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袴田巖さんに再審無罪を!

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袴田事件における証拠ねつ造

『法学館憲法研究所報』第19号(2018年11月)より転載

袴田事件弁護団事務局長の小川秀世弁護士による東京高裁の再審開始棄却決定も致命的欠陥を突く論考。

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私のDNA鑑定は揺るがない 本田克也 筑波大学教授  朝日新聞(WebRonza 7/3 7/4)

袴田事件、私のDNA鑑定は揺るがない(上)

東京高裁と静岡地裁の異なる判断の背景にあるものは何か。鑑定人の本田教授が語る

本田克也 筑波大学教授

 

DNA鑑定のすべてを否定した東京高裁の判決

4年にも及ぶ審理の末、いわゆる「袴田事件」の即時抗告審における東京高裁の決定が公表された。結果は、静岡地裁が再審開始を認めたのに対して、再審を認めないという正反対の決定である。その理由として、地裁決定で新証拠とされた「DNA鑑定」の信用性を否定するということがクローズアップされたのであったが、この結果を見て、みなさんはどう思われたであろうか。

同じ証拠をみて判断が異なるというのは、どちらかが正しくどちらかが間違いではないか、と思う人もあろう。地裁より高裁の方が上級審であるから高裁の方が正しいのでは、と思う人もあるかもしれない。地裁の方が時間をかけて入念に事実を調べているため、むしろ真実に近い判断がなされることが多いから、むしろ地裁決定が正しいのでは、と思う人もあろう。また、「DNA鑑定」の成否などのような専門性の高い内容を、そもそも裁判所が判断できるのであろうか、という素朴な疑問を持つ人もあるかもしれない。

結論から先に述べれば、静岡地裁ではDNA鑑定の結果を事実としてしっかり調べ、全体のデータの中から有用な情報を引き出した判断がなされているのに対して、東京高裁の判断はDNA鑑定は疑わしいという前提のもとで、そこに用いられた方法の問題点、さらには鑑定人の人間性についての疑惑をできる限り見つけて、DNA鑑定のすべてを否定した結論になっていることがわかる。

功を奏した?検察官の説得

こうしてみると、前者は真実を明らかにしたいという事実に立脚した客観的判断であり、後者は裁判官がどういうわけか抱いてしまった鑑定人への疑惑を証明することを目指した主観的判断である、ということになる。

いったいなぜ、裁判官が「DNA鑑定」に疑惑をもってしまったのか、私にはわからない。個人的に裁判長と過去に関わりがあったわけではないし、裁判の過程で裁判官と関わりがあったわけではない。それどころか今回の高裁での審理では、私は裁判所からいかなる問い合わせも、資料の請求も受けなかったのである。

私が裁判所と関わったのは、審理もほぼ終了した昨年の9月末に行われた証人尋問の一回のみである。とすれば考えられるのはただ一つ、検察官が大変な努力をして、多量の文書の提出によって本田は信用できないと裁判官を説得し続けたことが功を奏したのではないか、ということである。しかし真実は多数決でわかるわけではない。

裁判というものは真実を明らかにするもの、と一般の人は信じているかもしれない。また、かつての私もそうであった。しかし裁判で問題にされるのは書面であり、あるいは尋問によって得られた言語表現であり、客観的事実が扱われるわけではないから、証拠そのものの真偽を明らかにすることはほぼ不可能なのである。

にもかかわらず、東京高裁は裁判官にとっては単なる文献的な知識しかないのに、DNA鑑定の証拠は果たして本物かどうかという、解決困難な議論を強行してしまったのである。

なぜ、袴田さんは再収監されないのか?

それにしても不思議なことがある。それは、再審請求が棄却されながら、どういうわけか袴田さんの再収監がなされなかったことである。つまり地裁決定の後半部分だけは維持されたのであった。ただ、地裁の場合は再審を認めたうえでの、すなわち無罪であることが前提にされた上での判断であり、高裁が理由にしたところの、健康上や生活上の問題からではない。

本来なら再審請求が棄却された以上は、収監されなければならないはずである。それがなされなかった理由はたった一つ、今回の高裁の裁判は袴田さんが無実であるかどうかとはまったく別の次元での裁判であり、その判断とそもそも袴田さんが無実であるかどうかとは切り離して考えられている、ということである。

実は、この決定に今回の高裁審理の本質が表現されている。一言で言えば、決定の「非論理性」ということである。

非論理性で貫かれた4年の裁判

どういう非論理性か? それは、今回の裁判は実は新証拠とされた「DNA鑑定」論争が目的であり、袴田さんの事件とは無関係に論争されたということである。そして、「DNA鑑定」は袴田さんの事件の本質とは無関係であると裁判官が認めていたからこその、非論理的な決定であったのであろう。

こう考えると、東京高裁の裁判長は判断できないような論争に約4年も費やして、無駄な裁判を行ってしまったことがわかる。しかし、もっと不思議なことは、約4年もかかって論争した内容は、まったく決定文には盛り込まれていないのである。まるで、高裁での「DNA鑑定」論争はなかったかのように、検察官の意見書からの部分的引用のみが並べられており、それに対して行われた弁護側の反論はまったく無視されているのである。

特に、高裁での鑑定人尋問で私が質問に答えた内容は、まったく採用されていない。非公開の裁判であるから、中身は何もなかったことにできるところに怖さがあると思ったが、すでに本田に対して「信用できない鑑定人」という先入観を持っていたとしたら、当然だったかもしれない。とすれば、証人尋問は、単なる形式に過ぎなかったとも言えるのである。

これに対し、検察側から推薦された専門家の意見の方は、意図的ともみえる曲解や中傷を含んだものであったにもかかわらず、すべて鵜呑(うの)みにされている。まるで裁判官という名の検察官がもう一人いたかのようである。

事実を無視した判決

裁判官は科学や技術、研究やDNA鑑定については素人なのであるから、両方の意見を公平に聞くべきではなかっただろうか。しかし、結果から見れば、DNA鑑定を否定するために、裁判官がとても理解できないような専門性の高い内容であっても、検察側の見解はそのまま採用し、結果として間違った説明をしているとしたら、問題である。

判決に必要な論理的な判断は、客観的な事実に基づいて行わなければならない。だが、、今回の高裁判決は、主観的な疑惑に基づいた論理が多々、展開されてしまっている。つまり、事実を無視した判決になってしまっているのである。

 

誤った「細胞選択的抽出法」の検証実験

具体的に述べてみよう。今回の高裁審理の論点の最たるものに、鑑定人の私が考案した「細胞選択的抽出法」という方法がある。高裁ではこれに着目して、この方法が有効かどうかを議論しようして、別の専門家を立てて検証実験を行った。

ところが、その専門家はきちんと検証実験を行わず、そこに使われたたった一つの試薬(抗Hレクチン=)にのみ着目し、誤った使い方(細胞を集めるために用いるのではなく、鑑定に用いた濃度よりもはるかに高濃度でDNAに直接作用させて有害性を調べる実験)を「検証」という名のもとに行ってしまったのである。

(注)レクチンとは、植物の種子などに含まれる細胞を凝集させる物質である。鑑定に用いた抗Hレクチンは、すべての血球の細胞膜に含まれるH抗原を識別し、血球凝集を起こす試薬で、血液型判定で通常に用いられている試薬である。抗Hレクチンによる血球凝集反応は、血液型判定の常法として確立した方法である。また今回のDNA鑑定に用いた「細胞選択的抽出法」というのは、抗Hレクチンなどを用いてDNA抽出の前処理段階に細胞凝集過程を置く方法である。

結果として、「細胞選択的抽出法」の検証はまったく行われていない。したがって、「細胞選択的抽出法」の有効性を否定する根拠はなくなったはずである。しかし決定文では、(検証実験は)「本田鑑定と同様の手法を忠実に再現することによって,その信用性を検討した手法によっているものではない」としたうえで、「オーソ抗H レクチンがDNA 分解酵素を含むとの限度では十分信用できる」と認めているのである。

そもそも、「細胞選択的抽出法」を独自の方法であると認めたからこそ「検証」を行ったはずなのに、それをやらなかったとしたら、「独自の方法であり、誰も再現できていないから疑問」と言えるはずはないであろう。「再現できなかった」のではなく、「再現しようとしなかった」のであるから。

この方法は、簡単にかつ数時間で実施できる方法であるから、それを弁護士に再現させたビデオのDVDも裁判で上映し、証拠として提出しているのに、「再現実験は本田の指導、監督の下で行ったものであって、第三者による検証とは位置づけられないものである」(決定文)とされた。「細胞選択的抽出法」の発見者の指導を拒否して、どうしてそれを検証できるのだろうか。疑問があるならできるかどうか試してみればいい。しかし試さないで疑問を持たれ続けているのはどうしてなのだろうか。

国際雑誌で認められた有効性

そもそも、この方法の有効性はすでに国際雑誌(Forensic Sci Genet,2014,10,17-22)に掲載されており、国際学会では何度も発表してきている。それどころか、法医学鑑定のために細胞選択を行うための機器もすでに発売されている(機器名DEPArrey, 製造元Menarini Silicon Biosystems) のであり、その詳しい原理は企業秘密とされ公表されていないが、「細胞選択的抽出法」の技術は世界の法医学界が求めていることは明らかである。

決定文では「本田の『細胞選択的抽出法』という鑑定手法には科学的原理や有用性に深刻な疑問がある」と述べられている。「科学的原理」に関する疑問とは何か。先を読むと、「レクチンはDNA型鑑定に必要な白血球だけを凝集させるものではなく、遠心分離で白血球と他の細胞を分離できたとの研究報告は見当たらない」と書かれている。

しかし私は、「レクチンはDNA型鑑定に必要な白血球だけを凝集させる」などと言ったことは一度もないし、100%分離できないことについては、データを提示しながら何度も繰り返し説明してきている。また、鑑定には相対的に優勢な型の判断を行えば何の問題もないと、データを示して説明している。ならば、ここを本田はどのように説明したのか。「レクチンはDNA型鑑定に必要な白血球を確実に凝集させる」である。

「白血球」は血液の一部であり、DNA鑑定ができる細胞であるから、少なくともそれが凝集できれば白血球(血液)からのDNA鑑定は可能であるし、何ら深刻な問題ではないことになる。(研究報告が)「見当たらない」ことも問題ではない。「見当たらない」からこそ検証させたはずなのに、検証してもらえなかったのではないか。やってみれば可能なことは、すぐ証明されたはずである。

この文章にとどまらず、決定文全編に貫かれていることは、裁判官は「疑問」を一切解決しようとしないまま、また鑑定人尋問に関しても、自分自身が抱いた疑問の正しさが否定されないように、鑑定人に一切、「疑問」について質問しないまま(実際の鑑定人尋問では聞かれていないことが、決定文にたくさん盛り込まれている)、書かれているということである。まるで、決定文はあらかじめできていたかのようである。それ自体が独り歩きした疑惑を客観的な問題であると断定し、「DNA鑑定は信用できない」と述べていくのである。

 

袴田事件、私のDNA鑑定は揺るがない(下)

 

「鑑定データを意図的に削除」という誹謗と中傷

裁判官の抱いた疑惑の独り歩きの最も最たるものは、「本田は、本件チャート図の元となるデータや実験ノートの提出の求めに対し、血液型DNAや予備実験に関するデータ等は既に原審時点において、見当たらない又は削除したと回答しており、その他のデータや実験ノートについても、当審における証人尋問の際に、すべて消去したと証言するに至っている」という決定文の文章である。

「証言した」ではなく、「証言するに至っている」というと、追い詰められた挙句の果てに、都合の悪いデータを意図的に削除する不正を認めたかのように読まれてしまうが、このような事実はない。地裁では追加データを何回も請求されたが、あるものはすべて提出してきた。

鑑定ではマニュアル通りやっているだけなので、実験ノートは作るまでもないのであることは裁判でも証言してきた。そもそも高裁の裁判官は原審(地裁)から関わっているわけではないのであるから、「原審時点において」と書くことはできないはずである。

30年間の研究・実績に基づく命懸けの鑑定

私自身としては、30年間の研究や鑑定実績に基づいた命賭けの真実の鑑定である以上、何ら隠す必要などない。鑑定試料の代わりになるような、特殊なデータも持っていないのであるから捏造することも、その必要もないのである。

請求していないものがこれまでに出ていないからといって、「不正があるから出していないのでは」と邪推するのは、鑑定人への冒涜(ぼうとく)にほかならない。しかし高裁からは一度も追加データを正式に請求されたことはないことは断言しておきたい。

私は裁判所から依頼されて鑑定をやっただけであり、その結果が裁判官の主観にそぐわなかったからといって、不正鑑定人のレッテルを貼られてはたまったものではない。

また「当審における証人尋問の際に、すべて消去したと証言」とあるが、これは2017年の9月27日の尋問終了間際、裁判長から最後の最後になって「カラーのデータが鑑定書に添付されていませんが」と尋ねられ、「そうだったですか? 付けたつもりでしたが……。そうでしたら申し訳ありません」と思いもよらぬ質問への答え方に疑問を持ったということなのであろうか。

本件鑑定を行ったのは尋問の6年前である。高裁審理がはじまってからも3年半も経過したときのことであるから、もしも請求したいなら、それまでに十分に時間はあったし、精査したいなら、それを元に尋問しなければ意味がないはずである。

すでに尋問が終わったあとで、どうしてカラーのデータが必要なのか、白黒データはカラーデータをコピーしただけであって、中身はまったく同じであるのに、と首を傾げたことであった。

そのときはこの裁判長の言葉の意味がわからなかったが、决定文をみて、あの質問は罠(わな)だったのか、と気づかされたのである。

というのは、「当審における証人尋問の際に、すべて消去したと証言するに至っている」に加えて、決定文には尋問では一度も尋ねられたことのない文章、すなわち「縦線(遺伝子の型を示す背景の帯のこと:引用者注)も不鮮明なものが含まれている」と書かれていたのである。これをもって、本田がDNA型を何らかの意図をもって書き換えたことが邪推されている。

裁判官はどうしても鑑定人の捏造(ねつぞう)への疑惑を、証言として確認したかのような形を取りたかったのだということがわかり、実際にはなかった証言があったと書かれていることに、大変に憤りを覚えたことであった。

しかし私がこの鑑定を行ったときには、対照(袴田さんのDNA型)検査は行っていないのであるから、わざわざ書き換えた場合には、誤って袴田さんの型と偶然に一致させてしまうこともありうるのである。しかし書き換えるとは言っても、出力データそのものを変えることはできず、せいぜいその解釈を変えることができるだけであることも、正しく理解されていたか疑わしい。

わかりにくいDNA鑑定否定の理由

高裁の決定文の全文を読んで明らかなのは、一体いかなる理由でDNAの鑑定結果を否定しようとしているのかが、大変にわかりにくい点である。

①データそのものが捏造か、あるいはすべてが汚染の産物である、といいたいのか、②データの解釈が違うとしているのか、③鑑定に使われた方法(細胞選択的抽出法)ではDNA型は出ないはずといいたいのか、よくわからないのであるが、どうもすべてを中途半端に並べて理由にしたいようなのである。そして、裁判で確認しようとされなかったことが、「疑惑」としてつらつらと列挙されているのである。そして、部分的な疑惑を拡大解釈して、全体を否定するのである。かすり傷をたくさん見つけて、致命傷があると言っているようなものである。

今回の高裁審理は「細胞選択的抽出法」が議論になったから、②が論点であると思われていたが、蓋(ふた)をあけてみれば、決定文では「選択的抽出法」のさらに一部でしかない、レクチン試薬と遠心分離の条件への疑問が、わずか数ページ程度述べられているのみでしかない。およそ2年近くも待ったのに、「細胞選択的抽出法」をやってもらえなかったことについては、何らの問題もなかったかのように無視されている。

さらに意外なのは、DNA鑑定のデータを、裁判官が独自に解釈し直しての疑惑がたくさん並べられていることである。このように難しい試料からの鑑定である以上、データには不完全な部分があるのは当然で、逆にそれゆえにデータは本物であると言えるのであるが、裁判官は根幹にある完全なデータを見るのではなく、不完全な部分があるからすべて認められないとするのである。

こうして汚染細胞が混じっているかもしれない、という微細な空想的仮定を拡大解釈していく。そのうえで、本田鑑定で出されたDNA型は血液由来とはいえず、汚染細胞の型かもしれないと推論し、したがって鑑定は信用できない、と結論づけているのである。

裁判に貢献しようとしたのに……

①については、本田のDNA鑑定は汚染細胞由来が混じっている可能性がある以上、まったく信用できないと疑問を呈する。しかし、どこでどのような汚染細胞が混じったかという根拠を示していない。

汚染の有無は混合パターンになるので、データを見ればわかる。今回の鑑定結果は一人分のデータしか出ていないので、汚染を考える必要はないことは、これまで何度も説明してきたが、無視されて続けている。①の可能性を根拠なしに認めてしまうと、これまで行われてきた、そしてこれから行われるすべてのDNA鑑定が否定されることになりかねない。

②については、もしも解釈がおかしいというのなら、ならばデータをどう解釈すべきかを示すべきであろう。本田は一貫した解釈をしているのであり、それにクレームをつけるのなら、どう読めるかを示さなければ意味がないし、またどう読んだら袴田さんとの一致が証明されるのかを示すべきであろう。

③については、実験すれば正しいかどうかがわかることである。しかし実験はされなかった。

もしかしたら、鑑定は何ら否定できていないことに気づいた裁判官が、ついには「本田が信用できないことが、鑑定が信用できない理由である」ということにしたかったのかもしれない。それにしても、决定文では裁判に貢献した鑑定人のすべてを氏名で表記しているのに、私のことは「本田」とすべて飛び捨てにされ、まるで犯罪人であるかのように非難されなければならないのであろうか。

「細胞選択的抽出法」とDNA鑑定の関係

新聞報道でこれまで何度も大きく取り上げられてきたし、高裁での決定文にも独自の方法だとされてきたから、「細胞選択的抽出法」はかなり難しい方法なのではないか、と思っておられる人も少なくないと思われる。しかも、「DNA鑑定の特殊な方法である」という、誤解を招きかねない説明がなされてきたという面もある。

「細胞選択的抽出法」というのは、先に説明したように、血液型判定に使っている抗Hレクチンによる血球凝集反応によるもので、凝集塊を遠心分離によって集めたものを用いて、DNA鑑定を行ったものにすぎない。原理的には独自の方法ではまったくありえず、応用という面で独創性があるに過ぎない。

また、あくまでもDNA鑑定それ自体とは直接関係はなく、「細胞選択的抽出法」+「DNA鑑定」である。換言すれば、「細胞選択的抽出法」はDNA鑑定に含まれるのではなく、前段階に足し算したに過ぎないのである。

したがって、検察側鑑定人が「大問題」と騒いでいたように、DNA分解酵素を持っている疑いがあったとしても、これはDNA鑑定それ自体に使うわけではなく、試料を確定する段階のものであり、薄い濃度で用いる限り、DNA鑑定には何ら影響を与えない。

DNA鑑定それ自体は、市販されている検査キットを用いた通常の方法をマニュアルどおり正確にやったに過ぎず、決して手品のような方法を用いたわけではない。また今回、DNA鑑定が成功したのは、必ずしも「細胞選択的抽出法」が有効であったからと言えるかどうかはわからない。鑑定に使った方法の有効性と、鑑定それ自体の結果の成否は決してイコールではないのである。DNA抽出に用いた機器や、DNA鑑定に用いた試薬の実力にも関わっていることは明らかである。

しかし「細胞選択的抽出法」は血球細胞を確実に凝集させることは事実なので、回収率や他の細胞との分離力がいかほどにせよ、血液由来のDNA型を拾ってこないことはありえない。

裁判官が正しいと思ったことが採用される怖さ

いずれにせよ、高裁で議論されてきた内容はあまりにも次元の低い論争でしかない。しかしそのことは、非公開の裁判であるゆえに、あまり知られていないのかもしれない。裁判というものは真実を明らかにするものではなく、どちらが論争に勝つかどうかの問題なのであるから、誤ったことでも裁判官が正しいと思ったことが採用される怖さがある。

そもそも、この「細胞選択的抽出法」は本田が独自の判断で用いた方法ではなく、本田自身も何度も普通の方法でいいと主張したにもかかわらず、「血液由来のDNA型を確実に検出する方法はないか」という、静岡地裁の最初の裁判官(决定文を書いた裁判官の前任者)の要求に応えて考案した方法であって、それを今さら、「普通の方法でなぜやらなかったのか」と問われても、言いがかりのように思える。裁判官の間で申し送りがまったくなされていないとしかいえない。

この鑑定の過程がいかなるものであったか、DNA鑑定の基礎から理解するには、拙著『DNA鑑定は魔法の切札か』(現代人文社)に詳しく書いてあるので、興味のある方にはぜひ、一読をお薦めしたい。

すべてのDNA鑑定を却下することに?

そもそもDNA鑑定においては、そこにいかなる細胞が付着しているかを調べることが可能ではあっても、そこから検出された型がどの種類の細胞に由来するかを証明することは不可能である。しかしDNA鑑定で知りたいことは、そこに付着している細胞が何であれ、誰に由来する細胞であるかを知りたいだけである。

しかし今回の高裁決定は、それが何の細胞に由来するかがわからない以上、DNA型が信用できないという高い基準で判断した。これは実際には判断できないことであるから、過去のDNA鑑定に疑問を生じさせ、また今後のDNA鑑定のほとんどすべては認めることはできなくなるであろう。これを他の裁判と切り離して、「袴田事件」のみに当てはまる基準にすることが許されるわけはない。

たった一つの事件でしかない袴田事件のDNA鑑定を却下する基準を設けたことによって、他のすべてのDNA鑑定を却下できる理由を作ったことになるとすれば、今回の決定の責任は極めて大きいと言える。

真実はひとつ。袴田さんは犯人ではあり得ない

肝心なことは鑑定に使われた方法ではなく、鑑定の結果の解釈でもない。鑑定データこそがすべてである。高裁決定はそれをしっかり見ることから逃げている。そこには、袴田さんのDNA型はまったく含まれていなかった。根拠のない汚染細胞を仮定しても、汚染があることを示すデータはなかった。

「鑑定者自身のDNA のコンタミネーションを疑うべき場合である」という言葉も决定文には書かれている。しかしこれは、袴田さんとの比較の意味がない付随的な2つの試料についての誤った比較によるものである。

たとえばその一つの試料については「7つの部位で合計9つの型が検出されている」とされているが、これは対になる2つのアレル(バンド)をバラバラに切り離して、型として読んだことによる間違った理解で、実際には2本のバンドが型として確実に検出されているのは2箇所に過ぎないのであるから、これが本田の型と似ていると言っても意味はないのである。

もう一つの試料についても、「6座位合計7つの型」と書かれているが、6座位からは6つの型しか出るはずはないし、実際には2本のバンドが型として確実に検出されているのは1箇所に過ぎない。ここには間違いが書かれてあるだけでなく、また鑑定人の汚染があるという根拠もないのである。

データに見られる微細な欠点を拾い上げて拡大解釈しても、データの根幹が変わることはありえず、データが語る真実を切り捨てることは不可能である。袴田さんは絶対に「犯行時の着衣」とされた5点の衣類とは無関係であり、犯人ではありえないこと、それこそがDNAが語る真実である

今こそ、このことを直視する勇気を持つべきではないだろうか。日本における司法の威信を世界に示すためにも、最高裁では先入観にとらわれず、客観的な事実に基づいた判断を、と期待する次第である。

 

 

 

スネの傷が語る真実(ビデオ版)

「死刑囚と無期囚の心理」をめぐって  加賀乙彦講演(『フォーラム90』155号 より転載)

フォーラム90の呼びかけ人として30年近く、そして「死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金表現展」の選考委員としてこの12年間毎年おつきあいいただいている加賀乙彦さんに、東京拘置所の法務技官であった時代の経験から執筆された『死刑囚と無期囚の心理』を中心に、死刑問題と関わってこられた半生を語っていただきました。(7月1日、文京シビックセンター)
http://www.forum90.net/report/archives/9
ここで動画を見ることができます。

「死刑囚と無期囚の心理」をめぐって

加賀 乙彦 (作家)

1、ドストエフスキーが入り口だった
ちょうど1週間前に名古屋で日本精神神経学会という精神神経科医の学会があり、そこで1時間、死刑囚と無期囚の心理について話をしました。私のやった研究は、死刑囚と無期囚のヒステリアの研究です。外から押し寄せてくる原因によって人間が神経の病気を起こすのをヒステリアと言い、死刑囚と、そしてそれと対比して無期囚の心理を研究しました。25、6歳の時に始めて、実際に全ての研究を整理して論文にしたのは29歳の時です。この数年を思い出すと、なぜ私が死刑囚に関心を持ったかということが分かっていただけると思います。
その当時、私は文学が好きで、特にロシアのドストエフスキー、トルストイ、チェーホフという三羽烏の文学者が好きでした。この3人はロシアの作家ではありますけれども、いまだに全世界でよく知られ、その作品は何度でも再版されるという不思議な作家たちです。特にドストエフスキーは晩年になって、彼は59歳で死んでいるので40を過ぎたころですが、突然、人が驚くような作品を次々に書きます。『罪と罰』とか『カラマーゾフの兄弟』とか。
この人の書く小説は全世界の人に読まれているという大天才ですが、彼は27、8歳の時、革命集団の一人と疑われて逮捕され、1年間ペテルブルグの島に監禁された後、死刑の判決を受けます。そして練兵場に連れていかれて、数十人の人が一緒に処刑されることになっておりまして、彼は2列目に並ばされた。最初の人々の死刑が行われ、血まみれになった死体が片づけられた後に自分がそこに立つという情況になったときに、彼は周りを見回したそうです。「ああ、あと数分後には自分の死刑の執行が行われるのだな」と。そして最初の1分間は自分の全人生を思い出す。その次の1分間は自分が親しくしていた人たちの思い出を繰り返す。さようならという挨拶をする。そして3つ目はどうしたかというと、周りの景色を眺める。晴れた日でペテルブルグの町が遠くに見えて、練兵場は綺麗で、そして銃を持った兵隊たちがずらっと並んでいる。「ああ、これでいよいよ俺も最期か」と思う。
そしてそれから先は事実ではなく夢みたいなものとなるのですが、たぶん白い馬に跨った伝令が来て、「皇帝様の下した命により、君たちは死刑にはならず、今より刑一等を減じてシベリアに流刑される」と言われたのだと思います。どういうふうに言われたかドストエフスキーは書いていないので分かりませんが。そしてみんな肩や胸を落として、「ああ、よかった」と思う。ある人は泣き出した。そしてドストエフスキーは、とにかくものすごく貧乏だった人間が金持ちになったようで、豊かな想像力が泉のように湧いてきたということを書いています。
そして彼らはその足でシベリアに流刑されるわけです。ドストエフスキーは数年シベリアに留められ、10年近く首都ペテルブルグに帰ってくることができませんでした。
最初の4年間、彼は監獄に拘禁されます。その監獄に入った時の様子を書いたのが『死の家の記録』です。それを読んだとき、私はこんな素晴らしい本をどうやって書いたんだろうとびっくりしました。この本には死刑の判決を受けている人も出てくるし、無期刑の人も出てくるし、ありとあらゆる犯罪者が出てきます。そしていろんな形で毎日の仕事をしています。仕事といっても、例えば右側に積み上げられた材木を左側に移す。全部移し終わったら、今度はそれをまた元の場所に移しかえる。例によってドストエフスキーの表現は非常に鮮明で、なるほどそんなことをやったら退屈しのぎにはなるけれど、無意味な労働なんです。それを10年間続けたら、人間はどうなるか。彼はこういうことを考え、監獄で自分が経験し、知ることができた犯罪者の話を書いたんだろうというのが私の印象でした。
ところで、ドストエフスキーに関する研究でも一番分からないままなのは、彼が獄中で何をしたかということです。彼は全く小説を書かなかった。だから分からなかったんですね。ドストエフスキーは4年の刑期が終わった時に、この死刑囚の本を書いたわけですが、日本のドストエフスキーの研究者は、ドストエフスキーの素晴らしいイマジネーションの力、物を見るというよりも、物を考える力がこの本を書かせたので、彼は天才だったものだから多種多様な人間像が書けたのだというのが定説になっていたのですが、私はちょっとそうじゃないかもしれないという気がしていた。ドストエフスキーはまさしく獄中にいたのだから、こういう死刑囚の人たちとか無期囚の人たちとか窃盗犯だとか、ごちゃごちゃしたいろんな人たちと生の接触をして、よく観察して、よく覚え、それを記録にしたんじゃないかと思ったんです。
そのことはずっと医学部で勉強しながらも私の心の中にありました。卒業の時に何科に行くか決めなきゃいけないんですが、私は何も考えずに精神医学を選んだ。そして先輩から精神科医としての新しい仕事をいろいろ教わります。その1年間に東京大学の精神科に勤めて、松沢病院に半年留学したりして、初歩の精神医学を一生懸命に学んでいたとき、ある日、教授に呼び出されて、「東京拘置所で一人精神科医を募集しているが、君行かないかね」と言われました。「君、この前なにかの拍子にドストエフスキーのことを話しただろ。日本の犯罪者は見たことがないんだろ、だったら日本の犯罪者を見てドストエフスキーと比べてみたら面白いじゃないか」とうまいことを言われたものだから、「ああ、そうだ先生、その通りだ! 私がやりたかったのは日本の犯罪者とは、どんな人たちなのかを知ることだ」ということで喜んで、本当にすぐ東京拘置所の法務技官になりました。

2、東京拘置所の法務技官になる
私は東京拘置所の精神科医になった時に、こういう経験をしているんです。2000人の入院患者を扱う、たった一人の精神科医として仕事をしたのです。大勢の患者がどんどん来る。その中に一人、ものすごい興奮患者がいたのです。この症状は何だろうと思いました。というのは、この人の表情が非常におかしかったんです。その表情は、笑っているのに、目はびしょびしょで泣いているんですね。笑い泣きというのかな。こういう状況は今までの医学書のどこにも書いていなかったので、何事が起こったのか分からないけれども、しかし、この奇妙な笑い泣きと私が名づけたものが死刑囚に非常に多く見られたというのが私の発見だったんです。私のところを訪れた最初の彼は、一体どういう境遇の人か分からなかったのですが、あとで看守が「彼は死刑囚ですよ」って教えてくれた。そして私は非常に好奇心がありましたので、翌日すぐ死刑囚のいる監房に行ってみました。そうしたら面白いことに気づきました。騒々しいんです。大きな声でお経を読んでる人もいるし、窓越しに声を出して将棋をやっている人もいた。なんとなくざわざわざわざわしていて、看守さんに聞いたら、「そうなんですよ、拘置所の他のところはシーンとしているのに、死刑囚と無期囚になる人たち、つまり一番重い刑が行われるかもしれない人たち、入所番号の最後にゼロがついているゼロ番囚と呼ばれる人たちは、みんなこんなふうに騒がしいんですよ」って。
それを聞いて、それって何かあると思いました。だって『死の家の記録』の中には、泣きながら大きな声でにこやかに歌を歌っている人のことをドストエフスキーが書いているんです。ああ、笑い泣きっていうのはドストエフスキーが書いていたなとすぐ気がついたので、私は数日後から、午後の仕事が楽になった時間に、ゼロ番区の囚人たちのところに、毎日毎日必ず行くようにしました。そうしたらそのうちに拘置所の所長さんから呼び出しが来て、「あなたは新任のくせに、大きな顔をして死刑囚、無期囚の監房に行っているけれど、誰の許可を受けているんだ。そういうことはやらないでくれ。皆、いつ自分に刑が執行されるかというのでビクビクして、君が会った人というのは、みんないつ殺されるかとおののいているよ」と言われた。あ、これはひどいことをしたとは思いましたけれども、逆に、「だってあそこの監房はすごく騒がしくて、みんな興奮状態じゃないですか。あの興奮状態を看守さんが宥めるのは非常に難しいでしょう。それだったら相手がどういう状況になっているかをまず研究して、彼らに対する対応をもっと上手になさったらいいんじゃないですか」って言ったら、「なるほど、君は若いのに面白いことを言うね」と言って、それならば特別に許可をするからということになった。看守には、僕がやっていることは君たちのためになることなのだということを言っておこうと、そういうことでOKが出ました。考えてみれば、あの頃はすごく簡単にそういうことができたんですね。
それから2年近く、私はもう夢中になって死刑囚と無期囚になる人たちと接触することにした。そしてそのあげくに、こういうことに気がついたんです。死刑囚、無期囚になる重罪犯の場合、なぜ彼らが興奮状態になるかというと、その症状はすでに死刑の判決が決まった人に起こる死刑囚特有の病気だということに気がついたんですね。このことはドイツのヒステリアの研究でかなり明らかになっていることがありました。死刑囚の場合、一番困るのは興奮状態なんです。死のうとして壁に頭を何回もぶつけるものだから気を失ったり、脳出血を起こしたりするということが大きな問題で、そういう人たちを何とかして食い止めようとすることが看守さんにとってすごく大変な仕事だったんです。そのことがだんだん分かってきたので、私はなぜそんなに早く死にたいのかということを本人に突きとめていくという精神療法をしてみたんです。これも1年半から2年になるにつれて相手の数は増えていきますし、私のほうも自然にこういうおとなしい話し方をしてやると相手がだんだん落ち着いてくるというようなことが分かってきて、試行錯誤をしながら、結局2年間に死刑囚44人、零番囚50人、計94人ぐらいの人たちを診ることができました。2時間面接しますと、忘れちゃいけないから家に帰って4時間かけて記述する。そういう作業を毎日毎日繰り返しているうちに2年間で観察本みたいなものができました。

3、死刑囚と無期囚の比較研究
これをうまく利用して少しずつ整理をしているときに、私の先輩であった助教授の吉益脩夫先生が、この方も日本の犯罪精神医学史の中では大変有名な人ですが、「君ねえ、一生懸命、死刑囚をやってて面白いなと思ってるけれども、これは論文にはならないよ」って。「どうしてですか」と聞いたら、「だいたい相手方と同じような状態について、君はなぜそれが起きたかということは全然考えないで、無理無体に相手の心理を知ろうということばかり考えてるけれども、そういうふうにすると小説みたいなものにはなるかもしれないが論文にならない、だめだよ」って言われました。とってもガッカリしたんですが、その時に先生がおっしゃったのは、「要するに、人間を本当に理解するためには、その人の状態と全く違う人と比較するんだよ。例えば君は死刑囚の研究をずっとやってるけれども、無期囚の研究をまだやってないね」「はあ、そういえば、殺人犯の中でも無期囚というと、ああつまらないと思って抜け落ちております」「それがいけないんだよ。死刑囚を50人やったら、50人無期囚をみなさい。無期囚になったときにどんな反応が起きているか。死刑囚と違う部分があるかないかという比較をやりなさい」と言われました。
それで私はそれから半年ぐらい、本当に夢中になって無期囚を観察したのですが、びっくりしたことに本当に先生のおっしゃるとおりで、無期囚は死刑囚と全然違うということが分かりました。犯罪は似てるんです。全部殺人犯です。それから無期囚と死刑囚の選択の類型についても、興奮型の人もいるし、冷ややかな人もいる。比べてみても死刑囚と無期囚は同じ性格の人がなっている。しかしその後、刑が確定してから、無期囚の場合は全く興奮しなくなるということが分かってきたんです。そしておよそ10年ぐらい経つと、それが無期囚の普通の状態になる。こういうことが分かったのは、私が無期囚をたくさん見ようとして千葉刑務所に寝泊まりしながら研究をしたということが大きかったと思います。今でも千葉刑務所は10年以上の刑期の長期囚たちを収容していますね。東京近辺の無期囚の人たちは全員千葉に行くわけです。
私は千葉に行くたびに不思議な経験をしました。それは、最初に死刑囚の監房に行った時に、うるさいな、興奮しているな、何か変だぞという気配があったと申しましたね。同じように千葉の刑務所に行ったときにも、なんて静かなんだと、びっくりしたんです。これは私が論文にも書いたことですが、彼らが野球をやっている時の状況です。看守さんが「この人たちは無期囚なんです、今、二手に分かれて試合をやっているところです」って言うので、ああ、ちょうどいいやと見ておりましたけれども、彼らは野球をやりながら少しも興奮しないわけ。しーんとして。あっ、ホームランだ、万歳!と見ているほうが言ってるのに、みんなは相手との戦いは一生懸命やってるんだけれども、興奮を忘れて、じーっと見てるだけ。変な人たちだと思いました。それがほとんど無期囚であったということから、私は一つ発見をしました。アメリカの研究だったのですが、長期囚の場合、彼らはホスピタリズムになる、そこに住んでいた人たちがいつも取るような状況になるということがその研究で分かっていました。無期囚の場合は、監獄特有の鈍感さというものになっていく。彼らは興奮しないでじっと黙って、私が研究のために問いかけると一生懸命答えるんだけど、答えるだけで向こうから積極的に話しだすということがほとんどない。これが死刑囚となると全く逆なんです。私が何も言わないのに、「先生、私はこの頃眠れない、どうしてくれるんだい、もっと薬をくれよ」とか「昼間から横になりたいから横臥許可をくださいよ」とか、べらべらべらべらしゃべっているのが死刑囚なんです。ところが無期囚は、こちらが何も言わない時はシーンとしている。こちらが何か問うとボソッボソッと話します。そして態度が非常に低い。ぺこぺこしているという表現が一番よいかと思います。1時間ぐらい私と話をしたあと、もう帰っていいですよと言うと、はーって這いつくばったようなお辞儀をして出ていく。看守が連れてくる人は、どの人も同じように静かで、態度がおずおずビクビクとした感じでした。もっと面白く思いましたのは、無期囚の場合、世の中に対する関心が全然ないんですよ。これが死刑囚になりますと、NHKで何をやったとか、今度の法務大臣が誰になったとか、そういうことはみんながものすごく知りたがっていることで、毎日毎日5分か10分のニュースを一生懸命聞いているのが死刑囚でした。一方、無期囚には、そういうものすら聞かない人がいる。世の中に対して全く無関心なんですね。結局、私は千葉刑務所で51名の無期囚に面接したのでした。
そうした状態を、アメリカの研究ではプリゾニゼーションと呼んでいました。プリズンというのは刑務所ですね。刑務所ナイズするのでプリゾニゼーションという言葉が英語にあって、僕はなるほどと思ってその言葉を「刑務所ぼけ」と訳しました。この症状は、無期囚になってだいたい10年経つと刑務所ぼけが始まっていきます。これはたいへん重要なことなんです。そして死刑囚の状況で私たちが一番気をつけていかなければならないのは、彼らは興奮する。その興奮状態は、自分で良いとは思っていないんだけれども、次から次へと湧いてくるような興奮なんですね。そしてその興奮の中で、例えば一晩に俳句を200句作る人がいる。これは本当に驚いたんですが、2年間に何万句という数をものすごい勢いで作る人がいるんですね。作品としては以前あったようなものを作り返しているという面があったり、時々良いのがあるんだけれども。とにかく、夜寝ないで作っているわけだから、抜群の生産力です。そして、この死刑囚と正反対なのが無期囚なのです。

4、死刑囚のヒステリア
ここでいう死刑囚のヒステリア(拘禁反応)をまとめておきましょう。まず、ガンゼル症候群というのがあります。これは1週間前の学会でも私がガンゼルと言ったら、みんな「ああ、懐かしい言葉だ」って言ってくれましたけど、ドイツのガンゼルという精神科医の研究です。死刑判決を受けた人の中に、問いに対していつも本当のことを言わない人がいる。例えば、年齢を聞かれた時、本当の年齢が24歳だとすれば、23歳だよとか20歳だよとか、19歳だよとか。本当のことは言わないけれども、それに近いところの答えをするんです。これは日本でもいまだに多い。死刑囚に多いし一般の囚人にも多いんです。ガンゼル症候群は、簡単な質問に正しい答えがないので、詐病と見なされやすいが、多くの囚人についてみられるヒステリアとみなすのが正しいです。
死刑囚でよく見られるヒステリアでは、原始反応があります。「刑務所爆発」と呼ばれる興奮状態では、突然の感情爆発があり、房内の器物を破損したり、壁に体当たりをして看守に乱暴をはたらくので、動物が起こす原始反応に似ています。
この逆に、何も食べず、何も喋らず、寝たようになっているけれど、つねってやると「イテッ」と言うから反応はあるが、いつも死んだようになっている。これはタコとかイカがそうなんですね。危険になった時に彼らは動かなくなる。つまり死んだ真似をしたような状況になる。これは原始反応と呼ばれています。原始反応は人間にもあるもので、人間の場合は死刑囚に非常に特有な症状なんです。その特有の症状がちょっと緩むとガンゼルになる。もっと緩むとどうなるかというと、普通の人間になりますよね。そういうふうにヒステリアには段階があるわけです。
そして昔からよく知られている原始反応には、これは死刑囚ではなくて一般の患者さんの中にですが、バタッと倒れて癲癇のように痙攣を起こす痙攣反応が知られています。私が精神科医をやっていた頃には本当にたくさんいたんですが、その後10年ぐらい経って、私が統計を取ったところ、日本人の中にほとんどいなくなっていたんです。ニューギニアの土着の人の中に同じような症状があるということが逆に外国で発見されたということがありましたが、とにかくそうした原始反応が死刑囚の中にもあったんですね。こういうふうに段階づけて考えると、原始的な反応が出るということは一種のヒステリアで、本人が何かの真似をしてやっていることではないけれど、死刑囚の場合は「あいつ、死んだふりをしてやがる」とか、「興奮状態を見せびらかしている」と見られていました。しかし、そうではなくてこれはヒステリアの症状なんですよ、というのは日本では私が言いだしたんです。外国ではそういう研究がいくつもありました。例えばドイツのクレッチマーの理論というのは、ヒステリアの解明にとってすごく大事なんですが、彼はそういうことをきちんと書いています。ですから何人かの研究者がうまく言っているんです。この段階のある問題を、私は面白いと思った。今日は死刑反対運動の主催する講演なので、面白いなんていうと叱られますけれども、研究者としては、そういう気持ちがありましたね。私が死刑反対運動に参加するのはずっとあとでして、当時の私はむしろ死刑というのはいかにものすごい抑圧を人間に与え、そしてその抑圧から逃げ出そうとするとヒステリアになるか。そして、このヒステリアには死刑囚特有の核があるということを自分で見つけた。この発見というのは、私の先生が言ったとおり、無期囚と比べてみたことではっきりと分かったのです。

5、時間の心理学
そこで私は研究対象を死刑囚だけじゃなくて、死刑囚と無期囚の精神病理学というふうに変えまして、両者の精神状態がいかにかけ離れているかということについて、誰か研究していないかなと思いましたら、フランスでピエール・ジャネという、これは今では大変有名な心理学者になっていますが、ピエール・ジャネの中に時間の心理学という研究がありました。これも大変有名な本で、日本で誰かが訳せばいいのにと思っていたんですが誰も訳していないので、皆さんお読みになっていないと思うんですが、これは、人間のヒステリアにおいて一番大事なのは時間であるというのがピエール・ジャネの意見なんですね。
人間には、近い未来と遠い未来があって、ああしようこうしようっていう人間の行動を導いていく時間です。例えば来年の今頃どこかに行きたいなとか美味しい柿を食べたいなとか、時間的な欲望というものがありますが、その欲望は1年も先のことになると薄くなりますよね。例えば明日リンゴを食べたいなって言えば、明日のリンゴはすごく現実的で、リンゴの形や味までも全部望むような形であるわけでしょう。それがだんだん未来になって遠のいていくにしたがって人間の欲望はなくなるので、ただ単に数年後の今頃はどっかに旅行したいなという時には、どこに行って何をしようっていうところまで具象化されません。だからもっと遠い未来のことになると、人間は考えることはできるけれども、何の行動も起こさなくなり、従って遠い未来についての欲望というのは全ての人で同じようなものなんです。そして全ての人の心理の究極は死である。この死ぬということについては、あらゆる人がいろいろ考えもし、恐れもしているけれども、これは人によっていろいろ考え方が違う。信仰によっても違います。でも一つ確実なことは、我々は自分の死は近づいたときには分かります。例えば病気で、明日もう駄目ですというような状況になった人は、近い未来の行動になるから、当然、人によって興奮状態にもなるし絶望状態にもなるんですけれども、でも死が遠い場合にはそうではない。そうすると、こういうことがだんだんに分かってまいります。要するに、死刑囚には遠い未来がないんだ。そして無期囚というのは逆に遠い未来しかないんだ。だから当然両者で未来の時間的な感覚が違っていいと。ピエール・ジャネはそこまで書いているので、別に死刑囚や無期囚がどうだなんていうことは言っていませんけれども。
今度は過去について言いますと、近い過去、例えば昨日上司から叱られたとか首になったとか病気になったとか、近い過去だとみんな感情的な反応ができる。しかし遠い過去はどうでしょう。生まれた時、あるいは子供の時の思い出など。心理学では、遠い過去の遠い記憶というのはこういうことでしたね。子供時代の記憶というのは一番はっきりしている。しかしそれに対する思い出は、持つ人は持つし、持たない人は持たない。その場合、一番はっきりしているのは過去の自分の行為についての躍動するような記憶。自分がやったというような記憶よりも、もっと不思議な面白い記憶になっている。現在に近づくにしたがって、例えば1週間前に滑って転んだというのは大変痛い話で、それがよく分かると思います。1年前に転んだのはもう感覚がぼんやりしていますよね。同じようなことなのだということが分かりますね。
そうするとこういうことです。死刑囚の心理を考える時に一番大事なのは彼らの持つ時間の感覚なんです。日本の法律では人を殺した者は死刑または無期に処すとなっています。そして刑法によれば6カ月以内に刑を執行すべきだということも書いてある。でも実際に死刑囚の研究をしていますと、死刑の判決から半年以内に刑が執行されるということは極めてまれです。私が今まで接してきた中では、平均で4年半ぐらい先に刑が執行されていました。早い人は1年以内に執行されることもありますが、しかし大体数年後です。時には一生刑務所で過ごすような死刑囚もいる。これは日本の死刑の一つの大問題でもあります。死刑を執行するのは半年後にすべきだと言いながら、その判決に不服の場合は再審請求ができます。そうすると再審請求したら、その人の刑の執行は延びる。それでみんなやるわけです。なぜかやらない人も時にはいるんですけれども。これは私がかつて研究をしていた頃の話ですが。

6、いま死刑囚と無期囚の研究がしにくい理由
私の死刑囚と無期囚の研究は、その後、誰かがフォローしたとか、あるいは続いて死刑と無期の研究をしてくれたという人がいません。なぜでしょう。実に不思議なんですが、私の死刑と無期の研究は、もしフォローしてくれれば時代によって少しずつ色彩の違う研究ができるだろうし、そして私の場合は時間の心理学でもって一応うまく整理したつもりでいますが、そうじゃない研究の仕方だってできると思います。ただ、私が研究を始めた1954年から1960年までの数年は、まだ日本は非常にオープンな明るい時代だったんじゃないかと、今では思います。ところがその後、死刑の判決や、死刑囚の生活実態というものは公の秘密になってしまったのです。
秘密になりますと、公務員の秘密条例というのが日本にはありまして、公務員になった時に国家の秘密を見た者、あるいは記憶した者は、それを他人に漏らしてはならないという条項があるのです。これはびっくりしたんですが、ここに今日来ている同志たち、みんな死刑反対運動をやっている人たちなんですが、私がこの人たちとこの死刑反対運動をし始めたのが1990年なんです。それから27年が経ちます。毎年毎年私たちは一生懸命やっていますが、もう今の時代になったときには、どうも死刑の研究ができなくなっている。死刑囚が自分で自分の伝記を書くことはなんとかできるんですが、そうじゃなくて大勢の死刑囚を研究したり、それをまた大勢の無期囚と比較をしたりということができなくなっている。私のやった研究というのは、非常に精密な統計学を適用して、有効か有効でないかということをちゃんと差別化できるようにしました。いい加減なものではなく、きちんと数値を出して、自分が見たものについて何パーセント確実な結論だということは全部書いてあります。そういうことなんですが、その後、それをフォローしてくださる研究というのは、あまりないんじゃないですかね。これは後で同志に聞いてみたいんですけれども、私は今までいろんな文献はきちんと読んできたつもりなんだけれども、日本ではそうした研究はなくなってしまった。秘密主義が非常にきちんと行われてきてしまった。
そういえば、私の研究の場合にも、こういうことはありました。ある日、自分が今まで数年見てきた人たちに対して死刑が執行されているかどうか、調べたいと思ったんです。そして法務省に行ってそういう口上を述べたところ、国家の秘密ですから、お教えできませんと言われました。だめだったんですね。私は『死刑囚の記録』という本を中公新書から出しまして、これは古い研究なんですが今でも買えます。この研究の後、これをしのいでくれる本がないかとずっと思ってきました。わずかに団藤重光さんの『死刑廃止論』という本があります。私の研究を引用して下さっています。これは日本ではすごい名著だと思います。そして人間味にあふれた著作で、大勢の人に読まれています。
団藤さんという方はもう亡くなられましたけれども、非常に綿密な方で、私の研究をたいへん認めてくださったんですけれども、これを引き継ぐ研究については、団藤先生でも検索できなかったみたいです。というのも、以前、団藤先生に聞いたことがあるんですね。死刑と無期との研究は、どうなっているんですかって。自分は専門家でありながらいくら言っても、彼らがどうなったかということについては、もう秘密になってしまったからだめだった。団藤先生なら知っているだろうと思って聞いたら、「君、だめなんだよ。君の研究は、誰もフォローしてないよ。逆に言うと君のやったことは死刑反対運動にとって非常に大事なことだから、おおいに本をじゃんじゃん売りなさい」なんて言っておられましたけれども、それくらい不思議なことなんです。
私の死刑囚と無期囚の研究は1960年ぐらいに、一応終わりました。そしてその次の10年間に私が専門家としてやったのは非常に短い間拘禁されている短期囚です。例えば窃盗犯なんかは2年3年が多いですね。窃盗犯、詐欺犯、放火犯、そういう人たちが所内でどのような行動をしているかという研究をずっとやりました。これが私の30代なんです。
そのうちに研究していながら、ある死刑囚との文通が始まったんです。これはこういうことだったんです。1962、3年ですけれども、私はフランスの留学から帰ってきました。フランスでの研究結果は、フランス語で書いてあります。それは日本の死刑囚の例を、私は本名で書いていたのがあって、これは学術研究だからあんまりやるべきことじゃないかもしれないのですが、フランス語ならいいんじゃないかと思って本名で書いちゃったんです。本名で書いたのをそのまま日本語に訳されると困るけれども、どうするんだろうなとまごまごしてるうちに、論文が雑誌に載っちゃったのでそれっきりになったんですが。
そのあと自分ではこういうことを考えました。『死の家の記録』は、観察の結果だというのが私の結論なんです。だからドストエフスキーが死刑囚について書き、無期囚について書いたことは日本人とそっくりで、これは刑務所という場の中における人間の反応をきちんととらえて報告したのが『死の家の記録』だったのではないかと。もちろんドストエフスキーには素晴らしい想像力があり、いろんな珍しい人間を面白おかしく書いてあるんですが、しかしその基礎にある観察っていうのがリアリズムなんですよ、あの人の。晩年の2〜3年で『カラマーゾフの兄弟』を書いたとき、その前の2年間、彼は何も書かずに、ひたすら死刑判決の人の裁判を法廷で一生懸命聞いて筆記していた。10人ぐらいやっているのかな。そしてその殺人犯のなかで非常に面白い殺人犯を『カラマーゾフの兄弟』にちゃんと使っているんです。だから彼はイマジネーションの世界よりもリアリズムの世界のほうが、とても飛びぬけている、そういう作家なんだということが私には分かった。ですからこれは文学研究というよりも、文学を書いた人のあとを追ってみたような研究なんですが、私のドストエフスキー論というのは、そういう問題から発しています。私の『ドストエフスキイ』という本、中公新書から出していたんですが、これはもう絶版になって今は買えません。でもとても名著ですよ。ドストエフスキーの一生について一生懸命書いています。もし古本屋でも買う機会があったならば、面白くお読みになれて、そしてその中にドストエフスキーと死刑という問題について僕が考えたことをいろいろ書いてあります。

7、「人間はすべて死刑囚だ」
今度は文学の話をしましょう。私が一生懸命やったのは死刑と無期の研究で、そしてそれを時間論で何とかうまく料理をしたと自分では思っているんです。その時間論は、こういうことから日本ではとても大事になる。
みなさまは日本の死刑の執行の手はずをご存じですか。日本の場合、法務大臣の命令で死刑の執行をするわけです。たった一人の人間ですよ、死刑の執行を命令するのは。その上、法務大臣はしょっちゅう代わりますからね。法務大臣になったからって必ずしも死刑囚について詳しいことを知っているわけではない。こんなことを言うとお国の秘密を漏らすなって言われそうですが、でもこれは本当のこと、オープンになっていることです。
ある日法務大臣がどこかで「ああ、あいつを殺してみようかな」って、それで命令書を書くでしょ。そうするとそれが拘置所に発送されて、5日以内に死刑を執行しなくちゃならないのです。何ということでしょう。突然、法務大臣が思っただけで一人の人間が死ななくてはならないんです。そして死刑の執行はウィークデーのみで土日はありません。祭日にもありません。そして刑の執行は大体午前9時から10時。てこずった場合には11時12時ということもありますけれども、大体午前中です。そして拘置所というのは朝の7時に活動し始めるんですけれども、その時間に刑の執行のために数人の看守が死刑囚の監房の前に来ます。普段はグルグル回っている看守は一人ですから、それが数人になるので足音が響きます。大勢の足音です。この大勢の足音が聞こえると、「ああ、今日は誰かが殺されるな」と分かる。そしてその足音が自分の監房の前で止まったら、もう観念しなくちゃならない。実際、何人かの死刑囚がこういう記述をしているし、私も死刑の判決を受けた人がどんな心理状態になるかということを知ることが多かったので、知っています。そういう朝の足音から始まる。
そして死刑囚は未決囚なんですね。彼らは死刑を執行されて初めて既決囚になる。その前は未決囚の身分ですから割と自由はあって、髪を伸ばすとか、本を書くとか、そういうことは一応許可されます。趣味でやりたいことはできます。
その反面、無期囚はどうかというと、彼らに自由はありません。朝から夕方まで一日働かなくてはなりません。自分の意志ではなく、命令によって働くわけです。そして一生、自分の好きなことをすることはできません。そうすると無期囚の気持ちというのは、遠い未来まで灰色で何も変化がない。いったいそういう状態で生きているということが人間として何かの尊厳を持つことができるかというと、私は無期囚と随分接しましたが、この人たちはやっぱり人間としては半端な状況で死ぬんだなという印象を受けました。死ぬということを思っている時、無期囚は自分がいくらもがいても、その灰色の時間の中から抜け出ることができない。
それではどうしたらいいかというと、そこは神様が恐らく助けたんだと思いますけれども、心理的に無期囚のこの暗いプリゾニゼーションという症状は、本人にとってはやっぱり楽なんですよ。何も考えずボーッとして、自分の自主性っていうのはないけれども、命令にはいはいと言っていれば時には美味しいご飯も食べられるし、人と話すこともできる。でも日本人の生活がどうなったとか日本のどんなお祭りがあったとか、そういうことを考えるなんていうことはない。考えないノイローゼなんです。
そして死刑囚のノイローゼは、いろんなことを考えすぎるノイローゼ。いいですか、死刑囚になった気持ちで死刑囚の心理を考えると、今日は土曜日だ。日曜日には刑の執行はない。そうすると月曜日の朝までは一応自分は生きていられる。月曜日の朝7時に数人の看守が自分の監房の前に来たら、これで自分は一生が終わりなんだ。自分に与えられた時間というのはたった2日なんだなと。こりゃ忙しいなっていうことになるんですよ。まだあの仕事をやっていない。いま本を書いているんだけれど、それについての時間もない。
そこで、そういうことについても、自主性を持たせてあげて、そして人間的な気持ちに返ってほしいというのが私たちの始めた死刑反対運動の中で、一番重要な問題として出てきてるんです。ですから今の死刑反対運動は、死刑反対と言っているだけじゃない。死刑囚と私たちは、気持ちが通じ合って、そして彼らがやりたいこと、人間としてやりたいこと、できれば文学、俳句、短歌、あるいは絵を描く。何でもいいから自分の自由になる領域で生きる価値というのを見つけ、一緒に運動しようよ、というようなのが今の私たちのグループが考えていることで、これが始まったのが1990年です。そういうことに私が少しは貢献できているのは、死刑囚の心理というものについての考え方として、彼らの時間と命に対する感覚を大事にするということなんです。
ところで困ったことに、私はいま88歳です。もうすぐ90です。もうすぐ死ぬわけですね。なんてことを考えていると、最近だんだん死刑囚に自分が近くなっているということに気がついているわけなんです。でも、私が平気なような顔をしているのは、ちょっとなんかあるんでしょうね、きっと。長い間、死刑囚と付き合ったおかげかもしれません。死刑囚があれだけ苦しんで、みんな死んでいったんです。もう私の研究した人たちは、もれなく死んでいます。そのことを思うと、自分の死をいちいち考えているのは、馬鹿げているという気がいたしますね。
パスカルの『パンセ』という本の中にこういう言葉があるんです。「人間はすべて死刑囚だ」と。神が私たち死刑囚のから一人を選び出して、はい、今日はお前の番だと言う。そうすると本人はああ、大変だと震えおののく。そして他の死刑囚たちは、ああ良かった、自分じゃなかったって喜ぶ。これが人間の真実であると書いてある。怖い言葉ですね、これは。
そしてそのパンセのすぐ近くにまた別の言葉があるんです。これはこういうことなんですね。神があるかないかで随分人間は違うよと。神があって、自分が死んだとしても、あの世で天国でパラダイスで生きているとすれば、こんなに嬉しいことはない。でももし、そんなのは神様が作ったことで、お話だけだと思って未来の死後の世界を考えないとすれば、人間の最後は悲嘆にくれるだけで何も返ってこない。死っていうのはそれだけつまらないものなんだ。そうすると、死が近づいた時、自分が死んだ時に自由の身になって幸福になるという神の教えがあるならば、それが本当だと思ったほうが百倍も千倍も幸福ではないかと。
パスカルはいろんな例を挙げています。彼はただ者じゃなくて、彼はもちろんカトリックの信者で、本当に篤い信仰を持っていて、自分が天国に行くことを疑わなかった。パスカルにとって、死はまことに嬉しい死であったようです。過去にはパスカルを信じないで、彼を馬鹿な奴だと、宗教なんて嘘を信じやがって、と嘲笑った人たちが大勢いたのですが、その人たちは苦しみながら死んでいく。どちらが得かなと考えるとパスカルのほうが得なんですよね。いいじゃないですか、そう思って、というようなことを私は自分の死について考えています。

8、ある死刑囚との対話
だけど、たくさんの死を送って、死んだ人たちと話し合った哀しい思い出が、私にはあるんですよ。彼らを助けてやれなかったという。そこでたった一人、私の症例にならなかった死刑囚の話を今からやりたいんです。この死刑囚は正田昭という名前で知られております。昭和28年に人を殺して、死刑の判決を受けました。私は彼と同じような年齢です。私が1929年4月22日生まれなんですが、正田昭は4月19日生まれなんです。3日しか違わない。
この男と会ったのは、僕が死刑囚の研究をやりながら拘置所の監房を回って歩いていたときでした。「先生」って向こうから声をかけてきて、どうぞどうぞって。死刑囚の監房って頑丈な金庫みたいなものなんですよ。看守が開けてくれると、これは開けたままにしておくわけにいかないから先生、入ってくれって、ガッチャンって閉められる。そこから死刑囚と二人だけで1時間2時間、話をするわけですが、正田昭もそのつもりで行ったら、すごくていねいにいろんなことをしていて、ふと上のほうを見たらカトリックの本がいっぱいある。「あなたはカトリックなの?」って言ったら「はい。そうです」って言う。「いつ洗礼を受けたの?」って言ったら、「去年、カンドウ神父という人に受けました」と。「カンドウ神父さんって大変有名な人ですよね、そうか」ということで、最初から話がパスカルみたいでした。相手が。面白い比喩でもっていろんなことを言ってくれるし、自分の信仰についても言う。もっと言えば、パスカルを教えてくれたのは正田昭なんです。
ある時、「先生、パスカル面白いですよ」って教えてくれたので「ああそうだ、読んでいなかったな」と思って、慌てて訳書で読みました。そしてあっという間に全部読んでしまって、こんなにすごい哲学者がいるのかと思いました。パスカルは大変な数学者でもありますし、今パスカルといえば、気圧の表示になっていますね。ヘクトパスカルっていうでしょ。あのパスカルです。それで2年ぐらい正田昭と付き合いがあって、そこで私はフランスに留学してしまったんです。そして研究をフランス語で書いたのはフランスにいるんだからどうせならフランス人に読んでもらいたくて一生懸命に書いた。そして帰る時にフランスの雑誌に投稿して帰ってきました。それがすぐ採用されて、翌年、印刷されたものになって日本にも送られてきました。そうしたら私に無期囚の研究をやりなさいと言った吉益先生が、「君、フランスで書いちゃったね。でも東大にはフランス語の分かる教授がほとんどいないんだよ、どうする」って。脅かされたのか喜ばれたのか分からないけれども、とにかくそういうことがありました。そしてそんな話も正田昭にしたらゲラゲラ笑って喜んでいたことを覚えています。
彼がいろいろ私の手紙に応えてくれたのを全部取っておいて、正田昭との往復書簡を私は出しました。これも結構皆さん読んでくださっていますが、残念ながら今は絶版です。私は絶版の作品が多いんですよね。この『死刑囚の記録』は例外です。いまだに売れているので絶版にしないんですね。でも他のはあんまり売れなかったからかな。
それで正田昭との付き合いが始まったのですが、私はフランスに行ったので東京拘置所を辞めて大学に帰りました。フランスから戻ってきて、また交流が始まりましたが、その後、正田昭も私も40歳になった年末の頃でした。この頃、正田昭から手紙が来ないなと思ったら、ある日、正田昭と文通していたカトリックのシスターが電話をかけてきて、「正田昭さん、刑が執行されました」って。「ええっ!」ってびっくりしたんです。もう16年来の友だちですから、とても残念に思ってガッカリしながら、そのことをいくつかの新聞に書きました。そうしたらそれを読んで、姫路の女子高等学校の先生が手紙をくれました。「先生も正田昭と文通していたんですね、私も文通していたんです。私の文通は幼いけれども面白いですよ」という手紙でした。それですぐ姫路に行って、今では大変有名になったシスター中西に会いました。そして「見せてください、正田昭の手紙」って。そうしたらもう大きな箱に二つ、3年間に600通の文通をしたって、うんうん言いながら持ってきてくれたんです。
一晩読んでいるうちに気がついたのは、私宛の正田昭の手紙って何というか難しいんですよ。「私はこんなことも知ってるよ、こうも知ってるよ」という、ちょっとぶってやがるなと思うようなことがあったんだけど(笑)その女性に対する手紙は、あたかもラブレターのようで、ものすごく面白い。相手を笑わせようと必死になって笑い話をしたり、外の景色を書いたり、自分が今書いている小説を書いたりしているんですね。ああこれはとても面白いよと言って、じゃあというので借りて帰って、それから全部読むのに3年ぐらいかかりました。すごく大変な量でした。
そして3年ぐらい経ったときに正田昭と普通の死刑囚とは違うんじゃないかと思い至った。どこが違うのかというと、信仰のあるなしが違う。遠藤周作さんにその話をしたら、「そんなばかなことはない」と言われて、「ああそうですか。どうしてばかなんですか」って言ったら、「君ね、神を信じたところで、死の恐怖なんか、俺なんて怖くて怖くてしょうがないよ」って。「パスカルが言ってますけど、だめ?」「だめ。パスカルなんかいい加減」なんて言われました。だから、おまじないが効かない人もいるんだなって。私はもう自分におまじないかけて、「パスカル先生、助けて」って。この頃、死が怖くなると一生懸命『パンセ』を読んでいるんですが。
結局、正田昭が死んでから数年後に『宣告』という小説を書きました。そこには自分の調べた殺人犯が多少潤色されていますけれども出てきます。あそこに出てくるのは本当に私が会って、話してきた殺人犯であることは誓って言えます。ですから、ぜひお読みなさいませ。

質問者A 冤罪があるので、死刑には非常に疑問を持っているんですが、ただ本当に殺伐とした殺し方をした犯人に対しては死刑はあったほうがいいんじゃないかと思っています。先生の考えをお聞きしたいと思います。

加賀 人間が一番悲惨になるのは死を前にした時なんです。これは言えますね。死を前にした時、人間は自分を何とか死の恐怖から避けようとして色々と考えたり、書き物をしたりする。じたばたする。このことはパスカルが書いているように人間である以上、避けることができない。ところが日本の司法制度だと、裁判の結果死刑判決を下しながら、それをいつまでも引き延ばしてもいいわけですね。そういう形での死刑は、残虐だと私は思います。残虐な死刑というのは、死刑囚を実際に知るにしたがって、なんて嫌な刑罰だろうということが、身に沁みて分かるわけです。分かると同時に、その人に殺された人の家族をいつも思います。その家族の方が、お前は早く死ね、いい気味だと言って幸福になれると思いますか。そうじゃないんですよ。実際に私は家族を殺された人たちに会って調べたこともあるのですが、そういう人たちは満足はしないんですね。でも死刑というものがどんな場所でどんなふうに残酷に行われるかという私の話を聞いているうちに、彼らもやっぱり、「残酷ですね、そうじゃなくてご本人が気がついて申し訳ないと言って、そして無期でもいいから、生きているほうへ移行するようなそういう国になってほしいですね」っていうふうに、必ずなられるんですよ。だからあなたが殺したほうがいいというのは、それは一つの立派な決断ですけれども、そうではないんじゃないか。
そして世界の文明国、特にヨーロッパの全ての国は死刑を廃止しました。ロシアもないです。イスラエルもない。先進国でアメリカと日本は、あと中国もそうですが、死刑が多い。でもアメリカの3分の2の州では、死刑を廃止しています。全く廃止していないんだけれども、死刑の執行をしないのは韓国ですね。私は韓国は本当に見上げた国だと思います。というふうに、考えていきますと、日本は世界の中で何となく先進国だと言われて誇りに思っているんですかねえ。少なくとも先進国で死刑をやっているというのはそんなに誇りになるんですか。どうですか。

質問者A 私は思いませんけど、ただ本当に残虐な事件がありますよね。それでも死刑というのは必要ないと思われますか。

加賀 僕は、死刑の執行と関わりがあるとは言えません。秘密でございます、これは。だけど死刑囚の刑の執行の時、取り乱している死刑囚の様子を見ると、私はやっぱり憲法に書かれているように人権という立場からいうと、死刑囚であろうとも日本人であって、日本人は人間として生きる希望がある、自由もあるということで憲法が成り立つとするのならば、死刑執行とは真逆のことであると。もう一つ言うのならば、残虐な行為は一切禁ずるとちゃんと書いてあるじゃないですか。
死刑がどうやって執行されるかというと、まず執行部屋があります。木で作った小さな小屋だとお思いになるといいと思います。最近はかなり立派な建物になっておりますけれども、そこに鉄の四角い50センチ四方の台があって、その上に目隠しをされ手と足を縛られた人が来て、乗った途端に床がパーンと落ちます。鉄のものすごい音がします。ドーンと。そして首に縄が掛かって吊るされます。それから15分生きています。苦しいですね。もがいています。そういう死に方が、いいですか? 人間としては誰がやっても嫌なものじゃないですか。だから私はあれを見たくない。今は、拘置所によって違いますけれども、ボタンが3つあって、どのボタンに電流が通っているかは看守には教えない。3人が一緒にぐっと押すと、そのうちのどれかが作動して、さっき言ったように死刑囚の身体が落っこってきますね。そしてぐっと首を絞める。息はできませんけれども、その後15分ぐらいは生きています。もがいています。そしてやっと死にます。死ぬとすぐ、台から外してお棺に入れます。それだけです。いったいそれが何の楽しみになりますか、被害者としての。
僕は永山則夫とは少し手紙のやり取りをしていたのでよく知っていますが、彼はピストルで4人殺していますね。そして死刑判決を受けました。彼は獄中で小説を書き始めた。なかなかいい小説で、私のところに手紙が来て、文藝家協会に入りたいと言うので、私は引き受けて推薦人になったのです。だって小説は誰が書いたっていいわけで、死刑囚が小説を書いてはいけないという法律は日本にないですね。本当にこれから生きていく時間を小説三昧で過ごしたいという彼の希望は叶えてあげたいし賛成だったのです。それで秋山駿さんと私の二人が推薦人になって、永山則夫を文藝家協会員にしたいと、だから許可しましょうという訴えを出しましたら大騒ぎになって、作家のグループの猛反対にあいました。ほとんど二つに分かれて3分の2ぐらいが「あんな犯罪者が我々と同じ小説家として登録するなんてだめだ」っていう意見が多くて。私はいいんじゃないかって言ったんだけど、あいつは分かんない奴だって大騒ぎになって。今だったら、きっと反対は通らなかったと思うけど、でもあの時の反対というのもすごかったです。それでまた逆にびっくりした面があります。つまり日本人には、悪いことをした人間は腹を切れという意識がありますね。平清盛が始めたらしいですけどね、死刑っていうのは。信長ぐらいまではずっと行われていたわけでしょ。その前の平安時代には死刑はありませんでした。400年間、日本は世界に冠たる文明国だったのです。源氏物語の時代ですね。それがどうしたものか、今は世界で一番遅れた文明国になりました。残念です。私はそう思っています。

質問者B 私は昨日、袴田巌さんと会ってきました。袴田巌さんは現在、確定死刑囚ですが自由に動いています。質問の1点目は、袴田さんに事件のことを聞くと、あんなものは消えてしまったんだ、なくなったんだと言って、一切答えようとしないのです。事件に向き合い、自分が酷い目にあったということを話そうとせず、非常に不機嫌になります。こういう心理状態を何と言うのか。
2点目は、昨日もそうだったんですが、小雨の中を4時間、6時間ぐらいランニングウェアを買ってジョギングしています。現在81歳。体は元気です。今日もやることがあるんだ、やらなきゃいけない、俺は忙しいんだって言って出かけていくんですよ。それは先ほどの話にあった、死刑囚として非常に短い時間を生きているというような、追いつめられた心理状態が今でも働いているのでしょうか。
3点目は、袴田さんはよく、頭の上に両手をかざして丸を作ってVサインをします。何をしているんですかと言ったら、皆を守っているんだとか、誰々と話をしているんだとか通信をしているんだとか、そういう話をします。幻聴なのか幻覚なのか、釈放された今でも続いています。この袴田さんの行動について、精神医学的な観点から我々が接する際の注意点がありましたら教えていただけたらと思います。できれば加賀先生に袴田さんに会っていただけないかという気持ちもあって今日は参りました。以上です。

加賀 袴田さんのことは私の『死刑囚の記録』の中に入っています。ですから、ご本人も知っています。袴田さんは釈放はされたんですけれども死刑判決はそのままです。ですからいつでも、殺そうと思えば殺される。そういう状況でいるということは、時間論の枠内から見たら本当に気の毒で、まだ死刑囚なんです。ですから近く自分が殺されるということをご存じなんです。そういう釈放の仕方は、かえって残虐じゃないかと思います。だからそうじゃなくって、彼には死刑が該当しないのだというぐらいの覚悟で、彼をかばってやるべきだと思います。

質問者B 刑の執行は停止するということは決定されているんです。

加賀 だから、それではだめなんですね。死刑という刑罰があるということ、それ自体が彼の恐怖なんですよ。そしてその恐怖をとってやるためには死刑の判決をマイナスにしてあげるのが一番早い。袴田さんは、時々自分が天国に行ってみたり、意気盛んになってみたりするというのは、最初に私が言ったガンゼル症候群がちょっと当てはまるんです。死刑囚特有の時間感覚です。永遠の時間と刑執行の時間が一緒にあるという不思議な時間ですね。そうするとそれをうまく統合できないので、そこで拘禁ノイローゼがいま外に出てもとれないでいらっしゃる。それをきちんと診断するためには時間が要ります。
私も精神鑑定をやってくださいよって頼まれたんですけども、だけど私は1日や2日彼のところに行ったって、全然分からない。3カ月か半年ぐらい一緒にいて観察してみないとうまくいかないので、いま私がやったって、それは嘘になるから、だめ。やらないんです。
なんでガンゼル症候群が袴田さんに出ているのかというと、死刑囚だからです。死刑囚であるということ、死刑囚の身分がとれていないからです。それは袴田さんにとって一番の弱い部分。その弱い部分がほつれているから、助けてあげるには死刑の執行の停止じゃなくて、晴れて死刑囚から見逃してあげるということ。それでいっぺんに治ると思いますよ。

質問者B 無罪判決が下されるということでしょうか。

加賀 それが一番欲しい。刑が執行されないことは、彼らから少しも恐怖を取りません。恐怖のどん底ですよ、彼らは。

質問者B じゃあランニングにこだわることも、一つの時間がないというような追いつめられた感覚がある。

加賀 そうじゃなくて、自分の死が恥辱の死だということをご存じの間は、彼みたいな宗教的な人は、そうじゃないと言いたいんですよね。それで、もがいていらっしゃると思います。

質問者C 今日のお話をうかがって、死刑も残虐だけど、無期囚もかなり悲惨だということがすごく胸にひっかかりました。死刑廃止ということでは思いは同じなんですが、では廃止したあとに無期囚が増えるのか、それ以外にどんな方法が予想できるのか。いま日本でこれから模索していけるのかと思いました。その辺のお考えをお聞きしたいです。

加賀 人を殺した者は死刑または無期に処すっていう、あれがいけないんですよ。並べて書いてありますね、死刑と無期を。あんなに簡単に並べちゃいけない。そうじゃなくて無期は無期で刑期の内容をきちんとしてあげることが必要。死刑は、廃止すれば無くなるということでいいんだけれども、じゃあ無期囚はどうしたらいいのか、一生、何の恩典もないし、希望もないのか。それではかえって残酷だと思います。だから、無期囚も人によっていろいろある。頭のいい人もいるし、そうじゃない人もいるし、俳句を作れる人もいるし、そうじゃない人もいる。一人一人、いろんな人間としての自分を大事にしてくれる部分を見つけて、一生看守の言う通りにペコペコするだけじゃなくて、プリゾナイズされている状況は除去してあげたいと思う、私は。そしてたとえ無期囚でも、才能がある人は日本の国のために俳句を作るとか、素晴らしい短歌や詩や絵を書くことができるかもしれない。それは人を楽しませるし、そのことによって彼の人生に曙光があるじゃないですか。だからピエール・ジャネが言っている通りで、希望がない人間はだめになってしまうんです。人間に生まれたからには、何か人のためになるようなことをやっている限りは、その人は幸福だと思います。そうすると、あの陰惨な死刑がなくなり、陰惨な無期刑がなくなるとなれば、日本はずいぶん明るくなるんじゃないですか。そして、国家の秘密は一切犯してはならないとおっしゃるけれども、もっと明るく、私たちは秘密を共有したって構わないんだから。秘密を国家と対立するものとして考えるのは、私は反対なんです。
もっと言いますと、私は個人主義なんです。個人が一番いい。日本で一番個人主義をきちんと打ち出した思想家は、夏目漱石です。夏目漱石の最後の問題として『私の個人主義』というのを彼は書いている。これは学習院で講演した記録ですが、この中で漱石は、自分は個人主義が一番大事だと思っているということをきちんと書いています。だからあの辺から面白いんですよね。もっと日本は明るく、そして個人主義を認めて、個人の尊厳が侵されることはないという国になってほしいと思いますね。それがいま、個人主義はだめだっていう人が多いわけですよ。個人主義ってこの前、辞書を引いたら、「自分勝手に何かすること」って書いてある。そうじゃないよ。そしたらもういっぺん、漱石に聞きなさいって思いますよね。漱石はそんなこと全然言っていません。そんなことじゃなくて、個人の尊厳を守るっていうことが大事なのであって、その個人の尊厳を守るということは生きる喜びなんですよ。生きる喜びと日本人であるっていうことが平衡状態になるためには個人主義しかないと思います。自分勝手に生きることというのは個人主義の解釈としては間違っていると思います。

質問者D 死刑と無期がもっと改善された場合は、世の中は変わりますか。

加賀 もっと変わると思います。フランスがいい例です。フランスは今から35年前、バダンテールという法務大臣がいて、当時フランス人の60%ぐらいが死刑は温存したほうがいいという時に、無理やりフランスの国会で死刑制度の廃止を通したんです。そうしたら急に死刑反対が増えて、あの国からは死刑がなくなったんですよ。その後、彼は日本に来て、僕らの運動で話をしてくれました。だからよく、日本人はいつも50〜60%が死刑を保持したほうがいいという意見で、死刑をなくしたら殺人の巷になるって言ってるけど、どこからなぜ殺人の巷になるということが分かるんですか。私はいままで145人ぐらい殺人犯を詳しく見ています。そして必ず彼らに聞く質問があるんです。あなたは犯罪を犯している時、自分が死刑になると思わなかったのと言ったら、誰一人そんなことを思ったことはないって。つまり死刑は抑止力に全然なっていないわけですよ、私の症例では。これが私の科学的な意見なんです。一方、科学的な意見を持たない人が、もし死刑が廃止されたら皆殺されるようなことを言うんだけど、その根拠はなんですか。ただ思うだけ? それだったら、僕の実証的な意見を信じてほしいということです。

清水再審で警察官の職務犯罪を追及 「狭山差別裁判473号」刑事裁判の現風景 第49回

「狭山差別裁判 473号」(部落解放同盟中央本部発行)からの転載です。筆者は菅野良司氏。2015年に岩波書店から「冤罪の戦後史」を出版。なぜ冤罪が起きるのかを問う。帝銀事件、狭山事件、名張毒ぶどう酒事件、東電OL事件、足利事件など戦後の著名な17事件を取り上げ、日本の刑事司法の問題点を追及。
袴田事件を清水事件と呼んでいます。弁護団が追求している警察官の捜査上の犯罪がいくつもあります。それらがが分かりやすく叙述されています。

清水再審で警察官の職務犯罪を追及

ジャーナリスト 菅野良司


清水事件(いわゆる袴田事件)は、2014年3月27日に静岡地裁で再審開始決定から3年以上が経過するが、いまだに再審開始が確定していない。釈放された袴田巖さんは故郷の浜松で姉の秀子さんと暮らすがまだ無罪となっていない。東京高裁の即時抗告審になってから取り調べ録音テープが証拠開示され、違法な捜査、取り調べの実態が明らかになった。2016年12月、弁護団は捜査の違法を再審の理由として追加する申立てをおこなった。違法な捜査、取り調べは狭山事件と共通する。清水事件における取り調べ、捜査の不正の実態と再審理由追加申立ての主張を紹介する。

清水事件の再審は、2014年3月27日に静岡地裁で再審開始決定が出たが、検察官が即時抗告し、3年以上も経過した2017年4月現在も、東京高裁で抗告審が続いており、開始決定が確定していない。抗告審では、開始決定の大きな要因となったDNA型鑑定の信頼性が中心的な争点となっていたが、清水事件弁護団(団長・西嶋勝彦弁護士)は、2016年12月21日、捜査当時の警察官による職務犯罪が明らかになったとして、新たに再審理由を追加した。多くの再審事件がある中でも異例の再審理由とみられ、即時抗告審の行方が注目される。その職務犯罪とはどういうことなのか、弁護団の主張を紹介したい。

 録音されていた排尿音

即時抗告審に入った後の2015年1月30日、検察官が約48時間に及ぶ取り調べ録音テープをあらたに弁護団に開示した(本誌461号で既報)。袴田巖さん(81歳、捜査時は30歳。現在釈放中)が強盗殺人容疑で逮捕された当日である1966年8月18日から、起訴後の9月22日にいたる間の取り調べの様子を録音したものだ。検察官の説明によると、検察官には送致されていなかったテープで、2014年10月に静岡県警の倉庫から段ボール箱に入った状態で計23巻が発見されのだという。
そのうち、否認期にあたる9月4日の録音テープには、何と袴田さんが取調室内で排尿する音まで録音されていた。ジーッというような音とともに液体が何かにあたるようなピシッピシッとも聞こえる音が約10秒録音されていた。弁護団が作成したテープの反訳書によると、その音の前後には、袴田さんの「小便、行きたいんですけどね」という声と、「そこでやんなさい」「ふた(蓋)しとけ」などという取調官の声も録音されていた。

約8分も“がまん”させる

袴田さんが「小便、行きたいんですけど」と発言してから、便器が取調室内に運び込まれるまで最短でも約8分が経過している(録音がいったん中断した跡があるので、それより長い可能性がある)。その約8分の間にも取調官は、一方的に長舌をふるって袴田さんに自白を迫っているのが記録されている。例えば、こんな具合だ。

「いいじゃないか、もう、ここまで来れば。がんばるだけがんばってきただろう、おまえも。お?何も残すことないだろ?何もこれ以上言うことないだろう、おまえ、な。人間だったら、おまえ、こっちの胸飛び込めよ。なあ、そしてねえ、ひとつ胸を開いて、お互いに話し合おうじゃないか」
「潔く往生したらどうだ、おまえさん。おう?それがおまえさんの道じゃないか。ん?袴田、袴田。話できないか?ん?おまえさんがやったことに間違いないんだろ?間違いないんだろ?袴田、おい、お?返事をしなさい、返事を。間違いないんだろ?袴田、返事をしなきゃだめじゃないか」
自白を迫り、ヒタヒタと追い詰めるような取調官の執拗な問いかけや息使いを、文字で表現するのは困難だが、この約8分間の録音を聞いただけでも取り調べ圧力とは相当なものだ、と思い知らされる。

証拠なき有罪確信

9月4日前の8月29日に静岡県警幹部は取り調べの検討会を開き、「袴田の取調べは情理だけでは自供に追込むことは困難であるから取調官は確固たる信念を持って、犯人は袴田以外にはない、犯人は袴田に絶対間違いないということを強く袴田に印象づけることにつとめる…[袴田さんは=筆者注]犯人は自分ではないという自己暗示にかかっていることが考えられたので、この自己暗示をとり除くためには前述のように犯人だという印象を植付ける必要がある」との方針を固めていたことが、同県警が1968年2月に発行した清水事件の捜査記録から判明している。まさに証拠なき有罪確信だったが、取調官の誤った「確信」がリアルに伝わってくる録音内容である。
否認を続ける袴田さんは尿意を表明してから約8分間もこらえ、どんな思いで取調官の言葉を聞いていたのだろうか、と思う。この間に袴田さんが発したと思われる言葉は3回あるが、うち2回は録音が不明瞭で聞き取れない。便器が用意された後、緊張感からか、あるいは羞恥心からか、袴田さんがいったん「でなくなっっちゃった」と言った後に排尿音が聞こえてくる。
取調室内で取調官の見えるような状態で排尿する事態は、どう考えても異常だ(室内に衝立を用意したというような録音もない)。法律以前の問題であろう。短くとも約8分間の引き延ばし自体も人権侵害である、とだれしも思う。

取調官の偽証が判明

実は袴田さんは、確定一審当時から「トイレに行かせてもらえず、調べ室で排尿させられた」と違法な取り調べの実態を主張していた。取調官も、9月4日に清水警察署の取調室内で排尿させたことは認めていた。しかし、理由として「取調室から廊下を通って便所に行くには、新聞記者のカメラが放列をなしているので、袴田がこれを嫌がり、袴田から便器を持ってきてもらいたいとの依頼があったので、取調室内で排尿させた。衝立を立て、その陰でした」という趣旨の法廷証言をしていた(1963年2月19日、静岡地裁第24回公判)。写真を撮られたくないという袴田さんの希望によるもので違法性はない、と警察、検察は主張し、静岡地裁の確定死刑判決も室内排尿について言及していなかった。
ところが、今回の開示テープでは、袴田さんは「写真を撮られるのが嫌だから~」というような発言は一切していなかったことが判明した。逆に取調官が、「便器もらってきて」「ここでやらせればいいから」と他の捜査員に便器持ち込みを指示し、「そこでやんなさい」と袴田さんに命じる発言が明瞭に記録されていた。弁護団によると、便器持ち込みを指示し、命令した取調官の氏名は判明している(すでに死亡)。
また、新聞記者らによる「カメラの放列」についても、弁護団が当時新聞紙面を調べところ、9月4日に撮影された袴田さんの掲載写真はなかった。同日、袴田さんは午前、午後、夜と3回にわたる取り調べを受けているが、朝食、昼食、夕食は清水署一階の留置場でとっており、二階の取調室との間を少なくとも6回は行き来していたことが留置人出入簿から判明している。しかし、4日撮影の掲載写真がないことから(撮影しても掲載しなかった可能性も考えられる)、この日、カメラ放列はなかったのではないか、と弁護団は指摘している。

職務犯罪① 偽証

取調官らによる職務犯罪として弁護団が第一にあげるのは、偽証罪である。取調室内での排尿を袴田さんは依頼していないのに証言したこと。室内に衝立を持ち込んだ事実はないのに衝立を用いたと証言したこと。9月4日にカメラの放列はなかったのに、あったがごとく証言したこと。弁護団は、これらの法廷証言は偽証罪にあたり、警察・検察に有利に裁判を進めるためという偽証の動機も認められるとしている。

職務犯罪② 特別公務員暴行陵虐罪

刑法は、「裁判、検察もしくは警察の職務を行う者…が、その職務を行うにあたり、被告人、被疑者…に対して暴行または陵辱もしくは加虐の行為をしたときは、7年以下の懲役または禁錮に処する」と特別公務員暴行陵虐罪を規定している。弁護団は、取調室内で排尿させたこと自体が陵辱に該当するとしている。
陵辱については、「精神的または肉体的苦痛を与えると考えられる行為に及べば足り、現実にその相手方が承諾したか否か、精神的または肉体的苦痛を被ったか否かは問わない」とした判例があるという。袴田さんが辱められ、精神的苦痛を感じたことは自身の確定一審の法廷証言からも明らかである。さらにまた弁護団は、約8分間、排尿をこらえさせたこと自体も加虐にあたるとしている。加虐とは、有形力の行使以外の方法で肉体的な苦痛を与えることとされ、袴田さんが尿意を訴えているにもかかわらず、がまんさせ、その間執拗に自白を迫った行為は「実に忌まわしい加虐行為」と非難している。

職務犯罪③ 接見盗聴は公務員職権乱用罪

開示された録音テープには、テープの外箱に「8月22日 No.2 午後4時40分~45分 岡村弁ゴ士」とメモされたものがあった。録音内容を確認すると、弁護士らしい人物が袴田さんの家族から弁護を頼まれた趣旨を説明し、「検事に会って、面会許可をもらって[きた]」「私とうちにいる弁護士、二人ついている」「子供のことは心配するなってな、みんなして面倒みるから」などいう言葉が約5分にわたり録音されていた。
これに応じる袴田さんの言葉としては、「パジャマにね」「血がつた」「そう言われても僕わかんないですよ」「全然知らないのに」などの言葉が断片的に録音されていた。
弁護団は、当時、袴田さんの弁護人を務めていた岡村鶴夫弁護士が袴田さんの逮捕後初めて接見した8月22日の様子を捜査官が密かに盗聴録音したことが明らかだ、としている。
刑事訴訟法は、被疑者や被告人と弁護士が立会人なくして接見できる旨(いわゆる秘密交通権)を規定している。それにもかからず、警察が接見を盗聴していたことは、公務員職権乱用罪にあたる、と弁護団は主張している。

盗聴を知っていた袴田さん

袴田さんは、取調官ら警察官が弁護士との接見を盗聴していた、と確定審の上告趣意書で訴えていた。その中で袴田さんは次のように語っている。
「弁護人と接見する際には、刑事等前もって私に対し弁護士に言いつけたら後で半殺しにしてくれるからなあ、と言い渡し、刑事等が盗聴しているのであります。でありますから、私に対する拷問、虐待、長時間の法を犯した取り調べの真相を弁護人に訴えることができなかったのであります…刑事等の違法行為を弁護人に訴えれば、その後の反動的な取り調べで、私は生命にも係る拷問虐待を強いられることは火を見るよりもあきらかであったのでございます」
今回、その接見が盗聴されていたことを示す録音テープが開示されて初めて袴田さんが訴えていたことが真実であったことが明らかになった。実に捜査時から50年越しに白日のもとにさらされた。検察へ未送致とされる証拠を含めて、証拠開示の重要性があらためて気づかされる思いだ。

職務犯罪④ 盗聴否定の偽証

接見時に袴田さんが盗聴されていること訴えることができなくとも、当時の弁護士は、それとなく接見盗聴を疑っていたのかも知れない。確定一審の第24回公判で、取調官が証言台に立った際、袴田さんの弁護士(原隆男・弁護士)は、「接見の内容を盗聴器で聞くようことは絶対にないですか」と、実にストレートな質問を浴びせていた。これに対し、取調官は「はい、ございません」と、これもまた明瞭に否定していた。接見盗聴を公判廷で否定したこの取調官は、主任取調官で前述の便器持ち込みを指示し、室内排尿を袴田さんに命じた人物でもあった。
弁護団は、この取調官が盗聴を否定した法廷証言は偽証罪にあたるとしている。

職務犯罪⑤ 虚偽公文書作成罪

今回開示された録音テープの内容とは離れるが、弁護団は、清水事件で長く問題となってきた「五点の衣類」のうち、鉄紺色ズボンの寸法についても、警察官の犯罪があったとしている。袴田さんは確定控訴審で3回にわたり、このズボンを装着してみたが、袴田さんの太もものところで止まってしまい履けないものだった。
なぜ、履けないズボンが犯行着衣と認定されたのか。ズボンを含めた「五点の衣類」は事件発生から1年2か月後の1967年8月31日に袴田さんが働いていた味噌工場の味噌タンクから発見されたのだが、発見の模様を記録した実況見分調書(9月4日付)には、ズボン内側の寸法札に「寸法4 型Bと記載されている」と記録されていたからだった。
後に、「型B」とは肥満型の人向けのタイプで、「B体はウエストサイズ84㌢であった」とズボン製造会社F社の役員が法廷証言(ただし、本件ズボンがB体だ、とは証言しなかった)するなどしたため、販売時にウエストが詰められるなどして犯行時にはウエスト約80㌢あり、ウエスト約76~80㌢の袴田さんは6履けたはずだ、と認定された。実際に法廷で実物のウエストを計ってみると、68~70㌢であり、袴田さんより約10㌢も小さなものだった(本件ズボンを袴田さんが試着した写真を見ると、ズボンは腰まで上がらず、太もも部分で止まっていることが分かる)。にもかかわらず、ズボンの素材が乾燥して縮んだとか、袴田さんが逮捕、勾留中に太ったからだなどという理由で犯行着衣と認定されたシロモノだった。

判読不明だった寸法札

実況見分調書に「型B」と記載した捜査員の名前は判明している。この調書に写真の添付はなかった。ところが、発見当日である8月31日には寸法札の写真撮影がなされており、この写真によると、Bの左横の文字あるいは記号は滲んでしまって判読不明で、とても「型」と読めるものではなかった(撮影していた事実が明らかになったのは、確定控訴審の段階だった)。実況見分調書に「型」と記載した捜査員は、実際には判読できないのに「型」と記載したことになる。弁護団は、この判読できないにもかかわらず、あえて「型」と虚偽の記載をしたことが、有印虚偽公文書作成罪とその行使罪にあたる、と主張している。

「色」と「Y体」の隠蔽

判読できないものを「型」と記載した事実は、重い。この背景には、捜査側の重大な悪意が潜んでいたことが判明している。実は、静岡県警捜査本部はズボン発見直後の9月4、5日にF社に捜査員を派遣し、Bは大きさや体形を表す記号ではなく、色調を表す記号で、Bの左脇にある滲んだ文字はもともと「色」と記されていたことを把握していたのだった。さらに9月中旬には、「Bは色調を表す記号で、グリーン系であることを表していた」という趣旨のF社専務の供述調書や、「本件ズボンの巾から判断すると、普通の体格で若向き用のY体である」という趣旨の縫製従業員の供述調書も作成していた(これらの調書が弁護側に開示されたのは、第二次再審が静岡地裁で審理されていた2010年9月13日になってからだった)。
つまり9月4日付の実況見分調書で、判読不明なものをあえて「型」と読み、その直後に「色」であることが判明したにもかかわらず、県警は訂正もせず、これを隠蔽していたのだった。従業員の言う通りY体であるなら、鉄紺色ズボンはY体4号のズボンであり、その規格はウエスト76㌢、小売店で約3㌢詰められているので販売時には約73㌢だったとみられる。実測値が68~70㌢とすると、何らかの理由でさらに5~3㌢ほど縮んだことになる。どのみち、袴田さんには履けないズボンだった。
寸法札には「寸法4 色B」と記載されていたのだった。「寸法」は読み取れるのに、なぜ「色」の部分だけ判読不能になっていたのか、不思議である(「寸法」「色」の文字は不変であるため、同じ素材で印刷されていたのかも知れない。「4」「B」は変動するため、別の素材で記載されたものと思われる)。
筆者があえて邪推すれば、実況見分調書が作成されたのは、実際は9月4日ではなく、「色」であることが判明して以降の9月中旬ころではなかったか、と思われる。8月31日が撮影日とされる寸法札の写真自体も、実は9月中旬ではなかったのか。その間に、「色」の部分だけを読めないように何らかの工作をしたのではないか。静岡地裁の再審開始決定で、ズボンを含めた「五点の衣類」全体の捏造が指摘された現時点で、この邪推はささいな的外れかも知れない。いずれにしても、実況見分調書に「型」と虚偽記載し、これを隠していた罪は重い。

異例の「7号申立て」

事件の捜査にあたった警察官による取調室内排尿に関する偽証罪、排尿それ自体に関する特別公務員暴行陵虐罪、接見盗聴に関する公務員職権乱用罪と偽証罪、ズボンの寸法札に関する有印虚偽公文書作成罪。これら5件の犯罪が成立するとして、どうして再審理由になるのだろうか。
袴田さんが虚偽自白に陥った後に、警察官が作成した自白調書はすべて任意性がないとして排除され、確定死刑判決の証拠にはなっていない。だから、室内排尿と有罪認定の証拠とは、直接的な結びつきはない。5件の職務犯罪の発覚は、刑事訴訟法435条6号が再審理由として規定する「無罪…を言い渡[す]…べき明らかな証拠をあらたに発見した」場合には、直接的には該当しにくい。多くの再審事件は、この6号による無罪証拠をかかげて争うケースだが、今回、弁護団は、同条7号に規定された職務犯罪が証明された場合にあたる、と主張している。

適正な捜査を求める7号規定

435条7号は、証拠の作成に関与した警察官や検察官らが「被告事件について職務に関する罪を犯したことが確定判決により証明されたとき」は再審請求できるとしている。この規定はそもそも適正な公務執行や裁判の公正さを確保するために設けられたとされる。ここにいう「職務に関する罪」とは何を指すのか。同様の規定が置かれた旧刑事訴訟法の時代には贈収賄など汚職関連の罪に限定されるという判例(1937年6月8日、大審院判決)があるそうだが、弁護団によると、限定的に解釈する理由はなく、幅広く解釈するのが有力だという。
袴田さんの場合、逮捕、取り調べ、起訴、公判と進む経過の中で、それらに関係した警察官らが本来の職務に密接に関連して犯した犯罪も含まれる、というのが弁護団の見解だ。室内排尿させることは本来の警察官の職務ではないが、取り調べという本来職務に密接に関連してなされたものである。法廷偽証は、取り調べという本来職務の状況を証言する際に行われたものだ。寸法札に関する虚偽公文書作成は、本来職務である実況見分調書作成にあたりなされたものであり、本来職務そのもので犯罪を行ったことになる。

横浜事件では6号で再審開始

筆者はこれまで捜査に関係した警察官に対して偽証罪が成立し、有罪判決が確定したという例を知らない。横浜事件では、捜査にあたった特高警察官に対し特別公務員暴行傷害罪(物理的に有形力を行使した暴行によって傷害した)の有罪判決が確定しているが、再審理由としては6号の無罪証拠として扱われ、最終的に認められた(横浜事件第三次再審請求の東京高裁即時抗告審決定、本誌468号参照)。捜査関係者の職務に絡んだ犯罪が立証されるケースが極めてまれであるため、7号を理由として再審請求することは困難だ。これまでの著名再審事件では、ほとんど例がないのではないかと思われる。

確定判決がなくとも事実の証明で

7号は、職務犯罪が「確定判決により証明されたとき」と規定しており、警察官らの確定有罪判決を求めている。清水事件では、排尿させた取調官らの確定有罪判決はない。偽証の公訴時効は7年、特別公務員暴行陵虐罪は5年、有印虚偽公文書作成罪は7年で時効になる。それらの犯罪は約50年も以前の行為であり、とっくに時効が成立している。しかもすでに死亡している取調官もいる。確定判決は得られそうにない。
再審の手続きに関する刑事訴訟法の規定は数少ないが、その中の437条に、警察官らの「確定判決を得ることができないときは、その事実を証明して再審の請求をすることができる」という規定がある。今回、弁護団はこの規定を援用している。開示された録音テープの内容から、偽証や陵虐、盗聴の事実が合理的疑いを超えて明かであり、実況見分調書の虚偽記載も寸法札の写真などから明らかだ、としている。

理由の追加は認められるか

7号による再審申立て理由の追加には、もう一つの課題がある。清水事件は第二次請求審一審の静岡地裁で再審開始決定が出て、即時抗告審の段階にある。請求一審段階で主張しなかった再審理由7号を、抗告審段階であらたに主張することが認められるかどうか、である。
著名な白鳥事件の再審請求で、最高裁は、請求一審段階で主張しなかった再審理由を請求二審以降に主張するのは不適法だ、という趣旨の決定を出している(1975年5月20日、最高裁第一小法廷、白鳥決定)。また、狭山事件の第二次再審請求では、異議審で同じ6号の無罪証拠をあらたに追加することは不適法という趣旨の決定を出している(2005年3月16日、最高裁第一小法廷決定)。
しかし、清水事件弁護団は、これらの判例を「形式的かつ硬直的な運用である」として非難している。具体的に清水事件の第一次再審即時抗告審では、東京高裁が職権であらたに「五点の衣類」のDNA型鑑定を採用したことがあり、請求一審ではなかった新事実や新証拠を抗告審の審理対象にしたことがあった。抗告審段階であらたな無罪証拠を提示することが不適法なら、この場合、東京高裁自らが判例違反を犯したことになってしまう、と弁護団は指摘している。室内排尿や取調官の偽証は、抗告審段階になってから検察官が開示した録音テープによって初めて明白に証明されたわけで、その主張を封じることは無辜の救済という再審制度の理念を著しく損なうものと言わなければならない。

おとり捜査事件で7号再審

435条7号を再審理由に追加することに関連しては、最近のニュースがある。1997年に北海道小樽市で拳銃を所持していたとしてロシア人船員が銃刀法違反で逮捕され、懲役2年の有罪が確定した事件があった。この事件の弁護団が「警察の捜査協力者である人物が、拳銃を持ち込むよう船員に求めた違法なおとり捜査だった」とする元捜査員の新証言などを6号の無罪証拠として再審請求したところ、札幌地裁は元捜査員らの証人尋問などを行った上で2016年3月3日、これを認め「おとり捜査による違法収集証拠を排除すると、犯罪の証明がない」などと6号の理由があるとして再審開始を決定した。
これに検察官が即時抗告したが、札幌高裁(裁判長・高橋徹、裁判官・瀧岡俊文、深野栄一)は同年10月26日、6号の再審理由にはあたらないとした上で、あらたに職権で7号の理由があると判断して再審開始を支持、即時抗告を棄却し、確定した。同高裁は、元捜査員らはおとり捜査を隠蔽するため捜査協力者が存在しなかったような虚偽の捜査書類を作成しており、これが虚偽公文書作成罪にあたり7号に該当する、公訴時効などで確定有罪判決は得られないものの「合理的な疑いを超えて証明されたと認めることができる」ので437条にも該当すると判断した。この弁護団は一貫して6号による再審開始を求めており、7号、437号の適用はまったく主張していなかったにもかかわらず、である。
先の白鳥決定が、6号以外のあらたな再審理由を請求二審以降で主張することは許されない判例とするならば、銃刀法事件再審の札幌高裁は、これまた職権で重大な判例違反を犯したことになってしまうのではないだろうか。ちなみに、このロシア人船員には2017年3月7日、札幌地裁の再審公判で無罪が言い渡され、確定している。7号再審が極めて異例な中で、小樽銃刀法事件の再審例は清水事件再審の行方に大きな影響をもたらすとみられる。

旧有罪証拠が虚偽の場合

有印虚偽公文書作成罪が成立すると清水弁護団が主張する「型」記載の実況見分調書は、新しい証拠ではなく確定死刑判決の証拠として標目にかかげられている。再審の理由として刑事訴訟法435条1号は「原判決の証拠となった証拠書類または証拠物が、確定判決により偽造または変造であったことが証明されたとき」と規定しており、ここにいう「偽造」には、作成権限のある者による虚偽証拠(「型」と記載した実況見分調書)も含まれるとされる。弁護団は、実況見分調書が虚偽証拠と確定判決で証明されたわけではないが、「証明されたことに該当する」と主張し、同条1号理由による再審申立ても追加している。

テープは6号新証拠

清水弁護団は、取調官の偽証などを明らかにした録音テープの反訳書などは、435条7号、437条だけでなく同時に、435条6号の無罪を言い渡すべき新規明白な証拠でもある、とも主張している。警察官の職務犯罪行為は、「五点の衣類」の捏造へつながったことを強く推認させ、再審開始決定の正当性を一層強固にする新証拠にも該当するというわけである。
2016年12月21日に東京・霞が関で記者会見した西嶋勝彦・弁護団長は「即時抗告審はDNA型鑑定だけが焦点ではなく、違法な捜査だったことを世間の人々にわかっていただきたい」と強調した。小川秀世・弁護団事務局長は「重大な職務犯罪が行われていたことが明らかになった。数々の違法行為が積み重ねられており、7号理由だけで再審開始が確定してもおかしくはない状況だ」と語った。
村﨑修・弁護士は「取調室内における排尿は、拷問に匹敵することが行われたことを示している。そうした違法捜査の体質は、即時抗告審に入って密かに大規模な味噌漬け実験をしていたことに表れているように現在も続いている」と指摘した。
清水再審はもはや、検察官が一刻も早く即時抗告を取り下げ、再審公判を始めるべき時期ではないだろうか。

「神を捨て、神になった男(第1回)」  雑誌「世界」(岩波書店発行)2017年1月号

神を捨て、神になった男(確定死刑囚・袴田巖)

雑誌「世界」2017年1月号第1回「袴田事件なんか最初からないんだ」
文・写真:青柳雄介
※画像をクリックすると、別ウィンドウでPDFファイルが開きます(PDF:2.17MB)。
雑誌「世界」(岩波書店発行)2017年1月号より転載

第2回以降は、雑誌「世界」をお買い求めいただき、ご購読ください。

死刑が緩和される方向に向けて  安田好弘講演(『フォーラム90』154号 より転載) 

安田好弘弁護士7月13日、金田勝年法務大臣は、西川正勝さん(大阪拘置所)、住田紘一さん(広島拘置所)の死刑を執行した。西川さんは再審請求中で、住田さんは裁判員裁判の一審で死刑判決を受け、弁護人の申し立てた控訴を自ら取下げ死刑が確定していた。死刑事件は必要的上訴を制度として導入すべきだろう。国会での答弁で法相の資質を問われた金田法相が死刑の執行をしたのである。フォーラム90は今回の執行の問題を考え、抗議していくために7月27日17時30分から衆議院第一議員会館国際ホールで集会を持ち、集会決議を法相事務所に届けた。ここに掲載した安田弁護士の講演はその集会発言である。(初出『フォーラム90』154号)
※安田好弘氏は、死刑が求刑された事件の刑事弁護を数多く担当し、死刑判決を多数回避させてきた経歴を持つ。死刑廃止主義者。 また、大手マスメディア、テレビなどの出演依頼はほとんど断るマスメディア嫌いとしても知られる。

安田好弘

 

1、7月13日の執行

7月13日に、大阪拘置所で西川正勝さんが、広島拘置所で住田紘一さんが処刑されました。西川さんは61歳、住田さんは34歳。お二人に対する死刑執行は、どちらもたいへん大きな問題を抱えていて、それについて少しお話をしたいと思います。
今回の死刑執行ですが、僕たちはあの法務大臣だったらやるだろう、時期としてもこの国会が終わった後、内閣改造前にやるだろうと危機感を持っていました。しかし、私たちの予測をさらに超えたのは再審請求中の人を執行したことです。そこまではやらないだろうと思っていたのですが、この大臣はやってのけました。その問題点についてもお話ししていきたいと思います。いずれにしても安倍内閣はこれで29人を執行したことになります。過去最大の数です。現在、死刑確定者は125人ですから、その4分の1に近い人を彼の内閣で執行したわけです。確かに、刑法では、法務大臣が死刑執行を命令するとなっていますけれども、死刑執行は閣議報告事項として報告されると言われています。また、事前報告もされているという説もあります。ですから、内閣総理大臣たる安倍晋三総理がこの死刑執行についてまったく知らされていないとは言えないと思いますし、それなりに指導性を発揮できる場面もあったのだろうと思います。この大量の死刑執行は、安倍総理の意向に反しないものであると言えるだろうと思います。ですから、安倍内閣が続く限り、容赦なく死刑が執行されると考えなければなりません。
特に、今回は休会中の死刑執行です。しかも金田勝年法務大臣の退任が目の前に迫っている中で行われた執行です。ですから、彼は、国会での質問に応じる必要もありませんし、法務大臣としての政治的責任も負わなくてもいいということですから、無責任というそしりを免れませんし、法務大臣にのみに死刑執行命令の権限を付与した法の趣旨に反する執行だと思います。

2、法を無視した再審請求中の執行

再審請求中の執行について少しお話をしなければならないと思います。かつて1999年に福岡拘置所の小野照男さんに対して再審請求中の執行がありました。私たちが知る限りでは、再審請求中の執行はこの1件だけですが、小野さん以前に4件ほど再審請求中の執行があったと言う人もいますが、確認がとれていません。
どうして、このような異例のことを金田法務大臣がやったか。今日の資料の3ページに「法務大臣臨時記者会見の概要」が掲載されていますが、そこを見ていただきながら、敢えて読んでみたいと思います。
「もし再審請求の手続き中はすべて執行命令を発しない取り扱いをするものということであるならば、死刑確定者が再審請求を繰り返す限り、永久に刑の執行をなしえないということになりまして、刑事裁判の実現を期するということは不可能になるものと言わなければならないところでございます。従いまして、死刑確定者が再審請求中であったと致しましても、当然、棄却されることを予想せざるをえないような場合におきましては、執行を命ずることもやむを得ないと考えております」。
皆さんに見ていただいている文章(註)と比べて、言葉の語尾は違うものの、その内容は、全く同じです。私が読み上げたものは、1999年に小野照男さんに死刑が執行されたときに、当時の臼井日出男法務大臣が、2000年3月14日の参議院の法務委員会で福島みずほさんの質問に対して答えたものです。皆さんに見ていただいているのは、今回の執行で金田法務大臣が7月13日に記者会見で述べた言葉です。全く同じと言っても過言ではありません。これはどういうことでしょうか。一つは今から18年前に再審請求中の人を死刑執行したことが、今ゾンビのように甦ったということであろうと思います。もう一つは法務官僚が作文をしており、しかも17年前の法務官僚の作文が、未だに生きているということです。つまり死刑執行は政治家が決断しているのではなく、法務官僚が行っており、執行の説明さえも彼らが考え、大臣が記者会見で話す言葉さえも用意している。しかもそれが17年の間、廃棄されずに生き続けているということだろうと思います。これが日本の死刑執行の実態です。そうすると今回、金田法務大臣が再審請求中の死刑執行をしたのは、彼の政治的な考え方やパーソナリティの問題ではなく、いよいよ法務省が再審請求中の執行に乗り出してきたということではないか。18年間控えてきた再審請求中の執行をいよいよ復活させたと考えていいだろうと思うんです。
ところで、金田法務大臣は、現在の法律では再審請求中であっても死刑の執行はできる、法律はそういう規定だと言っています。過去の法務大臣も同じように言っていますし、法務省の官僚も同じように言っているんですけれども、しかしもう一度、本当に法律はそうなっているかということを考えてほしいと思います。私は、法務省や法務大臣の考え方は間違いだと思います。憲法32条は、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」と規定しています。再審もまさにこれに該当します。再審請求中に死刑が執行されると、再審はどうなるかというと、それで棄却、つまり打ち切りになってしまいます。もっとも、執行された人の相続人は再審請求ができますけれども、新たな再審請求を起こさなければならない。ですから死刑執行は、その人の裁判を受ける権利を根本的に奪うことになるわけです。つまり憲法32条違反であるわけです。それから刑訴法475条には法務大臣が命令する、6カ月以内に死刑執行命令を発しなければならないとありますが、これには但し書きがあって、再審請求をしている場合は、この6カ月間の中に算入しないと書かれています。しかし、6カ月経過後の再審請求については何ら規定をしていません。この条文の作成者は、死刑は6カ月以内に執行してしまう建前であるから、6カ月後のことについては規定する必要がないと考えたのだと思います。しかし、この6カ月以内に執行するとの規定が法的強制力がないとされている現行制度の下では、6カ月以降については、6カ月前と同じく再審請求中の人は死刑を執行しないと解釈すべきであると思います。誤って死刑を執行してしまう危険を回避しようとするこの条文の趣旨は、6カ月経過しようとしまいと同じです。条文上は、6カ月経過すれば再審請求中であっても死刑執行できるとは何処にも書かれていないのです。しかし、法務省及び法務大臣は、先に述べましたとおり、6カ月経過後は、再審請求中であっても死刑執行をすることができると解釈しています。しかし、それは条文解釈の一方的な解釈にすぎませんし、6カ月以内に執行しなければならないという建前の下にはじめて成り立つ解釈だと思います。再審請求中の死刑執行については、憲法で保障されている裁判を受ける権利、あるいは人権尊重の考え方から、また誤った死刑執行を防止する趣旨から、今一度、議論しなおし、法律上、死刑執行禁止を明示すべきであると思います。
先ほど読み上げましたように、法務大臣は再審請求中の死刑執行の正当性について、「もし再審請求中なら死刑執行できないということであれば、いつまでも死刑執行できなくて法の実現が不可能になる」と言っています。しかしそれは大きな間違いだと思うんです。再審請求は開かずの門であると言われているように、再審請求には、証拠の新規性及び明白性というたいへん厳しい要件が課せられています。確定審で取り調べられたことのない新たな証拠で、しかも、その証拠から無罪または軽い罪に当たることが明白でなければならないとされています。ですから、再審請求すること自体がそもそも困難なわけです。簡単に再審請求を申し立てすることはできません。私どもはよく再審請求をするためには新しい証拠、そして明白な証拠、つまり明白性と新規性がないといけないと話し合っています。新しい証拠で、その証拠によって無実であることが分かるものでなければならないという条文があるんです。つまり、そう簡単に誰も再審請求できないんです。しかも、刑訴法447条2項には、「何人も、同一の理由によっては、更に再審の請求をすることはできない」とあり、連続して再審請求をすることも禁止しています。ですから、「再審請求中に執行できないならば永久にできない」というのは前提として誤りです。もし、このような規定があっても、乱訴的な再審請求がなされ、結果として死刑が執行できないという事態が生じるならば、それはそれとして、立法問題として議論し、法律を変えるか、あるいは法律にさらに付け加えるかすべきだと思います。法務大臣や法務官僚がご都合論で法律の解釈をし、再審請求中の死刑執行をするというのは、およそ許されるべきではないと思います。
さらに先ほども読み上げましたけれども、彼らは再審が棄却されることが明らかな場合は執行できるのだと最後に付け加えています。しかし、これは法律の規定を完全に無視しています。三権分立のもと、再審は唯一裁判所だけが判断することになっています。行政が判断することは許されていません。しかし今回、再審が認められるかどうか、再審の理由があるかどうかを法務大臣あるいは法務官僚が判断して執行するというわけですから、これは明らかに越権行為です。ですから今回の執行は、法律の解釈を、死刑執行ができるように歪め、越権行為をした上で、死刑を執行したわけですから、大きな問題である以前に、犯罪的な行為ではないかと私は思うわけです。
さらに申し上げなければいけないのは、この法務大臣、法務官僚の認識は完全に間違っていまして、死刑事件の再審の実態を全然理解していないと思います。ちょっと調べてみましたところ、免田栄さんの再審は第6次再審でようやく認められています。島田事件の赤堀政夫さんは第4次再審です。名張の奥西勝さんのケースですと、第9次再審中に病気で亡くなっています。しかも名張事件については第7次再審で、一旦再審開始決定が出ているんです。徳島ラジオ商事件ですと第6次再審です。こういうことが再審の実態なわけです。つまり、再審請求を繰り返さないと再審は実現しないというのが今の日本の実情なのです。法務省はこの事を十分に知っているにもかかわらず、「理由もなく繰り返す」と非難しています。とんでもない実態無視だと思います。
さらにもう一つ実態として申し上げなければならないのですが、私どもが死刑事件を担当していて分かるのですが、死刑事件には、冤罪が非常に多いんですね。統計的にみても免田さんと同じ時期に再審無罪になった死刑事件が4件あったわけです。戦後の死刑事件が約450件ぐらいしかなかった中での4件の冤罪ですから、たいへん高い冤罪率です。そこだけみてもお分かりになると思うのですが、死刑が問われる事件というのは、多くは殺人事件が伴い、現場は悲惨で凄惨で見るに堪えない状況です。その現場を見た捜査員はどう思うでしょうか。「こんなことをやる人間はたいへん悪い奴だ。強い犯意でやったに相違ない。用意周到な計画の下にやったのだろう。このようなことをやる人間は、もともと反社会的で危険な存在だったはずだ」。こういうふうに見てしまうわけです。現場の凄惨さに見合った犯行態様と犯人像を作り上げてしまうのです。そして、その認識に合わせて被疑者・被告人の供述は作られていくわけです。
しかし実際に逮捕された被疑者・被告人はどうかというと、本当に消え入りたいほどの思い、反省・悔悟の思いの中にあって、自分はその時、どういうつもりであったと言って、取調官に対し抗弁したり弁明したりするなんてことは、およそそのような力はありませんし、仮にあったとしても、自分自身に抗弁したり弁明したりすることは認めないわけです。その結果、非難されるままにその非難を受け入れる、あるいは捜査官が作り上げた解釈をそのまま受け入れる。せめて、そうすることが、せめてもの反省の証しだと思うわけです。ですから事実と違うことが証拠としてどんどん作られていってしまいます。私もよく経験するんですけれども、強固な犯意があったかどうか、計画的であったかどうかという点については、ほとんどの場合、現実と違う事実になっているわけです。そして本当はどうであったのかということをようやく言えるのが、死刑が確定し、自分がやったことを客観的に見ることができて、そして事実を検証することができてはじめて、「あ、この判決は間違っている。自分のやったことと違うことが書いてある」と気づくわけです。それでようやく再審請求が始まるんです。ですから、再審請求をするには相当な時間が必要です。しかも、それを手助けしてくれる弁護士はおらず、自分でたどたどしくやり始める以外にありません。とらわれの身であって、自由に証拠を探すことができるわけではありませんので、同じ証拠で再審を訴え続けるしか方途がありません。法務省は、こういう実態を知っているはずなんですね。しかし、彼らは、「ためにする再審」と言って、死刑確定者の人たちのする再審を「延命の手段だ」と言うわけです。死刑事件の実態をあえて捨象して、今回の法務大臣のような弁明をしているわけです。これが、今回の西川さんに対する再審請求中の死刑執行の問題だと思います。

3、審理はつくされてはいない

それから住田さんについてです。住田さんは裁判員裁判で死刑が宣告され、弁護人が即日控訴したんですね。弁護人は被告人とは独立して控訴権を持っていますから、本人の意思に反しても控訴できるわけです。過去には本人に控訴する意思がないため控訴しなかった弁護人もいましたけれども、今は本人の意思に反してでも控訴をするというのが弁護人の共通認識になっています。このケースでも本人の意思を無視して弁護人が控訴をしたわけです。
住田さんの事件は前科がなく、被害者の方が一人という事案でした。被害者一人のケースですと、よほどのことがないと死刑にはなりません。死刑が議論されるのは、だいたい被害者が二人からのケース。単純殺人ですと、被害者が二人でも死刑にならないケースが多いと言われているのですが、住田さんの場合は被害者が一人で死刑判決だったわけですから、弁護人とすれば当然、上級審でもう一度判断してほしい、従来の死刑基準からすると重すぎると考えるのがあたりまえです。しかし住田さんは自分から控訴を取り下げるということをしました。
私も同じようなケースを体験して思ったことですけれども、それは裁判員裁判が持っている欠陥に原因しているのだろうと思います。裁判員裁判の法廷では、裁判官・裁判員がひな壇に9人ずらっと並んでいます。被告人からすれば、それだけでも圧倒的な雰囲気です。そして検察官が複数人並び、そのすぐ後ろに被害者遺族の人と補佐人。被告人を厳しい目で見つめる目があります。反対側に弁護人が1人か2人、そして被告人。被告人は本当に法廷の中で存在自体が小さくそして孤立している状態です。しかも5?7日で審理が終わり、判決が出るという状態です。被告人の話を十分に時間をかけて聞いてくれることもありません。そして、あっという間に死刑判決が出る。そういう中にあって、被告人は、裁判に期待を抱くことができるでしょうか。法廷に出ることでさえ、たいへんな苦痛であろうと思います。裁判員裁判は、控訴あるいは上告して争ってまでして公正な裁判を得ようという意識、意欲そのものを潰してしまっているのではないかと思うわけです。
裁判員裁判では連続的に1週間あるいは10日間ぐらいのスケジュールで判決が出てしまうのですが、その間被告人には当時のことを思い出し、見直して、誰かに話をする機会もないわけです。このような短い期間では、被告人は、傍聴人と接触したり交流する機会がないということです。今までは公判は1カ月に1?2回のペースでしたので、その間に傍聴人が被告人に手紙を出し、あるいは拘置所に出かけて行って面会をして、交流が始まることが多くありました。そういうなかで死刑事件の被告人は、ようやく自分を取り戻すと言うんでしょうか、自分を見直し、自分のやったことに正面から向き合う。もちろん被害者にも向き合う勇気が出てきて、はじめて反省・悔悟の気持ちが生まれ、そしてもう一度やり直してみよう、あるいは謝罪して一生生きていこうという気持ちが生まれてくるわけです。しかし、そういう機会を裁判員裁判は完全に奪い取っているわけです。ですから裁判員裁判の悪い面が、控訴の取下げという今回の結果を生んだと言えると思います。
法務大臣は記者会見で、「記録を精査し、再審事由や上告理由があるかどうか調べ、そして死刑執行の命令を出した」と言っていますが、記録を精査したと言うのならば、住田さんのケースは、一審しか審理されていないことがすぐ分かるはずです。まったく審理不十分で、住田さんには審理を受ける権利が保障されていなかったということが分かるはずです。法務大臣が説明している中身を見ますと、重要な部分が欠けているんです。「個々の事案について関係記録を十分に精査し、刑の執行停止」これは心神喪失の場合など刑の執行停止が法律に規定があることです。「再審事由の有無等について慎重に検討し、これらの事由等がないと認めた場合に初めて死刑執行命令を発すること」ができ、自分はそうしたと言うわけです。しかし、そこには、欠けているものがあります。過去の法務大臣は、「再審事由」の次に、「恩赦の事由」という言葉を入れていました。死刑確定者は恩赦を受ける権利を有しています。日本が批准している国際人権規約のB規約第6条には、死刑確定者には恩赦を求める権利があると書かれています。しかし、彼は、それすらも理解しておらず、恩赦という言葉を言い忘れてしまっているわけです。今回、住田さんのケースですと、上告審まで審理されていないということ、過去の死刑適用基準からすると死刑判決は重すぎることからすれば、それを是正するには恩赦しかなかったはずなんですけれども、それを彼は完全に忘れてしまっていたわけです。
私どもはこういう不幸をなくすために、自動上訴制度を設けるよう訴えています。本人が望むと望まざるにかかわらず、死刑という極限的な刑罰を科すためには、十分に三審まで審理を尽くすということを制度として保障するようにと要求しているわけですが、こうした要求について彼らはまったく耳を貸そうとしていないわけです。

4、今後の課題

今回の執行については、日弁連や駐日EU代表部からも抗議声明が出されており、さらに全国の弁護士会やドイツ、フランスの大使などからも、これから抗議声明が出てくるだろうと思います。しかし法務省、法務大臣はそれらを一顧だにすることなくさらに死刑を行ってくるだろうと思います。
そういう中にあって、私たちは何をやっていくかということです。死刑廃止にとって、現在もたいへん厳しい状況にあります。圧倒的多数の人が死刑存置を支持していますし、死刑廃止は、政治課題になろうともしていません。とりわけ、強固な排斥主義が台頭し始めていますし、安保法制、共謀罪等々、治安法制がますます強化されています。このような状況の中で、どのようにして突き進んでいくか、本当に、真剣に考える必要があると思います。私たちの運動を常に客観視して、多面的な視点で捉えることが必要だと思います。私は、私たち少数派が少しでも前進することができるとするなら、一歩一歩、死刑が廃止される方向に、つまり具体的には死刑が少なくなる方向に、言葉としては、死刑制度が緩和される方向に、そして多面的に物事を動かしていくしかないだろうと思うんです。死刑廃止か存置かという対立軸ではない、そして死刑廃止とは違う考えに基づく、もう一つの選択肢、終身刑の創設と死刑全員一致制を考えなければならないと思いますし、先に申し上げた必要的上訴の創設を求めていくことも大切ですし、恩赦の権利化や死刑確定者に対する必要的弁護制度の創設も求めていく必要があると思います。こういう個別具体的な要求実現の運動を、死刑廃止・存置という対立軸の運動とは別の視野と問題意識でやっていく必要があると思います。そして少しでも死刑の判決を少なくし、執行を少なくし、そして死刑の是非について冷静に考えられる、判断できる土壌、環境を作っていく必要があると私は思っています。
皆さんも同じ思いだと思います。手を取り合ってやっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。