静岡)すり替えられた証言袴田事件発生から51年

朝日新聞朝刊

供述調書をみながら話す男性=三重県内

51年前に旧清水市で起きた一家4人殺害事件(袴田事件)で、「犯行時の着衣」とされたズボンを製造した名古屋市のアパレル会社役員の男性(81)が、朝日新聞の取材に応じた。静岡県警の捜査員がズボンの捜査のためにやってきたのは事件翌年の1967年秋。だが、捜査員に話した事実は知らないうちに、まったく別の内容にすり替わっていたという。

男性によると、県警捜査員が、ズボンの製品番号からたどって会社を訪ねてきたのは67年9月。事件後、強盗殺人容疑で逮捕された元ボクサーの袴田巌さん(81)の裁判は既に始まっていた。「事件のことはもちろん知っていたので、驚きました」

製造過程や販売先などについて詳しく話を聴かれたという。ズボンのタグにある「B」の文字についても男性は「生地を便宜上ABCの三色に色分けし、これは『B色』を意味します」と色の記号であることをはっきり説明した。
ズボンは、事件から1年2カ月後、袴田さんが勤務していたみそ工場のタンク内から見つかったとされる「5点の衣類」の一つだ。検察側は裁判中に犯行時の着衣を当初の「血のついたパジャマ」から、5点の衣類に変更。これが証拠として認定され、袴田さんは死刑判決を受けた。

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東京高裁で行われたズボンの装着実験

裁判で焦点の一つになったのが、ズボンのサイズだった。弁護側は袴田さんには小さすぎるとし、ズボンは袴田さんのものではないと主張。控訴審では装着実験も行われたが、袴田さんは太もも付近までしかはくことができなかった。
一方、検察側はもともとは大きかったズボンが、みそに漬かって縮んだと主張。それを支えたのがズボンのタグにある「B」の文字だ。Bは長年にわたり既製服の肥満体用のサイズを示す「B体」のことだと理解され、裁判所は判決でもそれを認めていた。

「B」の本当の意味――。それに弁護団が気づいたのは男性の証言から43年後の2010年9月。第2次再審請求で、検察側が初めて開示した証拠の中から、「Bは色」と話す男性の供述調書がみつかった。弁護団事務局長の小川秀世弁護士は「検察側はそれまであたかもBがサイズの表示であるかのように事実をすり替え、尋問などで裁判官を誤認させていた」「しかも都合の悪い証拠を長年隠し続けた」と憤る。
弁護団から連絡を受け、男性も初めて、自らの証言が誤った内容で裁判に使われていたことを知ったという。「まさか、と思った。そもそも私たちが『B色』と『B体』を間違えるなんてありえない。そんなことでは商売になりません」

14年3月、静岡地裁は5点の衣類について、発見された状況が「不自然だ」とし、捜査機関による証拠捏造(ねつぞう)の可能性を指摘した上で袴田さんの再審開始を決定。袴田さんは48年ぶりに釈放された。一方、検察側はいまも、ズボンは袴田さんのものであるとの主張は崩していない。
「B」の意味はいつ、誰によってすり替えられたのか。男性はいう。「あのときの刑事さんはまじめに私の話を聞いて、ありのままを調書に記しただけだと思うんです。誰か上の方の頭のいい人が(すり替えを)考えたのか」

事件の発生から30日で51年。当時を詳しく知る人は年々少なくなっている。再審決定は出たものの、検察側が即時抗告したため、東京高裁での審理は長期化。弁護団は29日の協議で、ただちに即時抗告を棄却し、すみやかに再審を始めるよう高裁に求めた。(高橋淳)