムによる東京都庁爆発
物事件×26(う)1331★1審・東京地裁/杉山裁判長 with 裁
判員チームの一部無罪判決転じて、有罪判決を覆す at 東京高裁

■1審無罪支持 【15/7】 ★強盗致傷など★1審・東京地裁/杉山裁判長 with 裁
判員チームの無罪判決を支持 at 東京高裁

■逆転無罪 【15/5】 ★背任×被告人は元弁護士★1審・静岡地裁浜松支部/青沼
チームの有罪判決を覆す at 東京高裁

■1審破棄、差し戻し 【15/2】  三鷹ストーカー刺殺事件の2審で東京地裁支部の有罪判決(懲役22年)を覆すat 東京高裁

●1審無罪 【08/11】 ★傷害×県立高校定時制の食堂で職員から生徒への注意の延長線上の出来事★ at 横浜地裁

●再審開始決定 【08/10】 ★横浜事件×第4次再審請求★ at 横浜地裁

●1審無罪 【07/7】 ★犯人隠避教唆×交通事故★ at 横浜地裁

●1審無罪 【07/2】 ★ビル虚偽登記事件★ at 東京地裁

●1審無罪 【06/8】 ★マンションで政党ビラ配布×住居侵入★ at 東京地裁

●逆転有罪 【07/12】 ★覆される by 池田(修)チーム/東京高裁

●1審無罪 【04/2】 ★現住建造物等放火&詐欺★ at 東京地裁

●1審無罪 【00/5】 ★業務上過失傷害×交通事故★ at 大阪地裁

 

 

2. 元オウム信者の菊地直子さんに対する東京高裁控訴審での逆転無罪判決。

東京地裁での第1審、裁判員裁判です。
菊池さんは、地下鉄サリン事件や猛毒のVXガスによる襲撃事件については不起訴となり、東京都庁の郵便物爆破事件で起訴されました。2014年6月30日に懲役5年の有罪判決。「爆発物がつくられるとまでの認識はなかった」として爆発物取締罰則違反幇助罪は認めなかったのですが、「教団が人の殺傷を含む活動をしようとしていると認識」していて爆弾の材料を運んだという罪で、殺人未遂幇助罪が認められたのです。
菊池さんは、特別指名手配されて17年間の逃亡生活の後に逮捕されました。物証はなく、危険物を運んだことは認めるが、爆弾の材料だとは知らなかったと主張しました。証人として出廷したオウム教団幹部の井上死刑囚は、活動の内容や目的を説明し爆弾のことも話したら、被告は「頑張ります」と応えたと証言。しかし、同じく教団幹部の中川死刑囚の証言では、被告は幹部ではなかったので、そんなことまで知らなかったということでした。

争点は、運んだものが爆弾の材料だったので、運搬した際にテロに加担しているという認識があったか、それともなかったかという点に絞られたわけです。結果は、殺人未遂幇助罪で懲役5年有罪判決。その決め手は、中川証言よりも井上証言の方が信用できるということと、自分が無罪であれば17年間も逃げているのは怪しいという理由でした。

東京高裁での控訴審。大島隆明裁判長が担当します。
菊池さんは事実誤認があるとして控訴。控訴審では2015年11月27日、「一審判決を棄却、被告人は無罪」とする逆転無罪判決が出されました。
有罪にした第1審は裁判員裁判でした。しかも「オウムは悪い奴らだから、みんな有罪にしろ」という風潮の中でのことです。誰しもオウムは怖いし、その一員だったのだから責任をとって当然と思っています。(この悪い奴らは理屈抜きに懲らしめてやればいいという考え方は大問題です)。1審判決を支持して有罪とし、量刑を少しまけてやるくらいでも良かったし、その方がマスコミや法曹界にも受けたことでしょう。

大島裁判長は、周囲の偏見に対して冷静でした。「疑わしきは罰せず」の原則に則り、刑事裁判のルール(デュープロセス)に従って毅然と無罪を言い渡したのでした。一審判決の判断は、経験則、論理則に反する不合理な点がある。
つまり、爆発物取締罰則違反幇助罪が成立しないのだから、爆弾の材料だという認識があったというのには無理がある。また、一審判決の根拠となった井上嘉浩の証言は合理性を欠く。つまり、かなりの年月が経過しているのに、些細なエピソードの記憶が鮮明過ぎ、反って信用性が薄い。さらに、長期間逃亡をもって殺人未遂幇助の意思を認定できない。
以上3点の理由で、有罪とするには合理的な疑問がある。疑わしいだけでは有罪にはできない。従って無罪とするしかないと判断したのです。世間の風当たりや批判を承知での勇気ある英断、近代刑法、刑事訴訟法の鏡といえる無罪判決でした。

また、大島裁判長は、判決の言渡しの後、証言台の前に立つ被告に「審理した結果、法律的には無罪となりました。ただし、客観的には、あなたが運んだ薬品で重大な犯罪が行われ、指を失った被害者が出ています。あなた自身が分からなかったとしても、あなたの行為が犯罪を生んだことを、心の中で整理してほしい」と諭したのです。

その後、2017年12月27日に最高裁判所で上告が棄却され、無罪が確定。

 

 

3.  2010年10月、大島裁判長が横浜事件に決着、実質的に被告は無罪の冤罪事件として認定。

横浜事件は、太平洋戦争中の1942年から1945年にかけての事件。総合雑誌『改造』に掲載された細川嘉六さんの論文「世界史の動向と日本」が新聞紙法違反とされ、細川さんが逮捕されました。そして、その捜査中に発見された写真が問題になったのです。細川さんの出版記念で宴会をしたときの記念写真一枚をとりあげ、それを唯一の証拠として、日本共産党再結成を謀議していたと決めつけられました。悪名高い治安維持法違反で改造社と中央公論社をはじめ、朝日新聞社、岩波書店などに所属する編集者、新聞記者ら約60人が逮捕され、拷問され悲惨なことに4人が獄死、約30人が有罪となりました。この事件は神奈川県警管轄の事件だったので、横浜事件と呼ばれています。

戦後、無実を訴える元被告人やその家族・支援者らが再審請求をし続けた結果、60年後の2005年に再審が開始されました。横浜地裁での再審公判では、免訴判決が下されました。免訴とは、刑事訴訟において、裁判所が有罪・無罪を判断することなく訴訟を打ち切る判決。確定判決を経ている時、刑が廃止された時、大赦があった時、時効が完成した時に限って出されます。「ポツダム宣言廃止とともに治安維持法は失効し、被告人が恩赦を受けたことで、免訴を言い渡すのが相当」という判決でした。高裁、最高裁ともにその判決を引き継ぎました。納得のいかない再審請求者はさらに再審請求を重ねます。

2008年10月、第4次再審請求審の横浜地裁で大島隆明裁判長が担当、再審開始を決定しました。その後の再審公判ではまたもや免訴の決定でしたが、大島裁判長は無罪の可能性を示唆。「免訴では遺族らの意図が十分に達成できないことは明らか。無罪でなければ名誉回復は図れないという遺族らの心情は十分に理解できる」と述べ、刑事補償手続での名誉回復に言及したのです。この判断を受けて、原告は控訴せず刑事補償手続きに移行しました。
(大島裁判長にしてみれば判決に無罪と書きたかったのでしょうが、そうすると高裁、最高裁で覆されるのは容易に想像できるのです。ここで無罪判決をだすことが、必ずしも最善ではないと考え免訴を選択、その上で刑事補償の法廷に舞台を移し、そこでもっと踏み込んだ決定を出すことにしたと思われます。法制度や裁判所や法曹界のしがらみの中で、実質的に無罪判決に導き冤罪被害者に報いようという知恵者の編み出した策です。

元被告遺族は刑事補償を求めて横浜地裁に請求手続き。審理担当は、またしても大島隆明裁判長でした。2010年2月4日、大島裁判長は元被告5名に対して、請求通りの金額(約4千7百万円)を支払うよう決定。その中で特高警察による拷問を認定し、共産党再建謀議とされた宴会は「証拠がなく事実とは認められない」と判示しました。
その上で、この冤罪事件は「特高警察による思い込みや暴力的捜査から始まり、司法関係者による事件の追認によって完結した」と認定し、「警察、検察、裁判所の故意、過失は重大」と警告しました。もし再審で実体判断が行われた場合には無罪判決を受けたことは明らかであると述べて、実質的に被告を無罪と認定し、事件が冤罪であったことを認めたのです。

 

 

4. 無罪判決を次々に出しても、公平で優秀だから評価が高い。

袴田事件の第2次再審請求審での村山裁判長の再審開始決定と似ていると思いませんか。大島さんは人間の自由と尊厳を大切にし、デュープロセスに立脚した公平な裁判ができる裁判官です。日本の裁判官にも硬骨漢が居ることを証明する貴重な方であるといっても過言ではありません。
司法記者からの評判はすこぶる良好。刑事事件では「被告人に適正な処罰を与える」のがモットーで、法曹界では「証拠を多面的にとらえ、検察、弁護側のいずれ寄りの立場も取らない異色の裁判官」という評価です。
(検察側、弁護側のいずれ寄りの立場も取らないのは、裁判官として当たり前のことですが、それが当たり前でないことが大問題なのです。裁判所(官)が近代の法体系の精神に立脚して仕事をすれば、自白の強要や証拠のねつ造は裁判ではねられてしまい、冤罪は消えてなくなるに違いないのですから)

『裁判官の品格』(池添徳明著)の中では、このように紹介されています。「実務実習などでも一緒で親しかった同期の弁護士は、「博識ですごく頭のいい人です。人をやり込めたりすることもなく、穏やかな感じで人の話もよく聞く。何にでも幅広く興味をもって好奇心が旺盛でしたね」と当時の様子を振り返る。」「無罪判決を次々に出しても、公平で優秀だから大島さんは裁判所の中で浮いていないし評価もされている。東京地裁や横浜地裁といった大都市で裁判長を任されているのも、信頼されているからでしょう。良識派の珍しい裁判官だと思います。」
以上のような経歴をもつのが、袴田事件再審請求即時抗告審を担当している大島隆明裁判長です。
これまでの即時抗告審での経過を見ると、内容的な勝負はついています。明らかに検察側の負けです。しかし、そうだからと言って勝訴するとは限りません。それは、静岡地裁での確定判決がそうであったように、そして多くの刑事裁判がそうであるように、最終的には裁判官の心証や考え方(知見、時には偏見)に結果が大きく左右されるからです。
即時抗告審の決定は、再審開始とともに死刑と拘置の執行停止にまで踏み切った村山裁判長の勇断の後に続き、その当否を判断するわけです。私から見ると輝かしい経歴を備えている大島裁判長、来年定年退官を迎えます。袴田事件という世界から注目されている裁判に、今回どんな決定を出されるのでしょうか。

(文:和泉湧)

私の死刑廃止論

和泉 湧

無辜の保護という一点のみで、死刑廃止は正当化できる

袴田事件のようなえん罪事件では、死刑制度が決定的な問題として直ちに浮かび上がってくる。死刑が執行された場合、取り返しのつかないことになるからだ。未だに死刑制度を存置している日本は、果たして先進国の一員なのであろうか。世界の先進国とは、カネやモノをより多く持っているからなのか。そうではあるまい。人間の生命と尊厳に対して、国民の一人一人がどれだけの敬意を払い、それを社会的に保障しているか。その点を基準とするのが本当であろう。

2014年3月27日、再審開始決定で、袴田さんは釈放された。その翌日、駐日英国大使館はツイッターに、こう態度表明した。

「45年間にわたり死刑囚として収監されていた袴田さんが、証拠がねつ造された疑いがあるため、釈放されました。これは、司法が万能ではないこと、そして日本が 死刑 を廃止する必要性を示しています」。

イギリスでは、死刑執行後に真犯人が発覚した「エヴァンス事件」という冤罪事件をきっかけに死刑廃止の機運が高まった。1960年代に反逆罪など一部の犯罪を除いて死刑が廃止され、1998年に完全な死刑廃止に至っている。
この英国大使館の日本へのメッセージは、日本という独立国家の主権を侵害するものではない。我々は、日本国民である前に人類(世界)の一員である。日本の生活と文化をその基盤として支えている世界的な文明の恩恵を享受している。国によって文化の違いは認められて当然であるが、人間の自由、平等、尊厳を保護するという社会の底流にある文明の素について、イギリスには当てはまるが、日本人にはなじまないなどというものではない。世界文明のキーストーンとしての人権尊重の思想は、人類社会において普遍性を備えている。

死刑は、不可逆的で絶対的な刑罰である。元の生きている状態に戻すことはできない。また、「身体刑」の究極であって、切り落とす身体部分を腕一本にするか、そこに足一本を付け足すかという相対勘定も入り込めない。また、死刑は人体に直接襲いかかるばかりではない。死刑を前にして、迫りくる絞首刑を想像することが耐えられない苦しみを与える。判決が出されてから執行されるまで、死刑囚を四六時中脅かしているのだ。
捜査官も裁判官も、人間である以上間違いを犯すことがある。裁判では「真実」を確実に発見するという保証はなく、誰がやってもどこまで行っても冤罪の危険性から自由ではない。刑事司法の法体系には、再審制度がその中でレギュラーポジションを占めている。それも近代が始まるのと軌を一にした歴史をもち、日本も採用する英米法では、無辜の救済のみを目的としている。確定判決を受けた者の利益のためにのみ再審が認められるのだ。最近、再審請求中であるにも拘わらず死刑執行が相次いでいるが、それでは無法状態ではないか。もとより、万が一の間違いから人の命を守るためには、社会のルールとしての死刑はあってはならない。無辜の生命を保護するためには、明らかに有罪と判ずることができる場合であっても、死刑は排除すべきである。「疑わしきは、被告人の利益に」「10人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰してはならない」という刑事司法の原則を徹底させなければならない。法体系から死刑をなくすことは、無辜の保護という一点のみでも正当化される。

袴田事件だけではなく、実際のえん罪事件の裁判を覗くと、酷くレベルが低い。「こんなことも認められないのか」「それはないだろう」ばかり。裁判において、検察官の牽強付会ぶり、また、裁判官の「自由心証主義」という名のもとでのコジツケとその強弁に対して、「誰にでも簡単にわかることを認めてもらう」のが裁判での弁護側立証だと言われるほどである。
さらに、逮捕から公判に至るまで無実を主張し続けると、「反省がなく、情状酌量の余地がない」と勝手に判断され、死刑判決が出るケースが多い。なんと、「推定無罪」ではなく「推定有罪」がまかり通り、屁理屈で武装したえん罪事件の死刑判決がこれまで続いてきた。そして今後も繰り返されていくことが予測される以上、極刑である死刑の存置を決して許してはならないと考える。

死刑は公務員による野蛮で残虐な刑罰である

死刑制度は廃止されなければならない。何故なら、野蛮で残虐に過ぎる刑罰だから。
日本国憲法には、こう規定されている。
第三十六条【拷問及び残虐な刑罰の禁止】
公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁止する。
ここで言う残虐な刑罰とは何を指すのか?死刑以外にはない。従って、日本国憲法が施行されると同時に、死刑制度は廃止されなければならなかったのだ。
憲法九条では、国の交戦権を否定している。要するに、国家が戦争で外国人を殺してはならないということを命じている。国家権力の発動として、外国人は殺してはいけないのに日本人を殺して良いはずはない。「善人」であろうが「悪人」であろうが、誰に対しても国家権力は殺人のライセンスなど持ってはいないのである。
死刑とは、人権侵害の究極である。自然権としての人権とは、どんな法律にも規制されず、どんな契約にも縛られない。国家、法律、契約などに絶対的優先権を持つ。自然に備わっている天賦の権利が人権なのである。刑法に死刑を取り入れても、本来それは無効である。そして、死刑の存廃は多数決で決める課題でもあり得ない。

日本で採用している死刑は絞首刑である。絞首刑の残虐性が裁判で争われたことは、何度かある。いずれのケースでも、「絞首刑は憲法36条にいう残虐な刑罰ではない」との最高裁判所の確定判決(死刑制度合憲判決事件)が出ている。
ならば、実際の死刑がどのくらい残虐なのか、証言を求めよう。

「処刑された遺体から目と舌が飛び出ていて、口や鼻から血液や吐しゃ物が流れ出し、下半身から排せつ物が垂れ流しの状態だった。」
「ロープにこすられて顔から肉がもぎ取られ、首は半ばちぎれていた。」

次は、明治時代の記録で、小野澤おとわという人物の絞首刑執行である。

「刑台の踏み板を外すと均(ひと)しくおとわの体は首を縊(くく)りて一丈(いちじょう)余(よ)の高き処(ところ)よりズドンと釣り下りし処、同人の肥満にて身体(からだ)の重かりし故か釣り下る機会(はずみ)に首が半分ほど引き切れたれば血潮が四方あたりへ迸(ほとばし)り、五分間ほどにて全く絶命した」「絞縄(しめなわ)のくい入りてとれざる故、刃物を以て切断し直に棺におさめた」

このくらいで吐き気を催すから止めておく。日本と同じく死刑存置国のアメリカでは、絞首刑は非人道的とされ、残虐性を薄めようと努めている。絞首刑から電気椅子での刑になり、今では薬殺刑が主に選択されている。絞首刑は失敗することがあって、凄惨な事態を経験したからだという。

世界各国で実行されている死刑の種類を記し、想像力を働かせるための参考に供したい。
絞首刑(つるし首)、電気刑(電気椅子)、ガス殺刑、銃殺刑、斬首刑(首を切り落とす)、石打刑。イランや北朝鮮では、刑の執行を公開している。歴史を振り返ると、さらに残虐な方法がある。拷問の歴史もそうだが、死刑の歴史は酸鼻を極める。
絞首刑、斬首刑、鋸挽き、生き埋め、十字架刑、溺死による処刑、薬殺刑、杭打刑、串刺し刑、磔刑、腰斬刑、皮剥ぎの刑、腹裂きの刑、凌遅刑、石打ち刑、火刑、釜茹で、銃殺刑、突き落とし、車輪刑、電気椅子、炮烙、圧死刑、四つ裂き刑)、八つ裂きの刑、猛獣の餌食等。
かつて、我々の祖先はかような残忍非道 に手を染め、あるいはその手にかかってきた。現代でも、報復感情が爆発するとこのような狂った罰を欲することがあるから恐ろしい。人間以外の動物の世界に殺し合い(死刑)はない。傲慢にも、人間は非道に対して「ケダモノ!」と罵るが、実は人間はケダモノ以下なのではないか。

死刑は応報。威嚇効果、隔離効果もある。だから良いのか

かつて、死刑がのさばっていたころ、「刑罰は、悪に対して悪をもって対抗する悪反動であるため、犯した犯罪に相当する刑罰によって犯罪を相殺しなければならない」という絶対的な応報が唱えられていた。死刑を理論的に正当化するための刑罰応報論である。だが、放火による殺人には火あぶりの刑を、刺殺の場合には磔刑(磔(はりつけ)にして刺し殺す刑)を、というように、そこまで具体的に対応させてきたわけではない。「殺人には殺人を」ということである。この相殺論では、殺人以外の罪に対して死刑というわけにはいかない。
1948年の最高裁判例では、「犯罪者に対する威嚇効果と無力化効果(隔離効果)による予防説に基づいて合憲」としており、応報刑的要素についての合憲性は排除されている。犯罪者(予備群)に対する威嚇だというが、そうではない。すべての国民に対する威嚇である。もう一つの理由として、犯罪の無力化効果(隔離効果)というが、刑務所に隔離すれば済むこと、何も抹殺までしてあの世に隔離する必要はないではないか。結局のところ、威嚇、脅し。それで凶悪犯罪を予防するというのである。いずれにしろ、野蛮な考え方で、人間の尊厳や生命の価値を基本原則としての論ではない。
死刑が威嚇なら、刑罰全般もそういうことになる。法を犯して社会秩序を乱すと酷い目に合わせるぞ。そんな、脅しで泰平の社会を築こうなどという発想が野蛮ではないか。そういう野蛮で未開な次元から脱却しようとしてきたのが、近代、現代の歴史ではないのか。歴史の進歩とは人口と物が増え生活が便利になっただけではなかろう。圧政との闘いの歴史の行きつく先がこれか。脅されて汲々と暮らすのが理想であったのか。人生を歩む旅人として、北風に曝されるよりも太陽の陽射しを浴びて外套を脱ぎたいものだ。

ここで、冤罪に関わることを思いだす。罪を犯してもいない被告には濡れ衣を証明する手立てはごく限られている。気力だけでは、どうしようもない。だが、被告の生命を手中に握る人たちが死刑にするのに冒す危険といえば、度々やってしまう思い違いだけ。判決で死刑判決を出し、それが過誤であったことが分かっても、何ら罰せられることがないのはどういうわけだろうか。死刑判決に関わった人たちはみんな殺人の共同正犯ではないか。細かいことを云えば、職権の濫用もある。証拠をねつ造した捜査官、それを利用して死刑を求めた検察官、死刑を決定した裁判官の責任はどうなるのだ。被告が冤罪を晴らしても、人生は元に戻らない。えん罪を作った方は、お咎めなしで出世街道を歩き続けるというのは、不公平極まりない。「死には死」ではないのか。そう言いたいところではあるが、人間の命にこんなに著しい軽重があるのは誰しも大いなる不満を禁じ得ないだろう。
しかも、過って無辜を殺してしまう罪だけではない。真犯人を逃がしてしまっている。その罪が付け加わることを忘れてはならない。無辜を罰してはならないと言いながら殺し、真犯人を逃がしてしまうこの二重の罪は、新聞にも雑誌にも載らない、テレビにも流れない。誰も指摘することなく、当たり前のようになっている現状には、戦慄を覚えずにはいられない。せめて、人智が万能ではないのであるならば、「99人の真犯人を逃しても、1人の無辜を罰してはならない」原則を絶対的に厳守すべきである。

被害者遺族の感情はどうなるのか

裁判の実務では、応報論は生きている。犯行の被害の程度を考慮して量刑が行われている。また、「被害者家族の被害はどうやって埋められるのだ。死んでお詫びすべきだ」。死刑肯定論者の感情的にして強力な主張も、応報論である。自分の親兄弟、妻子が殺人事件の犠牲者であったら、その犯人を死刑にせずにはおかないでしょ、と言われる。被害者感情を重視せよ、と言う声が最近とみに大きくなってきている。
被害者の遺族の気持ちを考えてみよという心情は理解できる。では、身寄りのない被害者の場合は、遺族がいないので死刑でなくとも良いのか。遺族の悲しみといっても複雑。我が子や親、親族に対する殺人(尊属殺人)は、殺人事件全体の4割以上を占める。心中事件で死ぬケースを入れるともっと増える。その場合、遺族はストレートに死刑を望むのか。そんなことはない。復讐するとなどと考えもしない。被害者も加害者も身内なのだから、その思いは複雑極まりないのではないか。

被害者遺族の感情を重視するという点で、外国に例がある。イスラム法国家では、被害者遺族が赦した場合は死刑執行が免除されるというコーランの教えがある。また、アメリカでは被害者遺族が死刑を望まない場合は、知事が死刑を終身刑に減刑することが可能である。これらの例は、遺族の思いを考慮して量刑を緩和するケースであって、日本で言われているような遺族に代わって刑を重くするわけではないのである。
日本では被害者遺族が法務省に死刑執行を止めるよう求めても、それが考慮されることはない。遺族の思いとは関係なく処刑している。あるいは、裁判で死刑判決を求めても、遺族の要求だからといってそのまま受け入れられてはいない。すべての事件に被害者遺族がいるわけでもなく、遺族がいてもそのすべてが死刑を期待するわけでもない。また、死刑の執行で遺族の感情が回復し元に戻るなら一考の価値があるかもしれないが、大切な肉親の喪失感を打ち消すことは到底無理であろう。それは完全に解決されることはないが、死刑制度とは別に社会全体の問題として対策すべきではないか

現実の死刑はどうなっているのか。最近の殺人事件被害者数、死刑判決確定者数、その総数(執行されていない数)、死刑を執行された数は、下記の表の通り。

日本の死刑確定者数確定者総数被執行者数殺人事件被害者数
2010(H22)91112465
2011(H23)231310442
2012(H24)91337429
2013(H25)81308370
2014(H26)61293395
2015(H27)41263363
2016(H28)31293289

被害者数は警視庁調べ(犯罪情勢)、以外はアムネスティ調べ
死刑判決を受けるのは、殺人事件の中でも凶悪で、情状酌量の余地がない事件だけ。刑が確定するのはわずかであることがわかる。処刑数も実際にはわずかな数字なので、その痛みが社会に広がっていくこともない。威嚇の効果も知れたものである。

「死には死」とすれば、社会は一体どうなってしまうのか

「誰かを死に追いやったなら死をもって償うべき」という死刑肯定論は、一見反論しにくいと思われるが、この考え方は実に危険。社会を破壊するほど危険である。血で血を贖う死刑制度は社会を残虐に堕落させてしまう。人々の心に戦慄が走り、精神を委縮させたり、狂わせるに違いない。
極端な話をしよう。「死には死」としたらどうなるか、考えてみていただきたい。故意、過失を問わず自分が原因で誰かが死ぬということならば、交通事故や医療事故、過誤による死も当てはまる。交通事故では、年間数千人が命を落とす。これらを殺人事件での死者に加えるとさらに多い数に膨れ上がる。年間に死刑囚が数千人の規模で増えていく。それだけの人数を収容しきれないので、直ちに死刑執行となる。
毎年、数千の絞首刑が執行される。そうなると、死刑の「犯罪抑止効果」、威嚇効果を上げるためには、死刑をより残虐にしかも公開で執行すればよい。そうすれば犯罪が効果的に減少し、死刑囚の数も減るという悪魔のささやきが現実味を帯びてくる。そうするとどうなるか。
1年間で数千人の死刑を誰でも見学できる公開の場所で執行する。それも。全国の刑場を10カ所とし、数千人を処理。各地で毎日2人づつの絞首刑。あるいは毎月まとめると、月に40人くらいづつ一気に処刑されるのである。毎年、数千人ずつ人口が減っていく。否、殺人や事故で数千人が死ぬのだから、合計で一万有余の人命が失われる。さらに想像力を羽ばたかせると、それだけではない。一万有余の人には家族親戚、友人知人がいる。当然彼らも平気ではいられない。数万、数十万、数百万の辛酸をなめる被害者、夥しい犠牲が都市や田園を走り、日本中を覆うのだ。文明社会は崩壊しないだろうか。
確かに犯罪は減るかもしれない。が、どうだろう、その凄惨な光景は。未来社会の荒ぶる姿を、暴力が支配する社会としていち早く描き出すハリウッド映画の場面が浮かぶ。この原点は「命には命で贖う」ということだ。同時に、平和で自由な社会、人間の尊厳は死ぬことであろう。これでいいのか。よさこい祭りよりも頻繁に絞首刑が公開で実行される結末、その地獄絵図は果てしない。

こんな社会をあなたは望むのか。こんな残虐でも平気でいられるのか。見ている子供たちは絞首刑の真似をし始め、大人たちはこんな日常にうんざりすることだろう。年配者は、「こんな社会を作ってきた覚えはない」と嘆き恐れおののくに違いない。「命には命」の論理を単純に突き詰めると、こんな風に社会が残酷に狂い死んでしまうのである。私は、そんな悪夢にうなされるのである。

日本では、「死をもって贖う」のが慣習であった、などと言う言説もある。これは見当違いも甚だしい論。古の日本には死罪はなかった。実に平和な社会であった。極刑は遠島(島流し)。酷い目にあわされた人は死んで祟ると信じられていたからである。「祟り」の信仰によって死罪を避けていた。また、不殺生を説く仏教の教えの影響もあった。そこへ残虐さを持ち込んだのは武士であった。
歴史の時代によって死罪の有無やその形態も変わってきた。が、言えるのは、日本人は残虐さを避ける平和的な民族だったということ。「死をもって贖う」のが古来よりの醇風美俗だという人はきっと、神風特攻隊や人間魚雷回天(一人乗りで爆薬を積み、敵艦に体当たりした特攻潜水艇)、そして震洋(爆弾を積んで体当たりするベニヤ板製のボート)での攻撃を「お国のため」と称して礼賛する人でもあると思う。人権意識ゼロだからである。

さらに言おう。
被害者感情をどうしてくれる、裁判でも被害者遺族の意見を取り入れ遺族の感情に報いるようにしろ。あなたは自分の妻子が殺されたらどう思うか。犯人に死刑を望むことだろう。犯人を許せるか、考えてみろ。と、その興奮は留まることがない。
そう、誰しも自分の家族や親友が殺されたら冷静ではいられない。応報感情を抑えられない。だから、だから。冷静ではいられないから、犯人捜査や刑事司法に関わってはいけないのだ。公正さを担保するために、当事者または当事者に準ずる者はその件に関わることなかれ、というのは民主主義社会の原則。当事者以外の第三者が冷静に問題解決に当たるべきである。
例えば、警察官の子供が事件の被害者となった場合、その警察官はその事件の捜査からは外される。裁判官は自分の家族が関わる刑事事件であれ民事事件であれ、その事件を担当することはない。何故ならば、冷静な捜査や公平な判断ができないからだ。それは人情の暴走から社会を防衛するための知恵なのである。刑事司法に被害者、加害者、その関係者が立ち入って影響を与えるのはタブー。この原則は、現代社会では誰しもが認める常識と言っていい。
付け加えれば、事件の捜査に始まり、公判、刑の執行に至るまでの刑事司法は、かたき討ちではない。リンチ(私刑)でもない。被害者に代わって国家が加害者に報復するわけでもない。私的であれ公的であれ、報復は報復を呼び、復讐の連鎖をもたらす。しかも報復と言っても復讐と言っても良いが、必ず拡大再生産されていく。行きつく先は自滅である。歴史を紐解けば、その事例に事欠くことはない。

国家に国民の生命を与奪する権利はない

「報復としての死刑」や「見せしめとしての死刑」は、歴史的に死に絶えることなく現役で制度化されている国が残っている。しかし、現代史の流れは死刑制度廃止。国連総会は、1989年12月、死刑廃止を目的とする議定書(死刑廃止条約)を採択。その議定書第1条では「本議定書の締約国の領域において、何人も死刑に処せられない。各締約国はその領域内における死刑廃止のため全ての必要な措置をとる」と明確に宣言している。それ以降、野蛮で残虐な死刑を廃止する国が増えてきている。
それは、第二次世界大戦の終結後、7千万人近い犠牲者(直接の死者)を出し国土を焦土と化した惨状を目の当たりにして、人権思想が市民権を獲得して広く周知されてきたからだ。刑罰に関する考え方が転換された。罪を犯した者に対して、苦役を課して(痛めつけて)思い知らせるというのが刑罰。また、犯罪者は社会から隔離して社会を防衛する。そうすることで、社会の秩序を保とうとする。これは非人道的な古い考え方で、ベクトルが戦争と同じ方向、残虐さに向いている。
人間の尊厳は全てに優先する。第二次世界大戦以降の世界は、日本からすると日中戦争と太平洋戦争に負けてアメリカ軍に支配された以降のことだ。世界は、「二度ど戦禍を招かない」と決意した。その原点で社会を再起動させ、人権思想を実現にするべく社会制度の最適化を図ってきた。世界人権宣言に続く日本国憲法がその象徴なのである。
現在、欧州連合 (EU) 各国は、不必要かつ非人道的であることを理由として死刑廃止を決定し、死刑廃止をEUへの加盟条件の1つとしている。欧州議会の欧州審議会議員会議は2001年6月25日に日本およびアメリカ合衆国に対して死刑囚の待遇改善および適用改善を要求する1253決議を可決した。この決議で日本に対して、死刑の密行主義と過酷な拘禁状態を指摘している。
第69回国際連合総では、2014年12月18日、「死刑の廃止を視野に入れた死刑執行の停止」を求める決議が、過去最高数に達する117カ国の賛成により採択された。死刑制度を存置する国々に対し、死刑に直面する者の権利を保障する国際的な保障措置を尊重し、死刑が科される可能性がある犯罪の数を削減し、死刑の廃止を視野にまずは死刑執行を停止することを要請する決議である。
しかし、日本政府は、過去5回の死刑廃止、執行停止決議のいずれにも反対している。賛成国は増える一方であるにも拘らず、反対票を投じ、決議をあざ笑うかのように処刑を断行した。明らかに死刑廃止という世界の動きに逆行。さらに、国連自由権規約委員会の第6回日本政府報告書審査において、日本政府はあらためて、死刑制度の廃止を含む勧告を受けた。日本政府は死刑を廃止しない理由として「国民の大多数が死刑を支持している」からといって、国連などからの勧告に従わないでいる。死刑制度は、もとより多数決で決めるものではない。国民が「拷問や残虐な刑罰」を致し方ないとして認めれば、それらの行為は許されるとでも言うのか。そんなことはない。国民の世論に対して憲法の規定は優先する。ましてや、憲法に先立つのが自然権としての人権なのだ。
48年間被告が拘束され続けた袴田事件は、えん罪の可能性が高い判決として国際的に注目された。昼夜独居処遇による収容体制の見直し、情報の十分な開示、死刑事件における義務的かつ効果的な再審査の制度の確立、および拷問等による自白の証拠不採用など、国連の委員会は厳しい勧告を出した。

いかがわしい世論調査、8割以上が死刑賛成って本当か

2004年に内閣府が実施した死刑制度への賛否調査「基本的法制度に関する世論調査」では、死刑に賛成が8割を超えていたという結果が出ている。しかし、世論調査というものには、必ず「誘導」がある。主催者の意向に沿うような結論が出るように、質問の仕方を工夫する。この調査でもそう。「場合によっては死刑もやむを得ない」という選択肢があった。こう訊かれれば、たいていの人は肯定してしまう。随分とバイアスがかかった質問である。この仕組まれた罠にはまった人が、8割を超えたということなのである。質問の向きを変えれば、結果はまったく異なったものになるに違いない。                                         世論調査で死刑賛成派がいかに多くとも、人間の生存権を否定することはできない。繰り返すが、世論調査で死刑賛成派がいかに多くとも、世論によって人間の生存権を否定することはできない。世論が侵略戦争を支持すれば、隣国に攻め込んでよいのだろうか?世論が認めれば、拷問が奨励されるのだろうか?世論といえども、人間の自由と尊厳を否定することはできない。従って、死刑制度の存置がそれで認められるわけではないことをお断りした上で、その世論調査を検討してみる。

調査の結果は、「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」が6%。「場合によってはやむを得ない」が81.4%。「わからない、一概には言えない」が12.5%であった。ところが、「場合によってはやむをえない」の回答者にさらに聞くと、「将来も死刑を廃止しない」が61.7%、「状況が変われば、将来的には死刑を廃止しても良い」が31.8%、「わからない」6.5%と出た。
この結果を、死刑存置論者は8割以上と言えるのか。「場合によってはやむをえない」の中の「将来も死刑あり」が6割なのだから、本当の死刑存置論者は、全体の約半数というところが実際である。質問の仕方で誘導し、さら恣意的に結果を分析した結果が8割。この「結果」を宣伝することで世論を舵取りしようという意図がうかがわれるのだ。「みんなそう言っている」となれば、世論の流れは加速するのが日本人の風潮であるからして、この宣伝は効く。だが、心の底まで変えることはできないのではないか。太平洋戦争で「天皇陛下万歳」と心から叫んで死んでいった兵士は、本当に多数なのか、疑問である。日本人の表面的な浅薄が言われるが、私はそれを信じてはいない。
現在ではこのキャンペーンが浸透した結果、8割の国民が死刑制度を肯定的に捉えているかもしれない。恐ろしいことである。近年、凶悪犯罪は統計的には減少しているにもかかわらず、厳罰化の傾向にある。マスコミの報道姿勢が操っている。新聞や雑誌は「酷いことが起こっているぞう」と騒ぎ立てた方が売れるから。「悪い奴には人権などない。人ではないのだから、何をやってもいいのだ」などと嵩にかかっている人も目につくようになった。
その手の人は、米軍が広島、長崎に原子爆弾を落として数十万人を虐殺し、何百万人の負傷者、その家族、親戚、友人を犠牲者として残した凄惨な事件に対して、「犠牲者の気持ちになってみろ」「やられたんだかから、やり返せ」といきり立ってもよさそうだが。8割の死刑肯定派であっても、アメリカに報復する原子爆弾の必要性を説く人は皆無である。実のところ、アメリカが強いから「報復」できないとすれば、「死刑」は弱い者いじめと言う外ない。
理性的に考えれば、報復を肯定することはできまい。だから、原爆を抱えてアメリカに向かっていかなくても良い。「ヒロシマ、ナガサキ」の被爆経験から、日本は、そして世界は、絶対的な平和を希求した。人の命の尊さを、命をいともたやすく奪って憚らない暴力の凄まじい恐ろしさを知った。その実感と考え方を、市民社会になお残されている中世の名残りとしての死刑制度にも適用すべきなのである。死刑制度をどう考えるかは、その社会の文明度を表示する。日本国民は、そのことにいち早く気が付かなければならない。
死刑制度は、一日も早く廃止されるべきである。

※下記の画像をクリックすると、「2016死刑執行国マップ」のPDFが別画面で開きます(509KB)
世界の死刑マップ

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